2023.1.10(火)

み「さっき見あげた場所が、たちまち眼下にある。
250円の価値あり!」
ハ「自分を納得させようとしとるな」

み「でもまだ、ちょっと登るけど」
ハ「このくらい何や」
み「自分で登らんやつが言うな!」

み「お、出たな、『参拝順路3』。
あれ?
『2』って、何だったっけ?」
ハ「何にもなかったわな」
み「曲がり角ごとに番号振ってるのかな?」
ハ「ま、順番は間違っとらんちゅうこっちゃ」
み「こんな初っぱなから間違ってどうする」

ハ「線香、売っとるぞ。
持ってないやろ?」
み「あたり前だ。
線香持って旅行するやつがいるか」
ハ「買うたれや」
み「ライターがないわ。
今は、タバコを吸わない人が多くなったから……。
線香も売れなくなったんじゃない?」
ハ「火ぃ点けえでも……。
供えるだけでええんやないか。
こら!
聞こえんふりすな」

み「女性と子供だけで、こんなに亡くなってたの。
言葉がないわ」
ハ「時代の波に飲みこまれてしまったんやな」
み「時代という津波か……」
ハ「まさしく」

み「14歳で戦死って……。
まだ子供じゃない」
ハ「元服したら大人やろ」
み「元服って何歳?
調べて」
ハ「ふむふむ。
どうやら、決まった年齢はなかったようやな。
時代や一族によって、まちまちやったみたいや。
奈良時代とかでは、12歳から16歳くらい。
でも、江戸時代になると年齢が高くなって……。
18歳から20歳くらいやったみたいや」
み「じゃ、14歳は元服前じゃないの」
ハ「おそらく……。
取り急ぎ元服させて、戦場に向かわせたんやろ」
み「悲惨じゃ」

み「合掌」
ハ「線香、買うたれや」
み「あいにく、小銭の持ち合わせがない」
ハ「うそこけ。
さっきのスーパーで、釣り銭もろてたやないか。
こら!
聞こえんふりすな」

み「おー、麗しの松平容保さま」
ハ「何やそれ?」
み「知らんの?
超イケメン。
画像、探してみ」
ハ「Wikiに載っとった」

ハ「確かに、東北顔とちゃうな。
なになに。
やっぱり、江戸生まれや。
高須藩の藩邸で、藩主の六男として生まれたとあるな。
9歳で、会津藩主の養子になっとる。
江戸の会津松平家上屋敷に迎えられたときは……。
その美貌に、会津家が大騒ぎになったようや」
み「ほんとに貴族的な顔なのよ。
まさに、貴種って感じ。
でも明らかに、勃興期や繁栄期の顔じゃない。
一族が滅びようとするときの、末裔の顔ね。
それがまたいいんだけど」
ハ「よーわからんわ」

み「この墓標の数だけ、亡骸があったんだね」
ハ「線香、あがっとらんな」
み「線香ばっかり気にすな!」

み「白虎観音?
何それ?」
ハ「ネットには……。
由来は載ってないようや。
ま、亡くなった白虎隊士は、まだ母が恋しい年代やったからな。
母代わりの観音さんやないんか。
その母も、自刃したやも知れんし」
み「悲惨すぎる……」
コメント一覧
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1. Mikiko- 2023/01/10 06:09
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白虎隊
白虎隊だけが有名になってしまいましたが……。
会津藩の部隊組織は、4つありました。
年齢によって分けられてたようです。
白虎から想像できるとおり……。
それぞれ、中国の四神の名称が付けられてます。
もちろん白虎隊が一番若く……。
藩校の日新館で学んだ、16から17歳の少年で構成されてました。
次に若いのが、朱雀隊。
18歳から35歳まで。
これが、戦闘の中心となる実戦部隊でした。
続いて、青龍隊。
36歳から49歳まで。
こちらは、国境守備隊です。
最後に、玄武隊。
50歳以上。
予備隊です。
で、白虎隊の役目ですが……。
本来は、実戦部隊ではありません。
玄武隊と同じく、予備隊だったんです。
会津が戦場になる前は、城中の警備を担当してたようです。
しかし、戦場が会津に移ると……。
藩主・松平容保は、白虎隊に出陣命令を出します。
城中の警備担当じゃ、実践的な訓練はしてなかったでしょう。
可哀想でなりません。
でも、目を転ずれば、同じことは現在でも行われてます。
ロシアでは、ウクライナとの戦争で、多数の予備役が招集されました。
テレビで、招集された息子を見送る母親が、インタビューを受けてました。
母親は何度も、「演習に参加するためですよね?」と繰り返してました。
しかし実際には、ほとんど訓練を受けてない予備役が……。
前線に送られ、多数、戦死してます。
わたしは、戦争が終わった後……。
ロシアでは大変なことが起こるんじゃないかと危惧してます。
戦場に行った息子の多くが帰ってこないことに……。
親たちは黙っていられるでしょうか。
戦争が始まって、もうすぐ1年になります。
なぜ世界は、止められないんでしょう。
この程度の人類では、滅びても仕方がない気がしてます。