↓皿です。
↑「み」
どうも、意匠が妙だと思ったら……。
↓イランの皿でした。
↑「み」
江戸時代の着物と、イランの皿が同じ所に展示されてるとは思えません。
別の館に移ったんですかね。
でも、撮影時間は、1分しか違わないんですよ。
階が違ったんでしょうか。
ひょっとしたら、隣に建つ『東洋館』かも知れません。
↑クリックすると、大きい画像が見られます。
何しろもう、1年近く前になりますから……。
足取りはほぼ、忘却の彼方なんです。
↓影絵みたいですね。
↑「み」
昔のテレビCMとかで見たことがある気がします。
でもこれは、金属製のようです。
実は、この後、1枚だけ撮って終わってました。
東南アジア系の展示品には、まったく興味がわかなかったようです。
↓展示室の外に出ました。
↑「み」
↓修学旅行生のようです。
↑「み」
良い思い出が作れたことを祈ります。
↑駅構内の修学旅行生。恥ずかしいけど、やっぱりウキウキ? でも、床に直接座らせるんですね。この後、乗り物にも乗るでしょうに……。ちと、フケツではないか。
建物の外に出ました。
↓さっそく木を撮ってます。
↑「み」
↓ムクノキでした。
↑樹名板をバネみたいなので留めてるのは、木が太っても食いこんだりさせないためです。
ムクノキは、新潟ではあまり見かけません。
常緑樹かと思いましたが、落葉樹でした。
↑兵庫県たつの市にあるムクノキ。根元がケヤキと癒着してるそうです。
漢字にすると「椋の木」。
この木の実を好んで食べる鳥が……。
「椋鳥(ムクドリ)」。
↑スタコラ歩くムクドリ。スズメ目ムクドリ科。スズメとハトの中間ぐらいの大きさのようです。
でも決して、この木の実しか食べないわけではないそうです。
好き嫌いなんかしてたら、野鳥渡世はやっていけないでしょう。
実際、虫も食べる雑食性だとか。
↓幹の根元に、軒丸瓦みたいなのが埋まってます。
↑「み」
おそらくは、プラ鉢状のものでしょう。
これで、通気性や透水性を改善しようとしてるんですかね?
しかし、大木のこんな幹周りに、空気や水を吸う根はありません。
納得いかないので、いろいろ調べてわかりました。
『東邦レオ㈱』という会社の製品のようです。
「DOキャップ」というのが製品名。
↑小さいカタログ写真しか見つかりません。売れてないんですかね?
でもこの「DOキャップ」は、システムの末端に被せるだけの部材でした。
本体は、土中にある「DOパイプ」。
「DOパイプ」は東邦レオの製品名ですが……。
一般名称は、「酸素管」みたいです。
早い話、樹木の根に酸素を供給する仕組みです。
↑これは、新しく樹木を植えるときに使う場合。
「DOパイプ」には、黒曜石を高温で焼成発泡させた超軽量の土壌改良資材が詰まってます。
製品名は、「ホワイトローム」。
早い話、軽石のさらに軽いもの、パーライトみたいな部材じゃないでしょうか。
↑やっぱり、「黒曜石パーライト」と書いてあります。
多孔質でしょうから、部材の中を水や空気が通り抜けます。
なので、部材同士の空隙に土が埋まっても、透水性、通気性を失わないんだと思います。
この部材を、網状の筒に詰めたのが「DOパイプ」。
現場に合わせ、屈曲させて使うことが出来るでしょう。
わざわざ網に詰めるのは、部材が軽すぎるからだと思います。
土中にそのまま投入したら、雨によって地表に浮いて来てしまいます。
さて、このムクノキです。
歩道の真ん中に立ってます。
↑「み」
舗装は新しいようです。
おそらくは、古い舗装を剥いで舗装し直すとき……。
「DOパイプ」の施工が行われたんじゃないでしょうか。
舗装をするには、車道ほどではなくても、地表面を固める必要があります。
ふかふかの土の上に舗装を敷いたら、後で凸凹になってしまうでしょうから。
しかし、土を固めると、土中の空隙が失われ……。
透水性、通気性が悪くなってしまいます。
その対策として、「DOパイプ」が使われたわけです。
おそらく「DOパイプ」は土中を、ムクノキの根の広がる先まで伸びてるんだと思います。
で、その空気の取り入れ口が、ムクノキの根元なんです。
大木の根元は、人に踏まれたりする可能性が少ないでしょうから。
↑これは、既存の地盤に土盛りする場合の施工例。
空気の取り入れ口を一箇所に集めれば、後々のメンテナンスもしやすいと思います。
で、「DOパイプ」が地表に出るところに被せるのが、「DOキャップ」です。
「DOパイプ」が剥き出しで出てたらみっともないですし……。
流れこんだ土に埋まってしまう心配もあります。
それを防ぐための保護材が、「DOキャップ」というわけです。
さすが『東京国立博物館』。
こういう予算が付けられるんですね。
こんなところにも、地方と東京の格差を感じてしまいます。
↓空洞があります。
↑「み」
もっと高いところであれば、鳥や小動物の巣になりますが……。
↑「樹洞(じゅどう)」と云うようです。
このムクノキの高さじゃ、入居希望者はいないでしょう。
でも、どうして塞がないんですかね?
木肌を伝った雨が、ここから入りこめば……。
空洞の内部が腐りかねません。
「DOパイプ」を入れる予算があるのに……。
空洞を塞ぐ予算がないわけはありません。
↑「DOパイプ」の施工よりは、ずっと安価に出来るはずです。
早い話、「DOパイプ」を提案したのは、施工業者側なんでしょう。
ひょっとしたら、建設コンサルタント会社かも知れません。
『東京国立博物館』を運営するのは……。
『独立行政法人 国立文化財機構』のようです。
ま、その上に文科省があるんでしょうけど。
植物園じゃないですから、樹木には疎いでしょうね。
あ、そうか。
樹木の維持管理は、「DOパイプ」を入れた舗装工事とは、別に発注されてるわけか。
でも、維持管理の「仕様書」には、樹木の空洞を発見した場合どうするかなんて、書かれてないでしょう。
空洞を埋める提案をしても……。
『国立文化財機構』の方でも、「仕様書」にないことは許可できないのかも知れません。
ていうか、予算自体、付いてませんよね。
翌年度の予算に入れてもらうような働きかけは出来ないものでしょうか。
探したら、ちょっと古い(平成23年)ですが「東京国立博物館等の施設管理・運営業務 仕様書(案)」というのを見つけました。
この中に、「2業務仕様-(3)個別業務仕様-⑦構内樹木等維持管理業務」がありました。
ここの「(イ)業務内容-J」に、次の一文があります。
+++
その他、構内樹木等の維持管理上問題が生じた場合は東博等の職員と協議すること。
+++
↑クリックすると、大きい画像が見られます。
少なくとも、ムクノキの樹洞について報告して、協議することは出来るわけです。
予算が下りるかどうかは、別ですが。
ま、余計なお世話でした。
↓樹木を撮ってますが、意図不明です。
↑「み」
木肌や葉の具合から、サルスベリじゃないかと思います。
↑「み」。木肌がツルツルしてるので「猿滑り」。
花が咲いてればわかりますが、6月じゃまだですね。
↓執念で同じ木の画像を発見!
やっぱりサルスベリでしたね。
この画像が撮られたのは、8月前半ころのようです。
↓何の建物か不明。
↑「み」
まだこれは、『東京国立博物館』の構内です。
↓フェンスを撮ってますが、目的不明です。
↑「み」
↓地下への階段。
↑「み」
苔が生えてることからして、公開されてる施設じゃないのでしょう。
あ、わかった。
さっきのフェンスは、この階段を封鎖するためのものですよ。
わたしはフェンスから身を乗り出して、この階段を撮ったんです。
何のために?
わからぬ……。
↓どうやらここは、『資料館』という建物のようです。
↑「み」
↓入口まで行ってます。
↑「み」
入館できたんですね。
もちろん、資料には何の興味もないので、入りませんでしたが。
↓なぜか廊下を撮影。
↑「み」
スタッフオンリーのエリアっぽいです。
もちろん踏みこむことはせず、退散しました。
また、館外で樹木を撮影。
↑「み」
樹皮の雰囲気から、桜のようです。
↑「み」
太り方を見ると、ソメイヨシノでしょう。
↓これは、さきほどのムクノキを反対側から撮ったんだと思います。
↑「み」
↓意図不明に樹林を撮影。
↑「み」
中央下の看板は、資料館の方向を示すものでした。
↑「み」
↓モチノキの巨木です。
↑「み」
なんだか、ムクノキと語感が似てますね。
でも、モチノキは常緑樹です。
成長は早くありません。
なので、庭木として使われてきました。
これほどの大木になるには、いったい何年かかるんでしょうね。
漢字で書くと、「黐の木」。
樹皮から、鳥黐(トリモチ)を作ることができたからです。
鳥黐は、鳥をくっつけて獲る粘着性の物質です。
江戸時代には、「鳥さし」という職業がありました。
↑これは「鳥刺し」。ちと気が進みません。
長い竹竿の先に鳥黐をつけた道具を使い……。
将軍家の鷹の餌にする雀を捕って歩いた人たちです。
↑この画の人たちは、鷹匠です。手に持ってる竿は、鳥黐ではないと思うのですが……。何ですかね?
「鳥さし」という職を知ったのは、『半七捕物帳』の「鷹のゆくえ」でした。
『青空文庫』で読めます。
面白いですよ(こちら)。
↓モチノキの全景。
↑「み」
立派です。
↓一瞬、同じ木の裏側かと思いましたが……。
↑「み」
別の木ですね。
最初のモチノキの全景には、ワイヤーみたいな柵があります。
後の写真にはありません。
↓しつこく踏みこんで撮影。
↑「み」
↓この木の下には、なぜかカラスが蝟集。
↑「み」
日差しが強くなってきたので、日陰に集まったんですかね?
↓これまた立派なケヤキです。
↑「み」
ケヤキは、関東を代表する樹木。
成長が早く巨木になるので、庭には植えられません。
古くからの敷地の広い農家などでは、見かけますが。
↑『国営昭和記念公園(東京都立川市・昭島市)』のケヤキ。
↓全景です。
↑「み」
見事です。
↓地べたに実が大量に落ちてます。
↑「み」
↓この木です。
↑「み」
実が成ってますね。
カラスが蝟集してたわけがわかりました。
この実に集まってたんですよ。
カラスを肉食だと思ってる方も多いかと思いますが……。
雑食です。
しかも、人間より守備範囲が広いです。
ある幼稚園で、野外手洗い場の石鹸が度々失くなるという事件がありました。
悪質なイタズラだと、防犯カメラを設置したところ……。
思わぬ犯人が判明。
カラスでした。
↑犯行現場。
カラスは、石鹸も食べることが出来たんです。
石鹸は、脂肪のカタマリですからね。
事件の詳しい顛末は、こちらのページをご覧下さい。
↓ついばんでました。
↑「み」
でも、さほど熱心ではありませんでした。
半分、ひまつぶしみたいな感じ。
やはり、大好物なのは動物食なのでしょう。
さて、この木はなんでしょう?
葉の形から、すぐにわかりました。
ヤマモモです。
↓全景です。
↑「み」
立派ですね。
ヤマモモは、憧れの樹木なんです。
でも、新潟には植えられません。
暖地の木で、新潟では育たないんです。
ヤマモモの育つ地で暮らすのが夢です。
東京が暖地だなぁと思うのは……。
クスノキとヤマモモが、戸外で立派に育つことです。
新潟では、どちらも観葉植物扱いですね。
この実、もちろん、人間も生で食べられます。
見た目からも想像できますが、甘酸っぱいようです。
わたしも、この場で食べてみようかと思いましたが……。
止めておきました。
食用として植えられてるわけではありません。
当然、樹木の維持管理において、薬剤散布がされてるはずです。
↑見つけた『仕様書(案)』にも、「害虫防除(薬剤散布)」の項目がありました。クリックすると、大きい画像が見られます。
2,3粒食べても、どうにかなるわけじゃないでしょうが……。
やはり、あまり気持ちのいいものではありませんから。
↑『東京国立博物館』の画像ではありません。
↓再び、ユリノキの下にやってきました。
↑「み」
ほんとに、どうしてこんな形の葉になるのか、不思議です。
いちばん顕著な特徴は葉なのに、どうして「ユリノキ」なんて名前にしたんですかね。
↑ユリノキの花。英名はチューリップツリー。日本ではチューリップが一般的ではなかったので、「ユリノキ」になったとか。
別名の「半纏木(はんてんぼく)」の方が、ずっとこの木を表すのに相応しいと思うのですが。
↑屋号などの入った印半纏。かっちょえー。
↓『東洋館』の前です。
↑「み」
修学旅行生がいますね。
こういうところに生徒を放りこんで、レポートを課題にしておけば……。
先生は、楽なのでしょう。
今の生徒には、展示物を壊したりする心配もないでしょうし。
昔の、荒れてた時代だったら……。
気が気じゃなかったんじゃないですか。
↓『伊能忠敬の日本図』展をやってました。
↑「み」
この写真の撮影時刻は、11:54分。
↓ちょうど、12:00開演の直前ですね。
↑「み」
上映時間は、35分とあります。
最後まで見ても、13:40分の帰りの新幹線には十分間に合います。
料金も、500円。
↑面白そうです。
でも、見なかったんですよね。
なんでですかね。
わたしはどうも、予定になかったことが突然起きた場合……。
とっさに乗り換えるような判断が苦手なんだと思います。
このときもきっと……。
躊躇して迷ってるうちに、開演時間になってしまったんじゃないですかね。
↓また、どこか入ってますね。
↑「み」
これが、『東洋館』みたいです。
↓ミュージアムショップです。
↑「み」
『東洋館』にあるショップのようです。
でも、お土産は最初に買ってあるので入りませんでした。
↓『東京国立博物館』を出ました。
↑「み」
すっかり晴れましたね。
↓入口の入場券売場。
↑「み」
空いてますね。
撮影時間は、12:07分。
このころ行くのも、いい手かも知れません。
↓『はとバス』の列。
↑「み」
乗り場ではなく、車両置き場のようです。
『はとバス』も、試してみたい東京観光のひとつ。
↑こんな車両もあるようです。雨の日はどうするんでしょう?
でも、ひとりだとやっぱりね。
予約のとき、座席を選べないみたいなんです。
2人連れなら、窓側と通路側をときどき変わればいいでしょうが……。
1人旅で通路側だったら、死んでも死に切れません。
なので、窓際が約束されない限り……。
わたしが『はとバス』に乗ることはないでしょう。
↓これは、遠くからは工事中のクレーンに見えます。
↑「み」
でも、違ってました。
『国立科学博物館』の外にある、ロケットランチャーなんです。
↓こういうもの。
↑「み」。クリックすると、大きい画像が見られます。
↓しつこく、下から撮ってますね。
↑「み」
ロケットと云うより……。
ミサイルみたいな感じです。
展示品と見せかけて……。
実際にミサイルだったら面白いのに。
いや、不謹慎でした。
↓何の変哲もないイチョウの木です。
↑「み」
↓でももう、「乳」が垂れ始めてます。
↑「み」
イチョウの「乳」は、正体不明の部位だそうです。
気根ではないとか。
↑ガジュマルの気根。
イチョウは裸子植物で、古い時代の特性を維持してるそうです。
乳の大きく垂れたイチョウは、各地にあり……。
お乳の出が良くなるとかで、信仰の対象になってます。
↑「秩父神社」の「乳銀杏」。乳重なりで霊験あらたか。
↓害虫駆除のお知らせ。
↑「み」
5日も取ってありますが、この間ずっと薬剤散布をやってるわけじゃないと思います。
日程は、梅雨の真っ盛りです。
雨で、薬剤が撒けない日が続くことを見越しての日程でしょう。
このうちの、どこか1日でやるのでしょう。
博物館の職員が、まとめて休暇を取る期間にしてるのかも知れません。
↓『東京都東部公園緑地事務所』がありました。
↑「み」
調べてみたら、『東京都建設局』の中の部署でした。
ここらはみんな国の施設ばかりだと思ってたら……。
『上野恩賜公園』は都立公園でした。
そのほかにも、管理する公園は膨大です(こちら)。
↓これは、その『上野恩賜公園』ですかね?
↑「み」
↓駅かと思いました。
↑「み」
でも、石碑の字がかろうじて読めました。
↑「み」
『東京文化会館』と彫られてます。
音楽ホールなんですね。
こういう施設があること、まったく知りませんでした。
もちろん、入ったこともありません。
そもそもわたしは、コンサートというものに行ったことがないのです。
人混みが苦手なので。
↑怖いです。とても、こんなところには行けません。
↓ああ、『上野駅』。
↑「み」
わたしは、『上野駅』には何の思い入れもありません。
東京の大学に行くころにはもう……。
上越新幹線は、『東京駅』に乗り入れてましたから。
↑「乗り弁」ですね。これは2011(平成23)年に発売されたもの。なので『東京駅』乗り入れは、1991(平成3)年になります。
なので帰省のとき、『上野駅』で乗降したことはありません。
でも、『上野駅』には、妙な懐かしさを感じます。
↑井沢八郎『あゝ上野駅』
建物が古く、駅周りも再開発されてないからでしょうか。
↑浅草口の佇まい。駅舎は、1932(昭和7)年のもの。文化財級。簡単には建て替えられません。
↓新潟との違いを如実に感じるのが、ホームドア。
↑「み」
しかし確かに、必須の設備だと思います。
東京の混雑時のホームは、端から人がこぼれかねませんから。
↑この状態の中、毎日通勤するんですよ。信じられません。
ほんとに、昨今の東京には、異常さを感じます。
↓またホームドアです。
↑「み」
色からして、前のが京浜東北線で……。
後の方が山手線のようです。
ホームが向かい合ってるんでしょうね。
撮影時間には、20秒ほどしか差がありませんでしたので。
↑やっぱりそうでした。
↓『東京駅丸の内駅前広場』です。
↑「み」。左右に聳えるのは、丸ビル。
新幹線は、指定席を取ってあります。
なので、『上野駅』から乗っても、何の問題もありません。
でもやはり、始発駅から乗りたいです。
というわけで、『東京駅』まで戻ったわけです。
撮影時間は、12:32分。
新幹線の発車は、13:40分。
1時間ほどあります。
↓『東京駅』の正面です。
↑「み」
ここらはしばらく工事中でしたが……。
↑「み」。2014(平成26)年、記念すべき『単独旅行記Ⅰ』の帰りに撮ったものです。
ようやく完成したようで、見違えるようになりました。
おかしなものをごちゃごちゃ置かず……。
だだっ広い広場にしたのを評価したいと思います。
写真を撮ってる外国人観光客、たくさんいました。
立派な日本の玄関になったと思います。
↓芝生も見事です。
↑「み」
金に糸目をつけない管理ですね。
リキ入ってます。
↓こんな感じ。
↑「み」
バカが、サッカーでもやりかねませんが……。
おそらく、すぐに引っ捕らえられるでしょう。
丸の内口は、皇居の真ん前でもありますから。
↓移植された大木。
↑「み」
金かかってます。
支柱が見えません。
といっても、ただ植えてるわけではありませんよ。
そんなことしたら……。
人が寄りかかっただけで、根が浮きあがってしまいかねません。
こういうのには、地下支柱がしてあるんです。
金属製の高価な支柱です。
受注した業者、嬉しいでしょうね。
こうした高価な資材には、美味しい利ざやが付いてくるものです。
↓タマリュウという地被類。
↑「み」
これ自体は、決して珍しい植物ではありません。
ホームセンターなどでも、ポット苗が安く手に入ります。
こういう植物を使ったのは、補修が即座に出来るからでしょう。
部分的に枯れても、すぐに植え替えられます。
高価で手に入りにくいものを使ったら、そうはいきませんから。
盗まれる恐れもありますしね。
↓この低木は、何ですかね?
↑「み」
枝振りなどを見ると、カンツバキのようです。
タマリュウを使ってることからしても……。
和の風情で統一してる感がありますね。
カンツバキは、名前はツバキですが、実際にはサザンカの仲間です。
↑ツバキなら花首ごと落ちますが……。カンツバキはサザンカと同じく、花びらがバラバラに散ります。
花の時期は、ほぼ真冬。
花の少ない冬に咲く赤い花は、目にとまります。
新潟でも、街路樹の根締めに使われますが……。
雪を被って咲く花は、いっそう美しいです。
でも、常緑なので、よく雪で潰されます。
そのため、冬囲いをされることがあります。
本来、柵で囲うようにすべきなのですが……。
施工が高価になります。
安価な冬囲いとなると……。
竹を1本挿して、縄でグルグル巻きです。
↑新潟では、株元に竹が打ってあることが多いです。
そういう姿で雪を被りながら花を咲かせてるのを見ると……。
なぜか、和物のSMシーンを連想してしまいます。
脱線しました。
話を元に戻します。
↓このカンツバキの根元を見て下さい。
↑「み」。白い粒は肥料です。
土が剥き出しじゃありません。
ウッドチップが敷いてあります。
↑こういうヤツ。
マルチングと云います。
これは、土中の湿度を保ち、雑草を抑制する、とても有意義な一手間です。
↑マルチングの効果を詳しく解説。
でも、なかなかここまでの予算が付く植栽工事は少ないでしょう。
↑「み」
どうも、意匠が妙だと思ったら……。
↓イランの皿でした。
↑「み」
江戸時代の着物と、イランの皿が同じ所に展示されてるとは思えません。
別の館に移ったんですかね。
でも、撮影時間は、1分しか違わないんですよ。
階が違ったんでしょうか。
ひょっとしたら、隣に建つ『東洋館』かも知れません。
↑クリックすると、大きい画像が見られます。
何しろもう、1年近く前になりますから……。
足取りはほぼ、忘却の彼方なんです。
↓影絵みたいですね。
↑「み」
昔のテレビCMとかで見たことがある気がします。
でもこれは、金属製のようです。
実は、この後、1枚だけ撮って終わってました。
東南アジア系の展示品には、まったく興味がわかなかったようです。
↓展示室の外に出ました。
↑「み」
↓修学旅行生のようです。
↑「み」
良い思い出が作れたことを祈ります。
↑駅構内の修学旅行生。恥ずかしいけど、やっぱりウキウキ? でも、床に直接座らせるんですね。この後、乗り物にも乗るでしょうに……。ちと、フケツではないか。
建物の外に出ました。
↓さっそく木を撮ってます。
↑「み」
↓ムクノキでした。
↑樹名板をバネみたいなので留めてるのは、木が太っても食いこんだりさせないためです。
ムクノキは、新潟ではあまり見かけません。
常緑樹かと思いましたが、落葉樹でした。
↑兵庫県たつの市にあるムクノキ。根元がケヤキと癒着してるそうです。
漢字にすると「椋の木」。
この木の実を好んで食べる鳥が……。
「椋鳥(ムクドリ)」。
↑スタコラ歩くムクドリ。スズメ目ムクドリ科。スズメとハトの中間ぐらいの大きさのようです。
でも決して、この木の実しか食べないわけではないそうです。
好き嫌いなんかしてたら、野鳥渡世はやっていけないでしょう。
実際、虫も食べる雑食性だとか。
↓幹の根元に、軒丸瓦みたいなのが埋まってます。
↑「み」
おそらくは、プラ鉢状のものでしょう。
これで、通気性や透水性を改善しようとしてるんですかね?
しかし、大木のこんな幹周りに、空気や水を吸う根はありません。
納得いかないので、いろいろ調べてわかりました。
『東邦レオ㈱』という会社の製品のようです。
「DOキャップ」というのが製品名。
↑小さいカタログ写真しか見つかりません。売れてないんですかね?
でもこの「DOキャップ」は、システムの末端に被せるだけの部材でした。
本体は、土中にある「DOパイプ」。
「DOパイプ」は東邦レオの製品名ですが……。
一般名称は、「酸素管」みたいです。
早い話、樹木の根に酸素を供給する仕組みです。
↑これは、新しく樹木を植えるときに使う場合。
「DOパイプ」には、黒曜石を高温で焼成発泡させた超軽量の土壌改良資材が詰まってます。
製品名は、「ホワイトローム」。
早い話、軽石のさらに軽いもの、パーライトみたいな部材じゃないでしょうか。
↑やっぱり、「黒曜石パーライト」と書いてあります。
多孔質でしょうから、部材の中を水や空気が通り抜けます。
なので、部材同士の空隙に土が埋まっても、透水性、通気性を失わないんだと思います。
この部材を、網状の筒に詰めたのが「DOパイプ」。
現場に合わせ、屈曲させて使うことが出来るでしょう。
わざわざ網に詰めるのは、部材が軽すぎるからだと思います。
土中にそのまま投入したら、雨によって地表に浮いて来てしまいます。
さて、このムクノキです。
歩道の真ん中に立ってます。
↑「み」
舗装は新しいようです。
おそらくは、古い舗装を剥いで舗装し直すとき……。
「DOパイプ」の施工が行われたんじゃないでしょうか。
舗装をするには、車道ほどではなくても、地表面を固める必要があります。
ふかふかの土の上に舗装を敷いたら、後で凸凹になってしまうでしょうから。
しかし、土を固めると、土中の空隙が失われ……。
透水性、通気性が悪くなってしまいます。
その対策として、「DOパイプ」が使われたわけです。
おそらく「DOパイプ」は土中を、ムクノキの根の広がる先まで伸びてるんだと思います。
で、その空気の取り入れ口が、ムクノキの根元なんです。
大木の根元は、人に踏まれたりする可能性が少ないでしょうから。
↑これは、既存の地盤に土盛りする場合の施工例。
空気の取り入れ口を一箇所に集めれば、後々のメンテナンスもしやすいと思います。
で、「DOパイプ」が地表に出るところに被せるのが、「DOキャップ」です。
「DOパイプ」が剥き出しで出てたらみっともないですし……。
流れこんだ土に埋まってしまう心配もあります。
それを防ぐための保護材が、「DOキャップ」というわけです。
さすが『東京国立博物館』。
こういう予算が付けられるんですね。
こんなところにも、地方と東京の格差を感じてしまいます。
↓空洞があります。
↑「み」
もっと高いところであれば、鳥や小動物の巣になりますが……。
↑「樹洞(じゅどう)」と云うようです。
このムクノキの高さじゃ、入居希望者はいないでしょう。
でも、どうして塞がないんですかね?
木肌を伝った雨が、ここから入りこめば……。
空洞の内部が腐りかねません。
「DOパイプ」を入れる予算があるのに……。
空洞を塞ぐ予算がないわけはありません。
↑「DOパイプ」の施工よりは、ずっと安価に出来るはずです。
早い話、「DOパイプ」を提案したのは、施工業者側なんでしょう。
ひょっとしたら、建設コンサルタント会社かも知れません。
『東京国立博物館』を運営するのは……。
『独立行政法人 国立文化財機構』のようです。
ま、その上に文科省があるんでしょうけど。
植物園じゃないですから、樹木には疎いでしょうね。
あ、そうか。
樹木の維持管理は、「DOパイプ」を入れた舗装工事とは、別に発注されてるわけか。
でも、維持管理の「仕様書」には、樹木の空洞を発見した場合どうするかなんて、書かれてないでしょう。
空洞を埋める提案をしても……。
『国立文化財機構』の方でも、「仕様書」にないことは許可できないのかも知れません。
ていうか、予算自体、付いてませんよね。
翌年度の予算に入れてもらうような働きかけは出来ないものでしょうか。
探したら、ちょっと古い(平成23年)ですが「東京国立博物館等の施設管理・運営業務 仕様書(案)」というのを見つけました。
この中に、「2業務仕様-(3)個別業務仕様-⑦構内樹木等維持管理業務」がありました。
ここの「(イ)業務内容-J」に、次の一文があります。
+++
その他、構内樹木等の維持管理上問題が生じた場合は東博等の職員と協議すること。
+++
↑クリックすると、大きい画像が見られます。
少なくとも、ムクノキの樹洞について報告して、協議することは出来るわけです。
予算が下りるかどうかは、別ですが。
ま、余計なお世話でした。
↓樹木を撮ってますが、意図不明です。
↑「み」
木肌や葉の具合から、サルスベリじゃないかと思います。
↑「み」。木肌がツルツルしてるので「猿滑り」。
花が咲いてればわかりますが、6月じゃまだですね。
↓執念で同じ木の画像を発見!
やっぱりサルスベリでしたね。
この画像が撮られたのは、8月前半ころのようです。
↓何の建物か不明。
↑「み」
まだこれは、『東京国立博物館』の構内です。
↓フェンスを撮ってますが、目的不明です。
↑「み」
↓地下への階段。
↑「み」
苔が生えてることからして、公開されてる施設じゃないのでしょう。
あ、わかった。
さっきのフェンスは、この階段を封鎖するためのものですよ。
わたしはフェンスから身を乗り出して、この階段を撮ったんです。
何のために?
わからぬ……。
↓どうやらここは、『資料館』という建物のようです。
↑「み」
↓入口まで行ってます。
↑「み」
入館できたんですね。
もちろん、資料には何の興味もないので、入りませんでしたが。
↓なぜか廊下を撮影。
↑「み」
スタッフオンリーのエリアっぽいです。
もちろん踏みこむことはせず、退散しました。
また、館外で樹木を撮影。
↑「み」
樹皮の雰囲気から、桜のようです。
↑「み」
太り方を見ると、ソメイヨシノでしょう。
↓これは、さきほどのムクノキを反対側から撮ったんだと思います。
↑「み」
↓意図不明に樹林を撮影。
↑「み」
中央下の看板は、資料館の方向を示すものでした。
↑「み」
↓モチノキの巨木です。
↑「み」
なんだか、ムクノキと語感が似てますね。
でも、モチノキは常緑樹です。
成長は早くありません。
なので、庭木として使われてきました。
これほどの大木になるには、いったい何年かかるんでしょうね。
漢字で書くと、「黐の木」。
樹皮から、鳥黐(トリモチ)を作ることができたからです。
鳥黐は、鳥をくっつけて獲る粘着性の物質です。
江戸時代には、「鳥さし」という職業がありました。
↑これは「鳥刺し」。ちと気が進みません。
長い竹竿の先に鳥黐をつけた道具を使い……。
将軍家の鷹の餌にする雀を捕って歩いた人たちです。
↑この画の人たちは、鷹匠です。手に持ってる竿は、鳥黐ではないと思うのですが……。何ですかね?
「鳥さし」という職を知ったのは、『半七捕物帳』の「鷹のゆくえ」でした。
『青空文庫』で読めます。
面白いですよ(こちら)。
↓モチノキの全景。
↑「み」
立派です。
↓一瞬、同じ木の裏側かと思いましたが……。
↑「み」
別の木ですね。
最初のモチノキの全景には、ワイヤーみたいな柵があります。
後の写真にはありません。
↓しつこく踏みこんで撮影。
↑「み」
↓この木の下には、なぜかカラスが蝟集。
↑「み」
日差しが強くなってきたので、日陰に集まったんですかね?
↓これまた立派なケヤキです。
↑「み」
ケヤキは、関東を代表する樹木。
成長が早く巨木になるので、庭には植えられません。
古くからの敷地の広い農家などでは、見かけますが。
↑『国営昭和記念公園(東京都立川市・昭島市)』のケヤキ。
↓全景です。
↑「み」
見事です。
↓地べたに実が大量に落ちてます。
↑「み」
↓この木です。
↑「み」
実が成ってますね。
カラスが蝟集してたわけがわかりました。
この実に集まってたんですよ。
カラスを肉食だと思ってる方も多いかと思いますが……。
雑食です。
しかも、人間より守備範囲が広いです。
ある幼稚園で、野外手洗い場の石鹸が度々失くなるという事件がありました。
悪質なイタズラだと、防犯カメラを設置したところ……。
思わぬ犯人が判明。
カラスでした。
↑犯行現場。
カラスは、石鹸も食べることが出来たんです。
石鹸は、脂肪のカタマリですからね。
事件の詳しい顛末は、こちらのページをご覧下さい。
↓ついばんでました。
↑「み」
でも、さほど熱心ではありませんでした。
半分、ひまつぶしみたいな感じ。
やはり、大好物なのは動物食なのでしょう。
さて、この木はなんでしょう?
葉の形から、すぐにわかりました。
ヤマモモです。
↓全景です。
↑「み」
立派ですね。
ヤマモモは、憧れの樹木なんです。
でも、新潟には植えられません。
暖地の木で、新潟では育たないんです。
ヤマモモの育つ地で暮らすのが夢です。
東京が暖地だなぁと思うのは……。
クスノキとヤマモモが、戸外で立派に育つことです。
新潟では、どちらも観葉植物扱いですね。
この実、もちろん、人間も生で食べられます。
見た目からも想像できますが、甘酸っぱいようです。
わたしも、この場で食べてみようかと思いましたが……。
止めておきました。
食用として植えられてるわけではありません。
当然、樹木の維持管理において、薬剤散布がされてるはずです。
↑見つけた『仕様書(案)』にも、「害虫防除(薬剤散布)」の項目がありました。クリックすると、大きい画像が見られます。
2,3粒食べても、どうにかなるわけじゃないでしょうが……。
やはり、あまり気持ちのいいものではありませんから。
↑『東京国立博物館』の画像ではありません。
↓再び、ユリノキの下にやってきました。
↑「み」
ほんとに、どうしてこんな形の葉になるのか、不思議です。
いちばん顕著な特徴は葉なのに、どうして「ユリノキ」なんて名前にしたんですかね。
↑ユリノキの花。英名はチューリップツリー。日本ではチューリップが一般的ではなかったので、「ユリノキ」になったとか。
別名の「半纏木(はんてんぼく)」の方が、ずっとこの木を表すのに相応しいと思うのですが。
↑屋号などの入った印半纏。かっちょえー。
↓『東洋館』の前です。
↑「み」
修学旅行生がいますね。
こういうところに生徒を放りこんで、レポートを課題にしておけば……。
先生は、楽なのでしょう。
今の生徒には、展示物を壊したりする心配もないでしょうし。
昔の、荒れてた時代だったら……。
気が気じゃなかったんじゃないですか。
↓『伊能忠敬の日本図』展をやってました。
↑「み」
この写真の撮影時刻は、11:54分。
↓ちょうど、12:00開演の直前ですね。
↑「み」
上映時間は、35分とあります。
最後まで見ても、13:40分の帰りの新幹線には十分間に合います。
料金も、500円。
↑面白そうです。
でも、見なかったんですよね。
なんでですかね。
わたしはどうも、予定になかったことが突然起きた場合……。
とっさに乗り換えるような判断が苦手なんだと思います。
このときもきっと……。
躊躇して迷ってるうちに、開演時間になってしまったんじゃないですかね。
↓また、どこか入ってますね。
↑「み」
これが、『東洋館』みたいです。
↓ミュージアムショップです。
↑「み」
『東洋館』にあるショップのようです。
でも、お土産は最初に買ってあるので入りませんでした。
↓『東京国立博物館』を出ました。
↑「み」
すっかり晴れましたね。
↓入口の入場券売場。
↑「み」
空いてますね。
撮影時間は、12:07分。
このころ行くのも、いい手かも知れません。
↓『はとバス』の列。
↑「み」
乗り場ではなく、車両置き場のようです。
『はとバス』も、試してみたい東京観光のひとつ。
↑こんな車両もあるようです。雨の日はどうするんでしょう?
でも、ひとりだとやっぱりね。
予約のとき、座席を選べないみたいなんです。
2人連れなら、窓側と通路側をときどき変わればいいでしょうが……。
1人旅で通路側だったら、死んでも死に切れません。
なので、窓際が約束されない限り……。
わたしが『はとバス』に乗ることはないでしょう。
↓これは、遠くからは工事中のクレーンに見えます。
↑「み」
でも、違ってました。
『国立科学博物館』の外にある、ロケットランチャーなんです。
↓こういうもの。
↑「み」。クリックすると、大きい画像が見られます。
↓しつこく、下から撮ってますね。
↑「み」
ロケットと云うより……。
ミサイルみたいな感じです。
展示品と見せかけて……。
実際にミサイルだったら面白いのに。
いや、不謹慎でした。
↓何の変哲もないイチョウの木です。
↑「み」
↓でももう、「乳」が垂れ始めてます。
↑「み」
イチョウの「乳」は、正体不明の部位だそうです。
気根ではないとか。
↑ガジュマルの気根。
イチョウは裸子植物で、古い時代の特性を維持してるそうです。
乳の大きく垂れたイチョウは、各地にあり……。
お乳の出が良くなるとかで、信仰の対象になってます。
↑「秩父神社」の「乳銀杏」。乳重なりで霊験あらたか。
↓害虫駆除のお知らせ。
↑「み」
5日も取ってありますが、この間ずっと薬剤散布をやってるわけじゃないと思います。
日程は、梅雨の真っ盛りです。
雨で、薬剤が撒けない日が続くことを見越しての日程でしょう。
このうちの、どこか1日でやるのでしょう。
博物館の職員が、まとめて休暇を取る期間にしてるのかも知れません。
↓『東京都東部公園緑地事務所』がありました。
↑「み」
調べてみたら、『東京都建設局』の中の部署でした。
ここらはみんな国の施設ばかりだと思ってたら……。
『上野恩賜公園』は都立公園でした。
そのほかにも、管理する公園は膨大です(こちら)。
↓これは、その『上野恩賜公園』ですかね?
↑「み」
↓駅かと思いました。
↑「み」
でも、石碑の字がかろうじて読めました。
↑「み」
『東京文化会館』と彫られてます。
音楽ホールなんですね。
こういう施設があること、まったく知りませんでした。
もちろん、入ったこともありません。
そもそもわたしは、コンサートというものに行ったことがないのです。
人混みが苦手なので。
↑怖いです。とても、こんなところには行けません。
↓ああ、『上野駅』。
↑「み」
わたしは、『上野駅』には何の思い入れもありません。
東京の大学に行くころにはもう……。
上越新幹線は、『東京駅』に乗り入れてましたから。
↑「乗り弁」ですね。これは2011(平成23)年に発売されたもの。なので『東京駅』乗り入れは、1991(平成3)年になります。
なので帰省のとき、『上野駅』で乗降したことはありません。
でも、『上野駅』には、妙な懐かしさを感じます。
↑井沢八郎『あゝ上野駅』
建物が古く、駅周りも再開発されてないからでしょうか。
↑浅草口の佇まい。駅舎は、1932(昭和7)年のもの。文化財級。簡単には建て替えられません。
↓新潟との違いを如実に感じるのが、ホームドア。
↑「み」
しかし確かに、必須の設備だと思います。
東京の混雑時のホームは、端から人がこぼれかねませんから。
↑この状態の中、毎日通勤するんですよ。信じられません。
ほんとに、昨今の東京には、異常さを感じます。
↓またホームドアです。
↑「み」
色からして、前のが京浜東北線で……。
後の方が山手線のようです。
ホームが向かい合ってるんでしょうね。
撮影時間には、20秒ほどしか差がありませんでしたので。
↑やっぱりそうでした。
↓『東京駅丸の内駅前広場』です。
↑「み」。左右に聳えるのは、丸ビル。
新幹線は、指定席を取ってあります。
なので、『上野駅』から乗っても、何の問題もありません。
でもやはり、始発駅から乗りたいです。
というわけで、『東京駅』まで戻ったわけです。
撮影時間は、12:32分。
新幹線の発車は、13:40分。
1時間ほどあります。
↓『東京駅』の正面です。
↑「み」
ここらはしばらく工事中でしたが……。
↑「み」。2014(平成26)年、記念すべき『単独旅行記Ⅰ』の帰りに撮ったものです。
ようやく完成したようで、見違えるようになりました。
おかしなものをごちゃごちゃ置かず……。
だだっ広い広場にしたのを評価したいと思います。
写真を撮ってる外国人観光客、たくさんいました。
立派な日本の玄関になったと思います。
↓芝生も見事です。
↑「み」
金に糸目をつけない管理ですね。
リキ入ってます。
↓こんな感じ。
↑「み」
バカが、サッカーでもやりかねませんが……。
おそらく、すぐに引っ捕らえられるでしょう。
丸の内口は、皇居の真ん前でもありますから。
↓移植された大木。
↑「み」
金かかってます。
支柱が見えません。
といっても、ただ植えてるわけではありませんよ。
そんなことしたら……。
人が寄りかかっただけで、根が浮きあがってしまいかねません。
こういうのには、地下支柱がしてあるんです。
金属製の高価な支柱です。
受注した業者、嬉しいでしょうね。
こうした高価な資材には、美味しい利ざやが付いてくるものです。
↓タマリュウという地被類。
↑「み」
これ自体は、決して珍しい植物ではありません。
ホームセンターなどでも、ポット苗が安く手に入ります。
こういう植物を使ったのは、補修が即座に出来るからでしょう。
部分的に枯れても、すぐに植え替えられます。
高価で手に入りにくいものを使ったら、そうはいきませんから。
盗まれる恐れもありますしね。
↓この低木は、何ですかね?
↑「み」
枝振りなどを見ると、カンツバキのようです。
タマリュウを使ってることからしても……。
和の風情で統一してる感がありますね。
カンツバキは、名前はツバキですが、実際にはサザンカの仲間です。
↑ツバキなら花首ごと落ちますが……。カンツバキはサザンカと同じく、花びらがバラバラに散ります。
花の時期は、ほぼ真冬。
花の少ない冬に咲く赤い花は、目にとまります。
新潟でも、街路樹の根締めに使われますが……。
雪を被って咲く花は、いっそう美しいです。
でも、常緑なので、よく雪で潰されます。
そのため、冬囲いをされることがあります。
本来、柵で囲うようにすべきなのですが……。
施工が高価になります。
安価な冬囲いとなると……。
竹を1本挿して、縄でグルグル巻きです。
↑新潟では、株元に竹が打ってあることが多いです。
そういう姿で雪を被りながら花を咲かせてるのを見ると……。
なぜか、和物のSMシーンを連想してしまいます。
脱線しました。
話を元に戻します。
↓このカンツバキの根元を見て下さい。
↑「み」。白い粒は肥料です。
土が剥き出しじゃありません。
ウッドチップが敷いてあります。
↑こういうヤツ。
マルチングと云います。
これは、土中の湿度を保ち、雑草を抑制する、とても有意義な一手間です。
↑マルチングの効果を詳しく解説。
でも、なかなかここまでの予算が付く植栽工事は少ないでしょう。
払子側が残ってないのは……。
おそらく、球形の接合部は、木製か骨製だったんじゃないですか。
↑「ブリッジピン」というギターの部品のようです。牛骨製。
石を丸く加工するのは大変です。
しかも、払子を付ける穴まで抉らなければなりません。
重いし。
ということで、木か骨で造った。
当然それらは、朽ちて失われてしまう。
ということで、証拠が残らないんです。
でも、わたしの脳裏には、ありありと映像が浮かびます。
劣勢の中、顔色を変え……。
馬上で、兜の払子の角度をひょいと変えてる将軍の姿が。
↓家形の埴輪です。
↑「み」
↓さまざまな形があります。
↑「み」
↓これなんか、「家形飾環頭柄頭」に付いてた家に似てますね。
↑「み」
家形の埴輪が、死者と一緒に埋葬された理由には……。
主に、2通りの説があるようです。
ひとつは、埋葬された人の魂が宿る場所とするため。
↑ムリヤリ宿る魂。
たしかに、必ず開口部があり、中が空洞になってますよね。
もう一つの説は、多くの家形埴輪が整然と置かれてることから……。
生前に暮らした屋敷を再現したというもの。
死後も、生きてるときと同じ暮らしが出来るようにという、残された者の祈りでしょう。
これは、大いにわかる気がします。
↓愛馬でしょうか。
↑「み」
殺して一緒に墓に入れてしまうのではなく……。
こうして、身代わりを造って合葬したわけです。
ホッとしますね。
↓急にむさ苦しいものが出て来ました。
↑「み」
↓「3」ですから、「挂甲(けいこう)」ですね。
↑「み」
そもそも、「手偏に圭」という文字を初めて見ました。
「挂甲」は、古代日本で用いられた鎧(甲)の形式のひとつだとのこと。
「甲」は、甲冑(かっちゅう)の「甲」ですね。
「挂甲」は、便宜的に名付けた名称で……。
当時、そう呼ばれてたわけじゃないようです。
↓この埴輪が着用してるのが「挂甲」です。
鉄や革でできた小札(こざね)を……。
縦横に、紐で綴じ合わせて作られてるとのこと。
つまりは、「大魔神」の鎧ですよね。
わたしが撮った写真のものは、どうしてこんな状態になってるのでしょう。
とても、役に立ちそうには見えません。
綴じる紐が朽ちてるからでしょうか?
↓さっぱりわからないものたち。
↑「み」
上のは足ヒレみたいですが、見るからに金属ですから違いますね。
↓どうやら、馬に付けた品々のようです。
↑ヒレみたいなのはないようですが。
馬は重くて、いい迷惑だと思います。
↓これはすぐにわかります。
↑「み」
鞍です。
綺麗なものですが、なんとなく安定が悪そうです。
静かに歩いてるときはいいですが……。
馬が走り出したら、あっという間に滑り落ちそうです。
↑馬から落ちるナポレオン。ほんまの画か?
走り出さないよう、手綱を押さえる人がいたんでしょう。
鞍にはもちろん、貴人が乗ってたわけです。
↓古墳時代のきのこです。
↑「み」
もちろん違うのでしょうが、説明書きを撮ってないんです。
下の筒状の支えは、明らかに展示用でしょう。
なんで、この状態で展示する必要があるのか。
ビスケットみたいに見える笠の部分は……。
おそらくは、木製でしょう。
古墳の蓋ですかね?
残念ながら、ネット検索しても情報は得られませんでした。
↓人形の埴輪です。
↑「み」
縄文時代の土偶は、変人の芸術家が造った感じですが……。
古墳時代の埴輪は、素朴で民芸品のような味わいがあります。
↓素朴を通り越して、稚拙な感さえあります。
↑「み」
職人が造ったのでしょうか?
右のは、犬ですか?
アリクイみたいですけど。
↑ぬいぐるみです。
わたしは、埴輪は素人が造ったんじゃないかと思ってます。
もちろんすべてではありません。
フル装備の馬などは、専門の職人が造ったでしょう。
↑「み」
でも、簡単な人形は、亡くなった人の家族が自ら造ったのでは?
つまり、自分の分身を自分で造ったわけです。
亡くなった人が、あの世でも、家族に囲まれて過ごせるようにということです。
あ、今、思いつきました。
↓これなんか、ひょっとしたら、当時の漫才師じゃないですか。
↑右手は「よしなさい」を繰り出そうとしてるように見えます。
墓の中で退屈しないよう……。
こうしたひょうきん者も一緒に入れたわけです。
昔は、病気に罹れば、もう祈るほかはなかったでしょう。
でも逆に、今みたいに……。
一縷の望みを求めて、ドクターショッピングを繰り返すような苦痛はありません。
死は、本人も家族にとっても、あらがえないものだったのでしょう。
だからむしろ、命を長らえようとするより……。
死後のことを考えたんだと思います。
今は、ほんとうに幸せな時代なんでしょうか?
でも、確実に今の方が優れてることがあります。
苦痛を和らげる技術です。
わたしは、病を治すより、苦痛を和らげる方が重要だと思います。
これを医術の第一義としない医師は、医師じゃないと思ってます。
また、話がズレました。
解説を続けます。
↓ズレた後は、見事に大ブレ。
↑「み」
アル中が撮っても、ここまではブレないと思うのですが。
↑この人ならブレます。
家のようですが、埴輪ではないみたいですね。
こういうことがあるから……。
ほんとうは、2枚ずつ撮っておいた方がいいのでしょう。
枚数のメモリ容量は、十分余ってます。
でも、バッテリーは保たないでしょう。
予備バッテリーを持って行けばいいだけですが。
↓ご丁寧に、説明書きまでブレてます。
↑「み」。科捜研でも解析不可能。
発作でも起こしてたんですかね。
しゃっくりでも出たんでしょうか。
↑人差し指を耳に入れてじっとしてると、1分で止まるそうです。ほんまか?
でも、ブレたという自覚があれば、撮り直してたはずです。
さっぱりわかりません。
↓最初は、文字を記した石板かと思いました。
↑「み」
でも、かろうじて読めた説明書きによると……。
↑「み」。こちらは肉眼でも解読可能でした。
「敷石」でした。
古墳時代から造られてたんですね。
筋目に沿って、真っ直ぐ割れる石はありますからね。
↑頁岩(けつがん)と読むようです。語感がイマイチです。“シェール"の方がいいですね。
敷石のように四角い板状にするというのが、もっとも簡単な石の加工法かも知れません。
↓敷石と云っても、道路に使われたものではありませんでした。
↑「み」
でもこの図で、上に載ってるのが敷石です。
つまりここは、地表部に出てたと云うことでしょうか?
だけど、人が踏んで歩いたとは考えにくいです。
天井石の方が相応しいのでは?
どうも納得できないので、ネットを調べたら……。
やはり、わたしの間違いでした。
↓綺麗な図が見つかりました。
↑「敷石」は、黒い石ではなく、ホワイト板チョコみたいなところです。
しかし、古墳が、いかに丁寧に造られてたか良くわかりますね。
生きてる人のものより、お金も手間もかけてたんじゃないでしょうか。
命が儚かった時代は、あの世にこそ、ほんとの人生があると信じられてたのかも知れません。
↑天国とは……。毎日飲み放題で、二日酔いもしないし、肝臓も悪くならない。
↓故人は、アイスキャンデーが好きだったのでしょうか。
↑「み」
もちろん、そんなことはありません。
上は、「台石」。
下が、「扉石残片」とあります。
だんだん飽きてきましたね。
↓家のようですが……。
↑「み」
ずいぶん丸みを帯びてます。
と思ったら、家ではありませんでした。
↑「み」
「陶棺」と云われても……。
人がそのまま入れるとは思えません。
資料を探したら、高さ13.5㎝、長さ41㎝とありました。
骨壺なんでしょうか。
屋根の部分は、外せるのでしょう。
↓ちゃんと人が長らえる大きさの陶棺もあったようです。
↑高さ88㎝、長さ180㎝。
こちらも、東京国立博物館の品のようです。
なんでわたしは、撮ってなかったんでしょう。
あ、わかった。
↓例の、大ブレ画像ですよ。
何を撮ってたかわかって、少しすっきりしました。
ここでまた閃きました。
小さな陶棺は、子供用ですよ。
いや、さらに幼い子供。
はっきり言えば……。
死産したような場合、小さな陶棺に収めたんです。
昔の平均寿命が短いのは……。
乳児などの死亡率が高かったからです。
↑明治期でも、乳児死亡率が2割近かったとは驚きです(現在は0.2%程度ですから、100倍です)。
平均寿命が20代と云っても……。
みんながみんな、20代で亡くなったわけではありません。
何割かの人は、ごく普通に70歳くらいまでは長らえたと思います。
でも、乳児の死亡率が高かったので……。
均すと、平均寿命が20代になったりするわけです。
古墳時代なども、死産や乳児での死亡率は高かったのでしょう。
なのでおそらく、そうした子供たちのための小さな陶棺は……。
既製品として売られてたんじゃないでしょうか。
↑乳児の棺に相応しい、かわいいお家です。
亡くなってから造ったんじゃないと思います。
さまざまな大きさの陶棺が並んだ工房が目に浮かびます。
今の小売店のようなものはなく……。
そうした工房から、直接買ったんじゃないでしょうか。
↓これまた愉快そうな人形埴輪です。
↑「み」
↓説明書きは、ブレブレでまったく読めません。
↑「み」
いろいろ探したら……。
「盾持人(たてもちびと)」となってるようです。
盾を持ってると云うことは、兵士ですか?
なんで笑ってるんでしょう?
盾を背負ってる姿のようです。
盾を持ってるから安心だと笑ってるんですか?
そんなわけありませんよね。
↓また、体験コーナーです。
↑「み」
これは、やってみませんでした。
あんまり意味がないんじゃありませんか。
当時、部品をバラバラに作って、焼いてから組み立ててたわけじゃないでしょう。
何かの入れ物なら、そういうのもありでしょうが。
↓これは近代的な感じですね。
↑「み」
なんだか、衛兵みたいです。
↓こちらも「盾持人」とあります。
↑「み」
こちらは納得です。
盾を身体の前面に持ってますし……。
何より、顔つきが友好的じゃありません。
機動隊みたいです。
↑現代の「盾持人」。
わかった!
↓笑った「盾持人」の意味ですよ。
↑「み」
あれは、戦いに勝って帰って来たときの兵士の像ですよ。
だから笑ってるし、盾を背中に担いでたんです。
おそらく、戦勝を祈って、笑って帰る姿を像にしたんでしょう。
それに対し、機動隊みたいな「盾持人」は……。
これから戦いに行くときの兵士なんです。
納得じゃろ?
↓鶏(ニワトリ)です。
↑「み」
この時代に鶏がいたのかと驚きましたが……。
日本に大陸から持ちこまれたのは、弥生時代だそうです。
それじゃ弥生時代に、稲作と並行して養鶏が行われてたのかと思いましたが……。
どうやら違うようです。
↑熱田神宮(名古屋市)に住み着く鶏。弥生時代からいたわけではないようです。名古屋コーチンだとか。
鶏は、食肉用として繁殖されることはなかったそうです。
採卵が目的でもなかったみたいです。
すなわち、純粋なペット、愛玩用です。
↑室内で飼われてる鶏のピーちゃん(夜店のヒヨコ出身)。毎朝、お兄ちゃんを起こしに行くそうです。
というより、時を告げる鳥として、神聖視されてたとか。
それで、こんな立派な埴輪が作られるわけです。
食用なら、こうは作りませんよね。
下の筒状のものは……。
鶏が時を告げるときに上った、切り株みたいなのじゃないでしょうか。
すなわちこの像は……。
神聖な鳥が、まさに時を告げようとする姿を写したものだということです。
筒に丸い穴が空いてるのは……。
密閉してしまったら、焼いたときに中の空気が膨張して割れてしまうからでしょう。
↑目と口を表現する穴は、焼くときの空気抜きを兼ねてるわけです。
↓あきらかに、靴です。
↑「み」
↓説明書きには、「金銅製沓(こんどうせいくつ)」とあります。
↑「み」
こんなの履いて歩いたら、すぐ壊れたろうなと思いましたが……。
違いました。
朝鮮半島伝来の、葬送用の沓でした。
「金銅(こんどう)製」というのは……。
↑コンドーです。『柔道一直線』のころでしょうか。美形ですね。
青銅で作られ、金メッキが施されてたという意味のようです。
金メッキの歴史は古く……。
↑金メッキではありません(たぶん)。
日本でも、古墳時代には用いられてたそうです。
もちろん金は、電気で溶かしたのではなく……。
水銀で溶かしたそうです。
塗った後、加熱して、水銀を蒸発させるんだとか。
思い切り身体に悪そうですね。
メッキ職人は、早死にだったんじゃないですか。
蒸気を吸いこむでしょうから。
↑水俣病は、メチル水銀が原因。
↓気に入ったのか、別角度からも撮ってました。
↑「み」
こういう品を展示する場合……。
作られた当時の状態を再現したレプリカを一緒に置くべきじゃないでしょうか。
この沓は間違いなく、黄金色だったはずですから。
↓明らかに木製です。
↑「み」
↓「木棺残欠」とあります。
↑「み」
奈良市都祁甲岡町(つげこうかちょう)にある……。
小治田安万侶(おはりだのやすまろ)という人の墓から、見つかったそうです。
中に入ってたのは、火葬した骨だったとか。
火葬した骨は、縄文時代の遺跡からも出るそうです。
わたしは、近年までは全国的に土葬かと思ってました。
違ったんですね。
火葬は、仏教と共に広まったみたいですね。
お釈迦様が火葬されたからだそうです。
↑江戸時代の火葬。よほど郊外でやらないと、火事の危険がありますよね。
↓屋根瓦でしょうね。
↑「み」
↓丸いのは、「軒丸瓦(のきまるがわら)」という部分です。
↑「み」
説明書きを撮ってませんでした。
奈良時代の平城京からの出土のようです。
↓これは、鬼瓦ですね。
↑「み」
奈良時代や飛鳥時代のようです。
こんなに古くからあったんですね。
そう云えば最近、鬼瓦みたいな顔の人って、いなくなりましたよね。
昔は、結構歩いてた気がするんですが。
↑ビートたけしのネタ「鬼瓦権蔵」。このキャラはあんまり、「鬼瓦」って感じじゃありません。
↓突如、現代的なフォルムのものが。
↑「み」
タイヤのホイールかと思いましたが……。
↓なんと「円面硯」という硯(すずり)でした。
↑「み」
上の丸い面で墨をすり……。
周りの溝に溜めるようです。
今のような石の硯が使われ始めたのは、平安時代からとのこと。
↑『源氏物語絵巻』。黒いのが、硯の入った硯箱。
それ以前は、陶硯(とうけん)と呼ばれる焼きものの硯だったそうです。
画像の「円面硯」は、奈良時代のものですね。
それにしても、台の部分がなぜこんなに高くなってるのでしょうか?
スリットが空いてる理由は、なんとなく想像できます。
軽くするためでしょう。
しかし、台が無ければ、もっと軽くなるし、片付けやすいです。
ネットを検索してみましたが(ざっとですけど)……。
なぜ、台が付いてるのかを記した文章は見つかりませんでした。
裏返しにして、筆や墨を入れたんですかね?
形から、なんとなく連想したのは……。
地球平面説。
亀と象が大地を支えてるという図柄です。
↓陶器の五重塔のようです。
↑「み」
説明書きも写ってますが、小さくて読めません。
ネットを探してようやく見つけました。
「瓦塔」でした。
“かわらとう"ではなく、“がとう"。
ガトーショコラとは、色や質感は似てますが関係はありません。
木造建築の塔を模した焼物製の塔が、「瓦塔」。
奈良時代から平安時代にかけて作られたようです。
造られた目的については定説がないそうです。
木造の仏塔の代わりに安置して信仰の対象としたという説があるとか。
本物の木造の塔を建てるには……。
資金、技術、時間、いずれもたいへんです。
↑薬師寺西塔(1981年再建)。総工費は15億円だったそうです。案外安く出来ましたね。
その代わりに「瓦塔」を造って祈ったのでしょうか。
ここでちょっと思いつきました。
こういう塔を建てたいという模型じゃないでしょうか。
つまり、これを公開して……。
こんな立派な塔を造りたいから、ぜひ寄付をお願いしますというわけです。
一種の宣材ですね。
ひょっとしたら、これを携えて、各地を巡ったのかも知れません。
口先の説明だけよりは、ずっと効果ががありそうですよ。
↓何でしょう。
↑「み」
一瞬、トイレかと思って、色めき立ちました。
↓でも、残念ながら違いました。
↑「み」
「経筒(きょうづつ)」。
文字どおり、お経を収めた筒です。
でも、日常的に使われたものではありません。
経典を土中に埋納する「経塚」造営の際、経典を納めるために用いられた容器です。
↑この方とは関係ありません。
当初は、後世まで、お経を伝えようという目的だったようです。
早い話、「経筒」はタイムカプセルだったわけです。
しかしだんだん、追善供養や現世利益などに目的が変化していったとか。
↓硬貨が登場しました。
↑「み」
↓「開基勝宝(かいきしょうほう)」とあります。
↑「み」
初めて聞きました。
日本最初の金貨だそうです。
「開基勝寳」の文字は吉備真備(きびのまきび)の筆によるものだとか。
↑岡山県小田郡矢掛町「吉備真備公園」に建つ像。そうか、吉備の国の出身だったんですね。
吉備真備は、奈良時代の学者であり、政治家。
右大臣にまで上りました。
右大臣になった学者は、もう一人います。
菅原道真です。
↑少年時代の道真。11歳で漢詩を作ったそうです。
吉備真備、ひょっとしたら当時の新元号の文字も書いてたかも知れませんね。
さて、「開基勝宝」です。
現存するのは、32枚だそうです。
もちろん、古銭店では買えません。
重要文化財です。
すべてが、「東京国立博物館」に所蔵されてるようです。
↓貝殻のお金でしょうか。
↑「み」
何で突然、時代が遡るのかと思いましたが……。
違いました。
↓「和同開珎」の鋳型でした。
↑「み」
「和同開珎」は、日本で最初の流通通貨だそうです。
この読み方ですが、わたしは“わどうかいほう”と習った気がします。
どうやら読み方には、2種類の説があるようです。
「国立科学博物館」のフリガナは、“かいちん”ですね。
↑「み」
この読み方をめぐり……。
江戸時代から今日まで、「珍宝(ちんぽう)論争」と呼ばれる論争が続いてるそうです。
でも最近は、“ちん"が優勢なようで……。
教科書では、“ちん"が5冊、“ちん(ほう)"が3冊。
“ほう"だけのものは無いそうです。
材質は、銅です。
埼玉県秩父市黒谷にある和銅遺跡から、和銅が産出した事を記念し……。
元号が「和銅」に改められると共に、「和同開珎」が作られたそうです。
↑遺跡になってるようです。12分で500メートルは、かなりの山道ですね。
和銅は、「にきあかがね」と呼ばれ、純度が高く精錬を必要としない自然銅のことだとか。
ではなぜ、通貨の名前が、「和銅」ではなく「和同」なのか?
こちらに解説がありましたが……。
わたしの読解力が及ばず、さっぱりわかりませんでした。
↑秩父名物「味噌おでん」。かかってるのは、決して“あかがね"ではありません。
↓なんじゃこりゃー。
↑「み」
船の舳先を、下から見あげたようです。
説明書きを撮ってないので、何だかわかりません。
↓これもわからん。
↑「み」
↓説明書きは、相変わらずピンボケです。
↑「み」
目が痛くなるほど睨んで、どうやらわかりました。
最初の文字は、「氏」みたいな偏に「鳥」のようです。
どうやら、「鴟尾」と書いてあるようです。
調べたら、読みは“しび”でした。
瓦屋根の両端につけられる飾りですね。
↑唐招提寺金堂(奈良市)。
火除けのマジナイだそうです。
有名なところでは、名古屋城の金のシャチホコがあります。
火除けだから、水に棲む魚を象るようになったんでしょうかね。
↓横からも撮ってました。
↑「み」
わかった!
↓わたしが撮った1枚目。
鴟尾の裏側ですよ。
うーむ、すっきりした。
しかし、こんなの、どうやって屋根の上にあげたんですかね。
考えられるのは……。
細かく分割できたんじゃないでしょうか。
で、屋根の上で組み立てた後……。
接合面を目塗りしたんです。
ひょっとしたら、仕上げの鏝絵的な装飾は……。
左官が、屋根の上で行ったのかも知れません。
↑現代の左官職人による鏝絵(こてえ)。これを、コテだけで造形するんですよ。
↓小判です。
↑「み」
慶長小判。
↑「み」
ついに、江戸期に突入です。
関ヶ原の戦い(1600年)に勝利した徳川家康は、幕府設立に先立ち……。
貨幣制度の整備を重要課題の一つとして、小判の鋳造を命じました。
最初の発行は、慶長6(1601)年だそうです。
確かに、幕府設立の前ですね。
↑クリックすると、大きい画像が見られます。
1601年は、関ヶ原の戦いの翌年です。
大河ドラマなどで江戸時代が舞台となる場合……。
たいがい、このころか幕末のどっちかです。
↑『八重の桜』。2013(平成25)年。
あとは、忠臣蔵ですね。
↑『元禄太平記』。1975(昭和50)年。
わたしは、江戸後期の爛熟した町人文化のころが好きなんですが……。
さすがに、1年を保たせられるストーリーは、作りづらいのでしょう。
見学写真は、まだ続きます。
読む方も飽きてきたでしょうが、書く方はもっと飽きてきました。
知識がないせいで、面白みが感じられないからでしょう。
↓また、なんかわからんもの。
↑「み」
↓「輪宝(りんぽう)」だそうです。
↑「み」
密教の仏具だとか。
悪を打破するそうです。
ヒーローものに使えそうですね。
そう云えばあんまり、仏教系のヒーローっていませんよね。
↑さがしたらありました! 『レインボーマン』の変身の呪文。明らかに仏教系!
この後、立て続けにピンボケが続くので、何枚か省略。
↓着物です。
↑「み」
江戸時代に作られた振り袖のようです。
わたしは、振り袖はおろか、着物すら着たことがありません。
和装で着てるのは、綿入れ半纏だけです。
↑袖で物を引っ掛けたり、不便なところもあるのですが……。なぜか、止められません。
おそらく、球形の接合部は、木製か骨製だったんじゃないですか。
↑「ブリッジピン」というギターの部品のようです。牛骨製。
石を丸く加工するのは大変です。
しかも、払子を付ける穴まで抉らなければなりません。
重いし。
ということで、木か骨で造った。
当然それらは、朽ちて失われてしまう。
ということで、証拠が残らないんです。
でも、わたしの脳裏には、ありありと映像が浮かびます。
劣勢の中、顔色を変え……。
馬上で、兜の払子の角度をひょいと変えてる将軍の姿が。
↓家形の埴輪です。
↑「み」
↓さまざまな形があります。
↑「み」
↓これなんか、「家形飾環頭柄頭」に付いてた家に似てますね。
↑「み」
家形の埴輪が、死者と一緒に埋葬された理由には……。
主に、2通りの説があるようです。
ひとつは、埋葬された人の魂が宿る場所とするため。
↑ムリヤリ宿る魂。
たしかに、必ず開口部があり、中が空洞になってますよね。
もう一つの説は、多くの家形埴輪が整然と置かれてることから……。
生前に暮らした屋敷を再現したというもの。
死後も、生きてるときと同じ暮らしが出来るようにという、残された者の祈りでしょう。
これは、大いにわかる気がします。
↓愛馬でしょうか。
↑「み」
殺して一緒に墓に入れてしまうのではなく……。
こうして、身代わりを造って合葬したわけです。
ホッとしますね。
↓急にむさ苦しいものが出て来ました。
↑「み」
↓「3」ですから、「挂甲(けいこう)」ですね。
↑「み」
そもそも、「手偏に圭」という文字を初めて見ました。
「挂甲」は、古代日本で用いられた鎧(甲)の形式のひとつだとのこと。
「甲」は、甲冑(かっちゅう)の「甲」ですね。
「挂甲」は、便宜的に名付けた名称で……。
当時、そう呼ばれてたわけじゃないようです。
↓この埴輪が着用してるのが「挂甲」です。
鉄や革でできた小札(こざね)を……。
縦横に、紐で綴じ合わせて作られてるとのこと。
つまりは、「大魔神」の鎧ですよね。
わたしが撮った写真のものは、どうしてこんな状態になってるのでしょう。
とても、役に立ちそうには見えません。
綴じる紐が朽ちてるからでしょうか?
↓さっぱりわからないものたち。
↑「み」
上のは足ヒレみたいですが、見るからに金属ですから違いますね。
↓どうやら、馬に付けた品々のようです。
↑ヒレみたいなのはないようですが。
馬は重くて、いい迷惑だと思います。
↓これはすぐにわかります。
↑「み」
鞍です。
綺麗なものですが、なんとなく安定が悪そうです。
静かに歩いてるときはいいですが……。
馬が走り出したら、あっという間に滑り落ちそうです。
↑馬から落ちるナポレオン。ほんまの画か?
走り出さないよう、手綱を押さえる人がいたんでしょう。
鞍にはもちろん、貴人が乗ってたわけです。
↓古墳時代のきのこです。
↑「み」
もちろん違うのでしょうが、説明書きを撮ってないんです。
下の筒状の支えは、明らかに展示用でしょう。
なんで、この状態で展示する必要があるのか。
ビスケットみたいに見える笠の部分は……。
おそらくは、木製でしょう。
古墳の蓋ですかね?
残念ながら、ネット検索しても情報は得られませんでした。
↓人形の埴輪です。
↑「み」
縄文時代の土偶は、変人の芸術家が造った感じですが……。
古墳時代の埴輪は、素朴で民芸品のような味わいがあります。
↓素朴を通り越して、稚拙な感さえあります。
↑「み」
職人が造ったのでしょうか?
右のは、犬ですか?
アリクイみたいですけど。
↑ぬいぐるみです。
わたしは、埴輪は素人が造ったんじゃないかと思ってます。
もちろんすべてではありません。
フル装備の馬などは、専門の職人が造ったでしょう。
↑「み」
でも、簡単な人形は、亡くなった人の家族が自ら造ったのでは?
つまり、自分の分身を自分で造ったわけです。
亡くなった人が、あの世でも、家族に囲まれて過ごせるようにということです。
あ、今、思いつきました。
↓これなんか、ひょっとしたら、当時の漫才師じゃないですか。
↑右手は「よしなさい」を繰り出そうとしてるように見えます。
墓の中で退屈しないよう……。
こうしたひょうきん者も一緒に入れたわけです。
昔は、病気に罹れば、もう祈るほかはなかったでしょう。
でも逆に、今みたいに……。
一縷の望みを求めて、ドクターショッピングを繰り返すような苦痛はありません。
死は、本人も家族にとっても、あらがえないものだったのでしょう。
だからむしろ、命を長らえようとするより……。
死後のことを考えたんだと思います。
今は、ほんとうに幸せな時代なんでしょうか?
でも、確実に今の方が優れてることがあります。
苦痛を和らげる技術です。
わたしは、病を治すより、苦痛を和らげる方が重要だと思います。
これを医術の第一義としない医師は、医師じゃないと思ってます。
また、話がズレました。
解説を続けます。
↓ズレた後は、見事に大ブレ。
↑「み」
アル中が撮っても、ここまではブレないと思うのですが。
↑この人ならブレます。
家のようですが、埴輪ではないみたいですね。
こういうことがあるから……。
ほんとうは、2枚ずつ撮っておいた方がいいのでしょう。
枚数のメモリ容量は、十分余ってます。
でも、バッテリーは保たないでしょう。
予備バッテリーを持って行けばいいだけですが。
↓ご丁寧に、説明書きまでブレてます。
↑「み」。科捜研でも解析不可能。
発作でも起こしてたんですかね。
しゃっくりでも出たんでしょうか。
↑人差し指を耳に入れてじっとしてると、1分で止まるそうです。ほんまか?
でも、ブレたという自覚があれば、撮り直してたはずです。
さっぱりわかりません。
↓最初は、文字を記した石板かと思いました。
↑「み」
でも、かろうじて読めた説明書きによると……。
↑「み」。こちらは肉眼でも解読可能でした。
「敷石」でした。
古墳時代から造られてたんですね。
筋目に沿って、真っ直ぐ割れる石はありますからね。
↑頁岩(けつがん)と読むようです。語感がイマイチです。“シェール"の方がいいですね。
敷石のように四角い板状にするというのが、もっとも簡単な石の加工法かも知れません。
↓敷石と云っても、道路に使われたものではありませんでした。
↑「み」
でもこの図で、上に載ってるのが敷石です。
つまりここは、地表部に出てたと云うことでしょうか?
だけど、人が踏んで歩いたとは考えにくいです。
天井石の方が相応しいのでは?
どうも納得できないので、ネットを調べたら……。
やはり、わたしの間違いでした。
↓綺麗な図が見つかりました。
↑「敷石」は、黒い石ではなく、ホワイト板チョコみたいなところです。
しかし、古墳が、いかに丁寧に造られてたか良くわかりますね。
生きてる人のものより、お金も手間もかけてたんじゃないでしょうか。
命が儚かった時代は、あの世にこそ、ほんとの人生があると信じられてたのかも知れません。
↑天国とは……。毎日飲み放題で、二日酔いもしないし、肝臓も悪くならない。
↓故人は、アイスキャンデーが好きだったのでしょうか。
↑「み」
もちろん、そんなことはありません。
上は、「台石」。
下が、「扉石残片」とあります。
だんだん飽きてきましたね。
↓家のようですが……。
↑「み」
ずいぶん丸みを帯びてます。
と思ったら、家ではありませんでした。
↑「み」
「陶棺」と云われても……。
人がそのまま入れるとは思えません。
資料を探したら、高さ13.5㎝、長さ41㎝とありました。
骨壺なんでしょうか。
屋根の部分は、外せるのでしょう。
↓ちゃんと人が長らえる大きさの陶棺もあったようです。
↑高さ88㎝、長さ180㎝。
こちらも、東京国立博物館の品のようです。
なんでわたしは、撮ってなかったんでしょう。
あ、わかった。
↓例の、大ブレ画像ですよ。
何を撮ってたかわかって、少しすっきりしました。
ここでまた閃きました。
小さな陶棺は、子供用ですよ。
いや、さらに幼い子供。
はっきり言えば……。
死産したような場合、小さな陶棺に収めたんです。
昔の平均寿命が短いのは……。
乳児などの死亡率が高かったからです。
↑明治期でも、乳児死亡率が2割近かったとは驚きです(現在は0.2%程度ですから、100倍です)。
平均寿命が20代と云っても……。
みんながみんな、20代で亡くなったわけではありません。
何割かの人は、ごく普通に70歳くらいまでは長らえたと思います。
でも、乳児の死亡率が高かったので……。
均すと、平均寿命が20代になったりするわけです。
古墳時代なども、死産や乳児での死亡率は高かったのでしょう。
なのでおそらく、そうした子供たちのための小さな陶棺は……。
既製品として売られてたんじゃないでしょうか。
↑乳児の棺に相応しい、かわいいお家です。
亡くなってから造ったんじゃないと思います。
さまざまな大きさの陶棺が並んだ工房が目に浮かびます。
今の小売店のようなものはなく……。
そうした工房から、直接買ったんじゃないでしょうか。
↓これまた愉快そうな人形埴輪です。
↑「み」
↓説明書きは、ブレブレでまったく読めません。
↑「み」
いろいろ探したら……。
「盾持人(たてもちびと)」となってるようです。
盾を持ってると云うことは、兵士ですか?
なんで笑ってるんでしょう?
盾を背負ってる姿のようです。
盾を持ってるから安心だと笑ってるんですか?
そんなわけありませんよね。
↓また、体験コーナーです。
↑「み」
これは、やってみませんでした。
あんまり意味がないんじゃありませんか。
当時、部品をバラバラに作って、焼いてから組み立ててたわけじゃないでしょう。
何かの入れ物なら、そういうのもありでしょうが。
↓これは近代的な感じですね。
↑「み」
なんだか、衛兵みたいです。
↓こちらも「盾持人」とあります。
↑「み」
こちらは納得です。
盾を身体の前面に持ってますし……。
何より、顔つきが友好的じゃありません。
機動隊みたいです。
↑現代の「盾持人」。
わかった!
↓笑った「盾持人」の意味ですよ。
↑「み」
あれは、戦いに勝って帰って来たときの兵士の像ですよ。
だから笑ってるし、盾を背中に担いでたんです。
おそらく、戦勝を祈って、笑って帰る姿を像にしたんでしょう。
それに対し、機動隊みたいな「盾持人」は……。
これから戦いに行くときの兵士なんです。
納得じゃろ?
↓鶏(ニワトリ)です。
↑「み」
この時代に鶏がいたのかと驚きましたが……。
日本に大陸から持ちこまれたのは、弥生時代だそうです。
それじゃ弥生時代に、稲作と並行して養鶏が行われてたのかと思いましたが……。
どうやら違うようです。
↑熱田神宮(名古屋市)に住み着く鶏。弥生時代からいたわけではないようです。名古屋コーチンだとか。
鶏は、食肉用として繁殖されることはなかったそうです。
採卵が目的でもなかったみたいです。
すなわち、純粋なペット、愛玩用です。
↑室内で飼われてる鶏のピーちゃん(夜店のヒヨコ出身)。毎朝、お兄ちゃんを起こしに行くそうです。
というより、時を告げる鳥として、神聖視されてたとか。
それで、こんな立派な埴輪が作られるわけです。
食用なら、こうは作りませんよね。
下の筒状のものは……。
鶏が時を告げるときに上った、切り株みたいなのじゃないでしょうか。
すなわちこの像は……。
神聖な鳥が、まさに時を告げようとする姿を写したものだということです。
筒に丸い穴が空いてるのは……。
密閉してしまったら、焼いたときに中の空気が膨張して割れてしまうからでしょう。
↑目と口を表現する穴は、焼くときの空気抜きを兼ねてるわけです。
↓あきらかに、靴です。
↑「み」
↓説明書きには、「金銅製沓(こんどうせいくつ)」とあります。
↑「み」
こんなの履いて歩いたら、すぐ壊れたろうなと思いましたが……。
違いました。
朝鮮半島伝来の、葬送用の沓でした。
「金銅(こんどう)製」というのは……。
↑コンドーです。『柔道一直線』のころでしょうか。美形ですね。
青銅で作られ、金メッキが施されてたという意味のようです。
金メッキの歴史は古く……。
↑金メッキではありません(たぶん)。
日本でも、古墳時代には用いられてたそうです。
もちろん金は、電気で溶かしたのではなく……。
水銀で溶かしたそうです。
塗った後、加熱して、水銀を蒸発させるんだとか。
思い切り身体に悪そうですね。
メッキ職人は、早死にだったんじゃないですか。
蒸気を吸いこむでしょうから。
↑水俣病は、メチル水銀が原因。
↓気に入ったのか、別角度からも撮ってました。
↑「み」
こういう品を展示する場合……。
作られた当時の状態を再現したレプリカを一緒に置くべきじゃないでしょうか。
この沓は間違いなく、黄金色だったはずですから。
↓明らかに木製です。
↑「み」
↓「木棺残欠」とあります。
↑「み」
奈良市都祁甲岡町(つげこうかちょう)にある……。
小治田安万侶(おはりだのやすまろ)という人の墓から、見つかったそうです。
中に入ってたのは、火葬した骨だったとか。
火葬した骨は、縄文時代の遺跡からも出るそうです。
わたしは、近年までは全国的に土葬かと思ってました。
違ったんですね。
火葬は、仏教と共に広まったみたいですね。
お釈迦様が火葬されたからだそうです。
↑江戸時代の火葬。よほど郊外でやらないと、火事の危険がありますよね。
↓屋根瓦でしょうね。
↑「み」
↓丸いのは、「軒丸瓦(のきまるがわら)」という部分です。
↑「み」
説明書きを撮ってませんでした。
奈良時代の平城京からの出土のようです。
↓これは、鬼瓦ですね。
↑「み」
奈良時代や飛鳥時代のようです。
こんなに古くからあったんですね。
そう云えば最近、鬼瓦みたいな顔の人って、いなくなりましたよね。
昔は、結構歩いてた気がするんですが。
↑ビートたけしのネタ「鬼瓦権蔵」。このキャラはあんまり、「鬼瓦」って感じじゃありません。
↓突如、現代的なフォルムのものが。
↑「み」
タイヤのホイールかと思いましたが……。
↓なんと「円面硯」という硯(すずり)でした。
↑「み」
上の丸い面で墨をすり……。
周りの溝に溜めるようです。
今のような石の硯が使われ始めたのは、平安時代からとのこと。
↑『源氏物語絵巻』。黒いのが、硯の入った硯箱。
それ以前は、陶硯(とうけん)と呼ばれる焼きものの硯だったそうです。
画像の「円面硯」は、奈良時代のものですね。
それにしても、台の部分がなぜこんなに高くなってるのでしょうか?
スリットが空いてる理由は、なんとなく想像できます。
軽くするためでしょう。
しかし、台が無ければ、もっと軽くなるし、片付けやすいです。
ネットを検索してみましたが(ざっとですけど)……。
なぜ、台が付いてるのかを記した文章は見つかりませんでした。
裏返しにして、筆や墨を入れたんですかね?
形から、なんとなく連想したのは……。
地球平面説。
亀と象が大地を支えてるという図柄です。
↓陶器の五重塔のようです。
↑「み」
説明書きも写ってますが、小さくて読めません。
ネットを探してようやく見つけました。
「瓦塔」でした。
“かわらとう"ではなく、“がとう"。
ガトーショコラとは、色や質感は似てますが関係はありません。
木造建築の塔を模した焼物製の塔が、「瓦塔」。
奈良時代から平安時代にかけて作られたようです。
造られた目的については定説がないそうです。
木造の仏塔の代わりに安置して信仰の対象としたという説があるとか。
本物の木造の塔を建てるには……。
資金、技術、時間、いずれもたいへんです。
↑薬師寺西塔(1981年再建)。総工費は15億円だったそうです。案外安く出来ましたね。
その代わりに「瓦塔」を造って祈ったのでしょうか。
ここでちょっと思いつきました。
こういう塔を建てたいという模型じゃないでしょうか。
つまり、これを公開して……。
こんな立派な塔を造りたいから、ぜひ寄付をお願いしますというわけです。
一種の宣材ですね。
ひょっとしたら、これを携えて、各地を巡ったのかも知れません。
口先の説明だけよりは、ずっと効果ががありそうですよ。
↓何でしょう。
↑「み」
一瞬、トイレかと思って、色めき立ちました。
↓でも、残念ながら違いました。
↑「み」
「経筒(きょうづつ)」。
文字どおり、お経を収めた筒です。
でも、日常的に使われたものではありません。
経典を土中に埋納する「経塚」造営の際、経典を納めるために用いられた容器です。
↑この方とは関係ありません。
当初は、後世まで、お経を伝えようという目的だったようです。
早い話、「経筒」はタイムカプセルだったわけです。
しかしだんだん、追善供養や現世利益などに目的が変化していったとか。
↓硬貨が登場しました。
↑「み」
↓「開基勝宝(かいきしょうほう)」とあります。
↑「み」
初めて聞きました。
日本最初の金貨だそうです。
「開基勝寳」の文字は吉備真備(きびのまきび)の筆によるものだとか。
↑岡山県小田郡矢掛町「吉備真備公園」に建つ像。そうか、吉備の国の出身だったんですね。
吉備真備は、奈良時代の学者であり、政治家。
右大臣にまで上りました。
右大臣になった学者は、もう一人います。
菅原道真です。
↑少年時代の道真。11歳で漢詩を作ったそうです。
吉備真備、ひょっとしたら当時の新元号の文字も書いてたかも知れませんね。
さて、「開基勝宝」です。
現存するのは、32枚だそうです。
もちろん、古銭店では買えません。
重要文化財です。
すべてが、「東京国立博物館」に所蔵されてるようです。
↓貝殻のお金でしょうか。
↑「み」
何で突然、時代が遡るのかと思いましたが……。
違いました。
↓「和同開珎」の鋳型でした。
↑「み」
「和同開珎」は、日本で最初の流通通貨だそうです。
この読み方ですが、わたしは“わどうかいほう”と習った気がします。
どうやら読み方には、2種類の説があるようです。
「国立科学博物館」のフリガナは、“かいちん”ですね。
↑「み」
この読み方をめぐり……。
江戸時代から今日まで、「珍宝(ちんぽう)論争」と呼ばれる論争が続いてるそうです。
でも最近は、“ちん"が優勢なようで……。
教科書では、“ちん"が5冊、“ちん(ほう)"が3冊。
“ほう"だけのものは無いそうです。
材質は、銅です。
埼玉県秩父市黒谷にある和銅遺跡から、和銅が産出した事を記念し……。
元号が「和銅」に改められると共に、「和同開珎」が作られたそうです。
↑遺跡になってるようです。12分で500メートルは、かなりの山道ですね。
和銅は、「にきあかがね」と呼ばれ、純度が高く精錬を必要としない自然銅のことだとか。
ではなぜ、通貨の名前が、「和銅」ではなく「和同」なのか?
こちらに解説がありましたが……。
わたしの読解力が及ばず、さっぱりわかりませんでした。
↑秩父名物「味噌おでん」。かかってるのは、決して“あかがね"ではありません。
↓なんじゃこりゃー。
↑「み」
船の舳先を、下から見あげたようです。
説明書きを撮ってないので、何だかわかりません。
↓これもわからん。
↑「み」
↓説明書きは、相変わらずピンボケです。
↑「み」
目が痛くなるほど睨んで、どうやらわかりました。
最初の文字は、「氏」みたいな偏に「鳥」のようです。
どうやら、「鴟尾」と書いてあるようです。
調べたら、読みは“しび”でした。
瓦屋根の両端につけられる飾りですね。
↑唐招提寺金堂(奈良市)。
火除けのマジナイだそうです。
有名なところでは、名古屋城の金のシャチホコがあります。
火除けだから、水に棲む魚を象るようになったんでしょうかね。
↓横からも撮ってました。
↑「み」
わかった!
↓わたしが撮った1枚目。
鴟尾の裏側ですよ。
うーむ、すっきりした。
しかし、こんなの、どうやって屋根の上にあげたんですかね。
考えられるのは……。
細かく分割できたんじゃないでしょうか。
で、屋根の上で組み立てた後……。
接合面を目塗りしたんです。
ひょっとしたら、仕上げの鏝絵的な装飾は……。
左官が、屋根の上で行ったのかも知れません。
↑現代の左官職人による鏝絵(こてえ)。これを、コテだけで造形するんですよ。
↓小判です。
↑「み」
慶長小判。
↑「み」
ついに、江戸期に突入です。
関ヶ原の戦い(1600年)に勝利した徳川家康は、幕府設立に先立ち……。
貨幣制度の整備を重要課題の一つとして、小判の鋳造を命じました。
最初の発行は、慶長6(1601)年だそうです。
確かに、幕府設立の前ですね。
↑クリックすると、大きい画像が見られます。
1601年は、関ヶ原の戦いの翌年です。
大河ドラマなどで江戸時代が舞台となる場合……。
たいがい、このころか幕末のどっちかです。
↑『八重の桜』。2013(平成25)年。
あとは、忠臣蔵ですね。
↑『元禄太平記』。1975(昭和50)年。
わたしは、江戸後期の爛熟した町人文化のころが好きなんですが……。
さすがに、1年を保たせられるストーリーは、作りづらいのでしょう。
見学写真は、まだ続きます。
読む方も飽きてきたでしょうが、書く方はもっと飽きてきました。
知識がないせいで、面白みが感じられないからでしょう。
↓また、なんかわからんもの。
↑「み」
↓「輪宝(りんぽう)」だそうです。
↑「み」
密教の仏具だとか。
悪を打破するそうです。
ヒーローものに使えそうですね。
そう云えばあんまり、仏教系のヒーローっていませんよね。
↑さがしたらありました! 『レインボーマン』の変身の呪文。明らかに仏教系!
この後、立て続けにピンボケが続くので、何枚か省略。
↓着物です。
↑「み」
江戸時代に作られた振り袖のようです。
わたしは、振り袖はおろか、着物すら着たことがありません。
和装で着てるのは、綿入れ半纏だけです。
↑袖で物を引っ掛けたり、不便なところもあるのですが……。なぜか、止められません。