2021.10.27(水)
美咲の顔が歪んだ。
泣き出す寸前の顔だ。
可愛くて仕方がない。
すぐにもペニバンを突っこみたくなる。
しかし、我慢だ。
「ほら、起って。
パンツ脱ぎなさい。
わたしの気が短いこと、忘れたのかい。
早く起つ!」
声を張ると、美咲は雷に撃たれたみたいに起立した。
グズってはいるが、ほんとうは命令されることが大好きなのだ。
「脱いで」
美咲は、ワンピースの裾を手繰り、中に手を入れた。
裾の前が垂れてるから、中は見えない。
しかし今は、注文しないでおく。
もちろん、ストッキングは穿いていない。
裾の下から白い布地が現れた。
片脚ずつあげて、抜き取る。
「寄こして」
絵里子は手を差し出した。
美咲は手に握った布地を、揉み固めるように逡巡していた。
「早く」
声を尖らせると、美咲はおずおずと手を差し出した。
渡された布地には、温もりが籠もっていた。
頬ずりしたかった。
頭から被りたかった。
しかし、もちろん出来ない。
命令者としての威厳が失われてしまうからだ。
硬い表情を崩さず、布地を広げる。
口角があがるのを、抑えられなかった。
ショーツは、明らかに下ろしたてだ。
呼び出しを受けたときは、必ず新しいショーツを穿いてくる。
2人に見られながら脱がされることを覚悟しているからだろう。
しかし、その純白なはずの布地の中央部は……。
すでに縦一筋、色変わりをしていた。
「これは何?」
布地を裏返し、美咲に突きつける。
美咲は悲しげに目を逸らす。
ほんと、この子の旦那が信じられない。
こんな顔を見ながら欲情しないなんて。
あ、そうか。
家で、美咲が泣き顔を見せることはないのか。
旦那はずっと、腫れ物に触るように美咲に接してきたのかもしれない。
バカな男だ。
泣き出す寸前の顔だ。
可愛くて仕方がない。
すぐにもペニバンを突っこみたくなる。
しかし、我慢だ。
「ほら、起って。
パンツ脱ぎなさい。
わたしの気が短いこと、忘れたのかい。
早く起つ!」
声を張ると、美咲は雷に撃たれたみたいに起立した。
グズってはいるが、ほんとうは命令されることが大好きなのだ。
「脱いで」
美咲は、ワンピースの裾を手繰り、中に手を入れた。
裾の前が垂れてるから、中は見えない。
しかし今は、注文しないでおく。
もちろん、ストッキングは穿いていない。
裾の下から白い布地が現れた。
片脚ずつあげて、抜き取る。
「寄こして」
絵里子は手を差し出した。
美咲は手に握った布地を、揉み固めるように逡巡していた。
「早く」
声を尖らせると、美咲はおずおずと手を差し出した。
渡された布地には、温もりが籠もっていた。
頬ずりしたかった。
頭から被りたかった。
しかし、もちろん出来ない。
命令者としての威厳が失われてしまうからだ。
硬い表情を崩さず、布地を広げる。
口角があがるのを、抑えられなかった。
ショーツは、明らかに下ろしたてだ。
呼び出しを受けたときは、必ず新しいショーツを穿いてくる。
2人に見られながら脱がされることを覚悟しているからだろう。
しかし、その純白なはずの布地の中央部は……。
すでに縦一筋、色変わりをしていた。
「これは何?」
布地を裏返し、美咲に突きつける。
美咲は悲しげに目を逸らす。
ほんと、この子の旦那が信じられない。
こんな顔を見ながら欲情しないなんて。
あ、そうか。
家で、美咲が泣き顔を見せることはないのか。
旦那はずっと、腫れ物に触るように美咲に接してきたのかもしれない。
バカな男だ。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2021/10/27 05:46
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今日は何の日

10月27日は、『松陰忌』。
幕末の長州藩士で、思想家、教育者の吉田松陰(よしだ しょういん/1830~1859)の忌日(旧暦)。
江戸幕府が行なった弾圧「安政の大獄(あんせいのたいごく)」で投獄され……。
1859(安政6)年10月27日(新暦の11月21日)、処刑されました。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/110278.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、「吉田松陰について」を引用させていただきます。
松蔭は、1830(文政13)年8月4日、長州萩城下松本村(現:山口県萩市椿東)に……。
長州藩士、杉常道(すぎ つねみち/通称:百合之助)の次男として生まれました。
松陰の幼名は寅之助。
通称は寅次郎。
諱(いみな)は矩方(のりかた)。
1834(天保5)年5歳(数え年)の時……。
叔父で山鹿流(やまがりゅう)兵学師範である吉田大助の養子となり、兵学を修めます。
9歳の時から藩校の明倫館(めいりんかん)で兵学の講義を行います。
11歳の時、藩主・毛利敬親(もうり たかちか)への御前講義でその才能を認められます。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2021/10/27 05:48
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今日は何の日(つづき)

引用を続けます。
1850(嘉永3)年、西洋兵学を学ぶために九州に遊学。
翌1851(嘉永4)年、江戸に出て兵学者の佐久間象山(さくま しょうざん)や朱子学者の安積艮斎(あさか ごんさい)に師事。
象山には西洋砲術や蘭学を学びます。
1854年(嘉永7年)、アメリカ海軍の軍人マシュー・ペリー(Matthew Perry)が、日米和親条約締結のために再航した際……。
弟子の金子重之輔(かねこ しげのすけ)と共に海外密航を企てますが、失敗。
自首し、萩の野山獄に投獄されます。
出獄後の1857(安政4)年、叔父の玉木文之進(たまき ぶんのしん)が主宰してた松下村塾の名を引き継ぎ……。
萩の杉家敷地に、私塾「松下村塾(しょうかそんじゅく)」を開きます。
高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋ら、維新の指導者を数多く育成しました。
1858(安政5)年の日米修好通商条約に絡んで幕府を批判し、再び投獄されます。
安政の大獄に連座し、死罪が宣告され……。
1859(安政6)年10月27日、江戸の伝馬町牢屋敷において執行されました。
数えで30歳(満29歳)。
長州藩主の別邸があった東京都世田谷区若林と、実家のあった萩市椿東には……。
1882(明治15)年と1907(明治40)年に、それぞれ松陰を祀る松陰神社が創建されました。
萩市の松陰神社の境内には、幕末当時の松下村塾の建物が現存します。
1922(大正11)年に国の史跡に指定され……。
2015(平成27)年には、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
以上、引用終わり。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2021/10/27 05:48
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今日は何の日(つづきのつづき)

明治維新関係の歴史は、気の毒な事例が多いので……。
わたしは基本、避けて通ってます。
わたしが男性だったとしても、絶対に出来なかったことをした人が多すぎて……。
自分が情けなく思えることも一因です。
もちろん、吉田松陰もそのひとり。
しかし……。
こんなに若くして処刑されてたとは思いませんでした。
満29歳ですよ。
天才は、人生を短く駆け抜けてしまうんですかね。
9歳(満8歳)で、藩校の明倫館で兵学の講義。
11歳(満10歳)で、藩主の毛利敬親に御前講義。
毛利敬親は、1819年の生まれ。
講義を受けたときは、満21歳。
この年齢であれば、おそらく血気盛んなころです。
それが、10歳も年下の下級藩士の子供の講義を受けたんです。
しかも!
敬親はその才を認め、自ら松蔭の門下になったそうです。
どちらも、スゴすぎです。
松蔭の残した言葉のひとつに……。
「国家とともにという志がないならば、人ではない」というのがあるそうです。
「人」を貫くために、縛につき、処刑されていったわけです。
今の衆議院議員選挙の立候補者に……。
これほどの覚悟がある人がいるのでしょうか。
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4. 手羽崎 鶏造- 2021/10/27 20:11
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松陰と言われるとつい、
松陰「唇」を付けてしまう
スケベなワタシですう。
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5. Mikiko- 2021/10/28 05:51
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萩の人に……
怒られますぞ。
萩の松下村塾には、1度行ってみたいです。
塾舎がそのまま残ってるようです。
トイレがどうなってたかに興味があります。











![[官能小説] 熟女の園](https://livedoor.blogimg.jp/mikikosroom2008/imgs/3/e/3e07a9c3.gif)





































































































