2022.7.5(火)
会津若松に行くのは……。
実は、初めてではありません。
なんと、3回目になります。
1回目は、小学校の修学旅行でした。
あまりいい思い出はありません。
バスの旅でした。
車酔いして辛かったのを覚えてます。
飯盛山の土産物屋では、白鞘の模擬刀のようなものを売ってました。
お土産に買う男子も多かったです。
見学を終え、「またバスに乗るのか」と……。
暗澹たる思いで駐車場のバスに向かってたとき。
いきなり男子に取り囲まれました。
全員、白鞘の模擬刀を抜いてました。
そして……。
滅多斬りにされました。
もちろん、強く叩いたりはされませんでしたが。
スローモーションみたいな斬り方です。
中には、わたしの頭に刃をあてて、ギコギコと引くヤツまでいました。
あんまり良い思い出のなかった修学旅行の地でしたが……。
なぜかその後、また行ってます。
社会人になって、新潟に戻ってからでした。
そのころはまだ、『Mikiko's Room』をやってませんでしたので……。
休日には、たっぷりと時間がありました。
自分で車を運転して行きましたね。
新潟市から会津若松市までは……。
磐越自動車道を使えば、1時間40分くらいのようです。
でもわたしは、下道の「国道49号」で行きました。
磐越自動車道は、対面通行で怖いんですよ。
片側1車線なので。
片側1車線で、中央分離帯を区切ってしまうと……。
遅い車がいれば、あっという間に渋滞してしまいます。
なので対面通行にして、追い越しが出来るようになってるわけです。
しかし、怖いですよね。
高速道路で、反対車線に入るわけですから。
わたしなら、とうてい出来ません。
てなわけで、下道をのんびり走りました。
当時は、腰痛もなかったですし。
確か、5月の後半だったと思います。
沿道には、タニウツギやキリの花が咲いてました。

↑タニウツギ(Pixabayより)。
このときは泊まらずに、日帰りしました。
1日で、会津若松まで往復したわけです。
今なら腰が心配で、とても出来ません。
同じ姿勢で座ってると、覿面に痛くなりますから。
でも、どこを見学したのか、ほとんど記憶がないんです。
記録もありませんし。
当時は、『Mikiko's Room』をやってませんから……。
旅行記を書く用事もありません。
なので、カメラなんか持って行ってなかったんです。
さて、そんな会津若松。
修学旅行では、いい思い出がありませんでした。
2回目の日帰り旅行は、ほとんど記憶なし。
そんなところに、なんでまた行くことにしたんでしょうね。
明確な理由はないのですが……。
やはり、心情的なつながりでしょうか。
戊辰戦争つながり。
会津と云えば、白虎隊。
新潟県には、河井継之助。
共に幕府側として戦い、壮絶な最期を遂げました。
継之助が亡くなったのは、会津に向かう途中の南会津郡只見町でした。
こんなところから、心情的なシンパシーを感じるようです。
雪国という点でも、共通してますし。
それに、2回行ってることで……。
フォトジェニックな見所があることを知ってましたから。
あそことあそことあそこ、瞬時に指を折って数えられます。
しかも隣県なら、「県民割」が利きます。
ということで、行き先を会津若松にすることは……。
あんまり迷わずに決められました。
前置きが長すぎましたね。
それでは、始めましょう。
2022(令和4)年。
初夏。
日曜日です。
あ、もうひとつ追加。
日曜日を出発日にしたこと。
これは、2019年の東京行きからのことなんです。
それまでは、木金で行ってました。
なぜ、2019年から日月にしたのかと云うと……。
ホテルの宿泊料金が、曜日によって違ってたからです。
日曜日が安かったんですよ。
単にそれだけの理由。
これがなければ、日月にはしませんでした。
なぜなら、月曜日に開いてる施設が少ないからです。
で、今年ですが……。
会津若松のホテルの料金は、曜日による違いはありませんでした。
それでは、なぜ日月にしたのか。
2019年、やむなくこの日程にして、初めて気づいたのですが……。
準備が楽なんですよ。
出発前日の土曜日に、時間をかけて準備できますから。
それまでの木金の日程では大変でした。
前日まで会社ですから。
準備は、当日の朝。
わたしは、こういうことがテキパキと出来ないので……。
3時起きです。
それでもギリギリでした。
実は、初めてではありません。
なんと、3回目になります。
1回目は、小学校の修学旅行でした。
あまりいい思い出はありません。
バスの旅でした。
車酔いして辛かったのを覚えてます。
飯盛山の土産物屋では、白鞘の模擬刀のようなものを売ってました。
お土産に買う男子も多かったです。
見学を終え、「またバスに乗るのか」と……。
暗澹たる思いで駐車場のバスに向かってたとき。
いきなり男子に取り囲まれました。
全員、白鞘の模擬刀を抜いてました。
そして……。
滅多斬りにされました。
もちろん、強く叩いたりはされませんでしたが。
スローモーションみたいな斬り方です。
中には、わたしの頭に刃をあてて、ギコギコと引くヤツまでいました。
あんまり良い思い出のなかった修学旅行の地でしたが……。
なぜかその後、また行ってます。
社会人になって、新潟に戻ってからでした。
そのころはまだ、『Mikiko's Room』をやってませんでしたので……。
休日には、たっぷりと時間がありました。
自分で車を運転して行きましたね。
新潟市から会津若松市までは……。
磐越自動車道を使えば、1時間40分くらいのようです。
でもわたしは、下道の「国道49号」で行きました。
磐越自動車道は、対面通行で怖いんですよ。
片側1車線なので。
片側1車線で、中央分離帯を区切ってしまうと……。
遅い車がいれば、あっという間に渋滞してしまいます。
なので対面通行にして、追い越しが出来るようになってるわけです。
しかし、怖いですよね。
高速道路で、反対車線に入るわけですから。
わたしなら、とうてい出来ません。
てなわけで、下道をのんびり走りました。
当時は、腰痛もなかったですし。
確か、5月の後半だったと思います。
沿道には、タニウツギやキリの花が咲いてました。

↑タニウツギ(Pixabayより)。
このときは泊まらずに、日帰りしました。
1日で、会津若松まで往復したわけです。
今なら腰が心配で、とても出来ません。
同じ姿勢で座ってると、覿面に痛くなりますから。
でも、どこを見学したのか、ほとんど記憶がないんです。
記録もありませんし。
当時は、『Mikiko's Room』をやってませんから……。
旅行記を書く用事もありません。
なので、カメラなんか持って行ってなかったんです。
さて、そんな会津若松。
修学旅行では、いい思い出がありませんでした。
2回目の日帰り旅行は、ほとんど記憶なし。
そんなところに、なんでまた行くことにしたんでしょうね。
明確な理由はないのですが……。
やはり、心情的なつながりでしょうか。
戊辰戦争つながり。
会津と云えば、白虎隊。
新潟県には、河井継之助。
共に幕府側として戦い、壮絶な最期を遂げました。
継之助が亡くなったのは、会津に向かう途中の南会津郡只見町でした。
こんなところから、心情的なシンパシーを感じるようです。
雪国という点でも、共通してますし。
それに、2回行ってることで……。
フォトジェニックな見所があることを知ってましたから。
あそことあそことあそこ、瞬時に指を折って数えられます。
しかも隣県なら、「県民割」が利きます。
ということで、行き先を会津若松にすることは……。
あんまり迷わずに決められました。
前置きが長すぎましたね。
それでは、始めましょう。
2022(令和4)年。
初夏。
日曜日です。
あ、もうひとつ追加。
日曜日を出発日にしたこと。
これは、2019年の東京行きからのことなんです。
それまでは、木金で行ってました。
なぜ、2019年から日月にしたのかと云うと……。
ホテルの宿泊料金が、曜日によって違ってたからです。
日曜日が安かったんですよ。
単にそれだけの理由。
これがなければ、日月にはしませんでした。
なぜなら、月曜日に開いてる施設が少ないからです。
で、今年ですが……。
会津若松のホテルの料金は、曜日による違いはありませんでした。
それでは、なぜ日月にしたのか。
2019年、やむなくこの日程にして、初めて気づいたのですが……。
準備が楽なんですよ。
出発前日の土曜日に、時間をかけて準備できますから。
それまでの木金の日程では大変でした。
前日まで会社ですから。
準備は、当日の朝。
わたしは、こういうことがテキパキと出来ないので……。
3時起きです。
それでもギリギリでした。
コメント一覧
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––––––
1. Mikiko- 2022/07/05 05:57
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ギリギリな女
単独旅行が始まったきっかけは……。
検診を受けることでした。
『単独旅行記Ⅰ(2014年)』では、埼玉の病院で心臓の検査を受けました。
初日は、それでつぶれます。
2日目は、そのご褒美として『鉄道博物館』に行きました。
その1箇所だけ。
『単独旅行記Ⅱ(2015年)』では……。
大塚の病院で、『アミノインデックスがんリスクスクリーニング』という癌の検査を受けました。
2日目は、『江戸東京博物館』に行きました。
心臓も癌も、症状が出ての検査ではありません。
共に、取り越し苦労から思い詰めての受診です。
結果は、共になんてことなし。
心臓の方は、要観察でしたが。
でもその後、8年もピンピンしてるわけですからね。
その『単独旅行記Ⅱ』での受診が、ギリギリだったんです。
検診は、15時に予約を取ってました。
↓そのときの文章です。
+++
結局、クリニックには、15時3分前に着きました。
しかし……。
検診の11時間前から起きてるのに、なぜこんなにギリギリになるのか、わけがわかりません。
+++
続きは次のコメントで。
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––––––
2. Mikiko- 2022/07/05 05:57
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ギリギリな女(つづき)
なぜこんなことになったのか。
それは、交通機関が……。
予定どおりの時刻で運行されることを前提にして、計画を立ててたからです。
このときは、高速バスでした。
高速バスが、渋滞で遅れるなんてこと、考えてもいなかったんです。
確かに、高速を出るまでは時間どおりでした。
ところが!
練馬インターチェンジで高速を降りてからが大渋滞。
ぜんぜん進まないバスの中で、冷や汗が流れました。
計画は、余裕を持って。
これが、旅の基本です。
でも、直らないんですよね。
ビビリのくせに、ギリギリの予定を立ててしまうんです。
何年か前も、電車で、乗り換え時間1分という計画を立てました。
でもそのときは、計画が根底から覆ったんです。
飯能だかで爆発物みたいなのが見つかったとかで、電車のダイヤがめちゃくちゃ。
今は、あらゆる路線が互いに乗り入れてますから……。
はるか遠い場所の事故でも、ダイヤの乱れが波のように押してくるんです。
でも、そこまで見こんでは予定を立てられませんよね。
ほんとは、予備の案を作っておくべきなのでしょうが……。
そこまでは、とうていできません。