2024.12.29(日)
化粧台が目に入った。
侑人は、そこから椅子を運んできた。
スツールのようなものではなく……。
小さいが、ちゃんと背もたれが付いていた。
鏡の前に据える。
「座って」
主婦は素直に腰を下ろした。
「見えないわよ」
「脚、あげなきゃ。
後ろから持ってやるから」
侑人は、背もたれの後ろに回った。
主婦は、素直に両脚を持ちあげた。
両膝の裏を掬う。
鏡には、全開の股間が大写しになった。
「ほら、よく見える」
「……。
見えすぎ。
ビラビラが開いちゃってる。
少女みたいに、縦筋1本ってわけにはいかないわね。
毛がなくなっても、やっぱり少女には戻れないってことか」
「そうだ。
お金の使い道、まだあったよ。
ほら。
整形したらって話、してたじゃない。
顔が変わったら、実家に帰れなくなるからダメって言ってたやつ。
でも、顔以外なら、いじっても問題ないわけでしょ。
実際、ここも剃っちゃってるんだし。
脱毛が終わったらさ、性器の整形に行ってみたら。
ビラビラを切除する手術があるらしいから」
「何でも知ってるのね」
「勉強家なんで。
どう?
満足した?」
「そうね。
でも、家の中の鏡じゃね。
安全すぎるっていうか」
「それじゃ、またあそこに行く?
公園のトイレ」
「うーん。
1回行ったとこだと……。
成り行きが想像できちゃうもんね」
「そんなこと言ってたら、どんどんエスカレートするしかないじゃない。
最後は、ストリーキングだよ」
「そうよね。
捕まっちゃったら元も子もないわよね。
噂が立ったら、ここにも居づらくなるし。
キミ、何か考えて」
「安全だけど、スリルがあるってやつ?」
「そうそう」
「難しいよ」
「今じゃなくていいわよ。
今度までの宿題」
「ここでも宿題出されるの?」
「仕方ないでしょ。
学生のうちはそれが仕事のようなものよ」
侑人は、そこから椅子を運んできた。
スツールのようなものではなく……。
小さいが、ちゃんと背もたれが付いていた。
鏡の前に据える。
「座って」
主婦は素直に腰を下ろした。
「見えないわよ」
「脚、あげなきゃ。
後ろから持ってやるから」
侑人は、背もたれの後ろに回った。
主婦は、素直に両脚を持ちあげた。
両膝の裏を掬う。
鏡には、全開の股間が大写しになった。
「ほら、よく見える」
「……。
見えすぎ。
ビラビラが開いちゃってる。
少女みたいに、縦筋1本ってわけにはいかないわね。
毛がなくなっても、やっぱり少女には戻れないってことか」
「そうだ。
お金の使い道、まだあったよ。
ほら。
整形したらって話、してたじゃない。
顔が変わったら、実家に帰れなくなるからダメって言ってたやつ。
でも、顔以外なら、いじっても問題ないわけでしょ。
実際、ここも剃っちゃってるんだし。
脱毛が終わったらさ、性器の整形に行ってみたら。
ビラビラを切除する手術があるらしいから」
「何でも知ってるのね」
「勉強家なんで。
どう?
満足した?」
「そうね。
でも、家の中の鏡じゃね。
安全すぎるっていうか」
「それじゃ、またあそこに行く?
公園のトイレ」
「うーん。
1回行ったとこだと……。
成り行きが想像できちゃうもんね」
「そんなこと言ってたら、どんどんエスカレートするしかないじゃない。
最後は、ストリーキングだよ」
「そうよね。
捕まっちゃったら元も子もないわよね。
噂が立ったら、ここにも居づらくなるし。
キミ、何か考えて」
「安全だけど、スリルがあるってやつ?」
「そうそう」
「難しいよ」
「今じゃなくていいわよ。
今度までの宿題」
「ここでも宿題出されるの?」
「仕方ないでしょ。
学生のうちはそれが仕事のようなものよ」
コメント一覧
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1. Mikiko- 2024/12/29 05:41
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今日は何の日

12月29日は、『山田耕筰忌』。
大正から昭和にかけての作曲家で指揮者の……。
山田耕筰(やまだ こうさく/1886~1965年)の忌日。
https://zatsuneta.com/img/112294_01.jpg
「山田耕筰忌」という名称は、記念日に関する複数の書籍で確認することが出来ます。
山田耕筰は、日本初の管弦楽団を造るなど……。
日本において、西洋音楽の普及に努めた人物でした。
交響曲『かちどきと平和』、歌曲『からたちの花』『この道』、童謡『赤とんぼ』などの作品で知られます。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/112294.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、「山田耕筰について」を引用させていただきます。
1886(明治19)年6月9日、東京府東京市本郷区(現:東京都文京区)で生まれました。
父は、旧板倉藩士で医師の山田謙造。
1908(明治41)年、東京音楽学校(現:東京芸術大学)声楽科を卒業。
1910(明治43)年から3年間、三菱財閥の総帥、岩崎小弥太(いわさき こやた)の援助を受けて……。
ドイツのベルリン王立芸術アカデミー作曲科に留学。
作曲家のマックス・ブルッフ(Max Bruch)などに学びました。
ベルリン時代の1912(大正元)年、日本人初の交響曲『かちどきと平和』を作曲します。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2024/12/29 05:42
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今日は何の日(つづき)

引用を続けます。
帰国後の1914(大正3)年、岩崎が主宰する東京フィルハーモニー会に、管弦楽部を組織し……。
指揮者をしますが、翌年には解散。
1917(大正6)年、アメリカに渡り、ニューヨークのカーネギー・ホールで……。
自作を中心とした演奏会を開きました。
1920(大正9)年、日本楽劇協会、1925(大正14)年、日本交響楽協会(後:新交響楽団/現:NHK交響楽団)を設立し……。
指揮者として活動。
ドイツやフランス近代の作品を紹介し、交響楽やオペラの興隆に尽力します。
1936(昭和11)年、フランス政府からレジオンドヌール勲章を受章。
1942(昭和17)年、帝国芸術院会員に選出。
1956(昭和31)年、文化勲章を受章。
1965(昭和40)年12月29日、心筋梗塞により、東京都世田谷区成城の自宅で死去。
満79歳。
墓所は、東京都あきる野市の西多摩霊園にあります。
そのほかの代表的作品には、次のようなものがあります。
交響詩『曼陀羅の華(1913年)』、歌曲『からたちの花(1925年/作詞:北原白秋)』『この道(1927年/作詞:北原白秋)』、……。
童謡『赤とんぼ(1927年/作詞:三木露風)』、オペラ『黒船(1940年)』などです。
関連する記念日として、初の日本人の作曲による交響曲『かちどきと平和』を発表した、1914(大正3)年12月6日に由来して……。
12月6日は、『シンフォニー記念日(https://zatsuneta.com/archives/112063.html)』となってます。
以上、引用終わり。
早死にした人かなと思ってました。
どうやら、滝廉太郎(満23歳で肺結核により病没)と混同してたようです。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2024/12/29 05:42
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今日は何の日(つづきのつづき)

写真を見ると、ユル・ブリンナーのような髪型。
スキンヘッドも、髪型って云うんですかね?
出家したのかと思いましたが、ぜんぜん違いました。
逆に、お父さんの山田謙造は、キリスト教伝道師もしてたようです。
本人が入信したのかは、Wiki(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E8%80%95%E7%AD%B0)には書かれてませんが……。
当然、幼いころに洗礼を受けてたんでしょうね。
死因は心筋梗塞とのことですので、癌で髪が失われたわけでもないようです。
やっぱ、今流行りの、ハゲ隠しのスキンヘッドなんでしょうか。
↓若いころはフサフサなんですよね(Wikiの同じページより)。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ce/Kosaku_Yamada_-_LOC_29638928651_%28cropped%29.jpg
結婚は3回してるようです。
3回目の結婚は、なんと70歳のとき。
男性ホルモンが豊富だったんでしょうね。
はは。
↓Wikiをよく読んだら、丸坊主にした理由が書いてありました。
+++
戸籍上は長らく「耕作」のままであったが、1956年に再婚したのをきっかけに「耕筰」に改めている。
1948年に発表したエッセイ「竹かんむりの由来」によると、「山田耕作」と同姓同名の人物が多く(全国に100人以上いたという)、それゆえのトラブルが頻発していたのが、改名の理由の一つである。
+++
続きはさらにさらに次のコメントで。
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4. Mikiko- 2024/12/29 05:42
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今日は何の日(つづきのつづきのつづき)

引用を続けます。
+++
もう一つは、山田の指揮姿を見た颯田琴次から、後頭部の髪の乱れを指摘され、カツラをつけろと言われた後である。
カツラを嫌った山田は丸坊主にしたものの、その姿を気に入っておらず、それで名前の上にカツラをかぶせることを考えた。
竹かんむり=ケケ(毛毛)というわけである。
+++
確かに、指揮者は常に後頭部を見せてますからね。
気になる髪だと、観客の目がそこに行きっぱなしになってしまうでしょう。
しかし、名前の方にカツラをかぶせるとはね。
けっこうしゃれっ気のある人だったようです。
新潟市の寄居浜の風景を歌った『砂山(作詞:北原白秋)』も、山田耕筰の作曲でした。
山田耕筰は、たくさんの校歌も作曲してます。
新潟明訓高校の校歌も、その一つ。
作詞は、早稲田大学の校歌で有名な相馬御風(新潟県糸魚川市出身)。
https://www.youtube.com/watch?v=IC2tlpWBibs
この校歌、また甲子園で聞きたいものです。
近年、明訓野球部は低迷してましたが……。
久々に、秋季新潟県大会で優勝ました。
でも残念ながら、北信越大会では2回戦で負けてしまったので……。
選抜出場は叶いませんでした。
夏に期待したいです。
なお明訓は、年末の高校サッカーにも出場します。
こちらも残念ながら、強豪校がひしめくブロックに入ってしまいました。
初戦は、31日。
相手は、大阪の阪南大高。
強そうですけど……。
頑張ってほしいものです。











![[官能小説] 熟女の園](https://livedoor.blogimg.jp/mikikosroom2008/imgs/3/e/3e07a9c3.gif)





































































































