2016.8.13(土)
わたしが最初に歩いたのは、『西ゾーン』という区画です。
これまで紹介したほかにも、建物はたくさんあります。
それらの建物に入らなかったのか……。
入ったけど写真を撮らなかったのか、今となっては定かでありません。
ひととおり、拝借写真とパンフレットの説明書きでご紹介します。
『三井八郎右衛門邸』。
↑画面左の木は梅のようです。建物の全貌を見たい方は、落葉時に来られるといいですね。
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港区西麻布に1952(昭和27)年に建てられた邸宅です。
客間と食堂部分は、1897(明治30)年頃京都に建てられ、戦後港区に移築されたものです。
また、蔵は1874(明治7)年の建築当初の土蔵に復元しました。
【港区西麻布三丁目/主屋:1952(昭和27)年 土蔵:1874(明治7)年】
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移築というのは、解体して運んだんでしょうね。
まさか、京都から東京まで曳家はできんわな。
『奄美の高倉』。
↑こんなの、あったかのぅ? 夏場は、茂る緑に隠れてしまうのかも?
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奄美大島にあった高床式の倉庫です。
湿気や鼠の害から穀物を守るために、建物本体を地面から高くあげています。
このような高床式の建物は、東京都の八丈島などにも見られます。
【鹿児島県大島郡宇検村/江戸時代末期頃(※小金井市指定有形文化財)】
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ということは、屋根に見える部分の内部が倉庫ということですね。
柱の建つ土間では、鼠番の猫が昼寝をしてたんでしょう。
涼しそうですよね。
『田園調布の家(大川邸)』。
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1925(大正14)年、郊外住宅地の一つである大田区田園調布に建てられた住宅です。
居間を中心に食堂・寝室・書斎が配置されています。
また、当時としては珍しく全室洋間となっています。
【大田区田園調布四丁目/1925(大正14)年】
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田園調布のお宅ですが、なんだか別荘みたいですね。
四丁目というのは、駅前の放射状の区画からは外れた、多摩川に近いエリアです。
しかし、全室洋間というのが、なんともはやです。
「宅には和室なんか無いんざます」ってことですかね。
この建物も、見た記憶がありません。
これまで紹介したほかにも、建物はたくさんあります。
それらの建物に入らなかったのか……。
入ったけど写真を撮らなかったのか、今となっては定かでありません。
ひととおり、拝借写真とパンフレットの説明書きでご紹介します。
『三井八郎右衛門邸』。
↑画面左の木は梅のようです。建物の全貌を見たい方は、落葉時に来られるといいですね。
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港区西麻布に1952(昭和27)年に建てられた邸宅です。
客間と食堂部分は、1897(明治30)年頃京都に建てられ、戦後港区に移築されたものです。
また、蔵は1874(明治7)年の建築当初の土蔵に復元しました。
【港区西麻布三丁目/主屋:1952(昭和27)年 土蔵:1874(明治7)年】
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移築というのは、解体して運んだんでしょうね。
まさか、京都から東京まで曳家はできんわな。
『奄美の高倉』。
↑こんなの、あったかのぅ? 夏場は、茂る緑に隠れてしまうのかも?
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奄美大島にあった高床式の倉庫です。
湿気や鼠の害から穀物を守るために、建物本体を地面から高くあげています。
このような高床式の建物は、東京都の八丈島などにも見られます。
【鹿児島県大島郡宇検村/江戸時代末期頃(※小金井市指定有形文化財)】
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ということは、屋根に見える部分の内部が倉庫ということですね。
柱の建つ土間では、鼠番の猫が昼寝をしてたんでしょう。
涼しそうですよね。
『田園調布の家(大川邸)』。
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1925(大正14)年、郊外住宅地の一つである大田区田園調布に建てられた住宅です。
居間を中心に食堂・寝室・書斎が配置されています。
また、当時としては珍しく全室洋間となっています。
【大田区田園調布四丁目/1925(大正14)年】
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田園調布のお宅ですが、なんだか別荘みたいですね。
四丁目というのは、駅前の放射状の区画からは外れた、多摩川に近いエリアです。
しかし、全室洋間というのが、なんともはやです。
「宅には和室なんか無いんざます」ってことですかね。
この建物も、見た記憶がありません。
コメント一覧
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1. (^^♪むかし昔HQ- 2016/08/13 11:15
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>今となっては定かでは……
夢でも見ていたのだろうか。
夢のような出来事。
などと書きますと美しい光景ですが……あまりの景色の多様さに圧倒され、ぼーっとしていた、ということでしょうか。
♪絵にも描けない美しさ
それじゃ、浦島太郎だよ。
京都から東京に移築
なんでまたわざわざ。
何でもかんでも東京にもっていくのはやめてくれよ。
ほんまに、ようない(良くない)風潮や。
これじゃあ、平安神宮や京都御所も危ないかもしれんぞ。
奄美の高倉
高床式って……床なんかないじゃん。
柱と屋根だけじゃんか。
と思ったら……、
「屋根に見える部分の内部が倉庫」
ふうん。
雨漏りは、大丈夫なのかね。
田園調布の大川邸
「田園調布に家が建つ」というやつだな。
誰のギャグだったかなあ、と調べましたら「星セント・ルイス」
あまり良く覚えていない。
「キャッシュカードに残はない」も、このコンビのギャグだそうです。
ちょっと懐かしいですが、このコンビ、2003年に解散しちゃいました。今どうしてるんだろうね。
で、全室洋間の大川邸
女中部屋は和室だと思いますが、どうでしょう。
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2. Mikiko- 2016/08/13 12:05
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奄美の高倉
一番心配なのは、湿気ですよね。
ひょっとしたら、柱に囲まれた床で、ときどき火を焚いたんじゃないでしょうか?
大川邸。
↓平面図がありました。
http://sumai01.hatenablog.com/entry/2014/02/20/150213
女中部屋に、畳は描いてありません。
けっこう広そうですね。
窓際にベッドが置けたんじゃないですか?
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3. 豪邸住まいHQ- 2016/08/13 14:59
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湿気対策に火を焚く
なるほど。
上の部屋にいる人は、文字通り「尻に火が着く」
広い女中部屋
「トイレの長さが1.5間」とありましたから、長手方向に3間。
10畳間くらいあったと見えます。
女中部屋なんてせいぜい3畳間でしょう。
いやあ、すごい。
庭男に雇ってもらえんかのう。
で、エマニエル、やったりして。
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4. Mikiko- 2016/08/13 18:20
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上の部屋は……
倉庫ではないか。
なんで人がいるんです?
あ、中に籠もって、なさってる男女がいるわけか。
下から火を焚かれたら魂消るわな。
広い女中部屋。
ひょっとしたら、行儀見習いとして、親戚の子なんかを預かったのかもね。
春の優勝校、智辯学園、敗れました。
明日はいよいよ、横浜VS.履正社の大一番です。
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5. 問題文をよく読むHQ- 2016/08/13 19:16
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↑試験の鉄則です
が、テキトーに読み飛ばす受験生も多い
困ったもんです
倉庫?
と思って読み返しました。確かに、解説文にしっかり「高床式の倉庫」とあります。問題文?は、きちんと読みましょう。
智辯負け
ということは、鳴門の勝ち。
まあ、敗者があるから勝者がある。勝負の世界の習いです(何を今さら)。
で、横浜-履正社の大一番。
どうなるでしょうか。
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6. Mikiko- 2016/08/14 07:50
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奄美の高倉
どうして、四本柱が剥き出しなのか、不思議に思ってました。
柱間を板で囲えば、湿気や食害の心配が要らない農具などの置き場にできるのに。
わかりました。
台風ですね。
四本柱が剥き出しなのは、風圧を受けないための工夫じゃないですか。
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7. てきとー論理HQ- 2016/08/14 10:23
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台風対策四本柱
ふむ、一理ある。
二理は……ないかな。