2024.8.21(水)
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大きな日本旅館でしてね。
旅館と云っても、建物はコンクリートのビルです。
それでも、部屋はみんな和室でした。
もちろん、一人部屋なんかじゃありません。
総務が割り振って、一部屋に3,4人です。
わたしの部屋は4人でした。
風呂あがり、同部屋の男たちが、フロントで麻雀牌を借りる相談をしてました。
おそらく、その部屋で始めるつもりなんでしょう。
しかしわたしは不調法で、麻雀が出来ないんです。
ほかの部屋から、メンツを集めるつもりでしょう。
となれば、わたしは完全にお邪魔虫です。
傍らで麻雀をされていては、眠ることも出来ません。
宴会が終わりましたが、行き場がなくなりました。
1階のカラオケルームに繰り出す社員たちもいましたが……。
わたしは、カラオケも苦手なんです。
どうしようかと思いました。
1階にはバーもありましたから、そこでヒマを潰すか……。
天気も悪くなかったですから、外に出てもいいと思ってました。
当時は、ストリップ劇場もありましたし。
部屋に戻って、財布だけ持ってまた外に出ました。
エレベーター前が混んでたので、どうしようか考えながら階段を下りました。
1階のホールに出たところで、顔見知りの女子社員の2人連れを見かけました。
女子社員と云っても、年齢はもう40半ば過ぎでしょう。
営業部の社員でした。
といっても、外回りをしてるわけではなく、内勤の営業事務みたいな仕事だったと思います。
営業部の男からは、この2人の噂もいろいろ聞かされてました。
一人は子持ちでしたが……。
もう一人は、独身。
当時は、「行かず後家」とか「オールドミス」とか、ひどい言い方が平気でされてたものです。
外回りの営業部員には、時間やお金にルーズなやつらが少なくなかったようです。
で、この2人の事務員には、経費の精算などで、しょっちゅう怒られてたみたいです。
この2人、気の毒なあだ名を付けられてましてね。
独身の方は、真っ赤な顔をして怒るので、赤鬼。
既婚の方は、怒ると青ざめてくるので、青鬼。
はは。
ヒドいものです。
「山さん、お出かけですか?」
赤鬼の方に声をかけられました。
山さんというのはわたしです。
山岡ですから。
大きな日本旅館でしてね。
旅館と云っても、建物はコンクリートのビルです。
それでも、部屋はみんな和室でした。
もちろん、一人部屋なんかじゃありません。
総務が割り振って、一部屋に3,4人です。
わたしの部屋は4人でした。
風呂あがり、同部屋の男たちが、フロントで麻雀牌を借りる相談をしてました。
おそらく、その部屋で始めるつもりなんでしょう。
しかしわたしは不調法で、麻雀が出来ないんです。
ほかの部屋から、メンツを集めるつもりでしょう。
となれば、わたしは完全にお邪魔虫です。
傍らで麻雀をされていては、眠ることも出来ません。
宴会が終わりましたが、行き場がなくなりました。
1階のカラオケルームに繰り出す社員たちもいましたが……。
わたしは、カラオケも苦手なんです。
どうしようかと思いました。
1階にはバーもありましたから、そこでヒマを潰すか……。
天気も悪くなかったですから、外に出てもいいと思ってました。
当時は、ストリップ劇場もありましたし。
部屋に戻って、財布だけ持ってまた外に出ました。
エレベーター前が混んでたので、どうしようか考えながら階段を下りました。
1階のホールに出たところで、顔見知りの女子社員の2人連れを見かけました。
女子社員と云っても、年齢はもう40半ば過ぎでしょう。
営業部の社員でした。
といっても、外回りをしてるわけではなく、内勤の営業事務みたいな仕事だったと思います。
営業部の男からは、この2人の噂もいろいろ聞かされてました。
一人は子持ちでしたが……。
もう一人は、独身。
当時は、「行かず後家」とか「オールドミス」とか、ひどい言い方が平気でされてたものです。
外回りの営業部員には、時間やお金にルーズなやつらが少なくなかったようです。
で、この2人の事務員には、経費の精算などで、しょっちゅう怒られてたみたいです。
この2人、気の毒なあだ名を付けられてましてね。
独身の方は、真っ赤な顔をして怒るので、赤鬼。
既婚の方は、怒ると青ざめてくるので、青鬼。
はは。
ヒドいものです。
「山さん、お出かけですか?」
赤鬼の方に声をかけられました。
山さんというのはわたしです。
山岡ですから。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2024/08/21 05:52
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今日は何の日
8月21日は、『林火忌』。
大正、昭和時代の俳人、大野林火(おおの りんか)の1982(昭和57)年の忌日。
秋の季語。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/10821a3.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、「大野林火について」を引用させていただきます。
大野林火は、1904(明治37)年3月25日(今から120年前)……。
神奈川県横浜市中区日ノ出町に生まれました。
本名は、大野正(おおの まさし)。
旧制神奈川県立横浜第一中学校、旧制第四高等学校(石川県金沢市)を経て……。
1927(昭和2)年、東京帝国大学経済学部商業科を卒業。
卒業後は、日本光機工業に入社。
1930(昭和5)年、会社を辞め……。
神奈川県立商工実習学校(現:横浜創学館高等学校)教諭となります。
当時の教え子に、後に高弟となる宮津昭彦(みやつ あきひこ)がいました。
俳句は、中学時代から始めました。
1921(大正10)年、俳人の臼田亞浪(うすだ あろう)に師事。
俳句雑誌『石楠(しゃくなげ)』に、俳句や評論を発表し、早くから注目を浴びます。
1939(昭和14)年、第一句集『海門』を、1941(昭和16)年、『現代の秀句』を刊行し……。
本格的に俳人としての地位を築きます。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2024/08/21 05:53
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今日は何の日(つづき)
引用を続けます。
このころから、俳人の水原秋桜子(みずはら しゅうおうし)や……。
加藤楸邨(かとう しゅうそん)らとも積極的に交流を行います。
1946(昭和21)年、俳句雑誌『濱(はま)』を創刊、主宰します。
同年には、俳句雑誌『俳句研究』『俳句の国』の編集にも携わりました。
1948(昭和23)年、教職を辞して俳句一筋の生活となります。
1953(昭和28)年から、角川書店の俳句総合誌『俳句』編集長を務めます。
1964(昭和39)年、第13回横浜文化賞。
1969(昭和44)年、句集『潺潺集(せんせんしゅう)』で第3回蛇笏賞(だこつしょう)。
1973(昭和48)年、第22回神奈川文化賞。
1978(昭和53)年、俳人協会会長に就任。
1980(昭和55)年、俳人協会訪中団団長を務め、日中文化交流にも尽力します。
1982(昭和57)年8月21日、満78歳で死去。
そのほか、句集には以下のものがあります。
『冬青集(とうせいしゅう)1940年』、『早桃(さもも)1946年』、『冬雁(ふゆかり)1948年』。
『白幡南町(しらはたみなみちょう)1958年』、『雪華(せっか)1965年』。
これらのほか、『大野林火全句集/1983年』、『大野林火全集(全8巻・1993~94)』などがあり……。
評論では、『高浜虚子(たかはま きょし)1944年』、『近代俳句の鑑賞と批評/1967年』などがあります。
以上、引用終わり。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2024/08/21 05:53
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今日は何の日(つづきのつづき)
林火忌を取りあげるのは、2回目になります。
というのも、この人の作で、大好きな句があるからです。
季節も、ちょうどこのころの句。
それは、後ほどご紹介するとして……。
まず、↑の文章で、気づいたこと。
1904(明治37)年生まれ。
終戦の1945(昭和20)年では、41歳。
徴兵されずにすんだんですね。
ちょっと調べました。
徴兵年齢は、長らく20歳から40歳までだったようです。
それが、戦況の悪化により……。
1943(昭和18)年からは、19歳から45歳までに広げられました。
大野林火は、1943(昭和18)年には、39歳です。
開戦の1941(昭和16)年が、37歳。
終戦の1945(昭和20)年が、41歳。
開戦以来、ずーっと徴兵対象年齢だったわけです。
この間は、神奈川県立商工実習学校の教諭でした。
ひょっとしたら、教師は、懲役が後回しにされたんでしょうか?
そうだったとすると……。
会社を辞めて教師になったのは、そのことが頭にあったのかも?
でも、教師への転身は、1930(昭和5)年ですからね。
まだ、太平洋戦争が起きるなんて……。
誰もわからないころでしょう。
うがち過ぎですよね。
↓さて、大野林火の好きな句です。
●ねむりても旅の花火の胸にひらく
情景が浮かびますよね。
季語は「花火」。
夏の季語です。
でもむしろ、初秋の情景が感じられます。
ちょうど今ごろ。
今のAIでは、絶対に作れない句だと思います。
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4. 手羽崎 鶏造- 2024/08/21 12:28
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会社の慰安旅行といったら、
連想するのは
「無礼講」「お座敷ストリップ」かな
と思っていました。
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5. Mikiko- 2024/08/21 14:48
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それは……
昭和時代じゃないですか?
余興に、お盆を使った裸踊りがあったころ。
旅館のイメージは、月岡温泉(新発田市)の『泉慶(https://www.senkei.com/)』。
慰安旅行に研修を組みこむというのは……。
わたしが勤める会社での実話です。
もちろん、それ以外はすべてフィクションですが。
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6. 手羽崎 鶏造- 2024/08/22 11:07
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はい 昭和の時代。
運動部で体罰がフツーだった時代です。
宴会で女子社員が浴衣でチラリ、ポロリ
見せたら、酔いに任せて幹部職員が
その場で大枚をその職員の胸元に挟みます。
今なら即レッドカードのセクハラまがいの乱痴気騒ぎも
有ったと聞きます