2024.6.7(金)
万里亜が、鞭を腰のストラップに挿した。
片手の平を、口元に翳す。
万里亜の頬が収縮した。
唇が突き出る。
その先から、粘性の液体が繰り出された。
もちろん、唾液だ。
水飴のように糸を引く唾液が、窪めた手の平に溜めこまれていく。
万里亜の表情が元に戻った。
手の平が、上を向いたまま下降する。
唾液を保持する手の平は、仏像の印相のようだった。
万里亜のもう一方の手が、ディルドゥを持ちあげた。
亀頭が上向く。
印相の手の平が、ディルドゥを潜るまで下降し……。
亀頭を掬うように掴んだ。
手首をローリングさせながら、万里亜は満遍なく亀頭に唾液を塗りこんだ。
万里亜が、薫の背中に向けて歩を進める。
万里亜の片手が、薫の肩にかかった。
2人の身長は、通常であればそれほど変わらないのかも知れないが……。
万里亜が高いピンヒールのブーツを履いているのに対し、薫は裸足だった。
しかも腰を折っている。
万里亜の腕は、薫の肩を上から押さえつけるような角度を成していた。
万里亜が腰を沈めた。
さきほどまで、万里亜のディルドゥの切っ先は、薫の仙骨のあたりを指していた。
しかし、万里亜が腰を沈めたことにより、ディルドゥは、薫の尻を下から覗う位置まで降りた。
やはり、そうなのか。
そして……。
そのとおりだった。
万里亜は、肩に掛けた片手はそのままに、もう一方の手でディルドゥの根元を握った。
薫に、にじり寄る。
薫の肩に伸ばした腕に、筋肉の筋が浮き出た。
「ひぎ」
薫の全身が、瘧のごとく震えた。
薫の足指が、1本1本、鍵盤のように上下している。
万里亜の腰は、薫の尻に密着していた。
空隙はない。
むろん、ディルドゥは消えていた。
どこへ?
もちろん、薫の直腸深く突き刺されたのだ。
万里亜は、ディルドゥを握っていた手も、薫の肩に置いた。
すでに、ディルドゥを支持する必要がないと云うことだ。
薫の両肩は、万里亜の両腕により固定された。
片手の平を、口元に翳す。
万里亜の頬が収縮した。
唇が突き出る。
その先から、粘性の液体が繰り出された。
もちろん、唾液だ。
水飴のように糸を引く唾液が、窪めた手の平に溜めこまれていく。
万里亜の表情が元に戻った。
手の平が、上を向いたまま下降する。
唾液を保持する手の平は、仏像の印相のようだった。
万里亜のもう一方の手が、ディルドゥを持ちあげた。
亀頭が上向く。
印相の手の平が、ディルドゥを潜るまで下降し……。
亀頭を掬うように掴んだ。
手首をローリングさせながら、万里亜は満遍なく亀頭に唾液を塗りこんだ。
万里亜が、薫の背中に向けて歩を進める。
万里亜の片手が、薫の肩にかかった。
2人の身長は、通常であればそれほど変わらないのかも知れないが……。
万里亜が高いピンヒールのブーツを履いているのに対し、薫は裸足だった。
しかも腰を折っている。
万里亜の腕は、薫の肩を上から押さえつけるような角度を成していた。
万里亜が腰を沈めた。
さきほどまで、万里亜のディルドゥの切っ先は、薫の仙骨のあたりを指していた。
しかし、万里亜が腰を沈めたことにより、ディルドゥは、薫の尻を下から覗う位置まで降りた。
やはり、そうなのか。
そして……。
そのとおりだった。
万里亜は、肩に掛けた片手はそのままに、もう一方の手でディルドゥの根元を握った。
薫に、にじり寄る。
薫の肩に伸ばした腕に、筋肉の筋が浮き出た。
「ひぎ」
薫の全身が、瘧のごとく震えた。
薫の足指が、1本1本、鍵盤のように上下している。
万里亜の腰は、薫の尻に密着していた。
空隙はない。
むろん、ディルドゥは消えていた。
どこへ?
もちろん、薫の直腸深く突き刺されたのだ。
万里亜は、ディルドゥを握っていた手も、薫の肩に置いた。
すでに、ディルドゥを支持する必要がないと云うことだ。
薫の両肩は、万里亜の両腕により固定された。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2024/06/07 05:47
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今日は何の日
6月7日は、『寸心忌』。
明治から昭和前期にかけての哲学者だった……。
西田幾多郎(にしだ きたろう)の、1945(昭和20)年の忌日。
https://zatsuneta.com/img/106076_01.jpg
「寸心忌(すんしんき)」の名称は、居士号の「寸心」にちなみます。
この日には、西田の遺徳を偲び、献花式や記念講演会が開催されます。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/106076.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、「西田幾多郎について」を引用させていただきます。
1870年5月19日(旧暦・明治3年4月19日)……。
加賀国河北郡森村(現:石川県かほく市森)に生まれました。
東京帝国大学哲学科選科を卒業。
出身校の金沢・第四高等学校の講師、教授となります。
このころから、物心両面の苦悩のうちに、参禅の経験を重ねました。
また、学習院の教授なども務めます。
その後、京都帝国大学の助教授、教授となり、倫理学や宗教学を講じます。
その間の1911(明治44)年……。
近代日本哲学の最初の独創的著作となる『善の研究』を発表。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2024/06/07 05:48
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今日は何の日(つづき)
引用を続けます。
「純粋経験」を唯一の実在として、それを自己の根本的立場とします。
東洋的精神性の自覚を基礎に、西洋哲学を積極的に摂取しました。
東西思想の内面的統一を求めて……。
独特の「西田哲学」を樹立し、田辺元らと京都学派を形成します。
1928(昭和3)年、退官後も活発な著作活動を続け……。
大正、昭和時代の哲学思想に大きな影響を与えました。
1940(昭和15)年、文化勲章を受章。
1945(昭和20)年、神奈川県鎌倉市の自宅にて死去。
74歳。
その他の著作に、『自覚に於ける直観と反省』や……。
『働くものから見るものへ』『哲学の根本問題』などがあります。
2002(平成14)年、出身地のかほく市(旧:宇ノ気町)に、西田の遺徳を顕彰し、哲学の普及、啓発を図ることを目的として……。
『石川県西田幾多郎記念哲学館(https://www.nishidatetsugakukan.org/)』が設置されました。
https://zatsuneta.com/img/106076_02.jpg
哲学館には展示室があり、西田の遺品や原稿、書などが展示されてます。
以上、引用終わり。
もちろん、お名前は存じてます。
でも、もちろん著書を読んだことはありません。
↑の引用文で、いくつか気になったことがあります。
まず、「居士号」って何でしょう?
筆名のことでしょうか?
Wikide、「居士」を引いてみました。
まず、わたしは「きょしごう」と読んでましたが……。
大間違いでした。
「こじごう」でした。
「居士」は、「こじ」って読めるんですけどね。
なんで「きょしごう」って思ったんですかね。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2024/06/07 05:48
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今日は何の日(つづきのつづき)
↓Wikiからの引用です(出典⇒https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%85%E5%A3%AB)。
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●居士(こじ)
仕官せず野にある男子の読書人(士)。
漢籍で用いられる語。
出家をせずに家庭において修行を行う仏教の在家信者。
またそこから転じて戒名の末尾につける敬称・尊称ともなった。
+++
そうか、そう云えば戒名に付きますね。
↓引用を続けます。
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●日本の居士
日本におけるもっとも著名な居士は、戦国時代の茶人 千利休である。
利休は当初、千宗易と名乗っていたが、織田信長の茶頭となり、次いで関白豊臣秀吉に仕えて、秀吉の宮中献茶に奉仕し、参内にあたって正親町天皇より利休居士の号を与えられた。
後代になると、江戸時代の剣豪・山岡鉄舟や仏教学者の鈴木大拙、西田幾多郎、久松真一、大内青巒などが居士号を以て称されるようになり、現在も居士号を取る程の修行を積んだ人物の中には、剣道や弓道の達人が多い。
+++
なんだか、よくわかりません。
西田幾多郎という名前は知ってましたが……。
寸心居士なんて初耳でしたから。
あと、気になったのは死因。
冒頭に掲げられた写真は、昭和18年2月。
亡くなる2年4ヶ月前です。
元気そうで、いかにも頭が切れそうなお顔です。
とうてい死期が近づいているようには見えません。
続きはさらにさらに次のコメントで。
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4. Mikiko- 2024/06/07 05:49
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今日は何の日(つづきのつづきのつづき)
↓Wikiには、死因は1行しか書かれていませんでした(出典⇒https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%94%B0%E5%B9%BE%E5%A4%9A%E9%83%8E)。
+++
1945年(昭和20年)6月2日、神奈川県鎌倉市極楽寺姥ケ谷の自宅書斎で尿毒症による発作を起こし、その5日後に死去。
+++
死の直前まで、自宅で過ごしてたわけです。
尿毒症についてネットを引くと、犬の病気の記事が多いようです。
↓『済生会(https://www.saiseikai.or.jp/)』さんのページからの引用です(出典⇒https://www.saiseikai.or.jp/medical/disease/uremia/)。
+++
●尿毒症はこんな病気
尿毒症とは、腎臓の働きが極度に低下して起こる全身の変化をいい、急性あるいは慢性の腎臓障害が進行した状態です。
これは、腎臓の働きが、正常の10分の1程度まで著しく低下している末期腎不全の状態であり、そのまま治療をしなければ、生命にかかわるような深刻な事態となります。
+++
おそらく西田さんも、症状は出てたんじゃないでしょうか。
戦時中ということもあり、入院しなかったのかも知れません。
あと、↑の引用文には、亡くなったのが「74歳」とあります。
でも、1870年5月19日~1945年6月7日ですから……。
明らかに、75歳で亡くなってます。
法名は、当然のごとく「曠然院明道寸心居士」だったそうです。
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5. 手羽崎 鶏造- 2024/06/08 09:05
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<本篇より>
どこへ?
もちろん、薫の直腸深く突き刺されたのだ。
なかなか、そうは簡単に入っていかないもの
なんです。
押し出すための器官なので、フツーは受け容れる
ことに慣れていない、本能的に閉じてしまいがちな
部位です。
それだけにAへの挿入はそそられるのだと
思います
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6. Mikiko- 2024/06/08 10:59
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腸のヒダヒダは……
下に押し出すために付いてるんでしょうね。
それに逆らって、生身のものを挿入するのは難しいんでしょう。
本編の場面では、ディルドゥを使ってます。
表面がツルツルしててれば、生身よりは入りやすいんじゃないですか。
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7. 手羽崎 鶏造- 2024/06/09 03:34
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ホールの中というよりも、
まさに入り口(出口)そのものを
使用可能なように訓練(鍛錬)しておかないと
それなりの太さのモノを迎え容れる
開き方は出来ないのだと思います。
開きにくいからこそ、肉棒をねじこんでいく
際の快感が有るのもたしかですよ