Mikiko's Room

 ゴシック系長編レズビアン小説 「由美と美弥子」を連載しています(完全18禁なので、良い子のみんなは覗かないでね)。
 「由美と美弥子」には、ほとんど女性しか出てきませんが、登場する全ての女性が変態です。
 文章は「蒼古」を旨とし、納戸の奥から発掘されたエロ本に載ってた(挿絵:加藤かほる)、みたいな感じを目指しています。
 美しき変態たちの宴を、どうぞお楽しみください。
管理人:Mikiko
センセイのリュック/幕間 アイリスの匣 #144
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戯曲『センセイのリュック』作:ハーレクイン



幕間(小説形式)アイリスの匣#144



 日は西の山にとうに沈んでいた。
 山の端は春の残照を映し美しく染まっていたが、その夕焼け色も時とともに薄れていく。
 日の入りとともに、川縁(かわべり)を吹きすぎる風は急に強く、冷たくなった。まるで季節外れの木枯らしであるかのような川風は、道代を縮こまらせた。
 道代は薄い木綿の袷一枚、足元は裸足にちびた下駄である。防寒具など持っていようはずも無かった。道代は、風に抗するように、その両腕で自分の胸を抱きしめた。しかし、道代の袖口から、襟元から、風は容赦なく吹き込んでくる。あざ笑うような川風は、道代の踝を嬲るように吹き過ぎた。
 道代は両膝をしっかり閉じ、足元からの風の侵入を防ごうとした。道代の両足指は下駄の台に固く食い込んだ。

(さぶ〔寒〕いなあ)

 道代は俯いた。痩せた両肩を精一杯持ち上げ、その間に顎を埋めた。それ以上、川風に抗する術を持たない道代だった。あとは両目をしっかり閉じ、奥歯を噛み締めるだけだった。

(ほんまに、さぶいなあ)
(おなか、へったなあ)

 考えても仕方のないことを道代は考えた。
 丹波の山奥、貧農の子に生まれた道代であった。貧乏人の子沢山を絵にかいたような一家であった。学校に上がる前から田畑を這いずり回ってきた道代であった。その学校にもろくに通えず、一応学校を上がる年齢になったと同時に、伝手を辿って奉公に出された道代であった。口減らしを絵にかいたように、奉公先の事など何一つ知らされず、家を出された道代であった。
 寒いひもじいは、いくら嘆いたとてどうにもならぬ。そのことは骨身に染みて承知している道代であった

(さぶないんやろか、小まめちゃん)

 志摩子の着ているものは、道代のそれとは比べ物にならないほどいい物であった。道代が志摩子を心配しても仕方のないことであったが、志摩子を気遣うのは道代に与えられた仕事である。そのことも道代はよく承知していた。しかし、今の道代が、志摩子にしてやれることは何一つ無かった。いや、志摩子自身がそのことを拒否していた。

(小まめちゃんが、ここにおる、ゆうたんやさかい)
(もう、しゃあないわ)
(辛抱でけんようなったら自分から、帰る、ゆうやろ)
(それまで待たな、しゃあないわ)
(さぶないんやろか、小まめちゃん)

 それでも、目を開けて隣の志摩子を窺い見る。そんな気にはなれない道代であった。道代は、石の地蔵にでもなったような気で、ひたすら体を縮こまらせるしかなかった。

(ほんまに、さぶ〔寒〕いなあ)
(ほれでも)
(うちにおったときよりまし、かな)

 無理にでもそう思い込もうとする道代であった。
 口には出さないが、道代の思いは寒い、ひもじい。その事だけであった。他の事は何も考えられなくなっていた。
 固く閉じた道代の目頭に涙が滲んだ。

(泣いたらあかん)
(泣いたって、どないもならへん)

 強張(こわば)った道代の全身が、小刻みに震え始めた。涙は止められても、体の震えを止めることは道代には出来なかった。道代の全身は、その意思に反して細かく震え続けた。

(もう、あかん)
(もう、辛抱でけへん)
(いっそ……川に飛び込んでまおか〔しまおうか〕)

 その時、道代の頭上から柔らかい声が降って来た。

「こないなとこに、おったんかいな」

 振り仰ぐ前から、道代には声の正体が知れた。置屋の下働きの老爺であった。

「おん(小父)ちゃん……」

 道代は振り仰ぎ様、返事した。その声は老婆のように掠れていた。仰いだ空は既に青黒く、その暗い空のほとんどを、老爺の温顔が覆い隠していた。

「さぶ〔寒〕かったやろ」

 伸べる老爺の両手に、道代はむしゃぶりついた。堪えていた泣き声が漏れた。見開いた道代の両目から、吹き零れるように涙が溢れ、にこやかな老爺の顔を歪ませた。

「ふえええーん、おんちゃん」
「泣かいでええ、泣くんやない」
「おん、ちゃあん」

 老爺の両腕が、そっと道代を抱え込んだ。


 道代は、老爺に片手をひかれ、祇園の裏小路の石畳を歩いた。志摩子は、老爺の背でぐっすりと眠っていた。

「もう、さぶないか」
「うん、さぶうない」
「しやけど、この子、小まめはほんまに図太いゆうか……」

 背中の志摩子を揺すり上げながら、老爺は、道代に語り掛けるともなく呟いた。
 志摩子は結局、あの土手に座り込んだまま寝入っていた。老爺が声を掛けても、負ぶおうとしても目を覚まさなかった。狸寝入りでないことは道代にも分かった。
 道代に手伝わせ、志摩子を何とか負ぶった老爺は、道代の手を引いて歩み始めたのだ。

「あの川風の中、よう、ね(眠)れるもんや」
「へえ……」

 ずっと無言だった道代は、ようやく呟きのような返事を返した。繋いだ老爺の手は暖かかった。道代は、老爺が腰に下げていた手拭いを、襟巻代わりに首に巻いてもらっていた。老爺の手と手拭いの温もりは、道代にとって初めてともいえる経験だった。母にも感じたことの無い暖かさだったろうか。

「ほんで、どこ行っとったんや、おまん(前)ら。あの土手にずうっとおったんか」

 ゆったりと歩みながら、老爺が道代に問いかけてきた。
 道代は小声で答えた。

「どこや知らんけど……おっ(大)きい、お寺さん……」
「寺のう。寺ゆうてもいっぱいあるけんど……」
「おっきい門……あった」
「門てなもん、どこのお寺さんにもあるが……」
「ものすご(凄)おおきゅうて、まっか(真っ赤)っかあで……」

 老爺は腑に落ちたようであった。

「ははあ……。その門、屋根のすぐ下に、廊下みたいなん、あったやろ」
「せやった、かなあ。なんせおおきゅうて、あこ(赤)うて……」
「お道」

 老爺は、初めて名前で呼びかけた。

「へえ」
「それはなあ、お寺さんやない。神社はんや」
「じんじゃ……」
「せや。八坂はん、ゆうてな」
「やさか、はん……」
「せや。スサノオはんゆ(云)わはる、えらーい神さんのいはるとこや」
「すさ、のお……」
「せや。天から降りてきて、この国つくらはった、神さんや。クシナダゆう、ひい(姫)さん、嫁にもらわはってな」
「くしなだの……ひいさん」
「せや。八坂神社はんは、このお二人をお祀りしとる、祇園の守り神さんや」
「ぎおんの、まもり……」

 道代は、老爺の言葉を一つ一つ鸚鵡返しに繰り返しながら、学校で教わるように心に刻み付けた。

「おまんも祇園に住まわしてもろとるんや。今度、ちゃんとお参りしとかんとなあ」
「へえ……」

 そんな機会が来るかどうか、今の道代にはわからなかったが、いつか必ず、と心に決めた道代であった。
 道代と老爺、それに志摩子の辿る祇園の小路には、ぽつぽつと灯りがともされ、いつもと変わらぬ人の行き交いが始まっていた。
センセイのリュック【幕間 アイリスの匣 #143】目次センセイのリュック【幕間 アイリスの匣 #145】

コメント一覧
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    • ––––––
      1. 頭痛が痛いHQ
    • 2016/04/19 08:46
    • テンポよく纏める……
       とか何とか前回のコメに書きましたが、今回、八坂神社ご紹介なんて寄り道をしちゃいました。まあ、露骨な引っ張り、なんですが。
       それはともかく、道代&小まめの出奔コンビ。プチ家出に終わったようでやれやれです。まあ、ケガもせず、子取りにもとられず、よしとしましょう。
       探し回ってくれたおんちゃんに感謝せえよ、道代。ですが、これは小まめに言うべきだな。
       で、この志摩子の源氏名(でいいのかなあ、舞妓も)「小まめ」。よく考えたら「まめ(豆)」には「小さい」の意もありますから(他の意味もありますが)これは「馬から落ちて落馬する」の類ですな。しっぱい失敗。
       まあ「小さい」の強調表現ということでお許し願いましょう。態度はデカそうですが、小まめ。

    • ––––––
      2. Mikiko
    • 2016/04/19 20:01
    • 京都
       応仁の乱とか、幕末とか、戦乱には数々見舞われてますが……。
       地震ってのは、あったんですかね?
       今回の地震では、阿蘇神社が壮絶なことになってしまいましたが……。
       京都にこの規模の地震が起きたら、いったいどうなるんでしょう。
       琵琶湖疏水なんて、壊滅するんでないの?

    • ––––––
      3. 朝顔に……HQ
    • 2016/04/20 01:45
    • 京都の地震
       寡聞にして聞いたことありません(カブっとるぞ)、小規模なものならあったでしょうね(調べとらんのかい!)。
       火事は江戸期にもありました。寛政の頃だったかな。
       御所も丸焼けになり、天皇さんはどこやら田舎に疎開しはったとか。ま、この時は徳川はんがメンツにかけて素早く再建したようですが。
       火事というと、先の戦争の空襲(もちろん米軍の)で焼けたことあるそうです。これは知らなかった。
       東京大空襲と同じ頃、でしょうね。なんせ、全土の制空権を無くして丸裸になった頃ですから、やられ放題です。西陣の織物屋なんかもほとんどやられてもたそうです。
       テレビで、全国の活断層の図、なんてのを見ましたが、真っ赤っかでしたね(八坂の楼門かい;道代)。新潟にも通ってまっせ。
       西日本では、やはり中国地方が少ない、と見ました。引っ越す? 岡山あたりに。
       京都から奈良にかけて、南北に連なる断層なんてのもあるようで、これが動いたら平安京も平城京も壊滅。舞妓はんも鹿も疎開。淀川水系に“新巨椋池”なんてのが出来たりして。
       疏水が潰れたら、逢坂の関を越え、近江に“貰い水”に行かなならんな。

    • ––––––
      4. Mikiko
    • 2016/04/20 07:35
    • 京都地震
       ↓幕末(1830年)に、京都で280人が亡くなる地震があったようです(マグニチュード6.5)。
      http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/kinki/p26_kyoto.htm
       その前が、江戸初期(1662年)。
       京都では、200人が亡くなってます(マグニチュード7クラス)。
       この間、208年。
       幕末の地震から今年までが、186年。
       そろそろ、注意しなければならない時期に入ってますね。

    • ––––––
      5. ボケ老人ハーレクイン
    • 2016/04/20 11:53
    • 京都の地震
       有史以来、となると結構起こってますね。
       江戸期直前の慶長元年(1596年)のも大きいです。
       「三条から伏見の間で被害が最も大きく、死者、家屋倒壊多数。伏見城では、天守の大破などにより、圧死者約600人」だそうです。三条から伏見と云いますと、京の都の真ん中ですね。
       この年、朝鮮出兵の頃で秀吉はまだ生きていました。が、伏見城大破のショックででボケ始めたかな。

    • ––––––
      6. Mikiko
    • 2016/04/20 19:40
    • 死者が600人ということは……
       城の中に、何人いたんですかね?
       城中の6割が死んだとしても、1,000人以上になりますよ。
       ブラタモリでも、度々ネタになりますが……。
       たいていの城は台地の上にありますから、水の確保が一番の課題です。
       兵糧攻めという戦法がありますが……。
       むしろ、城に流れこむ水を断つ方が、効果は大きいんじゃないでしょうか。

    • ––––––
      7. 白旗ハーレクイン
    • 2016/04/20 20:54
    • 600人
       知らんがな、聞いた話や。
       招待客をわんさと招いて(カブっとるぞ)浮かれてたんじゃないすか。
      水を断つ
       朝鮮出兵の際、籠城した加藤清正軍がこの手を喰らいました。城を完全に封鎖されたうえ、城内の井戸に多数の人の死骸を投げ込まれ、飲めなくされたとか。それでも飲まないわけにいかないので、血膿混じりの汚水を飲んで耐えたとか。
       籠城はこのように、多くの場合は愚策の見本。最後の手段ですね。さっさと降伏した方が利口でしょう。

    • ––––––
      8. Mikiko
    • 2016/04/21 07:27
    • さっぱりわからん
       城内の井戸に敵が近づけるということは、すでに城壁が破られてるということですよね。
       清正軍は天守に立てこもり、敵兵がその周りを囲んでるという構図じゃないですか?
       どうして、清正軍の兵士が井戸まで水汲みに行けるんでしょう?
       そもそも、城を囲んでるのなら……。
       井戸水に細工なんてしなくても、城に火をかければいいだけです。
       朝鮮軍は、城を居抜きで奪いたかったんですかね?

    • ––––––
      9. あなたは強かったHQ
    • 2016/04/21 08:37
    • 決死の水汲み
       渇いて死ぬよりは、と決死隊を出したんじゃなかったかなあ。で、その♪泥水啜り草を噛み、籠城を続けたわけです。
       こうなると、普通なら「城を枕に討ち死に」のはずなんですが、清正は何とか帰国しましたから……最後はどうなったんだったかなあ。
       「居抜きで奪いたい」はその通りでしょう。元々朝鮮軍の城だったわけですから。
       この話、ネタ本があるんですが、図書館から借りたものです。また、借りて確認しましょう。

    • ––––––
      10. Mikiko
    • 2016/04/21 19:56
    • 居抜き
       奪い返して、また使うつもりなら、なんで井戸を汚したりするんですか。
       綺麗にするまで、大手間ですよ。
       新しく掘るにしても、水脈は通じてるでしょうし。
       朝鮮軍が、そんなアホな戦法を取ったとは、どうしても思えません。
       わたしなら、井戸の周りに兵を伏せ、待ち伏せします。
       ノコノコ汲みに来たところを、ブスリです。

    • ––––––
      11. 祇園振興会HQ
    • 2016/04/21 22:27
    • 朝鮮軍が……
       アホか“かしこ”かは置いといて……、今回『アイリス#144』の、わたしの最初のコメに↓こう書きました。
      >志摩子の源氏名(でいいのかなあ、舞妓も)「小まめ」。よく考えたら「まめ(豆)」には「小さい」の意もありますから(他の意味もありますが)これは「馬から落ちて落馬する」の類ですな。しっぱい失敗。
       ところが! 調べましたところ実在しはります、小まめ姐さん。しかもなんと祇園の芸妓さん。↓以下、Wikiの引き写しです。
      「三宅小まめ(みやけこまめ)。1910年(明治43年)- 2009年(平成21年)7月21日。
       祇園甲部芸妓。京舞井上流名取。京都市東山区〔祇園のあるとこです〕出身。実家は置屋〔舞妓・芸妓の所属部屋〕を営む。
       10代前半で舞妓から出て、15歳のころに衿替え。以来、祇園の芸妓としてお座敷や『都をどり』、『温習会』などで活躍した。小まめという芸名は最初、小豆と表記していたが、本人はそれを嫌がり改名したといわれる。
       1997年(平成9年)、京都伝統技芸振興財団より第1回伝統技芸保持者に認定される。同年11月、京都府行催事功労者表彰。1998年(平成10年)京都市自治100年記念表彰……」
       という名芸妓さんです。
       いやあ、全くの思い付きでつけたんですが、結果的にとんでもないお方の芸名(でいいのかなあ)をパクってしまいました。が、まあ、似たような芸妓名はいっぱいあるやろ、ということでご勘弁願いましょう。
       「祇園甲部」「井上流」「衿替」「都をどり」などについては、いずれ書かせていただきます(そんなん書いとったら終われへんで『アイリス』)。

    • ––––––
      12. Mikiko
    • 2016/04/22 07:27
    • お井戸攻撃
       もっといい手を思いつきました。
       わざと汲ませて、そのまま帰すんです。
       で、城中に入る手前で、ブスリ。
       水はこぼれてしまうでしょうから……。
       汲み桶には、予め用意した水を入れておきます。
       しばらくして……。
       帰りの遅いのを心配した場内から、斥候が出ます。
       で、決死隊員の死骸を発見。
       しかし!
       傍らには、水を湛えた汲み桶が!
       こやつ、命に代えて、水を持ち帰ってくれた(感涙)。
       汲み桶は、恭しく城中に入れられ……。
       乾いた兵士たちの喉を潤す。
       が……。
       次の瞬間、城中は阿鼻叫喚の地獄と化します。
       汲み桶の水には、毒が入れられてたんですね。
       小豆では、嫌がるのも無理ありません。
       これでは、“あずき”です。

    • ––––––
      13. 豆さがしハーレクイン
    • 2016/04/22 11:43
    • >お井戸攻撃
       尻攻撃かと思った。
       ↓こんなのも思い出しました。
       ♪おいど日本橋 屁こき橋~
      >小豆では、嫌がるのも……
       そうか、そういうことだったのか。まったく気が付きませんでした。
       なんでそないに嫌がる、とは思っていたのですがね。
       そういうことなら納得です、“あずき”姐さん。
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