特に興味を引いたのは、昔の住宅。
一般庶民の住まいです。
↓ちゃぶ台があります。
↑「み」。
↓玄関は、こんな感じ。
↑「み」。
↓こちらは、台所。
↑「み」。
タイル貼りの流しがいいですね。
うちがこうだったという記憶は無いのですが、なぜか懐かしい気がします。
↓これは、明治初期の町並み。
↑「み」。
ほとんど、江戸のまんまだと思います。
ほんとに美しい町です。
↓これは、明治の子どもたち。
↑「み」。
服装は貧しいですが、みんな楽しそうに笑ってます。
後ろの大人まで笑ってます。
ここに写ってる人は、今、誰も生きてないんですよね。
人間って、儚い生き物です。
↓こちらは、浅草の名物だった『凌雲閣(通称、浅草十二階)』。
↑「み」。
関東大震災で倒壊しました。
↓夕餉がこれから始まるようです。
↑「み」。
この部屋に帰って来たいような……。
切ない気持ちになりました。
↓こちらは、トイレです。
↑「み」。
こればっかしは、現代の方がいいですね。
↓突如、自動車の登場です。
↑「み」。
これは、『スバル360』という車種のようです。
360ccなんでしょうね。
スピードは、どれくらい出たんでしょうか?
でも、このスタイルなら、今でも十分通用すると思います。
これほどフェンダーミラーが可愛いく見える車は、ほかに無いんじゃないでしょうか。
↓よく見ると、ドアが、今の車とは反対に開くようです。
↑「み」。
なんででしょう?
↓こちらは、『ダットサン』というトラック。
↑「み」。
なんと!
平成19年まで、現役でした。
↑「み」。
↓そしてこれは、わたしが大好きな団地です。
↑「み」。
↓玄関です。
↑「み」。
手洗い器が、玄関脇にあったんですね。
トイレは、やっぱり切ないですが。
向かい側の扉が、いいですね。
↓扉のアップです。
↑「み」。
こういう扉、NHKの『少年ドラマシリーズ』に出てきました。
今にも、扉から『謎の転校生』が顔を出しそうです。
↓この展示のモデルは、『ひばりが丘団地』だそうです。
↑「み」。
こういう団地、今は高齢化で大変のようです。
エレベーターも無いんじゃないでしょうか。
↓ベランダに、洗濯機。
↑「み」。
沖田艦長じゃありませんが……。
何もかもみな懐かしいです。
住んだこともないんですが。
↓ベランダから見た、ダイニング。
↑「み」。
わたしは、団地で暮らした経験はないのですが……。
なんとなく、土曜の午後の記憶に通じます。
この部屋の写真を見て、子供のころ飲んだジュースを思い出しました。
当時、お米屋さんが配達するプラッシーというジュースがあったんです。
↑まさしく、※印です。
オレンジジュースです。
ちょっと、ほろ苦かった記憶があります。
調べてみました。
1957年(昭和32年)、武田食品工業が発売したそうです。
思ったより歴史のあるジュースですね。
プラッシーという名称は、ビタミンCをプラスしたこと(プラスC)から付けられたそうです。
では、なぜお米屋さんが配達したかということです。
武田食品工業の母体は、言わずと知れた武田薬品です。
武田薬品の食品部門が独立して、武田食品工業になったとのこと。
製薬会社である武田薬品は、当然ながら、ジュースの販売経路を持っていませんでした。
しかしながら、ビタミン強化米などを販売してたことから……。
お米屋さんには、販路があったのです。
当時、お米は、お米屋さんが家庭に配達してました。
今みたいに、5キロとか10キロの小袋はありません。
30キロの大袋だけだったと思います。
↑後ろにある米俵は、60㎏だそうです。
ここで、少し脱線します。
米俵の画像を探してて、恐ろしい画像を発見したんです。
↓山形県酒田市にある『庄内米歴史資料館』の展示。
5俵担いでます。
300㎏です。
米を備蓄する山居倉庫というところで働く、女丁持(おんなちょうもち)という女性労働者だそうです。
驚くほかありません。
↓実際の画像を探したら、ありました。
↑昔の人が背が低かったのは、このせいでしょうか?
話を戻しましょう。
昔は、自家用車も普及していません。
30キロの米袋は、自転車の荷台にも詰めません。
なので、お米屋さんが配達するのが当たり前だったのです。
↑これは、前輪が1つしか無い、オート三輪という自動車『ダイハツ・ミゼット』。
で、プラッシーは、お米と一緒に、ケースで配達されてたわけです。
↑さすがに、木箱は見たことありません。
プラッシーの記憶です。
入れ物は、もちろんガラス瓶です。
瓶に横にひだひだのような凹凸が付いてました。
↑これです!
冷蔵庫に入れておいたプラッシーを出すと、瓶の肌が結露して濡れます。
ひだひだは、子供が持ち上げたとき、滑って落とさないようにと付けられてたんじゃないでしょうか。
で、このプラッシー。
オレンジジュースですが、色は、オレンジ色ではなく……。
黄色みがっかってました。
↑もっと黄色っぽかった気がするのですが……。
で、中に、繊維質の物質が混ぜられてました。
これは、みかんの搾りかすで、食感を出すためにあえて入れられてたそうです。
この搾りかすは、下に沈んでるので……。
飲むときには、瓶を振らなきゃなりません。
すると、中のジュースは、ちょっと白っぽく濁ります。
米屋が配達するということから……。
当時、米のとぎ汁が混ぜられているという都市伝説があったそうです。
でも、このプラッシーですが……。
瓶飲料の衰退と、お米の配達という商習慣の縮小により、1980年代に生産が中止されてしまいました。
しかし!
1998年、リニューアルで再発売されたそうです。
しかしながら、当然、当時のような瓶入りではありません。
スーパーやコンビニに置かれてるそうです。
でも、わたしはちょっと、買って飲む気にはなれませんね。
プラッシーの記憶は、あくまで、あの露に濡れたヒダヒダの瓶の感触にあるからです。
↑なんと、オークションに出てました。現在価格、2本で700円。
で、なんでプラッシーの話になったかということですが……。
わたしの小学校時代は、まだ土曜日に半日授業がありました。
↑平成13年3月に廃校になった上岡(うえおか)小学校(茨城県久慈郡大子町)。備品も廃校当時のまま残され、一般公開されてます。。ドラマのロケ地になることも多いとか。
学校から帰った土曜の午後……。
↓こんなダイニングでプラッシーを飲んだ記憶が、なんだかあるような気がしたのです。
↑「み」。エレバーターのない団地への配達は、お米屋さんも大変だったでしょう。
さて、見学を続けましょう。
↓これは、汽車住宅だそうです。
↑「み」。
こんなのがあったことは、初めて知りました。
国鉄から、大型の木製客車が東京都に払い下げられたそうです。
それを、都が住宅用に改造して、都民に提供したのだとか。
住み心地ですが……。
とうてい良いとは思えません。
おそらく夏は、とんでもなく暑かったんじゃないでしょうかね。
↓そしてこれ!
↑「み」。
家具調テレビというやつです。
わが家にもありました。
チャンネルは、ガチャガチャ回すんです。
わが家のチャンネルは、引っこ抜けました。
でも、差し込めば、ちゃんと回せました。
↑もう一度、回してみたい! 確か、寝転がったままチャンネルを回す棒があったと思います。先っちょが2股になってて、チャンネルのツマミを挟めるんです。
チャンネル争いをしてるときは……。
チャンネルを引っこ抜いて、隠したりしました。
昭和な想い出です。
↑なんと、そのまんまの画像がありました。チャンネルって、普通に抜けたんですかね?
↓これも懐かしいですね。
↑「み」。
セミドロップハンドルの自転車。
たしか、ドロップハンドルは、学校で禁止されてたんじゃないかな。
↑なんと、2008年ごろの高校の入学案内のようです。まだ、こんな学校があるんですね。
なので、セミドロップという、中途半端なハンドルになったんでしょう。
変速機、あそこに付いてましたね。
近所のお兄ちゃんが、得意気に変速しながら走ってました。
変速すると、ときどきチェーンが外れてましたが。
あと、この自転車にはありませんが……。
後ろのタイヤの右側に、金属製のカゴが付いてましたね。
↑わたしが見たのは、銀色だった気がします。
折りたたみ式の。
広げると、ちょうど学生カバンが収まるサイズでした。
↑畳んだところ。機能的ですよね。
しかし、このカゴと云い、フレームに付いた変速機と云い……。
今、まったく見られなくなったのは、なぜなんでしょう?
こういう自転車、今、売り出したら、面白いんじゃないかな。
↓これは、カシオミニ。
↑「み」。
電子計算機です。
分厚いですね。
わたしは、実物を見たことがありません。
新潟では、みんなソロバンだったんでしょうか。
↓ラジカセです。
↑「み」。
叔父が昔、こういうラジカセを持ってました。
確か、日立の『パディスコ』という商品名だったと思います。
ボタンがやたらとデカかった記憶があります。
↑そうそう。こういう感じでした。
その叔父が、自慢気に見せてくれた仕掛けがあります。
それは、扇風機を自動的にオフにする就寝タイマーでした。
当時は、各部屋にクーラーなんて付いてません。
叔父の部屋の冷房も、扇風機だけ。
↑これは、昭和39年、ナショナル製。叔父の扇風機は、ここまで古くなかったと思いますが。
真夏は、扇風機をかけてないと、暑くてとても眠れません。
今の扇風機は、あたりまえにオフタイマーが付いてますが……。
叔父の部屋の扇風機には、ありませんでした。
それじゃ、点けっぱなしで寝ればいいとかと云うと……。
当時は、扇風機をかけたまま寝ると、身体が冷えて死ぬと信じられてました。
止めれば眠れない。
↑死んでませんので。
点けて寝れば、冷えて死ぬかも。
悩ましいところです。
ここで、叔父はひらめいたのです。
それは、パディスコには、オフタイマーが付いてたことです。
オフタイマーをセットして、再生ボタンを押し、カセットテープを流しておくと……。
タイマーがオフになったとき、再生ボタンが戻り、再生が終了するのです。
パディスコの再生ボタンはデカく、しかも「押す←→戻す」のストロークが深いんです。
叔父は、このボタンと、手元スイッチ付きの電源コードを組み合わせることを思いつきました。
手元スイッチは、コタツのコードなどにもありますよね。
今のスイッチは、オンオフのボタンがスライド式ですが……。
↑『こたつコード』という名称のようです。
当時、叔父の部屋にあったスイッチは、違いました。
両側に、オンとオフのボタンが、張り出してたんです。
↑これです! やっと画像を見つけました。
オンのボタンを押し下げると通電され……。
逆に、オフのボタンを押し下げると、電気が遮断されるのです。
↑図にするまでもありませんが。
で、叔父はどうしたのかと云うと……。
パディスコの再生ボタンを押し下げると、そこに隙間が出来ます。
その隙間に、手元スイッチのオフボタンが入るようにして、電源コードをパディスコに固定するのです。
固定すると云っても、セロテープで貼っただけでしたが。
で、もう仕組みはお分かりだと思います。
パディスコのタイマーがオフになると、再生ボタンが戻ります。
そのとき、手元スイッチのボタンを押し上げるのです。
再生ボタンが持ち上がる勢いはかなりのものだったので……。
この仕掛けは、十分に機能したそうです。
ボタンが並んだ上に手元スイッチが乗ってたら、普段の操作に邪魔そうですが……。
普段は、手元スイッチを捻って横に倒しておけば、ボタン操作に支障はなかったとのことでした。
難点は……。
なんといっても、見た目が悪いこと。
でも叔父は、自分の発明に満足そうでした。
↑こんな漫画があったことは、初めて知りました。少年の名前は、エジ・ソン太だそうです……。
文明の利器を使って……。
自らの知恵で、不便さを解消できたということが嬉しかったのでしょうね。
また脱線しました。
『江戸東京博物館』、レポートを続けます。
↓なんじゃこりゃー。
↑「み」。
ソロバンと電卓がくっついてます。
まるで、鵺です。
↑どこが鳥かと云うと、鳴き声だそうです。
どうして、両方必要なんでしょう?
足し算と引き算はソロバンで……。
掛け算、割り算が電卓とか?
わたしが一番面白かったのは、年代ごとの給食のサンプル。
↓これは、1960年台。
↑「み」。
案外美味しそうですね。
スパゲッティのように見えるのは、「ソフトめん」。
わたしは、パンよりも好きでした。
もっと麺が太くて、白かった気がしますが。
↑そうそう、これです。袋のまま出て来ましたね。
左上の半球形は、缶詰の桜桃ですね。
↓続いて、1970年代。
↑「み」。
パンは、バターロールパンだそうです。
こんなパンが、給食に出てたんですね。
わたしは、まったく記憶にありません。
揚げ物は、「沖アミのチーズロールフライ」だそうです。
↑沖アミ。どう見てもエビですが、エビとは違うそうです。
これも、食べた記憶は無し。
もう1品は、八宝菜。
練り物や八宝菜は、あまり好きでは無いので……。
この日は、給食前に早退したかも。
↑そうそう、こうやって机をくっつけて食べました。でも、教室がしばらく臭くて、ちょっと嫌でしたね。
でも、メロンは惜しいな。
新潟で、メロンなんか出た記憶はありません。
↓続いて、1980年代。
↑「み」。
このころから、米飯が主食になります。
左奥は、『高野豆腐の和え物』。
大皿が、『巻き蒸し』だそうです。
いらん。
食いたない。
なんか、精進料理みたいですよね。
↑やだやだ。
1960年代の方が、よっぽど美味しそうでした。
牛乳が、瓶から紙パックに変わってますね。
そう言えば昔、三角形のパック牛乳がありましたよね。
コーヒー牛乳だったかな。
最近、まったく見ません。
製造を止めたんでしょうか。
↑復活してました。
ていうか、なんで三角形にしたんでしょうね?
↑この値段、マジすか……(銀座千疋屋)。
牛乳といえば……。
新潟県三条市の方針が、全国ニュースでも取り上げられてました。
つまり、牛乳を給食から外すという。
米飯に合わないというのをその理由に上げてましたが……。
これは、失敗でしたね。
本当の目的は、給食にかかる経費の削減だったはず。
↑これだけ子供が減ってるのにね。今思えば、わたしらの時代は、いい時代だったのかも。
正直に、お金が無いので牛乳を外しますと言えばよかったんです。
それを、「米飯に合わない」なんて言うもんだから……。
そんなら、給食と別の時間に飲めばいいということになってしまいました。
農水省とかから、圧力でもあったんでしょうかね。
ドリンクタイムだそうです。
経費削減の目論見は、見事にパーです。
↓続いて、1990年代。
↑「み」。
左は、『あんかけ焼きそば』。
これは、人気だったでしょうね。
でも、どう見ても、焼いてないみたいなんですが……。
上の真ん中は、『大学芋』。
その右は、『シャキシャキ和え物』だそうです。
黄色いのはコーンに見えますが……。
バターとかは使ってないんでしょうか。
下の右は、『にらたまスープ』。
ま、そこそこ美味しそうです。
スプーンとお箸が付いてます。
カトラリー類を増やせば……。
配膳も手間になるし、洗い物も増える。
それ以前に、経費がかかります。
このへんが昔と違うところですね。
昔は、先割れスプーンなんてのがありました。
スプーンの先っぽが割れてて、そこで食材を突き刺せるようになってました。
↓先端部分、大怪獣ラドンに似てます。
それ1本で、何でも食べられるってわけです。
でも、実際には、食材を突き刺すには向いてなかったようです。
無くなったのは、やっぱり教育上の方針ですかね?
さて、続けましょう。
↓最後は、2000年代。
↑「み」。
左のご飯は、キムチチャーハンだそうです。
ケチャップかと思った。
キムチねー。
わたしは、あんまり好物じゃありません。
臭いがね。
5時間目が始まっても、教室が臭かったんじゃないでしょうか。
写真の真ん中は、チーズ春巻き。
これは、普通に美味しそうです。
右上は、中華風じゃこサラダ。
左上が、やわらか杏仁豆腐。
右下は、きのこスープ。
この日は、大陸系のメニューに揃えたんでしょうか?
和洋ゴチャゴチャになるより、統一感があっていいかもですね。
でも、ここまで来ると、給食って感じがしませんよね。
給食費を払わずにこれを食べさせるって神経は、どうなんでしょうね。
ま、子供に罪はありませんが(まさか、親からもらった給食費を懐に入れてるガキはいないだろうな)。
↑ごちゃごちゃ言い合ってないで、裁判にすればいいだけじゃないでしょうか。
さて、『江戸東京博物館』、見学レポートはこれくらいで。
わたしは、決して丁寧に見たわけじゃありません。
でも、見終わったら、12時を大きく回ってました。
9時半の開館と同時に入ったので、丸3時間ですね。
足が疲れるたので、ときどきソファーに座って休むほどでした。
↑休憩用のソファーが、そこらじゅうにあります。
子供はちょっと、根が続かないんじゃないでしょうか。
展示物も、自分の生まれる前のものばっかりですし。
むしろ、純粋に大人向けの施設と言っていいかも知れません。
600円でこれだけ楽しめる施設は、あまりないと思います。
お土産コーナーが、5階と1階にあります。
↓わたしが買ったお土産です。
↑「み」。
ハンカチと、招き猫の赤(無病息災)を、母にあげました。
ハンカチは一番高く、540円(税込)です。
招き猫は、194円(税込)。
わたし用は、右の千社札と、招き猫の黄色(金運!)。
千社札は、10枚入って、216円(税込)です。
使い道が無いので、まだ机の脇に置いてあります。
総合計、1,144円(税込)。
入場料と合わせても、1,744円(税込)です。
これで半日以上楽しめたんですから、ほんとに有意義でした。
東京都も、オリンピックなんかやらないで、こういう施設をもっと作ればいいのに。
ちなみに、『江戸東京博物館』の総工費は、583億円。
さてさて。
今回の東京行きも、これでフィナーレ。
『江戸東京博物館』を出ると、国技館前には人だかりが。
↑「み」。
力士の国技館入りを迎えるファンのようです。
デブを待ってどうするとしか思えませんが、ま、楽しみ方は人それぞれです。
わたしは人混みを背に、まっすぐ両国駅に向かいました。
↑字体が相撲字ですね。これは、気づきませんでした。
両国駅だったか忘れましたが……。
↓初めて、ホームドアというのを目にしました。
↑「み」。
普通に、隙間が開いてるんですね。
あんまり、意味が無いんじゃないでしょうか。
事故防止の機能はあると思いますが……。
飛びこみを企てる人には、用をなさないんじゃないですか。
覚悟を決めた人は、上だって乗り越えるでしょうし。
↑東京のホームは混むので、ホームドアが無いと、黄色い線の内側を歩く人がいて危険なんでしょうね。
さて、そんなこんなで東京駅に付き、すぐホームに上がろうかと思ったんですけど。
ふと、昨年のことを思い出しました。
リニューアルした東京駅の丸の内口を写真に収めたんです。
でも、駅前の広場が工事中で、バリケードが立て回されててがっかりしました。
↑「み」。昨年、心臓ドッグを受けに行った帰りに撮ったものです。
で、今年はもう外れてるだろうと、出てみたんです。
がっかりでした。
去年と同じまま。
写真を取る気も失せ、真っ直ぐ新幹線フォームに上がりました。
時間は、13時ころ。
時刻表を見ると、13:16分と13:32分があります。
昨年は、越後湯沢止まりの『たにがわ』の列に並んでしまい、あやうく窓際に座りそこねるところでした。
↑このように、『たにがわ』と『とき』が連結した車両でした。
でも、ダイヤ改正があったようで……。
今年は、『たにがわ』が連結された車両は、昼間の時刻表にはありませんでした。
13時台の2本は、どちらも『Maxとき』という2階建て車両です。
ここは、ぜひとも2階の窓際を取りたいところ。
↑これで、上下、同じ料金なんですからね。1階は、防音壁しか見えないそうです。でも、ごくまれに、ホームでパンチラが拝めるとか。
13:16分の列が長かったら、13:32分に並ぼうと思ったんですが……。
思いのほか列が短かかったので、思い切って16分に並びました。
結果は、大正解。
見事、右側の窓際に座れました。
新潟へは北に向かうので、午後の便は、右側(東)には陽が射し込まないのです。
↑『Maxとき』の2階自由席は、両側3列です。窮屈そうに思えますが……。あまり混んでなければ、真ん中を空けて座ればいいので、むしろ圧迫感はありません。
わたしを乗せた『Maxとき』は、定刻に出発。
さようなら、東京。
↑『Maxとき』2階車窓より。赤羽付近。わたしの撮影ではありません。
わたしがいる間に、大地震が起きなくてありがとう。
また来る日まで、無事でいてくれよ。
しかし……。
上野で乗りこんで来て、2階で窓際の席を探してるらしい人が、少なからずいました。
どうして、東京で並ばないんでしょう?
新幹線の切符を持っていれば、上野から東京に移動しても、料金は変わりません。
↑『東京ー上野』間は、山手線で4駅。所要時間は、7分です。
さて、『Maxとき』は、放火事件もなく、定刻に新潟駅に到着。
↑『Maxとき』新潟駅到着時のチャイム。
15:15分です。
信越線の接続は、まったく調べてなく、在来線の跨線橋まで来て、初めて電光掲示板を見ました。
15:22分という電車がありました。
でも、よく見ると、快速でした。
やでやで。
うっかり快速に乗って、乗り過ごすところだったわい。
↑過去に、何度も経験あり。田舎は運行本数が少ないので、すぐには引き返せません。後悔は巨大となります。
胸をなでおろしながら、電光掲示板の真下を通るとき、もう一度確認すると……。
なんと!
わたしの降りる駅にも止まるではありませんか。
そうと知ればダッシュです。
↑これは、コミケ会場に向けて、改札からダッシュする人たち。始発だそうです。理解できん。
跨線橋は、けっこうな人混みでした。
カートなんか引いてたら、とても走れません。
でも、リュックだから大丈夫。
人混みをスラロームのようにかき分けて、階段を駆け下りると……。
ちょうど、発車を知らせるベルが鳴り始めたところ。
まさに、ぎりぎりセーフでした。
行きは、あれほど綿密に計画したにもかかわらず……。
接続は、苦労の連続でした。
↑尼子十勇士の筆頭、山中鹿之介が、三日月に祈ったとされるセリフ。気が知れません。提灯の意味は不明。
しかし、行き当たりばったりだった帰りは、待ち時間もほとんどなく……。
まるで、ドラマのアリバイ工作のようなジャストの接続でした。
↑松本清張『点と線』の有名な設定。この小説は、旅行雑誌『旅』に連載されたもの。プロの読者が相手だったんですね。
さてこれで、この度の『単独旅行記Ⅱ』の顛末は終了です。
あ、この題名の『単独旅行記』ですが……。
わたしが尊敬する島尾敏雄という作家に、『単独旅行者』という作品があるんです。
そこから、付けさせていただきました。
そうだ、大事なことを書き忘れてました。
AICS検査の結果です。
検査の結果は、A,B,Cの三段階で表示され……。
Cの場合は、精密検査を受けることを勧められます。
なお、A,B,Cの中でも、どっち寄りかわかるんです。
↑わたしの結果ではありません。
このように、分布図みたいな感じで表示されるので……。
同じBでも、A寄りだったり、C寄りだったりするわけね。
で、わたしの結果ですが……。
幸い、Cはひとつもありませんでした。
ドンドンパフパフ!
↑久しぶりに聞きましょう。パフパフラッパを鳴らす柴犬。
でも、内容は、ちょっと微妙ですね。
Aと判定されたのは、胃がんだけでした。
十二指腸潰瘍の既往歴もあるし、これはちょっと意外でした。
しかも、Aの中でも、Bからは遠く、ゼロに近い方の数値でした。
やっぱり、ピロリ菌を退治したのが良かったんでしょうか。
逆に、一番悪かったのが、肺がんです。
Bですが、かなりCに寄ってました。
ま、これは、タバコを止めて、まだ2年ということからでしょうか。
残りは、すべてBの真ん中あたり。
わたしとしては、勝手にオールAのつもりでいたので……。
少し、がっかりでした。
でも、これだけを見て、一喜一憂しても、しょうがないのでしょう。
次に検査を受けたとき、数値がどう変化してるか比べるのが大事なんじゃないでしょうか。
だけど、毎年は受けられんわな。
高くて。
ほんとに、なんとかならんもんでしょうか。
こういう検査に保険が効くようにすれば、かえって医療費が抑えられるはずなのにね。
さてこれで、本当のおしまいです。
思いのほか、長くなってしまいました。
来年、どうするかは、まだ決めてません。
でも、また検査を受けるとしたら……。
今度は、もっと時間に余裕を持って行くことにします。
それでは!
さらばじゃ~
一般庶民の住まいです。
↓ちゃぶ台があります。
↑「み」。
↓玄関は、こんな感じ。
↑「み」。
↓こちらは、台所。
↑「み」。
タイル貼りの流しがいいですね。
うちがこうだったという記憶は無いのですが、なぜか懐かしい気がします。
↓これは、明治初期の町並み。
↑「み」。
ほとんど、江戸のまんまだと思います。
ほんとに美しい町です。
↓これは、明治の子どもたち。
↑「み」。
服装は貧しいですが、みんな楽しそうに笑ってます。
後ろの大人まで笑ってます。
ここに写ってる人は、今、誰も生きてないんですよね。
人間って、儚い生き物です。
↓こちらは、浅草の名物だった『凌雲閣(通称、浅草十二階)』。
↑「み」。
関東大震災で倒壊しました。
↓夕餉がこれから始まるようです。
↑「み」。
この部屋に帰って来たいような……。
切ない気持ちになりました。
↓こちらは、トイレです。
↑「み」。
こればっかしは、現代の方がいいですね。
↓突如、自動車の登場です。
↑「み」。
これは、『スバル360』という車種のようです。
360ccなんでしょうね。
スピードは、どれくらい出たんでしょうか?
でも、このスタイルなら、今でも十分通用すると思います。
これほどフェンダーミラーが可愛いく見える車は、ほかに無いんじゃないでしょうか。
↓よく見ると、ドアが、今の車とは反対に開くようです。
↑「み」。
なんででしょう?
↓こちらは、『ダットサン』というトラック。
↑「み」。
なんと!
平成19年まで、現役でした。
↑「み」。
↓そしてこれは、わたしが大好きな団地です。
↑「み」。
↓玄関です。
↑「み」。
手洗い器が、玄関脇にあったんですね。
トイレは、やっぱり切ないですが。
向かい側の扉が、いいですね。
↓扉のアップです。
↑「み」。
こういう扉、NHKの『少年ドラマシリーズ』に出てきました。
今にも、扉から『謎の転校生』が顔を出しそうです。
↓この展示のモデルは、『ひばりが丘団地』だそうです。
↑「み」。
こういう団地、今は高齢化で大変のようです。
エレベーターも無いんじゃないでしょうか。
↓ベランダに、洗濯機。
↑「み」。
沖田艦長じゃありませんが……。
何もかもみな懐かしいです。
住んだこともないんですが。
↓ベランダから見た、ダイニング。
↑「み」。
わたしは、団地で暮らした経験はないのですが……。
なんとなく、土曜の午後の記憶に通じます。
この部屋の写真を見て、子供のころ飲んだジュースを思い出しました。
当時、お米屋さんが配達するプラッシーというジュースがあったんです。
↑まさしく、※印です。
オレンジジュースです。
ちょっと、ほろ苦かった記憶があります。
調べてみました。
1957年(昭和32年)、武田食品工業が発売したそうです。
思ったより歴史のあるジュースですね。
プラッシーという名称は、ビタミンCをプラスしたこと(プラスC)から付けられたそうです。
では、なぜお米屋さんが配達したかということです。
武田食品工業の母体は、言わずと知れた武田薬品です。
武田薬品の食品部門が独立して、武田食品工業になったとのこと。
製薬会社である武田薬品は、当然ながら、ジュースの販売経路を持っていませんでした。
しかしながら、ビタミン強化米などを販売してたことから……。
お米屋さんには、販路があったのです。
当時、お米は、お米屋さんが家庭に配達してました。
今みたいに、5キロとか10キロの小袋はありません。
30キロの大袋だけだったと思います。
↑後ろにある米俵は、60㎏だそうです。
ここで、少し脱線します。
米俵の画像を探してて、恐ろしい画像を発見したんです。
↓山形県酒田市にある『庄内米歴史資料館』の展示。
5俵担いでます。
300㎏です。
米を備蓄する山居倉庫というところで働く、女丁持(おんなちょうもち)という女性労働者だそうです。
驚くほかありません。
↓実際の画像を探したら、ありました。
↑昔の人が背が低かったのは、このせいでしょうか?
話を戻しましょう。
昔は、自家用車も普及していません。
30キロの米袋は、自転車の荷台にも詰めません。
なので、お米屋さんが配達するのが当たり前だったのです。
↑これは、前輪が1つしか無い、オート三輪という自動車『ダイハツ・ミゼット』。
で、プラッシーは、お米と一緒に、ケースで配達されてたわけです。
↑さすがに、木箱は見たことありません。
プラッシーの記憶です。
入れ物は、もちろんガラス瓶です。
瓶に横にひだひだのような凹凸が付いてました。
↑これです!
冷蔵庫に入れておいたプラッシーを出すと、瓶の肌が結露して濡れます。
ひだひだは、子供が持ち上げたとき、滑って落とさないようにと付けられてたんじゃないでしょうか。
で、このプラッシー。
オレンジジュースですが、色は、オレンジ色ではなく……。
黄色みがっかってました。
↑もっと黄色っぽかった気がするのですが……。
で、中に、繊維質の物質が混ぜられてました。
これは、みかんの搾りかすで、食感を出すためにあえて入れられてたそうです。
この搾りかすは、下に沈んでるので……。
飲むときには、瓶を振らなきゃなりません。
すると、中のジュースは、ちょっと白っぽく濁ります。
米屋が配達するということから……。
当時、米のとぎ汁が混ぜられているという都市伝説があったそうです。
でも、このプラッシーですが……。
瓶飲料の衰退と、お米の配達という商習慣の縮小により、1980年代に生産が中止されてしまいました。
しかし!
1998年、リニューアルで再発売されたそうです。
しかしながら、当然、当時のような瓶入りではありません。
スーパーやコンビニに置かれてるそうです。
でも、わたしはちょっと、買って飲む気にはなれませんね。
プラッシーの記憶は、あくまで、あの露に濡れたヒダヒダの瓶の感触にあるからです。
↑なんと、オークションに出てました。現在価格、2本で700円。
で、なんでプラッシーの話になったかということですが……。
わたしの小学校時代は、まだ土曜日に半日授業がありました。
↑平成13年3月に廃校になった上岡(うえおか)小学校(茨城県久慈郡大子町)。備品も廃校当時のまま残され、一般公開されてます。。ドラマのロケ地になることも多いとか。
学校から帰った土曜の午後……。
↓こんなダイニングでプラッシーを飲んだ記憶が、なんだかあるような気がしたのです。
↑「み」。エレバーターのない団地への配達は、お米屋さんも大変だったでしょう。
さて、見学を続けましょう。
↓これは、汽車住宅だそうです。
↑「み」。
こんなのがあったことは、初めて知りました。
国鉄から、大型の木製客車が東京都に払い下げられたそうです。
それを、都が住宅用に改造して、都民に提供したのだとか。
住み心地ですが……。
とうてい良いとは思えません。
おそらく夏は、とんでもなく暑かったんじゃないでしょうかね。
↓そしてこれ!
↑「み」。
家具調テレビというやつです。
わが家にもありました。
チャンネルは、ガチャガチャ回すんです。
わが家のチャンネルは、引っこ抜けました。
でも、差し込めば、ちゃんと回せました。
↑もう一度、回してみたい! 確か、寝転がったままチャンネルを回す棒があったと思います。先っちょが2股になってて、チャンネルのツマミを挟めるんです。
チャンネル争いをしてるときは……。
チャンネルを引っこ抜いて、隠したりしました。
昭和な想い出です。
↑なんと、そのまんまの画像がありました。チャンネルって、普通に抜けたんですかね?
↓これも懐かしいですね。
↑「み」。
セミドロップハンドルの自転車。
たしか、ドロップハンドルは、学校で禁止されてたんじゃないかな。
↑なんと、2008年ごろの高校の入学案内のようです。まだ、こんな学校があるんですね。
なので、セミドロップという、中途半端なハンドルになったんでしょう。
変速機、あそこに付いてましたね。
近所のお兄ちゃんが、得意気に変速しながら走ってました。
変速すると、ときどきチェーンが外れてましたが。
あと、この自転車にはありませんが……。
後ろのタイヤの右側に、金属製のカゴが付いてましたね。
↑わたしが見たのは、銀色だった気がします。
折りたたみ式の。
広げると、ちょうど学生カバンが収まるサイズでした。
↑畳んだところ。機能的ですよね。
しかし、このカゴと云い、フレームに付いた変速機と云い……。
今、まったく見られなくなったのは、なぜなんでしょう?
こういう自転車、今、売り出したら、面白いんじゃないかな。
↓これは、カシオミニ。
↑「み」。
電子計算機です。
分厚いですね。
わたしは、実物を見たことがありません。
新潟では、みんなソロバンだったんでしょうか。
↓ラジカセです。
↑「み」。
叔父が昔、こういうラジカセを持ってました。
確か、日立の『パディスコ』という商品名だったと思います。
ボタンがやたらとデカかった記憶があります。
↑そうそう。こういう感じでした。
その叔父が、自慢気に見せてくれた仕掛けがあります。
それは、扇風機を自動的にオフにする就寝タイマーでした。
当時は、各部屋にクーラーなんて付いてません。
叔父の部屋の冷房も、扇風機だけ。
↑これは、昭和39年、ナショナル製。叔父の扇風機は、ここまで古くなかったと思いますが。
真夏は、扇風機をかけてないと、暑くてとても眠れません。
今の扇風機は、あたりまえにオフタイマーが付いてますが……。
叔父の部屋の扇風機には、ありませんでした。
それじゃ、点けっぱなしで寝ればいいとかと云うと……。
当時は、扇風機をかけたまま寝ると、身体が冷えて死ぬと信じられてました。
止めれば眠れない。
↑死んでませんので。
点けて寝れば、冷えて死ぬかも。
悩ましいところです。
ここで、叔父はひらめいたのです。
それは、パディスコには、オフタイマーが付いてたことです。
オフタイマーをセットして、再生ボタンを押し、カセットテープを流しておくと……。
タイマーがオフになったとき、再生ボタンが戻り、再生が終了するのです。
パディスコの再生ボタンはデカく、しかも「押す←→戻す」のストロークが深いんです。
叔父は、このボタンと、手元スイッチ付きの電源コードを組み合わせることを思いつきました。
手元スイッチは、コタツのコードなどにもありますよね。
今のスイッチは、オンオフのボタンがスライド式ですが……。
↑『こたつコード』という名称のようです。
当時、叔父の部屋にあったスイッチは、違いました。
両側に、オンとオフのボタンが、張り出してたんです。
↑これです! やっと画像を見つけました。
オンのボタンを押し下げると通電され……。
逆に、オフのボタンを押し下げると、電気が遮断されるのです。
↑図にするまでもありませんが。
で、叔父はどうしたのかと云うと……。
パディスコの再生ボタンを押し下げると、そこに隙間が出来ます。
その隙間に、手元スイッチのオフボタンが入るようにして、電源コードをパディスコに固定するのです。
固定すると云っても、セロテープで貼っただけでしたが。
で、もう仕組みはお分かりだと思います。
パディスコのタイマーがオフになると、再生ボタンが戻ります。
そのとき、手元スイッチのボタンを押し上げるのです。
再生ボタンが持ち上がる勢いはかなりのものだったので……。
この仕掛けは、十分に機能したそうです。
ボタンが並んだ上に手元スイッチが乗ってたら、普段の操作に邪魔そうですが……。
普段は、手元スイッチを捻って横に倒しておけば、ボタン操作に支障はなかったとのことでした。
難点は……。
なんといっても、見た目が悪いこと。
でも叔父は、自分の発明に満足そうでした。
↑こんな漫画があったことは、初めて知りました。少年の名前は、エジ・ソン太だそうです……。
文明の利器を使って……。
自らの知恵で、不便さを解消できたということが嬉しかったのでしょうね。
また脱線しました。
『江戸東京博物館』、レポートを続けます。
↓なんじゃこりゃー。
↑「み」。
ソロバンと電卓がくっついてます。
まるで、鵺です。
↑どこが鳥かと云うと、鳴き声だそうです。
どうして、両方必要なんでしょう?
足し算と引き算はソロバンで……。
掛け算、割り算が電卓とか?
わたしが一番面白かったのは、年代ごとの給食のサンプル。
↓これは、1960年台。
↑「み」。
案外美味しそうですね。
スパゲッティのように見えるのは、「ソフトめん」。
わたしは、パンよりも好きでした。
もっと麺が太くて、白かった気がしますが。
↑そうそう、これです。袋のまま出て来ましたね。
左上の半球形は、缶詰の桜桃ですね。
↓続いて、1970年代。
↑「み」。
パンは、バターロールパンだそうです。
こんなパンが、給食に出てたんですね。
わたしは、まったく記憶にありません。
揚げ物は、「沖アミのチーズロールフライ」だそうです。
↑沖アミ。どう見てもエビですが、エビとは違うそうです。
これも、食べた記憶は無し。
もう1品は、八宝菜。
練り物や八宝菜は、あまり好きでは無いので……。
この日は、給食前に早退したかも。
↑そうそう、こうやって机をくっつけて食べました。でも、教室がしばらく臭くて、ちょっと嫌でしたね。
でも、メロンは惜しいな。
新潟で、メロンなんか出た記憶はありません。
↓続いて、1980年代。
↑「み」。
このころから、米飯が主食になります。
左奥は、『高野豆腐の和え物』。
大皿が、『巻き蒸し』だそうです。
いらん。
食いたない。
なんか、精進料理みたいですよね。
↑やだやだ。
1960年代の方が、よっぽど美味しそうでした。
牛乳が、瓶から紙パックに変わってますね。
そう言えば昔、三角形のパック牛乳がありましたよね。
コーヒー牛乳だったかな。
最近、まったく見ません。
製造を止めたんでしょうか。
↑復活してました。
ていうか、なんで三角形にしたんでしょうね?
↑この値段、マジすか……(銀座千疋屋)。
牛乳といえば……。
新潟県三条市の方針が、全国ニュースでも取り上げられてました。
つまり、牛乳を給食から外すという。
米飯に合わないというのをその理由に上げてましたが……。
これは、失敗でしたね。
本当の目的は、給食にかかる経費の削減だったはず。
↑これだけ子供が減ってるのにね。今思えば、わたしらの時代は、いい時代だったのかも。
正直に、お金が無いので牛乳を外しますと言えばよかったんです。
それを、「米飯に合わない」なんて言うもんだから……。
そんなら、給食と別の時間に飲めばいいということになってしまいました。
農水省とかから、圧力でもあったんでしょうかね。
ドリンクタイムだそうです。
経費削減の目論見は、見事にパーです。
↓続いて、1990年代。
↑「み」。
左は、『あんかけ焼きそば』。
これは、人気だったでしょうね。
でも、どう見ても、焼いてないみたいなんですが……。
上の真ん中は、『大学芋』。
その右は、『シャキシャキ和え物』だそうです。
黄色いのはコーンに見えますが……。
バターとかは使ってないんでしょうか。
下の右は、『にらたまスープ』。
ま、そこそこ美味しそうです。
スプーンとお箸が付いてます。
カトラリー類を増やせば……。
配膳も手間になるし、洗い物も増える。
それ以前に、経費がかかります。
このへんが昔と違うところですね。
昔は、先割れスプーンなんてのがありました。
スプーンの先っぽが割れてて、そこで食材を突き刺せるようになってました。
↓先端部分、大怪獣ラドンに似てます。
それ1本で、何でも食べられるってわけです。
でも、実際には、食材を突き刺すには向いてなかったようです。
無くなったのは、やっぱり教育上の方針ですかね?
さて、続けましょう。
↓最後は、2000年代。
↑「み」。
左のご飯は、キムチチャーハンだそうです。
ケチャップかと思った。
キムチねー。
わたしは、あんまり好物じゃありません。
臭いがね。
5時間目が始まっても、教室が臭かったんじゃないでしょうか。
写真の真ん中は、チーズ春巻き。
これは、普通に美味しそうです。
右上は、中華風じゃこサラダ。
左上が、やわらか杏仁豆腐。
右下は、きのこスープ。
この日は、大陸系のメニューに揃えたんでしょうか?
和洋ゴチャゴチャになるより、統一感があっていいかもですね。
でも、ここまで来ると、給食って感じがしませんよね。
給食費を払わずにこれを食べさせるって神経は、どうなんでしょうね。
ま、子供に罪はありませんが(まさか、親からもらった給食費を懐に入れてるガキはいないだろうな)。
↑ごちゃごちゃ言い合ってないで、裁判にすればいいだけじゃないでしょうか。
さて、『江戸東京博物館』、見学レポートはこれくらいで。
わたしは、決して丁寧に見たわけじゃありません。
でも、見終わったら、12時を大きく回ってました。
9時半の開館と同時に入ったので、丸3時間ですね。
足が疲れるたので、ときどきソファーに座って休むほどでした。
↑休憩用のソファーが、そこらじゅうにあります。
子供はちょっと、根が続かないんじゃないでしょうか。
展示物も、自分の生まれる前のものばっかりですし。
むしろ、純粋に大人向けの施設と言っていいかも知れません。
600円でこれだけ楽しめる施設は、あまりないと思います。
お土産コーナーが、5階と1階にあります。
↓わたしが買ったお土産です。
↑「み」。
ハンカチと、招き猫の赤(無病息災)を、母にあげました。
ハンカチは一番高く、540円(税込)です。
招き猫は、194円(税込)。
わたし用は、右の千社札と、招き猫の黄色(金運!)。
千社札は、10枚入って、216円(税込)です。
使い道が無いので、まだ机の脇に置いてあります。
総合計、1,144円(税込)。
入場料と合わせても、1,744円(税込)です。
これで半日以上楽しめたんですから、ほんとに有意義でした。
東京都も、オリンピックなんかやらないで、こういう施設をもっと作ればいいのに。
ちなみに、『江戸東京博物館』の総工費は、583億円。
さてさて。
今回の東京行きも、これでフィナーレ。
『江戸東京博物館』を出ると、国技館前には人だかりが。
↑「み」。
力士の国技館入りを迎えるファンのようです。
デブを待ってどうするとしか思えませんが、ま、楽しみ方は人それぞれです。
わたしは人混みを背に、まっすぐ両国駅に向かいました。
↑字体が相撲字ですね。これは、気づきませんでした。
両国駅だったか忘れましたが……。
↓初めて、ホームドアというのを目にしました。
↑「み」。
普通に、隙間が開いてるんですね。
あんまり、意味が無いんじゃないでしょうか。
事故防止の機能はあると思いますが……。
飛びこみを企てる人には、用をなさないんじゃないですか。
覚悟を決めた人は、上だって乗り越えるでしょうし。
↑東京のホームは混むので、ホームドアが無いと、黄色い線の内側を歩く人がいて危険なんでしょうね。
さて、そんなこんなで東京駅に付き、すぐホームに上がろうかと思ったんですけど。
ふと、昨年のことを思い出しました。
リニューアルした東京駅の丸の内口を写真に収めたんです。
でも、駅前の広場が工事中で、バリケードが立て回されててがっかりしました。
↑「み」。昨年、心臓ドッグを受けに行った帰りに撮ったものです。
で、今年はもう外れてるだろうと、出てみたんです。
がっかりでした。
去年と同じまま。
写真を取る気も失せ、真っ直ぐ新幹線フォームに上がりました。
時間は、13時ころ。
時刻表を見ると、13:16分と13:32分があります。
昨年は、越後湯沢止まりの『たにがわ』の列に並んでしまい、あやうく窓際に座りそこねるところでした。
↑このように、『たにがわ』と『とき』が連結した車両でした。
でも、ダイヤ改正があったようで……。
今年は、『たにがわ』が連結された車両は、昼間の時刻表にはありませんでした。
13時台の2本は、どちらも『Maxとき』という2階建て車両です。
ここは、ぜひとも2階の窓際を取りたいところ。
↑これで、上下、同じ料金なんですからね。1階は、防音壁しか見えないそうです。でも、ごくまれに、ホームでパンチラが拝めるとか。
13:16分の列が長かったら、13:32分に並ぼうと思ったんですが……。
思いのほか列が短かかったので、思い切って16分に並びました。
結果は、大正解。
見事、右側の窓際に座れました。
新潟へは北に向かうので、午後の便は、右側(東)には陽が射し込まないのです。
↑『Maxとき』の2階自由席は、両側3列です。窮屈そうに思えますが……。あまり混んでなければ、真ん中を空けて座ればいいので、むしろ圧迫感はありません。
わたしを乗せた『Maxとき』は、定刻に出発。
さようなら、東京。
↑『Maxとき』2階車窓より。赤羽付近。わたしの撮影ではありません。
わたしがいる間に、大地震が起きなくてありがとう。
また来る日まで、無事でいてくれよ。
しかし……。
上野で乗りこんで来て、2階で窓際の席を探してるらしい人が、少なからずいました。
どうして、東京で並ばないんでしょう?
新幹線の切符を持っていれば、上野から東京に移動しても、料金は変わりません。
↑『東京ー上野』間は、山手線で4駅。所要時間は、7分です。
さて、『Maxとき』は、放火事件もなく、定刻に新潟駅に到着。
↑『Maxとき』新潟駅到着時のチャイム。
15:15分です。
信越線の接続は、まったく調べてなく、在来線の跨線橋まで来て、初めて電光掲示板を見ました。
15:22分という電車がありました。
でも、よく見ると、快速でした。
やでやで。
うっかり快速に乗って、乗り過ごすところだったわい。
↑過去に、何度も経験あり。田舎は運行本数が少ないので、すぐには引き返せません。後悔は巨大となります。
胸をなでおろしながら、電光掲示板の真下を通るとき、もう一度確認すると……。
なんと!
わたしの降りる駅にも止まるではありませんか。
そうと知ればダッシュです。
↑これは、コミケ会場に向けて、改札からダッシュする人たち。始発だそうです。理解できん。
跨線橋は、けっこうな人混みでした。
カートなんか引いてたら、とても走れません。
でも、リュックだから大丈夫。
人混みをスラロームのようにかき分けて、階段を駆け下りると……。
ちょうど、発車を知らせるベルが鳴り始めたところ。
まさに、ぎりぎりセーフでした。
行きは、あれほど綿密に計画したにもかかわらず……。
接続は、苦労の連続でした。
↑尼子十勇士の筆頭、山中鹿之介が、三日月に祈ったとされるセリフ。気が知れません。提灯の意味は不明。
しかし、行き当たりばったりだった帰りは、待ち時間もほとんどなく……。
まるで、ドラマのアリバイ工作のようなジャストの接続でした。
↑松本清張『点と線』の有名な設定。この小説は、旅行雑誌『旅』に連載されたもの。プロの読者が相手だったんですね。
さてこれで、この度の『単独旅行記Ⅱ』の顛末は終了です。
あ、この題名の『単独旅行記』ですが……。
わたしが尊敬する島尾敏雄という作家に、『単独旅行者』という作品があるんです。
そこから、付けさせていただきました。
そうだ、大事なことを書き忘れてました。
AICS検査の結果です。
検査の結果は、A,B,Cの三段階で表示され……。
Cの場合は、精密検査を受けることを勧められます。
なお、A,B,Cの中でも、どっち寄りかわかるんです。
↑わたしの結果ではありません。
このように、分布図みたいな感じで表示されるので……。
同じBでも、A寄りだったり、C寄りだったりするわけね。
で、わたしの結果ですが……。
幸い、Cはひとつもありませんでした。
ドンドンパフパフ!
↑久しぶりに聞きましょう。パフパフラッパを鳴らす柴犬。
でも、内容は、ちょっと微妙ですね。
Aと判定されたのは、胃がんだけでした。
十二指腸潰瘍の既往歴もあるし、これはちょっと意外でした。
しかも、Aの中でも、Bからは遠く、ゼロに近い方の数値でした。
やっぱり、ピロリ菌を退治したのが良かったんでしょうか。
逆に、一番悪かったのが、肺がんです。
Bですが、かなりCに寄ってました。
ま、これは、タバコを止めて、まだ2年ということからでしょうか。
残りは、すべてBの真ん中あたり。
わたしとしては、勝手にオールAのつもりでいたので……。
少し、がっかりでした。
でも、これだけを見て、一喜一憂しても、しょうがないのでしょう。
次に検査を受けたとき、数値がどう変化してるか比べるのが大事なんじゃないでしょうか。
だけど、毎年は受けられんわな。
高くて。
ほんとに、なんとかならんもんでしょうか。
こういう検査に保険が効くようにすれば、かえって医療費が抑えられるはずなのにね。
さてこれで、本当のおしまいです。
思いのほか、長くなってしまいました。
来年、どうするかは、まだ決めてません。
でも、また検査を受けるとしたら……。
今度は、もっと時間に余裕を持って行くことにします。
それでは!
さらばじゃ~
↓バスルームは、ユニットで狭いです。
↑「み」。
ホテトル嬢に、ここでサービスしてもらうのはムリでしょう。
青森の、『ハイパーホテルズパサージュ』とは、大違い。
↑『ハイパーホテルズパサージュ』。ホテヘル嬢も大喜び?
やっぱり、土地の値段の違いですかね。
実は、わたしが東京で最後に住んでたマンションが、この3点ユニットのバスルームでした。
1人暮らしの場合、何の不自由も感じません。
むしろ、お掃除が楽で助かりました。
シャワーで、トイレの方の床まで流せるんですから。
あ、これで思い出しました。
高速バスから見た、越後湯沢のリゾートマンション。
あそこの部屋の値段が、異常に安いことは、以前、お伝えしましたよね。
↑35万円は、賃料ではありません。売値です。
それで、移住する人がけっこういるみたいなんです。
離婚したのか、奥さんが行きたがらないのか……。
男性が単身で住む場合が多いそうです。
老後を、このリゾートマンションで過ごそうというわけですね。
一見、楽しい老後に思えますが……。
それも、身体が自由に動かせる間です。
後期高齢者となって、介護が必要になったときが問題なんです。
リゾートマンションには、大浴場があります。
なので、部屋のバスルームは、3点ユニットがほとんど。
↑ライオンズマンションです。この部屋は、80万円。繰り返しますが、賃料ではなく、売値です。
元気なときは、お風呂は大浴場で、トイレだけ部屋のを使うわけですから……。
何の不自由もありません。
↑こんな大浴場があります。普通であれば、部屋のユニットバスを使う必要はありません。
しかし!
訪問介護で、入浴介助を受けようとしたら大変です。
男性用の大浴場に、女性ヘルパーが一緒に入るわけにはいきませんから……。
入浴介助は、部屋の3点ユニットで行うことになります。
一人でも狭いところに、2人入るわけですから、とにかく大変だそうです。
↑考えただけで、気が滅入ります。
あと、そもそも、要介護者の部屋まで行くのにも、障壁があるんだとか。
リゾートマンションの入口は、オートロックの場合が多いんです。
外部からの訪問者は、部屋の人にインターホンで連絡し、ロックを外してもらうわけです。
ところが……。
要介護者の中には、すでにその操作ができなくなってる人がいるとか。
それ以前に、耳が遠くて、インターホンが聞こえない人もいます。
近隣との付き合いなど無い場合がほとんどなので……。
糞尿の臭いの充満する部屋で孤独死、というケースもあるそうです。
とにかく、書いてて憂鬱になってきますが、これが現実です。
さて、何の話をしてたんでしたっけ?
あ、ユニットバスの話からでしたね。
『スーパーホテル東京・亀戸』。
狭い部屋にセミダブルベッドが入ってるので、床がほとんど見えません。
ラジオ体操も難しそうです。
ま、体操をしに来たわけじゃないので、これで十分ですが。
さて、お風呂を使って、1日の疲れを癒やします。
ユニットバスにお湯を溜めて、ゆっくりと浸かりました。
↑この張り紙を見て『湯張りシール』なるものを発見しましたが……。すでに、その水位以上にお湯を入れてしまってました。
そして……。
いよいよ、待ちに待った夕食です。
時間は早や、18時半。
朝起きてから、14時間半が経過してます。
この間、何も食べてないわけです。
でも、ほんとにさほどの空腹感はありませんでした。
イスラム教のラマダンも、わたしなら乗り切れそうです。
↑ラマダン中の大砂嵐関。本日初めて(?)の食事は、チキンカツカレー。ひょっとしたら、日の出前にも食べてるのかな?
でも……。
これだけ食事を我慢した後、お酒が飲めない宗教には、ぜったいに入りたくありませんが。
↑何物にも代えがたし。
部屋には、ごく小さな冷蔵庫が付いてます。
中は空っぽで、通電もされてません。
製氷皿もありません。
お風呂の前に、買ってきたビールと食材を納め、スイッチを入れておきました。
↑奥行きが浅く、思ったほど入りません。
さて、お食事です。
ライティングテーブルに、液晶テレビが乗ってます。
↑まさしく、この間取りでした。
その脇に食材を並べます。
で、テレビを点けようと、リモコンを取り上げました。
↑これは、『スーパーホテル東京・JR新小岩』の画像です。たぶん、同じものだったと思います。
スイッチ、オン!
しーん。
点きません。
テレビの真ん前で、もう一度、オン。
しーん。
どういうこっちゃ?
コンセントが抜けてるのかと思いましたが、パイロットランプは点いてるので……。
通電はされてるはずです。
↑『スーパーホテル安城駅前』の写真。わたしが泊まったホテルでは、こんなに複雑じゃありませんでした。
何で点かないの!
何べん押しても、点きません。
テレビも見ずに、黙々と食事だけする気にはなりません。
仕方がない。
フロントに電話するか。
風呂あがりで、すでにホテルの浴衣を着てたので……。
人を呼ぶとなると、また着替えなきゃなりません。
面倒くさい!
ひょっとしたら、リモコンの電池が切れかけてるのかも知れませんが……。
さすがに、電池までは持ってきてません。
座ってても、どうにもならないので……。
電話することにしました。
しかし!
部屋に、電話器がにゃい!
テーブルの上はもちろん、ベッド周りも探索しましたが、ありません。
着替えて、フロントまで行かにゃならんのか。
いったい何時になったら食べれるんだ!
ラマダン明けなのに!
しだいに怒りがこみ上げてきました。
何で点かないんだよ!
もう一度、怒りのままにリモコンを押したら……。
ようやく、点きました。
これで一安心と思ったんですが、異様に感度の悪いリモコンで……。
10回押すと、やっと1回反応する感じでした。
とにかく、スーパーホテルに対する好意度が、地平線近くまで下落しました。
で、電話器ですが……。
やっぱり、部屋には備え付けられてなかったのです。
エレベーター脇に、フロントに掛けられる電話が設置されてました。
↑拝借した画像です。わたしの手ではありませぬ。
ま、今どき、携帯を持ってない客なんかいないでしょうしね。
考えて見れば……。
部屋ごとに電話器を置けば、回線の基本料金だけでも結構な経費です。
こういうところで安く上げてるというわけですね。
さて。
ようやく食事です。
テレビは、東京ローカルのニュース。
ビールのプルトップを、プシュ!
泡が噴き出ました。
握った感じも、温いです。
冷蔵庫は、強弱の調節も出来ません。
↑ON/OFFのスイッチだけです。
冷やす能力は、かなり劣っているみたいです。
ま、ちょっと温めのビールでしたが……。
空腹に染み渡り、美味しかったです。
枝豆は明らかに冷凍品で、味的にはイマイチ。
↑『コモディイイダ』の画像ではありません。
でも、空腹には許せる範囲でした。
餃子は、ちょっと皮が固かったかな。
↑こんなにたくさんは入ってません。半分くらい。
一番美味しかったのが、かき揚げでした。
↑お醤油で食べるのが、思いの外、美味でした。
あと、ピリ辛きゅうり。
↑食べ飽きるということがないので、ツマミには最高です。
通電して暖まったせいか、テレビの反応も良くなりました。
350mlのビール3本は、たちまち空に。
『いいちこ』を買っておいて正解でした。
スーパーで、ロックアイスも仕入れてあります。
でも、冷蔵庫には入りません。
なので、ユニットバスの洗面ボウルに置いておきました。
もちろん、だんだん解けていきますが、一晩飲む間なら、十分保ちます。
かくして……。
波瀾万丈の1日が終わりました。
いつ寝たのか、記憶にありません。
さて、翌朝。
目が覚めて、枕元の時計を見ると、6時14分。
ブラインドの遮光性が高いので、部屋は真っ暗です。
家では、休みの日でも6時に起きます。
ゆうべ、何時に寝たかわかりませんが、たぶん11時前だと思います。
十分な睡眠が取れました。
ブラインドを開くと、ピーカンの太陽が、すでに高々と昇ってました。
朝食は、6時半からです。
もちろん、開始時間にはもう間に合いません。
まさか、売り切れってことは無いでしょうが、気が焦ります。
ゆうべ、空きっ腹にガブガブ飲んだので、完璧二日酔いです。
どのくらい飲んだのかと、『いいちこ』のパックを持ち上げてみます。
けっこう、軽くなってました。
このままだと、持ち帰りがかさばるので……。
昨日、水を入れてきた、500mlのペットボトルに、飲み残しを移すことにしました。
入りきれなかった分は、捨てるつもりでしたが……。
余裕で入ってしまいました。
ペットボトルに入った量は、およそ400ml。
てことは、ゆうべ、500mlも飲んだことになります。
ビールを、約1リットル。
焼酎を、3合弱というところ。
明らかに、適量をオーバーしてます。
でも、車は運転出来そうもありませんが、朝食ならいけそうです。
ま、ラマダンだったのだから、許してあげましょう。
↑ラマダン明けの夕食。1日絶食してこれじゃ、身体に悪いんでないの?
酔いを醒ますためにシャワーを浴び、2階の朝食会場に向かいます。
こちらには、浴衣やスリッパでの入場はダメですので、お気をつけください。
そんな格好をしてる田舎者は、さすがに一人もいませんでしたが。
↑『スーパーホテル東京・亀戸』の朝食会場です。
わたしが会場に行ったのは、7時前だと思いますが……。
けっこう、混んでました。
ま、座れないほどではありませんでしたが。
朝食の内容ですが……。
『ハイパーホテルズパサージュ』とは比べ物になりません。
↑『ハイパーホテルズパサージュ』の朝食。
まず、白いご飯自体がありません。
パンとオニギリです。
↑奥に見えるのもパンです。おにぎりの画像が見当たりません。おにぎりがあっただけでも、ラッキーだったのかも。
だからかもしれませんが、焼き海苔も納豆も生卵もありませんでした。
これで、朝食の楽しみが、あらかた消え去りました。
オカズも、2品しかありません。
ブロッコリーと肉を炒めたものと……。
スクランブルエッグだけです。
↑まさに、これでした。
あとは、サラダと味噌汁ですね。
「朝食無料」という設定は、こういう仕掛けなわけです。
↑こちらは、出雲のスーパーホテルです。
朝食で別料金を取って、こんなメニューを出したら、どんな投稿されるかわかりません。
朝食込みの料金設定にして、朝食はあくまでサービスですよということです。
6,100円ですから、文句も言いませんが。
しかし……。
オニギリの具も選べないのは、ちょっとねー。
入ってたのは、甘い味付けの漬け物みたいなやつでした。
種類があったら、ぜったいに選ばない具。
3個食べましたけど。
朝食を終え、部屋に戻ります。
食べ放題だと、どうしても食い意地が張り、ダメ押し的に詰め込んでしまいました。
ベッドに仰向いて休みます。
この日は、もちろんこのまま帰るわけではありません。
あるところを見学する予定。
昨年は、大宮の『鉄道博物館』でした。
2日目の見学は、この旅行のもうひとつの大目的です。
でも、早くから出る必要はありません。
この宿から、すぐ近くなんです。
開館は9時半なので、まだ間があります。
と言って、寝て過ごすわけにはいきません。
なぜなら、今日は土曜日。
投稿日だからです。
満腹のお腹をさすりながら起き上がり……。
ライティングデスクに向かいます。
デスクの穴からLANケーブルが出てて、無料でネットにつなげます。
↑『スーパーホテル東京・亀戸』では、充電用の端子は出てませんでした。
投稿は、何のトラブルもなく済みました。
前日の朝、予行演習した甲斐があったというもの。
思いのほか、投稿がスムーズに出来たので……。
テレビを見たりしながら、ウダウダ過ごします。
この朝も、最初、リモコンが反応しませんでした。
しばらくすると、使えるようになります。
どういうわけなんでしょう?
部屋のチェックをする人は、リモコンでテレビが点くかなんてことまでは見ないんでしょうね。
昨年かなり高かったスーパーホテルに対する好感度は、かなり下落しました。
さて、出発です。
昨日は、錦糸町駅に近いところでバスを降りましたが……。
ホテルの最寄り駅は、亀戸です。
亀戸天神のあるところ。
駅とは反対側になりますが。
↑藤の名所だそうです。
残念ながら、時期的には、藤は終わってたと思います。
でも、せっかく早く起きたんだから、行ってくればよかったな。
この日は、まっすぐ、JRの亀戸駅に向かいました。
↑上を向いて歩いてなかったので、こんな駅ビルだったとは気づきませんでした。
本日の行き先は、ここから総武線で2駅目。
隣が錦糸町なので、その次です。
すなわち、両国。
奇しくもこの日は、夏場所の14日目でした。
といっても、わたしの目指すのは、大相撲ではありませんが。
両国駅を降りて、歩き出します。
↑なかなか風情のある駅です。
通りには、さすが相撲の街らしいお店が並んでます。
↑「み」。夏場も、ちゃんこ屋なんでしょうか? とても食べる気になりませんが。
ほどなく、国技館前に到着。
テレビでよく見る幟旗が、5月の風にはためいてます。
↑「み」。
夏場所はいいですね。
中央に立つ塔は、火の見櫓ではありません。
ふれ太鼓を打つ櫓です。
なお、ふれ太鼓が聞ける時間は、朝8時からの30分。
わたしが行ったときは、残念ながら終わった後でした。
生の音の響きは、テレビで聞く音とは、ぜんぜん違うそうです。
1度ぜひ、聞いてみたいものです。
なお、当たり前な話ですが、本場所の開催期間中しか叩かれません。
さてさて。
両国には来ましたが、わたしの目的は相撲観戦ではありません。
14日目のチケットは、早々に完売してるようです。
↑昨年の秋場所の写真です。しかし……。「小人」が安すぎないか? なぜじゃ。
それでは、わたしの目的はと云うと……。
こちらです!
国技館の隣にあります。
『江戸東京博物館』。
↑「み」。左端に、お相撲さんが写ってるの、わかりますか?
実は、ここに来たのは初めてではありません。
2度目です。
前は、いつ来たのか覚えてません。
オープンは、1993年。
22年前。
思ったより古いですね。
いずれにしろ、このブログを始める前であることは確かです。
なぜ今回、もう1度ここを訪ねたかと云うと……。
ブログのコメントなどで、けっこう取り上げることが多かったからです。
前に来たときは、目的もなく、漫然と見てましたが……。
今回は、ちょっと真面目に見学しようかと。
わたしが着いたのは、ちょうど開館の直前。
9時半です。
チケット売り場は、2階のようです。
階段もありましたが、すぐ脇に動く歩道を見つけたので、話のタネにこちらに乗りました。
↑「み」。空いてるように見えますが、実際には何組もやり過ごし、人の写らないときに撮りました。
のんびりと登ります。
イラチな方にはお勧め出来ません。
もちろん歩けますが、立ち止まったままおしゃべりしてる外人さんなどもいます。
通路の片側を開けるという習慣が無いのでしょう……。
樽のようなおっかさんが並んでたりするので、とても追い越すことは出来ません。
さて、2階に上がると、屋外にチケット売り場があります。
↑「み」。
屋外と言っても、コンクリートの大屋根の下です。
行列はなく、すぐに買えました。
団体客は、事前にチケットを買ってあるんでしょうね。
料金は、600円です。
↑「み」。記念に持ち帰りました。当日に限って再入場出来ますので、2回に分けて見ることも出来ます。
これは、安いですよね。
1,500円くらいかなと思ってたので驚きました。
↑「み」。入口の威容。スター・ウォーズに出てくるロボット戦車のようです。中央下部に、人が写ってるのがわかりますか?
さて、入りましょう。
↑写真を撮り忘れました。拝借画像です。ロボット戦車の内懐にあります。SF映画のようなエスカレーターでした。
入るとすぐのところにある、日本橋。
↑「み」。
わくわくしますね。
入って、まず驚いたのが、外国人の多さです。
↑「み」。
たぶん、日本人と同じくらいいました。
ツアーのようです。
短パンにビーサンなどという人もいます。
旗を持ったガイドが付いて、説明してました。
もちろん英語なので、脇で聞いてても理解出来ませんが……。
武士の役職などについて解説してるようでした。
↑「み」。ひとつ前の写真の右奥に、旗を真上にあげたガイドさんが写ってます。
相当な知識が必要でしょうね。
これから東京オリンピックを控えて、彼女らは引っ張りだこなんじゃないでしょうか。
忙しいのはいいけど、大変そうですよね。
わたしには務まりそうもありません。
それ以前に、英語が出来ませんが。
さて、内部の見学です。
とにかく広く、展示品の規模、量、ともに半端ではありません。
↑「み」。フラッシュを焚かないようにしていたので、薄暗い写真ばっかりになりました。
3倍の1,800円くらいの入館価値があるんじゃないでしょうか。
あと、気づいたこと。
わたしは混むのがイヤで、開館と同時に入場しました。
でも、こういう考えの人は、けっこういるようで……。
開館直後は、混むみたいです。
↑これは、特別展の画像のようです。
最初ってのは、みんなスゴく丁寧に見るんですよね。
しかも、順路に沿って見学しますから、たちまち渋滞します。
なので、開館直後に入った場合は……。
江戸エリアはすっ飛ばして、明治以降の東京エリアを先に見た方がいいかもです。
たぶん、空いてるはずです。
で、見終わったら、江戸に回る。
そのころには、開館直後の渋滞も解消してるでしょう。
あと、もう1点。
これは、あまり知られてない情報のようですが……。
コインロッカーが、無料で使えます。
1階にもあるみたいですが、わたしは事前に調べた7階にしました。
↑展示場は、5,6階です。
ていうか、1階に預けるのを忘れたまま入館したわけですが。
わたしは、パソコンなどの詰まった大荷物を担いでます。
こんな格好で見て回るのは、楽ではありません。
開館直後に来た理由のひとつが、このコインロッカーが一杯になるのではないかと思ったのです。
でも、そんな心配はありませんでした。
7階は、図書などのライブラリーを閲覧できるエリアですが……。
ほとんど人がいません。
ロッカーもガラ空き。
↑『図書館利用者専用』とあるのが、コインロッカーです。図書館は利用しませんでしたが、咎められることはありませんでした。
穴場です。
↑7階には、食事処もあります。わたしが行ったのは開店前でしたので、フロアには誰もいませんでした。
てなわけで、リュックを預け、身軽になって、いざ見学。
最初は、渋滞の後ろに付いて見てましたが……。
なかなか列が進まないので、順路どおりに見るのは諦めました。
空いてるところに割りこみながら見学。
壁に掲示してある説明書きは、読むのを止めました。
あれを読みながら歩いてたら……。
間違いなく、1日仕事になります。
さて、見学を続けましょう。
↓江戸の朱引と墨引の地図もありました。
↑「み」。江戸の範囲を表すのが、朱引。その内側の墨引は、町奉行所支配の範囲です。
↓大名駕籠だそうです。
↑「み」。
この外には、レプリカの駕籠があり、中に入ることが出来ました。
外人さんが喜んで入って、写真を撮ってました。
わたしは、入っても誰も撮ってくれないので、止めておきました。
そして……。
今回の最大の目的物を発見!
↓これです!
↑「み」。
そう。
肥桶。
これを担ぐために来た、と言っても過言ではありません。
実際の重量が体験できます。
「重さ」を体験できるのが、この博物館のひとつのウリなんです。
さすがに、肥桶前に行列はありませんでした。
重さは、26㎏と書いてあります。
こちらを見ると、小学校3年生くらいの体重です。
このくらいの子供をおんぶするなら、さほどの重さじゃないはず。
さっそく、担いでみることに。
こんなことして腰でも痛めたら目も当てられないので、慎重に持ちあげます。
↑わたしではありません。
いやー、驚きました。
重すぎです。
背負うと担ぐじゃ大違い。
その場で持ちあげるくらいは、なんとかなりますが……。
これを持って歩くなんて、とうてい出来そうもありません。
しかも、こぼさないように歩くんですよね。
昔の画像を見ると、平坦な場所だけを歩いてるわけじゃなかったようです。
段々畑の上まで、運び上げてたようです。
これは、キツい労働ですよ。
間違いなく、身体を壊します。
さて、見学を続けましょう。
棟割長屋のセットに、人形が入ってます。
わたしの大好物の展示です。
↓こちらは、指物師の仕事場。
↑「み」。
指物師と云うのは、たんすや小箱など、板を差合せてつくる木工職人のことです。
彼らは『居職(いじょく)』と云って、自宅で仕事をしました。
↓こちらは、長屋でのお産の様子。
↑「み」。
奥にいるのが、お産をした女性です。
縄につかまったりして、座ったまま産んだようです。
当時は、子供を産んだ後、仰向けになると身体に悪いと信じられており……。
産後7日くらいは、この姿勢のまま過ごしたそうです。
そのため、身体を壊してしまう人もいたとか。
「産後の肥立ちが悪く」という原因には、こういうバカな風習があったせいもあるでしょう。
そして!
わたしが見たかったものがありました。
↓これです!
↑「み」。
そう。
長屋の共同トイレです。
上半分が開いてます。
男女別などはありません。
なんで、上に扉が無いんでしょうか。
ま、入ってるかどうか、すぐにわかるという利点はありますね。
でもやっぱり、臭いと夏の暑さじゃないでしょうかね。
閉めきったら、とてもじゃないけど籠もっていられないと思います。
なお、この下肥は、農家の人が買いに来ました。
買うと言っても、お金では無く、野菜とかの物々交換だったみたいですけど。
江戸の人は食べ物がいいから下肥もいいと、人気があったそうです。
長屋では、下肥の収入は大家さんの役得でした。
なお、江戸時代の大家さんというのは、長屋の持ち主のことではありません。
持ち主は、家主と云い、別にいます。
大家さんは、家主に雇われて、長屋の管理をしてる人です。
今で云えば、マンションの管理人みたいなものです。
しかし、昔の農家の人は、どれだけ体力があったんでしょうね。
もちろん、肥たごを担いで、自分の村までは帰らないでしょう。
たぶん、船か荷車で来てるんだと思います。
でも、長屋の路地から水路や通りまでは、担いで歩くしかないですよね。
ま、こんな労働をしてたら、長生きのしようがありませんわな。
↓食べ物は、こんなもの。
↑「み」。
これは、武家の御膳でしょうかね。
説明書きを読んでないので、さっぱりわかりません。
お百姓さんなら、菜っ葉とかありそうですよね。
現在、粗食がもてはやされてるようですが……。
あくまでも、飽食と対峙させてのことでしょう。
本当の粗食では、栄養不足は否めません。
先日、CMで見ましたが……。
80歳でエベレストに登頂した三浦雄一郎さんは、今でも、800gのステーキを食べるそうです。
↑800gは、厚みが違います。見ただけで具合悪くなりそうです。
↓こちらは、二八そばの屋台です。
↑「み」。
この屋台は、実際に担げませんでしたが……。
楽な商売で無いことは、見ただけでわかります。
牛車は、平安時代からありますから……。
↑『平治物語絵巻』。
車輪というものは、日本にも古くから存在したわけです。
どうして、車輪を付けて引いていこうという発想に至らなかったんでしょうね。
肥たごだと、サスペンションの無い車輪では、そこらに撒き散らしてしまいそうですが……。
ほかの売り物は、担ぐより、よっぽど積めるし、楽だったでしょうに。
何か、禁制でもあったんでしょうかね。
↓こちらは、棒手振りの魚屋。
↑「み」。
これは、担げました。
重かったです。
↑江戸の魚屋。格好いいですね。左の籠に蓋みたいになってるのは、まな板でしょうか。
売れ残った帰りは、天秤棒が肩に食いねんだでしょうね。
魚は、自分で買って仕入れるんでしょうから。
売れ残ったら、家で食べるしかありません。
食べきれないほど残ったら……。
冷蔵することが出来ませんから、配るか捨てるしかないですね。
辛い商売です。
↓こちらは、千両箱。
↑「み」。
これも、持ち上げられます。
案外軽いなと思いましたが、それは、その場で持ち上げただけだからでしょう。
担いで逃げるとなると大変です。
あ、逃げなきゃならんのは、泥棒だけか。
↓こちらは、両国橋の模型。
↑「み」。
上の映像は、模型の人形をアップにしたものです。
人形一体一体が、アップに耐えられるほど精巧に造られてます。
両国は、当時、最大の繁華街。
↓橋の袂には、見世物小屋などが並びました。
↑「み」。
橋の袂は、火除地として広場になってるんです。
↑『ブラタモリ』の映像のようです。
橋は木製ですから……。
火除地が無いと、火が橋を渡って、川向うに飛び火してしまうからです。
でも、火除地に見世物小屋みたいなのがびっしり建ってしまったら、火除けにならんじゃないかと思われますが……。
もちろん、ちゃんとした建物は建てられません。
すべて、掘っ立て小屋です。
火事のときは、火消しが片っ端から引き壊したんだと思います。
江戸時代の消火活動というのは、水を掛けることではありません。
水の供給が追いつかないし、放水装置もお粗末なので、火が大きくなってからでは、水は役に立ちません。
どうするのかと云うと、火を止めると決めた位置の建物を、片っ端から破壊するんです。
↑町火消しが使った、“鳶口”。
火の“エサ”である建物の方を無くしてしまうわけです。
↑“破壊消防”と云います。
どこで止めるかという判断をするのが、火消しの頭の重大な役目です。
止めると決めたラインの屋根には、纏持ちが上がり、纏を振って鳶たちに位置を知らせます。
↑『消防博物館』のジオラマ。東京消防庁の施設です。四谷にあります。ここも行ってみたい。
これは、“火はここで止める”という、火消し組の宣言でもあるのです。
↑われらが『み組』(画:歌川芳虎)。
もし、頭の判断が間違ってて、炎が纏持ちを襲っても……。
纏持ちは決して逃げず、その場で焼け死んだそうです。
なので、纏持ちは、江戸の町人たちに非常に尊敬されたんですね。
もちろん、判断を下す頭の責務が重大であることは、云うまでもありません。
↓この纏も持ちあげられました。
↑「み」。
とにかく、重くてたまげました。
わたしなら、1分も振れないでしょう。
纏持ちは、そうとうなマッチョじゃないと務まらないと思います。
さて、江戸エリアはこのくらいで。
『江戸東京博物館』という名称からもわかるとおり、展示は、江戸ゾーンと東京ゾーンに分かれてます。
で、わたしは、正直、東京ゾーンの方が面白かったです。
↑「み」。
ホテトル嬢に、ここでサービスしてもらうのはムリでしょう。
青森の、『ハイパーホテルズパサージュ』とは、大違い。
↑『ハイパーホテルズパサージュ』。ホテヘル嬢も大喜び?
やっぱり、土地の値段の違いですかね。
実は、わたしが東京で最後に住んでたマンションが、この3点ユニットのバスルームでした。
1人暮らしの場合、何の不自由も感じません。
むしろ、お掃除が楽で助かりました。
シャワーで、トイレの方の床まで流せるんですから。
あ、これで思い出しました。
高速バスから見た、越後湯沢のリゾートマンション。
あそこの部屋の値段が、異常に安いことは、以前、お伝えしましたよね。
↑35万円は、賃料ではありません。売値です。
それで、移住する人がけっこういるみたいなんです。
離婚したのか、奥さんが行きたがらないのか……。
男性が単身で住む場合が多いそうです。
老後を、このリゾートマンションで過ごそうというわけですね。
一見、楽しい老後に思えますが……。
それも、身体が自由に動かせる間です。
後期高齢者となって、介護が必要になったときが問題なんです。
リゾートマンションには、大浴場があります。
なので、部屋のバスルームは、3点ユニットがほとんど。
↑ライオンズマンションです。この部屋は、80万円。繰り返しますが、賃料ではなく、売値です。
元気なときは、お風呂は大浴場で、トイレだけ部屋のを使うわけですから……。
何の不自由もありません。
↑こんな大浴場があります。普通であれば、部屋のユニットバスを使う必要はありません。
しかし!
訪問介護で、入浴介助を受けようとしたら大変です。
男性用の大浴場に、女性ヘルパーが一緒に入るわけにはいきませんから……。
入浴介助は、部屋の3点ユニットで行うことになります。
一人でも狭いところに、2人入るわけですから、とにかく大変だそうです。
↑考えただけで、気が滅入ります。
あと、そもそも、要介護者の部屋まで行くのにも、障壁があるんだとか。
リゾートマンションの入口は、オートロックの場合が多いんです。
外部からの訪問者は、部屋の人にインターホンで連絡し、ロックを外してもらうわけです。
ところが……。
要介護者の中には、すでにその操作ができなくなってる人がいるとか。
それ以前に、耳が遠くて、インターホンが聞こえない人もいます。
近隣との付き合いなど無い場合がほとんどなので……。
糞尿の臭いの充満する部屋で孤独死、というケースもあるそうです。
とにかく、書いてて憂鬱になってきますが、これが現実です。
さて、何の話をしてたんでしたっけ?
あ、ユニットバスの話からでしたね。
『スーパーホテル東京・亀戸』。
狭い部屋にセミダブルベッドが入ってるので、床がほとんど見えません。
ラジオ体操も難しそうです。
ま、体操をしに来たわけじゃないので、これで十分ですが。
さて、お風呂を使って、1日の疲れを癒やします。
ユニットバスにお湯を溜めて、ゆっくりと浸かりました。
↑この張り紙を見て『湯張りシール』なるものを発見しましたが……。すでに、その水位以上にお湯を入れてしまってました。
そして……。
いよいよ、待ちに待った夕食です。
時間は早や、18時半。
朝起きてから、14時間半が経過してます。
この間、何も食べてないわけです。
でも、ほんとにさほどの空腹感はありませんでした。
イスラム教のラマダンも、わたしなら乗り切れそうです。
↑ラマダン中の大砂嵐関。本日初めて(?)の食事は、チキンカツカレー。ひょっとしたら、日の出前にも食べてるのかな?
でも……。
これだけ食事を我慢した後、お酒が飲めない宗教には、ぜったいに入りたくありませんが。
↑何物にも代えがたし。
部屋には、ごく小さな冷蔵庫が付いてます。
中は空っぽで、通電もされてません。
製氷皿もありません。
お風呂の前に、買ってきたビールと食材を納め、スイッチを入れておきました。
↑奥行きが浅く、思ったほど入りません。
さて、お食事です。
ライティングテーブルに、液晶テレビが乗ってます。
↑まさしく、この間取りでした。
その脇に食材を並べます。
で、テレビを点けようと、リモコンを取り上げました。
↑これは、『スーパーホテル東京・JR新小岩』の画像です。たぶん、同じものだったと思います。
スイッチ、オン!
しーん。
点きません。
テレビの真ん前で、もう一度、オン。
しーん。
どういうこっちゃ?
コンセントが抜けてるのかと思いましたが、パイロットランプは点いてるので……。
通電はされてるはずです。
↑『スーパーホテル安城駅前』の写真。わたしが泊まったホテルでは、こんなに複雑じゃありませんでした。
何で点かないの!
何べん押しても、点きません。
テレビも見ずに、黙々と食事だけする気にはなりません。
仕方がない。
フロントに電話するか。
風呂あがりで、すでにホテルの浴衣を着てたので……。
人を呼ぶとなると、また着替えなきゃなりません。
面倒くさい!
ひょっとしたら、リモコンの電池が切れかけてるのかも知れませんが……。
さすがに、電池までは持ってきてません。
座ってても、どうにもならないので……。
電話することにしました。
しかし!
部屋に、電話器がにゃい!
テーブルの上はもちろん、ベッド周りも探索しましたが、ありません。
着替えて、フロントまで行かにゃならんのか。
いったい何時になったら食べれるんだ!
ラマダン明けなのに!
しだいに怒りがこみ上げてきました。
何で点かないんだよ!
もう一度、怒りのままにリモコンを押したら……。
ようやく、点きました。
これで一安心と思ったんですが、異様に感度の悪いリモコンで……。
10回押すと、やっと1回反応する感じでした。
とにかく、スーパーホテルに対する好意度が、地平線近くまで下落しました。
で、電話器ですが……。
やっぱり、部屋には備え付けられてなかったのです。
エレベーター脇に、フロントに掛けられる電話が設置されてました。
↑拝借した画像です。わたしの手ではありませぬ。
ま、今どき、携帯を持ってない客なんかいないでしょうしね。
考えて見れば……。
部屋ごとに電話器を置けば、回線の基本料金だけでも結構な経費です。
こういうところで安く上げてるというわけですね。
さて。
ようやく食事です。
テレビは、東京ローカルのニュース。
ビールのプルトップを、プシュ!
泡が噴き出ました。
握った感じも、温いです。
冷蔵庫は、強弱の調節も出来ません。
↑ON/OFFのスイッチだけです。
冷やす能力は、かなり劣っているみたいです。
ま、ちょっと温めのビールでしたが……。
空腹に染み渡り、美味しかったです。
枝豆は明らかに冷凍品で、味的にはイマイチ。
↑『コモディイイダ』の画像ではありません。
でも、空腹には許せる範囲でした。
餃子は、ちょっと皮が固かったかな。
↑こんなにたくさんは入ってません。半分くらい。
一番美味しかったのが、かき揚げでした。
↑お醤油で食べるのが、思いの外、美味でした。
あと、ピリ辛きゅうり。
↑食べ飽きるということがないので、ツマミには最高です。
通電して暖まったせいか、テレビの反応も良くなりました。
350mlのビール3本は、たちまち空に。
『いいちこ』を買っておいて正解でした。
スーパーで、ロックアイスも仕入れてあります。
でも、冷蔵庫には入りません。
なので、ユニットバスの洗面ボウルに置いておきました。
もちろん、だんだん解けていきますが、一晩飲む間なら、十分保ちます。
かくして……。
波瀾万丈の1日が終わりました。
いつ寝たのか、記憶にありません。
さて、翌朝。
目が覚めて、枕元の時計を見ると、6時14分。
ブラインドの遮光性が高いので、部屋は真っ暗です。
家では、休みの日でも6時に起きます。
ゆうべ、何時に寝たかわかりませんが、たぶん11時前だと思います。
十分な睡眠が取れました。
ブラインドを開くと、ピーカンの太陽が、すでに高々と昇ってました。
朝食は、6時半からです。
もちろん、開始時間にはもう間に合いません。
まさか、売り切れってことは無いでしょうが、気が焦ります。
ゆうべ、空きっ腹にガブガブ飲んだので、完璧二日酔いです。
どのくらい飲んだのかと、『いいちこ』のパックを持ち上げてみます。
けっこう、軽くなってました。
このままだと、持ち帰りがかさばるので……。
昨日、水を入れてきた、500mlのペットボトルに、飲み残しを移すことにしました。
入りきれなかった分は、捨てるつもりでしたが……。
余裕で入ってしまいました。
ペットボトルに入った量は、およそ400ml。
てことは、ゆうべ、500mlも飲んだことになります。
ビールを、約1リットル。
焼酎を、3合弱というところ。
明らかに、適量をオーバーしてます。
でも、車は運転出来そうもありませんが、朝食ならいけそうです。
ま、ラマダンだったのだから、許してあげましょう。
↑ラマダン明けの夕食。1日絶食してこれじゃ、身体に悪いんでないの?
酔いを醒ますためにシャワーを浴び、2階の朝食会場に向かいます。
こちらには、浴衣やスリッパでの入場はダメですので、お気をつけください。
そんな格好をしてる田舎者は、さすがに一人もいませんでしたが。
↑『スーパーホテル東京・亀戸』の朝食会場です。
わたしが会場に行ったのは、7時前だと思いますが……。
けっこう、混んでました。
ま、座れないほどではありませんでしたが。
朝食の内容ですが……。
『ハイパーホテルズパサージュ』とは比べ物になりません。
↑『ハイパーホテルズパサージュ』の朝食。
まず、白いご飯自体がありません。
パンとオニギリです。
↑奥に見えるのもパンです。おにぎりの画像が見当たりません。おにぎりがあっただけでも、ラッキーだったのかも。
だからかもしれませんが、焼き海苔も納豆も生卵もありませんでした。
これで、朝食の楽しみが、あらかた消え去りました。
オカズも、2品しかありません。
ブロッコリーと肉を炒めたものと……。
スクランブルエッグだけです。
↑まさに、これでした。
あとは、サラダと味噌汁ですね。
「朝食無料」という設定は、こういう仕掛けなわけです。
↑こちらは、出雲のスーパーホテルです。
朝食で別料金を取って、こんなメニューを出したら、どんな投稿されるかわかりません。
朝食込みの料金設定にして、朝食はあくまでサービスですよということです。
6,100円ですから、文句も言いませんが。
しかし……。
オニギリの具も選べないのは、ちょっとねー。
入ってたのは、甘い味付けの漬け物みたいなやつでした。
種類があったら、ぜったいに選ばない具。
3個食べましたけど。
朝食を終え、部屋に戻ります。
食べ放題だと、どうしても食い意地が張り、ダメ押し的に詰め込んでしまいました。
ベッドに仰向いて休みます。
この日は、もちろんこのまま帰るわけではありません。
あるところを見学する予定。
昨年は、大宮の『鉄道博物館』でした。
2日目の見学は、この旅行のもうひとつの大目的です。
でも、早くから出る必要はありません。
この宿から、すぐ近くなんです。
開館は9時半なので、まだ間があります。
と言って、寝て過ごすわけにはいきません。
なぜなら、今日は土曜日。
投稿日だからです。
満腹のお腹をさすりながら起き上がり……。
ライティングデスクに向かいます。
デスクの穴からLANケーブルが出てて、無料でネットにつなげます。
↑『スーパーホテル東京・亀戸』では、充電用の端子は出てませんでした。
投稿は、何のトラブルもなく済みました。
前日の朝、予行演習した甲斐があったというもの。
思いのほか、投稿がスムーズに出来たので……。
テレビを見たりしながら、ウダウダ過ごします。
この朝も、最初、リモコンが反応しませんでした。
しばらくすると、使えるようになります。
どういうわけなんでしょう?
部屋のチェックをする人は、リモコンでテレビが点くかなんてことまでは見ないんでしょうね。
昨年かなり高かったスーパーホテルに対する好感度は、かなり下落しました。
さて、出発です。
昨日は、錦糸町駅に近いところでバスを降りましたが……。
ホテルの最寄り駅は、亀戸です。
亀戸天神のあるところ。
駅とは反対側になりますが。
↑藤の名所だそうです。
残念ながら、時期的には、藤は終わってたと思います。
でも、せっかく早く起きたんだから、行ってくればよかったな。
この日は、まっすぐ、JRの亀戸駅に向かいました。
↑上を向いて歩いてなかったので、こんな駅ビルだったとは気づきませんでした。
本日の行き先は、ここから総武線で2駅目。
隣が錦糸町なので、その次です。
すなわち、両国。
奇しくもこの日は、夏場所の14日目でした。
といっても、わたしの目指すのは、大相撲ではありませんが。
両国駅を降りて、歩き出します。
↑なかなか風情のある駅です。
通りには、さすが相撲の街らしいお店が並んでます。
↑「み」。夏場も、ちゃんこ屋なんでしょうか? とても食べる気になりませんが。
ほどなく、国技館前に到着。
テレビでよく見る幟旗が、5月の風にはためいてます。
↑「み」。
夏場所はいいですね。
中央に立つ塔は、火の見櫓ではありません。
ふれ太鼓を打つ櫓です。
なお、ふれ太鼓が聞ける時間は、朝8時からの30分。
わたしが行ったときは、残念ながら終わった後でした。
生の音の響きは、テレビで聞く音とは、ぜんぜん違うそうです。
1度ぜひ、聞いてみたいものです。
なお、当たり前な話ですが、本場所の開催期間中しか叩かれません。
さてさて。
両国には来ましたが、わたしの目的は相撲観戦ではありません。
14日目のチケットは、早々に完売してるようです。
↑昨年の秋場所の写真です。しかし……。「小人」が安すぎないか? なぜじゃ。
それでは、わたしの目的はと云うと……。
こちらです!
国技館の隣にあります。
『江戸東京博物館』。
↑「み」。左端に、お相撲さんが写ってるの、わかりますか?
実は、ここに来たのは初めてではありません。
2度目です。
前は、いつ来たのか覚えてません。
オープンは、1993年。
22年前。
思ったより古いですね。
いずれにしろ、このブログを始める前であることは確かです。
なぜ今回、もう1度ここを訪ねたかと云うと……。
ブログのコメントなどで、けっこう取り上げることが多かったからです。
前に来たときは、目的もなく、漫然と見てましたが……。
今回は、ちょっと真面目に見学しようかと。
わたしが着いたのは、ちょうど開館の直前。
9時半です。
チケット売り場は、2階のようです。
階段もありましたが、すぐ脇に動く歩道を見つけたので、話のタネにこちらに乗りました。
↑「み」。空いてるように見えますが、実際には何組もやり過ごし、人の写らないときに撮りました。
のんびりと登ります。
イラチな方にはお勧め出来ません。
もちろん歩けますが、立ち止まったままおしゃべりしてる外人さんなどもいます。
通路の片側を開けるという習慣が無いのでしょう……。
樽のようなおっかさんが並んでたりするので、とても追い越すことは出来ません。
さて、2階に上がると、屋外にチケット売り場があります。
↑「み」。
屋外と言っても、コンクリートの大屋根の下です。
行列はなく、すぐに買えました。
団体客は、事前にチケットを買ってあるんでしょうね。
料金は、600円です。
↑「み」。記念に持ち帰りました。当日に限って再入場出来ますので、2回に分けて見ることも出来ます。
これは、安いですよね。
1,500円くらいかなと思ってたので驚きました。
↑「み」。入口の威容。スター・ウォーズに出てくるロボット戦車のようです。中央下部に、人が写ってるのがわかりますか?
さて、入りましょう。
↑写真を撮り忘れました。拝借画像です。ロボット戦車の内懐にあります。SF映画のようなエスカレーターでした。
入るとすぐのところにある、日本橋。
↑「み」。
わくわくしますね。
入って、まず驚いたのが、外国人の多さです。
↑「み」。
たぶん、日本人と同じくらいいました。
ツアーのようです。
短パンにビーサンなどという人もいます。
旗を持ったガイドが付いて、説明してました。
もちろん英語なので、脇で聞いてても理解出来ませんが……。
武士の役職などについて解説してるようでした。
↑「み」。ひとつ前の写真の右奥に、旗を真上にあげたガイドさんが写ってます。
相当な知識が必要でしょうね。
これから東京オリンピックを控えて、彼女らは引っ張りだこなんじゃないでしょうか。
忙しいのはいいけど、大変そうですよね。
わたしには務まりそうもありません。
それ以前に、英語が出来ませんが。
さて、内部の見学です。
とにかく広く、展示品の規模、量、ともに半端ではありません。
↑「み」。フラッシュを焚かないようにしていたので、薄暗い写真ばっかりになりました。
3倍の1,800円くらいの入館価値があるんじゃないでしょうか。
あと、気づいたこと。
わたしは混むのがイヤで、開館と同時に入場しました。
でも、こういう考えの人は、けっこういるようで……。
開館直後は、混むみたいです。
↑これは、特別展の画像のようです。
最初ってのは、みんなスゴく丁寧に見るんですよね。
しかも、順路に沿って見学しますから、たちまち渋滞します。
なので、開館直後に入った場合は……。
江戸エリアはすっ飛ばして、明治以降の東京エリアを先に見た方がいいかもです。
たぶん、空いてるはずです。
で、見終わったら、江戸に回る。
そのころには、開館直後の渋滞も解消してるでしょう。
あと、もう1点。
これは、あまり知られてない情報のようですが……。
コインロッカーが、無料で使えます。
1階にもあるみたいですが、わたしは事前に調べた7階にしました。
↑展示場は、5,6階です。
ていうか、1階に預けるのを忘れたまま入館したわけですが。
わたしは、パソコンなどの詰まった大荷物を担いでます。
こんな格好で見て回るのは、楽ではありません。
開館直後に来た理由のひとつが、このコインロッカーが一杯になるのではないかと思ったのです。
でも、そんな心配はありませんでした。
7階は、図書などのライブラリーを閲覧できるエリアですが……。
ほとんど人がいません。
ロッカーもガラ空き。
↑『図書館利用者専用』とあるのが、コインロッカーです。図書館は利用しませんでしたが、咎められることはありませんでした。
穴場です。
↑7階には、食事処もあります。わたしが行ったのは開店前でしたので、フロアには誰もいませんでした。
てなわけで、リュックを預け、身軽になって、いざ見学。
最初は、渋滞の後ろに付いて見てましたが……。
なかなか列が進まないので、順路どおりに見るのは諦めました。
空いてるところに割りこみながら見学。
壁に掲示してある説明書きは、読むのを止めました。
あれを読みながら歩いてたら……。
間違いなく、1日仕事になります。
さて、見学を続けましょう。
↓江戸の朱引と墨引の地図もありました。
↑「み」。江戸の範囲を表すのが、朱引。その内側の墨引は、町奉行所支配の範囲です。
↓大名駕籠だそうです。
↑「み」。
この外には、レプリカの駕籠があり、中に入ることが出来ました。
外人さんが喜んで入って、写真を撮ってました。
わたしは、入っても誰も撮ってくれないので、止めておきました。
そして……。
今回の最大の目的物を発見!
↓これです!
↑「み」。
そう。
肥桶。
これを担ぐために来た、と言っても過言ではありません。
実際の重量が体験できます。
「重さ」を体験できるのが、この博物館のひとつのウリなんです。
さすがに、肥桶前に行列はありませんでした。
重さは、26㎏と書いてあります。
こちらを見ると、小学校3年生くらいの体重です。
このくらいの子供をおんぶするなら、さほどの重さじゃないはず。
さっそく、担いでみることに。
こんなことして腰でも痛めたら目も当てられないので、慎重に持ちあげます。
↑わたしではありません。
いやー、驚きました。
重すぎです。
背負うと担ぐじゃ大違い。
その場で持ちあげるくらいは、なんとかなりますが……。
これを持って歩くなんて、とうてい出来そうもありません。
しかも、こぼさないように歩くんですよね。
昔の画像を見ると、平坦な場所だけを歩いてるわけじゃなかったようです。
段々畑の上まで、運び上げてたようです。
これは、キツい労働ですよ。
間違いなく、身体を壊します。
さて、見学を続けましょう。
棟割長屋のセットに、人形が入ってます。
わたしの大好物の展示です。
↓こちらは、指物師の仕事場。
↑「み」。
指物師と云うのは、たんすや小箱など、板を差合せてつくる木工職人のことです。
彼らは『居職(いじょく)』と云って、自宅で仕事をしました。
↓こちらは、長屋でのお産の様子。
↑「み」。
奥にいるのが、お産をした女性です。
縄につかまったりして、座ったまま産んだようです。
当時は、子供を産んだ後、仰向けになると身体に悪いと信じられており……。
産後7日くらいは、この姿勢のまま過ごしたそうです。
そのため、身体を壊してしまう人もいたとか。
「産後の肥立ちが悪く」という原因には、こういうバカな風習があったせいもあるでしょう。
そして!
わたしが見たかったものがありました。
↓これです!
↑「み」。
そう。
長屋の共同トイレです。
上半分が開いてます。
男女別などはありません。
なんで、上に扉が無いんでしょうか。
ま、入ってるかどうか、すぐにわかるという利点はありますね。
でもやっぱり、臭いと夏の暑さじゃないでしょうかね。
閉めきったら、とてもじゃないけど籠もっていられないと思います。
なお、この下肥は、農家の人が買いに来ました。
買うと言っても、お金では無く、野菜とかの物々交換だったみたいですけど。
江戸の人は食べ物がいいから下肥もいいと、人気があったそうです。
長屋では、下肥の収入は大家さんの役得でした。
なお、江戸時代の大家さんというのは、長屋の持ち主のことではありません。
持ち主は、家主と云い、別にいます。
大家さんは、家主に雇われて、長屋の管理をしてる人です。
今で云えば、マンションの管理人みたいなものです。
しかし、昔の農家の人は、どれだけ体力があったんでしょうね。
もちろん、肥たごを担いで、自分の村までは帰らないでしょう。
たぶん、船か荷車で来てるんだと思います。
でも、長屋の路地から水路や通りまでは、担いで歩くしかないですよね。
ま、こんな労働をしてたら、長生きのしようがありませんわな。
↓食べ物は、こんなもの。
↑「み」。
これは、武家の御膳でしょうかね。
説明書きを読んでないので、さっぱりわかりません。
お百姓さんなら、菜っ葉とかありそうですよね。
現在、粗食がもてはやされてるようですが……。
あくまでも、飽食と対峙させてのことでしょう。
本当の粗食では、栄養不足は否めません。
先日、CMで見ましたが……。
80歳でエベレストに登頂した三浦雄一郎さんは、今でも、800gのステーキを食べるそうです。
↑800gは、厚みが違います。見ただけで具合悪くなりそうです。
↓こちらは、二八そばの屋台です。
↑「み」。
この屋台は、実際に担げませんでしたが……。
楽な商売で無いことは、見ただけでわかります。
牛車は、平安時代からありますから……。
↑『平治物語絵巻』。
車輪というものは、日本にも古くから存在したわけです。
どうして、車輪を付けて引いていこうという発想に至らなかったんでしょうね。
肥たごだと、サスペンションの無い車輪では、そこらに撒き散らしてしまいそうですが……。
ほかの売り物は、担ぐより、よっぽど積めるし、楽だったでしょうに。
何か、禁制でもあったんでしょうかね。
↓こちらは、棒手振りの魚屋。
↑「み」。
これは、担げました。
重かったです。
↑江戸の魚屋。格好いいですね。左の籠に蓋みたいになってるのは、まな板でしょうか。
売れ残った帰りは、天秤棒が肩に食いねんだでしょうね。
魚は、自分で買って仕入れるんでしょうから。
売れ残ったら、家で食べるしかありません。
食べきれないほど残ったら……。
冷蔵することが出来ませんから、配るか捨てるしかないですね。
辛い商売です。
↓こちらは、千両箱。
↑「み」。
これも、持ち上げられます。
案外軽いなと思いましたが、それは、その場で持ち上げただけだからでしょう。
担いで逃げるとなると大変です。
あ、逃げなきゃならんのは、泥棒だけか。
↓こちらは、両国橋の模型。
↑「み」。
上の映像は、模型の人形をアップにしたものです。
人形一体一体が、アップに耐えられるほど精巧に造られてます。
両国は、当時、最大の繁華街。
↓橋の袂には、見世物小屋などが並びました。
↑「み」。
橋の袂は、火除地として広場になってるんです。
↑『ブラタモリ』の映像のようです。
橋は木製ですから……。
火除地が無いと、火が橋を渡って、川向うに飛び火してしまうからです。
でも、火除地に見世物小屋みたいなのがびっしり建ってしまったら、火除けにならんじゃないかと思われますが……。
もちろん、ちゃんとした建物は建てられません。
すべて、掘っ立て小屋です。
火事のときは、火消しが片っ端から引き壊したんだと思います。
江戸時代の消火活動というのは、水を掛けることではありません。
水の供給が追いつかないし、放水装置もお粗末なので、火が大きくなってからでは、水は役に立ちません。
どうするのかと云うと、火を止めると決めた位置の建物を、片っ端から破壊するんです。
↑町火消しが使った、“鳶口”。
火の“エサ”である建物の方を無くしてしまうわけです。
↑“破壊消防”と云います。
どこで止めるかという判断をするのが、火消しの頭の重大な役目です。
止めると決めたラインの屋根には、纏持ちが上がり、纏を振って鳶たちに位置を知らせます。
↑『消防博物館』のジオラマ。東京消防庁の施設です。四谷にあります。ここも行ってみたい。
これは、“火はここで止める”という、火消し組の宣言でもあるのです。
↑われらが『み組』(画:歌川芳虎)。
もし、頭の判断が間違ってて、炎が纏持ちを襲っても……。
纏持ちは決して逃げず、その場で焼け死んだそうです。
なので、纏持ちは、江戸の町人たちに非常に尊敬されたんですね。
もちろん、判断を下す頭の責務が重大であることは、云うまでもありません。
↓この纏も持ちあげられました。
↑「み」。
とにかく、重くてたまげました。
わたしなら、1分も振れないでしょう。
纏持ちは、そうとうなマッチョじゃないと務まらないと思います。
さて、江戸エリアはこのくらいで。
『江戸東京博物館』という名称からもわかるとおり、展示は、江戸ゾーンと東京ゾーンに分かれてます。
で、わたしは、正直、東京ゾーンの方が面白かったです。