2023.11.24(金)
「ほら、回って」
わたしは妻を抱えたまま尻肉をにじり、90度回転しました。
入り口の方に、身体の側面を見せるかたちです。
理恵は、素直に風呂椅子に座ってました。
両膝を閉じ、股間に手を置いてましたので、性器は見えません。
その代わり、膨らみかけた乳房は無防備に晒してました。
わたしはチラ見した視線を、慌てて逸しました。
娘の肉色の乳首が、明らかに勃起してたんです。
性毛も生え、生理もあるわけですから……。
もう、機能的には大人の身体です。
性的に興奮すれば、そういう反応が起きる。
わかってはいますが、自分の娘にそれを見るのは、戸惑いを禁じえませんでした。
戸惑いと云うより、狼狽に近かったかも知れません。
「ほら、あなた。
動いて」
「え?」
「え、じゃないでしょ。
性教育。
大人は、こうやってセックスするってのを、見せてあげるのよ。
理恵はこうして出来たのよって」
わたしは、マットの上で尻を前後動させ始めました。
マットは滑りませんから、尻肉の弾力だけの可動域です。
「やっぱり、わたしが動くわ」
妻はわたしの首に両腕を回し、尻を振り立て始めました。
明らかに、いつも以上に激しい動きでした。
観客がいるせいでしょうか。
しかも、それは実の娘なんです。
いや、ひょっとしたら……。
娘に、女としての対抗心を感じていたのかも知れません。
娘は小さいころ、いわゆる「パパっ子」でした。
わたしのことが大好きでね。
いつもわたしに纏わりついてました。
妻は冗談めかしながらも、将来が心配というようなことを言ってました。
ひょっとしたら、その言葉には……。
女としての嫉妬心が含まれていたのかも知れません。
さすがに小学校高学年になると、娘もわたしに距離を置くようになりました。
生理も始まり、オスを避ける本能が働いたんじゃないでしょうか。
わたしは妻を抱えたまま尻肉をにじり、90度回転しました。
入り口の方に、身体の側面を見せるかたちです。
理恵は、素直に風呂椅子に座ってました。
両膝を閉じ、股間に手を置いてましたので、性器は見えません。
その代わり、膨らみかけた乳房は無防備に晒してました。
わたしはチラ見した視線を、慌てて逸しました。
娘の肉色の乳首が、明らかに勃起してたんです。
性毛も生え、生理もあるわけですから……。
もう、機能的には大人の身体です。
性的に興奮すれば、そういう反応が起きる。
わかってはいますが、自分の娘にそれを見るのは、戸惑いを禁じえませんでした。
戸惑いと云うより、狼狽に近かったかも知れません。
「ほら、あなた。
動いて」
「え?」
「え、じゃないでしょ。
性教育。
大人は、こうやってセックスするってのを、見せてあげるのよ。
理恵はこうして出来たのよって」
わたしは、マットの上で尻を前後動させ始めました。
マットは滑りませんから、尻肉の弾力だけの可動域です。
「やっぱり、わたしが動くわ」
妻はわたしの首に両腕を回し、尻を振り立て始めました。
明らかに、いつも以上に激しい動きでした。
観客がいるせいでしょうか。
しかも、それは実の娘なんです。
いや、ひょっとしたら……。
娘に、女としての対抗心を感じていたのかも知れません。
娘は小さいころ、いわゆる「パパっ子」でした。
わたしのことが大好きでね。
いつもわたしに纏わりついてました。
妻は冗談めかしながらも、将来が心配というようなことを言ってました。
ひょっとしたら、その言葉には……。
女としての嫉妬心が含まれていたのかも知れません。
さすがに小学校高学年になると、娘もわたしに距離を置くようになりました。
生理も始まり、オスを避ける本能が働いたんじゃないでしょうか。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2023/11/24 05:32
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今日は何の日
11月24日は、『思い出横丁の日』。
『新宿西口商店街振興組合/東京都新宿区西新宿』が制定。
新宿西口の『思い出横丁(https://shinjuku-omoide.com/)』では……。
1999(平成11)年11月24日に、火災が発生しました。
記念日の日付は、この火災事故が起きた日にちなみます。
この火災事故の教訓を忘れず、防災意識を高めるとともに……。
これまで支えていただいた常連のお客様への感謝と、さらに多くの人に「思い出横丁」の魅力を知ってもらうことが目的。
記念日は、2019(平成31)年、『(社)日本記念日協会(https://www.kinenbi.gr.jp/)』により認定、登録されました。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/11124a1.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、「思い出横丁について」を引用させていただきます。
「思い出横丁」とは、昭和の風情が残る飲食店などが建ち並び……。
人情と旨さと安さで人気の、新宿西口商店街の通称です。
https://zatsuneta.com/img/11124a1_01.jpg
「やきとり横丁」とも呼ばれます。
同じ新宿の「歌舞伎町」「ゴールデン街」と並んで有名です。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2023/11/24 05:33
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今日は何の日(つづき)
引用を続けます。
「思い出横丁」は、空襲の跡がまだ生々しい……。
1946(昭和21)年ころにできた闇市にそのルーツを持ちます。
かつては、新宿駅西口の小田急百貨店(新宿店)まで広がり……。
約300軒もの店舗が建ち並んでました。
交通の要所であり、人や物資の流通するターミナル機能を持つ新宿に……。
多くの人々が集まってきたのです。
その当時から盛況で、数多くあった「やきとり屋」や「もつ焼き屋」が……。
現在も、その名残を留めてます。
https://zatsuneta.com/img/11124a1_02.jpg
また当時は、露店商のマーケットが、戸板一枚で区切って建ち並んでました。
現在もその名残から……。
多くの店舗が、隣の店舗と壁がくっついた造りになってます。
以上、引用終わり。
新宿のディープっぽい横丁(小路)に入ったのは、1度だけあります。
でも、「思い出横丁」だったかは、定かでありません。
西口じゃなかった気がするんですよね。
「ハモニカ横丁」かなと思ったら、こちらは吉祥寺でした。
だだし、新宿二丁目でないことは明記しておきます。
もちろん、ひとりで行ったわけではありません。
友達と2人です。
夜は怖いので、行ったのは朝でした。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2023/11/24 05:33
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今日は何の日(つづきのつづき)
その小路で、朝食を食べました。
狭いお店のカウンターでした。
ていうか、カウンターしかないお店です。
朝からお酒を飲んでる人はいませんでした。
おそらく、朝はお酒を出さなかったんじゃないでしょうか。
メニューがあるわけではなかったと思います。
全員に、同じ「朝食」が出されてたんじゃないかな。
でも、お肉でしたよ。
薄い波打ったお肉でしたけど。
ソテーしてありました。
普通に美味しかったと思います。
そのときはまだ学生でしたが……。
その後、一時期、新宿の会社に勤めました。
新宿駅南口からほど近い場所に会社がありました。
当時は、バスタ新宿がなかったころ。
南口を出たところが新宿陸橋で……。
横断歩道を渡ると、下を通るたくさんの線路が見えました。
会社の飲み会は、当然、新宿でした。
歌舞伎町だったのかな?
大勢で行くことが多かったので……。
ディープなお店ではなく、大きな居酒屋でした。
焼きホッケがデカかったです。
チンゲンサイを炒めた料理が美味しくて、おかわりしてましたね。
けっこう、芸能人とかも来るお店だったようです。
1度、女優さんを見かけました。
誰だったか忘れてしまいましたが。
でも、彼女に注目するお客もおらず……。
彼女も、客のひとりとして解けこんでました。
ああいう雰囲気が、いわゆる「新宿」だったんでしょうね。
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4. 手羽崎 鶏造- 2023/11/24 10:55
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新宿西口・思い出横丁は
JRor丸の内線方面から行くと、
その入り口に、チケットショップが
並んでいて激戦なんです。
よく、ここで比べて、安価なものを手に
入れました。
思い出横丁自体では、全席椅子の有る
「立ち食い」蕎麦や風の、かめやさんが
お気に入りです。揚げたての白い色
(衣に卵が入ってないから)の
かき揚げ天ぷらそばが安価で
いただけます。
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5. 手羽崎 鶏造- 2023/11/24 10:58
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<本篇より>
「観客がいるせいでしょうか。」
↓
はい それはゼッタイ その方が
昂奮は高まると思いますよ。
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6. Mikiko- 2023/11/24 13:47
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南口の……
新宿陸橋下は、終戦後の雰囲気を残してました。
今は、どうなってるんでしょうね?
観客がいるせいの件。
宿の仲居さんのバイトで……。
カップルがナニしてるところを、脇から見てるという役があったそうです。
今なら、ピンクコンパニオンに頼めば出来るかも?
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7. 手羽崎 鶏造- 2023/11/25 13:07
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新宿陸橋下は、ひととき、ホームレスの
人の「寝ぐら」になっていたようですが
そうした人は、五輪前に「排除」されています。
壁を塗り替えたりしているようですが、
昭和の匂いが微かに残る場所には
代わりないように思います。