2024.1.1(月)
『Mikiko's Room』管理人、Mikikoでございます。
旧年中は、大変お世話になりました。m(_ _)m
この冬は、暖冬という予報でした。
実際、12月の前半まではウソのように暖かく……。
15度を超える日もありました。
ところが、12月後半になると急に寒くなりました。
そしてついに、大雪が降りました。
22日(金曜日)の朝には、20センチくらい積もってました。
この日は、歯医者の予約をしてました。
1ヶ月毎の、定期検診を兼ねたクリーニングの日です。
1回飛ばしてもいいんですが……。
お正月前なので、綺麗にしておきたかったです。
わたしは、マイカー通勤です。
出勤するのは、週に2,3回。
出勤しない日は、テレワークです。
歯医者さんは、出社したときに停める駐車場のすぐ脇にあります。
定期検診の日は、歯医者さんに寄ってから会社に行ってます。
勤務時間中ですが、もちろん黙ってます。
でも、この雪では、到着時間が読めません。
「どこトレ」を見ると、JRも遅れや運休が発生してるようでした。
かといって、早めに出る気にはなれません。
時間の無駄です。
こういうときのためのテレワークじゃないですか。
ということで、歯医者さんの予約はキャンセルしました。
1回飛ばすしかないと思ってたんですが……。
運良く、12月最終週の予約が取れました。
で、その日はぬくぬくとテレワークしてたんですが……。
その夜、さらに積もりました。
玄関前、前日の20センチの積雪は除雪済みでした。
積もったらすぐに除雪しないと、重くなって大変なんです。
なので、玄関前は雪がない状態にしてたのに……。
土曜日の朝には、新たに40センチくらい積もってました。
家の前の道路は除雪されてましたが……。
中央部の1車線だけです。
車がすれ違うときは、片方の車が……。
小路の入り口などで脇に寄せて停車し、対面する車を通さなければなりません。
小路の入り口以外の道路脇は……。
ホイールローダーが排除した雪が積み上がっていて、車を脇に寄せられないんです。
で、各家の除雪作業で大変なのは、この排除された雪なんです。
玄関前に積み上がってます。
しかも、圧雪です。
12月に入ってから……。
テニスもしないのに、右肘がテニス肘(たぶん)になって、サポーターを巻いてる状態。
この腕での除雪作業は、ほんとに辛いです。
圧雪は、玄関前だけでなく、カーポートの前にも積み上がってます。
玄関前はなんとか除雪しましたが……。
連続してカーポート前をやる気力は残ってませんでした。
ということで、車を出せません。
土曜日はいつも、スーパーに買い出しに行ってます。
普段は、車で10分くらいのところにある大型スーパーに行ってます。
でも、この日は歩きなので、そこには行けません。
徒歩20分くらいのところにあるスーパーに、リュックを背負って歩いて行きました。
道中、一面真っ白でした。
いよいよ冬だと実感しました。
でも、その後は寒さが緩み、雨になりました。
12月最終週に予約した歯医者さんにも、無事、通えました。
さて。
2023年を振り返ってみます。
10月に、大きな出来事がありました。
母が亡くなったんです。
入院はしてたんですが……。
余命宣告をされるような病状ではありませんでした。
状態も比較的安定しており……。
年を越せないなんてことは、まったく考えてませんでした。
先生からの説明もそうでしたし。
ところが、突然の急変です。
明け方近く、病院からの電話でかけつけたときは……。
すでに亡くなってました。
病院からは、すぐに葬儀屋さんを呼んで遺体を引き取ってくれと言われました。
葬儀屋さんは、母が会員になってるところがあったので、迷うことはありませんでした。
電話して30分くらいで来てくれました。
で、家に連れて帰り、仏間に寝かせました。
葬儀屋さんから、枕経を読んでもらわなければならないので……。
檀那寺さんを呼んでくださいと言われました。
朝の5時ころでしたが……。
お寺さんは朝が早いので、この時間に電話しても大丈夫だと言われました。
お寺は広いので、電話に出るまで時間がかかるから……。
出なくてもすぐに切らないでくださいというアドバイスまでもらいました。
そんなに待たずに電話が繋がり、すぐにご住職が来てくださいました。
で、枕経を読んでもらった後……。
葬儀屋さんと三者面談で、通夜と葬儀の日程調整です。
ここで、わたしの方に、大きな問題が存在してました。
妹です。
母の身内は、わたしと妹だけ。
妹は県内に嫁に行って、家は出ていますが……。
もちろん絶縁したわけではありません。
母の見舞いにも、ときどき病院に来てくれてました。
当然、葬儀には出てもらわなければなりません。
ところがそれが、容易なことではありませんでした。
ご主人と旅行に出たばかりだったんです。
呼び戻すしかないわけですが……。
それが簡単じゃなかったんです。
アフリカの奥地に行ってました。
母の病状が、危険なものではなかったので……。
すぐに帰れない旅にも出たわけです。
団体ツアーで、現地スタッフが付いてくれてます。
でも、そのツアーから離れて、夫婦だけで帰国するのは……。
はなはだ困難、というかほぼ不可能とのことでした。
治安的にも、命の保証ができないと言われたそうです。
ということで、行程通りのツアーを終えてから帰国するしかありませんでした。
帰国できるのは、ちょうど1週間後。
でも、その日は、夜に成田に着くので……。
できれば、8日後に通夜、9日後に葬儀としたかったんです。
でも、9日後にご住職の予定が入ってしまってました。
いくらなんでも、それ以上、日程を伸ばすわけにはいきません。
ということで、7日後の通夜、8日後の葬儀に決まりました。
妹は、通夜が始まるころに成田ですので……。
通夜には出席できません。
葬儀だけの出席となりました。
葬儀は、家族葬にしました。
母は非社交家で、ほとんど人付き合いがなく……。
近所の人との交流もありませんでした。
両隣の家は、わたしが直接訪ね、母の死を伝えました。
葬儀は身内だけで行うことも伝えました。
ご両家とも、わが家に弔問にいらしてくださり、母の顔を見ていただきました。
葬儀の出席者は、喪主のわたしと妹夫婦、その子供2人。
これだけにしようかと思いましたが……。
あとお二人、お呼びすることにしました。
お一人は、親戚代表として、近隣の父の実家から。
でも、ご当主ではなく、奥さまをお願いしました。
うちにはよく、畑で採れた野菜を届けていただいてた方でした。
もうお一人は、友人代表。
市民サークルで知り合ったと聞いてました。
ていうか、母の友人はその方しか知らなかったんです。
あと通夜には、わたしの会社の総務部から、1人来てくれることになりました。
ほかに母の死を連絡したのは、母方の親戚、お一人だけでした。
毎年、お中元、お歳暮を欠かさず送ってくださる方です。
お宅は埼玉県なので、家族葬で行うことを伝え……。
お招きしないことをお詫びしました。
さて、通夜まで1週間です。
さぞ忙しかったろうと思われるかも知れませんが……。
やることなんて、ほとんどないんです。
わたしがしたことは……。
お寺に包むお布施のお金を、銀行に下ろしに行ったくらいでしょうか。
そうそう。
お布施の袋も、みんな葬儀屋さんが作ってくれたんです。
もちろん、わたしの名前と金額も入れてです。
けっこうな数があるんですよ。
お通夜では、「御布施」「御車料」。
葬儀では、「御布施」「御佛前」「棺覆料」「血脈料」「御車料」「お斎料(ご住職がお斎につかないので)」。
ほかに、初七日のお経も一緒に読んでいただくので、その御布施もありました。
あと、お礼参りの御布施。
これを全部、わたしが書くとなれば大変です。
でも葬儀屋さんが、相場の金額まで教えてくれて……。
金額を書いた袋を作ってきてくれたわけです。
わたしのしたことは、銀行からお金を下ろしてくることと……。
そのお金を、それぞれの袋に詰めることくらいでした。
葬儀屋さんは、毎日、ドライアイスの交換に来てくれました。
わたしは家にいることが多かったので、応対できました。
何もしてなかったわけではなく、普通にテレワークをしてました。
葬儀までの間、会社にも、2日出勤しました。
葬儀屋さんが毎日来てくれるので……。
わからないことなどは、その都度聞けました。
で、葬儀屋さんが言ってらしたんですが……。
ドライアイスの交換、すごく忙しいんだそうです。
亡くなる方が少なくないんだとか。
夏、暑かったせいですかね。
斎場の予約が取れず、葬儀の日程を伸ばさざるを得ないお宅が多かったため……。
ドライアイスの交換が忙しかったわけです。
このことは、四十九日のとき、ご住職からもお聞きしました。
こんなに忙しい秋は初めてだとおっしゃってました。
あと、葬儀までにわたしがやったことは……。
お斎の料理や、引き出物、お菓子などを選ぶことくらいでしたかね。
妹がいれば、こういうこともすべてやってくれたはずです。
わたしよりはるかにしっかり者ですから。
でも、それらをわたしがやることになったのには……。
ひょっとしたら、母の遺志があったのかも知れません。
あなたがしっかりやりなさいというメッセージです。
あ、あともうひとつ、やったことがありました。
通夜と葬儀での、喪主の挨拶を考えることです。
葬儀屋さんからは、例文のカンペも渡されました。
でも、式まで1週間もあるのに……。
それを読むだけってのも情けない話です。
ということで、母の入院から亡くなるまでの経緯をお話することにしました。
紆余曲折があったので、6,7分の挨拶になってしまいました。
これを、朝夕と、通勤の車の行き帰りで、練習しました。
おかげで、何も見ずに、6,7分喋れるようになりました。
何なら、今でも喋れると思います。
あ、そうそう。
まだありましたよ。
毎朝、母の枕元のお水とご飯の交換です。
その都度、白い布をはぐって、母の顔を確かめました。
亡くなった翌日には、葬儀屋さんが男女2人で来て、清拭をしてくれてました。
髪も、その場で綺麗に洗い、ドライヤーもかけてくれました。
薄めのお化粧も施してもらいました。
そのときはほんとに、生きてるようでした。
でも、日一日と、顔が痩せていくんですね。
眼窩がくぼんでいきました。
死ぬってのはこういうことなんだなと実感しました。
あと、結局わたしは、母の亡骸と1週間、同じ家で2人きりで過ごしたわけです。
さすがに、添い寝はしませんでしたが。
でも、ただの1度も、霊を感じるようなことはありませんでした。
わたしが薄情なのかも知れませんが……。
もう成仏したんだなと思うことにしました。
そんなこんなで、ようやく通夜と葬儀の日になりました。
共に、滞りなく済みました。
直前、甥(妹の長男)がコロナに罹って来れなくなりました。
よくドタキャンのある子なので、この子らしいと思いました。
結局、通夜振る舞いの席に着いたのは……。
わたしと、姪(妹の長女)、親戚代表の本家の奥さんの3人でした。
うちの会社から来てくれた総務の人は、通夜振る舞いの前に帰られたので。
通夜振る舞いの料理は、最低単位が、7~8人前でした。
なので当然、余りました。
あと、ラーメンが付いたんです。
スタッフの方が、食事の進み具合を見て……。
「お作りしましょうか」と声を掛けてくださいました。
ちゃんと、式場の厨房でシェフが作ってるんだそうです。
あっさりとした醤油ラーメンで、美味しかったです。
人が作ったラーメンを食べたのは、10年ぶりくらいでした。
通夜の夜は、わたしと姪で式場に泊まりました。
すごい豪華な部屋で驚きましたね。
ツインのベッドルームに、和室まで付いてました。
あと、ダイニングキッチン。
冷蔵庫には、タダのビールとお酒。
もちろん、みんないただきました。
住みたいくらいに快適でした。
翌日の葬儀には、妹夫婦が間に合いました。
本来、成田に着いた後はホテルに泊まる予定でした。
でもその日、新幹線で家まで帰ったそうです。
考えてみれば、喪服を取ってこなきゃなりませんからね。
葬儀の出席者は、わたしと妹夫婦に姪。
あと、親戚代表と友人代表の方。
計6名。
このメンバーで、そのままお斎になりました。
甥が来れなくなったおかげで……。
全員で、6人掛けの丸テーブルひとつに座れました。
妹は小麦アレルギーなんですが……。
事前に伝えたところ、シェフが工夫して料理を作ってくださいました。
見た目も、そのほかの人の料理とほとんど変わらず……。
妹は美味しいと言って喜んでました。
葬儀まで、および通夜や葬儀での葬儀屋さんの対応には……。
ひとつも不満がありませんでした。
いい葬儀社の会員になっててくれていたことを……。
母に感謝しなければなりません。
あと、この葬儀の運営システムが……。
わたしが想像してたこととは違うことに気づきました。
わたしは、式場ごとに専属のスタッフがいるんだとばかり思ってました。
なので、病院で母が亡くなったときも……。
迎えに来てもらうため、直接式場に電話したんです。
そしたら、電話番みたいなおじさんが出て……。
本社にかけてほしいと言われ、「0120」の番号を伝えられました。
で、葬儀まで長かったので、おいおいわかってきたんですが……。
式場には、昼間は電話番の事務員がひとりいるだけで……。
夜はおそらく、宿直のおじさんがひとりだけなんだと思います。
そして、その式場での葬儀が決まると……。
本社から、いろんな役割の人が選ばれて来て、葬儀の運営にあたるわけです。
なんだか、青森空港の除雪隊「ホワイトインパルス」を連想してしまいました。
ちょっと褒めすぎですかね。
実際のところ、このシステムの弊害も見つけました。
この会社の別のホールが、通勤途中のバイパス沿いにあるんですが……。
そこの植栽が、ほぼ全滅してたんです。
もちろん、この夏の猛暑のせいです。
誰も水やりをしなかったんでしょう。
本社から、葬儀の日だけ派遣されてくるスタッフでは……。
植栽が枯れそうだなどということまで頭が回らないでしょう。
常駐する事務員さんも、本社に連絡しなかったんでしょうね。
植物を育てたことがない人の中は……。
水をやらないと植物が枯れるという認識が、まるでない人もいますから。
あるいは、薄々感じてたけど、あえて連絡しなかったのかも。
連絡したら、水やりの仕事が増えてしまうと思ったのかも知れません。
しかし、あれだけの植栽、植え替えるとなると、数十万円かかると思います。
ホールの外構や設備のチェックをして回るスタッフが必要なんじゃないでしょうか。
あ、そうそう。
この冬、このホールでさらに驚くべき光景が見られました。
冬囲いがされてたんです。
枯れた木にですよ。
たぶん、冬囲いは予算に入ってたのでしょう。
なので、そのまま行われた。
造園屋さんは、枯れ木にもするのかと尋ねたんじゃないですかね。
おそらく、そのまましてくれという答えだったんだと思います。
冬囲いの費用を、植え替えに転用できなかったんですかね。
でも、上の許可をもらわなきゃならないでしょうから……。
面倒だったんでしょうね。
来年度はぜひ、植え替えの予算を取ってもらいたいものです。
だって、葬儀場の植栽が、ことごとく枯れてるってのは……。
はなはだ薄ら寒い光景ですから。
さて、ようやく葬儀が終わりました。
しかし、大変だったのはそれからでした。
銀行口座の相続手続き。
年金や保険証などの届け。
あと、死亡保険金の受け取り。
葬儀までは、わたしは家にいるだけで……。
手配はすべて葬儀屋さんがやってくれたわけです。
でも、葬儀後の手続きは、すべてわたしが出かけて行ってしなければなりません。
銀行口座は、3つありました。
それぞれ、対応が違いました。
一番意外だったのは、ゆうちょ銀行。
通帳の残高は大したことなかったのですが……。
母が「かんぽ生命」で、わたし受け取りの死亡保険金に入っててくれたんです。
証書も渡されてました。
そんな驚くような額じゃないんですけどね。
それでも、わたしの年収くらいありました。
で、近所の郵便局に、アポ電もなしに行きました。
手続きの仕方を聞いて、提出書類をもらってくるだけのつもりでした。
それでも、「死亡診断書」と「謄本」は、いちおう持っていきましたが。
そしたら、保険窓口のお姉さんが……。
その場で、パソコンで書類を作ってくれたんです。
あれよあれよと言う間に、手続きが完了しました。
なんと、わたしの年収ほどの死亡保険金が……。
翌日、わたしのゆうちょ銀行の口座に振り込まれてました。
ゆうちょ銀行口座の相続は、後日、書類が送られて来ました。
でも、そんなに難しくない書類で……。
窓口に持っていくと、その場で手続き完了でした。
郵便局も変わったものだと感心しました。
次に簡単だったのが、地元最大手の地方銀行。
母はこの銀行が嫌いで、口座は別の地銀に持ってました。
ところが、この2つの地銀が合併したんです。
嫌いな方が大きいので、新銀行の名称の頭に付きました。
だからなのかはわかりませんが……。
母は通帳を新しくせず、元の地銀の通帳のまま持ってました。
残高が大したことなかったので、放っておいたのでしょう。
それでも、普通預金と定期預金あわせて、8万円弱ありました。
捨ててしまうのはもったいないので、手続きすることにしました。
でも、口座のある支店が、仕事してたころの母の勤務地の近くでした。
家からは、車で30分近くかかります。
いきなりそこに行くのは面倒なので……。
家から一番近い支店に行きました。
書類だけもらえるならもらってこようと思ったんです。
そしたら、窓口のお姉さんから……。
「今、30分ほどお時間がおありですか」と聞かれました。
忌引き休暇中だったので、大丈夫ですと答えると……。
窓口の端っこにある、パーティーションで囲われたコーナーに案内されました。
ローンの相談なんかをするところですかね。
椅子のある席です。
で、そこに座ってると……。
お姉さんが、でっかいモニターを運んできました。
モニターが、席の前に据えられました。
画面には、見知らぬおじさん(当たり前)が映ってました。
本店の相続担当の行員さんだそうです。
本店と、リモートで繋いでくれたわけです。
で、お姉さんから渡された書類の書き方を……。
このおじさんが、1項目ずつ、懇切丁寧に教えてくれたんです。
添付する謄本などの必要書類についても、詳しく説明してもらいました。
たしかに、30分くらいかかりました。
最後に、返信用封筒までもらって帰りました。
たぶん、こうした相続のケースは、とても増えてるでしょうから……。
こういう形で、専門の行員が応対する方がずっと効率的ですよね。
支店の行員さんじゃ、とてもこんな時間は取れないと思います。
でも、こうしたリモートでの応対が可能になったのは……。
コロナのおかげじゃないでしょうか。
コロナが、いい遺産を残してくれたこともあるわけです。
で、このおじさんのおかげで……。
書類はすぐに書き上げることができ、返信用封筒でポストインしました。
審査に1週間もかからなかったですかね。
無事、8万円はわたしの口座に振り込まれてました。
最後に、一番大変だったのは、地元の信用組合でした。
大変と云っても、書類の書き方は、地銀と同じでした。
面倒だったのは、添付する書類です。
「原戸籍(はらこせき)」というのが必要だと言われました。
どういうものかと云うと……。
出生から死亡まで、すべて繋がってる戸籍です。
もちろん、戸籍を移してなければ難しいことはありません。
でも、籍を移してる場合、それ以前の戸籍は……。
その移す前の市町村から取らなければなりません。
わたしの母も、結婚で籍を移してました。
今の戸籍には、転籍以降の記載しかありません。
その前の戸籍は、魚沼地域の市にありました。
もちろん、そんなところまで行ってられません。
でも最近は、戸籍は郵送で取り寄せられます。
どこの市町村でもそうなんでしょうね。
それが出来なきゃ大変ですよ。
で、戸籍が郵送されて来ました。
心配だったのは、さらにその前の戸籍があるんじゃなかってこと。
でも、大丈夫でした。
出生から載ってました。
ホッとしました。
なんで信用組合だけ、こんなものを要求されたのかわかりません。
ひょっとしたら、必要書類は、預金残高によるんですかね。
ここは、100万円ちょっと預金がありましたから。
地銀は、謄本など不要で、死亡診断書だけで大丈夫でした。
でも、残高がもっとあれば……。
ひょっとしたら、信用組合と同じ書類が必要だったのかも知れません。
しかし、うちの母は、1回の転籍で済みましたが……。
何度も籍を移してる人の原戸籍を揃えるのは、大変ですよ。
母は、3行で済みましたが……。
もっとたくさん銀行口座を持った方の相続は、そうとう大変でしょうね。
わたしも、こんなに大変なら……。
黙ってお金を引き出して、あとは白ばっくれてれば良かったと思いました。
葬儀まで、1週間もあったんですから。
さて、てなわけで、様々な諸手続きがようやく終わりました。
考えてもみなかった手続きもありました。
お墓の利用者の変更届。
うちのお墓は、市営の墓地にあります。
利用料は、最初に申し込んだときに払ったんですかね?
今は何も払ってませんから。
で、この名義が母になってたので、変更が必要だったわけです。
これは、葬儀当日、斎場の職員さんに教えられ、書類を渡されました。
でも、この一連の手続きで、われながら大したものだと思ったのは……。
すべての書類を、1発で通したことです。
記載の不備や添付書類が足りないなどは、ひとつもありませんでした。
ま、このあたりは、経理事務員の強みでしょうね。
こんなに長々と書くつもりじゃなかったんですけどね。
クドい性格が出てしまいました。
ついでといってはなんですが、もう一言だけ。
冒頭の歯医者さんの件です。
わたしは普段なら、予約をキャンセルした場合……。
1回飛ばして、次の月の予約を取り直してました。
でも、それを翌週にしたのには、わけがありました。
月初から、上の奥歯が1本、ガタガタしてきてたんです。
ものを噛むと痛いです。
お正月のお節が、美味しく食べられなかったらイヤなので……。
年末に診てもらいたかったんです。
そしたら……。
「これはもう抜歯ですね」と言われ、その場で抜かれてしまいました。
血がしばらく止まらず、さすがにその後の昼食では、お酒は控えました。
でも、夕方には出血もだいぶ収まったので……。
夜には、いつもどおりお酒をいただきました。
そしたら、その夜、異様な寒気。
足先が氷のように冷たい。
我慢できず、布団乾燥機のホースを布団に引きこみ、温風を出しながら寝ました。
うとうとして、目覚ましで起きて、熱を測ってみました。
37度8分ありました。
インフルやコロナだったらヤバいと思ったんですが……。
いちおう、ルルを飲んで様子を見ました。
そしたら、朝食を摂るころには……。
もう体温は、36度7分の平熱になってました。
なんかこの、歯を1本失って、熱が出たという一連の出来事は……。
母の死を追体験してるような気がしました。
今、舌先で、失われた歯の跡をなぞってると……。
母がほんとにいなくなってしまったんだなと、妙に実感できる気がします。
わたしにとっては、特別な2023年でした。
ほんとうに長くなってしまいました。
締めくくりたいと思います。
冬来たりなば春遠からじ。
これからは、日足が、日一日と伸びていくのも楽しみです。
2024年、辰年。
順調に投稿できれば、立春を過ぎた2月11日には……。
『由美と美弥子』が、連載4000回に到達します。
われながら、はるけくも来つるものかなとの感慨があります。
しかし、由美ちゃんも美弥子ちゃんも、すっかりご無沙汰です。
今年は、登場していただきたいと思っています。
それでは!
本年も、どうぞよろしくお願いいたします!
『Mikiko's Room』Mikiko
↓今年のお正月飾り。
↑クリックすると、大きい画像が見られます。
今年は、豪華三段重のおせち付きです。
ネットで、8,800円でした。
ちゃんと届くかドキドキしましたが……。
指定日時どおり、きのうの午後に届きました。
↓おせちの「おしながき」です。
↑クリックすると、大きい画像が見られます。
そのほかの飾りものを、右上から説明します。
今年は、一升瓶を買いました。
『朝日酒造(新潟県長岡市)』さんの『朝日山』。
ここは、『久保田』で有名な酒蔵です。
「久保田」が特別な日のお酒だとしたら……。
「朝日山」は、毎日の晩酌のお酒。
今日は特別な日ですが、あえて「朝日山」にしました。
じいちゃんが大好きなお酒でした。
右上の電気式酒燗器で、燗酒にして飲みます。
その右、里芋の煮っころがしみたいなのがありますが……。
これは、黄水仙の球根です。
お正月に咲かそうと思って、見事に開花調整に失敗しました。
冬至に室内に入れたんですが……。
その後、寒い部屋に置いてたのが悪かったようです。
うちの室内は、外と大して温度が変わりませんから。
その鉢の前にいるのは、『単独旅行記』で活躍中の「埴輪のハーさん」です。
中央の鏡餅の上に載ってるのは……。
庭で採れた柚子です。
今年は、たくさん成りました。
お神楽を挟んだビールは、サッポロビールの『新潟限定ビイル 風味爽快ニシテ』。
独特の味がします。
毎日飲みたい味ではありませんが、特別感のある味です。
なのでこの日に選びました。
その左上の紅梅も、開花調整に失敗したもの。
蕾がほころびそうなんですけどね。
あと、お節の手前にある、鮭と天ぷらは……。
大晦日にスーパーで買ってきました。
2024年。
閏年のあるオリンピックイヤー。
みなさん、良い年にしていきましょう!
旧年中は、大変お世話になりました。m(_ _)m
この冬は、暖冬という予報でした。
実際、12月の前半まではウソのように暖かく……。
15度を超える日もありました。
ところが、12月後半になると急に寒くなりました。
そしてついに、大雪が降りました。
22日(金曜日)の朝には、20センチくらい積もってました。
この日は、歯医者の予約をしてました。
1ヶ月毎の、定期検診を兼ねたクリーニングの日です。
1回飛ばしてもいいんですが……。
お正月前なので、綺麗にしておきたかったです。
わたしは、マイカー通勤です。
出勤するのは、週に2,3回。
出勤しない日は、テレワークです。
歯医者さんは、出社したときに停める駐車場のすぐ脇にあります。
定期検診の日は、歯医者さんに寄ってから会社に行ってます。
勤務時間中ですが、もちろん黙ってます。
でも、この雪では、到着時間が読めません。
「どこトレ」を見ると、JRも遅れや運休が発生してるようでした。
かといって、早めに出る気にはなれません。
時間の無駄です。
こういうときのためのテレワークじゃないですか。
ということで、歯医者さんの予約はキャンセルしました。
1回飛ばすしかないと思ってたんですが……。
運良く、12月最終週の予約が取れました。
で、その日はぬくぬくとテレワークしてたんですが……。
その夜、さらに積もりました。
玄関前、前日の20センチの積雪は除雪済みでした。
積もったらすぐに除雪しないと、重くなって大変なんです。
なので、玄関前は雪がない状態にしてたのに……。
土曜日の朝には、新たに40センチくらい積もってました。
家の前の道路は除雪されてましたが……。
中央部の1車線だけです。
車がすれ違うときは、片方の車が……。
小路の入り口などで脇に寄せて停車し、対面する車を通さなければなりません。
小路の入り口以外の道路脇は……。
ホイールローダーが排除した雪が積み上がっていて、車を脇に寄せられないんです。
で、各家の除雪作業で大変なのは、この排除された雪なんです。
玄関前に積み上がってます。
しかも、圧雪です。
12月に入ってから……。
テニスもしないのに、右肘がテニス肘(たぶん)になって、サポーターを巻いてる状態。
この腕での除雪作業は、ほんとに辛いです。
圧雪は、玄関前だけでなく、カーポートの前にも積み上がってます。
玄関前はなんとか除雪しましたが……。
連続してカーポート前をやる気力は残ってませんでした。
ということで、車を出せません。
土曜日はいつも、スーパーに買い出しに行ってます。
普段は、車で10分くらいのところにある大型スーパーに行ってます。
でも、この日は歩きなので、そこには行けません。
徒歩20分くらいのところにあるスーパーに、リュックを背負って歩いて行きました。
道中、一面真っ白でした。
いよいよ冬だと実感しました。
でも、その後は寒さが緩み、雨になりました。
12月最終週に予約した歯医者さんにも、無事、通えました。
さて。
2023年を振り返ってみます。
10月に、大きな出来事がありました。
母が亡くなったんです。
入院はしてたんですが……。
余命宣告をされるような病状ではありませんでした。
状態も比較的安定しており……。
年を越せないなんてことは、まったく考えてませんでした。
先生からの説明もそうでしたし。
ところが、突然の急変です。
明け方近く、病院からの電話でかけつけたときは……。
すでに亡くなってました。
病院からは、すぐに葬儀屋さんを呼んで遺体を引き取ってくれと言われました。
葬儀屋さんは、母が会員になってるところがあったので、迷うことはありませんでした。
電話して30分くらいで来てくれました。
で、家に連れて帰り、仏間に寝かせました。
葬儀屋さんから、枕経を読んでもらわなければならないので……。
檀那寺さんを呼んでくださいと言われました。
朝の5時ころでしたが……。
お寺さんは朝が早いので、この時間に電話しても大丈夫だと言われました。
お寺は広いので、電話に出るまで時間がかかるから……。
出なくてもすぐに切らないでくださいというアドバイスまでもらいました。
そんなに待たずに電話が繋がり、すぐにご住職が来てくださいました。
で、枕経を読んでもらった後……。
葬儀屋さんと三者面談で、通夜と葬儀の日程調整です。
ここで、わたしの方に、大きな問題が存在してました。
妹です。
母の身内は、わたしと妹だけ。
妹は県内に嫁に行って、家は出ていますが……。
もちろん絶縁したわけではありません。
母の見舞いにも、ときどき病院に来てくれてました。
当然、葬儀には出てもらわなければなりません。
ところがそれが、容易なことではありませんでした。
ご主人と旅行に出たばかりだったんです。
呼び戻すしかないわけですが……。
それが簡単じゃなかったんです。
アフリカの奥地に行ってました。
母の病状が、危険なものではなかったので……。
すぐに帰れない旅にも出たわけです。
団体ツアーで、現地スタッフが付いてくれてます。
でも、そのツアーから離れて、夫婦だけで帰国するのは……。
はなはだ困難、というかほぼ不可能とのことでした。
治安的にも、命の保証ができないと言われたそうです。
ということで、行程通りのツアーを終えてから帰国するしかありませんでした。
帰国できるのは、ちょうど1週間後。
でも、その日は、夜に成田に着くので……。
できれば、8日後に通夜、9日後に葬儀としたかったんです。
でも、9日後にご住職の予定が入ってしまってました。
いくらなんでも、それ以上、日程を伸ばすわけにはいきません。
ということで、7日後の通夜、8日後の葬儀に決まりました。
妹は、通夜が始まるころに成田ですので……。
通夜には出席できません。
葬儀だけの出席となりました。
葬儀は、家族葬にしました。
母は非社交家で、ほとんど人付き合いがなく……。
近所の人との交流もありませんでした。
両隣の家は、わたしが直接訪ね、母の死を伝えました。
葬儀は身内だけで行うことも伝えました。
ご両家とも、わが家に弔問にいらしてくださり、母の顔を見ていただきました。
葬儀の出席者は、喪主のわたしと妹夫婦、その子供2人。
これだけにしようかと思いましたが……。
あとお二人、お呼びすることにしました。
お一人は、親戚代表として、近隣の父の実家から。
でも、ご当主ではなく、奥さまをお願いしました。
うちにはよく、畑で採れた野菜を届けていただいてた方でした。
もうお一人は、友人代表。
市民サークルで知り合ったと聞いてました。
ていうか、母の友人はその方しか知らなかったんです。
あと通夜には、わたしの会社の総務部から、1人来てくれることになりました。
ほかに母の死を連絡したのは、母方の親戚、お一人だけでした。
毎年、お中元、お歳暮を欠かさず送ってくださる方です。
お宅は埼玉県なので、家族葬で行うことを伝え……。
お招きしないことをお詫びしました。
さて、通夜まで1週間です。
さぞ忙しかったろうと思われるかも知れませんが……。
やることなんて、ほとんどないんです。
わたしがしたことは……。
お寺に包むお布施のお金を、銀行に下ろしに行ったくらいでしょうか。
そうそう。
お布施の袋も、みんな葬儀屋さんが作ってくれたんです。
もちろん、わたしの名前と金額も入れてです。
けっこうな数があるんですよ。
お通夜では、「御布施」「御車料」。
葬儀では、「御布施」「御佛前」「棺覆料」「血脈料」「御車料」「お斎料(ご住職がお斎につかないので)」。
ほかに、初七日のお経も一緒に読んでいただくので、その御布施もありました。
あと、お礼参りの御布施。
これを全部、わたしが書くとなれば大変です。
でも葬儀屋さんが、相場の金額まで教えてくれて……。
金額を書いた袋を作ってきてくれたわけです。
わたしのしたことは、銀行からお金を下ろしてくることと……。
そのお金を、それぞれの袋に詰めることくらいでした。
葬儀屋さんは、毎日、ドライアイスの交換に来てくれました。
わたしは家にいることが多かったので、応対できました。
何もしてなかったわけではなく、普通にテレワークをしてました。
葬儀までの間、会社にも、2日出勤しました。
葬儀屋さんが毎日来てくれるので……。
わからないことなどは、その都度聞けました。
で、葬儀屋さんが言ってらしたんですが……。
ドライアイスの交換、すごく忙しいんだそうです。
亡くなる方が少なくないんだとか。
夏、暑かったせいですかね。
斎場の予約が取れず、葬儀の日程を伸ばさざるを得ないお宅が多かったため……。
ドライアイスの交換が忙しかったわけです。
このことは、四十九日のとき、ご住職からもお聞きしました。
こんなに忙しい秋は初めてだとおっしゃってました。
あと、葬儀までにわたしがやったことは……。
お斎の料理や、引き出物、お菓子などを選ぶことくらいでしたかね。
妹がいれば、こういうこともすべてやってくれたはずです。
わたしよりはるかにしっかり者ですから。
でも、それらをわたしがやることになったのには……。
ひょっとしたら、母の遺志があったのかも知れません。
あなたがしっかりやりなさいというメッセージです。
あ、あともうひとつ、やったことがありました。
通夜と葬儀での、喪主の挨拶を考えることです。
葬儀屋さんからは、例文のカンペも渡されました。
でも、式まで1週間もあるのに……。
それを読むだけってのも情けない話です。
ということで、母の入院から亡くなるまでの経緯をお話することにしました。
紆余曲折があったので、6,7分の挨拶になってしまいました。
これを、朝夕と、通勤の車の行き帰りで、練習しました。
おかげで、何も見ずに、6,7分喋れるようになりました。
何なら、今でも喋れると思います。
あ、そうそう。
まだありましたよ。
毎朝、母の枕元のお水とご飯の交換です。
その都度、白い布をはぐって、母の顔を確かめました。
亡くなった翌日には、葬儀屋さんが男女2人で来て、清拭をしてくれてました。
髪も、その場で綺麗に洗い、ドライヤーもかけてくれました。
薄めのお化粧も施してもらいました。
そのときはほんとに、生きてるようでした。
でも、日一日と、顔が痩せていくんですね。
眼窩がくぼんでいきました。
死ぬってのはこういうことなんだなと実感しました。
あと、結局わたしは、母の亡骸と1週間、同じ家で2人きりで過ごしたわけです。
さすがに、添い寝はしませんでしたが。
でも、ただの1度も、霊を感じるようなことはありませんでした。
わたしが薄情なのかも知れませんが……。
もう成仏したんだなと思うことにしました。
そんなこんなで、ようやく通夜と葬儀の日になりました。
共に、滞りなく済みました。
直前、甥(妹の長男)がコロナに罹って来れなくなりました。
よくドタキャンのある子なので、この子らしいと思いました。
結局、通夜振る舞いの席に着いたのは……。
わたしと、姪(妹の長女)、親戚代表の本家の奥さんの3人でした。
うちの会社から来てくれた総務の人は、通夜振る舞いの前に帰られたので。
通夜振る舞いの料理は、最低単位が、7~8人前でした。
なので当然、余りました。
あと、ラーメンが付いたんです。
スタッフの方が、食事の進み具合を見て……。
「お作りしましょうか」と声を掛けてくださいました。
ちゃんと、式場の厨房でシェフが作ってるんだそうです。
あっさりとした醤油ラーメンで、美味しかったです。
人が作ったラーメンを食べたのは、10年ぶりくらいでした。
通夜の夜は、わたしと姪で式場に泊まりました。
すごい豪華な部屋で驚きましたね。
ツインのベッドルームに、和室まで付いてました。
あと、ダイニングキッチン。
冷蔵庫には、タダのビールとお酒。
もちろん、みんないただきました。
住みたいくらいに快適でした。
翌日の葬儀には、妹夫婦が間に合いました。
本来、成田に着いた後はホテルに泊まる予定でした。
でもその日、新幹線で家まで帰ったそうです。
考えてみれば、喪服を取ってこなきゃなりませんからね。
葬儀の出席者は、わたしと妹夫婦に姪。
あと、親戚代表と友人代表の方。
計6名。
このメンバーで、そのままお斎になりました。
甥が来れなくなったおかげで……。
全員で、6人掛けの丸テーブルひとつに座れました。
妹は小麦アレルギーなんですが……。
事前に伝えたところ、シェフが工夫して料理を作ってくださいました。
見た目も、そのほかの人の料理とほとんど変わらず……。
妹は美味しいと言って喜んでました。
葬儀まで、および通夜や葬儀での葬儀屋さんの対応には……。
ひとつも不満がありませんでした。
いい葬儀社の会員になっててくれていたことを……。
母に感謝しなければなりません。
あと、この葬儀の運営システムが……。
わたしが想像してたこととは違うことに気づきました。
わたしは、式場ごとに専属のスタッフがいるんだとばかり思ってました。
なので、病院で母が亡くなったときも……。
迎えに来てもらうため、直接式場に電話したんです。
そしたら、電話番みたいなおじさんが出て……。
本社にかけてほしいと言われ、「0120」の番号を伝えられました。
で、葬儀まで長かったので、おいおいわかってきたんですが……。
式場には、昼間は電話番の事務員がひとりいるだけで……。
夜はおそらく、宿直のおじさんがひとりだけなんだと思います。
そして、その式場での葬儀が決まると……。
本社から、いろんな役割の人が選ばれて来て、葬儀の運営にあたるわけです。
なんだか、青森空港の除雪隊「ホワイトインパルス」を連想してしまいました。
ちょっと褒めすぎですかね。
実際のところ、このシステムの弊害も見つけました。
この会社の別のホールが、通勤途中のバイパス沿いにあるんですが……。
そこの植栽が、ほぼ全滅してたんです。
もちろん、この夏の猛暑のせいです。
誰も水やりをしなかったんでしょう。
本社から、葬儀の日だけ派遣されてくるスタッフでは……。
植栽が枯れそうだなどということまで頭が回らないでしょう。
常駐する事務員さんも、本社に連絡しなかったんでしょうね。
植物を育てたことがない人の中は……。
水をやらないと植物が枯れるという認識が、まるでない人もいますから。
あるいは、薄々感じてたけど、あえて連絡しなかったのかも。
連絡したら、水やりの仕事が増えてしまうと思ったのかも知れません。
しかし、あれだけの植栽、植え替えるとなると、数十万円かかると思います。
ホールの外構や設備のチェックをして回るスタッフが必要なんじゃないでしょうか。
あ、そうそう。
この冬、このホールでさらに驚くべき光景が見られました。
冬囲いがされてたんです。
枯れた木にですよ。
たぶん、冬囲いは予算に入ってたのでしょう。
なので、そのまま行われた。
造園屋さんは、枯れ木にもするのかと尋ねたんじゃないですかね。
おそらく、そのまましてくれという答えだったんだと思います。
冬囲いの費用を、植え替えに転用できなかったんですかね。
でも、上の許可をもらわなきゃならないでしょうから……。
面倒だったんでしょうね。
来年度はぜひ、植え替えの予算を取ってもらいたいものです。
だって、葬儀場の植栽が、ことごとく枯れてるってのは……。
はなはだ薄ら寒い光景ですから。
さて、ようやく葬儀が終わりました。
しかし、大変だったのはそれからでした。
銀行口座の相続手続き。
年金や保険証などの届け。
あと、死亡保険金の受け取り。
葬儀までは、わたしは家にいるだけで……。
手配はすべて葬儀屋さんがやってくれたわけです。
でも、葬儀後の手続きは、すべてわたしが出かけて行ってしなければなりません。
銀行口座は、3つありました。
それぞれ、対応が違いました。
一番意外だったのは、ゆうちょ銀行。
通帳の残高は大したことなかったのですが……。
母が「かんぽ生命」で、わたし受け取りの死亡保険金に入っててくれたんです。
証書も渡されてました。
そんな驚くような額じゃないんですけどね。
それでも、わたしの年収くらいありました。
で、近所の郵便局に、アポ電もなしに行きました。
手続きの仕方を聞いて、提出書類をもらってくるだけのつもりでした。
それでも、「死亡診断書」と「謄本」は、いちおう持っていきましたが。
そしたら、保険窓口のお姉さんが……。
その場で、パソコンで書類を作ってくれたんです。
あれよあれよと言う間に、手続きが完了しました。
なんと、わたしの年収ほどの死亡保険金が……。
翌日、わたしのゆうちょ銀行の口座に振り込まれてました。
ゆうちょ銀行口座の相続は、後日、書類が送られて来ました。
でも、そんなに難しくない書類で……。
窓口に持っていくと、その場で手続き完了でした。
郵便局も変わったものだと感心しました。
次に簡単だったのが、地元最大手の地方銀行。
母はこの銀行が嫌いで、口座は別の地銀に持ってました。
ところが、この2つの地銀が合併したんです。
嫌いな方が大きいので、新銀行の名称の頭に付きました。
だからなのかはわかりませんが……。
母は通帳を新しくせず、元の地銀の通帳のまま持ってました。
残高が大したことなかったので、放っておいたのでしょう。
それでも、普通預金と定期預金あわせて、8万円弱ありました。
捨ててしまうのはもったいないので、手続きすることにしました。
でも、口座のある支店が、仕事してたころの母の勤務地の近くでした。
家からは、車で30分近くかかります。
いきなりそこに行くのは面倒なので……。
家から一番近い支店に行きました。
書類だけもらえるならもらってこようと思ったんです。
そしたら、窓口のお姉さんから……。
「今、30分ほどお時間がおありですか」と聞かれました。
忌引き休暇中だったので、大丈夫ですと答えると……。
窓口の端っこにある、パーティーションで囲われたコーナーに案内されました。
ローンの相談なんかをするところですかね。
椅子のある席です。
で、そこに座ってると……。
お姉さんが、でっかいモニターを運んできました。
モニターが、席の前に据えられました。
画面には、見知らぬおじさん(当たり前)が映ってました。
本店の相続担当の行員さんだそうです。
本店と、リモートで繋いでくれたわけです。
で、お姉さんから渡された書類の書き方を……。
このおじさんが、1項目ずつ、懇切丁寧に教えてくれたんです。
添付する謄本などの必要書類についても、詳しく説明してもらいました。
たしかに、30分くらいかかりました。
最後に、返信用封筒までもらって帰りました。
たぶん、こうした相続のケースは、とても増えてるでしょうから……。
こういう形で、専門の行員が応対する方がずっと効率的ですよね。
支店の行員さんじゃ、とてもこんな時間は取れないと思います。
でも、こうしたリモートでの応対が可能になったのは……。
コロナのおかげじゃないでしょうか。
コロナが、いい遺産を残してくれたこともあるわけです。
で、このおじさんのおかげで……。
書類はすぐに書き上げることができ、返信用封筒でポストインしました。
審査に1週間もかからなかったですかね。
無事、8万円はわたしの口座に振り込まれてました。
最後に、一番大変だったのは、地元の信用組合でした。
大変と云っても、書類の書き方は、地銀と同じでした。
面倒だったのは、添付する書類です。
「原戸籍(はらこせき)」というのが必要だと言われました。
どういうものかと云うと……。
出生から死亡まで、すべて繋がってる戸籍です。
もちろん、戸籍を移してなければ難しいことはありません。
でも、籍を移してる場合、それ以前の戸籍は……。
その移す前の市町村から取らなければなりません。
わたしの母も、結婚で籍を移してました。
今の戸籍には、転籍以降の記載しかありません。
その前の戸籍は、魚沼地域の市にありました。
もちろん、そんなところまで行ってられません。
でも最近は、戸籍は郵送で取り寄せられます。
どこの市町村でもそうなんでしょうね。
それが出来なきゃ大変ですよ。
で、戸籍が郵送されて来ました。
心配だったのは、さらにその前の戸籍があるんじゃなかってこと。
でも、大丈夫でした。
出生から載ってました。
ホッとしました。
なんで信用組合だけ、こんなものを要求されたのかわかりません。
ひょっとしたら、必要書類は、預金残高によるんですかね。
ここは、100万円ちょっと預金がありましたから。
地銀は、謄本など不要で、死亡診断書だけで大丈夫でした。
でも、残高がもっとあれば……。
ひょっとしたら、信用組合と同じ書類が必要だったのかも知れません。
しかし、うちの母は、1回の転籍で済みましたが……。
何度も籍を移してる人の原戸籍を揃えるのは、大変ですよ。
母は、3行で済みましたが……。
もっとたくさん銀行口座を持った方の相続は、そうとう大変でしょうね。
わたしも、こんなに大変なら……。
黙ってお金を引き出して、あとは白ばっくれてれば良かったと思いました。
葬儀まで、1週間もあったんですから。
さて、てなわけで、様々な諸手続きがようやく終わりました。
考えてもみなかった手続きもありました。
お墓の利用者の変更届。
うちのお墓は、市営の墓地にあります。
利用料は、最初に申し込んだときに払ったんですかね?
今は何も払ってませんから。
で、この名義が母になってたので、変更が必要だったわけです。
これは、葬儀当日、斎場の職員さんに教えられ、書類を渡されました。
でも、この一連の手続きで、われながら大したものだと思ったのは……。
すべての書類を、1発で通したことです。
記載の不備や添付書類が足りないなどは、ひとつもありませんでした。
ま、このあたりは、経理事務員の強みでしょうね。
こんなに長々と書くつもりじゃなかったんですけどね。
クドい性格が出てしまいました。
ついでといってはなんですが、もう一言だけ。
冒頭の歯医者さんの件です。
わたしは普段なら、予約をキャンセルした場合……。
1回飛ばして、次の月の予約を取り直してました。
でも、それを翌週にしたのには、わけがありました。
月初から、上の奥歯が1本、ガタガタしてきてたんです。
ものを噛むと痛いです。
お正月のお節が、美味しく食べられなかったらイヤなので……。
年末に診てもらいたかったんです。
そしたら……。
「これはもう抜歯ですね」と言われ、その場で抜かれてしまいました。
血がしばらく止まらず、さすがにその後の昼食では、お酒は控えました。
でも、夕方には出血もだいぶ収まったので……。
夜には、いつもどおりお酒をいただきました。
そしたら、その夜、異様な寒気。
足先が氷のように冷たい。
我慢できず、布団乾燥機のホースを布団に引きこみ、温風を出しながら寝ました。
うとうとして、目覚ましで起きて、熱を測ってみました。
37度8分ありました。
インフルやコロナだったらヤバいと思ったんですが……。
いちおう、ルルを飲んで様子を見ました。
そしたら、朝食を摂るころには……。
もう体温は、36度7分の平熱になってました。
なんかこの、歯を1本失って、熱が出たという一連の出来事は……。
母の死を追体験してるような気がしました。
今、舌先で、失われた歯の跡をなぞってると……。
母がほんとにいなくなってしまったんだなと、妙に実感できる気がします。
わたしにとっては、特別な2023年でした。
ほんとうに長くなってしまいました。
締めくくりたいと思います。
冬来たりなば春遠からじ。
これからは、日足が、日一日と伸びていくのも楽しみです。
2024年、辰年。
順調に投稿できれば、立春を過ぎた2月11日には……。
『由美と美弥子』が、連載4000回に到達します。
われながら、はるけくも来つるものかなとの感慨があります。
しかし、由美ちゃんも美弥子ちゃんも、すっかりご無沙汰です。
今年は、登場していただきたいと思っています。
それでは!
本年も、どうぞよろしくお願いいたします!
『Mikiko's Room』Mikiko
↓今年のお正月飾り。
↑クリックすると、大きい画像が見られます。
今年は、豪華三段重のおせち付きです。
ネットで、8,800円でした。
ちゃんと届くかドキドキしましたが……。
指定日時どおり、きのうの午後に届きました。
↓おせちの「おしながき」です。
↑クリックすると、大きい画像が見られます。
そのほかの飾りものを、右上から説明します。
今年は、一升瓶を買いました。
『朝日酒造(新潟県長岡市)』さんの『朝日山』。
ここは、『久保田』で有名な酒蔵です。
「久保田」が特別な日のお酒だとしたら……。
「朝日山」は、毎日の晩酌のお酒。
今日は特別な日ですが、あえて「朝日山」にしました。
じいちゃんが大好きなお酒でした。
右上の電気式酒燗器で、燗酒にして飲みます。
その右、里芋の煮っころがしみたいなのがありますが……。
これは、黄水仙の球根です。
お正月に咲かそうと思って、見事に開花調整に失敗しました。
冬至に室内に入れたんですが……。
その後、寒い部屋に置いてたのが悪かったようです。
うちの室内は、外と大して温度が変わりませんから。
その鉢の前にいるのは、『単独旅行記』で活躍中の「埴輪のハーさん」です。
中央の鏡餅の上に載ってるのは……。
庭で採れた柚子です。
今年は、たくさん成りました。
お神楽を挟んだビールは、サッポロビールの『新潟限定ビイル 風味爽快ニシテ』。
独特の味がします。
毎日飲みたい味ではありませんが、特別感のある味です。
なのでこの日に選びました。
その左上の紅梅も、開花調整に失敗したもの。
蕾がほころびそうなんですけどね。
あと、お節の手前にある、鮭と天ぷらは……。
大晦日にスーパーで買ってきました。
2024年。
閏年のあるオリンピックイヤー。
みなさん、良い年にしていきましょう!
コメント一覧
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1. Mikiko- 2024/01/01 16:57
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地震、大丈夫です
あけましておめでとうございます。
地震、驚きました。
わたしの住む地域では、震度5弱でした。
地震のときは、恥ずかしい話ですがトイレに入ってました(小です)。
部屋に戻ると……。
昼寝中だったベッドの上には、大量の本とCDが散乱してました。
またひとつ、後片付けの仕事ができてしまいました。
なお、海からは離れてるので、津波の心配はありません。
停電などもありません。
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2. 知佳- 2024/01/01 21:06
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酒は越乃寒梅でしょう(笑)
明日の朝までには一升瓶が転がるんでしょうか?
ところで、以前からこんな大きさの文字でしたっけ?
なんか大きくなったような???
おせちとお酒は独りで片付けるとか?正月こそ体力着けないと…ですね。
これからの時期雪かきで大変ですもんね。
今年は米も不作とか言ってたし…まっ、呑むしかないか。
こちらは何処とは言えませんが、今回の地震は大丈夫でした。
何故か台風も洪水も避けて通る地区なんです。
避けて通らないのは貧乏神、こいつだけは居すわってます。
また明日から頑張ります。おやすみなさい。
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3. Mikiko- 2024/01/02 09:54
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越乃寒梅は……
こちらでは、普通にスーパーの棚に並んでます。
母は、毎日これで晩酌してましたね。
お酒もおせちも、昨日の夜ですべて片付けました。
おかげで二日酔いで、まだ朝食を食べてません。
余震が怖いので、しばらく鍋料理は自粛します。
ピザでも買ってこようかな。
今年もよろしくお願いします。
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4. 八十八十郎- 2024/01/03 19:45
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ご無沙汰しております。
新年早々の災害で年賀のご挨拶もどうかと思いましたが、
先ずはMikikoさんご無事とのことで安心しました。
お神酒は西日本の甘口も美味しいのですが、
やはり上善如水の新潟のお酒に勝るものはなさそうです。
(私の個人的な感想)
熊本も大きな地震に襲われました。
ただ数年後、その災害を通して新しい芽が沢山出てきました。
これからも皆様が平和な日々を過ごされますことを、心より祈念しております。
ではまた、失礼いたします。
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5. Mikiko- 2024/01/04 05:59
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m(_ _)mありがとうございますm(_ _)m
令和も、災害の時代なんでしょうか。
しかし、こんなに大きな被害が出るとは思いませんでした。
でも、マグニチュード7.6だったんですから、当然ですよね。
阪神淡路大震災は、7.3でした。
幸い、新潟市で避難所が開設されたのは、西区だけのようです。
被害は主に、断水と停電。
共に原因は、液状化現象だとか。
西区は砂地です。
この季節は、地盤が水を含んでますからね。
でも、こういう災害のとき、いつも思うのですが……。
被害のない自治体が、被災者を受け入れられないものでしょうか。
被災地の自治体職員は、災害復旧に忙殺されてるはず。
それに加えて、被災者のケアまででは過酷すぎると思います。