2016.8.16(火)
京に日々生きる人々を体の芯から、心の底から凍らせるような冬。その冬の間中、京の町中を絶え間なく吹き過ぎる比叡颪(おろし)や北山颪がようやく穏やかになって来た。
京の冬がようやく緩み、花の季節が来た。祇園にとっては都をどりの季節だ。しかし祭りはすぐに終わり、花も愛でる間もなく散る。
浮き立つような春はすぐに過ぎ、あつい暑い夏が京に来た。祇園祭と五山の送り火、京の町が最もにぎわう季節だ。だが、祭りはすぐに終わる。
京に秋風が立った。季節の移りを人に実感させながら吹く涼風は、すぐに冷え込んできた。
もう早や、比叡颪(おろし)の吹き過ぎる季節になった。寒風に縮こまる京の都。
貴船山中の一件以来、一年が経った。
道代と、小まめの志摩子は、それぞれ一つ歳を取っていた。
無我夢中で過ごしたこの一年だった。
夢のように過ぎ去った一年だった。
この一年、小まめの志摩子は、どれほどのお座敷を務めたのだろう。志摩子に声が掛からない日は一日としてなかった。もちろん、置き屋にも定められた定休日というのはある。しかし「そこをなんとか」と、無理を承知の座敷の依頼が絶えないのだ。
置き屋の女将辰巳としは、極力断ろうとした。志摩子の体のこともそうだが、忙しさの中に芸が荒れるのも気にかかるところだった。しかし、小まめの志摩子は気に掛けなかった。
「大丈夫どすえ、おかあ(母)はん。いかしてもらいますう」と、声のかかるすべての座敷に志摩子は出かけていった。まったく休みを取ろうとしない志摩子だった。何かにとり憑かれたように、連日、座敷を務める志摩子だった。それでいて、としの案ずる「芸が荒れる」ようなことは、気配もなかった。小まめの志摩子の艶やかな立ち居振る舞い、その芸はますます磨きがかかるようであった。小まめの名は、いまや祇園随一、と謳われるほどになっていた。
せわしなく、京の町中を駆け回るような日常の志摩子。その志摩子の傍らには、変わることなく、常に道代がいた。
「小まめを守る」
その言葉一つを、呪文のように胸中に収め、小まめの後ろを一歩遅れてついてゆく。それは道代にとって、もはや働きや、義務や、使命などという言葉を遠く超越していた。それは、もはや道代そのものになっていた。
「小まめを守る」
それはもはや道代にとっては言葉ですらなかった。それは、道代そのものとしか言いようのないものであった。
せわしげに、連日連夜、まさに京都中を駆け回る小まめの志摩子と道代。それは今は、祇園名物と云えるほどのものになっていた。
馴染みの旦那連中ならともかく、小まめを座敷に呼ぶことは、今や至難の業、とも云えるほどになっていた。
京の町がまた雪になった。
その日の昼過ぎ、小まめの志摩子と道代は、所属する置屋の女将、辰巳としの部屋に呼ばれた。その日は珍しく小まめのお座敷は少なかった。夕刻過ぎに一軒、置き屋にほど近い馴染みの料亭の、これも馴染みの旦那のお座敷だけであった。
久方ぶりにのんびりと部屋で過ごし、窓外の雪景色を眺める志摩子に、女将からの呼び出しがあった。立ち上がり、部屋を出た志摩子は、廊下で道代に出くわした。
「姐さん」
「なんや道。ひょっとして、あんたも呼ばれたんか」
「へえ、女将はんとこにすぐ来い、て……」
「なんやろなあ、今頃。特に用事て、あんのかいなあ」
「姐さん……」
「なんえ、道」
「ひょっとして、衿替えのお話やないですやろか」
「衿替え、なあ」
「姐さんも、そろそろですやないやろか、思いまして」
衿替え、とは、字義通りであると舞妓が半衿をこれまでの赤から白いものに取り替えることである。が、それはまた舞妓が芸妓になることも意味する。
舞妓には、いわゆる給金というものはないが、芸妓にはある。さらにさまざまな祝儀なども入るようになる。つまり、これまで衣食住の全てを所属の置き屋に見てもらっていた舞妓が、経済的に独立する、ということでもあるのだ。
衿替えを終えた舞妓は、晴れて芸妓になり、これまでの置き屋を出て独立することになるのだ。
衿替えにおいては、様々な披露目の儀式が行われる。それにともなって、衿替えには莫大な費用が掛かる。舞妓自身はもちろん、所属の置き屋にも到底可能な金額ではない。
この費用を引き受け、衿替えの一切の面倒を見るのが旦那である。当然のことであるが、いわゆるお大尽と呼ばれるような、裕福な商家の主人あたりでないと、衿替えの面倒など見られるものではない。この旦那を見つけることも、置き屋の女将の才覚であった。
道代と、小まめの志摩子は、何となく浮き立つような思いで連れ立ち、女将の部屋前に立った。廊下に並んで膝を突き、室内に声を掛ける。
「おかあ(母)はん、参りました。志摩子どすう」
「道代です」
室内からはすぐに返答があった。
「お入り」
道代が襖の引手に手を伸ばした。襖を滑らせる。
開いた隙間を通り志摩子が、続いて道代が入室した。
道代が襖を閉じる。
閉じた襖を背に、二人は並んで室内に向き直った。正座のまま、両手を畳に突き、二人同時に頭を下げた。
「へえ」
「へえ、おかあ(母)はん」
女将の辰巳としは、その二人の頭上に声を掛けた。
「顔、上げ」
道代と志摩子は、同時に顔を上げ、女将を見詰めた。
「二人、一緒やったか」
「へえ」
「相変わらず、仲のええこっちゃ」
「へえ……」
「どないえ、この頃は」
一呼吸おいて、志摩子が答えた。
「へえ。ちゃんとやらせてもろてます」
「ほほ、ほら結構なこっちゃ」
「へえ」
「道……」
女将の辰巳としは、志摩子の付き人、道代にも声を掛けた。
「へえ……」
「あんたも、いっつもご苦労なこっちゃの」
めったに受けないねぎらいの言葉に、道代はどぎまぎした。上げていた顔を俯かせ、絞り出すように返事をした。
「と、とんでもおへん……」
辰巳としは、一呼吸置いた。
改めて、小まめの志摩子に声を掛ける。
「小まめ……」
「へえ、おかあ(母)はん」
「来てもろたんはほかでもない、衿替えの話や」
「衿替え……」
道代と志摩子は、思わず顔を見合わせた。先ほど、廊下を歩きながら交わした話が、現実のことになったのだ。
自分から言い出した話でありながら、道代の全身の血が沸き立った。
(衿替え)
(衿替えや)
(志摩ちゃんの)
(小まめ姐さんの)
(衿替えや)
(えらいこっちゃ)
道代と志摩子は、思わず抱き合っていた。
道代は、両腕で志摩子を抱え込み、その手で志摩子の背を何度も軽くたたいた。
「姐さん」
「道」
「よろしおしたなあ、姐さん」
「道ぃ」
置き屋の女将、辰巳としは、苦笑交じりに声を掛けた。
「これ、小娘どうしゆうわけやなし。何を※ほたえとるんや」
※ほたえる:ふざける、おどける
珍しく、道代が声を返した。
「すんまへん。しやけどおかあ(母)はん、こないおめでたい事……」
「まあ、あんたの気持ちも、わからいでもないがな」
道代と志摩子、女将のとし。三人の和やかな笑い声が室内に広がった。
コメント一覧
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1. 京都市観光課HQ- 2016/08/16 10:25
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道代と小まめ
もともと、ほんのちょっとしたエピソードのはずが長くなっております、小まめの志摩子の昔語り。
始まったのが#143ですから、今回で19回を重ねたことになります。
ところが、このエピソードを始めたそもそもの目的は「殺したいほどのあやめへの恨み」これを明かすことでした。誰の恨みって、もちろん小まめの志摩子、「花よ志」の女将、竹田志摩子その人です。
ということで、次回以降、いよいよこの「恨み」の正体が判明していくことになりますが、まだしばらくはかかりそうです。新登場人物も登場します(かぶっとるぞ)。気長にお付き合いください。
場面は貴船山中からいったん祇園に戻ったところ。次は祇園に勝るとも劣らぬ京の名所「嵯峨野」に移ります。
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2. Mikiko- 2016/08/16 19:58
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新登場人物
相馬の旦さん以外でですか?
散らかるばっかりですがな。
人のことは言えませんが。
自然に書いてると、どうしても散らかります。
収斂させるには、意志の力が必要になります。
と言いつつ、そそくさと退場。
嵯峨野。
たぶん、修学旅行で行ったと思います。
旅行の前後は、京都にハマってましたね。
寝ても覚めても京都でした。
川端康成の『古都』を、舐めるように読んでました。
確か、沢口靖子で映画化されたんじゃないでしょうか。
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3. 左大文字ハーレクイン- 2016/08/17 02:06
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↑あやめと久美の想い出の山
以外で、です
新登場人物。
ちゃんと先の見通しを立てて書いてます(ホンマかーい)から、「散らかる」心配はありません。
この機会に、スマートな「片づけ方」を伝授させていただきましょう。
>京都にハマって……
「なんやと。聞きはじめやど、そんなん(相良直)」
「ほらほやろ。儂かて言いはじめや(野田太郎)」
『古都』は何度も映像化されてるからなあ、で調べました。
沢口靖子はテレビドラマですね。1988年(昭和63年)関西テレビ。このとき沢口は22歳でした。若い!
映画化は過去に2度。
1963年(昭和38年)松竹。主演、岩下志麻。
1980年(昭和55年)東宝。主演、山口百恵。
さらに、松雪泰子主演版が、今年2016年12月に公開されるそうです。ただ、これは原作をかなりいじくっているようです。わたしは見ない、かな。
『古都』の主人公は京の呉服商の娘ですが、明子とは全然似てませんね。
しかし、京都ものって、誰が書いても名所旧跡案内みたくなっちゃうんだよなあ(川端センセと一緒にするでないわ)。
『古都』って、谷崎の『細雪』とどこか似てると思いません?
まあ、舞台は京都vs.大阪・神戸ですし(あわせて京阪神)、二人姉妹vs.四人姉妹ですし、雰囲気は全然違うんですけどね。
作者も違うし(あたりまえ~)。
そういえば、今日(あ、もう昨日か)は八月十六日。五山の送り火、いわゆる大文字焼きの夜でした。雨模様だったんで心配されましたが、無事に行われたようです。
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4. Mikiko- 2016/08/17 07:33
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スマートな「片づけ方」
お手並み拝見といきましょう。
沢口靖子は、テレビでしたか。
双子の2役になりますから、主演女優がすべてと云っていいドラマです。
『細雪』。
これは、失業中に読んだ覚えがあります。
現実逃避には、最高の小説です。
関西弁に、どっぷりとハマりました。
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5. 毛並み悪しHQ- 2016/08/17 12:03
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片づけるのは……
かなり先の話になります。
誰が何をどう「片づける」のかは、お楽しみ。
ドラマにもなりました『細雪』
ひょっとして映画の方だったかもしれませんが(調べましたら、1983年の東宝映画でした)……岸部一徳が病で苦しむ(結局死ぬんだったかなあ)シーンが印象的です。
小説では、ラストで上京する三女雪子が、夜行列車の車中で下痢に悩むシーンをよく覚えています。
どちらも、人間的なところがよろしい。
「芸者が京紅着けたら、唇を唾液(つばき)で濡らさんようにいつも気イ付けるねんて。物食べる時かて、唇に触らんように箸で口の真ん中へ持って行かんならんよってに、舞妓の時分から高野豆腐で食べ方の稽古するねん。何でか云うたら……」(四女妙子のセリフ)
ホンマかいな、ですが、いかにも、ではあります。
志摩子も大変やなあ(と、事あるごとの番宣)。
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6. Mikiko- 2016/08/17 19:48
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かなり先なら……
片付かないということではないか。
岸部一徳のシーンは、わたしも覚えてます。
布団の中で仰向いたまま、「痛い、痛い」と呻き続けるのが印象的でした。
破傷風じゃなかったですか?
昔の口紅は毒(水銀?)だったから、口に入らないように気をつけたのでは?
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7. 毒消しゃハーレクイン- 2016/08/17 21:57
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↑いらんかね~
かなり先だから……
いずれ片付く、ということです。
岸部一徳破傷風
ピンポーン、大当たりのようです。
そんなに痛いんですかね、破傷風。
まあ、字面は痛そうですが。
口紅もそうですが、白粉も毒だったそうです。こちらは鉛。
芸・舞妓はんも命懸けですな。
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8. Mikiko- 2016/08/18 07:27
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破傷風の恐ろしいところは……
毒が、脳には作用しないことだそうです。
つまり、意識の混濁が無いんです。
死ぬ瞬間まで、鮮明な意識の中で苦しみ続けなければなりません。
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9. 岸部一徳ハーレクイン- 2016/08/18 17:16
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>死ぬ瞬間まで……
もう、拷問ですね。
そうだ、縛ったりどついたりじゃなく、「破傷風菌を注射するぞ」と注射器を突きつけて脅す、というのはどうでしょう。スマートな拷問方だと思いますが。