2023.12.10(日)
ご主人は、セーラー服をハンガーから外した。
「スカートからの方がいいかな」
「あの。
下着は?」
「要りませんよ」
ご主人が、スカートを載せた腕を、奈美の前に差し出した。
スカートの下では、ご主人の陰茎が高々と勃起していた。
おそらく、着るだけでは済まないはずだ。
これを着て……。
あの陰茎を突きこまれるのだ。
奈美の陰唇は、すでに涎を垂らしていた。
下着なんかなくて良かった。
ぐしょぐしょにしてしまうだけだ。
奈美は、受け取ったスカートを宙で広げた。
入らないと恥ずかしいと思ったのだ。
しかし、十分に余裕がありそうな横幅だった。
履き口を持って屈み、脚を交互に差し入れる。
布地は、結滞することなく腰まであがった。
ファスナーを引きあげ、ホックを止める。
ウエストには、スカートが回るくらいの余裕があった。
ホッとした。
丈は、膝が隠れるくらいの長さだった。
かなり大人し目だ。
奈美のころは、もう少し短かったものだ。
「じゃ、これを」
ご主人から、セーラー服の上着を渡された。
スカートと同じ濃紺だった。
頭から被り、袖を通す。
袖丈は、ぴったりと合った。
「あと、これ」
最後にご主人が差し出したのは、三角タイだった。
奈美の高校は赤だったが、渡されたタイは目に痛いほどの純白だ。
綺麗にアイロン掛けがされていた。
「皺になっちゃいますよ」
「構いません。
わたしでも、アイロンくらい掛けられますから」
三角タイを襟の下に通し、首下で結ぶ。
「素晴らしい」
「ほんとですか?」
「ほんとですって。
こっち来て」
「スカートからの方がいいかな」
「あの。
下着は?」
「要りませんよ」
ご主人が、スカートを載せた腕を、奈美の前に差し出した。
スカートの下では、ご主人の陰茎が高々と勃起していた。
おそらく、着るだけでは済まないはずだ。
これを着て……。
あの陰茎を突きこまれるのだ。
奈美の陰唇は、すでに涎を垂らしていた。
下着なんかなくて良かった。
ぐしょぐしょにしてしまうだけだ。
奈美は、受け取ったスカートを宙で広げた。
入らないと恥ずかしいと思ったのだ。
しかし、十分に余裕がありそうな横幅だった。
履き口を持って屈み、脚を交互に差し入れる。
布地は、結滞することなく腰まであがった。
ファスナーを引きあげ、ホックを止める。
ウエストには、スカートが回るくらいの余裕があった。
ホッとした。
丈は、膝が隠れるくらいの長さだった。
かなり大人し目だ。
奈美のころは、もう少し短かったものだ。
「じゃ、これを」
ご主人から、セーラー服の上着を渡された。
スカートと同じ濃紺だった。
頭から被り、袖を通す。
袖丈は、ぴったりと合った。
「あと、これ」
最後にご主人が差し出したのは、三角タイだった。
奈美の高校は赤だったが、渡されたタイは目に痛いほどの純白だ。
綺麗にアイロン掛けがされていた。
「皺になっちゃいますよ」
「構いません。
わたしでも、アイロンくらい掛けられますから」
三角タイを襟の下に通し、首下で結ぶ。
「素晴らしい」
「ほんとですか?」
「ほんとですって。
こっち来て」
コメント一覧
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1. Mikiko- 2023/12/10 06:01
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今日は何の日
12月10日は、『黒鳥忌』。
昭和から平成時代にかけての小説家で詩人だった……。
中井英夫(なかいひでお/1922~1993)の忌日。
「黒鳥忌(こくちょうき)」の名称は、中井が自宅を「黒鳥館」と呼び……。
自身を「黒鳥館主人」と称してたことにちなみます。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/11210a1.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、「中井英夫について」を引用させていただきます。
1922(大正11)年9月17日……。
東京市滝野川区田端(現:東京都北区田端)に生まれました。
父・中井猛之進(なかいたけのしん)は、植物学者。
国立科学博物館の館長、インドネシアのボゴール植物園の園長……。
小石川植物園の園長などを歴任した、東京帝国大学名誉教授でした。
生家は芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)の自宅の近所でした。
自殺直前の芥川の自宅に、何度か遊びに行ったことがあったそうです。
東京大学文学部言語学科を中退。
日本短歌社に勤務、その後、角川書店に入社。
短歌雑誌の編集の傍ら、歌人の塚本邦雄(つかもとくにお)、寺山修司(てらやましゅうじ)……。
春日井建(かすがいけん)など、多くの若い才能を見出して育てました。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2023/12/10 06:01
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今日は何の日(つづき)
引用を続けます。
1964(昭和39)年、塔晶夫(とうあきお)の名義で……。
長編小説『虚無への供物(きょむへのくもつ)』を刊行。
後に、アンチ・ミステリーの傑作として高く評価されました。
夢野久作(ゆめのきゅうさく)の『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎(おぐりむしたろう)の『黒死館殺人事件』とともに……。
日本推理小説の三大奇書に数えられます。
その後、『見知らぬ旗(1971年)』や『幻想博物館(1972年)』などを発表。
1974(昭和49)年、『悪夢の骨牌[カルタ](1973年)』で、第2回泉鏡花文学賞を受賞します。
1993(平成5)年12月10日(金曜日)……。
肝不全のため、東京都日野市の病院にて死去。
71歳。
奇しくも忌日は、『虚無への供物』開巻と同日、同曜でした。
その他の著書として、下記のようなものがあります。
小説『黒鳥の囁き(1974年)』『光のアダム(1978年)』『月蝕領[げっしょくりょう]宣言(1979年)』……。
短歌評論『黒衣の短歌史(1971年)』、詩集『眠るひとへの哀歌(1972年)』などです。
以上、引用終わり。
“『虚無への供物』開巻”というのがわかりませんでした。
刊行の年ではないようです。
『虚無への供物』が刊行された、1964(昭和39)年12月10日は、木曜日でしたから。
ひょっとしたら、小説の中に出てくる日付けなんですかね。
残念ながら、『虚無への供物』は……。
東京から新潟に戻るとき、売ってしまってました。
わたしには、ハードルの高すぎる小説でしたし。
今、手元に残ってる中井英夫の著作は……。
小さな文庫本『銃器店へ』だけです。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2023/12/10 06:02
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今日は何の日(つづきのつづき)
中井英夫には、一時期ハマりましたね。
何といっても、文章が尋常じゃないほど上手いです。
わたしが、文章が上手いと思った作家は……。
岡本綺堂、内田百閒、そして中井英夫です。
わたしの小説でも、言い回しとか……。
中井英夫の影響を受けてるかも知れません。
しかし、生きておられれば、今年101歳ですか。
わたしも歳を取ったわけです。
あと、短家とのかかわり。
↑の説明の3人以外に、もうひとり、中井英夫が高く評価をしてた歌人がいます。
葛原妙子です。
今、ちょっと調べたら、葛原妙子の生年は、1907(明治40)年でした。
中井英夫より、15歳も歳上です。
つまり、中井が育てた歌人じゃなく……。
中井が編集者をやってたときは、すでに大歌人だったわけです。
この歌人にも、わたしは大きな影響を受けました。
↓こんな歌が好きでした。
●わがうたにわれの紋章のいまだあらずたそがれのごとくかなしみきたる
●寺院シャルトルの薔薇窓をみて死にたきはこころ虔しきためにはあらず
●黒峠とふ峠ありにし あるいは日本の地圖にはあらぬ
●水中より一尾の魚跳ね出でてたちまち水のおもて合はさりき
●うすらなる空気の中に実りゐる葡萄の重さははかりがたしも
●ヴィヴィアン・リーと鈴ふるごとき名をもてる手弱女の髪のなびくかたをしらず
●疾風はうたごゑを攫ふきれぎれに さんた、ま、りぁ、りぁ
●他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆうぐれの水
●晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の瓶の中にて