2024.10.11(金)
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「奈美さん。
昔話をしてたら、復活してきましたよ。
感じるでしょう」
2人で湯船に浸かりながら、老人の話を聞いていたのだ。
背中を老人の胸に預けていた。
腰にあたる老人の陰茎が、話の終盤から膨れ始めたのを感じていた。
「そのお2人とは、その後も続いたんですか?」
「2,3度、一緒に遊びに行きました。
でも赤鬼が、例の閻魔大王と大げんかして辞めちゃったんです。
県外の会社の工場の寮に入ったらしいと青鬼から聞きました。
どうやらギャンブルに手を出してて、かなりの借金があったみたいなんです。
閻魔大王に怒られたのも、経費のちょろまかしのようです。
そうなってみると、青鬼と2人でってのは、遊びづらいものです。
3人だったから、遊びに出来たんです。
青鬼と2人じゃ、ダブル不倫そのものですからね。
そのうち青鬼も配置転換になって、別の事業所勤務になりました。
結局、それで立ち消えですね。
今にして思えば、青鬼夫婦と4Pすれば面白かったでしょうね。
それなら、不倫でもなんでもないわけですから」
「そんなこと、あの奥さまが同意なさったとは思えません」
「いえいえ。
そういう方面は、大胆というか、奔放なところがありましたよ。
あなたは、市民サークルでの外面しか知らないから。
あ、そういえば、そのサークルがらみでした。
思いがけない体験をしました。
妻があなたを連れて来てたころから、2年くらい前だったですかね。
やはり女性をひとり、この家に連れて来たんです。
歳は、おそらく40代後半だったんじゃないでしょうか」
背中でご主人の陰茎が、さらに硬度を増したように思えた。
「土曜日でした。
サークルの帰りだったんでしょう。
わたしも家にいましたから、紹介されました。
清楚な奥さまという感じの人でした。
一緒に紅茶を飲みながら、帰りに買ったというケーキを食べました。
妻がケーキを買って帰るなんてことは、まずないことでした。
それに、買って帰るとしたら、2人分でしょう。
わたしは辛党ですし。
でもその日は、わたしの分まで買って来てたんですよ。
ま、甘い物も食べられないことはありませんから、ご相伴しました。
他愛のない話をして、その日はそれでおしまいです。
彼女は、夕方前には帰って行きました。
ところがその夜、妻から驚くべき話を聞かされたんです」
老人は、再び語り始めた。
「奈美さん。
昔話をしてたら、復活してきましたよ。
感じるでしょう」
2人で湯船に浸かりながら、老人の話を聞いていたのだ。
背中を老人の胸に預けていた。
腰にあたる老人の陰茎が、話の終盤から膨れ始めたのを感じていた。
「そのお2人とは、その後も続いたんですか?」
「2,3度、一緒に遊びに行きました。
でも赤鬼が、例の閻魔大王と大げんかして辞めちゃったんです。
県外の会社の工場の寮に入ったらしいと青鬼から聞きました。
どうやらギャンブルに手を出してて、かなりの借金があったみたいなんです。
閻魔大王に怒られたのも、経費のちょろまかしのようです。
そうなってみると、青鬼と2人でってのは、遊びづらいものです。
3人だったから、遊びに出来たんです。
青鬼と2人じゃ、ダブル不倫そのものですからね。
そのうち青鬼も配置転換になって、別の事業所勤務になりました。
結局、それで立ち消えですね。
今にして思えば、青鬼夫婦と4Pすれば面白かったでしょうね。
それなら、不倫でもなんでもないわけですから」
「そんなこと、あの奥さまが同意なさったとは思えません」
「いえいえ。
そういう方面は、大胆というか、奔放なところがありましたよ。
あなたは、市民サークルでの外面しか知らないから。
あ、そういえば、そのサークルがらみでした。
思いがけない体験をしました。
妻があなたを連れて来てたころから、2年くらい前だったですかね。
やはり女性をひとり、この家に連れて来たんです。
歳は、おそらく40代後半だったんじゃないでしょうか」
背中でご主人の陰茎が、さらに硬度を増したように思えた。
「土曜日でした。
サークルの帰りだったんでしょう。
わたしも家にいましたから、紹介されました。
清楚な奥さまという感じの人でした。
一緒に紅茶を飲みながら、帰りに買ったというケーキを食べました。
妻がケーキを買って帰るなんてことは、まずないことでした。
それに、買って帰るとしたら、2人分でしょう。
わたしは辛党ですし。
でもその日は、わたしの分まで買って来てたんですよ。
ま、甘い物も食べられないことはありませんから、ご相伴しました。
他愛のない話をして、その日はそれでおしまいです。
彼女は、夕方前には帰って行きました。
ところがその夜、妻から驚くべき話を聞かされたんです」
老人は、再び語り始めた。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2024/10/11 05:54
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今日は何の日
10月11日は、『一草忌』。
大正から昭和前期にかけての俳人……。
種田山頭火(たねだ さんとうか/1882~1940)の忌日。
https://zatsuneta.com/img/110119_01.jpg
「一草忌(いっそうき)」の名称は、山頭火終焉の地である……。
愛媛県松山市の庵「一草庵(いっそうあん)」にちなみます。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/110119.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、「種田山頭火について」を引用させていただきます。
種田山頭火は、1882(明治15)年12月3日……。
山口県佐波郡西佐波令村(現:防府市八王子)に、5人兄妹の長男として生まれました。
家は大地主。
本名は正一(しょういち)。
1892(明治25)年、正一が10歳の時……。
母が、父の芸者遊びなどを苦にして、自宅の井戸に投身自殺。
以後、正一は、祖母の手によって育てられます。
1902(明治35)年、20歳で、東京専門学校高等予科を卒業。
同年、早稲田大学文学科に入学しますが……。
神経衰弱のため中退。
実家へ帰郷。
父と酒造業を営みます。
1909(明治42)年、27歳で結婚。
1913(大正2)年、31歳のとき……。
俳人の荻原井泉水(おぎわら せいせんすい)に師事。
井泉水が主宰する自由律の俳句雑誌『層雲(そううん)』に俳句を発表します。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2024/10/11 05:54
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今日は何の日(つづき)
引用を続けます。
その後、酒造場の経営が危機に陥り……。
種田家は破産に追いこまれました。
父は行方不明となり、山頭火は友人を頼って妻子と熊本へ移ります。
古書店、次いで額縁店を開きます。
しかし、家業に身が入らず……。
1919(大正8)年、37歳のとき、妻子と別れ上京。
1923(大正12)年、41歳のとき、関東大震災に遭い……。
熊本の元妻のもとへ帰ります。
酒におぼれた生活を送りますが、1924(大正13)年、42歳のとき……。
熊本市の曹洞宗・報恩寺(ほうおんじ)で出家します。
法名は耕畝(こうほ)。
味取観音堂(みとりかんのんどう)の堂守となります。
1925(大正14)年、43歳のとき……。
寺を出て、西日本を中心に旅をしながら句作を行いました。
その後、甲信地方や東北地方などを旅して、数々の作品を残します。
山口市湯田温泉や愛媛県松山市に移住。
1940(昭和15)年10月11日……。
松山市の一草庵において、脳出血のため死去(満57歳)。
著書として、句集『鉢の子』『草木塔』『山行水行』、紀行文集『愚を守る』などがあります。
自由律俳句の代表として、井泉水門下の同人、尾崎放哉(おざき ほうさい)と並び称されます。
関連する記念日として、長野県小諸市にある温泉宿、中棚荘(なかだなそう)に宿泊した日に由来して……。
5月19日は、「小諸・山頭火の日」となってます。
以上、引用終わり。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2024/10/11 05:55
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今日は何の日(つづきのつづき)
↓代表句から、わたし好みの句を抜き出しました。
●うしろすがたのしぐれてゆくか
●どうしようもない私が歩いている
●まつすぐな道でさみしい
●分け入つても分け入つても青い山
●鉄鉢の中へも霰
こういう破滅型の人につきものですが……。
ダメな自分をあえて晒すような、甘えっぽい句もあります。
太宰的ですね。
ま、それでいいんです。
立派な人格者が、こんな人生を送れるわけないんですから。
改めて代表句を見てみると……。
↓これまで山頭火の句だと思ってた句のいくつかが、尾崎放哉の作品であることを知りました。
●咳をしても一人
●墓のうらに廻る
●いれものがない両手でうける
この人も、放浪の果てに小豆島の庵で亡くなってます。
41歳。
この人、旧制第一高校から、東大法学部卒なんですよ。
しかし、「金の無心はする、酒癖は悪い、東大出を鼻にかける」という人物だったらしく……。
小豆島での評判は、はなはだ悪かったそうです。
まさに文士の鏡ですね。
わたしには、逆立ちしても真似の出来ない暮らしです。