2025.2.9(日)
「じゃ、ここに寝て」
見あげると、少年はすでに着衣を失っていた。
「脚、持ちあげてやって」
少年の両脚を束ね、ソファーに載せる。
少年は自ら上体を捻り、座面に仰向いた。
肋の浮いた白い胴体。
人形みたいだった。
しかし一箇所、人形にはあってはならないものが存在していた。
男根だ。
無毛の股間から、角のごとく起ちあがっている。
生まれたてのネズミを思わせるピンク色。
そしてその先端では、真っ赤な亀頭がラズベリーのように膨れていた。
「ふふ。
美味しそうだけど。
お口で味わってたら、また出ちゃうかも知れないわね。
早いとこ童貞を卒業させてあげないと」
主婦は、少年の細い胴を跨いでしゃがみこんだ。
自らの尻の下から手を回し、少年の陰茎を掴む。
陰茎が杭のように直立した。
少年は、結合しようとする一点を見つめていた。
位置を調節する主婦の指が定まった。
「むぅ」
陰裂が亀頭を呑みこんだ。
「ふふ。
侑人くん。
キミのより立派だわ」
腹立たしいが、認めざるを得ない。
少年の陰茎は、侑人や翔太のより一回り大きかった。
陰毛の生えた上級生のものと同サイズだった。
「じゃ、いただきます」
主婦の腰が、ゆっくりと下降する。
陰茎が、ずぶずぶと埋もれていく。
主婦の陰唇が、男根の付け根に貼りついた。
完全に呑みこんだのだ。
無毛の男性器と女性器の接合点は、G.I.ジョー人形の関節みたいに見えた。
見あげると、少年はすでに着衣を失っていた。
「脚、持ちあげてやって」
少年の両脚を束ね、ソファーに載せる。
少年は自ら上体を捻り、座面に仰向いた。
肋の浮いた白い胴体。
人形みたいだった。
しかし一箇所、人形にはあってはならないものが存在していた。
男根だ。
無毛の股間から、角のごとく起ちあがっている。
生まれたてのネズミを思わせるピンク色。
そしてその先端では、真っ赤な亀頭がラズベリーのように膨れていた。
「ふふ。
美味しそうだけど。
お口で味わってたら、また出ちゃうかも知れないわね。
早いとこ童貞を卒業させてあげないと」
主婦は、少年の細い胴を跨いでしゃがみこんだ。
自らの尻の下から手を回し、少年の陰茎を掴む。
陰茎が杭のように直立した。
少年は、結合しようとする一点を見つめていた。
位置を調節する主婦の指が定まった。
「むぅ」
陰裂が亀頭を呑みこんだ。
「ふふ。
侑人くん。
キミのより立派だわ」
腹立たしいが、認めざるを得ない。
少年の陰茎は、侑人や翔太のより一回り大きかった。
陰毛の生えた上級生のものと同サイズだった。
「じゃ、いただきます」
主婦の腰が、ゆっくりと下降する。
陰茎が、ずぶずぶと埋もれていく。
主婦の陰唇が、男根の付け根に貼りついた。
完全に呑みこんだのだ。
無毛の男性器と女性器の接合点は、G.I.ジョー人形の関節みたいに見えた。
コメント一覧
-
––––––
1. Mikiko- 2025/02/09 05:31
-
今日は何の日
2月9日は、『学習机の日』。
オフィス家具をはじめとして、さまざまな空間、環境、場づくりを手がける……。
『㈱イトーキ(https://www.itoki.jp/)/東京都中央区日本橋』が制定。
日付は、「学習机」の購入や買い替えが活発になる時期であることと……。
『「つ(2)」「く(9)」え⇒机』と読む語呂合わせから、2月9日に。
https://zatsuneta.com/img/10209a5_01.jpg
同社(当時、伊藤喜工作所)は、1962(昭和37)年に……。
日本で初めて、一般家庭向けの「スチール製学習机」を製造販売しました。
https://zatsuneta.com/img/10209a5_02.jpg
その後、学習机の基本形となる「ジュニアデスク」などの商品を加え……。
日本の家庭では、学習机が爆発的に広まっていきました。
2022(令和4)年には、学習机販売60周年を迎えました。
学習机の歴史を振り返りながら、子どもも大人も、自分が使った学習机に思いをはせ……。
対話のきっかけにしてもらうとともに、市場の活性化の一助とすることが目的。
記念日は、2022(令和4)年、『(社)日本記念日協会(https://www.kinenbi.gr.jp/)』により認定、登録されました。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/10209a5.html)のページから転載させていただきました。
続きは次のコメントで。
-
––––––
2. Mikiko- 2025/02/09 05:31
-
今日は何の日(つづき)
さらに同じページから、引用を続けさせていただきます。
同社は、1890(明治23)年12月1日、創業者の伊藤喜十郎(いとう きじゅうろう/1855~1936)が……。
大阪の高麗橋で、発明特許品の普及ならびに輸入品を取り扱う伊藤喜商店として創業しました。
https://zatsuneta.com/img/10209a5_03.jpg
創業当初は、海外から輸入されたホッチキスなどの事務機器や文具などを扱ってました。
1908(明治41)年には、自社製品による拡充を計るべく……。
伊藤喜工作所(後のイトーキクレビオ)の前身となる、伊藤喜商店工作部が設けられ、スチール製品の製造販売を開始しました。
その後は、椅子やロッカーをはじめとして、和文タイプライター、耐火金庫、オフィス用スチールデスク、パーティションなど……。
オフィスで必要とされる事務機器の多くで、高いシェアを占めるまでに成長していきました。
イトーキでは、1962年の学習机販売開始から、オフィスや在宅ワーク用、家のインテリアに合わせた機能やデザインの家具など……。
その時代のスタイルに合わせた製品を開発してきました。
例えば学習机では、最初はスチール製でしたが……。
その後、木製が定番となりました。
また、天板の上に棚がついたり、天板の下にある引き出しがワゴン式に変化したり……。
机と棚の配置が変えられる、スタイル可変式が登場したりしました。
https://zatsuneta.com/img/10209a5_04.jpg
同社はこれからも、学習机をはじめ、生活を取り巻くさまざまな家具を、時代に合わせてアップデートしていくことで……。
「家庭の生活環境」を、より豊かなものにしていきます。
以上、引用終わり。
続きはさらに次のコメントで。
-
––––––
3. Mikiko- 2025/02/09 05:31
-
今日は何の日(つづきのつづき)
高校生まで、自宅の子供部屋で暮らしてました。
普通に、勉強机がありました。
でも、いわゆる学習机ではありませんでした。
学習机と云うと、天板奥の棚ですよね。
あれは無かったと思うんですよ。
今わたしは、子供時代と同じ家で暮らしてます。
でも、わたしの子供部屋は、和室に改装されてて……。
当時使ってた机もベッドもなくなってるんです。
ほんとに、木製だったかどうかも忘れちゃってますね。
学習机の思い出、ほぼゼロです。
勉強、しませんでしたからね。
子供部屋で思い出しましたが……。
「子供部屋おじさん」「子供部屋おばさん」という人たちがいるそうです。
大人になってからも、自分の子供部屋で暮らす独身の人たち。
とある「子供部屋おばさん」の記事を読んだことがあります。
東大卒です。
でも、職場になじめず、すぐに辞めてしまいました。
で、子供部屋に籠もって始めたのが……。
受験勉強です。
資格試験ですね。
次々と難関資格を取っていったそうです。
でも、その資格を生かして就職しようとはしませんでした。
ひとつの資格を取ると、また次の資格にチャレンジという繰り返し。
彼女曰く、「一生、受験生でいたい」。
勉強が嫌いでしょうがなかったわたしには、ちょっと理解しがたい方ですが。
永遠に続くモラトリアムって感じなんですかね。
親に金銭的余裕があるから出来ることなんでしょうけど……。
親が亡くなったらどうするんでしょう。
本人、年金ももらえないんですよ。
ま、人ごとですが。
-
––––––
4. 手羽崎 鶏造- 2025/02/09 16:43
-
超高齢化社会が目の前に来て
います。
受け取る年金額は、開始年齢は
遅らされるし、額も減らされる一方です。
現役時代、それなりの収入が有った
方は厚生年金も充実していますが、
自営業の方は無年金の方も珍しく
ありません。
10年後のこの国を考えるとぞっと
しますね。
-
––––––
5. Mikiko- 2025/02/09 16:57
-
わたしの叔父は……
66歳ですが、まだ会社勤めを続けてます。
考えてみると、55歳で定年退職だったころは……。
幸せな時代だったんですね。