2016.8.23(火)
「ところでな、小まめ」
京都祇園の置き屋の女将、辰巳としは、所属の舞妓、小まめの志摩子に声を掛けた。
「へえ、おかあ(母)はん」
「こんばん(今晩)のお座敷やけんど」
「へえ。そこの鏑屋(かぶらや)はんの……濱田の旦さんのお座敷どしたなあ」
「いや、それやねんけどな。急に別のお座敷、入ってな。嵯峨野まで行(い)てもらうことん(に)なった」
道代の方が先に声を上げた。
「嵯峨野て……ほないな遠くまでどすか、おかあ(母)はん」
「せや。遠いゆ(言)うても、去年の、あんときの貴船よりゃ、まだ近いがな」
志摩子が話を引き取った。
「ほらほうどすやろけんど……今夜の、濱田の旦さんはどないしはりますのん」
「ほ(そ)れはうちから連絡しとくがね。あんお人のこっちゃ。『急に都合、悪なりまして』ゆうても、なんぼでも堪忍してくらはりますがね」
道代と志摩子は、同時に同じ言葉を返した。
「ほら、ほうどすやろけんど……」
志摩子が言葉を継いだ。
「うち……あんお方のお座敷、ゆっくりでけますよって、ほんまにありがたいお座敷なんどすけどなあ」
道代が同調した。
「そないですなあ、姐さん。なあんも気づかいしはらんでよろしおますからなあ」
辰巳としは、二人をたしなめるように、少し言葉を強くした。
「何、ゆ(言)うといやすな。芸妓・舞妓にとって、お座敷は仕事場。男はんでゆうたらいわば戦場どっせ。そないお気楽なことゆうとって、どないしはりますのん」
「そらあ、そうどすけんど……」
志摩子は、それ以上の言葉が出ない。
道代が問いかけた。
「ほれでおかあ(母)はん。ほの、嵯峨野て……どなたはんのお座敷ですのん」
としは、一呼吸おいて答えた。
「西陣の……相馬の旦さんや」
「えええー」
道代と志摩子は、同時に声を上げた。志摩子のそれは、半ば悲鳴のようであった。
「なんやいな。二人そろて、ほないな大声……」
「せやかて、おかあ(母)はん……」
志摩子の言葉は、今度もはっきりしない。
道代が抗議した。
「おかあ(母)はん。ずっと前、ほれ、貴船に呼ばれたとき。あの、遭難しかけたときですがね。あんときが相馬の旦さんのお座敷でしたやろ。あん(あの)あと、お願いしましたやん。もう、あの旦さんのお座敷は堪忍しとくれやす、て」
「道。あないな遭難騒ぎ、そないたんびに(度々、毎回)あるかいな。ほれに嵯峨野は山ん中ゆ(云)うわけやなし」
道代は珍しく頑強だった。
「いや、せやのうて(そうではなくて)おかあ(母)はん。小まめ姐さんは、相馬の旦さんそのものを堪忍しとくれやす、ゆ(言)うてはるんどす」
「相馬はんの何があかんの。別に、お座敷でてんご(悪戯、悪さ)しはったとかゆ(云)うわけやないんやろ」
「それはそうですけど……」
道代は、一年前の冬の貴船山中でのことを鮮明に思い出していた。その直前の相馬禮次郎の座敷のことも。そして、あの折に志摩子が漏らした言葉……。
「あのお方の目つきはそないな可愛いもんやなかった。何ちゅうか、裸に剥く、通り越して、腸(はらわた)の奥まで覗かれてるような……」
「ほんまに気色(きしょく)の悪い。いっそはっきり、押し倒されでもした方がまだましやわ」
「あのお方」とは、相馬禮次郎のことである。続けて志摩子はこうも言った。
「もう、あん(あの)お方の座敷は、金輪際ごめん(御免)や。覚えときや、道」
それに対し、道代は、
「へえ……」
と返すだけであった。
志摩子の、相馬禮次郎への感覚は、単に好き嫌いとか、虫が好かないとかを通り越して、どこか生理的に受け付けないものがあるようであった。
道代は、志摩子のその感覚を自らのもののように感じ取っていた。道代は、全く珍しいことに、なおも頑強に言い募った。
「ほれでも。ほれでもおかあ(母)はん。小まめ姐さんはあきまへんねん、相馬の旦さんのこと」
「道。あんたなあ」
辰巳としの言葉には、苛立ちが加わった。たかが付き人風情が何を……という思いであったろうか。しかし、普段、言葉を返す事など全くない道代の、このしぶとい反発には、少したじろぐ色も見えた。
普段は、大人しく従順な子犬。どこにいるのかわからないような日陰の子ネズミ。
そのような道代に、ふいに引っかかれたような、手を噛まれたような……。
窮鼠猫を噛む。
そのような思いに、よけいに苛立ちを助長されたのだろうか。辰巳としの声が少し大きく、甲高くなった。
「ええかげんにしいや。相馬の旦さんのお座敷を断れるわけないんやで。ええか、小まめ。道もよう聞き(よく聞きなさい)。相馬の旦さんはなあ、小まめ。あんたにとってはほんまの旦さんなんやで」
「ホンマの……旦さん……」
つぶやきのような、問いかけのような小まめの言葉には、すべてが呑み込めた、という含みが見られた。そこには、自分の人生のこれまでと、今後の行く末がすべて見通せた、という達観めいた色合いもあった。
旦那である、ということは祇園の舞妓、小まめに必要なすべての掛かり(費用)の面倒を見る、ということである。またそれは、小まめの志摩子の人生はすべて相馬禮次郎のものである、ということも意味していた。
そういうことへの感慨をすべて飲み込み、かろうじて押し出した志摩子の言葉であった
道代には、そのような小まめの志摩子の心中が、手に取るように、我が事のように感じられた。
「姐さん……」
志摩子と道代は、共にそれぞれの一言を最後に、固く口を噤んだ。それ以上、何の言葉も出ない二人であった。
辰巳としも押し黙る。
部屋は静まり返ったが、戸外からの物音も聞こえてこなかった。
「ほな、支度しよし(しなさい)。でけたら声掛け(掛けなさい)。車、呼ぶよってな」
しばらくして辰巳としが声を掛けた。ことさら声を上げることもなく、いつもの、淡々とした声音だった。
志摩子が返答した。
「おかあ(母)はん。車は結構どすえ。電車で行きますよってに」
「なに、ゆ(言)うといやすの。あんた、舞妓姿で電車てなこと……」
「たまにはよろしいやん、電車も。ちょっとした息抜きになりますやろ」
「せやかてあんた……。目立ちまっせ。じろじろ見られまっせ」
「よろしいやん。人様に見られんのん、うちらの仕事みたいなもんですやん」
「そないなことゆ(言)うて、あんた……」
辰巳としは、助けを求めるように、道代に目を遣った。
道代は、いつものように目を伏せ、志摩子の傍らにひっそりと控えているだけであった。
コメント一覧
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1. 電車が好きっHQ- 2016/08/23 08:56
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前回(#161)では……
随分と和やかな雰囲気だった、道代・小まめコンビと、おかあ(母)はんの辰巳とし。今回は一転、何やら不穏な状況になってきました。
その原因は、これまでちらほら話題に上っていた「相馬の旦さん」。西陣の織物商、相馬禮次郎その人です。
この人物が「志摩子の恨み」につながるわけですが、そのあたりが明かされるのは、もう少し先になります。
それにしても、祇園から嵯峨野へ、電車で行こうという小まめの志摩子。一般人?ならいざ知らず、舞妓はんが電車て……大丈夫かなあ。
まあ、このあたりの志摩子の心中は、次回で語らせていただきます。どの電車に乗せるかも、現在検討中(まだ考えとらんのかい!)。
いずれにしましても、にわかに緊迫する“志摩子昔語り”。次回以降を乞う、ご期待。
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2. Mikiko- 2016/08/23 19:43
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祇園から嵯峨野
関西以外の人には、距離感がわかりにくいですよね。
けっこう乗り換えは多そうですが、時間的にはさほどではないのでは、
でも、舞妓の格好で電車の乗り換えは難儀でしょう。
今だったら、行く先々で観光客に記念撮影をせがまれて大変ですよね。
チャリってのは、どうでしょう?
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3. 京都市交通局HQ- 2016/08/23 21:55
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祇園から嵯峨野まで
直線距離で10㎞ほどです。
歩いて3時間。
自転車だと……まあ、各種データはあるようですが、時速15㎞としますと、40分程度。
わたしなら電車ですね。
電車でのルートは色々考えられますが、これは次回のお楽しみ。
まあしかし、電車に乗る舞妓は……テレビのロケでもない限り、無いでしょうね。
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4. Mikiko- 2016/08/24 07:24
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お座敷
舞妓が出向くのは、祇園あたりの料亭だけかと思ってましたが……。
遠出することもあるわけですね。
置屋は、送迎しないんですね。
それじゃ、デリヘルだわな。
やっぱり、ハイヤーですか。
でも、あの帯では、背中をシートに預けるわけにもいかないですから、大変でしょうね。
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5. 思い付きハーレクイン- 2016/08/24 12:30
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>遠出することもある
と、思います。
……さうでござるかしかとはぞんぜぬ(何を言っておる)
そんなこともあるかなあ、で書かせていただいております(テキトーな奴)。
まあ、お話ですから。
いいじゃないの、楽しければ。
(佐良直美『いいじゃないの幸せならば)
>あの帯では、背中をシートに預けるわけにもいかない
ああ、これは気付きませんでした。
確かに……。
ですがそうなると、電車の座席も同じですよね。
大変だなあ、舞妓はん。
ですがですが、よく考えたら、和装の女性って皆、同じですよね。
ご苦労様です。
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6. Mikiko- 2016/08/24 19:46
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川床へは……
呼ばれたでしょうね。
鴨川ならすぐ近くですが……。
貴船は、どうですかね?
でも舞妓なら、鴨川より貴船の方に行きたがったと思います。
鴨川は、暑すぎるでしょうから。
電車なら、立って行けばいいだけです。
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7. ♪夏は河原のHQ- 2016/08/24 23:13
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↑夕涼み(『祇園小唄』)
>鴨川は、暑すぎる
お、ようお分かりで。
舞妓はんが最も嫌うお座敷が、夏の鴨川の床だそうです。
鬘、被ってんのにクーラーはない、扇風機もない。蚊はわんさと来る。
風は、そよとも吹けへん。
「もう、堪忍しとくれやす、旦さん」
>鴨川より貴船
ほのとおりどすえ。
貴船は夏。
貴船にも川床がおますけんど、ここの涼しさは鴨川の比やおへん。ぜひいっぺん、おこしやす。
ほのかわり、冬の貴船はほんまにさぶうおす。堪忍しとくなはれ。
ほないなとこに呼ばはる相馬の旦さん。
ほんまに、いけずなお方どすわ。
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8. Mikiko- 2016/08/25 07:24
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舞妓さんに川床が不評だと云うのは……
わたしが伝えた情報ではなかったけ?
クーラーのない昔だったら、屋内の座敷はもっと暑くて……。
川床の方が、まだマシだったんでしょうね。
貴船は、嵯峨野と違うんでないの?
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9. 京都市観光課HQ- 2016/08/25 08:48
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↑これ、以前にやったかなあ
不評川床
お、そうでしたかいな。
近頃、どうも物忘れが……。
貴船と嵯峨野
もちろん、ぜんぜんちゃうとこです。
ははあ、また読み飛ばしおったな。
嵯峨野は今回、貴船は一年前のお座敷どすう(小まめ)。
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10. Mikiko- 2016/08/25 20:04
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ははぁ
あのハイヤーの場面は、相馬の旦さんのお座敷どしたか。
でも、何でぜんぜん違うところで、席を設けるんですかね。
舞妓を呼ぶということは、もてなす側ですよね。
当然、馴染みの料亭になります。
貴船にも嵯峨野にも、ホームグラウンドがあるということですか。
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11. ハーレクインの旦さん- 2016/08/25 21:22
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嵯峨野にも、ホームグラウンド
そのあたり、次回以降で明らかになります。
貴船は、馴染みの料亭ですが、嵯峨野は……。
乞う、ご期待!
>ハイヤーの場面は、相馬の旦さんのお座敷どしたか
そのあたり、ちゃんと書いておるぞ(『アイリス』#149)。
きちんと読むように。











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