2024.2.13(火)

み「おー、歴代城主の家紋か。
蒲生氏が、3と5になってるのは……。
4の上杉氏が、関ヶ原で転封になったからだね。
蒲生氏が、もう一度、5番目で入ったんだ。
ん?
最後の、7と8だけど……。
なんで、保科氏と松平氏が一緒になってるわけ?」
ハ「調べるんやな?」
み「察しがいいではないか」
ハ「えーっとな。
改姓したんやて。
保科から松平に
3代目の正容(まさかた)の代のときらしいな」
み「改姓って……。
松平なんて、勝手に名乗れないでしょう」
ハ「当たり前やがな。
↓Wikiには、こう書いたる(出典)。
+++
元禄9年(1696年)、松平姓と三つ葉葵の紋の永代使用を許され、名実ともに徳川一門(御家門)として遇されることになる。
+++
で、聞くわけやろ?
何でそんな厚遇を受けたか」
み「気が利いてるではないか」
ハ「もう慣れたわ。
ふむふむ。
最初に会津に入った保科正之が……。
そもそも、そういう血筋やったちゅうことや。
2代将軍、徳川秀忠の四男やて。
側室の子やけどな。
で、保科家に養子に出されたわけや。
会津に入った後、幕府は……。
正之に、松平姓を名乗るよう勧めたみたいやな。
ところが正之は……。
養育してくれた保科家への恩義から、これを固辞し、生涯保科姓を通したそうや」
み「なるほど。
けっこう気骨のある人だったんだね。
でも、2代目のときは、幕府は松平姓を勧めなかったってこと?」
ハ「2代目の正経(まさつね)は……。
正之の四男やな。
上の3人の兄が、みんな早死にして嫡男になっとる。
正之から家督を継いだときは……。
正之がまだ生きとった。
隠居やな」
み「なるほど。
固辞してた父親がまだ生きてるんじゃね」
ハ「ほー。
御薬園を作ったのが、この正経らしいで」
み「立派な人じゃん。
正経の在位中、父の正之は、ずーっと生きてたの?」
ハ「1673年に亡くなっとるな」
み「正経の在位中でしょ?」
ハ「せやな。
しかし、1673年は、まだ正経は26歳や」
み「松平を名乗らせるには、ちょっと若いか」
ハ「そやろな。
でも、残念ながら正経は、満34歳で亡くなっとる。
元々、病弱やったらしい」
み「それで、御薬園を作ったのか」
ハ「そやろな。
正経の子は、女児が1人だけやった。
で、末弟の正容を養嗣子として、後を継がせたそうや」
み「正容が後を継いだのは、正経が亡くなる何年前?」
ハ「亡くなる年やな」
み「それって、ちょっと怪しくない?
ほんとは、正経はもう死にかけてて……。
正容を、慌てて養子にしたんじゃないの?」
ハ「跡継ぎがおらんかったら……。
取り潰しやからな」
み「それそれ」
ハ「せやけど、死に際の養子縁組みは……。
末期養子ちゅうて、幕府に禁止されとったで」
み「てことは……。
後を継ぐ前に、正式に養子になってたってこと?」
ハ「正経の亡くなる前年やな」
み「ぎりぎりセーフってことか」
ハ「しかし、いいんか?
入り口前でこないに時間食うて」
み「あ、そうだった。
いざ、しゅつげーき」

み「おー。
立派立派。
ぜんぜんコンクリートだなんてわかんないよ」
ハ「遠目にはな」
み「わたしはね、今、お城を再建するんなら……。
コンクリートでいいと思うのよ」
ハ「何でや?」
み「当時の城主は、お城を頑丈に作りたかったわけでしょ」
ハ「当たり前やがな」
み「そのころ、もしコンクリート工法が存在したら……。
ぜったい、それを使うでしょ。
頑丈だし、燃えないし」
ハ「ま、そうやな」
み「つまり、その時代の最強の工法で作ればいいわけよ。
もちろん、コスパは考えなきゃならないけど。
それを、建てられたときのままの木造で作ろうとするから……。
ハードルが高くなりすぎるんじゃない。
天守の復元なんて、ぜったいに無理だよ」
ハ「木造やと、環境問題もあるしな」
み「でしょ。
でも、見てみたいよね。
江戸城。
皇居には、天守台が残ってるわけでしょ。
天守は、どのくらいの高さだったの?」
ハ「45メートルあったらしいな。
天守台を含めると、58メートルや。
もちろん、日本一やな」
み「うーん。
見てみたい!」
ハ「コンクリートでもか?」
み「もちろん」
ハ「また、無駄話や。
ぜんぶ見れへんなるで」
み「どこが無駄話だ!」
コメント一覧
-
––––––
1. Mikiko- 2024/02/13 06:06
-
街路樹Ⅹ
開き直って続けます。
今回は、低木。
高木の株元に植えられてる樹木です。
高木は、基本的に落葉樹が選ばれます。
夏場は、日差しを遮り……。
冬場は、日差しを通すためです。
しかし、この株元に植えられる低木は……。
ほとんどが常緑樹です。
理由は簡単。
雑草対策です。
常に葉が地面を覆っているので、雑草が生えにくいからです。
ところが、落葉低木を植えて失敗した例が、新潟にあります。
ひとつは、矮性サルスベリ。
高木のサルスベリは、幹が立ちあがり……。
花はその上に咲きます。
幹がツルツルしてるので、「猿滑り」です。
矮性サルスベリは、その名の通り……。
大きくなりません。
新潟の『北越農事』さんという会社が開発した園芸品種。
↓同社の代表品種『サマー&サマー』のページ(https://www.hokuetsu-noji.jp/item/saru_01/)からの引用です。
+++
成木は樹高30~40cm程で、幹・枝とも横張りして地を這います。
開花期間は長く、7月から10月まで咲き続け、花の少ない夏を彩ります。
多花性で、ピンクの美しい花を次々とつけます。
秋の紅葉も美しく観賞できます。
+++
続きは次のコメントで。
-
––––––
2. Mikiko- 2024/02/13 06:06
-
街路樹Ⅹ(つづき)
わたしの印象では、地を這うというより……。
地際から枝が伸びて、ブッシュ状になる感じですね。
でも、花の大きさは、高木と変わりません。
それが低いところで咲くわけですから……。
満開のときは、それは見事なものです。
<a href="https://livedoor.blogimg.jp/mikikosroom2008/imgs/8/c/8cd8e0e8.jpg?v=20240212091003" target="_blank"><img src="https://livedoor.blogimg.jp/mikikosroom2008/imgs/8/c/8cd8e0e8.jpg?v=20240212091003" width="360" alt="サマー&サマー"></a>
↑サマー&サマー(新潟市中央区『鳥屋野潟公園線』:わたしが撮った写真です)。
では、この木が、なぜ街路樹としては失敗だったのでしょう。
それは春先に、ある問題が生じたからです。
サルスベリは、芽吹きが遅いんです。
新潟だと、ゴールデンウィーク前くらいになるんじゃないでしょうか。
落葉樹ですから、当然、それまでは葉っぱがありません。
なので春先は……。
株元に、サンサンと日の光が降り注ぎます。
雑草が、猛然と成長するわけです。
地際から枝が広がってますから……。
雑草を機械刈りするわけにはいきません。
全部、手取りですよ。
続きはさらに次のコメントで。
-
––––––
3. Mikiko- 2024/02/13 06:07
-
街路樹Ⅹ(つづきのつづき)
さらに悲惨だったのが、ハマナス。
なんであんなのを植えましたかね。
海岸近くの道路で見かけたので……。
やっぱり、イメージからなんでしょうね。
<a href="https://livedoor.blogimg.jp/mikikosroom2008/imgs/2/2/22638faa.jpg?v=20240212091004" target="_blank"><img src="https://livedoor.blogimg.jp/mikikosroom2008/imgs/2/2/22638faa.jpg?v=20240212091004" width="360" alt=""></a>
↑ハマナス(新潟県三島郡出雲崎町『良寛と夕日の丘公園』前の道路:わたしが撮った写真です)。
この木も落葉樹なので、春先の雑草問題は同じ。
でも、矮性サルスベリよりは芽吹きが早いので……。
まだ大惨事にはならないかも知れません。
でも、草取りは必要です。
これが、大変なんです。
ハマナスって、トゲだらけなんですよ。
軍手じゃ、防げないと思います。
厚い腕カバーと、皮手袋が必須です。
あと、夏場はコガネムシがたかります。
キラキラした紫色のコガネムシが……。
鈴なりになってるのを見たことがあります。
薬剤散布が必須になりますね。