2026.7.15(水)
「で、何度目かに右に寄ったときのことです。
道路際には、石の擁壁みたいなのが連なってました。
小学生の太腿くらいの高さでした。
擁壁の向こうは、大きな深い排水路でした。
擁壁の上面の幅は40㎝くらいありました。
わたしは、その上に飛び乗ったんです。
そしたら、わたしの行く手を塞ぐべく、アキラも飛び乗ってきました。
ほんとにはずみだったんです。
でも、わたしがアキラの背中を押したのは確かです。
アキラは小さな悲鳴を残すと、真っ逆さまに排水路に落ちていきました。
わたしの田舎は米どころで、地平線の彼方まで田んぼみたいなところです。
その田んぼから流れ出た水がすべて集まる排水路です。
水かさもありました。
しかも、アキラが落ちた先から、その排水路は暗渠になってたんです。
アキラの姿は、あっという間に真っ黒な暗渠に飲まれていきました。
その後、どうやって家に帰ったのか覚えてません。
ほんとにあったことなんだろうかとも思いました。
翌日、学校に行けば、アキラは何事もなかった顔で登校してるんじゃなかとも思いました。
でも、アキラはいませんでした。
それ以来、ずっと……」
「小学生が行方不明になったりしたら、大騒ぎだったでしょう?」
「ところが、そうじゃなかったんです。
アキラは、普通の小学生とは違ってました。
孤児だったんです。
養護施設に入ってました。
問題児で、脱走の常習犯だったようです。
2,3日姿が見えないなんてことも、珍しくなかったみたいです。
学校も、しょっちゅう無断欠席してましたし。
なので、施設も学校も、当初は探そうともしなかったんです。
でも、1週間経っもて出てこないので、警察には届けたようです。
警察でも、アキラは有名でした。
何度もそんなことがあったからです。
施設の方も何度か届けを出すうち、警察に迷惑そうな顔をされるので、そのときも出し渋ってたみたいです。
施設も学校も、問題児がいなくなってくれたんで、むしろ見つからないことを望んでたんじゃないでしょうか。
で、結局、そのままになってしまったんです」
道路際には、石の擁壁みたいなのが連なってました。
小学生の太腿くらいの高さでした。
擁壁の向こうは、大きな深い排水路でした。
擁壁の上面の幅は40㎝くらいありました。
わたしは、その上に飛び乗ったんです。
そしたら、わたしの行く手を塞ぐべく、アキラも飛び乗ってきました。
ほんとにはずみだったんです。
でも、わたしがアキラの背中を押したのは確かです。
アキラは小さな悲鳴を残すと、真っ逆さまに排水路に落ちていきました。
わたしの田舎は米どころで、地平線の彼方まで田んぼみたいなところです。
その田んぼから流れ出た水がすべて集まる排水路です。
水かさもありました。
しかも、アキラが落ちた先から、その排水路は暗渠になってたんです。
アキラの姿は、あっという間に真っ黒な暗渠に飲まれていきました。
その後、どうやって家に帰ったのか覚えてません。
ほんとにあったことなんだろうかとも思いました。
翌日、学校に行けば、アキラは何事もなかった顔で登校してるんじゃなかとも思いました。
でも、アキラはいませんでした。
それ以来、ずっと……」
「小学生が行方不明になったりしたら、大騒ぎだったでしょう?」
「ところが、そうじゃなかったんです。
アキラは、普通の小学生とは違ってました。
孤児だったんです。
養護施設に入ってました。
問題児で、脱走の常習犯だったようです。
2,3日姿が見えないなんてことも、珍しくなかったみたいです。
学校も、しょっちゅう無断欠席してましたし。
なので、施設も学校も、当初は探そうともしなかったんです。
でも、1週間経っもて出てこないので、警察には届けたようです。
警察でも、アキラは有名でした。
何度もそんなことがあったからです。
施設の方も何度か届けを出すうち、警察に迷惑そうな顔をされるので、そのときも出し渋ってたみたいです。
施設も学校も、問題児がいなくなってくれたんで、むしろ見つからないことを望んでたんじゃないでしょうか。
で、結局、そのままになってしまったんです」
コメント一覧
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1. Mikiko- 2026/07/15 05:33
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今日は何の日

7月15日は、『チェーホフ忌(https://zatsuneta.com/archives/10715a2.html)』。
ロシアの小説家で劇作家だったアントン・チェーホフ(Anton Chekhov/1860~1904)の、1904(明治37)年の忌日。
https://zatsuneta.com/img/10715a2_01.jpg
↑アントン・チェーホフ。
アントン・チェーホフは、ロシアを代表する劇作家で……。
多くの優れた短編を残した小説家でもありました。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/10715a2.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、「アントン・チェーホフについて」を引用させていただきます。
1860(安政7)年1月29日……。
ロシアの南西部に位置する、タガンログ(ロストフ州)で生まれました。
父は雑貨店を経営。
1876(明治9)年、一家は破産し、夜逃げしてモスクワに移住しました。
しかし、アントンだけがタガンログに残り……。
タガンログ古典科中学で勉学を続けました。
モスクワ大学医学部に入学。
勉学の傍ら、ユーモア短編を新聞や雑誌に書き、家族を養います。
1884(明治17)年に大学を卒業した後、医師としても活躍。
本格的な長編も書き……。
1887(明治20)年の戯曲『イワーノフ』の上演で、劇作家としての地位を確立しました。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2026/07/15 05:33
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今日は何の日(つづき)

引用を続けます。
1890(明治23)年、結核の身で、当時は流刑地だったサハリン(樺太)に渡り……。
旅行記『サハリン島(1895年)』を書きます。
1901(明治34)年、女優オリガ・クニッペルと結婚。
1904(明治37)年7月15日、肺結核のため死去。
44歳。
モスクワにあるノヴォデヴィチ墓地に埋葬。
また、タガンログにあるチェーホフの生家は記念館として保存されてます。
https://zatsuneta.com/img/10715a2_02.jpg
↑チェーホフ記念館
そのほかの作品として、短編小説に『退屈な話(1889年)』、『六号室(1892年)』、『可愛い女(1898年)』、『犬を連れた奥さん(1899年)』……。
チェーホフの四大戯曲と呼ばれる『かもめ(1896年)』、『ワーニャ伯父さん(1899年)』、『三人姉妹(1901年)』、『桜の園(1904年)』などがあります。
以上、引用終わり。
チェーホフは、名前だけは知ってるという程度です。
でも、『ワーニャ伯父さん』は、教科書に載ってた気がします。
AIに聞いたら、「『ワーニャ伯父さん』の戯曲そのものが日本の小・中・高校の国語や道徳の教科書に採用されている事例は極めて稀です」とのことでした。
勘違いですかね。
さらに詳しく、AIに聞いてみました。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2026/07/15 05:34
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今日は何の日(つづきのつづき)

わたしの問いは、「外国の小説か戯曲で、語り手は男の子。おじさんの話で、国語の教科書に載っていた。作品名は?」。
↓AIの答えです。
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お探しの作品は、フランスの作家ギ・ド・モーパッサン(Guy de Maupassant)が書いた短編小説『ジュール叔父さん(または『ジュール伯父さん』、原題:Mon oncle Jules)』です。
日本では昭和40年代を中心に、中学校の国語の教科書(三省堂など)に掲載されていました。
●作品の概要
語り手: 冒頭で、ジョゼフ・ダヴランシュという男性が、友人の「ぼく」に過去の思い出を語る形で始まります。
おじさんの話: ジョゼフが少年の頃、彼の貧しい一家には、かつて全財産を使い果たしてアメリカへ渡った「ジュールおじさん」という親戚がいました。
その後おじさんから「金持ちになった、いずれ帰る」という手紙が届いたため、家族はおじさんを救世主のように崇め、大金持ちになって帰ってくる日を夢見るようになります。
教科書で印象的な場面: 一家が毎週日曜日に見栄を張って正装し、海辺へ散歩に出かける様子や、ある日乗った船の上で、貧しく落ちぶれて「生牡蠣(オイスター)」の殻を剥いている老水夫が、実は待ち望んでいたジュールおじさん本人だと気づく場面が非常に有名です。
現実を知った両親の態度が手のひらを返したように豹変する、人間のエゴイズムを描いた名作です。
「教科書で読んだ生牡蠣のシーンが忘れられない」と、大人になってから思い出す方が非常に多い作品でもあります。
+++
続きはさらにさらに次のコメントで。
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4. Mikiko- 2026/07/15 05:34
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今日は何の日(つづきのつづきのつづき)

うーん。
「ジュール伯父さん」という題名には覚えがある気がするのですが……。
作品の概要には、まったく思いあたることがありません。
でも、船のシーンはあった気がするので……。
やっぱりこれだったのかな?
あるいは、教科書で読んだという記憶自体が間違ってるのかも。
タガンログという地名は、初めて聞きました。
Wikiを引いたところ(出典⇒https://w.wiki/SHq6)、今も存在する都市でした。
+++
タガンログは、ロシア連邦ロストフ州の都市。
黒海の北部、アゾフ海のタガンログ湾に面する。
北緯47度13分 東経38度55分。
人口は24万5120人(2021年)。
ロストフ・ナ・ドヌから西に約70km。
アントン・チェーホフの生地としても知られ、今でもチェーホフの生家が残されている。
+++
といわれても、ぜんぜんどこらへんかわかりません。
地図を見たら、巨大なロシアの西の端でした。
ロストフ州は、ウクライナと接してました。
しかし、ウクライナとロシアの戦争、もう4年半になります。
真珠湾攻撃からポツダム宣言の受託までは、3年8ヶ月ですから……。
もうそれを上回る長さなわけです。
ロシアの侵攻が始まったときは、すぐに制圧すると思ってたんですけどね。
なんで出来なかったんでしょう。
ロシア兵の戦死者は、50万人を超えてるそうです。
第二次世界大戦での日本兵の戦死者は、230万人とのこと。
しかしこのうち6割の140万人は、補給の断絶による餓死や病死だそうです。
戦闘で亡くなったのは、90万人。
今回のロシアの戦死者は、もうこの半分を超えているということです。











![[官能小説] 熟女の園](https://livedoor.blogimg.jp/mikikosroom2008/imgs/3/e/3e07a9c3.gif)





































































































