2024.5.11(土)
どうするつもりか、侑人に聞こうと思ったが……。
言葉を呑みこんだ。
もし、仕切り板の向こうに隣の人が出てたら、聞こえてしまうだろうから。
侑人も、それはわかっているようだ。
無言のまま、腰壁の上に渡る金属の手すりを握った。
奈美の手を引く。
奈美に、手すりを握れと言っているようだ。
侑人の手に持ちあげられるまま、手すりを握った。
侑人は奈美の手首を離し、もう一方の手を指さした。
両手で握れということだろう。
素直に従い、腰壁に正対する。
青空に、ひとすじ掃いたような雲が浮かんでいた。
傍らから、侑人の姿が消えた。
後ろに回ったのだ。
この姿勢で性交するとなれば、立ちバックしかないだろう。
侑人の両手が、奈美の腰にかかった。
後ろに引かれる。
尻を突き出せと言っているようだ。
お望みのまま、肛門を突きつける。
ぬるりとした感触が、会陰を撫でた。
背筋に悪寒が走る。
しかしすぐに愉悦に替わった。
亀頭が、膣口を分け入ったのだ。
やはり、サイズ的には物足りない。
それでも、男性器を受け入れているという充足感は感じられた。
侑人は、ゆっくりと腰を使い始めた。
ほんとうに、どこでこんなことを覚えて来たのだろう。
侑人は腰を使いながら、両手で奈美の乳房を掬った。
凝った乳首を捏ねられる。
声が出そうになった。
手すりから片手を外し、口を覆う。
片手では身が支えられなくなり、身体が沈んでいく。
膝が人工芝に落ちた。
しかし、膣内から陰茎の感触は消えなかった。
挿入したまま、奈美の下降についてきたのだ。
肩口を引かれる。
横を向けと言っているようだ。
四つん這いになりながら、隣との仕切り板の方に身を向ける。
侑人は、奈美の尻に腰をぶつけて来た。
奈美の尻肉は、振動で輪郭を乱しているだろう。
言葉を呑みこんだ。
もし、仕切り板の向こうに隣の人が出てたら、聞こえてしまうだろうから。
侑人も、それはわかっているようだ。
無言のまま、腰壁の上に渡る金属の手すりを握った。
奈美の手を引く。
奈美に、手すりを握れと言っているようだ。
侑人の手に持ちあげられるまま、手すりを握った。
侑人は奈美の手首を離し、もう一方の手を指さした。
両手で握れということだろう。
素直に従い、腰壁に正対する。
青空に、ひとすじ掃いたような雲が浮かんでいた。
傍らから、侑人の姿が消えた。
後ろに回ったのだ。
この姿勢で性交するとなれば、立ちバックしかないだろう。
侑人の両手が、奈美の腰にかかった。
後ろに引かれる。
尻を突き出せと言っているようだ。
お望みのまま、肛門を突きつける。
ぬるりとした感触が、会陰を撫でた。
背筋に悪寒が走る。
しかしすぐに愉悦に替わった。
亀頭が、膣口を分け入ったのだ。
やはり、サイズ的には物足りない。
それでも、男性器を受け入れているという充足感は感じられた。
侑人は、ゆっくりと腰を使い始めた。
ほんとうに、どこでこんなことを覚えて来たのだろう。
侑人は腰を使いながら、両手で奈美の乳房を掬った。
凝った乳首を捏ねられる。
声が出そうになった。
手すりから片手を外し、口を覆う。
片手では身が支えられなくなり、身体が沈んでいく。
膝が人工芝に落ちた。
しかし、膣内から陰茎の感触は消えなかった。
挿入したまま、奈美の下降についてきたのだ。
肩口を引かれる。
横を向けと言っているようだ。
四つん這いになりながら、隣との仕切り板の方に身を向ける。
侑人は、奈美の尻に腰をぶつけて来た。
奈美の尻肉は、振動で輪郭を乱しているだろう。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2024/05/11 05:27
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今日は何の日
5月11日は、『朔太郎忌』。
大正、昭和前期の詩人、萩原朔太郎(はぎわら さくたろう)の、1942(昭和17)年の忌日。
https://zatsuneta.com/img/105113_01.jpg
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/105113.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、「萩原朔太郎について」を引用させていただきます。
1886(明治19)年11月1日……。
群馬県東群馬郡北曲輪町(現在の前橋市千代田町)に生まれました。
父の密蔵は、開業医でした。
長男で朔日(ついたち)生まれであることから……。
朔太郎と命名されました。
慶應義塾大学予科を中退。
北原白秋門下の新進として、作詩活動を始めます。
また、室生犀星の詩に感動して、親交を結びました。
1916(大正5)年、室生犀星と、詩雑誌『感情』を創刊します。
詩的主体の真実としての感情を重んじる、口語自由詩を制作し……。
恩地孝四郎、山村暮鳥らも加えて、感情詩派を形成しました。
1917(大正6)年、官能的な神経の戦慄と近代的な孤独を、音楽性に富む口語表現でうたった……。
第一詩集『月に吠える』を刊行し、一躍詩壇の注目を集めました。
続く『青猫(1923年)』、『純情小曲集(1925年)』……。
また、漢語調を多用して詩風を一変させた『氷島(1934年)』などの詩集によって、近代抒情詩を一つの極点に導きます。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2024/05/11 05:28
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今日は何の日(つづき)
引用を続けます。
ほかに、アフォリズム集『虚妄の正義(1929年)』、詩的短編『猫町(1935年)』……。
評論『詩の原理(1928年)』『郷愁の詩人与謝蕪村(1936年)』などがあります。
晩年には、伝統文化への関心を深め、『日本への回帰(1938年)』などを書きました。
急性肺炎により、東京の世田谷の自宅で死去。
満55歳。
墓所は、前橋市田口町の政淳寺。
近代詩の新しい地平を拓き、「日本近代詩の父」と称されます。
以上、引用終わり。
朔太郎は、若いころよく読んだ詩人の1人です。
↓当初はやっぱり、初期の先鋭的な詩が好きでした。
+++
●地面の底の病気の顔(詩集『月に吠える』)
地面の底に顔があらはれ、
さみしい病人の顔があらはれ。
地面の底のくらやみに、
うらうら草の茎が萌えそめ、
鼠の巣が萌えそめ、
巣にこんがらがってゐる、
かずしれぬ髪の毛がふるえ出し、
冬至のころの、
さびしい病気の地面から、
ほそい青竹の根が生えそめ、
生えそめ、
それがじつにあはれふかくみえ、
けぶるごとくに視(み)え、
じつに、じつに、あはれふかげに視え。
地面の底のくらやみに、
さみしい病人の顔があらはれ。
+++
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2024/05/11 05:28
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今日は何の日(つづきのつづき)
+++
●竹(詩集『月に吠える』)
光る地面に竹が生え、
青竹が生え、
地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より繊毛が生え、
かすかにけぶる繊毛が生え、
かすかにふるえ。
かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。
+++
でも、大人になってからは……。
まったく趣の違う一篇が好きになりました。
↓暗い日々の中に、ぽっかりと青空が覗いたような詩です。
+++
●閑雅な食慾(詩集『青猫』)
松林の中を歩いて
あかるい氣分の珈琲店(かふえ)をみた。
遠く市街を離れたところで
だれも訪づれてくるひとさへなく
林間の かくされた 追憶の夢の中の珈琲店である。
をとめは戀戀の羞をふくんで
あけぼののやうに爽快な 別製の皿を運んでくる仕組
私はゆつたりとふほふくを取って
おむれつ ふらいの類を喰べた。
空には白い雲が浮んで
たいそう閑雅な食慾である
+++
いいですよね。
ぜったいに、行列が出来る店ではありません。
ドアを押しても、店内には誰もいません。
休業日なのかなといぶかしんでると……。
ようやく奥から、「をとめ」が現れるわけです。
メニューも、決して「デカ盛り」などではありません。
「おむれつ ふらい」の類です。
わたしなら、ビールを注文したいです。
でも、白ワインですかね。
窓際のテーブルに座ります。
白い窓枠の向こうは、林。
林床に、木漏れ日が散ってます。
今日は、思いのほか食欲があります。
最後に、ドライカレーを追加しましょうか。
こんなお店があれば、毎日通うんですけどね。
でも、残念ながら……。
「追憶の夢の中の珈琲店(かふえ)」なんですよね。
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4. 手羽崎 鶏造- 2024/05/11 08:50
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<本編より>
この姿勢で性交するとなれば、立ちバックしかないだろう。
四つん這いになりながら、隣との仕切り板の方に身を向ける。
「立ちバック」から「四つん這い」への移行。
ワタシも好んで使う流れです。
他人の奥さんとの背徳セックスでは大抵、
これをヤッています。
恋人や妻とのそれの時は、ワタシの表情を窺われます。
顔、眼を見つめているかどうか(愛されているか?)
とても気になるご様子。
交わりながらも、頻繁にkissを施していかねば
なりませぬ。
ところが、この体位だとその必要がありません。
より征服感・被虐感の強い体位なので、
奥さんはいっそう燃え上がるのだと思いますね。
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5. Mikiko- 2024/05/11 11:10
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遠い記憶
四足歩行時代の記憶が蘇るんじゃないですか。
遠吠えみたいな咆哮をあげながらってのも燃えるかも。
近所迷惑ですが。