2016.5.24(火)
道代と、小まめの志摩子が所属する祇園の置屋の女将、辰巳としは、その夜の間中、まんじりともしなかった。いや、できなかった。
道代と志摩子は、日が変わっても戻らなかった。戻らないどころか、消息すら知れなかった。
としはもちろん、各所に連絡を入れ、二人の所在を確認しようとした。だが、わからなかった。二人が呼ばれて出かけた貴船の料亭には真っ先に電話を掛けた。だが、繋がらなかった。不在、というわけではなく、呼び出し音そのものが鳴らないのだ。幾度懸けても、話中を示すツー、ツーという短い連続音が聞こえるだけであった。おそらく電話線の故障であろう。としが他の所へ掛けた問い合わせの電話は、きちんと繋がった。
しかし、小まめの所在を知る者はいなかった。
(どないしたんや)
(どこ、行ったんや)
(なんぼ遅〔おそ〕なるゆうても)
(座敷はとうに終わっとるやろ)
(夜中過ぎるてなこと……)
としの思いは有らぬ方に彷徨(さまよ)った。
(車で事故でも起こしたか)
(いや、ほれやったら警察から連絡あるやろ)
(いやいや、あの山ん中や)
(まだ見つかってえへん〔見つかっていない〕のかも……)
(ほれやったらこの雪ん中……)
としの脳裏を、小まめと道代の姿がひっきりなしにかすめた。
(もしかして)
(車が滑って)
(川に嵌〔はま〕った、とか)
(それやったら)
(見つかれへんわ)
(どっちにしてもあの山ん中)
(この雪やし……)
(ひょっとして凍え死に……)
「えらいこっちゃ」
思い惑うとしは、時折実際に声をあげていた。が、自分では気づいていない。
(どないしょ)
(どないしたらええんや)
(もし万一のことあったら……)
(なんぼお道が付いとるゆうても……)
「やっぱし警察」
(いやいや)
(下手に騒いで)
(ほれでもし何も無かったら……)
(せや)
(貴船で)
(もう泊まっていき)
(ゆうことになっとんのかもしれん)
(なんせこの雪ん中や)
(うちやったらそないする)
「なんで……」
(この雪ん中)
(あないな山奥に行かしてもうた〔しまった〕んやろ)
(ほら)
(相馬の旦さんやさかい)
(相馬はんのお座敷やさかい)
(しゃあない、ゆうこともあったんやけど)
(ほんまにあのお方も酔狂な……)
(小まめになんぞあったら)
(相馬の旦さんのせいや)
(せや)
(それやったらそれで)
(うちの責任やない)
(もともと小まめは……)
辰巳としは窓を見やった。
ガラス越しの戸外は、まだ真っ暗であった。
道代と、小まめの志摩子は送迎用のハイヤーの車中にいた。車は道端の路肩、降り積もった雪溜まりに鼻面を突っ込んで止まっていた。タイヤを雪にとられ、スリップしたのだ。運転手は、車を元に戻そうとあれこれやっては見たが、どうにもならないようであった。人を呼んでくる、と言い残して運転手は車を離れたが、いつまでたっても戻って来る様子はなかった。車中には、道代と志摩子の二人だけが取り残されていた。
「遅いなあ、運転手はん」
志摩子がポツリと漏らした。特に道代に掛けた言葉でもなさそうであったが、道代は律義に返事した。
「そないですなあ」
「どこまで行かはったんやろなあ」
「そないですなあ」
「こないな山ん中やし、人呼ぶゆうてもなあ」
「あんまし、家なんかもおまへんやろしなあ」
窓外に目をやりながら道代は答えた。その視線を追うように、志摩子も外を見た。運転手が車のヘッドライトをつけっぱなしにしていったが、それもほとんどが雪に埋もれ用を成さなくなっていた。雪の山道は闇の中に沈んでいた。
車内燈はついていなかったので、道代と志摩子は、互いの顔すらほとんど判別できなかった。かすかな雪明りの中、二人はすることもなく、切れ切れの会話を交わすだけであった。
「お道」
「へえ、姐さん」
「あんた、おなかすいたやろ」
「いえ、そないなことは……」
「せやかて、あんたなんも食べてへんやろ」
「へえ、いえ……」
「うちは、お酒もお料理もいただいたけんどな」
「美味しおしたか」
「ふん。まあ、こない山ん中やしなあ」
「貴船は、川魚がおいしいて聞いてますけど」
「そやそやけど、時期が時期やしなあ」
「そうどすなあ」
「だいたいが、冬に貴船てなあ」
「へえ」
「やっぱし、貴船は夏やろ」
「夏は涼しいらしいどすなあ、貴船」
志摩子は少し言葉を切った。
会話が途絶えると、聞こえるものは運転手がつけっぱなしにしていった車のエンジン音だけになる。その音とかすかな振動に、しばらく二人は身を委ねた。
その間、何を考えていたのか、ややあって志摩子は唐突に話題を変えた。
「なあ、お道」
「へえ、小まめ姐さん」
「今日のお客はんなあ」
「へえ、相馬の旦さん」
「どういうお人か、あんた、知っとるか」
「へえ……西陣の織物屋はんて、聞いとりますけんど」
「西陣なあ」
「へえ」
「あの辺りは、空襲でえらい焼かれてもた〔しまった〕そやないの」
「え、そうなんどすか」
「見たわけやないけどな。聞いた話や」
「へえ」
「ほやのに、えらい羽振りよさそなお人やったで」
「そうどすか」
「よっぽどやり手なんやろなあ」
「へえ」
道代は、ふと何やら心に引っかかるものを感じた。魚の小骨が喉に掛かったような……。
「相馬の旦さんが、どないしやはったんどす?」
「いやな。何や、どことのう〔どこと無く〕……」
「何どす、姐さん」
「うもう〔上手く〕言えんのやけど……」
「なんですのん。小まめ姐さんにして歯切れの悪い」
「せやなあ」
思い切ったように志摩子は語り継いだ。
「なんやあのお人、気色悪いねん」
「気色、悪いて姐さん」
「いや、お顔つきとか身形(みなり)とか、言葉遣いとか、そういうことやないねん」
「へえ」
「何ちゅうか……目つき、かなあ」
「目つき」
「せや。何ちゅうか、舐めるような、とか言うやろ」
「舐める、どすか」
「せや。値踏みする、ゆうか」
「値踏み……」
「品定め、ゆうか」
「品定め……」
「せや。何ちゅうか、裸に剥かれてるような、そないな感じしたわ」
道代は一瞬、絶句した。
が、すぐに言葉を継いだ。
「そらあ、そこはそれ男はんどすさかい、姐さんに見惚れてはった、ゆう事ちゃいますやろか」
「ふん。そんなんは今まで何べんもあったし、別にどうゆう事あれへん。かえって気持ちええくらいのもんや」
「へえ」
「あのお方の目つきはそないな可愛いもんやなかった。何ちゅうか、裸に剥く、通り越して、腸(はらわた)の奥まで覗かれてるような……」
道代の背筋を、何やら気味悪いものが通り過ぎて行った。
コメント一覧
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1. 千々に乱れてHQ- 2016/05/24 12:18
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(どないしたんや)
どこ、行ったんや)
(なんぼ遅〔おそ〕なるゆうても)
(座敷はとうに終わっとるやろ)
(夜中過ぎるてなこと……)
思いは千々に乱れております。
誰がって、祇園の置屋の女将、辰巳としでんがな。
で、
「やっぱし警察」
(いやいや)
(下手に騒いで)
(ほれでもし何も無かったら……)
まあ、この辺りはわからんでもないです。
が、しかし「とし」はん。
ここはやっぱし110番でっせ。
録画しておいた『空から日本を見てみよう』京都三条~貴船・鞍馬、を先日見ました。まあ、わたしとしましては「勝手知ったる」叡山電車の鞍馬線。どうということはなかったのですが、問題は今回の舞台、貴船。
あんなに店や人家が多くなっているとは、思いませんでした。
『アイリス』今回のイメージは「奥深い山中にひっそりとある隠れ料亭」てなことだったのですが、どうも現実はちがうようです。
まあ、物語の時代は昭和30年代ですから、今とは事情は異なるんでしょう。
で、問題は、今回話題に出た「「西陣の織物屋、相馬の旦さん」
初登場ではありません、↓『アイリス』#109に既出です。
>「『梅亭』のおなじみはんに相馬……えーと、禮次郎はんいうお方がおらはった。もう亡くならはったが、西陣で織物屋やらはってる旦さんでのう」
元「花よ志」の花板、野田太郎のセリフです。
それがどないしたんや。
へえ。
実はこの相馬の旦さん。
物語のコンゴ、いや今後に深く関わることになります。
作者にしては珍しく、#109に書いたときからの予定通りなんですね。
関わるて、どないに……。
そんなん今、バラせまっかいな。
(もともと小まめは……)
辰巳としのセリフですが、お聞き流し下さい。
『アイリス』志摩子女将編。今後の展開に、乞う!ご期待。
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2. 「は」抜きHQ- 2016/05/24 12:24
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一つ、いや二つ、注釈どすう
「なんですのん。小まめ姐さんにして歯切れの悪い」
これは管理人さんにもご指摘いただきました。普通なら、
「小まめ姐さんにして『は』歯切れの悪い」
とすべきところでしょう。
ただ、このセリフは道代のもの。
道代は、この時点で小まめの志摩子に完全に服従しています。
いや、服従というのはおかしい。一体化していると言った方がいいでしょう。
二人は一心同体、運命共同体とも云える仲になっているのです。だから、こまめの志摩子の思いは、道代には我が事であるわけで、そのあたりが凝縮された“「は」落ち”なんですね。
そのあたり、よろしゅう(道代&志摩子)
で、今回の↓志摩子のセリフです。
「なんやあのお人、気色悪いねん」
志摩子の、相馬禮次郎評ですが、これは注釈をつけ忘れました。
気色は「けしき」やおへん。「きしょく」どす。
「気色悪い(きしょくわるい)」は関西語(だと思いますが)、「気味悪い」どす。
よろしゅうに。
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3. Mikiko- 2016/05/24 19:48
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自動車、立ち往生
今なら携帯がありますが、昔は、ほんとに困ったでしょうね。
ガス欠になったら、ヘタすれば凍死です。
志摩子は、相馬禮次郎の落とし胤でないの?
で、相馬はそれを知ってるから、わが娘を、ただの舞妓としては見れない。
それが、若い志摩子には、気色悪さに感じられたのでは。
相馬のその後。
西陣織をコンゴに売ろうとして失敗。
なぜなら、コンゴは暑すぎて、西陣織なんか着てられないからです。
悲観した相馬は、彼の地で病に倒れ、帰らぬ人に。
“は”落ちの件は、さーっぱりわかりません。
読者のほとんどは、タイプミスと思うでしょう。
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4. 作家(おい!)HQ- 2016/05/24 22:56
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>志摩子は、相馬禮次郎の落とし胤
へっへっへ。
全然ちゃいます〔違います〕。
いやあ、こうゆうの、気持ちええですなあ。
物書き(誰がや)の醍醐味、云いますかなあ。
読者の意表を突く、云いますか……。
考えすぎです。
まあ、すぐにばらしちゃいますが、相馬のおっさんはただのエロ爺です。
西陣の店は……どうするかなあ。
“は”落ち一件
なんだよ、わかってくれよ。
さんざん考えたによう。
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5. Mikiko- 2016/05/25 07:25
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コンゴで客死した相馬のおっさんの無念を忘れず……
西陣の店を継いだ娘は、コンゴに支店を出します。
↓そしてついに、西陣織の民族衣装を普及させることに成功。
http://www.izunome.jp/border/africa/
その功績が認められ、コンゴ大王から、最高栄誉の金剛賞が贈られたそうです。
その娘こそ、志摩子の双子の片割れなのです。
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6. 金剛石も磨かずばHQ- 2016/05/25 12:32
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コンゴ大王
そういえば、「人食い大統領」として名を馳せたアミンがいたなあ。と思ったら、あのお方はコンゴじゃなくウガンダでした。
イディ・アミン。
2003年8月、亡命先のサウジアラビアで客死。死因は銃殺……じゃなく、多臓器不全だそうです。
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7. Mikiko- 2016/05/25 19:44
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あみん
女性デュオがいましたね。
アミン大統領から採ったのかと思ったら……。
さだまさしの曲に出てくる喫茶店だそうです。
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8. 待ちぼうけHQ- 2016/05/25 21:28
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♪わたし待ーつーわ
いつまでも待ーつーわ
しかしこの「待」という漢字。
どうしても「侍」に見えちゃうんだよね
♪待つわ~ (あみん『待つわ』)
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9. Mikiko- 2016/05/26 04:33
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日本語
表意文字と表音文字、どちらもある言語って、ほかにあるんでしょうか?
日本語を学習する上で、漢字は難関でしょうね。
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10. 百点満点ハーレクイン- 2016/05/26 08:30
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>漢字は難関
以前に書きましたが、わたしの中学1年の時の国語教師。このおっさん教師にしごかれて、わたし、漢字得意(ホンマかーい)になりました。
仰げばとおとし和菓子の温。
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11. Mikiko- 2016/05/26 19:51
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ほしたら……
漢字検定、受けなはれ。
村井美樹さんは、一発で1級を取ったそうです。
いい脳トレになると思いますよ。
デイの有名人になれます。
取材が来るかもです。
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12. 漢検無級珠算三級HQ- 2016/05/26 20:41
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漢字検定
わたしは、人の評価は気にせぬのだ。
自分で自分に納得できればそれでよし。
デイには、漢字どころか、活字すら読まない(ボケ)老人ばかりです。
「一発で一級を取った」なんて聞いても、「はあ?何それ」でしょう。











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