2024.6.26(水)
侑人たちの部屋のある階に着いた。
侑人は『開』ボタンに手を伸ばし、身を避けた。
「どうぞ」
「ありがとう」
主婦に続き、エレベーターを出る。
主婦が、自室の前に立った。
侑人の家は、その向こうだった。
主婦はアルカイックな微笑みを浮かべ、侑人に軽く会釈した。
侑人が後ろを通り過ぎると思ったのだろう。
「あの。
見ていただきたいものがあるんですけど」
「わたしに?
何かしら?」
侑人はスマホを取り出した。
あの動画を再生する。
主婦の顔が映ったところでスマホを裏返し、主婦に向けた。
主婦の顔が一変した。
「隠し撮りしたの」
「偶然ですよ。
たまたまベランダに出てたら、隣の窓が開く音がしたから」
「犯罪には違いないわ。
よこしなさい」
主婦は、スマホに手を伸ばしてきた。
スマホを背中に隠す。
「これを消しても無駄ですよ。
もう、オンラインストレージにアップしてありますから」
「どうする気?」
「迷ってます。
どうしようか。
ひとりで楽しむには、もったいなすぎるから。
とりあえず、友達に見せてみようかなって。
反応が良かったら……。
動画を公開するかも」
主婦は、黙って侑人を睨んでいた。
「お金なの?」
「そんな。
それじゃ、ゆすりじゃないですか。
それこそ犯罪ですよ」
「動画を撮った時点でそうでしょ」
「立ち話もなんですから、中に入れてもらえませんか?
誰かに聞かれてもマズいでしょ」
主婦は侑人を睨みながらも、スカートのポケットから鍵を取り出し、シリンダーに挿した。
扉を開き、身を避けた。
入れということだろう。
侑人は『開』ボタンに手を伸ばし、身を避けた。
「どうぞ」
「ありがとう」
主婦に続き、エレベーターを出る。
主婦が、自室の前に立った。
侑人の家は、その向こうだった。
主婦はアルカイックな微笑みを浮かべ、侑人に軽く会釈した。
侑人が後ろを通り過ぎると思ったのだろう。
「あの。
見ていただきたいものがあるんですけど」
「わたしに?
何かしら?」
侑人はスマホを取り出した。
あの動画を再生する。
主婦の顔が映ったところでスマホを裏返し、主婦に向けた。
主婦の顔が一変した。
「隠し撮りしたの」
「偶然ですよ。
たまたまベランダに出てたら、隣の窓が開く音がしたから」
「犯罪には違いないわ。
よこしなさい」
主婦は、スマホに手を伸ばしてきた。
スマホを背中に隠す。
「これを消しても無駄ですよ。
もう、オンラインストレージにアップしてありますから」
「どうする気?」
「迷ってます。
どうしようか。
ひとりで楽しむには、もったいなすぎるから。
とりあえず、友達に見せてみようかなって。
反応が良かったら……。
動画を公開するかも」
主婦は、黙って侑人を睨んでいた。
「お金なの?」
「そんな。
それじゃ、ゆすりじゃないですか。
それこそ犯罪ですよ」
「動画を撮った時点でそうでしょ」
「立ち話もなんですから、中に入れてもらえませんか?
誰かに聞かれてもマズいでしょ」
主婦は侑人を睨みながらも、スカートのポケットから鍵を取り出し、シリンダーに挿した。
扉を開き、身を避けた。
入れということだろう。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2024/06/26 05:51
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今日は何の日
6月26日は、『雷記念日』。
930(延長8)年、旧暦6月26日(新暦では7月24日)。
平安京の清涼殿に落雷があり、大納言の藤原清貫(ふじわらのきよつら)が亡くなりました。
https://zatsuneta.com/img/106262_01.jpg
平安京では、長い間日照りが続き……。
公卿たちが、清涼殿に集まり雨乞いを行ってた時の出来事でした。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/106262.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、引用を続けさせていただきます。
この落雷は、政治的策略によって京の都から太宰府に左遷され、そこで亡くなった……。
菅原道真(すがわらのみちざね)の祟りであると信じられました。
結果、道真の学者としての名誉が回復されたのです。
また、これにより菅原道真は、雷の神「天神」と同一視されるようになり……。
「天神=学問の神」として、菅原道真が祀られるきっかけとなった日でもありました。
関連する記念日として、下記のようなものがあります。
「天神」として信仰される菅原道真の誕生日(6月25日)と命日(2月25日)に由来して、毎月25日は「天神の縁日」……。
命日の2月25日は、「道真忌」となってます。
以上、引用終わり。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2024/06/26 05:51
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今日は何の日(つづき)
これまで何度も書いてきたことですが、また書かせてもらいます。
平安時代、菅原道真があれほどまでに怖れられた要因は……。
当時の異常気象にあると思います。
↑の記述にあるように、清涼殿で雨乞いが行われたのは……。
新暦の7月24日。
今であれば、梅雨明けのころです。
この時期に雨乞いが行われると云うことは……。
梅雨の期間、ほとんど雨が降らなかったということでしょう。
それではなぜ、当時の京都で、異常気象がたびたび起こっていたのか。
それは当時が、「中性温暖期」と呼ばれる、異常に暖かい時代だったからです。
これは、世界的な現象でした。
『更級日記紀行(https://sarasina.jp/)』さんの『平安時代の日本列島の気候(https://sarasina.jp/products/detail/31)』というページに……。
↓たいへんわかりやすい気温の折れ線グラフがありました。
https://sarasina.jp/html/upload/save_image/0314171200_622ef8d02938a.jpg
平安時代の気温が高かったことがわかります。
当時は今より、海面温度が3度も高かったという研究もあります。
実際、日本の沿岸地域では、平安時代の出土品がほとんどないそうです。
なぜなら、その時代、今の沿岸地域は海の底だったからです。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2024/06/26 05:52
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今日は何の日(つづきのつづき)
今、地球温暖化が叫ばれています。
確かに現在、気温が右肩上がりであることは確かです。
でもそれは、今に始まったことではないのです。
恐竜時代を持ち出すまでもなく……。
縄文時代は、非常に温暖だったことがわかってます。
青森の三内丸山遺跡は、海から3.8キロ離れてます。
漁場からそんなに離れた場所に、集落を作るはずがありません。
つまり当時は、三内丸山遺跡の際まで海が来てたんです。
現在、地球温暖化が過剰に叫ばれる原因は……。
いくつかあります。
もう一度、↑のグラフを見て下さい。
江戸時代が、「小氷期」と呼ばれるほど寒かったことがわかります。
実際、文献からも、品川で1メートルの雪が積もったとか……。
隅田川が全面結氷したとかの記述が読み取れます。
江戸時代の浮世絵を見ても、冬の江戸に大雪が降ってたことが想像できますよね。
グラフでわかるように、明治以降、その小氷期を抜け……。
気温が右肩上がりになっていきます。
この時期と、産業革命が重なりました。
そのため、二酸化炭素の排出が、地球温暖化を招いたのだと言われてしまうわけです。
さらに、気象統計が取られるようになったのも、この時期から。
なので、「統計が取られるようになって以来の最高気温」などという表現で報道されます。
こんな言い方をされたら、今が1番暑いと思いこんでしまいます。
でも実際には、統計が取られる前に、もっと暑い時期があったんです。
続きはさらにさらに次のコメントで。
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4. Mikiko- 2024/06/26 05:52
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今日は何の日(つづきのつづきのつづき)
わたしは正直、今後、二酸化炭素の排出規制が厳しくされるようになっても……。
地球温暖化は止められないと思います。
でも、心配することはありません。
↑のグラフでわかるとおり、また気温は下向いていくはずですから。
さて、平安時代に戻りましょう。
わたしは、雷もそうですが、1番怖れられたのは……。
積乱雲じゃないかと思ってます。
いわゆる、スーパーセル(超巨大積乱雲)です。
↓こちらはYouTubeにアップされた、1997年の東京の映像です。
https://www.youtube.com/watch?v=7FZzGlTMIZ8
生き物みたいですよね。
当時、こういう雲が、京都の頭上にかかったとしたらどうでしょう。
平安京の人たちは、ぜったいに悪霊の祟りだと思うはずです。
あと余談ですが、平安時代が暑かったことが如実にわかるのが……。
平安時代の建築様式「寝殿造り」。
壁がなく、御簾などでしか区切られてません。
京都ですよ。
寒い時代だったら、あんな様式が流行るわけないです。
建物を作るとき、何より重要なのが……。
暑さ対策だったことがよくわかります。
まだ中性温暖期が続いてた鎌倉時代の吉田兼好も……。
↓のように書いてます。
「家の作りやうは夏を旨とすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑きころ悪き住まひは耐へ難き事なり」