2016.4.5(火)
「お待たせしてしもて……」
道代は声を掛けながら、源蔵と志摩子の前に膝を進めた。二本の二合徳利を載せた盆を両手に捧げている。
「なんぼも待ってまへんよ」
志摩子の声音は柔らかかった。昼間、道代たち従業員を叱咤する、苛烈とも酷薄とも云える固さは微塵もない。この人には珍しいことだった。
盆を畳に置き、徳利を手にした道代は躊躇うことなく源蔵に向き直った。この場の主は志摩子ではなく源蔵である。そう決め込んだ様な道代の振る舞いだったが、源蔵も志摩子も異は唱えなかった。平然としていた。
源蔵は、手にした木桝をゆったりと胸前に掲げ、軽く道代に突き出す。桝は一合。中の酒は奇麗に飲み干されていた。
道代が傾けた二合徳利から、伏見の銘酒「筺姫」が注がれた。酒は軽い音を伴って源蔵の木桝を満たしてゆく。なみなみと注がれた酒は軽い芳香をたてた。燗付けされた筺姫の芳香は、源蔵の、道代の、そして志摩子の鼻孔を擽り、室内に満ちて行った。
道代が徳利を引いた。
源蔵は一呼吸置いた後、木桝をゆっくりと持ち上げた。室内の三人の視線はすべて木桝に注がれた。
スポットを浴び、場内のすべての観客の視線が注がれる中、舞台中央で見栄を切る歌舞伎役者のように、木桝はゆっくりと、悠然と中空を移動した。「これ、見よや」と言わんばかりの木桝は、源蔵の手ではなく、それ自身の力で中空を漂っているようにも見えた。
しかし、やはり木桝は源蔵の手の中に在った。桝の縁近くまで、なみなみと注がれた酒を小動(こゆるぎ)もさせず、源蔵は口元まで桝を持ち上げた。おもむろに口を付ける。傾ける。源蔵は桝を傾ける。桝の酒は源蔵の口に吸い込まれてゆく。源蔵の手と口と、顔と腕との動きは滞ることが無かった。源蔵は、伏見の銘酒「筺姫」の一合を一気に飲み干した。
桝を下ろした源蔵の口元から、酒薫混じりの吐息が漏れた。満足げな吐息であった。やりたいことはすべてやりつくした。そのようにも思える源蔵の吐息であった。
「おいしそやねえ、源ちゃん」
源蔵の飲みっぷりに対し、すかさず志摩子が声を掛けた。
見栄を切る役者に「やんや」の喝采を送る満席の観客。その称賛の掛け声にも似た志摩子の声であった。
源蔵は、ちら、とも志摩子を見やらなかった。その視線の先は空にした桝の中に在ったが、その瞳には何も映っていないようにも見えた。桝を透かして虚空を睨んでいる源蔵であった。
源蔵は一言も返さなかったが、志摩子は言葉を継いだ。
「うちにも飲ましてえな、源ちゃん」
志摩子は源蔵の手の木桝に手を伸ばした。
二人の指先が瞬時絡み合い、木桝はあっけなく志摩子の手に移った。
空になった源蔵の手指は、そのまま形を変えず桝を支えていた。大事な玩具を奪われた、その子供の手のように見えた。源蔵の手は、虚空を掴もうとしているようにも見えた。
徳利を捧げたままの道代は、志摩子に向き直った。
木桝を軽く突き出す志摩子。徳利を傾ける道代。幾度も繰り返されてきた二人の仕草であった。さりげない仕草が、これまで二人が重ねてきた長い年月を物語っていた。志摩子、道代主従の来し方が、その仕草に凝縮されているようであった。
木桝が、再び伏見の銘酒「筺姫」で満たされた。
先ほどの源蔵の手に代わり、志摩子の手が桝を持ち上げる。源蔵と同様、志摩子は銘酒「筺姫(はこひめ)」を一気に飲み干した。桝の酒は、今度は志摩子の体内に注ぎ込まれた。筺姫は「きょうき」とも読める。志摩子は、源蔵と同様「狂気(きょうき)」を飲み干した。
志摩子と源蔵は「凶器(きょうき)」を飲み干した。それは、阿吽の呼吸でもあった。
寺院山門を守護する一対の仁王像。金剛力士像とも称される像の一方は口を開いた阿形(あぎょう)、もう一方は口をを引き結んだ吽形(うんぎょう)。ともに憤怒の表情の仁王像は半裸に甲冑を身に纏い、金剛杵(しょ)を手に邪鬼を踏み殺す仏法守護神とされるが、常に呼吸を合わせて事に当たるという。これを称して阿吽の呼吸……。
志摩子の口元から、先ほど源蔵の漏らしたものと同様の、酒薫交じりの吐息が漏れた。その吐息は、まだ室内に漂っている源蔵のそれと絡み合い溶け合った。呼吸が合う、を顕現するように、志摩子と源蔵の吐息は媾合した。まるで密談を行っているようであった。
志摩子が道代に木桝を突き出した。
「道。あんたも飲みよし(飲みなさい)」
「へ。え、いや。そんな……」
「たまにはええやろ。あんたとうちの仲や。遠慮することないがな」
志摩子の言葉とは裏腹に、道代が志摩子と酌み交わしたことなど一度も無かった。長い付き合いの二人ではあったが、常に志摩子が主、道代が従であった。志摩子は光の中、道代は常に陰にあった。志摩子が表、道代が裏で支える立場であった。が、まさに表裏一体。どちらが欠けても成り立たない二人であった。
だが、志摩子と道代が親しく酒を酌み交わしたことは一度たりともなかった。それをなぜ今……。
道代は、志摩子の人となりをよく知っていた。長い付き合いである。志摩子の裏の裏まで知っている道代であった。
だが……。
常に何かを隠し持っている志摩子でもあった。道代以上に志摩子を知る者はいないであろう。その道代にすら見せていないものを未だに持っているであろう志摩子であった。道代には、そのことがよくわかっていた。もし、その隠し持っているものを知る者があるとすれば、それは源蔵しかいない。そのことも道代は承知していた。
その源蔵も交えたこの場で、志摩子は道代と酌み交わそうというのだ。道代は、なにやら得体の知れないものを見せられるような、底の知れない世界に引きずり込まれるような、そんな気がした。それを見てしまえば、もう後戻りはできない。元の安穏な生活には二度と戻れない。そのように道代には思えた。
恐かった。気味が悪かった。逃げたかった。何もかも捨てて逃げ出したかった。だが、道代にはできなかった。道代は木桝を受け取った。志摩子の注ぐ酒を受けた。手が震えるかと思ったが、道代はしっかりと銘酒「筺姫」を受けた。道代は「きょうき」を受け取った。目を閉じ、一気に飲み干す。悪魔との契約を交わしたような、魂を売り渡したような。そんな気分の道代であった。
道代は軽く息を吐き、桝を志摩子に返そうとした。そも道代を、志摩子の声が押し留めた。
「うちやない、源ちゃんや」
「へ」
「源蔵はんに酌、しんかいな(しなさい)」
否や、を言えるはずも無かった。
道代は源蔵に向き直った。両手で捧げ持つように木桝を掲げる。
源蔵は、桝を鷲掴みに受け取った。無造作に受け取った。臣下の捧げ物を受け取る王の仕草であった。
道代は、再び源蔵の手の木桝を酒で満たした。
源蔵は、再び一気に飲み干した。
源蔵、志摩子、道代。三人の漏らす吐息は、酒の香りをたっぷりと載せ、室内の中空で三つ巴に絡み合った。余人には聞かせられない密談を交わしているようであった。
「なあ、道」
「へえ」
志摩子が声を掛け、道代が小さく応じた。
「あんたとの付き合いも長(なご)なったなあ」
「へえ」
「うちらが初めておうたん(会ったのは)、いつ頃やったかいねえ」
「そないですなあ。女将はんがまだ……舞妓はんの頃どしたか……」
いったい何の話が始まるのだろう。
ただの思い出話でもあるまいが、と訝しみながら、志摩子の話に調子を合わせる道代であった。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2016/04/05 19:42
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桝酒
こうやって読むと、美味しそうですね。
桝は本来、計量カップとして使われたもの。
わざわざ別の器を使わず、計量カップのまま飲むというのが、粋に思われたんでしょうかね。
木の香りが移って、味も一割増しなんじゃないですか。
元来は杉だったようですが、現在では色と香りのいい檜が使われてるみたいです。
桝の角から飲みたくなりますが、平坦な部分から飲むのが正解だとか。
飲み屋では、桝の中にガラスコップを入れられて出される場合があります。
ガラスコップから、桝の中にお酒が溢れた状態で供されます。
おまけ、という意味合いでしょうか。
「もっきり酒」と呼ばれるそうです。
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2. ♪一の谷の戦破れHQ- 2016/04/06 15:12
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「やりたいことはすべてやりつくした」
↑今回の源蔵の振る舞いについての表現です。
「見るべき程の事をば見つ」
清盛の息子、平知盛の辞世といいますか、壇ノ浦に入水する直前に言い残した言葉とされています。「今はただ自害せん」と結んで、錘代わりの鎧二領を着し、海底深く沈んでいきました。
♪討たれし平家の公達哀れ~
しかし狂犬源蔵のこと、そこまで肚が座っているわけでもないでしょう。まだまだやりたいことあるんじゃ、と足搔きそうですが、これは当人でなければわかりません、お題はあくまで、作者の推測です。
今回の末尾を読みますと、どうも志摩子女将の思い出話、志摩子一代記が始まりそうです。が、作者としては躊躇っております。ようやくラストが見えてきました『アイリス』。ここでそんなことをやっていたのでは、ホントに今年中に終わらなくなる恐れも……。
しかし、作者の言うことを聞かぬ登場人物たち。少し様子を見るしかないでしょうか。
で、桝酒の飲み方について。
管理人さんは「平坦な部分から飲むのが正解」と仰せです。
ご存じ熱血野球漫画『巨人の星』。
これに、飛雄馬の親爺一徹が、祝いの桝酒を飲むシーンがあります。この時一徹は、平らな部分に塩を盛り、飲もうとします。つまり角ではなく平らな部分から飲む、というのは確かに正解のようですね。
「もっきり酒」
という呼称は知りませんでしたが、わたしの父親が近所の酒屋のカウンターでこれをやっていたのを覚えています。
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3. Mikiko- 2016/04/06 19:49
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見るべき程の事
自分を納得させるための言葉だったんでしょうね。
鎧を着ての入水は、相当に苦しかったと思います。
討ち死の方が、なんぼかマシですよ。
つげ義春に、『もっきり屋の少女』という佳編があります。
居酒屋で働くチヨジという少女が印象的です。
“もっきり酒”。
いじましーという感想しか持てません。
はっきり言って、男らしい飲み方ではありませんね。
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4. もっきり屋のHQ- 2016/04/07 01:40
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公達知盛
武人じゃなかったんでしょうね。
王侯貴族ですから、討ち死にという発想はない。
知盛の母、二位の尼を持ち出すまでも無く、ほとんどの平氏の人は、壇ノ浦の藻屑と消えました。
「浪の下にも都の候ぞ」
男らしくないもっきり酒。
そうかなあ、立派な文化だと思いますが。
まあ、酒飲みがいじましいのは否定しません。
それにつけても思いますのは「源蔵の野郎、ほんとに美味そうに飲んでやがるなあ」です。元酒飲みで、且つ作者自身であるわたしが言うのですから間違いありません。
やはり、酒というのは、煙草と並んで一つの文化。煙草文化が滅び去ろうとしている今、酒文化の未来も暗いのかもしれません。これも、酒を極めた(ウソこけ)わたしの言うことですから、信憑感はあります。
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5. Mikiko- 2016/04/07 07:22
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もっこり酒
ぜったい、グラスの尻まで舐めるオヤジがいると思います。
死すべし!
最近の若者は、お酒を飲まないそうです。
きのうのニュースでやってましたが……。
大学生の仕送り額が、バブル期に比べたら激減してるんだそうです。
コンパなんか、とうていやってられないのでしょう。
こういうのが会社に入ってくるんですから……。
ジェネレーションギャップは起きますわな。
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6. ♪酒は涙か溜息かHQ- 2016/04/07 11:06
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酒文化
事の是非はともかく、現実の社会は酒社会。酒でコミュニケーションを図るという風潮は相変わらずでしょう。
だから、学生時代に酒を覚えておくというのは「授業の一環」みたいなものです。わたしらも仕送りが少ない(院の時は切られました)ビンボ学生でしたが、酒は飲みました。もちろん外でなんて、安酒場ですらめったに行けません。学内の研究室などでコンパをやったわけです。
でも、今は学生の飲酒は白い目で見られますからねえ、「学内飲酒は禁止」なんて大学もあるんじゃないかなあ。
時代だなあ。
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7. Mikiko- 2016/04/07 19:47
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大学は……
未成年者がいますからね。
未成年者が、学内で急性アルコール中毒なんかになったら、大学にとっては一大事です。
成年と未成年者を外見から見分けることが出来ない以上、一律に禁止するしかないんじゃないですか。
選挙権だけ18歳にしないで、“成年”の定義自体を18歳にすればいいのにね。
大学に未成年者がいなくなれば、規制も緩やかに出来ると思います。
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8. 時代屋のHQ- 2016/04/07 23:08
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未成年
まあ、言われてみればその通りですが、未成年者がいるからコンパは無し、なんて風潮はかけらも無かったですね。飲酒は大学への通過儀礼のようなもの、教授連中から率先して新入生に飲ませる、そんな時代でした。
全然関係ないですが、吉永小百合姐さんの出世作はご存じ(ないかな?)『キューポラのある街』(1962年日活)ですが、その続編が『未成年』(1965年日活)ですね。どちらも、今では考えられないくらいの暗ーい映像です、内容も、画面自体も。
時代をそのまま切り取ったような映画です。
↑ハンドル、元ネタは1983年の松竹映画『時代屋の女房』です。ヒロインは、あの夏目雅子が演じました。