2024.4.18(木)
この『単独旅行記Ⅶ・総集編(9)』は、『単独旅行記Ⅶ(081)』から『単独旅行記Ⅶ(090)』までの連載を、1本にまとめたものです。
み「おー、歴代城主の家紋か。
蒲生氏が、3と5になってるのは……。
4の上杉氏が、関ヶ原で転封になったからだね。
蒲生氏が、もう一度、5番目で入ったんだ。
ん?
最後の、7と8だけど……。
なんで、保科氏と松平氏が一緒になってるわけ?」
ハ「調べるんやな?」
み「察しがいいではないか」
ハ「えーっとな。
改姓したんやて。
保科から松平に
3代目の正容(まさかた)の代のときらしいな」
み「改姓って……。
松平なんて、勝手に名乗れないでしょう」
ハ「当たり前やがな。
↓Wikiには、こう書いたる(出典)。
+++
元禄9年(1696年)、松平姓と三つ葉葵の紋の永代使用を許され、名実ともに徳川一門(御家門)として遇されることになる。
+++
で、聞くわけやろ?
何でそんな厚遇を受けたか」
み「気が利いてるではないか」
ハ「もう慣れたわ。
ふむふむ。
最初に会津に入った保科正之が……。
そもそも、そういう血筋やったちゅうことや。
2代将軍、徳川秀忠の四男やて。
側室の子やけどな。
で、保科家に養子に出されたわけや。
会津に入った後、幕府は……。
正之に、松平姓を名乗るよう勧めたみたいやな。
ところが正之は……。
養育してくれた保科家への恩義から、これを固辞し、生涯保科姓を通したそうや」
み「なるほど。
けっこう気骨のある人だったんだね。
でも、2代目のときは、幕府は松平姓を勧めなかったってこと?」
ハ「2代目の正経(まさつね)は……。
正之の四男やな。
上の3人の兄が、みんな早死にして嫡男になっとる。
正之から家督を継いだときは……。
正之がまだ生きとった。
隠居やな」
み「なるほど。
固辞してた父親がまだ生きてるんじゃね」
ハ「ほー。
御薬園を作ったのが、この正経らしいで」
み「立派な人じゃん。
正経の在位中、父の正之は、ずーっと生きてたの?」
ハ「1673年に亡くなっとるな」
み「正経の在位中でしょ?」
ハ「せやな。
しかし、1673年は、まだ正経は26歳や」
み「松平を名乗らせるには、ちょっと若いか」
ハ「そやろな。
でも、残念ながら正経は、満34歳で亡くなっとる。
元々、病弱やったらしい」
み「それで、御薬園を作ったのか」
ハ「そやろな。
正経の子は、女児が1人だけやった。
で、末弟の正容を養嗣子として、後を継がせたそうや」
み「正容が後を継いだのは、正経が亡くなる何年前?」
ハ「亡くなる年やな」
み「それって、ちょっと怪しくない?
ほんとは、正経はもう死にかけてて……。
正容を、慌てて養子にしたんじゃないの?」
ハ「跡継ぎがおらんかったら……。
取り潰しやからな」
み「それそれ」
ハ「せやけど、死に際の養子縁組みは……。
末期養子ちゅうて、幕府に禁止されとったで」
み「てことは……。
後を継ぐ前に、正式に養子になってたってこと?」
ハ「正経の亡くなる前年やな」
み「ぎりぎりセーフってことか」
ハ「しかし、いいんか?
入り口前でこないに時間食うて」
み「あ、そうだった。
いざ、しゅつげーき」
み「おー。
立派立派。
ぜんぜんコンクリートだなんてわかんないよ」
ハ「遠目にはな」
み「わたしはね、今、お城を再建するんなら……。
コンクリートでいいと思うのよ」
ハ「何でや?」
み「当時の城主は、お城を頑丈に作りたかったわけでしょ」
ハ「当たり前やがな」
み「そのころ、もしコンクリート工法が存在したら……。
ぜったい、それを使うでしょ。
頑丈だし、燃えないし」
ハ「ま、そうやな」
み「つまり、その時代の最強の工法で作ればいいわけよ。
もちろん、コスパは考えなきゃならないけど。
それを、建てられたときのままの木造で作ろうとするから……。
ハードルが高くなりすぎるんじゃない。
天守の復元なんて、ぜったいに無理だよ」
ハ「木造やと、環境問題もあるしな」
み「でしょ。
でも、見てみたいよね。
江戸城。
皇居には、天守台が残ってるわけでしょ。
天守は、どのくらいの高さだったの?」
ハ「45メートルあったらしいな。
天守台を含めると、58メートルや。
もちろん、日本一やな」
み「うーん。
見てみたい!」
ハ「コンクリートでもか?」
み「もちろん」
ハ「また、無駄話や。
ぜんぶ見れへんなるで」
み「どこが無駄話だ!」
み「石垣に、階段がついてる。
説明書きがあるな。
読んで」
ハ「わしがかいな。
難儀なやっちゃ。
ほな、読むで。
+++
●武者走り
この石垣は、鶴ヶ城の大手門の渡り櫓(やぐら)などへ簡単に「昇り」「降り」ができるように造られています。
V字型に造られており「武者走り」とも呼ばれ鶴ヶ城の鶴ヶ城の石垣の特色の一つです。
また、地表面での専有面積も少なくすみ、石積みについての当時の知恵がうかがえます。
+++
やて」
み「大いに疑問」
ハ「なにがや」
み「“簡単に「昇り」「降り」ができる”って……。
それなら、攻めてきた敵も、簡単に登れるってことでしょ?」
ハ「アホかいな」
み「なにが!」
ハ「ここは、お城の内側やろ。
敵を、石垣の上から狙い撃ちにするための仕組みやがな」
み「なんと!
いつの間に内側に」
ハ「ボーッと歩いとるからや」
み「そんなら、敵がボーッと歩いてても……。
石垣の内側に入れるってことじゃない」
ハ「あのな。
当時と同じ造りのわけないやろ」
み「なして」
ハ「石垣をよじ登らんならんかったら……。
観光客、どうやって入るねん」
み「ま、それも一理ある」
ハ「全理や!
また道草やがな。
早よ行くで」
み「ほら、遠目で見れば……。
ぜんぜんコンクリートだなんてわからない」
ハ「お城は、火矢とかで燃えんように……。
木材が、外側に出とらん造りやからな」
み「木造寺院とかをコンクリートで再建するわけにいかないけど……。
お城なら、ぜんぜんオッケーってことじゃん」
ハ「ま、見た目はな」
み「自販機、充実しすぎ。
こんなに並べてんなら……。
ビールくらい、置いとけばいいのに」
ハ「年齢確認、でけんやろ」
み「昔は、そっこら中に缶ビールの自販機があって便利だったよね。
自転車散歩のとき、それ買って飲みながら走ったもんだ」
ハ「酔っ払い運転やろ」
み「酒気帯びです」
ハ「おんなじこっちゃわ」
み「げ。
こんなこと書かれると……。
逆に催すではないか」
ハ「行って来ればいいがな」
み「大丈夫。
気が急くから。
時間、押しちゃってるもんね」
ハ「誰のせいやねん」
み「こんなとこでゲームするヤツがいんの?」
ハ「それよか、撮影禁止やで」
み「なんと!
なぜじゃ?」
ハ「カメラ構えたりしとると……。
客同士がぶつかったりするからやろ」
み「がっかり」
ハ「やめるか?」
み「そんなわけいかないでしょ。
ここまで来てんのに」
というわけで、入場券を購入。
↓料金です。
+++
大人 410円
小中学生 150円
埴輪 タダ
+++
み「ま、撮れるとこまでは撮ろう。
ここはまだいいよね?」
ハ「そう云えば、撮影禁止なんは……。
1,2層だけやったな。
てことは、天守なら撮れるっちゅうことやないか?」
み「そうか!
天守からの景色は撮れるのか!
410円、払って良かった」
み「けっこう足がかりがあって登れそうだけどね。
ボルダリングの選手だったら楽勝なんじゃない」
ハ「ここはもう、石垣の内側やからやろ」
み「いよいよ、1層だ」
ハ「この上からは、撮影禁止やで」
み「何層あるんだっけ?」
ハ「確か、5層やったと違うか」
み「そんなら、3,4,5層は撮影できるってことだね」
み「あれ?
撮影可じゃん。
ここって、1層じゃないの?」
ハ「いきなり3層に出たっちゅうわけないわな。
ま、あがってみなはれ」
み「うーむ。
字がいっぱいじゃ」
ハ「ぎょうさん、お勉強でけるな」
み「先を急ぎますで」
ハ「時間の使い方が間違うとるわ」
み「松平容保公の美顔だけ、拝んでいきましょう」
み「ちょっと待った」
ハ「なんやねん」
み「越後の英雄、河井継之助じゃ。
しかし……。
どうしても、アホの坂田に見える」
ハ「怒られるで、県民に。
せめて、鈴木宗男、言うたりや」
み「てことは……。
鈴木宗男とアホの坂田は似てるってことだな」
ハ「わしゃ知らん」
み「戦火を耐えたお城か」
ハ「ボロボロや」
み「しかし、当時の火器が……。
いかにお粗末だったかわかるよね。
今の兵器だったら、一撃で木っ端微塵でしょ」
薄暗いうえ、フラッシュを焚けないので……。
ピンボケ写真ばかりになってしまいました。
この後、撮影不可の層を通ったようです。
もちろん、撮影はしませんでした。
しかし、2年近く前のことなので……。
残念ながら、その間の記憶が皆無です。
ということで、次のシーンに続きます。
み「ようやく、撮影可だな」
ハ「フライングやないんか?」
み「『撮影可』の看板は、撮影可でしょ」
ハ「なに言うとんねん」
み「出た、新島八重。
しかし……。
どう見ても、綾瀬はるかとは結びつかん。
芸人にいそうな顔だよね」
ハ「つくずく、失礼なやっちゃ」
み「これって、何歳くらいの写真?」
ハ「調べるんか?
また、いらんことに時間使てる思うがな」
み「そんなら、急いで調べて!」
ハ「洋装の写真は、1920年から22年あたりに撮られたみたいや。
1921年が一番多かったみたいやな」
み「いくつくらいのとき?」
ハ「1845年生まれやから……。
76やな」
み「げ。
そんな歳には見えないよね。
福々しくて。
八重は、いくつまで生きたの?」
ハ「86やな」
み「当時としては、異例なほどの長生きだよね。
亡くなったのは、いつころ?」
ハ「1932年、昭和7年やな」
み「戊辰戦争を戦った人が、昭和まで生きてたわけか。
そのころの平均寿命って、いくつくらい?」
ハ「女でも、47,8くらいみたいやな」
み「86って、バケモノじゃん。
平均の1.8倍でしょ。
今なら、140超えてるよ」
ハ「そういう計算が成り立つんかわからんがな。
しかし、この写真を見る限り……。
栄養状態は良かったみたいやな」
み「洋装してたんでしょ。
ぜったい、ナイフで肉、食ってたよね。
やっぱ肉なんだな、長生きの秘訣は」
ハ「結論が単純すぎや。
早よ去ぬで。
また、道草や」
み「どこが道草じゃ。
順路どおりではないか」
この上の階が、再び撮影禁止だったのか……。
それとも、時間が押して、層を端折ったのかは定かではありません。
いきなり場面が変わります。
み「おー。
絶景かな、絶景かな」
ハ「何で、石川五右衛門やねん」
み「こうして見ると……。
会津が盆地だってのがよくわかるよね」
ハ「まさしくやな」
み「四方を山に囲まれてると……。
安心感がある気がする。
少なくとも、津波は来ない」
ハ「当たり前やがな」
み「これで雪が降らなきゃ……。
住んでみたいんだけど」
ん?
あれ、何だろ?
ピラミッドみたいなのが見えるけど」
ハ「どこや?」
み「ほら、あそこ」
ハ「ほー。
なるほど。
で、調べるんやな?」
み「森田検索、出動じゃ」
ハ「いらんこと言わいでええわ。
えーっとな。
あの方向やと……。
どうやら、鶴ヶ城体育館らしいな」
み「なんだ。
宗教施設かと思った」
み「お、飯盛山だ」
み「どれが飯盛山?」
ハ「真正面やな」
ハ「ほれ、ポールが建っとるやろ。
その向こうのこんもりした山が……。
飯盛山や」
み「あのポールって……。
そういう意味で建てられてるの?」
ハ「ちゃうんやないか。
えーっとな。
ふむふむ。
どうやら、NHK福島放送局の……。
会津若松ラジオ中継放送所らしいな」
み「じゃ、偶然……。
一直線上にあったってことか」
実は、飯盛山から鶴ヶ城を見たときも……。
確かにこのポールが、お城の真ん前に建ってたんです。
↓ま、気づかなくて当然ですが。
み「しかし、ほんとにいい季節だよね。
1年中、5月だといいのに」
ハ「5月バカになるで」
み「それは、4月バカでしょ!」
み「そこそこ都会だし……。
こんくらいの町が、一番暮らしやすいんじゃないの。
雪が降らなければだけど」
ハ「よっぽど、雪が憎いようやな」
み「昔の家はさ……。
先祖から子孫に、綿々とつながれて来たわけじゃない。
だから、家には必ず若手がいたんだよ。
なので、雪下ろしも出来た。
ところが、今はどうよ?
若手はみんな、家を離れて行って……。
残されたのは老人ばかり。
雪下ろしなんて、出来なくなって当然よ。
これからの雪国では……。
どんどん、廃村が増えるんじゃないかな。
でも、それでいいんだと思う。
どんどん人口が減ってるんだから……。
雪の降らないところに、みんな集まって暮らせばいいのよ」
ハ「ま、行政サービスの効率やら考えれば……。
その方がええんやろうけどな。
難しい思うで」
ここからまた城内の写真に変わります。
撮影が出来るところで撮ったはずですが……。
今となっては、記憶が皆無です。
自分を信じて、そのまま載せることにします。
み「これは、『八重の桜』の衣装だな。
この服装って、季節に関係なしなのかな?
あの八重の格好じゃ、冬は耐えられないと思うよ」
ハ「冬は、綿入れくらい羽織ったんちゃうか。
会津戦争は、夏やったからな」
み「この『飲食禁止』の貼り紙に……。
『注意』は必要かね?
むしろ、赤字で大きく『飲食禁止!』だけの方が良くない?」
ハ「そないなとこまで、世話焼かいでええがな」
み「新撰組の旗って、赤なの?
浅葱色じゃなかった?」
ハ「今、調べたるわ」
み「“気が利いてよな”。
今の、わかる?」
ハ「何がや?」
み「ペヤングソース焼きそばの昔のCM」
ハ「知らんがな。
いらんこと言わいでええわ。
えーっとな。
赤で正解やな。
“赤心(せきしん)”ちゅう言葉があってな。
“まごころ”“まこと”の意味や。
“誠”の文字には、赤が相応しいっちゅうこっちゃ」
み「ふーん。
でも、この赤い旗に浅葱色の隊服。
格好良かったろうね。
特に、土方歳三」
ハ「かなりの洒落もんやったらしいで」
み「あの隊服の袖のギザギザ模様って……。
土方の考案らしいよ。
確か、歌舞伎の衣装のデザインから採ったんじゃなかったかな」
ハ「ほー、どれどれ。
なるほど。
『仮名手本忠臣蔵』の衣装やな。
歌舞伎は黒やったが……。
それを浅黄色にしたわけや」
み「爽やかな色だよね。
センスいいわ」
ハ「爽やかやから選んだわけやないみたいやで」
み「どういうこと?」
ハ「武士が切腹するときに……。
浅葱色の裃を着けたんや。
忠臣蔵の四十七士も……。
それを着けて切腹した。
つまり、常に死ぬ覚悟を持ってるちゅう意味の……。
浅葱色や」
み「あー、やだやだ。
幕末に生まれなくて、ほんとに良かったよ」
み「鉄砲伝来は、以後四散(いごしさ)するだから……。
1543年でしょ。
江戸時代前にあったわけだ。
でも、どうして江戸時代の武士は……。
鉄砲じゃなくて、剣術の稽古ばっかりしてたのかね?」
ハ「調べればわかるんやろうけどな。
いちいち、こないに時間食ってて大丈夫なんか?」
み「そうだった!
番組を進めねば」
み「弓か。
弓道部、格好よかったよね。
それに、相手のいない武術だから……。
怖い思いをしなくて済むし」
ハ「入れば良かったやないか?」
み「弓って、組み立て式じゃないんでしょ?
あの弓を持って、満員電車に乗れって言うわけ?」
ハ「弓は、部の備え付けやないんか?」
み「そうなの?
マイ弓じゃないんだ。
そんなら、運ばなくていいよね。
でも、弓道部は無理でした」
ハ「何でや?」
み「うちの高校に、弓道部がなかったから」
ハ「なんやそれ!」
み「これは、槍か?」
ハ「なかったんか、槍部?」
み「あるかい、そんな部!」
み「これは、一番いい役なんじゃない?
危険も少ないし。
当たれば面白いし。
ぜったい、この係に立候補したい」
ハ「立候補制のわけあるかい」
み「あの梁!
ははは。
階段の上のところが黒ずんでる!」
ハ「そうとうな人数、頭ぶつけとるな」
み「『頭上注意』の貼り紙見て……。
頭上げたときぶつけるんじゃない」
ハ「罠やがな」
み「やっぱ……。
人間、肉食べないとダメだよ。
しかし、千利休って、180㎝だったんでしょ。
今の時代だったら、194㎝くらいに相当するんじゃない?
侘び寂びとはほど遠い体型。
たぶん、自分の巨躯にコンプレックスがあったはず。
だから、茶室の躙り口なんて考案したんだよ。
しゃがんだまま入って、ずーっと座ってれば……。
立たなくていいから」
ハ「座っとっても……。
デカいんは隠せへんと思うがな」
み「ひょっとしたら、異常に脚が長かったのかも。
座高なら、ほかの人と変わらなかったんじゃない?」
ハ「そないな長い脚、畳んだら……。
キャタピラーやがな」
み「これは、石を落とす係だな」
ハ「また立候補かいな」
み「まあな。
でも、条件がある」
ハ「なんや?」
み「石をここまで運びあげる係とバーターなら……。
断る」
ハ「つくずく、わがままなやっちゃ」
み「顔ハメがあった。
でも……。
すっごく安易な感じ」
ハ「やってみたらどうや。
記念やろ」
み「パカタレ。
誰がシャッター押すんだよ」
ハ「セルフタイマーにしたらええがな」
み「そこまでするほどのものか!」
み「こんなの被る人、いるの?
極めて不潔じゃん」
ハ「消毒液、置いたるがな」
み「被った後、頭にかける気か?」
ハ「そんでも、子供はやるやろな」
み「なんか、高校時代の体育の授業、思い出した。
女子はなかったから良かったけど……。
男子は、剣道があったんだよ。
教室で、防具の面がいかに臭いか嘆いてた。
その剣道の授業、チラ見したことがあったけど……。
情けなかったね」
ハ「なにがや?」
み「格好だよ。
面と胴、小手は着けてるんだけど……。
悲しいかな、袴は無し。
ジャージズボンのままなの。
思いっきり足軽ですよ」
ハ「わはは」
み「なんで上れないんだ?
しっかりしてそうな階段じゃないの」
ハ「確かにな。
そんでも、手すりがなかったら危ないがな」
み「手すりが必要な人が上るわけないじゃん」
ハ「わからんで。
観光で来とると、普段とテンションちゃうからな」
み「確かに、酔っ払ったジサマとか、上りそうだね」
ハ「上から転げたら、ただじゃ済まんて」
み「まさしく、階段落ちだ」
み「でもさ、この立て札だけど……。
階段に、昇降の“昇る”なんて使う?
エレベーターじゃないんだから。
普通、上下(うえした)の“上る”でしょ」
ハ「ほんま、イチャモンの多い客やで」
み「ご指摘と言いなさい」
み「これは、持ってみるかな。
兜よりは、バッチくないだろ。
アルコール消毒もできるし」
ハ「どないや?」
み「長さは、同じくらいなんだね。
どーれ。
あ、どっちも重いわ。
でも、なんで重さが書いてないわけ。
わたしだったら、脇に計りを置いとくけど」
ハ「子供がいたずらして壊すで」
み「あ、そうか。
自分が乗ったりしてね。
但し書きを付けておけばいいじゃん。
『計りを壊した者は、打首にして天守から吊るします』とか」
ハ「炎上やがな」
み「城だけに」
ハ「落としよったな」
み「さーて。
さっきの梁に戻った。
でも、下りるときはぶつけないね。
ずっと、梁が見えてるから」
ハ「ウケ狙いでやるやつがおるかも知れんで」
み「釘、打っておけば」
ハ「なんの施設やねん」
み「ちょっと待って。
この階段って、非常口なんじゃないの?
塞いでていいのか」
ハ「非常口やったら、下に向かうやろ」
み「これも罠の一環か」
ハ「どういう施設や」
み「いずれにしろ、手作業だから大変だよな。
石を加工してるとこ想像したら……。
佐渡金山の人形を思い出した。
“早く外に出て酒を飲みてぇ。馴染みの女にも会いてぇなぁ。”って言ってるんだよ」
↑1:50くらいからセリフがあります。
ハ「連想が不謹慎すぎやわ」
み「しかし、あの人形……。
世界遺産になっても、置いとくつもりかね」
ハ「知らんがな」
み「また、顔ハメじゃ。
右の顔、小さすぎるんじゃないの?」
ハ「子供用やろ。
こっちでやってみたらどうや。
顔の下半分入れたら、目ぇが隠せるやろ。
人相わからへんから、ブログに載せられるで」
み「そんな写真を、誰かに撮ってもらえと?」
ハ「引かれるやろな」
み「ドン引きだわ」
ここから、いきなり外の風景に移ります。
おそらく、顔ハメから下の階が……。
撮影禁止だったんじゃないでしょうか。
行ってから掲載まで、これだけ間が空いては……。
まったく記憶が残ってないんです。
今度から、ボイスレコーダーでメモしておくかな?
今調べたら、スマホでアプリがあるようです。
↓「Google Keep」がいいみたいです。
なんと、音声をテキストにして保存してくれるのだとか。
これを使えば、口述筆記も出来ますよね。
試してみようかな。
ハ「次はここやな」
み「看板、見ただけ」
ハ「なんでやねん」
なぜ、ここを見なかったのか不明です。
写真も記憶もありません。
入ってないと思います。
み「この枠って、御影石かな?」
ハ「そっちかいな」
み「これだけデカいと……。
お値段もそうとうですよ」
み「うーん。
やっぱり、お城には青空が似合うよね」
ハ「コンクリートには見えんわな」
み「本丸か……。
芝刈りがタイヘンだ」
ハ「そっちかいな」
み「でも、障害物がないから……。
乗用の芝刈り機で刈ればあっという間かも」
み「お、これはタギョウショウ(多行松)だな」
ハ「なんやそれ?」
み「アカマツの園芸品種。
地際から幹が分岐して……。
樹幹が、傘を開いたみたいになるの」
ハ「樹齢を経たら……。
おとろしい形になりそうやな」
み「古木はないのよ。
短命で。
50年くらいかな」
ハ「そら短いな。
人生、50年か」
み「ここの松も、枯れが目立つね。
マツノザイセンチュウかな?」
ハ「助からんのかいな?」
み「こうなったら、もうどうしようもない。
ほかに広がらないように……。
早めに伐採した方がいいんだけどね」
み「コンクリートの天守が出来たのって、何年?」
ハ「えーっとな……。
1965(昭和40)年やて」
み「今年(2022年)で、57年か。
そのころに植えられたとしたら……。
このタギョウショウも、もう寿命だね。
枯れたら、どうするんだろ。
バックヤードで、次世代を育ててるとは……。
ちょっと思えないけど」
ハ「植木屋が育ててるかも知れんで。
植え替えを見こんで」
み「確かに、その植木屋にしかなければ……。
買うしかないけど。
でも、どうだろ。
植え替えの予算が付くのかな?
寄付なら受けるかも知れないけど……。
購入はないんじゃないの」
ハ「植木屋はん、見こみ違いやな」
み「戊辰戦争後の天守だね」
ハ「穴ぼこだらけや」
み「でもさ、大砲の弾って……。
穴、空けるだけ?
爆発しないの?」
ハ「昔のはそうやったんやないんか?
ヘタなの作ったら……。
発射のとき爆発するがな」
み「まぁ、城に穴を空けるだけでも……。
心理的な効果はあるんだろうけど」
み「お、さっきの看板の麟閣だな」
ハ「寄らん言うとったやつやろ」
み「やっぱり気が変わった」
ハ「なんやねん」
ほんとに、「なんやねん」です。
寄ってないと思ってましたが……。
寄ってたみたいです。
でも、まったく記憶がないんですよね。
恐ろしいことです。
み「なんと。
千家が続いたのは……。
会津藩主、蒲生氏郷のおかげではないか。
でも、死を命じられるほどの怒りを買ったって……。
利休はいったい、何をやらかしたのかね?」
ハ「諸説あって、実際のところはわからんようやな」
み「やっぱさ。
根源にあったのは、体格的な劣等感だったと思うのよ。
利休は、180㎝の偉丈夫でしょ。
秀吉はどのくらい?」
ハ「えーっとな。
秀吉の鎧が、仙台市博物館にあるみたいやな。
これから推定される身長は……。
150㎝ないそうやで」
み「でしょう。
利休とは、30㎝以上も違うわけよ。
そばにいるだけで不愉快だったはず。
それが積もり積もっていって……。
何かのきっかけでキレたんじゃない」
ハ「利休の死んだ翌年……。
秀吉は、朝鮮出兵しとるな。
すでに、頭の具合がおかしなっとったんとちゃうんか」
み「なるほど。
ひょっとしたら、利休に朝鮮出兵をたしなめられたからかも」
み「茶室だな。
でも、どう見ても……。
江戸の長屋の共同便所に見える」
ハ「失敬なやっちゃ」
み「あ、茶室じゃなかった」
ハ「先にこれを見んかいな」
み「この方向から見ると……。
やっぱ、便所だわ」
ハ「やめんかい」
み「よし、今度は立て札を先に見るぞ。
ふむふむ」
み「これか。
ひょっとしたら秀吉は……。
こういう門を、屈まずに通れてしまったんじゃないの。
利休が、身を半分に折って通るのを見たら……。
腹立つと思うよ」
み「また待たせるんかい!
なんか、いちいち腹の立つ造りだな」
ハ「平常心を保つのも……。
茶の湯のたしなみやろ」
み「わたしには出来ん」
ハ「あんた、性格が秀吉やがな」
み「そうか。
それで、茶室に腹が立つのか。
利休を切腹させた秀吉の気持ち……。
よくわかるわ」
み「これが腰掛待合か。
あ、ミスト出してる」
ハ「ミスドなんか出店しとんのかい?」
み「ドーナツ屋が出てるんじゃないわい。
ミスト!
霧ですよ」
み「ほら、こっちから見るとよくわかる。
たぶん、時間で区切って、噴く場所、移してるんだよ。
苔の管理は大変だわ」
み「“つくばい”って、こんな字、書くんだ。
日本で、これ書ける人、何人いるのかね?」
ハ「漢検一級の人なら書けるやろ」
み「しかし、よくまぁ、そういう検定を取る気になるよね。
小学生のときの漢字の書き取り……。
嫌いじゃなかった人がいたのかね」
ハ「ペン字とか習うて、字が上手うなったら……。
字を書くのが楽しくなるみたいやで。
やってみたらどないや」
み「なるほど。
リタイヤしたら、考えて見るかな。
時間がありすぎると、ぜったい酒飲んじゃうからね。
なんか習い事した方がいいかも」
み「いかにもな和庭だな。
剪定に草取り。
金がかかってしょうがないわ」
ハ「風情のためや。
いたしかたないやろ」
み「そう考える人は……。
今は、めっきり少なくなってるんだろうね。
最近の建売住宅なんて……。
土の部分は、みんな覆っちゃってるから。
コンクリートで。
ガーデニングがやりたければ……。
プランターを並べればいいってことなんだろうね」
み「あれが、蹲踞(つくばい)か。
カポーンって鳴らす鹿威しはないんだな」
ハ「庭に鹿が出るっちゅうたら、えらい山の中やで」
み「奈良なら出るんじゃないの?」
ハ「そういやあの鹿、民家を荒らしたりせえへんのやろか」
み「黙って座ってれば、鹿せんべいもらえるんだから……。
わざわざ遠征する必要ないでしょ」
み「3つの千家に分かれたわけ……」
ハ「また調べんのかいな」
み「やっぱりいい」
ハ「なんやねん」
み「そこまで興味、わかないわ。
どうやら、茶道とは縁がないみたいだね」
ハ「賢明な判断やな。
茶道にとっても」
み「なんじゃそれ」
み「うひゃー。
跡目争い、大変なんだろうな。
2時間ドラマでよくやってる。
野点の席で、家元が血を吐いて死ぬんだよ」
ハ「読まんのやったら、早よ行ぬで」
み「トイレがない」
ハ「茶室にトイレは付けんやろ。
昔は水洗やないんやから……。
臭うで」
み「トイレが近くなった年寄りは辛かっただろうね。
お茶飲まなきゃなんないわけだし。
やっぱ、さっきの『寄付(よりつき)』って……。
ほんとはトイレだったんじゃないの?」
ハ「なわけあるかい」
み「ま、いざとなったら……。
この水屋ですればいいわけだ」
ハ「やめんかい」
み「これが利休考案の『躙口』だな。
これ絶対……。
自分が立たなくていいようにするための仕掛けだよ。
屈んで入って、正座のまま躙っていくわけだ。
そうすれば、大男が目立たなくて済む」
ハ「考えすぎやて」
み「これは何だろ。
いい下草だな。
一見、自然風に見えるけど……。
実際には、自然界にこんな風景はないんだよね」
ハ「なんでや?」
み「ほかの草が1本も生えてないなんてこと……。
あるわけないでしょ。
こういう状態を維持するには……。
人の手が入らなきゃ無理ってこと」
み「なんだこれ?
ニンジンみたいな葉っぱだ」
ハ「雑草の取り忘れやろ」
み「しかし、周りに1本も草がないのに……。
これだけ取り忘れるかね?」
ハ「知らんがな」
み「シャガか。
これは知ってる。
もう少しすると、儚げな藤色の花が咲くよ。
板塀に似合って、風情あると思う」
み「これは、夏は気持ちよさそうだね。
開け放てば、野点の気分も味わえる」
ハ「習うてみたらどうや、お茶」
み「御免被る。
しーんとしてやるんでしょ。
緊張感に耐えられっこない。
なにかやってしまいそうだわ。
先生の頭に、茶碗被せるとか」
ハ「やめんかい」
み「おー、ここでもミスト出してる。
でも、こんなに大事に管理されて……。
幸せな庭だよ。
ここ専属の庭師になりたい。
月給30万でいい」
ハ「採用不可」
み「おー、野点の席じゃな。
しかし、あの傘は……。
ほとんど、日陰を作る役目してないじゃない。
2倍くらい大きくなきゃ無理だよ」
ハ「運べんがな」
み「秋田の『竿燈まつり』の人を雇うか。
やっぱり、日陰を作る機能ではテントの圧勝だね」
ハ「もともと、和傘に日傘の役割はなかったやろ」
み「ていうか、昔は……。
日を遮るために傘を差すってこと自体、なかったんじゃないの?」
ハ「かも知れんな」
み「外人観光客は、日本の日傘文化には驚くみたいだね。
カンカン照りの中、傘差して自転車乗ってるから。
最初は、頭のおかしい人かとギョッとなるみたい」
ハ「そもそも、片手運転がいかんがな。
釣りのとき、頭に被る笠があるやろ。
あれ着けて走ったらどうや」
み「よけいキ印に見えるわ」
み「なんだこれ。
葉っぱにV字が入ってる。
面白いな。
なんて草だろう。
ちょっと検索して。
Googleなら、画像で検索できるでしょ」
ハ「わしにそんな機能があるんかいな?
あ……。
でけたわ。
ミズヒキやて」
み「え?
ミズヒキって……。
祝儀袋の水引に似た、赤い穂の出る草だよね。
あれなら、うちのベランダで勝手に生えてるけど……。
こんな葉だったかな?
帰ったら確かめてみよう」
ミズヒキは多年草で、冬は地上部がありません。
これを書いてる4月上旬には、まだ芽が出てませんでした。
み「淡々と書いてあるけど……。
浪人して、どうやって食べてたんだろ?」
ハ「傘張りやないけ」
み「さっきの傘、森川家の子孫が作ってたりして」
み「またわからん草だ。
調べて」
ハ「今、立て札、読んだやないけ。
これが牡丹やがな」
み「これが?
花がないと、ぜんぜんわからんわ」
み「これは……。
寄せ植えなわけないよね。
花瓶に挿してあるんだな。
でもこの庭、ほんとに丁寧に管理されてるね。
苔に、ミスト撒いたり。
1日、こういう仕事してたら楽しいだろうな。
30万で雇ってくれないかな。
冬場は長期休暇ってことで」
ハ「誰が雇うかいな」
ハ「一席、どないや。
600円なら、高こないやないけ」
み「作法がわからんでしょ。
先生の頭に、茶碗被せてもいいの?」
み「さすがに、こういう建物の復元は……。
予算的に難しいんだろうね」
ハ「コンクリートで造るわけにはいかんわな」
み「ここでも松が枯れかけてる」
ハ「気の毒やな」
み「なんとかならないもんかね」
み「井戸だな。
しかしでっかいね。
お菊さんが、10人くらい出てきそうだ」
ハ「盆地やから、地下水は豊富なんやろな」
み「『荒城の月』か。
身に沁みる曲だよね」
ハ「殊勝やないけ」
↓聞きましょう。
↓歌碑です。
み「おー、歴代城主の家紋か。
蒲生氏が、3と5になってるのは……。
4の上杉氏が、関ヶ原で転封になったからだね。
蒲生氏が、もう一度、5番目で入ったんだ。
ん?
最後の、7と8だけど……。
なんで、保科氏と松平氏が一緒になってるわけ?」
ハ「調べるんやな?」
み「察しがいいではないか」
ハ「えーっとな。
改姓したんやて。
保科から松平に
3代目の正容(まさかた)の代のときらしいな」
み「改姓って……。
松平なんて、勝手に名乗れないでしょう」
ハ「当たり前やがな。
↓Wikiには、こう書いたる(出典)。
+++
元禄9年(1696年)、松平姓と三つ葉葵の紋の永代使用を許され、名実ともに徳川一門(御家門)として遇されることになる。
+++
で、聞くわけやろ?
何でそんな厚遇を受けたか」
み「気が利いてるではないか」
ハ「もう慣れたわ。
ふむふむ。
最初に会津に入った保科正之が……。
そもそも、そういう血筋やったちゅうことや。
2代将軍、徳川秀忠の四男やて。
側室の子やけどな。
で、保科家に養子に出されたわけや。
会津に入った後、幕府は……。
正之に、松平姓を名乗るよう勧めたみたいやな。
ところが正之は……。
養育してくれた保科家への恩義から、これを固辞し、生涯保科姓を通したそうや」
み「なるほど。
けっこう気骨のある人だったんだね。
でも、2代目のときは、幕府は松平姓を勧めなかったってこと?」
ハ「2代目の正経(まさつね)は……。
正之の四男やな。
上の3人の兄が、みんな早死にして嫡男になっとる。
正之から家督を継いだときは……。
正之がまだ生きとった。
隠居やな」
み「なるほど。
固辞してた父親がまだ生きてるんじゃね」
ハ「ほー。
御薬園を作ったのが、この正経らしいで」
み「立派な人じゃん。
正経の在位中、父の正之は、ずーっと生きてたの?」
ハ「1673年に亡くなっとるな」
み「正経の在位中でしょ?」
ハ「せやな。
しかし、1673年は、まだ正経は26歳や」
み「松平を名乗らせるには、ちょっと若いか」
ハ「そやろな。
でも、残念ながら正経は、満34歳で亡くなっとる。
元々、病弱やったらしい」
み「それで、御薬園を作ったのか」
ハ「そやろな。
正経の子は、女児が1人だけやった。
で、末弟の正容を養嗣子として、後を継がせたそうや」
み「正容が後を継いだのは、正経が亡くなる何年前?」
ハ「亡くなる年やな」
み「それって、ちょっと怪しくない?
ほんとは、正経はもう死にかけてて……。
正容を、慌てて養子にしたんじゃないの?」
ハ「跡継ぎがおらんかったら……。
取り潰しやからな」
み「それそれ」
ハ「せやけど、死に際の養子縁組みは……。
末期養子ちゅうて、幕府に禁止されとったで」
み「てことは……。
後を継ぐ前に、正式に養子になってたってこと?」
ハ「正経の亡くなる前年やな」
み「ぎりぎりセーフってことか」
ハ「しかし、いいんか?
入り口前でこないに時間食うて」
み「あ、そうだった。
いざ、しゅつげーき」
み「おー。
立派立派。
ぜんぜんコンクリートだなんてわかんないよ」
ハ「遠目にはな」
み「わたしはね、今、お城を再建するんなら……。
コンクリートでいいと思うのよ」
ハ「何でや?」
み「当時の城主は、お城を頑丈に作りたかったわけでしょ」
ハ「当たり前やがな」
み「そのころ、もしコンクリート工法が存在したら……。
ぜったい、それを使うでしょ。
頑丈だし、燃えないし」
ハ「ま、そうやな」
み「つまり、その時代の最強の工法で作ればいいわけよ。
もちろん、コスパは考えなきゃならないけど。
それを、建てられたときのままの木造で作ろうとするから……。
ハードルが高くなりすぎるんじゃない。
天守の復元なんて、ぜったいに無理だよ」
ハ「木造やと、環境問題もあるしな」
み「でしょ。
でも、見てみたいよね。
江戸城。
皇居には、天守台が残ってるわけでしょ。
天守は、どのくらいの高さだったの?」
ハ「45メートルあったらしいな。
天守台を含めると、58メートルや。
もちろん、日本一やな」
み「うーん。
見てみたい!」
ハ「コンクリートでもか?」
み「もちろん」
ハ「また、無駄話や。
ぜんぶ見れへんなるで」
み「どこが無駄話だ!」
み「石垣に、階段がついてる。
説明書きがあるな。
読んで」
ハ「わしがかいな。
難儀なやっちゃ。
ほな、読むで。
+++
●武者走り
この石垣は、鶴ヶ城の大手門の渡り櫓(やぐら)などへ簡単に「昇り」「降り」ができるように造られています。
V字型に造られており「武者走り」とも呼ばれ鶴ヶ城の鶴ヶ城の石垣の特色の一つです。
また、地表面での専有面積も少なくすみ、石積みについての当時の知恵がうかがえます。
+++
やて」
み「大いに疑問」
ハ「なにがや」
み「“簡単に「昇り」「降り」ができる”って……。
それなら、攻めてきた敵も、簡単に登れるってことでしょ?」
ハ「アホかいな」
み「なにが!」
ハ「ここは、お城の内側やろ。
敵を、石垣の上から狙い撃ちにするための仕組みやがな」
み「なんと!
いつの間に内側に」
ハ「ボーッと歩いとるからや」
み「そんなら、敵がボーッと歩いてても……。
石垣の内側に入れるってことじゃない」
ハ「あのな。
当時と同じ造りのわけないやろ」
み「なして」
ハ「石垣をよじ登らんならんかったら……。
観光客、どうやって入るねん」
み「ま、それも一理ある」
ハ「全理や!
また道草やがな。
早よ行くで」
み「ほら、遠目で見れば……。
ぜんぜんコンクリートだなんてわからない」
ハ「お城は、火矢とかで燃えんように……。
木材が、外側に出とらん造りやからな」
み「木造寺院とかをコンクリートで再建するわけにいかないけど……。
お城なら、ぜんぜんオッケーってことじゃん」
ハ「ま、見た目はな」
み「自販機、充実しすぎ。
こんなに並べてんなら……。
ビールくらい、置いとけばいいのに」
ハ「年齢確認、でけんやろ」
み「昔は、そっこら中に缶ビールの自販機があって便利だったよね。
自転車散歩のとき、それ買って飲みながら走ったもんだ」
ハ「酔っ払い運転やろ」
み「酒気帯びです」
ハ「おんなじこっちゃわ」
み「げ。
こんなこと書かれると……。
逆に催すではないか」
ハ「行って来ればいいがな」
み「大丈夫。
気が急くから。
時間、押しちゃってるもんね」
ハ「誰のせいやねん」
み「こんなとこでゲームするヤツがいんの?」
ハ「それよか、撮影禁止やで」
み「なんと!
なぜじゃ?」
ハ「カメラ構えたりしとると……。
客同士がぶつかったりするからやろ」
み「がっかり」
ハ「やめるか?」
み「そんなわけいかないでしょ。
ここまで来てんのに」
というわけで、入場券を購入。
↓料金です。
+++
大人 410円
小中学生 150円
埴輪 タダ
+++
み「ま、撮れるとこまでは撮ろう。
ここはまだいいよね?」
ハ「そう云えば、撮影禁止なんは……。
1,2層だけやったな。
てことは、天守なら撮れるっちゅうことやないか?」
み「そうか!
天守からの景色は撮れるのか!
410円、払って良かった」
み「けっこう足がかりがあって登れそうだけどね。
ボルダリングの選手だったら楽勝なんじゃない」
ハ「ここはもう、石垣の内側やからやろ」
み「いよいよ、1層だ」
ハ「この上からは、撮影禁止やで」
み「何層あるんだっけ?」
ハ「確か、5層やったと違うか」
み「そんなら、3,4,5層は撮影できるってことだね」
み「あれ?
撮影可じゃん。
ここって、1層じゃないの?」
ハ「いきなり3層に出たっちゅうわけないわな。
ま、あがってみなはれ」
み「うーむ。
字がいっぱいじゃ」
ハ「ぎょうさん、お勉強でけるな」
み「先を急ぎますで」
ハ「時間の使い方が間違うとるわ」
み「松平容保公の美顔だけ、拝んでいきましょう」
み「ちょっと待った」
ハ「なんやねん」
み「越後の英雄、河井継之助じゃ。
しかし……。
どうしても、アホの坂田に見える」
ハ「怒られるで、県民に。
せめて、鈴木宗男、言うたりや」
み「てことは……。
鈴木宗男とアホの坂田は似てるってことだな」
ハ「わしゃ知らん」
み「戦火を耐えたお城か」
ハ「ボロボロや」
み「しかし、当時の火器が……。
いかにお粗末だったかわかるよね。
今の兵器だったら、一撃で木っ端微塵でしょ」
薄暗いうえ、フラッシュを焚けないので……。
ピンボケ写真ばかりになってしまいました。
この後、撮影不可の層を通ったようです。
もちろん、撮影はしませんでした。
しかし、2年近く前のことなので……。
残念ながら、その間の記憶が皆無です。
ということで、次のシーンに続きます。
み「ようやく、撮影可だな」
ハ「フライングやないんか?」
み「『撮影可』の看板は、撮影可でしょ」
ハ「なに言うとんねん」
み「出た、新島八重。
しかし……。
どう見ても、綾瀬はるかとは結びつかん。
芸人にいそうな顔だよね」
ハ「つくずく、失礼なやっちゃ」
み「これって、何歳くらいの写真?」
ハ「調べるんか?
また、いらんことに時間使てる思うがな」
み「そんなら、急いで調べて!」
ハ「洋装の写真は、1920年から22年あたりに撮られたみたいや。
1921年が一番多かったみたいやな」
み「いくつくらいのとき?」
ハ「1845年生まれやから……。
76やな」
み「げ。
そんな歳には見えないよね。
福々しくて。
八重は、いくつまで生きたの?」
ハ「86やな」
み「当時としては、異例なほどの長生きだよね。
亡くなったのは、いつころ?」
ハ「1932年、昭和7年やな」
み「戊辰戦争を戦った人が、昭和まで生きてたわけか。
そのころの平均寿命って、いくつくらい?」
ハ「女でも、47,8くらいみたいやな」
み「86って、バケモノじゃん。
平均の1.8倍でしょ。
今なら、140超えてるよ」
ハ「そういう計算が成り立つんかわからんがな。
しかし、この写真を見る限り……。
栄養状態は良かったみたいやな」
み「洋装してたんでしょ。
ぜったい、ナイフで肉、食ってたよね。
やっぱ肉なんだな、長生きの秘訣は」
ハ「結論が単純すぎや。
早よ去ぬで。
また、道草や」
み「どこが道草じゃ。
順路どおりではないか」
この上の階が、再び撮影禁止だったのか……。
それとも、時間が押して、層を端折ったのかは定かではありません。
いきなり場面が変わります。
み「おー。
絶景かな、絶景かな」
ハ「何で、石川五右衛門やねん」
み「こうして見ると……。
会津が盆地だってのがよくわかるよね」
ハ「まさしくやな」
み「四方を山に囲まれてると……。
安心感がある気がする。
少なくとも、津波は来ない」
ハ「当たり前やがな」
み「これで雪が降らなきゃ……。
住んでみたいんだけど」
ん?
あれ、何だろ?
ピラミッドみたいなのが見えるけど」
ハ「どこや?」
み「ほら、あそこ」
ハ「ほー。
なるほど。
で、調べるんやな?」
み「森田検索、出動じゃ」
ハ「いらんこと言わいでええわ。
えーっとな。
あの方向やと……。
どうやら、鶴ヶ城体育館らしいな」
み「なんだ。
宗教施設かと思った」
み「お、飯盛山だ」
み「どれが飯盛山?」
ハ「真正面やな」
ハ「ほれ、ポールが建っとるやろ。
その向こうのこんもりした山が……。
飯盛山や」
み「あのポールって……。
そういう意味で建てられてるの?」
ハ「ちゃうんやないか。
えーっとな。
ふむふむ。
どうやら、NHK福島放送局の……。
会津若松ラジオ中継放送所らしいな」
み「じゃ、偶然……。
一直線上にあったってことか」
実は、飯盛山から鶴ヶ城を見たときも……。
確かにこのポールが、お城の真ん前に建ってたんです。
↓ま、気づかなくて当然ですが。
み「しかし、ほんとにいい季節だよね。
1年中、5月だといいのに」
ハ「5月バカになるで」
み「それは、4月バカでしょ!」
み「そこそこ都会だし……。
こんくらいの町が、一番暮らしやすいんじゃないの。
雪が降らなければだけど」
ハ「よっぽど、雪が憎いようやな」
み「昔の家はさ……。
先祖から子孫に、綿々とつながれて来たわけじゃない。
だから、家には必ず若手がいたんだよ。
なので、雪下ろしも出来た。
ところが、今はどうよ?
若手はみんな、家を離れて行って……。
残されたのは老人ばかり。
雪下ろしなんて、出来なくなって当然よ。
これからの雪国では……。
どんどん、廃村が増えるんじゃないかな。
でも、それでいいんだと思う。
どんどん人口が減ってるんだから……。
雪の降らないところに、みんな集まって暮らせばいいのよ」
ハ「ま、行政サービスの効率やら考えれば……。
その方がええんやろうけどな。
難しい思うで」
ここからまた城内の写真に変わります。
撮影が出来るところで撮ったはずですが……。
今となっては、記憶が皆無です。
自分を信じて、そのまま載せることにします。
み「これは、『八重の桜』の衣装だな。
この服装って、季節に関係なしなのかな?
あの八重の格好じゃ、冬は耐えられないと思うよ」
ハ「冬は、綿入れくらい羽織ったんちゃうか。
会津戦争は、夏やったからな」
み「この『飲食禁止』の貼り紙に……。
『注意』は必要かね?
むしろ、赤字で大きく『飲食禁止!』だけの方が良くない?」
ハ「そないなとこまで、世話焼かいでええがな」
み「新撰組の旗って、赤なの?
浅葱色じゃなかった?」
ハ「今、調べたるわ」
み「“気が利いてよな”。
今の、わかる?」
ハ「何がや?」
み「ペヤングソース焼きそばの昔のCM」
ハ「知らんがな。
いらんこと言わいでええわ。
えーっとな。
赤で正解やな。
“赤心(せきしん)”ちゅう言葉があってな。
“まごころ”“まこと”の意味や。
“誠”の文字には、赤が相応しいっちゅうこっちゃ」
み「ふーん。
でも、この赤い旗に浅葱色の隊服。
格好良かったろうね。
特に、土方歳三」
ハ「かなりの洒落もんやったらしいで」
み「あの隊服の袖のギザギザ模様って……。
土方の考案らしいよ。
確か、歌舞伎の衣装のデザインから採ったんじゃなかったかな」
ハ「ほー、どれどれ。
なるほど。
『仮名手本忠臣蔵』の衣装やな。
歌舞伎は黒やったが……。
それを浅黄色にしたわけや」
み「爽やかな色だよね。
センスいいわ」
ハ「爽やかやから選んだわけやないみたいやで」
み「どういうこと?」
ハ「武士が切腹するときに……。
浅葱色の裃を着けたんや。
忠臣蔵の四十七士も……。
それを着けて切腹した。
つまり、常に死ぬ覚悟を持ってるちゅう意味の……。
浅葱色や」
み「あー、やだやだ。
幕末に生まれなくて、ほんとに良かったよ」
み「鉄砲伝来は、以後四散(いごしさ)するだから……。
1543年でしょ。
江戸時代前にあったわけだ。
でも、どうして江戸時代の武士は……。
鉄砲じゃなくて、剣術の稽古ばっかりしてたのかね?」
ハ「調べればわかるんやろうけどな。
いちいち、こないに時間食ってて大丈夫なんか?」
み「そうだった!
番組を進めねば」
み「弓か。
弓道部、格好よかったよね。
それに、相手のいない武術だから……。
怖い思いをしなくて済むし」
ハ「入れば良かったやないか?」
み「弓って、組み立て式じゃないんでしょ?
あの弓を持って、満員電車に乗れって言うわけ?」
ハ「弓は、部の備え付けやないんか?」
み「そうなの?
マイ弓じゃないんだ。
そんなら、運ばなくていいよね。
でも、弓道部は無理でした」
ハ「何でや?」
み「うちの高校に、弓道部がなかったから」
ハ「なんやそれ!」
み「これは、槍か?」
ハ「なかったんか、槍部?」
み「あるかい、そんな部!」
み「これは、一番いい役なんじゃない?
危険も少ないし。
当たれば面白いし。
ぜったい、この係に立候補したい」
ハ「立候補制のわけあるかい」
み「あの梁!
ははは。
階段の上のところが黒ずんでる!」
ハ「そうとうな人数、頭ぶつけとるな」
み「『頭上注意』の貼り紙見て……。
頭上げたときぶつけるんじゃない」
ハ「罠やがな」
み「やっぱ……。
人間、肉食べないとダメだよ。
しかし、千利休って、180㎝だったんでしょ。
今の時代だったら、194㎝くらいに相当するんじゃない?
侘び寂びとはほど遠い体型。
たぶん、自分の巨躯にコンプレックスがあったはず。
だから、茶室の躙り口なんて考案したんだよ。
しゃがんだまま入って、ずーっと座ってれば……。
立たなくていいから」
ハ「座っとっても……。
デカいんは隠せへんと思うがな」
み「ひょっとしたら、異常に脚が長かったのかも。
座高なら、ほかの人と変わらなかったんじゃない?」
ハ「そないな長い脚、畳んだら……。
キャタピラーやがな」
み「これは、石を落とす係だな」
ハ「また立候補かいな」
み「まあな。
でも、条件がある」
ハ「なんや?」
み「石をここまで運びあげる係とバーターなら……。
断る」
ハ「つくずく、わがままなやっちゃ」
み「顔ハメがあった。
でも……。
すっごく安易な感じ」
ハ「やってみたらどうや。
記念やろ」
み「パカタレ。
誰がシャッター押すんだよ」
ハ「セルフタイマーにしたらええがな」
み「そこまでするほどのものか!」
み「こんなの被る人、いるの?
極めて不潔じゃん」
ハ「消毒液、置いたるがな」
み「被った後、頭にかける気か?」
ハ「そんでも、子供はやるやろな」
み「なんか、高校時代の体育の授業、思い出した。
女子はなかったから良かったけど……。
男子は、剣道があったんだよ。
教室で、防具の面がいかに臭いか嘆いてた。
その剣道の授業、チラ見したことがあったけど……。
情けなかったね」
ハ「なにがや?」
み「格好だよ。
面と胴、小手は着けてるんだけど……。
悲しいかな、袴は無し。
ジャージズボンのままなの。
思いっきり足軽ですよ」
ハ「わはは」
み「なんで上れないんだ?
しっかりしてそうな階段じゃないの」
ハ「確かにな。
そんでも、手すりがなかったら危ないがな」
み「手すりが必要な人が上るわけないじゃん」
ハ「わからんで。
観光で来とると、普段とテンションちゃうからな」
み「確かに、酔っ払ったジサマとか、上りそうだね」
ハ「上から転げたら、ただじゃ済まんて」
み「まさしく、階段落ちだ」
み「でもさ、この立て札だけど……。
階段に、昇降の“昇る”なんて使う?
エレベーターじゃないんだから。
普通、上下(うえした)の“上る”でしょ」
ハ「ほんま、イチャモンの多い客やで」
み「ご指摘と言いなさい」
み「これは、持ってみるかな。
兜よりは、バッチくないだろ。
アルコール消毒もできるし」
ハ「どないや?」
み「長さは、同じくらいなんだね。
どーれ。
あ、どっちも重いわ。
でも、なんで重さが書いてないわけ。
わたしだったら、脇に計りを置いとくけど」
ハ「子供がいたずらして壊すで」
み「あ、そうか。
自分が乗ったりしてね。
但し書きを付けておけばいいじゃん。
『計りを壊した者は、打首にして天守から吊るします』とか」
ハ「炎上やがな」
み「城だけに」
ハ「落としよったな」
み「さーて。
さっきの梁に戻った。
でも、下りるときはぶつけないね。
ずっと、梁が見えてるから」
ハ「ウケ狙いでやるやつがおるかも知れんで」
み「釘、打っておけば」
ハ「なんの施設やねん」
み「ちょっと待って。
この階段って、非常口なんじゃないの?
塞いでていいのか」
ハ「非常口やったら、下に向かうやろ」
み「これも罠の一環か」
ハ「どういう施設や」
み「いずれにしろ、手作業だから大変だよな。
石を加工してるとこ想像したら……。
佐渡金山の人形を思い出した。
“早く外に出て酒を飲みてぇ。馴染みの女にも会いてぇなぁ。”って言ってるんだよ」
↑1:50くらいからセリフがあります。
ハ「連想が不謹慎すぎやわ」
み「しかし、あの人形……。
世界遺産になっても、置いとくつもりかね」
ハ「知らんがな」
み「また、顔ハメじゃ。
右の顔、小さすぎるんじゃないの?」
ハ「子供用やろ。
こっちでやってみたらどうや。
顔の下半分入れたら、目ぇが隠せるやろ。
人相わからへんから、ブログに載せられるで」
み「そんな写真を、誰かに撮ってもらえと?」
ハ「引かれるやろな」
み「ドン引きだわ」
ここから、いきなり外の風景に移ります。
おそらく、顔ハメから下の階が……。
撮影禁止だったんじゃないでしょうか。
行ってから掲載まで、これだけ間が空いては……。
まったく記憶が残ってないんです。
今度から、ボイスレコーダーでメモしておくかな?
今調べたら、スマホでアプリがあるようです。
↓「Google Keep」がいいみたいです。
なんと、音声をテキストにして保存してくれるのだとか。
これを使えば、口述筆記も出来ますよね。
試してみようかな。
ハ「次はここやな」
み「看板、見ただけ」
ハ「なんでやねん」
なぜ、ここを見なかったのか不明です。
写真も記憶もありません。
入ってないと思います。
み「この枠って、御影石かな?」
ハ「そっちかいな」
み「これだけデカいと……。
お値段もそうとうですよ」
み「うーん。
やっぱり、お城には青空が似合うよね」
ハ「コンクリートには見えんわな」
み「本丸か……。
芝刈りがタイヘンだ」
ハ「そっちかいな」
み「でも、障害物がないから……。
乗用の芝刈り機で刈ればあっという間かも」
み「お、これはタギョウショウ(多行松)だな」
ハ「なんやそれ?」
み「アカマツの園芸品種。
地際から幹が分岐して……。
樹幹が、傘を開いたみたいになるの」
ハ「樹齢を経たら……。
おとろしい形になりそうやな」
み「古木はないのよ。
短命で。
50年くらいかな」
ハ「そら短いな。
人生、50年か」
み「ここの松も、枯れが目立つね。
マツノザイセンチュウかな?」
ハ「助からんのかいな?」
み「こうなったら、もうどうしようもない。
ほかに広がらないように……。
早めに伐採した方がいいんだけどね」
み「コンクリートの天守が出来たのって、何年?」
ハ「えーっとな……。
1965(昭和40)年やて」
み「今年(2022年)で、57年か。
そのころに植えられたとしたら……。
このタギョウショウも、もう寿命だね。
枯れたら、どうするんだろ。
バックヤードで、次世代を育ててるとは……。
ちょっと思えないけど」
ハ「植木屋が育ててるかも知れんで。
植え替えを見こんで」
み「確かに、その植木屋にしかなければ……。
買うしかないけど。
でも、どうだろ。
植え替えの予算が付くのかな?
寄付なら受けるかも知れないけど……。
購入はないんじゃないの」
ハ「植木屋はん、見こみ違いやな」
み「戊辰戦争後の天守だね」
ハ「穴ぼこだらけや」
み「でもさ、大砲の弾って……。
穴、空けるだけ?
爆発しないの?」
ハ「昔のはそうやったんやないんか?
ヘタなの作ったら……。
発射のとき爆発するがな」
み「まぁ、城に穴を空けるだけでも……。
心理的な効果はあるんだろうけど」
み「お、さっきの看板の麟閣だな」
ハ「寄らん言うとったやつやろ」
み「やっぱり気が変わった」
ハ「なんやねん」
ほんとに、「なんやねん」です。
寄ってないと思ってましたが……。
寄ってたみたいです。
でも、まったく記憶がないんですよね。
恐ろしいことです。
み「なんと。
千家が続いたのは……。
会津藩主、蒲生氏郷のおかげではないか。
でも、死を命じられるほどの怒りを買ったって……。
利休はいったい、何をやらかしたのかね?」
ハ「諸説あって、実際のところはわからんようやな」
み「やっぱさ。
根源にあったのは、体格的な劣等感だったと思うのよ。
利休は、180㎝の偉丈夫でしょ。
秀吉はどのくらい?」
ハ「えーっとな。
秀吉の鎧が、仙台市博物館にあるみたいやな。
これから推定される身長は……。
150㎝ないそうやで」
み「でしょう。
利休とは、30㎝以上も違うわけよ。
そばにいるだけで不愉快だったはず。
それが積もり積もっていって……。
何かのきっかけでキレたんじゃない」
ハ「利休の死んだ翌年……。
秀吉は、朝鮮出兵しとるな。
すでに、頭の具合がおかしなっとったんとちゃうんか」
み「なるほど。
ひょっとしたら、利休に朝鮮出兵をたしなめられたからかも」
み「茶室だな。
でも、どう見ても……。
江戸の長屋の共同便所に見える」
ハ「失敬なやっちゃ」
み「あ、茶室じゃなかった」
ハ「先にこれを見んかいな」
み「この方向から見ると……。
やっぱ、便所だわ」
ハ「やめんかい」
み「よし、今度は立て札を先に見るぞ。
ふむふむ」
み「これか。
ひょっとしたら秀吉は……。
こういう門を、屈まずに通れてしまったんじゃないの。
利休が、身を半分に折って通るのを見たら……。
腹立つと思うよ」
み「また待たせるんかい!
なんか、いちいち腹の立つ造りだな」
ハ「平常心を保つのも……。
茶の湯のたしなみやろ」
み「わたしには出来ん」
ハ「あんた、性格が秀吉やがな」
み「そうか。
それで、茶室に腹が立つのか。
利休を切腹させた秀吉の気持ち……。
よくわかるわ」
み「これが腰掛待合か。
あ、ミスト出してる」
ハ「ミスドなんか出店しとんのかい?」
み「ドーナツ屋が出てるんじゃないわい。
ミスト!
霧ですよ」
み「ほら、こっちから見るとよくわかる。
たぶん、時間で区切って、噴く場所、移してるんだよ。
苔の管理は大変だわ」
み「“つくばい”って、こんな字、書くんだ。
日本で、これ書ける人、何人いるのかね?」
ハ「漢検一級の人なら書けるやろ」
み「しかし、よくまぁ、そういう検定を取る気になるよね。
小学生のときの漢字の書き取り……。
嫌いじゃなかった人がいたのかね」
ハ「ペン字とか習うて、字が上手うなったら……。
字を書くのが楽しくなるみたいやで。
やってみたらどないや」
み「なるほど。
リタイヤしたら、考えて見るかな。
時間がありすぎると、ぜったい酒飲んじゃうからね。
なんか習い事した方がいいかも」
み「いかにもな和庭だな。
剪定に草取り。
金がかかってしょうがないわ」
ハ「風情のためや。
いたしかたないやろ」
み「そう考える人は……。
今は、めっきり少なくなってるんだろうね。
最近の建売住宅なんて……。
土の部分は、みんな覆っちゃってるから。
コンクリートで。
ガーデニングがやりたければ……。
プランターを並べればいいってことなんだろうね」
み「あれが、蹲踞(つくばい)か。
カポーンって鳴らす鹿威しはないんだな」
ハ「庭に鹿が出るっちゅうたら、えらい山の中やで」
み「奈良なら出るんじゃないの?」
ハ「そういやあの鹿、民家を荒らしたりせえへんのやろか」
み「黙って座ってれば、鹿せんべいもらえるんだから……。
わざわざ遠征する必要ないでしょ」
み「3つの千家に分かれたわけ……」
ハ「また調べんのかいな」
み「やっぱりいい」
ハ「なんやねん」
み「そこまで興味、わかないわ。
どうやら、茶道とは縁がないみたいだね」
ハ「賢明な判断やな。
茶道にとっても」
み「なんじゃそれ」
み「うひゃー。
跡目争い、大変なんだろうな。
2時間ドラマでよくやってる。
野点の席で、家元が血を吐いて死ぬんだよ」
ハ「読まんのやったら、早よ行ぬで」
み「トイレがない」
ハ「茶室にトイレは付けんやろ。
昔は水洗やないんやから……。
臭うで」
み「トイレが近くなった年寄りは辛かっただろうね。
お茶飲まなきゃなんないわけだし。
やっぱ、さっきの『寄付(よりつき)』って……。
ほんとはトイレだったんじゃないの?」
ハ「なわけあるかい」
み「ま、いざとなったら……。
この水屋ですればいいわけだ」
ハ「やめんかい」
み「これが利休考案の『躙口』だな。
これ絶対……。
自分が立たなくていいようにするための仕掛けだよ。
屈んで入って、正座のまま躙っていくわけだ。
そうすれば、大男が目立たなくて済む」
ハ「考えすぎやて」
み「これは何だろ。
いい下草だな。
一見、自然風に見えるけど……。
実際には、自然界にこんな風景はないんだよね」
ハ「なんでや?」
み「ほかの草が1本も生えてないなんてこと……。
あるわけないでしょ。
こういう状態を維持するには……。
人の手が入らなきゃ無理ってこと」
み「なんだこれ?
ニンジンみたいな葉っぱだ」
ハ「雑草の取り忘れやろ」
み「しかし、周りに1本も草がないのに……。
これだけ取り忘れるかね?」
ハ「知らんがな」
み「シャガか。
これは知ってる。
もう少しすると、儚げな藤色の花が咲くよ。
板塀に似合って、風情あると思う」
み「これは、夏は気持ちよさそうだね。
開け放てば、野点の気分も味わえる」
ハ「習うてみたらどうや、お茶」
み「御免被る。
しーんとしてやるんでしょ。
緊張感に耐えられっこない。
なにかやってしまいそうだわ。
先生の頭に、茶碗被せるとか」
ハ「やめんかい」
み「おー、ここでもミスト出してる。
でも、こんなに大事に管理されて……。
幸せな庭だよ。
ここ専属の庭師になりたい。
月給30万でいい」
ハ「採用不可」
み「おー、野点の席じゃな。
しかし、あの傘は……。
ほとんど、日陰を作る役目してないじゃない。
2倍くらい大きくなきゃ無理だよ」
ハ「運べんがな」
み「秋田の『竿燈まつり』の人を雇うか。
やっぱり、日陰を作る機能ではテントの圧勝だね」
ハ「もともと、和傘に日傘の役割はなかったやろ」
み「ていうか、昔は……。
日を遮るために傘を差すってこと自体、なかったんじゃないの?」
ハ「かも知れんな」
み「外人観光客は、日本の日傘文化には驚くみたいだね。
カンカン照りの中、傘差して自転車乗ってるから。
最初は、頭のおかしい人かとギョッとなるみたい」
ハ「そもそも、片手運転がいかんがな。
釣りのとき、頭に被る笠があるやろ。
あれ着けて走ったらどうや」
み「よけいキ印に見えるわ」
み「なんだこれ。
葉っぱにV字が入ってる。
面白いな。
なんて草だろう。
ちょっと検索して。
Googleなら、画像で検索できるでしょ」
ハ「わしにそんな機能があるんかいな?
あ……。
でけたわ。
ミズヒキやて」
み「え?
ミズヒキって……。
祝儀袋の水引に似た、赤い穂の出る草だよね。
あれなら、うちのベランダで勝手に生えてるけど……。
こんな葉だったかな?
帰ったら確かめてみよう」
ミズヒキは多年草で、冬は地上部がありません。
これを書いてる4月上旬には、まだ芽が出てませんでした。
み「淡々と書いてあるけど……。
浪人して、どうやって食べてたんだろ?」
ハ「傘張りやないけ」
み「さっきの傘、森川家の子孫が作ってたりして」
み「またわからん草だ。
調べて」
ハ「今、立て札、読んだやないけ。
これが牡丹やがな」
み「これが?
花がないと、ぜんぜんわからんわ」
み「これは……。
寄せ植えなわけないよね。
花瓶に挿してあるんだな。
でもこの庭、ほんとに丁寧に管理されてるね。
苔に、ミスト撒いたり。
1日、こういう仕事してたら楽しいだろうな。
30万で雇ってくれないかな。
冬場は長期休暇ってことで」
ハ「誰が雇うかいな」
ハ「一席、どないや。
600円なら、高こないやないけ」
み「作法がわからんでしょ。
先生の頭に、茶碗被せてもいいの?」
み「さすがに、こういう建物の復元は……。
予算的に難しいんだろうね」
ハ「コンクリートで造るわけにはいかんわな」
み「ここでも松が枯れかけてる」
ハ「気の毒やな」
み「なんとかならないもんかね」
み「井戸だな。
しかしでっかいね。
お菊さんが、10人くらい出てきそうだ」
ハ「盆地やから、地下水は豊富なんやろな」
み「『荒城の月』か。
身に沁みる曲だよね」
ハ「殊勝やないけ」
↓聞きましょう。
↓歌碑です。