2016.4.12(火)
「せやったかなあ」
志摩子は、来し方を思い浮かべるように中空を仰ぎ見た。
道代は思わずその視線の先を追ったが、灯りの届かぬ天井の暗闇が見えるだけだった。
(女将はんには、昔のことが見えてはるんやろか……)
志摩子に出会った頃、道代はまだ下働きの小女であった。身の回りの世話をするように、と志摩子に付けられた道代であったが、出たての舞妓である志摩子以上に、花街のことは何一つ知らない道代だった。右も左もわからない入りたての身で、やはり舞妓としてはまだまだ覚束ない志摩子の周りをうろうろするだけの道代だった。毎日毎日、叱られ、小突き回され、右往左往する日々を夢中で送る道代だった。
それでも、徐々にやるべきこと、やらねばならないこと。守らねばならない仕来たり、やってはならない決まり事。様々な、花街で生きていく上での要領が徐々に掴めてくる道代だった。
そのあたりは、志摩子も同様であったろうか。出たての舞妓の日常は忙しい。お座敷勤めはもちろん、舞妓に欠かす事の出来ないのが、歌舞音曲の稽古である。舞妓はいずれ芸妓になる。歌や踊り、三味に笛・鼓の稽古は、舞妓の仕事のようなものだった。
稽古は厳しかった。お座敷の勤めももちろん大変なのだが、これは相手が客。場がいわば、表舞台の遊びの場とあれば、もちろん息は抜けないとはいえ、どこか緩んだ雰囲気はある。しかし歌や踊りの稽古はいわば舞台裏での修行である。師匠の鍛錬に手抜き、息抜きは一切なく、若い舞妓は容赦なく、徹底的に扱かれる。あまりの辛さに音を上げる者、泣きだす者、果ては舞妓稼業そのものから逃げ出す者も珍しくなかった。
道代と志摩子は、互いに寄り添い、支え合い、この祇園という女の街で縺れ合うようにその日その日を送っていた。
ある早春の一日、志摩子は稽古を逃げ出した。道代は止めようとしたが、止められるはずも無かった。
住み慣れた祇園から逃れ、どこへ行くあてもなく街中をさまよう志摩子のあとを、道代はおろおろと付いて行くしかなかった。道代も志摩子も、祇園の外の京はまったくの不案内である。二人とも、小学校を終えて一年ほどの、ほんの小娘なのだ。
どこをどう歩いているのか、路はすぐにわからなくなった。行き暮れた二人の行く所はどこにも無かった。
もう、元の置屋はんには戻れん……死ぬまで歩き続けるしかないねんやろか。そんなことを道代は考えた。前を行く志摩子は自信満々という風にも見えたが、その志摩子の足も何処か覚束ないものがあった。
「あんた、どこまでついてくんのん」
振り向いた志摩子が道代に声を掛けた。詰問するような口調だった
「どこまで、て……」
道代には、答えはそれしかなかった。
(うちはお供やし……)
道代は心中で呟いた。志摩子に付いて行く他は無い道代であった。
「うちはなあ、もうあないなとこ懲りごりや。好きなとこ行くんや。あんたも好きにしたらええがな」
そう志摩子に言われた道代だが、どこにも行くところがあろうはずは無かった。
志摩子は胸を張り、一歩遅れた道代は俯き加減に、誰の目にも主従としか見えない二人は、まだ少し肌寒い京の町中をどこまでも歩き続けた。
二人の前に、朱塗りの巨大な門が現れた。道代は呆然と振り仰いだ。京に寺社仏閣はそれこそ星の数ほどある。しかし道代は、今の置屋に奉公するようになって以来、京都見物をしたことなど一度も無かった。今、目にする寺社がいずれのものか知らない道代であった。しかし、このように壮麗な山門は、故郷の村にはもちろん無かった。朱塗りの巨大な門は道代を圧倒し、その目を眩ませた。
道代には門というよりも、城か御殿に見えた。朱色の御殿は、道代を傲然と見下ろすように、押し潰すように、天空高く聳え立っていた。
だが、それはやはり門であった。数知れぬ人々が、ひっきりなしにその建物の中央を通り抜け、その奥へ出入りしていた。
祇園にほど近い八坂神社であった。
であるから、その巨大な門は山門ではなく、楼門なのであった。
八坂神社の主祭神は、素戔嗚尊(すさのをのみこと)と櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)。古事記の日本建国神話に登場する、天から降り立ったスサノオが、八岐大蛇を退治して得た妻がクシナダヒメである。
八坂神社の創祀は諸説あるが、最も古いものは斉明天皇二年(656年)とされている。京都の寺社群の中でも特に古い、京の都そのものよりも長い歴史を持つ神社であった。道代も志摩子もまだ知らなかったが、京都最大の祭り、祇園祭はこの八坂神社の祭礼なのである。
八坂神社の朱塗りの楼門を見上げる道代は、口をあんぐりと開けたまま、しばらく呆然としていた。ふと我に返り隣を見やると、志摩子も道代と同様に口を開けて、朱塗りの楼門を見上げていた。
(志摩ちゃんもうちとおんなじかあ)
道代も志摩子も、山出しの小娘であった。京の都の事など、まだ何も知らない二人であった。道代は顔を戻し、再び上を見上げた。
知らぬ間に、道代と志摩子は手を繋いでいた。互いが互いに縋るように手を繋ぎ合った二人の娘は、魂を抜かれた様にいつまでも壮麗な楼門を見詰め続けた。
どこへ行く当てもなく、元の置屋に戻ることもできず、道代と志摩子は京の街中をさ迷い歩いた。どれほど歩いたのか、何時間歩き続けたのか、何時か二人は川沿いの土手の上に出ていた。精も根も尽き果てていた。
二人は、転げ落ちるように土手の中腹まで下り、言い合わせたように座り込んだ。
歩き疲れた道代と志摩子は、頽れるように腰を下ろした。川面を吹き過ぎる風は冷たかったが、降り注ぐ陽射しは暖かかった。川の水は澄んで美しく、春の陽光を照り返して煌きながら流れていた。
二人はしばらくものも言わず、互いに寄り掛かるように肩を寄せて川面を見詰めた。京の町を南北に貫く鴨川の流れであった。川幅はそれなりにあるが、水深はいくらも無い。大人であれば、歩いて渡ることもできるだろう。鴨川は賀茂川とも書く。穏やかな、春の賀茂の流れであった。
膝を抱えて川の流れに見入る二人に、時折、薄桃色の小片が散り掛かる。早くも散り始めた桜の花弁であった。
「小まめちゃん……」
道代が志摩子に声を掛けた。「小まめ」は志摩子の源氏名。まめは「豆」であろうか。
志摩子は返事をしなかった。立てた両膝の上に両の手を重ね、その上に顎をうずめ、道代を見ようともしなかった。
「なあ、小まめちゃん、て」
「なんや。うちは志摩子や。小まめなんて知らんわ」
志摩子は相変わらず正面を見やり、道代を見ようともせず、しかしようやく返事を返した。
「ほなら志摩ちゃん。どないすんのん、これから」
「どないもせえへんわ」
「どないもせえへんて……いっぺん帰った方がええんちゃうのん」
言い募る道代に、ようやく志摩子は目を向けた。突き放すように返答を返す。
「帰れへんわ、あないなとこ。頼まれたって帰るもんやないわ」
「ほな、どないすんのん」
「うっるさいなあ、もう。そないに帰りたかったら、あんた一人で帰ったらええやんか。別に、ついてきてくれ、て頼んだ覚えないわ」
道代は半泣きになった。
「そんな……うちだけ帰れるわけないやん」
「あんた、そないにあこにおりたいんか」
「おりたい……ゆうこともないけど……ほかに行くとこ、ないし」
志摩子は、宣言するように道代に告げた。
「とにかく、うちは帰れへん。死ぬまでここにおる。あんたはあんたで好きにしたらええがな」
「そんな……」
正面に向き直った志摩子は、もう道代などいないかのように、煌く川面を見詰め続けた。
もはやてこでも動かない。そのような志摩子をどうすることもできず、道代もまた鴨川の清流を見やるしかなかった。
コメント一覧
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1. とざい東西HQ- 2016/04/12 08:51
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志摩子女将一代記
始まりました!
まあしかし、さんざん迷ったんですがね。
書く必然性はあるんですよ(「必然性があれば脱ぎます」は誰だっけ)。
あやめを殺したいほどの、志摩子女将の恨みつらみ。これをはっきりさせないと、クライマックスの説得力が無くなります。
そのために始めました想い出話。ですが、下手するとマジに今年中に終わらなく恐れもあります、『アイリスの匣』。
切り上げ時の難しい志摩子一代記、テンポよく纏めたいと思います。今後の展開に、乞う!ご期待。
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2. Mikiko- 2016/04/12 19:42
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舞妓の稽古
これまで何回かご紹介してきた新潟市の柳都振興㈱。
↓振袖さん(京都で云う舞妓)の求人ページです。
http://ryuto-shinko.co.jp/recruit/index.html
これによると、勤務時間は、15:30~23:30。
15:30から稽古、なんてことは無いんでしょうね。
てことは、稽古は勤務の前に行われるわけで……。
当然、無給ということになります。
わたしだったら、8時間の勤務時間の前に無給で稽古なんて、とうてい耐えられません。
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3. 祇園の若い衆HQ- 2016/04/12 21:59
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舞妓はんの生活と意見
新潟の振袖さんは、雇用形態から見ますと、半ばOLさんという感があります。
OLさん、総合職なら残業もあるでしょう。
振袖さんのお稽古は、いわば残業のように位置付け出来るんじゃないでしょうか(残業代、確か出たと思いますが)。振袖さんはいずれ留袖さん(役付き)になるわけで……。
まあ、そこまで頑張れるかどうかはもちろんご本人次第ですし、その前に「いい旦那」がついて「寿廃業」もあるかな。
京の花街の舞妓さん。稽古風景などはテレビでしか見たことありませんが、なかなか厳しそうです。まして志摩子や道代の時代は、さらに厳しかったんじゃないでしょうかね。いろんな意味で。
そのあたり、これからじっくり、いや、さらっと書かせていただこうと考えております。
が、しかし……、
>帰れへんわ、あないなとこ。頼まれたって帰るもんやないわ
とりあえず、若き日の志摩子。いや、小まめ。早くも音を上げたようです。
大丈夫かいな。
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4. Mikiko- 2016/04/13 07:35
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残業でなく……
早出ですわな。
でも、手当が出るとは思えないのですが。
小学校出たての小娘が2人、路頭に迷ってたら……。
当然、悪いやつに目をつけられます。
2人はお金も持ってないでしょうから、付いていかなければ、寝るところにも困る状況です。
後の展開は容易に想像できますが……。
あまりに詳細、生々しい描写は、その筋に目をつけられる恐れがあります。
先日、監禁事件が発覚したばかりということもありますので、ご配慮ください。
ヘタすると、ライブドアも追い出されかねません。
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5. 柳都振興広報部HQ- 2016/04/13 11:17
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振袖さん募集
柳都振興さんのHPによりますと……、
●諸手当:通勤手当、時間外手当(※ちゃんとあります)、深夜手当
だそうです。金額は不明。
ついでに……
●応募資格:18歳から22歳までの健康な女性
●初任給:高卒18歳で20万円
●学歴:高卒以上
●勤務時間:15:30~23:30 ※ここが普通のOLとの大きな違いですね。
●休日:日・祝、月1回の指定日 休日出勤の場合振り替え休日あり
●有給休暇:入社6か月目に10日、以後最高20日
●生理休暇:月2日
●夏季休暇:4日間
●年末年始休暇:6日間
●産前産休休暇:産前6週間、産後8週間(取得実績あり) ※この項目、以前覗いたときは無かったように思います。「実績あり」がすごいね。
●各種保険完備
●寮あり、着物・小物等貸与
●経験・免許・資格等不問
ということで、なかなか働きやすい職場のようです。一度お問い合わせください。
>あまりに詳細、生々しい描写
ご心配なく、志摩子一代記は「必要最小限にして簡明に」がポリシーでおま。
まあ、言われてみれば、ですがしかし、世知辛い世の中ですのう。
ライブドアを追い出されたら『家なき子』ですね。「同情するなら金をくれ!」
今現在、MBS『白熱ライブビビット』で「誘拐対策特集」をやっています。いやはやなんとも。
『イヤハヤ南友』は永井豪。
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6. Mikiko- 2016/04/13 19:47
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時間外手当
そりゃ、23:30を過ぎても仕事が終わらなければ、当然付くでしょう。
客の2次会に付き合っても、出るんですかね?
でも、就業前の稽古は、出ないんじゃないの?
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7. 祇園では無手当?HQ- 2016/04/13 21:20
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23:30以後手当
2次会手当。
お稽古手当。
すべて柳都振興にお問い合わせください。
それにしても……稽古手当にえらくこだわっておられるようですが「芸は身を助くる」。何事も自分のためと捉えて頑張りましょう。
実際には、出ると思いますよ、お手当。あくまで、わたしの感触にすぎませんがね。
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8. Mikiko- 2016/04/14 07:21
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手当が出るんなら……
明記されてるはずです。
つまり、稽古代と手当が相殺でチャラということなんじゃないですか?
三味線や踊りの師匠が、タダで教えるわけないですから……。
稽古代は、会社が出してるのでしょう。
舞妓の稽古代は、置屋が出すんでしょうね。
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9. ♪三味や踊りはHQ- 2016/04/14 08:38
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そういえば
芸妓さんはともかく、舞妓はんのお手当って、どうなってるんでしょうね。
無給?
お座敷はあるとはいえ、いわばまだ見習の身ですからねえ。
しかも置屋住まい、衣食住は保証されているわけですから……お小遣い程度かなあ。
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10. Mikiko- 2016/04/14 19:54
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舞妓は……
相撲の幕下以下と同じ身分だと思います。
どちらも、中卒で入ってモノにならなかったら……。
単なる中卒者ですよね。
その後の人生は、厳しいわな。
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11. ♪人生いろいろHQ- 2016/04/15 00:10
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>単なる中卒
志摩子の場合小卒ですからねえ、さらに厳しい。
それが料理屋の女将まで成り上がったわけですから、大したものです。