2023.11.23(木)
この『単独旅行記Ⅶ・総集編(7)』は、『単独旅行記Ⅶ(061)』から『単独旅行記Ⅶ(070)』までの連載を、1本にまとめたものです。
み「精米所か。
水力ってことは、水車だよね?」
ハ「せやろな」
み「最近、玄米を白米に半分くらい混ぜて食べてるんだけどさ。
玄米を買おうとして、一番驚いたのが……。
精米されたお米より高かったこと。
精米する前の状態で売るんだから……。
普通、安いはずだって思うよね」
ハ「そらそやな」
み「でも、玄米のほうが高かった。
で、調べたらさ、玄米って云っても……。
精米する前の段階のお米を、そのまま売ってるわけじゃないんだって」
ハ「どないなわけや?」
み「ゴミや小石は、取り除かなきゃならないでしょ。
それ以前に、籾殻も剥かなきゃならない。
これらのことを、胚芽を傷つけないように行うのが……。
そうとうに難しいらしいのよ。
最後に精米するんなら……。
それまでの工程で、胚芽が取れちゃったっていいわけだ。
だから、籾殻や小石を除く工程を、結構荒っぽく出来るんじゃないの?」
ハ「それやったら、籾殻のついた米を買ってきて……。
自分で剥いたらどないや?」
み「そんな面倒なことがでけるか!」
み「やっぱり水車だ。
しかし、こういう装置って、やっぱ怖いよね」
ハ「何がや?」
み「着物の裾とかがさ……。
あの歯車に巻きこまれたらと思うとさ」
ハ「非常停止の仕組みはないんか?」
み「あったとしても、1人で作業してたら操作できないでしょ。
おそらく、無いと思うよ。
非常停止なんかさせたら……。
水車に、もの凄い負荷がかかるわけでしょ。
人足の命を助けるためなら……。
水車が壊れてもいいって発想は、ぜったいに無かったと思う」
ハ「ミンチにされるしかなかったってことやな」
み「そういうことを言うな!
ふんとにもう。
横溝正史の映画だかドラマだかを思い出してしまったではないか。
確か、時計塔の巨大な歯車に人が巻きこまれて……。
バラバラになるシーンがあったんじゃないかな(市川崑監督による映画作品『女王蜂』だったようです)」
み「ぜーたい近づけないね。
おそらく、ここで作業する人は……。
全裸だったんじゃないの?」
ハ「何でやねん!」
み「着物着てたら、巻きこまれやすいでしょ。
その点、裸ならだいぶ違うよ。
もっとも男性には……。
1箇所、巻きこまれやすい部位があるけど」
ハ「なしてそう、発想が下品なんや」
み「職業病」
み「でも、これで精米出来るんなら……。
精米料がかからないってことだよね。
画期的な仕組みなんじゃないの。
やっぱりさ、精米って、けっこう荒っぽく出来るわけだ。
玄米を、胚芽を傷つけないように取り扱う方が……。
よっぽど大変ってのがわかるよ」
ハ「歯車は、ちゃんと木枠に囲われとるやないか。
枠の外で作業しとる限り……。
巻きこまれるってことはないやろ」
み「それは、通常運転のときでしょ。
ぜったい、調子が悪くなったりすることがあるはず」
ハ「調整や修理が必要になるっちゅうことやな。
せやけど、そないなときには……。
水を止めてやる手順になってるんやないか?」
み「建前上はね。
でも往々にして、そういう決まりは守られない」
ハ「ミンチになった人足もおるっちゅうことやな」
み「その例えはやめい!」
み「お、いきなり綾瀬はるか。
やっぱり綺麗だよね。
精米所で働いてたのかな?」
ハ「そないなわけあるかい!」
み「冗談に決まってるでしょ」
ハ「ここで、カレンダーの写真が撮られたみたいやな」
み「さらに順路は続く」
み「ボダイジュ?
これって、暖地の木じゃないの?」
ハ「何やそれ?
住宅団地に植わっとる木ちゅうことか?」
み「そんなわけないだろ!
暖かい土地の暖地!
菩提樹って、インドの木でしょ?
ちょっと調べて」
ハ「またかいな。
なになに。
インドに生えとるのは、インドボダイジュゆうて……。
イチジクの仲間やて。
それがいわゆる、仏教の菩提樹やな。
しかし、カタカナで書かれとる“ホダイジュ”は……。
シナノキの仲間みたいや。
落葉広葉樹やな。
中国から日本に渡来したとある。
中国やと、インドボダイジュは気候的に育たんかった。
せやから、葉っぱの似とるこの木が……。
ボダイジュっちゅうことになったらしいわ」
み「それはいいけど……。
なんでここにボダイジュなわけ?」
ハ「そりゃ決まっとるがな。
戊辰戦争で犠牲になった人の……。
菩提を弔うためやろ」
み「なるほど!
タマには良いこと言う」
ハ「いっつも言うとるわい!」
み「木漏れ日の菩提樹……。
いい季節だね。
やっぱり、命あっての物種だよ」
ハ「死んで花実が咲くものか、やな」
み「そうそう」
み「お。
鶴ヶ城が見えるらしいぞ。
ここからだと、飯盛山よりは近いのかな?」
ハ「ま、行ってみよやないけ」
み「葉が茂りすぎて見えんではないか」
ハ「例によって、方角が違ごてるんやないか?」
み「何が例によってなんだ!」
み「あ、見えた」
ハ「ほー。
方角は合っとったらしいな」
↓実は、最初の写真にも、ごく小さく写ってました。
み「この順路、覚えられる?」
ハ「覚えんかて、順番の立て札が立ってんにゃろ」
み「なら、何でわざわざ、こんな看板を立ててるわけ?」
ハ「知らんがな。
覚えんでも、この看板、カメラで撮っとったらええだけやないか」
み「あ、そうか。
うーむ。
まだ、デジカメ時代に慣れないみたいだな」
ハ「いつの時代や!
今はスマホの時代やろ。
デジカメ持っとる方が珍しいわ」
み「スマホは、掴みにくいのよ。
薄くて。
ぜったい落っことす自信がある」
ハ「難儀なやっちゃ」
ハ「長い文は読まんのやろ?」
み「斜めに読む。
しかしさ、そもそも……。
『陣屋』ってのが何たるかが書いてないじゃん。
森田検索!」
ハ「いつか言うと思とったわ。
Wiki引いたったから、読むで。
+++
陣屋は、江戸時代の幕藩体制における大名領(藩)の藩庁が置かれた屋敷、もしくは徳川幕府直轄領の遠国奉行や代官の住居および役所が置かれた建物(代官所)、また江戸定府の旗本が知行地を支配するための屋敷である。
+++
というこっちゃ」
み「早い話……。
市の出張所みたいなもの?」
ハ「市っちゅうより、例えるとしたら県やろ」
み「なら、地域振興局?」
ハ「それやと、多すぎるんちゃうか。
一番近いのは、支庁やろ?
東京都やと、確か離島に支庁が置かれとるわな」
み「ふーん。
ま、いいや」
ハ「いいんかい!」
み「相変わらず、殺風景な入り口だな」
ハ「簡素と言うべきやないか」
み「掃除はしやすそうだけど」
み「“のっこみ”?
これって、釣り用語じゃないの?
叔父に聞いたことがある。
確か、春の繁殖期のことじゃなかったかな。
ちょっと、島木検索(正しくは“健作”)」
ハ「誰やそれ?」
み「小説家だよ、昭和初期の。
読んだことないけど」
ハ「素直に聞いたれや。
えーっと。
Wikiには乗っとらんな。
はは。
本田技研のページにあったで(こちら)。
+++
「乗っ込み」とは、産卵を意識した魚たちが、それまでいた深い場所から、水深の浅い場所に移動してくることを指します。
たとえばコイなら、冬は川や湖の中でも深さのある場所でじっとしていますが、春の産卵期が近づくと、アシなどの水生植物が生えている浅い水路やワンドにやって来ます。
+++
というこっちゃ」
み「わたしの記憶、完全に合ってるじゃん。
てことは、春になると……。
この玄関に、魚が上がって来るってことか?」
ハ「何でやねん!」
み「あ。
ここにちゃんと説明書きがあった。
最初の一文、さっきの説明看板の冒頭に入れればいいのに」
ハ「そしたら、わしがこき使われんで済んだわな」
み「あれ、なんて書いてあるの?」
ハ「“入室はご遠慮願います”や」
み「その奥!」
ハ「ははは。
『中之口』やて。
『家族や家臣たちの出入口』とあるな」
み「てことは、……。
この陣屋も、公私両用だったってことか。
そもそも、陣屋の長って、なんて呼ばれてたのかな?
陣長なんて聞いたことないし……。
陣主も聞かないわな。
陣五郎?」
ハ「なんでやねん!」
み「ぼーっとしてないで調べて」
ハ「ええかげん怒るで。
ほんまにもう。
えーっとやな。
Wikiの『旧中畑陣屋』の説明文や(出典)。
+++
中畑村(現・西白河郡矢吹町中畑)にあった江戸時代の代官所を移築復元したもの。
寄棟造で玄関に唐破風があり、内部は武家屋敷風でありながら、茅葺屋根や土間などに庶民の住宅に使われる手法が使われている。
天保8年(1837年)に5,000石の旗本の松平軍次郎の代官所として建築され、明治維新後は住宅として使われていた。
+++
とある」
み「代官所?
ってことは、天領だったってこと?」
ハ「よう聞いたれや。
旗本の代官所て書いたあるがな。
旗本領や」
み「ふーん。
でも代官所なら……。
その長の呼び方は、“お代官様”に決まってるじゃんね。
だけどさ。
それなら何で、『陣屋』なんて云ったんだろ?
普通に『代官所』でいいじゃないの」
ハ「Wikiのページ(こちら)を見ると……。
こうした役所の呼び方は、『陣屋』と『代官所』が半々やな。
ここが、陣屋て呼ばれとったのは……。
幕府の直轄地やのうて、旗本の知行地やったからやないか?」
み「よし、次、行くぞ」
ハ「話を聞け!」
み「お、『石風呂』だって。
説明書き、読んで」
ハ「長い文章は飛ばすんやないんか?」
み「水回りには興味がある」
ハ「勝手なやっちゃ。
『昔の一般家庭で広く使われていた据え風呂である。
図のように浴槽内部を通る煙突の熱を利用し、湯を沸かした。
焚き口には、杉の皮などで密閉する工夫が施されていた』」
み「お釜が載ってるけど、熱源は竈と共用ってこと?」
ハ「そうなんちゃうか」
み「煮炊きしてる隣で、お風呂に入ってたの?」
ハ「そりゃ、時間ずらしてやろ」
み「どっちも、火が燃えてるときに使うものじゃない?」
ハ「順番でもええんちゃうか。
まず、煮炊きが先や。
飯炊いたり、汁こさえたりしとるうちに……。
風呂の湯も沸くがな。
そしたら、出来た飯と汁は……。
配膳する台所に運ぶわけや。
そんで、男衆に声をかける。
“お風呂、使こてください”ちゅうてな。
で、炊事場から風呂場に早変わりてなわけや」
み「ちと疑問」
ハ「なにがや?」
み「大人数分の釜と鍋って、重たいよね」
ハ「そらそやろ」
み「それを、わざわざ運ぶの?
ここで盛り付けしたほうが、ずっと効率的でしょ。
そもそも女性じゃ、大釜なんて持てないんじゃないの?」
ハ「運ぶまでが、男衆の役目やな」
み「ふーん。
嘘くさいけど、ま、いいや」
ハ「どこが嘘や!
順当な推測やろ」
み「で、男衆が風呂をあがると……。
ご飯の用意が出来てるってこと?」
ハ「せやな」
み「女衆は、その給仕をして、終わったら洗い物。
お風呂はその後だろ。
冷めてるじゃん!」
ハ「せやから、石造りなんやろ。
日付けが変わるくらいまでは、十分温いんちゃうか」
み「ほんまか?」
ハ「知らんけど」
み「『表座敷』。
しかしまぁ、殺風景だね。
もうちょっと、当時の使われ方がわかるようにできないものかね」
ハ「わしに言われてもな」
み「『奥座敷』。
前に同じ」
み「この建物は移築なんだから……。
あの石垣は、当時のものじゃないよね。
まさか、石垣ごと移築したわけじゃないでしょ」
ハ「そりゃそやな」
み「しかし、スゴい笹だね。
クマザサか。
笹をうっかり庭に植えると、大変なことになる。
地下茎で伸びてくから」
ハ「この笹、熊が食うんか?」
み「食うかい!
パンダじゃあるまいし。
クマは、動物の熊じゃなくて……。
隈取りのクマ。
ほら、白い隈取りのある葉があるでしょ」
ハ「無い方が多いで。
何でや?」
み「知らん。
調べて」
ハ「やっぱ、こっちに来るんやな。
Wikiさまに聞いたるか(出典。
+++
葉に白い隈取りがあることが名前の由来で、漢字で「隈笹」と書かれる。
標準和名をクマザサとよぶ植物は、高さが1~2メートルになる大型のササで、葉は長さが20cmを越え、幅は4~5cm。
特徴になっている葉の白い隈取りは若葉にはなく、葉が越冬するときに縁が枯れて隈取りになる。
+++
やて」
み「うーむ。
勉強になるなぁ、『Mikiko's Room』」
ハ「誰のおかげや」
み「ここにも石垣がある」
ハ「よう崩れんかったもんやな」
み「これ、そんなに昔のじゃないよ。
練積みでしょ」
ハ「何やそれ?」
み「わからないことがあったら……。
即、森田検索!」
ハ「わかっとんなら、教えたれや。
ほんまにもう。
↓すっかり、Wiki様とお友達やわ(出典)。
+++
戦国時代以降の石垣は、主に「空積み(からづみ)」という技法が用いられる。
対して、粘土やモルタルなどを練りこんで石同士を接着する積み方を「練積み(ねりづみ)」という。
練積みはコンクリートやモルタルを接着材として石垣施工に用いられている近代工法での例が多い。
城郭で用いられた例は少なく、鎌刃城(滋賀県)などに見られる。
また加藤清正が手がけた慶長15年(1610年)の名古屋城天守石垣は裏込めに三和土を用いた一種の練積みである。
+++
やて」
み「これ、絶対モルタルが入ってるよね。
そうじゃなきゃ、こんな丸っこい石……。
空積みで積めるわけないじゃん。
それに、下の土台みたいなのって……。
基礎コンでしょ」
ハ「何やそれ?」
み「基礎コンクリートのこと。
基礎コン打たないと……。
石垣が、沈んだり歪んだりするわけよ」
ハ「エラい詳しいやないか?」
み「叔父が造園会社に勤めてたからね。
酔っ払うと、語る語る」
ハ「なんや、耳学問かいな」
ハ「これは読めるやろ。
長いから読まんか?」
み「すでに読んだわい。
しかし、千利休の子が会津に来てるのか。
会津って、スゴいね。
近藤勇も来てたし」
ハ「近藤勇が来たんは、遺髪だけやろ」
み「あ、来たのは土方歳三だったな。
蒲生氏郷って、いつごろの領主?」
ハ「例によって、Wiki様や(出典)。
+++
蒲生氏郷(がもううじさと/1556~1595)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主。
蒲生賢秀の三男(嫡男)。
初名は賦秀(やすひで)または教秀(のりひで)。
キリシタン大名であり、洗礼名はレオン。
子に蒲生秀行。
織田信長に人質ながらも寵愛され、信長の娘である冬姫を娶る。
信長死後には各地で功績を挙げ、秀吉からも重用された。
最終的には会津藩92万石となり黒川城を与えられ、改築して若松城と名を改め、会津藩の基盤を築いた。
また、千利休の弟子であり、利休七哲にも数えられる一流の茶人でもあった。
+++
や」
み「どひゃー。
会津藩って、92万石もあったの!」
ハ「大藩やな。
ここに千利休の子が来てたのも……。
氏郷が、千利休の弟子やったからやな」
み「しかも、キリシタン大名だって。
なんかスゴいね」
ハ「しかし、40年生きられなかったんやな」
み「戦死?」
ハ「いや。
病死や。
死因は、直腸癌か肝臓癌やったて。
キリストの像を見つめながら死んだそうや」
み「天国に行けると信じてたのかね?」
ハ「宗教ちゅうのは、そういうもんやろ」
み「『相伴席』。
『客が大勢の場合に使われる』か。
お茶会みたいなときかな」
ハ「せやろな」
み「しかし……。
殺風景な部屋じゃ」
ハ「それが、侘び寂びやろ」
み「『躙(にじ)り口』。
『客の出入口』。
入り口が低いのは……。
どんなに偉い人でも、頭を下げないと入れないからなんでしょ?」
ハ「小さい室内を大きくみせるためという説もあるようやで」
み「それはないでしょ。
茶室を作るような人なら、懐には余裕があるはず。
大きい部屋を作ればいいだけじゃん。
しかし、ここを通れない人はどうするんだろ?
相撲取りとか」
ハ「入らんかったらええだけやろ」
み「嵌った人って、いないのかな?
枠ごと外れて、腰に嵌ったままだったり」
ハ「コントやがな」
み「屋根に木が生えてる。
放っておくと……。
こういうのがびっしりになっちゃうんだろうね。
管理が大変だわ。
こんな斜面、簡単に上がれないでしょ。
あ、いいこと思いついた」
ハ「いいことやない気がする」
み「なんでじゃ!
ヤギを屋根に上げとけばいいじゃん。
屋根に生える雑草、食べてくれるよ」
ハ「転げ落ちるやろ!」
み「ヤギって、崖が得意なんじゃないの」
ハ「それは、岩場やからや。
こんなとこ、絶対に滑るわ」
み「安全帯が要るな」
ハ「それ以前の問題や」
み「『只今休場中』か。
野点の会場なんだろね」
ハ「違ごとると思うで」
み「なんでじゃ!」
ハ「向こうに見えてるのは、矢場の的やろ」
み「じゃ、こっから弓を射るってこと?
近すぎじゃない」
ハ「せやから、弓を体験する施設やがな」
み「ふーん。
やってみたかったな」
ハ「弓、射ったことあるんか?」
み「あるわけないでしょ。
でも、ひょっとしたら……。
弓の天才だったかも知れないじゃん」
ハ「100%あり得んわ」
み「断言すな!」
み「ここ、写真撮っていいのかな?」
何の施設か忘れました。
この写真1枚しかないので……。
たぶん、撮影禁止だったんだと思います。
み「お、誰の像だ?」
ハ「鑑真やて」
み「今度は鑑真か。
何やかやと、いろんな人と関係のある土地だね。
しかし、日中の国民には……。
命がけで両国の架け橋になろうとした、この人を……。
もう一度思い出してもらいたいもんだね」
ハ「たまにはええこと言うやないか」
み「いつも言ってるわい!」
み「『手づくり体験館』か」
ハ「体験したらどないや」
み「こういうのは、上手く出来る気がしない」
ハ「そんなら、弓はもっとやろ」
み「やかまし!」
み「木漏れ日の道だ。
いいねぇ」
ハ「今の季節が最高やな」
み「あ。
冬のこの道を想像したら……。
思いっきり気が滅入った」
ハ「いいときを楽しめばええやないか。
ネガティブなやっちゃで」
み「『天ぷらまんじゅう』だって」
ハ「どうせ、昼飯、食わんのやろ。
食うてみたらどうや」
み「思いっきり胃もたれしそうだわ。
しかし、何でまんじゅうを天ぷらにしようと思いついたのかね」
ハ「兵糧やないんか。
1個食うたら、そうとうに腹が保つやろ」
み「なるほど。
それはあるかも」
ハ「食うてみい」
み「遠慮する。
兵隊じゃないんで」
み「神社があった。
『会津天満宮』か」
ハ「風情ありげなお社やないけ。
こりゃ、参らにゃあかんで」
み「この階段、誰が登ると思ってんだ」
ハ「そりゃ、あんたしかおらんわな」
み「武家屋敷を歩き回って……。
すでに体力を、50%消耗している」
ハ「もうかいな!
情けないやっちゃで」
み「そんなら、おまえが登れ!」
ハ「無茶言うわな」
み「とにかく、ここはパス」
み「うーむ。
やっぱり下りはいいわい」
ハ「そんなこと言うとると……。
これからの人生、下りっぱなしになるで」
み「下るのは、腹で慣れてる」
ハ「汚い例え、すなや」
み「売店みたいだな。
ちょっと寄っぺい」
ハ「何語や」
今、これを書いてる時点で……。
この旅行に行ってから、すでに1年4ヶ月が経過してます。
なので、どんな売店だったのか、さっぱり覚えてないんです。
たぶん、何も買わなかったと思います。
しかし……。
いつの間に、武家屋敷を出たんでしょう?
↓はおそらく、売店の中を突っ切って出てからの写真でしょう。
み「大風でも吹いたのかね?
テーブルがみんな倒れとる」
ハ「アホか!
テラス席はやってまへんちゅうこっちゃろ」
み「なんで?」
ハ「なんでて、コロナやからやろ」
み「そんなら、屋外の方が安全じゃん。
むしろ、テラス席だけにすべきだよ」
ハ「わしに言うたりなや」
み「しかし、ほんとにいいお天気だね。
絶好のサイクリング日和だ。
♪み~ど~り~の風も、さぁわぁやぁかぁに~」
↑『青春サイクリング/歌:小坂一也:1957年(昭和32)年』。
ハ「音、外れるたびに、転けそうなるわ」
今度は、どこ行くんや?」
み「風の吹くまま気の向くまま」
ハ「止めてくれや。
どこぞ行くかわからんわ」
み「すげー、三角の家があった。
建ぺい率、大丈夫なのかね?」
ハ「大丈夫やないやろ。
それよか、ここ左でええんか?」
み「たぶんな」
ハ「頼むで」
み「ほーら。
なんとなく風情ありそげなとこに出たぞ」
ハ「せやから、どこなんや?」
み「見なさい。
ドンピシャで着いた」
ハ「『国指定名勝 会津松平氏庭園』。
肝心のその後が、衝立てで読めんやないけ」
み「ほら、ここにも看板がある」
ハ「『御薬園(おやくえん)』かいな」
み「あの門に書いてあるとおり……。
江戸時代の薬用植物園ってことだね」
ハ「気いつけや。
『足元にご注意!!』やで」
み「バリアフリーでないことは確かだな」
み「庭園と薬草園に分かれてるみたいだね」
ハ「どっちから見るんや?」
み「まずは、庭園だな」
ハ「その心は?」
み「風の吹くまま気の向くまま」
ハ「それは止めてくれちゅうとるやろ」
み「お、さっそくコデマリがあった。
前に武家屋敷に来たとき……。
オオデマリが咲いてた記憶があるんだ。
でも、さっき歩いた限り、どこにも見なかった。
ひょっとしたら、ここのコデマリが……。
武家屋敷のオオデマリの記憶に置き換わったのかな?」
ハ「知らんがな。
場所も花も違とるやないけ。
大した記憶力や」
み「あ、説明板があった。
へー。
1432年に建てられた別荘が始まりか。
1432年って、何時代?」
ハ「日本史、得意やったんやないんか?」
み「それは高校時代の話。
あれから何年経ってると思うんだ」
ハ「50年か?」
み「殺すぞ。
早く調べい!」
ハ「へいへい。
えーっとやな。
室町時代に入って、100年くらい経ったころや」
み「室町時代って、何年から何年?」
ハ「1336年から1573年やて」
み「げ。
マジ?
240年近いじゃん。
江戸時代とほとんど変わんないよ。
そんなに長かったんだ」
ハ「将軍の数は、15人ずつで一緒やからな。
1432年は……。
6代将軍、足利義教の治世や。
お。
江戸幕府の将軍と、共通点があったで」
み「どんな?」
ハ「15代将軍が、一番長生きしとる」
み「江戸幕府は、徳川慶喜だよね」
ハ「満で76まで生きとるわ。
亡くなったんは大正時代や」
み「室町幕府は?」
ハ「15代将軍は、足利義昭。
享年、満で59。
あと2ヶ月生きれば還暦やったな」
み「それで、一番長命なの?」
ハ「せやな。
次が、10代将軍・足利義稙(よしたね)の満56歳や。
15人中、満年齢で50年以上生きたんは、4人しかおらん」
み「まさに、人生50年だったんだね。
でも、15代将軍って、殺されなかったの?」
ハ「晩年は、秀吉から厚遇されたそうや。
なにしろ、前将軍やからな。
徳川、毛利、上杉やらの大大名よりも……。
上位の席次を与えられとったと。
秀吉のいい話し相手やったて」
み「秀吉といくつ違い?」
ハ「えーっと。
はは。
こりゃ驚いた。
同い年や。
秀吉の方が、9ヶ月先の生まれやな」
み「へー。
それで話が合ったのかもね。
おんなじアニメ見てたとか」
ハ「見てるかい!」
み「おー。
まさしく日本庭園だ」
ハ「綺麗やな」
み「ま、それは確かだけど……。
常緑樹ばっかりだ。
いっつもおんなじ景色じゃん」
ハ「冬は、雪景色やろ」
み「それはそうだろうけど……。
わたしはやっぱり、落葉樹が好きだね。
雑木林みたいな。
しかしここ、冬は雪吊りをするんだろうね」
ハ「会津の雪やったら、せんわけにはいかんやろな」
み「いくらくらいかかるんだろ?」
ハ「建設課に聞きにいくか?」
み「あ、そうだ。
そもそも、ここの持ち主ってどこよ?
まさか個人じゃないよね。
そしたら、会津若松市?
それとも、福島県?
国営ってことはないでしょ」
ハ「Wikiによると(出典)……。
“平成3(1991)年3月、会津松平家から会津若松市が譲り受けた”とある」
み「じゃ、それまで個人の所有だったわけ?
公開もされてなかったの?」
ハ「一般公開が始まったんは、1953(昭和28)年10月11日からやて」
み「会津松平家って、今もここにあるの?」
ハ「戊辰戦争後、東京に移ったようやな。
お。
『福島民報』に、おもろい記事があったで。
『戊辰以来、松平家が会津に帰る 15代の親保さん(24)会津若松市のITコンサル会社で勤務』やて」
み「どんな記事よ?」
ハ「読むで。
+++
会津松平家が戊辰戦争以来、会津若松市に“帰還”した。
会津松平家15代の松平親保(ちかもり)さん(24)はコンサルティング大手アクセンチュアに今春入社し、市内の拠点で働いている。
IT技術を用いたまちづくり「スマートシティ構想」の実現が目標だ。
会津藩祖の保科正之から幕末の松平容保まで、代々の藩主が治めた縁深い城下町で「市民の皆さんがより誇りを持てる地域にしたい」と地域貢献を誓っている。
+++
やて」
み「へー。
しかし、けっこうなプレッシャーなんじゃないの?
簡単に辞められないよ」
ハ「覚悟があったんやろ」
み「しかし、お年寄りなんか……。
いきなり土下座したりするんじゃないの?」
ハ「あるかもな」
み「頑張ってもらいたいね。
将来はぜひ、会津若松市長になってほしいもんだよ」
み「やっぱり、水があるといいよね。
ボウフラが湧きそうだけど」
ハ「メダカでも飼うたらどうや」
み「大名庭園でメダカ?
もっとほかに方法ないの?
ちょっと調べて」
ハ「今度はボウフラ対策かいな。
人使いの荒いやっちゃで。
お、あったあった。
10円玉やて」
み「なんじゃそれ?」
ハ「10円玉やら銅板を、水ん中入れたら……。
銅イオンが発生するんやて。
銅イオンにはな、菌なんかを抑制する作用があるとされとって……。
これが、ボウフラの発生を抑えるちゅうことらしいな」
み「ボウフラは、菌じゃないだろ」
ハ「“菌など”やがな」
み「どれくらい入れるの?」
ハ「1リットルの水につき、10円玉20枚とあるな」
み「パカモン。
この池、何リットルあると思ってんだ。
直径10メートルの円だとして……。
面積は、5メートル×5メートル×3.14。
計算して」
ハ「78.5㎡やな」
み「深さが平均30㎝として、容積は?」
ハ「23.6m3やな」
み「1m3が1000リットルだよね」
ハ「せやな」
み「23.6m3は、何リットル?」
ハ「23,600リットルや」
み「10円玉は、何個必要?」
ハ「1リットルの水につき、20枚やから……。
47万2千枚やな。
み「金額にすると?」
ハ「小学生の問題やで。
472万円」
み「そんな予算、どっから出ると思うの?
たかがボウフラ対策で。
両替手数料も莫大だぞ。
問題にならん。
却下」
ハ「わしの意見やないがな。
ネットに載ってたん言うただけや」
み「次、行くぞ。
なんか、蚊が湧き出て来そうな気がしてきた」
み「五葉松か?」
ハ「ええ形にしつらえてあるやないか」
み「どーも、こういう樹形は好かん」
ハ「そしたら、どういうのがええんや?」
み「もちろん、自然樹形。
新潟の海岸線には、砂防林として黒松が植えられてる。
冬、猛烈な季節風を受けるからね。
幹は斜めって、風を受ける方の枝がなくなってたりする。
そういう自然樹形に勝るものはないんじゃない?」
ハ「わしはどっちゃでもええけどな」
み「感性のないやつ!」
み「タムシバ?
こんな樹名、初めて聞いた。
由来はなんだろ?
まさか、インキンタムシのタムシじゃないよね。
即、検索!」
ハ「例によって、Wikiさまからやな(出典)。
読むで。
+++
和名「タムシバ」の由来は2説あり、葉にタムシ状の斑点ができるためという説、あるいは、葉を噛むと独特の甘味があるため「カムシバ(噛む柴)」の名がつき、これが転じて「タムシバ」となったともされる。
+++
やて」
み「なんと、ほんとにインキンタムシが由来だった。
ぜったいこっちだよ」
み「しかし、何の変哲もない木だよね。
何か、効能があるのかな?」
ハ「Wikiさまの続き、読むで。
+++
シモクレンやコブシ、タムシバなどモクレン類のつぼみ(花芽)を風乾したものは「辛夷(しんい)」とよばれ、鼻炎や頭痛、熱、咳などに対する生薬とされることがある。またタムシバは強い香りをもつため、抽出された精油成分が「ニオイコブシ」の名でアロマオイルとして流通している。
+++
やて」
み「やっぱり生薬に使われるんだね」
み「出た、ブナ。
しかし会津は、平地でブナが育つんだね。
新潟市内じゃ、見たことないよ」
ハ「ブナの実が不作やと、熊が里に下りて来るらしいな」
み「なんで不作になるの?」
ハ「えーっとな。
どうやら、気まぐれみたいやで。
そもそも、不作なんがあたり前やて。
豊作になるんは、5年から10年に1度やて」
み「ほとんど毎年不作なんじゃない。
そんなら熊は、毎年下りてくるだろ」
ハ「ふーむ。
熊の出没とブナの豊不作には……。
必ずしも相関がないっちゅう説もあるそうや」
み「さっき言ってたことと違うだろ。
どう責任取るんだ?」
ハ「何で、わしが責任取らなあかんねん。
熊も気まぐれちゅうことやがな」
み「立派な大木だわ。
森の中では、広がった樹冠が……。
地面の高温化を防ぐわけだ」
ハ「猛暑の影響を受けにくいってことやな」
み「そうそう。
道路の街路樹なんて、気の毒だよ。
カンカン照りに晒されて。
新潟では一時期、ハナミズキを街路樹に植えるのが流行ったんだけどね……。
ほとんど、まともに育たなかった。
年々、小さくなってく感じ。
今は、まったく植えられなくなったね」
ハ「猛暑のせいか?」
み「猛暑っていうより……。
普通に、カンカン照りに弱いわけよ。
ハナミズキは、ヤマボウシの仲間だからね。
山の中に生えてる木の性質なんだよ。
モミジなんかと一緒。
モミジを道路に植えて、育つと思う?」
ハ「ダメやろな」
み「あと、ナナカマドを街路樹にしてたバカな設計もあったね。
もちろん、全滅。
ナナカマドを街路樹に出来るのは……。
北海道くらいだよ」
み「バカに古そうな灯籠だな。
札になんて書いてあんの?」
ハ「三層塔やて」
み「3つの層の塔?
そのまんまじゃん。
でも、この丸み、すり減ったんじゃないよね?
最初から、こういう形の石を重ねたんでしょ?
いつごろ作られたものなの?」
ハ「園内の案内板には……。
“伝鎌倉初期”と書かれとるみたいやな。
福島県の重要文化財やて」
み「鎌倉時代じゃ、国の重文にはならないわな」
み「お、なんか書いてある。
ほー、ビュースポットか」
み「これだな」
ハ「確かに、絵みたいな景色やな」
み「自然そのものの景色じゃなくて……。
ああいう建物があるってのが、むしろいい感じに見せてるよね」
み「モミジが生えてる」
ハ「隣の幹から出てるんやないか?」
み「こんな低いとこから、ひこばえは出さないよ」
ハ「なんでや。
街路樹とかやと……。
地際から、よう枝、出しとるやないけ」
み「あれは、地際に陽があたるから。
同じ陽があたるところなら……。
木のてっぺんより、根に近いとこの方が効率的でしょ。
逆に、森や林だと、地際に陽はあたらない。
そんなところから枝を出しても、意味ないわけ。
だから、この小さなモミジは、実生が育ったものだよ」
ハ「陽があたらんやないけ」
み「ま、このまま成長できるかどうかは……。
まさに運命次第だね。
近くの大木が倒れて……。
樹冠がぱかっと開くこともあるからね」
み「タケノコだ!」
ハ「けっこう立派やで」
み「周りに竹がないけど……。
伐採されたのかな。
しかし、タケノコ……。
長らく食べてないな。
お味噌汁のタケノコ、大好物なんだよね」
ハ「タケノコなら、スーパーで売っとるやろ」
み「売っとる。
でも、料理が面倒じゃない。
アク抜きとかするんでしょ」
ハ「すればいいがな」
み「簡単に言うな!
仕事とこのブログで手一杯なの。
でも、仕事を退職したら、ぜったいチャレンジする。
あと、梅干し作りも。
しかしねー。
この物価高が続くと、年金だけじゃ食べていけないかも。
新聞配達でもするかな。
朝、早いのだけは得意だから。
でもやっぱ、新潟は怖いよ」
ハ「何がや?」
み「冬さ。
雪道。
バイクなんて走れないよ。
どうやって配達してるんだろ?」
ハ「そりゃ、歩いてやないんか?」
み「アホタレ。
新潟は、東京みたいに家が密集してないから……。
配達エリアが広いのよ。
歩いて回ってたら、何時間かかると思ってるんだ。
新聞が届かないって苦情も来るだろうし。
12月から2月まで休みにしてもらえないかな?」
ハ「条件次第やな」
み「どんな?」
ハ「あんたの代わりに……。
12月から2月までだけ、配達する人間を見つけて来ることや」
み「そんなバカがいるか!」
み「げ。
いっぱい出てる。
でも、妙な光景だよね」
ハ「何がや?」
み「周りに竹がないじゃない。
なんで、タケノコだけ生えてるの?」
ハ「あっちゃに竹林が見えるやないけ。
あこから、地下茎で繋がってるんやろ」
み「何で途中で出ないの?」
ハ「出る端から、採って食うたんちゃうか」
み「誰が?」
ハ「市役所の職員やろな」
み「市有財産の横領だろ」
ハ「大目に見たれや」
み「じゃ、何でこれは採らないの?」
ハ「ここは園路際で、目立つからやろ」
み「閉園時間に採ればいいじゃん」
ハ「泥棒やがな」
み「昼間に採っても同じだろ」
ハ「おそらく、もう食い飽きたんやないか」
み「食い飽きるほど、タケノコを食べてみたいもんだわ。
採って帰るか?」
ハ「あこまで大きゅうなると、半分竹やで。
あれが食えるのは、パンダだけやな」
み「無念……」
み「ミツデカエデ?
葉が3つに割れてるのかな?」
み「割れてないじゃん。
調べて」
ハ「またかいな。
葉が、3枚1組で出るからみたいやな。
『三出複葉(さんしゅつふくよう)』ちゅうらしいで」
み「なるほど。
確かに、3枚1セットで出てる感じだね」
み「今度は、ヒトツバカエデか。
だいたい想像はできるな」
み「やっぱり、葉が1枚だ。
でも……。
何でカエデなわけ?
カエデの語源は、『蝦手(かえるで)』でしょ。
カエルの手に似てるから、カエデなわけよ。
何で、この木がカエデなの?
ハ「初っぱなは、見た目からそう呼ばれたんやろな。
でもその後、カエデは……。
ムクロジ科カエデ属っちゅう属名になったわけや。
カエデ属に属する木の総称が、カエデっちゅうことや。
ところが、カエデ属の木の中には……。
葉っぱが割れてないものも少なくなかったちゅうことやな」
み「そんなら、モミジって何?」
ハ「たまには、自分で調べたりや」
み「たまには、自分で歩いたらどうだ?」
ハ「わかったわい。
えーっとな。
モミジもカエデも、ムクロジ科カエデ属の総称やそうや。
植物の分類上は、おんなじものやて。
使い分けは、葉の見た目からするみたいや。
葉の切れこみが浅いのが、カエデ。
深いのが、モミジなんやと」
み「なるほど。
だから、切れこみがまったくないのは、カエデなんだ。
確かにこの木は、モミジじゃないわな」
み「ウリハダカエデ。
これはもう、由来は一目瞭然だね。
木の肌が、ウリに似てるからだ」
み「これはもう、実にカエデらしい葉っぱだね。
切れこみが浅くて」
ハ「しかし、カエデばっかり並んどるな」
み「秋に来てみたいもんだね」
ハ「せやな。
見事やろうな」
み「これは歌碑か?
……。
“秋風”だけは読める。
誰の歌だろ?」
ハ「与謝野晶子やな」
み「何でわかるの!」
ハ「こっちゃに説明書きがあるがな」
み「なんだ」
●秋風に荷葉(かよう)うらがれ香を放つおん菜園の池をめぐれば
み「荷葉ってなに?」
ハ「池をめぐりながら見えるんや。
蓮の葉ちゅうことやがな」
み「そしたら、ここらに池があるのかな?」
み「精米所か。
水力ってことは、水車だよね?」
ハ「せやろな」
み「最近、玄米を白米に半分くらい混ぜて食べてるんだけどさ。
玄米を買おうとして、一番驚いたのが……。
精米されたお米より高かったこと。
精米する前の状態で売るんだから……。
普通、安いはずだって思うよね」
ハ「そらそやな」
み「でも、玄米のほうが高かった。
で、調べたらさ、玄米って云っても……。
精米する前の段階のお米を、そのまま売ってるわけじゃないんだって」
ハ「どないなわけや?」
み「ゴミや小石は、取り除かなきゃならないでしょ。
それ以前に、籾殻も剥かなきゃならない。
これらのことを、胚芽を傷つけないように行うのが……。
そうとうに難しいらしいのよ。
最後に精米するんなら……。
それまでの工程で、胚芽が取れちゃったっていいわけだ。
だから、籾殻や小石を除く工程を、結構荒っぽく出来るんじゃないの?」
ハ「それやったら、籾殻のついた米を買ってきて……。
自分で剥いたらどないや?」
み「そんな面倒なことがでけるか!」
み「やっぱり水車だ。
しかし、こういう装置って、やっぱ怖いよね」
ハ「何がや?」
み「着物の裾とかがさ……。
あの歯車に巻きこまれたらと思うとさ」
ハ「非常停止の仕組みはないんか?」
み「あったとしても、1人で作業してたら操作できないでしょ。
おそらく、無いと思うよ。
非常停止なんかさせたら……。
水車に、もの凄い負荷がかかるわけでしょ。
人足の命を助けるためなら……。
水車が壊れてもいいって発想は、ぜったいに無かったと思う」
ハ「ミンチにされるしかなかったってことやな」
み「そういうことを言うな!
ふんとにもう。
横溝正史の映画だかドラマだかを思い出してしまったではないか。
確か、時計塔の巨大な歯車に人が巻きこまれて……。
バラバラになるシーンがあったんじゃないかな(市川崑監督による映画作品『女王蜂』だったようです)」
み「ぜーたい近づけないね。
おそらく、ここで作業する人は……。
全裸だったんじゃないの?」
ハ「何でやねん!」
み「着物着てたら、巻きこまれやすいでしょ。
その点、裸ならだいぶ違うよ。
もっとも男性には……。
1箇所、巻きこまれやすい部位があるけど」
ハ「なしてそう、発想が下品なんや」
み「職業病」
み「でも、これで精米出来るんなら……。
精米料がかからないってことだよね。
画期的な仕組みなんじゃないの。
やっぱりさ、精米って、けっこう荒っぽく出来るわけだ。
玄米を、胚芽を傷つけないように取り扱う方が……。
よっぽど大変ってのがわかるよ」
ハ「歯車は、ちゃんと木枠に囲われとるやないか。
枠の外で作業しとる限り……。
巻きこまれるってことはないやろ」
み「それは、通常運転のときでしょ。
ぜったい、調子が悪くなったりすることがあるはず」
ハ「調整や修理が必要になるっちゅうことやな。
せやけど、そないなときには……。
水を止めてやる手順になってるんやないか?」
み「建前上はね。
でも往々にして、そういう決まりは守られない」
ハ「ミンチになった人足もおるっちゅうことやな」
み「その例えはやめい!」
み「お、いきなり綾瀬はるか。
やっぱり綺麗だよね。
精米所で働いてたのかな?」
ハ「そないなわけあるかい!」
み「冗談に決まってるでしょ」
ハ「ここで、カレンダーの写真が撮られたみたいやな」
み「さらに順路は続く」
み「ボダイジュ?
これって、暖地の木じゃないの?」
ハ「何やそれ?
住宅団地に植わっとる木ちゅうことか?」
み「そんなわけないだろ!
暖かい土地の暖地!
菩提樹って、インドの木でしょ?
ちょっと調べて」
ハ「またかいな。
なになに。
インドに生えとるのは、インドボダイジュゆうて……。
イチジクの仲間やて。
それがいわゆる、仏教の菩提樹やな。
しかし、カタカナで書かれとる“ホダイジュ”は……。
シナノキの仲間みたいや。
落葉広葉樹やな。
中国から日本に渡来したとある。
中国やと、インドボダイジュは気候的に育たんかった。
せやから、葉っぱの似とるこの木が……。
ボダイジュっちゅうことになったらしいわ」
み「それはいいけど……。
なんでここにボダイジュなわけ?」
ハ「そりゃ決まっとるがな。
戊辰戦争で犠牲になった人の……。
菩提を弔うためやろ」
み「なるほど!
タマには良いこと言う」
ハ「いっつも言うとるわい!」
み「木漏れ日の菩提樹……。
いい季節だね。
やっぱり、命あっての物種だよ」
ハ「死んで花実が咲くものか、やな」
み「そうそう」
み「お。
鶴ヶ城が見えるらしいぞ。
ここからだと、飯盛山よりは近いのかな?」
ハ「ま、行ってみよやないけ」
み「葉が茂りすぎて見えんではないか」
ハ「例によって、方角が違ごてるんやないか?」
み「何が例によってなんだ!」
み「あ、見えた」
ハ「ほー。
方角は合っとったらしいな」
↓実は、最初の写真にも、ごく小さく写ってました。
み「この順路、覚えられる?」
ハ「覚えんかて、順番の立て札が立ってんにゃろ」
み「なら、何でわざわざ、こんな看板を立ててるわけ?」
ハ「知らんがな。
覚えんでも、この看板、カメラで撮っとったらええだけやないか」
み「あ、そうか。
うーむ。
まだ、デジカメ時代に慣れないみたいだな」
ハ「いつの時代や!
今はスマホの時代やろ。
デジカメ持っとる方が珍しいわ」
み「スマホは、掴みにくいのよ。
薄くて。
ぜったい落っことす自信がある」
ハ「難儀なやっちゃ」
ハ「長い文は読まんのやろ?」
み「斜めに読む。
しかしさ、そもそも……。
『陣屋』ってのが何たるかが書いてないじゃん。
森田検索!」
ハ「いつか言うと思とったわ。
Wiki引いたったから、読むで。
+++
陣屋は、江戸時代の幕藩体制における大名領(藩)の藩庁が置かれた屋敷、もしくは徳川幕府直轄領の遠国奉行や代官の住居および役所が置かれた建物(代官所)、また江戸定府の旗本が知行地を支配するための屋敷である。
+++
というこっちゃ」
み「早い話……。
市の出張所みたいなもの?」
ハ「市っちゅうより、例えるとしたら県やろ」
み「なら、地域振興局?」
ハ「それやと、多すぎるんちゃうか。
一番近いのは、支庁やろ?
東京都やと、確か離島に支庁が置かれとるわな」
み「ふーん。
ま、いいや」
ハ「いいんかい!」
み「相変わらず、殺風景な入り口だな」
ハ「簡素と言うべきやないか」
み「掃除はしやすそうだけど」
み「“のっこみ”?
これって、釣り用語じゃないの?
叔父に聞いたことがある。
確か、春の繁殖期のことじゃなかったかな。
ちょっと、島木検索(正しくは“健作”)」
ハ「誰やそれ?」
み「小説家だよ、昭和初期の。
読んだことないけど」
ハ「素直に聞いたれや。
えーっと。
Wikiには乗っとらんな。
はは。
本田技研のページにあったで(こちら)。
+++
「乗っ込み」とは、産卵を意識した魚たちが、それまでいた深い場所から、水深の浅い場所に移動してくることを指します。
たとえばコイなら、冬は川や湖の中でも深さのある場所でじっとしていますが、春の産卵期が近づくと、アシなどの水生植物が生えている浅い水路やワンドにやって来ます。
+++
というこっちゃ」
み「わたしの記憶、完全に合ってるじゃん。
てことは、春になると……。
この玄関に、魚が上がって来るってことか?」
ハ「何でやねん!」
み「あ。
ここにちゃんと説明書きがあった。
最初の一文、さっきの説明看板の冒頭に入れればいいのに」
ハ「そしたら、わしがこき使われんで済んだわな」
み「あれ、なんて書いてあるの?」
ハ「“入室はご遠慮願います”や」
み「その奥!」
ハ「ははは。
『中之口』やて。
『家族や家臣たちの出入口』とあるな」
み「てことは、……。
この陣屋も、公私両用だったってことか。
そもそも、陣屋の長って、なんて呼ばれてたのかな?
陣長なんて聞いたことないし……。
陣主も聞かないわな。
陣五郎?」
ハ「なんでやねん!」
み「ぼーっとしてないで調べて」
ハ「ええかげん怒るで。
ほんまにもう。
えーっとやな。
Wikiの『旧中畑陣屋』の説明文や(出典)。
+++
中畑村(現・西白河郡矢吹町中畑)にあった江戸時代の代官所を移築復元したもの。
寄棟造で玄関に唐破風があり、内部は武家屋敷風でありながら、茅葺屋根や土間などに庶民の住宅に使われる手法が使われている。
天保8年(1837年)に5,000石の旗本の松平軍次郎の代官所として建築され、明治維新後は住宅として使われていた。
+++
とある」
み「代官所?
ってことは、天領だったってこと?」
ハ「よう聞いたれや。
旗本の代官所て書いたあるがな。
旗本領や」
み「ふーん。
でも代官所なら……。
その長の呼び方は、“お代官様”に決まってるじゃんね。
だけどさ。
それなら何で、『陣屋』なんて云ったんだろ?
普通に『代官所』でいいじゃないの」
ハ「Wikiのページ(こちら)を見ると……。
こうした役所の呼び方は、『陣屋』と『代官所』が半々やな。
ここが、陣屋て呼ばれとったのは……。
幕府の直轄地やのうて、旗本の知行地やったからやないか?」
み「よし、次、行くぞ」
ハ「話を聞け!」
み「お、『石風呂』だって。
説明書き、読んで」
ハ「長い文章は飛ばすんやないんか?」
み「水回りには興味がある」
ハ「勝手なやっちゃ。
『昔の一般家庭で広く使われていた据え風呂である。
図のように浴槽内部を通る煙突の熱を利用し、湯を沸かした。
焚き口には、杉の皮などで密閉する工夫が施されていた』」
み「お釜が載ってるけど、熱源は竈と共用ってこと?」
ハ「そうなんちゃうか」
み「煮炊きしてる隣で、お風呂に入ってたの?」
ハ「そりゃ、時間ずらしてやろ」
み「どっちも、火が燃えてるときに使うものじゃない?」
ハ「順番でもええんちゃうか。
まず、煮炊きが先や。
飯炊いたり、汁こさえたりしとるうちに……。
風呂の湯も沸くがな。
そしたら、出来た飯と汁は……。
配膳する台所に運ぶわけや。
そんで、男衆に声をかける。
“お風呂、使こてください”ちゅうてな。
で、炊事場から風呂場に早変わりてなわけや」
み「ちと疑問」
ハ「なにがや?」
み「大人数分の釜と鍋って、重たいよね」
ハ「そらそやろ」
み「それを、わざわざ運ぶの?
ここで盛り付けしたほうが、ずっと効率的でしょ。
そもそも女性じゃ、大釜なんて持てないんじゃないの?」
ハ「運ぶまでが、男衆の役目やな」
み「ふーん。
嘘くさいけど、ま、いいや」
ハ「どこが嘘や!
順当な推測やろ」
み「で、男衆が風呂をあがると……。
ご飯の用意が出来てるってこと?」
ハ「せやな」
み「女衆は、その給仕をして、終わったら洗い物。
お風呂はその後だろ。
冷めてるじゃん!」
ハ「せやから、石造りなんやろ。
日付けが変わるくらいまでは、十分温いんちゃうか」
み「ほんまか?」
ハ「知らんけど」
み「『表座敷』。
しかしまぁ、殺風景だね。
もうちょっと、当時の使われ方がわかるようにできないものかね」
ハ「わしに言われてもな」
み「『奥座敷』。
前に同じ」
み「この建物は移築なんだから……。
あの石垣は、当時のものじゃないよね。
まさか、石垣ごと移築したわけじゃないでしょ」
ハ「そりゃそやな」
み「しかし、スゴい笹だね。
クマザサか。
笹をうっかり庭に植えると、大変なことになる。
地下茎で伸びてくから」
ハ「この笹、熊が食うんか?」
み「食うかい!
パンダじゃあるまいし。
クマは、動物の熊じゃなくて……。
隈取りのクマ。
ほら、白い隈取りのある葉があるでしょ」
ハ「無い方が多いで。
何でや?」
み「知らん。
調べて」
ハ「やっぱ、こっちに来るんやな。
Wikiさまに聞いたるか(出典。
+++
葉に白い隈取りがあることが名前の由来で、漢字で「隈笹」と書かれる。
標準和名をクマザサとよぶ植物は、高さが1~2メートルになる大型のササで、葉は長さが20cmを越え、幅は4~5cm。
特徴になっている葉の白い隈取りは若葉にはなく、葉が越冬するときに縁が枯れて隈取りになる。
+++
やて」
み「うーむ。
勉強になるなぁ、『Mikiko's Room』」
ハ「誰のおかげや」
み「ここにも石垣がある」
ハ「よう崩れんかったもんやな」
み「これ、そんなに昔のじゃないよ。
練積みでしょ」
ハ「何やそれ?」
み「わからないことがあったら……。
即、森田検索!」
ハ「わかっとんなら、教えたれや。
ほんまにもう。
↓すっかり、Wiki様とお友達やわ(出典)。
+++
戦国時代以降の石垣は、主に「空積み(からづみ)」という技法が用いられる。
対して、粘土やモルタルなどを練りこんで石同士を接着する積み方を「練積み(ねりづみ)」という。
練積みはコンクリートやモルタルを接着材として石垣施工に用いられている近代工法での例が多い。
城郭で用いられた例は少なく、鎌刃城(滋賀県)などに見られる。
また加藤清正が手がけた慶長15年(1610年)の名古屋城天守石垣は裏込めに三和土を用いた一種の練積みである。
+++
やて」
み「これ、絶対モルタルが入ってるよね。
そうじゃなきゃ、こんな丸っこい石……。
空積みで積めるわけないじゃん。
それに、下の土台みたいなのって……。
基礎コンでしょ」
ハ「何やそれ?」
み「基礎コンクリートのこと。
基礎コン打たないと……。
石垣が、沈んだり歪んだりするわけよ」
ハ「エラい詳しいやないか?」
み「叔父が造園会社に勤めてたからね。
酔っ払うと、語る語る」
ハ「なんや、耳学問かいな」
ハ「これは読めるやろ。
長いから読まんか?」
み「すでに読んだわい。
しかし、千利休の子が会津に来てるのか。
会津って、スゴいね。
近藤勇も来てたし」
ハ「近藤勇が来たんは、遺髪だけやろ」
み「あ、来たのは土方歳三だったな。
蒲生氏郷って、いつごろの領主?」
ハ「例によって、Wiki様や(出典)。
+++
蒲生氏郷(がもううじさと/1556~1595)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主。
蒲生賢秀の三男(嫡男)。
初名は賦秀(やすひで)または教秀(のりひで)。
キリシタン大名であり、洗礼名はレオン。
子に蒲生秀行。
織田信長に人質ながらも寵愛され、信長の娘である冬姫を娶る。
信長死後には各地で功績を挙げ、秀吉からも重用された。
最終的には会津藩92万石となり黒川城を与えられ、改築して若松城と名を改め、会津藩の基盤を築いた。
また、千利休の弟子であり、利休七哲にも数えられる一流の茶人でもあった。
+++
や」
み「どひゃー。
会津藩って、92万石もあったの!」
ハ「大藩やな。
ここに千利休の子が来てたのも……。
氏郷が、千利休の弟子やったからやな」
み「しかも、キリシタン大名だって。
なんかスゴいね」
ハ「しかし、40年生きられなかったんやな」
み「戦死?」
ハ「いや。
病死や。
死因は、直腸癌か肝臓癌やったて。
キリストの像を見つめながら死んだそうや」
み「天国に行けると信じてたのかね?」
ハ「宗教ちゅうのは、そういうもんやろ」
み「『相伴席』。
『客が大勢の場合に使われる』か。
お茶会みたいなときかな」
ハ「せやろな」
み「しかし……。
殺風景な部屋じゃ」
ハ「それが、侘び寂びやろ」
み「『躙(にじ)り口』。
『客の出入口』。
入り口が低いのは……。
どんなに偉い人でも、頭を下げないと入れないからなんでしょ?」
ハ「小さい室内を大きくみせるためという説もあるようやで」
み「それはないでしょ。
茶室を作るような人なら、懐には余裕があるはず。
大きい部屋を作ればいいだけじゃん。
しかし、ここを通れない人はどうするんだろ?
相撲取りとか」
ハ「入らんかったらええだけやろ」
み「嵌った人って、いないのかな?
枠ごと外れて、腰に嵌ったままだったり」
ハ「コントやがな」
み「屋根に木が生えてる。
放っておくと……。
こういうのがびっしりになっちゃうんだろうね。
管理が大変だわ。
こんな斜面、簡単に上がれないでしょ。
あ、いいこと思いついた」
ハ「いいことやない気がする」
み「なんでじゃ!
ヤギを屋根に上げとけばいいじゃん。
屋根に生える雑草、食べてくれるよ」
ハ「転げ落ちるやろ!」
み「ヤギって、崖が得意なんじゃないの」
ハ「それは、岩場やからや。
こんなとこ、絶対に滑るわ」
み「安全帯が要るな」
ハ「それ以前の問題や」
み「『只今休場中』か。
野点の会場なんだろね」
ハ「違ごとると思うで」
み「なんでじゃ!」
ハ「向こうに見えてるのは、矢場の的やろ」
み「じゃ、こっから弓を射るってこと?
近すぎじゃない」
ハ「せやから、弓を体験する施設やがな」
み「ふーん。
やってみたかったな」
ハ「弓、射ったことあるんか?」
み「あるわけないでしょ。
でも、ひょっとしたら……。
弓の天才だったかも知れないじゃん」
ハ「100%あり得んわ」
み「断言すな!」
み「ここ、写真撮っていいのかな?」
何の施設か忘れました。
この写真1枚しかないので……。
たぶん、撮影禁止だったんだと思います。
み「お、誰の像だ?」
ハ「鑑真やて」
み「今度は鑑真か。
何やかやと、いろんな人と関係のある土地だね。
しかし、日中の国民には……。
命がけで両国の架け橋になろうとした、この人を……。
もう一度思い出してもらいたいもんだね」
ハ「たまにはええこと言うやないか」
み「いつも言ってるわい!」
み「『手づくり体験館』か」
ハ「体験したらどないや」
み「こういうのは、上手く出来る気がしない」
ハ「そんなら、弓はもっとやろ」
み「やかまし!」
み「木漏れ日の道だ。
いいねぇ」
ハ「今の季節が最高やな」
み「あ。
冬のこの道を想像したら……。
思いっきり気が滅入った」
ハ「いいときを楽しめばええやないか。
ネガティブなやっちゃで」
み「『天ぷらまんじゅう』だって」
ハ「どうせ、昼飯、食わんのやろ。
食うてみたらどうや」
み「思いっきり胃もたれしそうだわ。
しかし、何でまんじゅうを天ぷらにしようと思いついたのかね」
ハ「兵糧やないんか。
1個食うたら、そうとうに腹が保つやろ」
み「なるほど。
それはあるかも」
ハ「食うてみい」
み「遠慮する。
兵隊じゃないんで」
み「神社があった。
『会津天満宮』か」
ハ「風情ありげなお社やないけ。
こりゃ、参らにゃあかんで」
み「この階段、誰が登ると思ってんだ」
ハ「そりゃ、あんたしかおらんわな」
み「武家屋敷を歩き回って……。
すでに体力を、50%消耗している」
ハ「もうかいな!
情けないやっちゃで」
み「そんなら、おまえが登れ!」
ハ「無茶言うわな」
み「とにかく、ここはパス」
み「うーむ。
やっぱり下りはいいわい」
ハ「そんなこと言うとると……。
これからの人生、下りっぱなしになるで」
み「下るのは、腹で慣れてる」
ハ「汚い例え、すなや」
み「売店みたいだな。
ちょっと寄っぺい」
ハ「何語や」
今、これを書いてる時点で……。
この旅行に行ってから、すでに1年4ヶ月が経過してます。
なので、どんな売店だったのか、さっぱり覚えてないんです。
たぶん、何も買わなかったと思います。
しかし……。
いつの間に、武家屋敷を出たんでしょう?
↓はおそらく、売店の中を突っ切って出てからの写真でしょう。
み「大風でも吹いたのかね?
テーブルがみんな倒れとる」
ハ「アホか!
テラス席はやってまへんちゅうこっちゃろ」
み「なんで?」
ハ「なんでて、コロナやからやろ」
み「そんなら、屋外の方が安全じゃん。
むしろ、テラス席だけにすべきだよ」
ハ「わしに言うたりなや」
み「しかし、ほんとにいいお天気だね。
絶好のサイクリング日和だ。
♪み~ど~り~の風も、さぁわぁやぁかぁに~」
↑『青春サイクリング/歌:小坂一也:1957年(昭和32)年』。
ハ「音、外れるたびに、転けそうなるわ」
今度は、どこ行くんや?」
み「風の吹くまま気の向くまま」
ハ「止めてくれや。
どこぞ行くかわからんわ」
み「すげー、三角の家があった。
建ぺい率、大丈夫なのかね?」
ハ「大丈夫やないやろ。
それよか、ここ左でええんか?」
み「たぶんな」
ハ「頼むで」
み「ほーら。
なんとなく風情ありそげなとこに出たぞ」
ハ「せやから、どこなんや?」
み「見なさい。
ドンピシャで着いた」
ハ「『国指定名勝 会津松平氏庭園』。
肝心のその後が、衝立てで読めんやないけ」
み「ほら、ここにも看板がある」
ハ「『御薬園(おやくえん)』かいな」
み「あの門に書いてあるとおり……。
江戸時代の薬用植物園ってことだね」
ハ「気いつけや。
『足元にご注意!!』やで」
み「バリアフリーでないことは確かだな」
み「庭園と薬草園に分かれてるみたいだね」
ハ「どっちから見るんや?」
み「まずは、庭園だな」
ハ「その心は?」
み「風の吹くまま気の向くまま」
ハ「それは止めてくれちゅうとるやろ」
み「お、さっそくコデマリがあった。
前に武家屋敷に来たとき……。
オオデマリが咲いてた記憶があるんだ。
でも、さっき歩いた限り、どこにも見なかった。
ひょっとしたら、ここのコデマリが……。
武家屋敷のオオデマリの記憶に置き換わったのかな?」
ハ「知らんがな。
場所も花も違とるやないけ。
大した記憶力や」
み「あ、説明板があった。
へー。
1432年に建てられた別荘が始まりか。
1432年って、何時代?」
ハ「日本史、得意やったんやないんか?」
み「それは高校時代の話。
あれから何年経ってると思うんだ」
ハ「50年か?」
み「殺すぞ。
早く調べい!」
ハ「へいへい。
えーっとやな。
室町時代に入って、100年くらい経ったころや」
み「室町時代って、何年から何年?」
ハ「1336年から1573年やて」
み「げ。
マジ?
240年近いじゃん。
江戸時代とほとんど変わんないよ。
そんなに長かったんだ」
ハ「将軍の数は、15人ずつで一緒やからな。
1432年は……。
6代将軍、足利義教の治世や。
お。
江戸幕府の将軍と、共通点があったで」
み「どんな?」
ハ「15代将軍が、一番長生きしとる」
み「江戸幕府は、徳川慶喜だよね」
ハ「満で76まで生きとるわ。
亡くなったんは大正時代や」
み「室町幕府は?」
ハ「15代将軍は、足利義昭。
享年、満で59。
あと2ヶ月生きれば還暦やったな」
み「それで、一番長命なの?」
ハ「せやな。
次が、10代将軍・足利義稙(よしたね)の満56歳や。
15人中、満年齢で50年以上生きたんは、4人しかおらん」
み「まさに、人生50年だったんだね。
でも、15代将軍って、殺されなかったの?」
ハ「晩年は、秀吉から厚遇されたそうや。
なにしろ、前将軍やからな。
徳川、毛利、上杉やらの大大名よりも……。
上位の席次を与えられとったと。
秀吉のいい話し相手やったて」
み「秀吉といくつ違い?」
ハ「えーっと。
はは。
こりゃ驚いた。
同い年や。
秀吉の方が、9ヶ月先の生まれやな」
み「へー。
それで話が合ったのかもね。
おんなじアニメ見てたとか」
ハ「見てるかい!」
み「おー。
まさしく日本庭園だ」
ハ「綺麗やな」
み「ま、それは確かだけど……。
常緑樹ばっかりだ。
いっつもおんなじ景色じゃん」
ハ「冬は、雪景色やろ」
み「それはそうだろうけど……。
わたしはやっぱり、落葉樹が好きだね。
雑木林みたいな。
しかしここ、冬は雪吊りをするんだろうね」
ハ「会津の雪やったら、せんわけにはいかんやろな」
み「いくらくらいかかるんだろ?」
ハ「建設課に聞きにいくか?」
み「あ、そうだ。
そもそも、ここの持ち主ってどこよ?
まさか個人じゃないよね。
そしたら、会津若松市?
それとも、福島県?
国営ってことはないでしょ」
ハ「Wikiによると(出典)……。
“平成3(1991)年3月、会津松平家から会津若松市が譲り受けた”とある」
み「じゃ、それまで個人の所有だったわけ?
公開もされてなかったの?」
ハ「一般公開が始まったんは、1953(昭和28)年10月11日からやて」
み「会津松平家って、今もここにあるの?」
ハ「戊辰戦争後、東京に移ったようやな。
お。
『福島民報』に、おもろい記事があったで。
『戊辰以来、松平家が会津に帰る 15代の親保さん(24)会津若松市のITコンサル会社で勤務』やて」
み「どんな記事よ?」
ハ「読むで。
+++
会津松平家が戊辰戦争以来、会津若松市に“帰還”した。
会津松平家15代の松平親保(ちかもり)さん(24)はコンサルティング大手アクセンチュアに今春入社し、市内の拠点で働いている。
IT技術を用いたまちづくり「スマートシティ構想」の実現が目標だ。
会津藩祖の保科正之から幕末の松平容保まで、代々の藩主が治めた縁深い城下町で「市民の皆さんがより誇りを持てる地域にしたい」と地域貢献を誓っている。
+++
やて」
み「へー。
しかし、けっこうなプレッシャーなんじゃないの?
簡単に辞められないよ」
ハ「覚悟があったんやろ」
み「しかし、お年寄りなんか……。
いきなり土下座したりするんじゃないの?」
ハ「あるかもな」
み「頑張ってもらいたいね。
将来はぜひ、会津若松市長になってほしいもんだよ」
み「やっぱり、水があるといいよね。
ボウフラが湧きそうだけど」
ハ「メダカでも飼うたらどうや」
み「大名庭園でメダカ?
もっとほかに方法ないの?
ちょっと調べて」
ハ「今度はボウフラ対策かいな。
人使いの荒いやっちゃで。
お、あったあった。
10円玉やて」
み「なんじゃそれ?」
ハ「10円玉やら銅板を、水ん中入れたら……。
銅イオンが発生するんやて。
銅イオンにはな、菌なんかを抑制する作用があるとされとって……。
これが、ボウフラの発生を抑えるちゅうことらしいな」
み「ボウフラは、菌じゃないだろ」
ハ「“菌など”やがな」
み「どれくらい入れるの?」
ハ「1リットルの水につき、10円玉20枚とあるな」
み「パカモン。
この池、何リットルあると思ってんだ。
直径10メートルの円だとして……。
面積は、5メートル×5メートル×3.14。
計算して」
ハ「78.5㎡やな」
み「深さが平均30㎝として、容積は?」
ハ「23.6m3やな」
み「1m3が1000リットルだよね」
ハ「せやな」
み「23.6m3は、何リットル?」
ハ「23,600リットルや」
み「10円玉は、何個必要?」
ハ「1リットルの水につき、20枚やから……。
47万2千枚やな。
み「金額にすると?」
ハ「小学生の問題やで。
472万円」
み「そんな予算、どっから出ると思うの?
たかがボウフラ対策で。
両替手数料も莫大だぞ。
問題にならん。
却下」
ハ「わしの意見やないがな。
ネットに載ってたん言うただけや」
み「次、行くぞ。
なんか、蚊が湧き出て来そうな気がしてきた」
み「五葉松か?」
ハ「ええ形にしつらえてあるやないか」
み「どーも、こういう樹形は好かん」
ハ「そしたら、どういうのがええんや?」
み「もちろん、自然樹形。
新潟の海岸線には、砂防林として黒松が植えられてる。
冬、猛烈な季節風を受けるからね。
幹は斜めって、風を受ける方の枝がなくなってたりする。
そういう自然樹形に勝るものはないんじゃない?」
ハ「わしはどっちゃでもええけどな」
み「感性のないやつ!」
み「タムシバ?
こんな樹名、初めて聞いた。
由来はなんだろ?
まさか、インキンタムシのタムシじゃないよね。
即、検索!」
ハ「例によって、Wikiさまからやな(出典)。
読むで。
+++
和名「タムシバ」の由来は2説あり、葉にタムシ状の斑点ができるためという説、あるいは、葉を噛むと独特の甘味があるため「カムシバ(噛む柴)」の名がつき、これが転じて「タムシバ」となったともされる。
+++
やて」
み「なんと、ほんとにインキンタムシが由来だった。
ぜったいこっちだよ」
み「しかし、何の変哲もない木だよね。
何か、効能があるのかな?」
ハ「Wikiさまの続き、読むで。
+++
シモクレンやコブシ、タムシバなどモクレン類のつぼみ(花芽)を風乾したものは「辛夷(しんい)」とよばれ、鼻炎や頭痛、熱、咳などに対する生薬とされることがある。またタムシバは強い香りをもつため、抽出された精油成分が「ニオイコブシ」の名でアロマオイルとして流通している。
+++
やて」
み「やっぱり生薬に使われるんだね」
み「出た、ブナ。
しかし会津は、平地でブナが育つんだね。
新潟市内じゃ、見たことないよ」
ハ「ブナの実が不作やと、熊が里に下りて来るらしいな」
み「なんで不作になるの?」
ハ「えーっとな。
どうやら、気まぐれみたいやで。
そもそも、不作なんがあたり前やて。
豊作になるんは、5年から10年に1度やて」
み「ほとんど毎年不作なんじゃない。
そんなら熊は、毎年下りてくるだろ」
ハ「ふーむ。
熊の出没とブナの豊不作には……。
必ずしも相関がないっちゅう説もあるそうや」
み「さっき言ってたことと違うだろ。
どう責任取るんだ?」
ハ「何で、わしが責任取らなあかんねん。
熊も気まぐれちゅうことやがな」
み「立派な大木だわ。
森の中では、広がった樹冠が……。
地面の高温化を防ぐわけだ」
ハ「猛暑の影響を受けにくいってことやな」
み「そうそう。
道路の街路樹なんて、気の毒だよ。
カンカン照りに晒されて。
新潟では一時期、ハナミズキを街路樹に植えるのが流行ったんだけどね……。
ほとんど、まともに育たなかった。
年々、小さくなってく感じ。
今は、まったく植えられなくなったね」
ハ「猛暑のせいか?」
み「猛暑っていうより……。
普通に、カンカン照りに弱いわけよ。
ハナミズキは、ヤマボウシの仲間だからね。
山の中に生えてる木の性質なんだよ。
モミジなんかと一緒。
モミジを道路に植えて、育つと思う?」
ハ「ダメやろな」
み「あと、ナナカマドを街路樹にしてたバカな設計もあったね。
もちろん、全滅。
ナナカマドを街路樹に出来るのは……。
北海道くらいだよ」
み「バカに古そうな灯籠だな。
札になんて書いてあんの?」
ハ「三層塔やて」
み「3つの層の塔?
そのまんまじゃん。
でも、この丸み、すり減ったんじゃないよね?
最初から、こういう形の石を重ねたんでしょ?
いつごろ作られたものなの?」
ハ「園内の案内板には……。
“伝鎌倉初期”と書かれとるみたいやな。
福島県の重要文化財やて」
み「鎌倉時代じゃ、国の重文にはならないわな」
み「お、なんか書いてある。
ほー、ビュースポットか」
み「これだな」
ハ「確かに、絵みたいな景色やな」
み「自然そのものの景色じゃなくて……。
ああいう建物があるってのが、むしろいい感じに見せてるよね」
み「モミジが生えてる」
ハ「隣の幹から出てるんやないか?」
み「こんな低いとこから、ひこばえは出さないよ」
ハ「なんでや。
街路樹とかやと……。
地際から、よう枝、出しとるやないけ」
み「あれは、地際に陽があたるから。
同じ陽があたるところなら……。
木のてっぺんより、根に近いとこの方が効率的でしょ。
逆に、森や林だと、地際に陽はあたらない。
そんなところから枝を出しても、意味ないわけ。
だから、この小さなモミジは、実生が育ったものだよ」
ハ「陽があたらんやないけ」
み「ま、このまま成長できるかどうかは……。
まさに運命次第だね。
近くの大木が倒れて……。
樹冠がぱかっと開くこともあるからね」
み「タケノコだ!」
ハ「けっこう立派やで」
み「周りに竹がないけど……。
伐採されたのかな。
しかし、タケノコ……。
長らく食べてないな。
お味噌汁のタケノコ、大好物なんだよね」
ハ「タケノコなら、スーパーで売っとるやろ」
み「売っとる。
でも、料理が面倒じゃない。
アク抜きとかするんでしょ」
ハ「すればいいがな」
み「簡単に言うな!
仕事とこのブログで手一杯なの。
でも、仕事を退職したら、ぜったいチャレンジする。
あと、梅干し作りも。
しかしねー。
この物価高が続くと、年金だけじゃ食べていけないかも。
新聞配達でもするかな。
朝、早いのだけは得意だから。
でもやっぱ、新潟は怖いよ」
ハ「何がや?」
み「冬さ。
雪道。
バイクなんて走れないよ。
どうやって配達してるんだろ?」
ハ「そりゃ、歩いてやないんか?」
み「アホタレ。
新潟は、東京みたいに家が密集してないから……。
配達エリアが広いのよ。
歩いて回ってたら、何時間かかると思ってるんだ。
新聞が届かないって苦情も来るだろうし。
12月から2月まで休みにしてもらえないかな?」
ハ「条件次第やな」
み「どんな?」
ハ「あんたの代わりに……。
12月から2月までだけ、配達する人間を見つけて来ることや」
み「そんなバカがいるか!」
み「げ。
いっぱい出てる。
でも、妙な光景だよね」
ハ「何がや?」
み「周りに竹がないじゃない。
なんで、タケノコだけ生えてるの?」
ハ「あっちゃに竹林が見えるやないけ。
あこから、地下茎で繋がってるんやろ」
み「何で途中で出ないの?」
ハ「出る端から、採って食うたんちゃうか」
み「誰が?」
ハ「市役所の職員やろな」
み「市有財産の横領だろ」
ハ「大目に見たれや」
み「じゃ、何でこれは採らないの?」
ハ「ここは園路際で、目立つからやろ」
み「閉園時間に採ればいいじゃん」
ハ「泥棒やがな」
み「昼間に採っても同じだろ」
ハ「おそらく、もう食い飽きたんやないか」
み「食い飽きるほど、タケノコを食べてみたいもんだわ。
採って帰るか?」
ハ「あこまで大きゅうなると、半分竹やで。
あれが食えるのは、パンダだけやな」
み「無念……」
み「ミツデカエデ?
葉が3つに割れてるのかな?」
み「割れてないじゃん。
調べて」
ハ「またかいな。
葉が、3枚1組で出るからみたいやな。
『三出複葉(さんしゅつふくよう)』ちゅうらしいで」
み「なるほど。
確かに、3枚1セットで出てる感じだね」
み「今度は、ヒトツバカエデか。
だいたい想像はできるな」
み「やっぱり、葉が1枚だ。
でも……。
何でカエデなわけ?
カエデの語源は、『蝦手(かえるで)』でしょ。
カエルの手に似てるから、カエデなわけよ。
何で、この木がカエデなの?
ハ「初っぱなは、見た目からそう呼ばれたんやろな。
でもその後、カエデは……。
ムクロジ科カエデ属っちゅう属名になったわけや。
カエデ属に属する木の総称が、カエデっちゅうことや。
ところが、カエデ属の木の中には……。
葉っぱが割れてないものも少なくなかったちゅうことやな」
み「そんなら、モミジって何?」
ハ「たまには、自分で調べたりや」
み「たまには、自分で歩いたらどうだ?」
ハ「わかったわい。
えーっとな。
モミジもカエデも、ムクロジ科カエデ属の総称やそうや。
植物の分類上は、おんなじものやて。
使い分けは、葉の見た目からするみたいや。
葉の切れこみが浅いのが、カエデ。
深いのが、モミジなんやと」
み「なるほど。
だから、切れこみがまったくないのは、カエデなんだ。
確かにこの木は、モミジじゃないわな」
み「ウリハダカエデ。
これはもう、由来は一目瞭然だね。
木の肌が、ウリに似てるからだ」
み「これはもう、実にカエデらしい葉っぱだね。
切れこみが浅くて」
ハ「しかし、カエデばっかり並んどるな」
み「秋に来てみたいもんだね」
ハ「せやな。
見事やろうな」
み「これは歌碑か?
……。
“秋風”だけは読める。
誰の歌だろ?」
ハ「与謝野晶子やな」
み「何でわかるの!」
ハ「こっちゃに説明書きがあるがな」
み「なんだ」
●秋風に荷葉(かよう)うらがれ香を放つおん菜園の池をめぐれば
み「荷葉ってなに?」
ハ「池をめぐりながら見えるんや。
蓮の葉ちゅうことやがな」
み「そしたら、ここらに池があるのかな?」