2025.2.5(水)
「布地で擦れちゃうのよね。
じゃ、自由にしてあげましょう」
主婦が、ブリーフに両手を掛ける。
侑人は、少年の腕ごとしっかりと抱きしめた。
やはり少年は、脚を動かせないようだ。
この状態では、抵抗のしようがない。
主婦の手が、ブリーフを引き下げる。
布地から、陰茎が躍り出た。
生まれたての、毛の生えてないネズミのようなピンク色だった。
しかし、亀頭の皮は綺麗に剥けていた。
痛々しいほどの赤い粘膜が、小さな心臓みたいに鼓動している。
「キミも見習って、剥く練習しなさい」
「はいはい」
「でもこれ、まだ女の人の中に入ったことないのか。
童貞なのよね?」
少年は頷かなかったが、首を横振りもしなかった。
「昨日は、初物をお口でいただいたけど……。
今日は、わたしの中にたっぷり出していいのよ。
生でオッケー。
おばさん、不妊症だから」
「それで離婚されたんだ」
「うるさい。
じゃ、いくわよ。
入れるまでは、我慢して出さないでね。
どうしようかな。
こうするか」
主婦は、少年に背中を向けた。
片手をセンターテーブルに着き、尻を突き出す。
熟れきった白桃のような尻の狭間に、ぱっくりと割れた性器が覗いている。
主婦は、少年の脚を跨ぐかたちで後ずさった。
満月みたいな尻が、少年の股間上に懸かった。
主婦の手が自らの股ぐらを潜り、少年の陰茎を掴んだ。
斜め前方に起こした。
尻がゆっくりと下降する。
ラズベリーのような亀頭が、陰裂に触れた。
「う」
少年が呻いた。
「う。
う」
ラズベリーの先端から、精液が噴きこぼれた。
ラズベリーはたちまち、練乳がけになった。
じゃ、自由にしてあげましょう」
主婦が、ブリーフに両手を掛ける。
侑人は、少年の腕ごとしっかりと抱きしめた。
やはり少年は、脚を動かせないようだ。
この状態では、抵抗のしようがない。
主婦の手が、ブリーフを引き下げる。
布地から、陰茎が躍り出た。
生まれたての、毛の生えてないネズミのようなピンク色だった。
しかし、亀頭の皮は綺麗に剥けていた。
痛々しいほどの赤い粘膜が、小さな心臓みたいに鼓動している。
「キミも見習って、剥く練習しなさい」
「はいはい」
「でもこれ、まだ女の人の中に入ったことないのか。
童貞なのよね?」
少年は頷かなかったが、首を横振りもしなかった。
「昨日は、初物をお口でいただいたけど……。
今日は、わたしの中にたっぷり出していいのよ。
生でオッケー。
おばさん、不妊症だから」
「それで離婚されたんだ」
「うるさい。
じゃ、いくわよ。
入れるまでは、我慢して出さないでね。
どうしようかな。
こうするか」
主婦は、少年に背中を向けた。
片手をセンターテーブルに着き、尻を突き出す。
熟れきった白桃のような尻の狭間に、ぱっくりと割れた性器が覗いている。
主婦は、少年の脚を跨ぐかたちで後ずさった。
満月みたいな尻が、少年の股間上に懸かった。
主婦の手が自らの股ぐらを潜り、少年の陰茎を掴んだ。
斜め前方に起こした。
尻がゆっくりと下降する。
ラズベリーのような亀頭が、陰裂に触れた。
「う」
少年が呻いた。
「う。
う」
ラズベリーの先端から、精液が噴きこぼれた。
ラズベリーはたちまち、練乳がけになった。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2025/02/05 05:49
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今日は何の日
2月5日は、『近江日野商人の日』。
滋賀県蒲生郡日野町が制定。
江戸時代から、特産品を携えて各地に行商に赴き……。
行商先で出店を構えて大成した、近江日野商人。
「陰徳善事(いんとくぜんじ)」や「三方(さんぽう)よし」などの商業哲学を編み出しました。
勤勉、質素倹約、社会貢献を大切にした、近江日野商人の商人文化を継承し……。
その価値と魅力を発信することが目的。
日付は、商人が互いに支え合う組合「日野大当番仲間(ひのおおとうばんなかま)」が……。
毎年2月5日に、「大寄り合い」の日として集ってたことから、2月5日に。
記念日は、2024(令和6)年7月19日、『(社)日本記念日協会(https://www.kinenbi.gr.jp/)』により認定、登録されました。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/10205a3.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、引用を続けさせていただきます。
『日野町(ひのちょう)https://www.town.shiga-hino.lg.jp/』は、滋賀県東部に位置する町です。
https://zatsuneta.com/img/10205a3_01.jpg
蒲生郡(がもうぐん)に属します。
1889(明治22)年4月1日、町村制施行により日野町が発足しました。
現在の町の面積は、117.60平方キロメートル。
総人口は、20,342人(2024年12月1日時点)。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2025/02/05 05:50
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今日は何の日(つづき)
引用を続けます。
町の木はヒノキ、町の花はホンシャクナゲ。
町域の中心部は、蒲生氏が日野城(中野城)の城下町として開発した地域です。
蒲生氏が、伊勢松坂、会津若松へ移ってからは……。
漆器や製薬の産地、近江商人(日野商人)の発祥地として繁栄しました。
また西大路には、仁正寺藩(西大路藩)が存在してました。
江戸時代、日野町は、日野椀(ひのわん)や日野合薬(ひのごうやく)の産地として活況を呈し……。
産業の町として栄えました。
人々は特産品を携えて、北関東や東海地方を行商しました。
https://zatsuneta.com/img/10205a3_02.jpg
蓄財すると、行商先に出店を構え……。
近江日野商人として大成し、日野町発展の礎を築きました。
「日野大当番仲間」は、業種を超え、地縁で結ばれた組合です。
組合員であれば誰もが利用できる指定の旅籠や、流通業者網を整備し……。
組合員の商業を互いに支え合いました。
この記念日となった2月5日を、「大寄り合い」の日とし、約200年にわたって……。
組合員は、羽織袴を着して町内の寺院に集まり、情報共有、課題や要望の協議を行いました。
近江日野商人の商業哲学は、「陰徳善事」。
人知れず善い行いをすること、自己顕示や見返りを期待せず……。
人のために尽くすことを意味する言葉で、近江商人に広く尊ばれてました。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2025/02/05 05:50
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今日は何の日(つづきのつづき)
さらに引用を続けます。
「三方よし」は、近江日野商人の商人道を象徴する……。
「売り手よし・買い手よし・世間よし」を表した言葉です。
売り手と買い手だけではなく、行商先を含めた世間に利益を提供すること……。
つまり、世の中から求め必要とされる正当な商いを心がけてました。
近江商人は、社会的責任と使命を果すことに、商人としての自覚と誇りを感じてたのです。
以上、引用終わり。
近江商人という言葉は知ってましたが……。
近江日野商人は、初めて聞きました。
↓例によって、Wikiからの引用です(出典⇒https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%B1%9F%E6%97%A5%E9%87%8E%E5%95%86%E4%BA%BA)。
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近江日野商人は、江戸時代から明治時代にかけて滋賀県蒲生郡日野に本宅を残し、全国で活動した商人。
近江商人に含まれる。
中近世に蒲生氏の城下町として商工業で栄えた日野にて、蒲生氏の移封による地域の衰退傾向から特産品の日野椀や医薬品の行商に活路を見出したのが始まりとされる。
蒲生氏の移封に伴い全国に縁故を広げ、北関東においては醸造業を営む者や、伊勢松阪においては伊勢商人となった者もいた。
全国に数多くの支店を設ける特徴的な商法から、「日野の千両店」と呼ばれた。
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たくましいですね。
日野町という町名自体、初めて知りました。
調べたら、琵琶湖の東南にありました。
琵琶湖とは接してません。
日野には、東海道の土山宿と中山道を結ぶ街道が通ってたようです。
全国に出て行きやすかったんでしょうね。
続きはさらにさらに次のコメントで。
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4. Mikiko- 2025/02/05 05:51
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今日は何の日(つづきのつづきのつづき)
知らない土地を見聞きすると……。
真っ先に気になるのが、気候です。
新潟市より北でなければ、移住候補地としてどうかと考えるからです。
↓日野町のページからの引用です(出典⇒https://www.town.shiga-hino.lg.jp/cmsfiles/contents/0000003/3099/hino.pdf)。
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日野町の気候は、温暖な瀬戸内式気候に属していますが、内陸に位置するため、平均気温は14.5℃で、琵琶湖沿岸部に比べるとやや低くなっています。
また、年間降水量は1,300~1,600mmで、冬には降雪が見られます。
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東京の平均気温は、15.8度。
新潟の平均気温は、13.9度。
日野町は、ちょうどこの中間です。
東京の年間降水量は1,500mm。
ほぼ同じですね。
気候的に住みにくいところではないようです。
老後を近江で暮らすというのも、いいかもしれません。
近江には、ちょっと憧れがあるんです。
↓の俳句によるものだと思います。
●行く春を近江の人と惜しみける
松尾芭蕉の句です。
芭蕉の句の中で、一番好きかも知れません。
↓歌人の河野裕子の歌です。
●たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
河野裕子も、芭蕉の句に惹かれてたと聞いた記憶があります。
近江という地名を聞くと……。
わたしの胸の中にも、おぼろに揺らぐ湖面が見えるようなんです。
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5. 手羽崎 鶏造- 2025/02/05 09:41
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滋賀県は地震も少なく、水災害も起き辛い
災害の心配が少ない県として知られています。
干ばつや火事になっても琵琶湖(淡水)に水を
汲みに行けばいいですし。
(ちょっと無理があるか)
戦国時代、名だたる武将が琵琶湖沿岸に
続々と城を築いたということは、それだけの
土地だということなのでしょうね。
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6. Mikiko- 2025/02/05 11:32
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近江の海
枯れない真水が満々とあるということは……。
何より、農業にとって一番の利点でしょうね。
余談ですが……。
琵琶湖は水温が低く、死体が腐らず屍蝋化するんだそうです。
水流の関係で、湖底を彷徨い歩く鎧武者もいるとか。