2025.1.27(月)
授業が終わり、帰り支度をしているときだった。
校内放送で、学校事務の窓口に呼び出された。
名指しだった。
いったいなんだろう。
バッグを持って、1階の窓口に向かった。
大した用でなければ、そのまま帰るつもりだった。
「あ」
窓口前の廊下に車椅子があった。
背中を向けている。
小さな頭。
さらさらした髪。
はっきりと、見覚えがあった。
窓口に近づくと、学校事務のおばさんが侑人を見つけ、ガラス窓を開けて身を乗り出した。
「キミ、漆原くん?」
「はい」
「生徒手帳、落としたでしょ。
届けは出したの?」
「いえ。
これから出そうかと……」
「この人が届けてくれたのよ。
何か、あなたに伝えたいことがあるんだって。
はい、これ」
おばさんは生徒手帳を侑人に渡すと、ガラス窓を閉めて席に戻っていった。
少年は、まだ背中を見せていた。
「ありがとう」
ゆっくりと車椅子が回り、少年がこちらを向いた。
やはり同年代だろう。
着ているものも、昨日と同じだった。
侑人と同じ、白いスクールシャツに黒ズボン。
シャツの襟に校章バッジが付いていたが、どこの学校かはわからなかった。
「漆原くん。
キミ、1年生だったんだね。
ボクと同じだ」
「そう。
ありがとう、届けてくれて」
侑人は、もう一度、礼を言った。
「もう、帰るんでしょ。
バッグ」
少年が両腕を広げ、手の平を差し出した。
細い指だった。
「ボクがそれ持つから、車椅子、押してくれる?
ほら」
校内放送で、学校事務の窓口に呼び出された。
名指しだった。
いったいなんだろう。
バッグを持って、1階の窓口に向かった。
大した用でなければ、そのまま帰るつもりだった。
「あ」
窓口前の廊下に車椅子があった。
背中を向けている。
小さな頭。
さらさらした髪。
はっきりと、見覚えがあった。
窓口に近づくと、学校事務のおばさんが侑人を見つけ、ガラス窓を開けて身を乗り出した。
「キミ、漆原くん?」
「はい」
「生徒手帳、落としたでしょ。
届けは出したの?」
「いえ。
これから出そうかと……」
「この人が届けてくれたのよ。
何か、あなたに伝えたいことがあるんだって。
はい、これ」
おばさんは生徒手帳を侑人に渡すと、ガラス窓を閉めて席に戻っていった。
少年は、まだ背中を見せていた。
「ありがとう」
ゆっくりと車椅子が回り、少年がこちらを向いた。
やはり同年代だろう。
着ているものも、昨日と同じだった。
侑人と同じ、白いスクールシャツに黒ズボン。
シャツの襟に校章バッジが付いていたが、どこの学校かはわからなかった。
「漆原くん。
キミ、1年生だったんだね。
ボクと同じだ」
「そう。
ありがとう、届けてくれて」
侑人は、もう一度、礼を言った。
「もう、帰るんでしょ。
バッグ」
少年が両腕を広げ、手の平を差し出した。
細い指だった。
「ボクがそれ持つから、車椅子、押してくれる?
ほら」
コメント一覧
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1. Mikiko- 2025/01/27 05:55
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今日は何の日

1月27日は、『ハワイ移民出発の日』。
1885(明治18)年1月27日(今から140年前)。
日布移民条約による、ハワイへの移民第一号の船が、横浜港を出航しました。
ハワイにおける移民は、急増するサトウキビ畑や製糖工場で働く労働者を確保するため……。
1830年ころから始められました。
ポルトガル人、ノルウェー人などがハワイに導入されましたが……。
地理的に近くてコストも安かったため、アジアからの移民が好まれました。
日本人、中国人、フィリピン人(米国に併合されてから)が急増しました。
https://zatsuneta.com/img/101273_01.jpg
↑『明治拾八年に於ける布哇砂糖耕地の情景』。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/101273.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、引用を続けさせていただきます。
1885(明治18)年、日布移民条約が結ばれたことで……。
ハワイへの移民が、公式に許可されるようになりました。
この政府間の条約によってハワイに働きに行った日本人移民は、「官約移民」と呼ばれました。
1884(明治17)年、最初の移民600人の公募に対し、28,000人の応募があり……。
946名が、東京市号に乗り込み、ハワイへと渡りました。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2025/01/27 05:55
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今日は何の日(つづき)

引用を続けます。
1894(明治27)年、民間に委託されるまで……。
約29,000人が、官約移民としてハワイへと渡りました。
官約移民は、「3年間で400万円稼げる」といった謳い文句で、盛大に募集が行われました。
しかしその実態は、人身売買に類似し、半ば奴隷に近いものでした。
労働は過酷で、「ルナ」と呼ばれる現場監督による、鞭で殴るなどの酷使や虐待が行われてました。
1日10時間労働で、休みは週1日。
給与は、月額10ドルから諸経費を差し引かれた金額だったそうです。
一方、日本や中国の移民から、儒教、道教、仏教、神道などが持ちこまれ、特に仏教が栄えました。
これらの宗教は、年中行事や冠婚葬祭だけでなく、日本語学校、寺子屋、合唱隊、ボーイスカウト、講演会、バザーなど……。
さまざまな催しの場を提供し、日系社会のコミュニケーションの基礎固めという役割を果たすようになっていきました。
以上、引用終わり。
まず、「日布移民条約」の「布」って何でしょう。
と思って調べたら、ハワイの漢字表記の頭文字でした。
ハワイは、「布哇」と書くんだそうです。
読めませんよね。
鳥取県にはかつて、ぴったりな町名がありました。
東伯郡羽合町。
読みはそのまま、「はわいちょう」です。
実際、ハワイ州ハワイ郡(アメリカ合衆国)と、1996(平成8)年に姉妹都市提携をしてます。
しかし、2004(平成16)年10月……。
泊村、東郷町と合併して、湯梨浜町になってしましました。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2025/01/27 05:56
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今日は何の日(つづきのつづき)

ハワイの漢字表記が「羽合」だと……。
鳥取県の羽合町と混同される恐れがあるので避けたのかと思いました。
でも、違いました。
羽合町が出来たのは、1953(昭和28)年4月1日でした。
長瀬村、浅津村、橋津村、宇野村が合併して発足したようです。
羽合という自治体は、それまで存在しなかったわけです。
↓Wikiに、町名の由来が書かれてました(出典⇒https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E5%90%88%E7%94%BA)。
+++
羽合という地名の由来は少なくとも鎌倉時代にまでさかのぼる。
正嘉2年(1258年)に作られた東郷庄絵図には伯井田の地名が確認され、この地名が訛って変化し、羽合になったとみられる。
天正8年(1580年)ごろの「吉川元春書状」には「羽合田」の地名がみえることから、少なくともこの頃には羽合の地名が成立していたようである。
+++
自治体名ではなかったけど、地域の地名としては存在したわけです。
羽合平野や羽合砂丘という名称もあったようです。
合併にあたっては、あえて4つの村とは異なる町名にしたんでしょうね。
しかし、「布哇」は、センスがなさ過ぎですよ。
「は」は、「波」でいいんじゃないですか。
でも、「わい」が難しい。
好ましくない漢字しか出て来ません。
「歪」「猥」「穢」などです。
「わい」は、2文字に分けた方がいいですね。
「波和衣」なんてどうでしょう?
今さら、どうにもならんでしょうが。











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