2022.12.9(金)
顔を左右に振っても、水流は的確に追ってきた。
顔面が尿臭に覆われる。
「なんだ、もう終わりかい」
尿は、すぐに力を失った。
香織の性器は、蛇口を閉めきらなかった水飲み水栓のように、尿を溢れ零していた。
「物足りないね。
侑くん、出ない?」
「無理。
勃ってるから」
「そうか。
勃起してると尿管が塞がれちゃうんだ。
良く出来てるもんだよ。
精液に尿が混ざらないようにって仕組みなのかね。
よし、それじゃ、あたしのをあげようかね」
「絵里子、もう入れたいよ」
「せっかちな子だね。
ちょっと待って。
美咲姫に、わたしのおしっこを献上したいから。
でも、ソファーに乗りあがらないと無理か。
キャスターが滑ったら大変だ。
やっぱり、ソファーを倒すしかないね」
絵里子が、美咲の背後に回った。
「侑くん、ソファーの前、持って。
後ろに倒すから。
あ、ちょい待ち。
腕が後ろに回ってるんだった」
背もたれの裏側で束ねられた手首に、絵里子の指を感じた。
結び目が緩み、ロープが解かれていく。
久々に腕が開放された。
「腕が自由になったからって、悪さしたら許さないからね」
絵里子は、解いたロープを放り投げた。
ロープは、赤い蛇のように宙に躍った。
「侑くん、いいよ。
ゆっくりあげて」
ソファーが傾いていく。
嫌な予感しかしなかった。
「絵里子さん、助けて……」
「ちょっと待っててね。
今、美味しいもの、あげるから」
ついに、ソファーの背もたれが床に着地した。
美咲が座らされた座面は、垂直に立ちあがっている。
「絵里子、こんな恰好にして、どうやって入れるの?」
「向かい合えば、入れられるだろ。
美咲を跨いで立って。
そうそう」
顔面が尿臭に覆われる。
「なんだ、もう終わりかい」
尿は、すぐに力を失った。
香織の性器は、蛇口を閉めきらなかった水飲み水栓のように、尿を溢れ零していた。
「物足りないね。
侑くん、出ない?」
「無理。
勃ってるから」
「そうか。
勃起してると尿管が塞がれちゃうんだ。
良く出来てるもんだよ。
精液に尿が混ざらないようにって仕組みなのかね。
よし、それじゃ、あたしのをあげようかね」
「絵里子、もう入れたいよ」
「せっかちな子だね。
ちょっと待って。
美咲姫に、わたしのおしっこを献上したいから。
でも、ソファーに乗りあがらないと無理か。
キャスターが滑ったら大変だ。
やっぱり、ソファーを倒すしかないね」
絵里子が、美咲の背後に回った。
「侑くん、ソファーの前、持って。
後ろに倒すから。
あ、ちょい待ち。
腕が後ろに回ってるんだった」
背もたれの裏側で束ねられた手首に、絵里子の指を感じた。
結び目が緩み、ロープが解かれていく。
久々に腕が開放された。
「腕が自由になったからって、悪さしたら許さないからね」
絵里子は、解いたロープを放り投げた。
ロープは、赤い蛇のように宙に躍った。
「侑くん、いいよ。
ゆっくりあげて」
ソファーが傾いていく。
嫌な予感しかしなかった。
「絵里子さん、助けて……」
「ちょっと待っててね。
今、美味しいもの、あげるから」
ついに、ソファーの背もたれが床に着地した。
美咲が座らされた座面は、垂直に立ちあがっている。
「絵里子、こんな恰好にして、どうやって入れるの?」
「向かい合えば、入れられるだろ。
美咲を跨いで立って。
そうそう」
コメント一覧
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1. Mikiko- 2022/12/09 05:45
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今日は何の日
12月9日は、『漱石忌』。
明治から大正時代の小説家で英文学者の夏目漱石(なつめ そうせき/1867~1916)の忌日。
冬の季語。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/112095.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、「夏目漱石について」を引用させていただきます。
慶応3年1月5日(新暦では、1867年2月9日)に……。
江戸の牛込馬場下横町(現:東京都新宿区喜久井町)に生まれました。
本名は、夏目金之助(なつめ きんのすけ)。
父の直克(なおかつ)は、江戸の牛込から高田馬場までの一帯を治めてた名主でした。
しかし金之助は、里子や養子に出されるなど、不遇の幼児期を送ります。
児童期には漢詩文に親しみ、大学予備門で俳人の正岡子規(まさおか しき)を知り、俳句を学びます。
1893(明治26)年、帝国大学(後:東京帝国大学、現:東京大学)英文科を卒業。
1895(明治28)年、松山の愛媛県尋常中学校(現:松山東高等学校)の英語教師となります。
松山は子規の故郷であり、子規とともに俳句に精進し、数々の佳作を残しました。
翌1896(明治29)年、熊本の第五高等学校(熊本大学の前身)の英語教師となります。
1900(明治33)年、イギリスへ留学。
1903(明治36)年、留学から帰国し、東京帝国大学の英文学講師となります。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2022/12/09 05:46
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今日は何の日(つづき)
引用を続けます。
その傍ら、1905(明治38)年……。
デビュー作の長編小説『吾輩は猫である』を、俳句雑誌『ホトトギス』に発表。
これが評判となり、『倫敦塔(ろんどんとう)【1905年】』や……。
『坊っちゃん【1906年】』、『草枕(くさまくら)【1906年】』などを執筆。
1907(明治40)年、教職を辞して朝日新聞社に入社し、作家活動に専念します。
『虞美人草(ぐびじんそう)【1907年】』や……。
前期三部作と呼ばれる『三四郎【1908年】』、『それから【1910年】』などを『朝日新聞』に連載。
前期三部作の3作目にあたる『門』を執筆途中、持病の胃潰瘍で入院。
伊豆の修善寺(しゅぜんじ)で療養しますが……。
大吐血を起こし、生死の間を彷徨う危篤状態に陥ります。
この事件は「修善寺の大患」と呼ばれ……。
この一時的な「死」の体験は、その後の作品に影響を与えることとなります。
作品は、人間のエゴイズムを追い求めていき、後期三部作と呼ばれる『彼岸過迄(ひがんすぎまで)【1912年】』……。
『行人(こうじん)【1914年】』、『こゝろ【1914年】』へと繋がっていきます。
1916(大正5)年12月9日、胃潰瘍により体内出血を起こし、『明暗』執筆途中に自宅で死去。
49歳。
墓は、東京都豊島区南池袋の雑司ヶ谷霊園にあります。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2022/12/09 05:46
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今日は何の日(つづきのつづき)
引用を続けます。
なお遺体は、東京帝国大学医学部解剖室において病理学者の長與又郎(ながよ またお)により解剖され……。
摘出された脳と胃は寄贈されました。
脳は、現在もエタノールに漬けられた状態で、東京大学医学部に保管されてます。
また、1984(昭和59)年から2004(平成16)年まで発行された千円紙幣に……。
明治時代の文豪として、肖像が採用されてました。
以上、引用終わり。
夏目漱石の小説に初めて触れたのは……。
高校の国語の教科書だったと思います。
『こころ』だった気がします。
小説には、あんまり強い印象はなかったんですが……。
日ごろ沈着冷静な先生が、珍しく熱く語ってた姿が記憶に残ってます。
といっても、受験がありましたので……。
それ以上、読み進むことはありませんでした。
ある程度集中して読んだのは、大学に入ってからでした。
わざわざ、旧仮名旧漢字の本を買って読みました。
『吾輩は猫である』の、飄々としてユーモラスな文章に惹かれました。
でも、一番印象に残ってるのは……。
『三四郎』とかの主人公が、やたらと歩くことです。
東京に出て、東京の地理も少しずつわかってきたころでした。
とても徒歩で行くとは考えられない2点を、何の躊躇もなく歩いてました。
ま、当時は、交通機関もなかったので……。
歩くのが当たり前だったんでしょうけどね。
選択肢がそれしかないってのは、かえって気楽な気がします。
夏目漱石。
老後にもう1度、読み直そうかな。