2024.7.24(水)
「そんなこと頼まれて、いいわよって言う主婦いるの?」
「それが成り行きなんじゃん。
でも、昼間から飲んでるようなおばさんなんだから……。
可能性は十分ありだよ」
「オレ、もう勃ってきたよ」
「我慢しろよ。
不妊症だから、中に出し放題だぜ」
マンションに着き、エレベーターで侑人の住む階まで上がる。
平日の昼下がり、通路には誰の姿もなかった。
侑人の住居のひとつ手前の扉前に立つ。
「ほんとに隣なんだな。
やっぱりパラダイスだよ」
インターホンを押す。
『はい』
「宅配便です」
『ほほ。
キミがそんな冗談言うの、初めて聞くわ。
今、行くから』
程なく、玄関まで足音が近づいてきた。
扉のシリンダー錠が外れる音がした。
扉が外に向けて開き、主婦が顔を覗かせた。
酒臭かった。
「入って」
「友達、連れて来たんだけど」
「え?」
翔太の腕を取り、扉の隙間に引っ張り出す。
「おんなじクラスの翔太」
「こんにちは」
「どうして?」
「頼みがあるんです」
「どんな頼みよ?」
「とにかく、入れてもらえません?
誰か通るかも知れないから」
主婦は、侑人よりさらに小柄な翔太を値踏みするように、視線を上下させていた。
体格だけなら、小学生にしか見えないだろう。
危険性はないと判断したようだ。
「どうぞ」
「お邪魔します」
2人連なって玄関に入る。
たたきに靴は、ひとつも出ていなかった。
夫婦2人暮らしで、ご主人は出勤中。
たたきにあったのは、今、主婦が履いているサンダルだけだったのだろう。
生活感のない玄関だった。
「それが成り行きなんじゃん。
でも、昼間から飲んでるようなおばさんなんだから……。
可能性は十分ありだよ」
「オレ、もう勃ってきたよ」
「我慢しろよ。
不妊症だから、中に出し放題だぜ」
マンションに着き、エレベーターで侑人の住む階まで上がる。
平日の昼下がり、通路には誰の姿もなかった。
侑人の住居のひとつ手前の扉前に立つ。
「ほんとに隣なんだな。
やっぱりパラダイスだよ」
インターホンを押す。
『はい』
「宅配便です」
『ほほ。
キミがそんな冗談言うの、初めて聞くわ。
今、行くから』
程なく、玄関まで足音が近づいてきた。
扉のシリンダー錠が外れる音がした。
扉が外に向けて開き、主婦が顔を覗かせた。
酒臭かった。
「入って」
「友達、連れて来たんだけど」
「え?」
翔太の腕を取り、扉の隙間に引っ張り出す。
「おんなじクラスの翔太」
「こんにちは」
「どうして?」
「頼みがあるんです」
「どんな頼みよ?」
「とにかく、入れてもらえません?
誰か通るかも知れないから」
主婦は、侑人よりさらに小柄な翔太を値踏みするように、視線を上下させていた。
体格だけなら、小学生にしか見えないだろう。
危険性はないと判断したようだ。
「どうぞ」
「お邪魔します」
2人連なって玄関に入る。
たたきに靴は、ひとつも出ていなかった。
夫婦2人暮らしで、ご主人は出勤中。
たたきにあったのは、今、主婦が履いているサンダルだけだったのだろう。
生活感のない玄関だった。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2024/07/24 05:57
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今日は何の日
7月24日は、『劇画の日』。
1964(昭和39)年7月24日(今から60年前)。
『青林堂(http://www.garo.co.jp/)』の創業者、長井勝一(ながい かついち/1921~1996)が……。
劇画雑誌『月刊漫画ガロ』を創刊しました。
https://zatsuneta.com/img/107241_02.jpg
白土三平(しらと さんぺい)の『カムイ伝』をはじめ、水木しげる(みずき しげる)の『鬼太郎夜話』……。
つげ義春(つげ よしはる)の『沼』『ねじ式』などが登場し、大人向け劇画ブームの拠点となりました。
https://zatsuneta.com/img/107241_01.jpg
『ガロ』は、大学生など比較的高い年齢層の読者に支持され……。
独創的な誌面と伝説的経営難の中で、独自の路線を貫き、漫画界の異才をあまた輩出しました。
独自の作家性を持つ個性的な漫画家たちの作風は、「ガロ系」と呼ばれました。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/107241.html)のページから転載させていただきました。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2024/07/24 05:57
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今日は何の日(つづき)
さらに同じページから、引用を続けさせていただきます。
その後『ガロ』は、青林堂の創業者である長井勝一の死去に伴い衰退し……。
1997(平成9)年、休刊となりました。
翌1998(平成10)年、いったん復刊しましたが……。
2002(平成14)年以降は、実質発行がない状態となってます。
その一方で、1998(平成10)年からは、青林堂の系譜を引き継いだ青林工藝舎が……。
事実上の後継誌『アックス(AX)』を隔月で刊行してます。
劇画(げきが)は、漫画の表現技法、もしくは漫画のジャンルの一つです。
「劇画」という名称は、漫画家の辰巳ヨシヒロ(たつみ ヨシヒロ/1935~2015)の考案によるものでした。
1959(昭和34)年に結成された劇画工房の誕生以降の劇画ブームによって……。
世間一般に、「劇画」という名称が定着していきました。
劇画とは、それまでの子供向け漫画から一線を画した漫画表現の手法です。
辰巳らは、自分たちの作品が、子供向けという評価を受けることを極端に嫌ってました。
作風としては、ハリウッド映画やハードボイルド小説の影響が大きいものでした。
劇画工房の結成に携わった8人のうちの1人が……。
劇画界の代表的人物、さいとう・たかを(1936~2021)です。
貸本漫画時代に、劇画の分野を確立した人物の1人でした。
一般漫画の世界に転向後も……。
『ゴルゴ13』『鬼平犯科帳』など、数々のヒット作品を生み出しました。
以上、引用終わり。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2024/07/24 05:58
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今日は何の日(つづきのつづき)
『ガロ』という雑誌の名称は、聞いたことがあります。
でも、買ったことはないですし、店頭で見かけた記憶もありません。
↑に出て来る漫画で、読んだことがあるのは『ゴルゴ13』だけです。
読んだ場所は、住んでたアパート近くのラーメン屋さん。
今で言う、町中華ですね。
カウンターしかないお店でした。
椅子が5つくらいでしたかね。
でも、満席で座れなかった記憶はありません。
お客はわたしひとりということがほとんどでした。
お酒を飲んで長っ尻をするお客もいません。
ラーメンやチャーハンを食べて、さっと帰る人ばっかりだったと思います。
わたしも、このお店でお酒を注文した記憶はないです。
行くのは、日曜の夜が多かったのかな。
お休みが終わってしまうことを噛みしめながら食べました。
白湯チャンポンというのが美味しかったんですよ。
わたしは、本場のチャンポンを食べたことがありません。
なので、どのくらいアレンジされてるのかも判断できません。
スープが白く、かまぼこの細切りみたいな具が入ってたと思います。
麺は、普通の中華麺でした。
少し堅めの細麺。
わたしの好みでした。
続きはさらにさらに次のコメントで。
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4. Mikiko- 2024/07/24 05:58
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今日は何の日(つづきのつづきのつづき)
で、奥の本棚に漫画がたくさん並んでたんです。
読むのは、ほぼ『ゴルゴ13』だけでした。
でも、そんなに大きな本棚じゃないので……。
すべて読んでしまって、再読、再々読というのがほとんどでした。
で、たまに新しいのが読みたくなりました。
でも、お店のご主人にお願いするのは申し訳ない。
ということで、古本屋で仕入れて来ました。
ご主人は、カウンター越しに調理してます。
その目を盗んで、本棚から1冊抜き出して席に戻ります。
で、実際には、古本屋で買ってきた方を読むわけです。
もちろん、帰り際には、2冊を本棚に戻します。
これを何回か繰り返すと……。
ご主人も、ヘンに思ったらしいです。
本棚の本が、だんだん増えていくわけですから。
どうやらご主人も……。
わたしの仕業であることがわかってきたみたいでした。
ときおり、カウンター越しにわたしの手元を覗きこんだりしてました。
にこにこ笑ってて、「わかってますよ」というようなお顔でした。
何年か前の『単独旅行記』で、このとき住んでたアパートを訪ねました。
アパートはなくなって、駐車場になってました。
そのおり、あのお店も訪ねたんです。
開いてれば食べてみようかなとも思ってました。
でも、見つかりませんでした。
場所をはっきりと記憶してなかったんですが……。
いくら歩き回ってもありません。
知らないマンションが建ってたので……。
ひょっとしたら、その場所にあったのかも知れません。
今はもう、記憶の中だけのラーメン屋さんです。
日曜の夜の切なさと、『ゴルゴ13』と、白湯チャンポン。
何もかも、みな懐かしい……。
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5. 手羽崎 鶏造- 2024/07/24 10:44
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町中華には定番の、油と手垢でうす汚れた漫画本が
なぜか増えていく話。
いい話ですね。
(強欲な管理人さまの仕業とはとても思えない)
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6. Mikiko- 2024/07/24 11:16
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失敬な!
ま、あの町中華の本棚は……。
自分の図書館だと思ってたってことですけどね。