2021.5.27(木)
ドアの前に立った中山希美(なかやま のぞみ)は、手を胸に当てて大きく深呼吸をした。
検査室の表示を確認すると、その下のボタンを押す。
「はい」
スピーカーから女性の声が聞こえた。
「中山希美です。穂茂田室長の指示で参りました」
「被験者の方ね。どうぞ……」
低く愛想のない応対の後、ドアロックの外れる音がした。
その女性はデスクのパソコンに向かったまま希美を迎えた。
「中山希美です。今日はよろしくお願いします」
モニターから顔を上げると、その女性は片手を伸ばして前の椅子をすすめる。
「技術主任の篠原怜子(しのはら りょうこ)です。よろしく」
希美が椅子に座るのを待って、怜子はそう自己紹介をした。
何故か怜子はそのままじっと希美を見ている。
たまらない息苦しさを覚えて、希美はその視線を膝元に落とした。
そして同時に、条件につられて穂茂田室長の申し出を了承したことを少し後悔していた。
「ははは、なあ~に感想をそのまま伝えればいいんだから、中山君、そう深く考えないで」
穂茂田は満面の笑顔でそう言った。
「うん、まあ君からすれば少し特殊な器具に感じるかもしれんが、被験者はごく普通の女性が適切だと篠原主任が言うんだよ」
「はあ………」
まだ目をさ迷わせている希美を見ると、穂茂田は少し膝を乗り出して続ける。
「この緊急事態を解決するためのポイントだとして、首脳部もこのプロジェクトに期待している。だから被験者にもそれ相応の見返りがあってしかるべきだと考えているんだ」
「見返り………?」
希美は穂茂田の顔を見た。
穂茂田はその目に輝きを宿して大きく頷く。
「来期は経理主任に昇格、そして倍額の昇級と言うところが妥当な線かと私は思っている。それにこの企画はごく一部の人間しか把握していないし、一般には通信機器の開発だということで周知している」
希美は静かに唾を飲み込んだ。
「室長、あの……少し、考えさせてください。主人にも相談しないと……」
「中山君。ご主人には通信機器のテストってことで相談した方がいいと思うよ。全くリスクなどないテストなんだ。無用な心配で新婚夫婦の夜の生活にヒビでも入ったら、僕はご両親に申し訳が立たないよ。あっははは……」
無言で頷く希美に、穂茂田は真顔に戻って続けた。
「明日の正午までに返事をくれるかな。もう非常事態は間近に迫っている。無駄に時間を費やすことは出来ないんだ」
「わかりました」
希美はそう返事をして席を立った。
「中山さん、ちょっと待ってて」
「はい……」
希美は膝元に目を伏せたまま篠原怜子の言葉を待った。
負けず嫌いで頑張って、実業学校から国の機関に就職したにもかかわらず、こんな業務に関わるとは思ってもみなかった。
しかし希美も就職してから3年目、周りを見れば一流大学を出たキャリアばかりである。
その中で地位を伸していくなど、負けん気の強い希美もさすがに自信がなかった。
そして実業学校時代に知り合って結婚した夫の安月給では、念願のマイホームも遠い夢に思われた。
だが今回穂茂田から提案された条件が本当ならば、その夢がグッと現実味を帯びてくるように感じたのである。
そして提案があった翌日、希美は穂茂田に被験者を受諾する旨を伝えた。
「中山さん?」
怜子の声で希美は我に返った。
顔を上げると切れ長の目が希美を見つめている。
この篠原怜子こそエリートの代表だと希美は思った。
いや代表どころか、怜子の経歴は技術開発室でも抜きん出ていたのだ。
ところが今日初めて彼女を目の当たりにし希美は、胸の内で意外なため息をついた。
一回りほど年上の30半ばだと思われたが、その凛とした美しさに先ず目を奪われた。
上品に鼻筋が通った細面で、涼やかな目元に艶のあるロングヘアがよく似合っている。
紺の上着とタイトスカートを一分の隙も無く着こなして、その凛とした雰囲気には並みの男は声をかけることさえ躊躇うだろうと思われた。
篠原怜子は日本のトップスラスの理系大学を出て、その研究室の推薦で海外の工科大学に留学し再び主席を取った。
日本に戻ってからは、防衛庁の技術部門でいくつも新機軸の技術を開発したが、何故か彼女は10年ほど国の檜舞台で活躍した後、突然そこから身を引き準国際機関の科学特捜隊技術開発室へ転入したのである。
年間の使用予算は、防衛庁時代に比べて大幅に減少したに違いなかった。
そんな転身の理由が、彼女の裏の顔にあることを知る者は限られていた。
穂茂田もその数人の内の一人だったのだ。
彼女は国の研究に携わる裏で、その卓越した知識と才能を用いて超高品質のペニスバンドを開発していた。
そしてそのプランを高額で買い取った地下組織が作成し密売したのである。
今ではその製品は、密かに世界中のVIPに愛用されるようになっていた。
某国の独裁者など、これを装着した“うれし恥ずかし組”の女性に後ろから責められて、
「よきかな、よきかな!!」
パンパンお尻を叩かれながらとてもお喜びだったそうである。
彼女が開発したペニスバンドの最大の特色とは、その器具を使う者と使われる者の垣根を取り払ったところにあった。
装着者にも器具が埋まる方式は従来のペニスバンドにもあったのだが、彼女の製品ではその部分の機能は従来の物と全く次元が違っていた。
まず本体を構成している特殊樹脂は、挿入された側の肉体的感覚を装着者に実にリアルに伝えることが出来た。
まるで指でなぞるように、装着者も相手の襞一枚一枚の動きまで自分の中に感じ取れるのだ。
またさらに驚くべきことには、ごく微量な電磁波を使って、挿入された側の快感を装着者に伝えることが出来た。
例えばどんなに嫌がるふりをしても、装着者に埋まり込んだ部分が電流や振動で相手に生じている快感を伝えて来て、実は相手が性行為に溺れそうなことが装着者に手に取るように分かるのである。
また接客商売においてその逆の場合の感知も可能であるのは、説明する必要もなかろう。
「158センチで57キロ……。写真は見てたけど、やはりあなた、データ通り少しふっくらしてるのね」
「す、すいません……」
希美の顔がみるみる赤く染まっていく。
怜子は無表情のままモニターから希美の方へ視線を向けた。
「いいえ、とても可愛いわよ、あなた。じゃ、テストに必要な情報を補足するから私の質問に答えてください」
「はい」
いかに一流エリートの前とはいえ、希美もこのまま委縮してしまうのは癪だった。
本来の負けず嫌いが頭をもたげて、希美は椅子に座りなおして背筋を伸ばす。
まっすぐ視線を向けると、何故か怜子の頬が少し緩んだように感じた。
「じゃあ中山さん、男性経験は何人ですか?」
「主人だけですので、一人です」
キーボードで入力する音が聞こえる。
「結婚して半年ですか……。セックスの頻度はどれくらい?」
「え?」
「相手はご主人でしょうけど、その他の方が相手でも構いません。週平均にすると何回くらい?」
「相手は主人だけです!」
「はい。で、何回?」
「2回です」
「わかりました」
再びキーボードの音がした。
「オナニーはします?」
「ええ!?」
さすがに希美は顔色を変えた。
「答える必要がありますか?」
怜子はキーボードから手を離して希美の方を向いた。
「必要があるから聞いてるの。質問に答えて」
切れ長の目が射貫くように希美を見つめている。
「すみません。はい………します」
「どれくらい?」
「月に……二度か三度……」
「ご主人とのセックスでオーガズムに達しますか?」
「それが何かこのテストに関係があるんですか!?」
希美は興奮で語尾が震えるのを覚えた。
「それを判断するのは私です。答えてください」
怜子の答えはあくまで冷静だった。
「いいえ……」
「はい。じゃあたぶん、オナニーでは達するのね?」
希美は無言で頷いた。
「はい、ありがとう」
怜子は2,3度頷きながらそう言うと、再びキーボードに向かう。
「女性とのセックスの経験は?」
「いえ、ありません」
「そう」」
怜子はゆっくりと入力を終えるとキーボードから顔を上げた。
「じゃあ最後の質問です。あなた、女性を好きになったことがある?」
希美は初めて怜子の口調をぎこちなく感じた。
「う……ん……いいえ……」
「本当? よく考えてみて」
「……ええ、よく考えると………」
「あるのね………それはいつ頃?」
「こ、高校生の時です」
「相手はどんな人?」
「部活の2年先輩です」
「その人とは……なにかあった?」
「いいえ、私が思っただけで何も……」
「そう、わかりました」
怜子は椅子から立ち上がった。
「では、事前の質問はこれで終わりです」
「今のは記録しないんですか?」
「いいのよ、もう分かったんだから。また思いついたら聞くかもしれないけど、実施テストを始めましょう。隣の部屋へ移動します」
歩き始めた怜子の背中を見ながら、希美もおずおずと椅子から立ち上がる。
怜子が壁のボタンを押すと、試験室に入るドアが音もなく開いた。
先に怜子が部屋に入った後、室内に薄暗い照明が点灯する。
「ええ?!」
続いて部屋に入ろうとした希美は、息を呑んでその足を止めた。
薄暗い照明の明かりで、部屋の中央に大きなダブルベッドが浮かび上がっていたからである。
「どうしたの? 中山さん、早く入って」
怜子はドアの手前に立ち止まったままの希美に言った。
「でも、これ……は」
「もう……」
怜子はため息をつきながら両手を組むと、希美に向かって口を開く.
「ここは普段、私が仮眠室としても使ってる部屋なの。今回はあなたにリラックスしてもらうためにここでの実施を思いついたのよ。あなたも実験室みたいなとこじゃ嫌でしょう?」
「はあ………」
もじもじと逡巡する希美に、怜子は2,3歩み寄る。
「ふふ……、さあ入って。さっさと今日のテストを済ませちゃいましょう」
初めて怜子の表情が緩むのを見て、希美は少し気持ちが和らぐのを感じた。
「さあ中山さん、入って」
怜子に強張った微笑みを返すと、希美はおずおずとその部屋に足を踏み入れていった。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2021/05/27 06:20
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鍵を握る人
いきなりお話が脱線し始めて……
しかも、面白くなって来ましたね。
しかし、平の経理課員が主任に昇格しただけで……。
倍額の昇級なぞ、普通ではあり得ません。
当然、給与データにアクセスできるのは、彼女だけじゃないはず。
経理課長はもちろん、それ以前に、データは人事部がセットするはずです。
「ナニカアル」と感じる人は、少なくないでしょう。
特に、昇格で先を越された経理課員は納得出来ないでしょう。
秘密を掴むため、退社後に後を付けたりするんじゃないですか。
なんだか、わたしみたいですね。
わたしならまず……。
超小型のボイスレコーダーを、彼女の持ち物にセットします。
ま、バッグでしょうね。
ただ、セットするのは、なかなか簡単ではありません。
たぶん仕事中は、鍵付きのロッカーに仕舞ってあるでしょうし。
メーカーに連絡すれば、合鍵は取り寄せられるでしょうが……。
足が付きますし、そもそもそれは総務課の仕事。
経理課員が直接、合鍵の発注をすることはないはず。
しかも、自分のロッカーじゃないわけですし。
彼女が、ロッカーの鍵をどうしてるかわかれば……。
それを拝借して合鍵を作ることも可能です。
でもたぶん、家の鍵と一緒にキーケースに入れ、持ち歩いてるんじゃないですか。
ひとつ、可能なのは、ロッカーを交換してもらうこと。
自分のロッカーの鍵は、あらかじめ合鍵を作っておきます。
これなら、何の苦もありません。
しかし、ロッカー交換の理由を作るのは、かなり困難でしょうね。
続きはさらに次のコメントで。
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2. Mikiko- 2021/05/27 06:21
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鍵を握る人(つづき)
となればやはり……。
ピッキングでしょうか。
素人じゃ無理と思われがちですが……。
ロッカーの鍵は、玄関錠などとは違い、はなはだチャチな造りのようです。
↓「生活110番ニュース」というページに、その方法が書いてありました(出典⇒https://www.seikatsu110.jp/key/ky_repair/193217/)
+++
ピッキングをする場合、まずクリップとペンチ、マイナスドライバーを準備しましょう。
ただし、会社など自分のロッカーでない場合は、必ず所持者や上司の許可を得てから作業してください。
1.クリップを広げ、棒状に伸ばす
2.クリップの先端をペンチで45度くらいの角度になるよう曲げる
この加工したクリップとマイナスドライバーを使って作業します。その手順は、以下になります。
1.マイナスドライバーの先端を鍵穴の下側に差し込む
2.シリンダーを鍵が開く方向に少しだけひねっておく
3.加工したクリップを鍵穴に差し込む
4.ピンとピンのすき間がプラグと水平になるようにクリップを動かす
5.水平になったら開錠される
+++
よーわかりません。
特に、「4」。
「ピン」って何ですか?
鍵穴の中にあるものなんでしょうか?
ただし、ピッキングで開けるのには、大きなデメリットがあります。
鍵穴自体が壊れて、もう鍵で施錠できなくなる可能性があるそうです。
これじゃ、開けたことがバレてしまいます。
ピッキングをすべきなのは、あくまで合鍵が出来るのを待てない緊急事態のときや……。
泥棒して即とんずらするときだけでしょう。











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