2016.4.19(火)
日は西の山にとうに沈んでいた。
山の端は春の残照を映し美しく染まっていたが、その夕焼け色も時とともに薄れていく。
日の入りとともに、川縁(かわべり)を吹きすぎる風は急に強く、冷たくなった。まるで季節外れの木枯らしであるかのような川風は、道代を縮こまらせた。
道代は薄い木綿の袷一枚、足元は裸足にちびた下駄である。防寒具など持っていようはずも無かった。道代は、風に抗するように、その両腕で自分の胸を抱きしめた。しかし、道代の袖口から、襟元から、風は容赦なく吹き込んでくる。あざ笑うような川風は、道代の踝を嬲るように吹き過ぎた。
道代は両膝をしっかり閉じ、足元からの風の侵入を防ごうとした。道代の両足指は下駄の台に固く食い込んだ。
(さぶ〔寒〕いなあ)
道代は俯いた。痩せた両肩を精一杯持ち上げ、その間に顎を埋めた。それ以上、川風に抗する術を持たない道代だった。あとは両目をしっかり閉じ、奥歯を噛み締めるだけだった。
(ほんまに、さぶいなあ)
(おなか、へったなあ)
考えても仕方のないことを道代は考えた。
丹波の山奥、貧農の子に生まれた道代であった。貧乏人の子沢山を絵にかいたような一家であった。学校に上がる前から田畑を這いずり回ってきた道代であった。その学校にもろくに通えず、一応学校を上がる年齢になったと同時に、伝手を辿って奉公に出された道代であった。口減らしを絵にかいたように、奉公先の事など何一つ知らされず、家を出された道代であった。
寒いひもじいは、いくら嘆いたとてどうにもならぬ。そのことは骨身に染みて承知している道代であった
(さぶないんやろか、小まめちゃん)
志摩子の着ているものは、道代のそれとは比べ物にならないほどいい物であった。道代が志摩子を心配しても仕方のないことであったが、志摩子を気遣うのは道代に与えられた仕事である。そのことも道代はよく承知していた。しかし、今の道代が、志摩子にしてやれることは何一つ無かった。いや、志摩子自身がそのことを拒否していた。
(小まめちゃんが、ここにおる、ゆうたんやさかい)
(もう、しゃあないわ)
(辛抱でけんようなったら自分から、帰る、ゆうやろ)
(それまで待たな、しゃあないわ)
(さぶないんやろか、小まめちゃん)
それでも、目を開けて隣の志摩子を窺い見る。そんな気にはなれない道代であった。道代は、石の地蔵にでもなったような気で、ひたすら体を縮こまらせるしかなかった。
(ほんまに、さぶ〔寒〕いなあ)
(ほれでも)
(うちにおったときよりまし、かな)
無理にでもそう思い込もうとする道代であった。
口には出さないが、道代の思いは寒い、ひもじい。その事だけであった。他の事は何も考えられなくなっていた。
固く閉じた道代の目頭に涙が滲んだ。
(泣いたらあかん)
(泣いたって、どないもならへん)
強張(こわば)った道代の全身が、小刻みに震え始めた。涙は止められても、体の震えを止めることは道代には出来なかった。道代の全身は、その意思に反して細かく震え続けた。
(もう、あかん)
(もう、辛抱でけへん)
(いっそ……川に飛び込んでまおか〔しまおうか〕)
その時、道代の頭上から柔らかい声が降って来た。
「こないなとこに、おったんかいな」
振り仰ぐ前から、道代には声の正体が知れた。置屋の下働きの老爺であった。
「おん(小父)ちゃん……」
道代は振り仰ぎ様、返事した。その声は老婆のように掠れていた。仰いだ空は既に青黒く、その暗い空のほとんどを、老爺の温顔が覆い隠していた。
「さぶ〔寒〕かったやろ」
伸べる老爺の両手に、道代はむしゃぶりついた。堪えていた泣き声が漏れた。見開いた道代の両目から、吹き零れるように涙が溢れ、にこやかな老爺の顔を歪ませた。
「ふえええーん、おんちゃん」
「泣かいでええ、泣くんやない」
「おん、ちゃあん」
老爺の両腕が、そっと道代を抱え込んだ。
道代は、老爺に片手をひかれ、祇園の裏小路の石畳を歩いた。志摩子は、老爺の背でぐっすりと眠っていた。
「もう、さぶないか」
「うん、さぶうない」
「しやけど、この子、小まめはほんまに図太いゆうか……」
背中の志摩子を揺すり上げながら、老爺は、道代に語り掛けるともなく呟いた。
志摩子は結局、あの土手に座り込んだまま寝入っていた。老爺が声を掛けても、負ぶおうとしても目を覚まさなかった。狸寝入りでないことは道代にも分かった。
道代に手伝わせ、志摩子を何とか負ぶった老爺は、道代の手を引いて歩み始めたのだ。
「あの川風の中、よう、ね(眠)れるもんや」
「へえ……」
ずっと無言だった道代は、ようやく呟きのような返事を返した。繋いだ老爺の手は暖かかった。道代は、老爺が腰に下げていた手拭いを、襟巻代わりに首に巻いてもらっていた。老爺の手と手拭いの温もりは、道代にとって初めてともいえる経験だった。母にも感じたことの無い暖かさだったろうか。
「ほんで、どこ行っとったんや、おまん(前)ら。あの土手にずうっとおったんか」
ゆったりと歩みながら、老爺が道代に問いかけてきた。
道代は小声で答えた。
「どこや知らんけど……おっ(大)きい、お寺さん……」
「寺のう。寺ゆうてもいっぱいあるけんど……」
「おっきい門……あった」
「門てなもん、どこのお寺さんにもあるが……」
「ものすご(凄)おおきゅうて、まっか(真っ赤)っかあで……」
老爺は腑に落ちたようであった。
「ははあ……。その門、屋根のすぐ下に、廊下みたいなん、あったやろ」
「せやった、かなあ。なんせおおきゅうて、あこ(赤)うて……」
「お道」
老爺は、初めて名前で呼びかけた。
「へえ」
「それはなあ、お寺さんやない。神社はんや」
「じんじゃ……」
「せや。八坂はん、ゆうてな」
「やさか、はん……」
「せや。スサノオはんゆ(云)わはる、えらーい神さんのいはるとこや」
「すさ、のお……」
「せや。天から降りてきて、この国つくらはった、神さんや。クシナダゆう、ひい(姫)さん、嫁にもらわはってな」
「くしなだの……ひいさん」
「せや。八坂神社はんは、このお二人をお祀りしとる、祇園の守り神さんや」
「ぎおんの、まもり……」
道代は、老爺の言葉を一つ一つ鸚鵡返しに繰り返しながら、学校で教わるように心に刻み付けた。
「おまんも祇園に住まわしてもろとるんや。今度、ちゃんとお参りしとかんとなあ」
「へえ……」
そんな機会が来るかどうか、今の道代にはわからなかったが、いつか必ず、と心に決めた道代であった。
道代と老爺、それに志摩子の辿る祇園の小路には、ぽつぽつと灯りがともされ、いつもと変わらぬ人の行き交いが始まっていた。
コメント一覧
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1. 頭痛が痛いHQ- 2016/04/19 08:46
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テンポよく纏める……
とか何とか前回のコメに書きましたが、今回、八坂神社ご紹介なんて寄り道をしちゃいました。まあ、露骨な引っ張り、なんですが。
それはともかく、道代&小まめの出奔コンビ。プチ家出に終わったようでやれやれです。まあ、ケガもせず、子取りにもとられず、よしとしましょう。
探し回ってくれたおんちゃんに感謝せえよ、道代。ですが、これは小まめに言うべきだな。
で、この志摩子の源氏名(でいいのかなあ、舞妓も)「小まめ」。よく考えたら「まめ(豆)」には「小さい」の意もありますから(他の意味もありますが)これは「馬から落ちて落馬する」の類ですな。しっぱい失敗。
まあ「小さい」の強調表現ということでお許し願いましょう。態度はデカそうですが、小まめ。
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2. Mikiko- 2016/04/19 20:01
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京都
応仁の乱とか、幕末とか、戦乱には数々見舞われてますが……。
地震ってのは、あったんですかね?
今回の地震では、阿蘇神社が壮絶なことになってしまいましたが……。
京都にこの規模の地震が起きたら、いったいどうなるんでしょう。
琵琶湖疏水なんて、壊滅するんでないの?
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3. 朝顔に……HQ- 2016/04/20 01:45
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京都の地震
寡聞にして聞いたことありません(カブっとるぞ)、小規模なものならあったでしょうね(調べとらんのかい!)。
火事は江戸期にもありました。寛政の頃だったかな。
御所も丸焼けになり、天皇さんはどこやら田舎に疎開しはったとか。ま、この時は徳川はんがメンツにかけて素早く再建したようですが。
火事というと、先の戦争の空襲(もちろん米軍の)で焼けたことあるそうです。これは知らなかった。
東京大空襲と同じ頃、でしょうね。なんせ、全土の制空権を無くして丸裸になった頃ですから、やられ放題です。西陣の織物屋なんかもほとんどやられてもたそうです。
テレビで、全国の活断層の図、なんてのを見ましたが、真っ赤っかでしたね(八坂の楼門かい;道代)。新潟にも通ってまっせ。
西日本では、やはり中国地方が少ない、と見ました。引っ越す? 岡山あたりに。
京都から奈良にかけて、南北に連なる断層なんてのもあるようで、これが動いたら平安京も平城京も壊滅。舞妓はんも鹿も疎開。淀川水系に“新巨椋池”なんてのが出来たりして。
疏水が潰れたら、逢坂の関を越え、近江に“貰い水”に行かなならんな。
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4. Mikiko- 2016/04/20 07:35
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京都地震
↓幕末(1830年)に、京都で280人が亡くなる地震があったようです(マグニチュード6.5)。
http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/kinki/p26_kyoto.htm
その前が、江戸初期(1662年)。
京都では、200人が亡くなってます(マグニチュード7クラス)。
この間、208年。
幕末の地震から今年までが、186年。
そろそろ、注意しなければならない時期に入ってますね。
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5. ボケ老人ハーレクイン- 2016/04/20 11:53
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京都の地震
有史以来、となると結構起こってますね。
江戸期直前の慶長元年(1596年)のも大きいです。
「三条から伏見の間で被害が最も大きく、死者、家屋倒壊多数。伏見城では、天守の大破などにより、圧死者約600人」だそうです。三条から伏見と云いますと、京の都の真ん中ですね。
この年、朝鮮出兵の頃で秀吉はまだ生きていました。が、伏見城大破のショックででボケ始めたかな。
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6. Mikiko- 2016/04/20 19:40
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死者が600人ということは……
城の中に、何人いたんですかね?
城中の6割が死んだとしても、1,000人以上になりますよ。
ブラタモリでも、度々ネタになりますが……。
たいていの城は台地の上にありますから、水の確保が一番の課題です。
兵糧攻めという戦法がありますが……。
むしろ、城に流れこむ水を断つ方が、効果は大きいんじゃないでしょうか。
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7. 白旗ハーレクイン- 2016/04/20 20:54
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600人
知らんがな、聞いた話や。
招待客をわんさと招いて(カブっとるぞ)浮かれてたんじゃないすか。
水を断つ
朝鮮出兵の際、籠城した加藤清正軍がこの手を喰らいました。城を完全に封鎖されたうえ、城内の井戸に多数の人の死骸を投げ込まれ、飲めなくされたとか。それでも飲まないわけにいかないので、血膿混じりの汚水を飲んで耐えたとか。
籠城はこのように、多くの場合は愚策の見本。最後の手段ですね。さっさと降伏した方が利口でしょう。
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8. Mikiko- 2016/04/21 07:27
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さっぱりわからん
城内の井戸に敵が近づけるということは、すでに城壁が破られてるということですよね。
清正軍は天守に立てこもり、敵兵がその周りを囲んでるという構図じゃないですか?
どうして、清正軍の兵士が井戸まで水汲みに行けるんでしょう?
そもそも、城を囲んでるのなら……。
井戸水に細工なんてしなくても、城に火をかければいいだけです。
朝鮮軍は、城を居抜きで奪いたかったんですかね?
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9. あなたは強かったHQ- 2016/04/21 08:37
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決死の水汲み
渇いて死ぬよりは、と決死隊を出したんじゃなかったかなあ。で、その♪泥水啜り草を噛み、籠城を続けたわけです。
こうなると、普通なら「城を枕に討ち死に」のはずなんですが、清正は何とか帰国しましたから……最後はどうなったんだったかなあ。
「居抜きで奪いたい」はその通りでしょう。元々朝鮮軍の城だったわけですから。
この話、ネタ本があるんですが、図書館から借りたものです。また、借りて確認しましょう。
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10. Mikiko- 2016/04/21 19:56
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居抜き
奪い返して、また使うつもりなら、なんで井戸を汚したりするんですか。
綺麗にするまで、大手間ですよ。
新しく掘るにしても、水脈は通じてるでしょうし。
朝鮮軍が、そんなアホな戦法を取ったとは、どうしても思えません。
わたしなら、井戸の周りに兵を伏せ、待ち伏せします。
ノコノコ汲みに来たところを、ブスリです。
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11. 祇園振興会HQ- 2016/04/21 22:27
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朝鮮軍が……
アホか“かしこ”かは置いといて……、今回『アイリス#144』の、わたしの最初のコメに↓こう書きました。
>志摩子の源氏名(でいいのかなあ、舞妓も)「小まめ」。よく考えたら「まめ(豆)」には「小さい」の意もありますから(他の意味もありますが)これは「馬から落ちて落馬する」の類ですな。しっぱい失敗。
ところが! 調べましたところ実在しはります、小まめ姐さん。しかもなんと祇園の芸妓さん。↓以下、Wikiの引き写しです。
「三宅小まめ(みやけこまめ)。1910年(明治43年)- 2009年(平成21年)7月21日。
祇園甲部芸妓。京舞井上流名取。京都市東山区〔祇園のあるとこです〕出身。実家は置屋〔舞妓・芸妓の所属部屋〕を営む。
10代前半で舞妓から出て、15歳のころに衿替え。以来、祇園の芸妓としてお座敷や『都をどり』、『温習会』などで活躍した。小まめという芸名は最初、小豆と表記していたが、本人はそれを嫌がり改名したといわれる。
1997年(平成9年)、京都伝統技芸振興財団より第1回伝統技芸保持者に認定される。同年11月、京都府行催事功労者表彰。1998年(平成10年)京都市自治100年記念表彰……」
という名芸妓さんです。
いやあ、全くの思い付きでつけたんですが、結果的にとんでもないお方の芸名(でいいのかなあ)をパクってしまいました。が、まあ、似たような芸妓名はいっぱいあるやろ、ということでご勘弁願いましょう。
「祇園甲部」「井上流」「衿替」「都をどり」などについては、いずれ書かせていただきます(そんなん書いとったら終われへんで『アイリス』)。
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12. Mikiko- 2016/04/22 07:27
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お井戸攻撃
もっといい手を思いつきました。
わざと汲ませて、そのまま帰すんです。
で、城中に入る手前で、ブスリ。
水はこぼれてしまうでしょうから……。
汲み桶には、予め用意した水を入れておきます。
しばらくして……。
帰りの遅いのを心配した場内から、斥候が出ます。
で、決死隊員の死骸を発見。
しかし!
傍らには、水を湛えた汲み桶が!
こやつ、命に代えて、水を持ち帰ってくれた(感涙)。
汲み桶は、恭しく城中に入れられ……。
乾いた兵士たちの喉を潤す。
が……。
次の瞬間、城中は阿鼻叫喚の地獄と化します。
汲み桶の水には、毒が入れられてたんですね。
小豆では、嫌がるのも無理ありません。
これでは、“あずき”です。
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13. 豆さがしハーレクイン- 2016/04/22 11:43
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>お井戸攻撃
尻攻撃かと思った。
↓こんなのも思い出しました。
♪おいど日本橋 屁こき橋~
>小豆では、嫌がるのも……
そうか、そういうことだったのか。まったく気が付きませんでした。
なんでそないに嫌がる、とは思っていたのですがね。
そういうことなら納得です、“あずき”姐さん。