2021.4.16(金)
「あ」
目の前に現れた靴音の主は、その靴音を乱した。
手にしたスマホを見つめながら、真っ直ぐベンチに向かってこようとして……。
そこに典子たちがいることに、ようやく気づいたのだ。
事務服姿だった。
もう一方の手には、ランチバッグのようなものを下げていた。
おそらく、電話当番かなにかで、ひとりだけ遅い昼休みになったのだろう。
このベンチで、お昼を摂るつもりだったようだ。
ひとりのときはいつも、ここで食べるのかも知れない。
事務員は2人の前に立ち止まると、眉をひそめた。
自分たちのテリトリーに入って来た、異質なものを見る目だった。
典子と薫の姿は、オフィス街には場違いに思えるのだろう。
典子は、この若いOLの、ちょっと見下したような視線が癇に障った。
大手企業のOLが、彼らの規範のレールから外れた者をさげすんで見る目だったからだ。
ほんの少し前までの典子は、大学教授という……。
こんなOLなどとは比べものにならない、王道中の王道を闊歩していたのだ。
典子の敵愾心に火が点いた。
OLが踵を返そうとした瞬間……。
典子は、2人の腰から下を覆っていたスカーフを取り除けた。
手品師が、布を払うように。
OLは、完全に凝固していた。
典子は、さらに両脚を開いた。
チュニックの裾は、脚の付け根まで上がっている。
レギンスは、サスペンダーの刳り抜きが剥き出した。
漆黒のレギンスと、脂肉のような白い下腹部。
無毛なので、陰部を隠すものはない。
ザクロのごとく割れた性器には、薫の指が這っていた。
そして薫は、ジーンズの前立てから陰茎を突きあげていた。
もちろん、典子がそれを握っている。
典子はOLを見あげ、微笑んでみせた。
口角が鋭く切れあがるのを、自ら感じた。
舞台で、客に見せる笑顔だった。
その笑みに撃たれたみたいに、OLの凝固が解けた。
OLは、何も見なかったような無表情な顔で、身体を90度横に向けた。
そのまま、来た道とは反対方向に歩き出した。
ヒール音に力が無く、老婆が歩いているようだった。
OLの姿は、やがて植えこみの陰に消えていった。
目の前に現れた靴音の主は、その靴音を乱した。
手にしたスマホを見つめながら、真っ直ぐベンチに向かってこようとして……。
そこに典子たちがいることに、ようやく気づいたのだ。
事務服姿だった。
もう一方の手には、ランチバッグのようなものを下げていた。
おそらく、電話当番かなにかで、ひとりだけ遅い昼休みになったのだろう。
このベンチで、お昼を摂るつもりだったようだ。
ひとりのときはいつも、ここで食べるのかも知れない。
事務員は2人の前に立ち止まると、眉をひそめた。
自分たちのテリトリーに入って来た、異質なものを見る目だった。
典子と薫の姿は、オフィス街には場違いに思えるのだろう。
典子は、この若いOLの、ちょっと見下したような視線が癇に障った。
大手企業のOLが、彼らの規範のレールから外れた者をさげすんで見る目だったからだ。
ほんの少し前までの典子は、大学教授という……。
こんなOLなどとは比べものにならない、王道中の王道を闊歩していたのだ。
典子の敵愾心に火が点いた。
OLが踵を返そうとした瞬間……。
典子は、2人の腰から下を覆っていたスカーフを取り除けた。
手品師が、布を払うように。
OLは、完全に凝固していた。
典子は、さらに両脚を開いた。
チュニックの裾は、脚の付け根まで上がっている。
レギンスは、サスペンダーの刳り抜きが剥き出した。
漆黒のレギンスと、脂肉のような白い下腹部。
無毛なので、陰部を隠すものはない。
ザクロのごとく割れた性器には、薫の指が這っていた。
そして薫は、ジーンズの前立てから陰茎を突きあげていた。
もちろん、典子がそれを握っている。
典子はOLを見あげ、微笑んでみせた。
口角が鋭く切れあがるのを、自ら感じた。
舞台で、客に見せる笑顔だった。
その笑みに撃たれたみたいに、OLの凝固が解けた。
OLは、何も見なかったような無表情な顔で、身体を90度横に向けた。
そのまま、来た道とは反対方向に歩き出した。
ヒール音に力が無く、老婆が歩いているようだった。
OLの姿は、やがて植えこみの陰に消えていった。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2021/04/16 05:46
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今日は何の日
4月16日は、『ボーイズビーアンビシャスデー』。
1877(明治10)年4月16日(今から144年前)。
札幌農学校(現:北海道大学農学部)の基礎を築いた教頭・クラーク博士(1826~1886年)が……。
「Boys,be ambitious.(少年よ、大志を抱け)」という有名な言葉を残して北海道を去り、アメリカに帰国しました。
本名はウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark)ですが、日本では「クラーク博士」として知られます。
クラーク博士は、1年前の1876(明治9)年8月14日、日本初の官立農学校である札幌農学校が開校した際……。
日本政府の熱烈な要請を受けて招かれた初代の教頭でした。
その当時、クラーク博士はマサチューセッツ農科大学(現:マサチューセッツ大学アマースト校)の学長であり……。
その農科大学の1年間の休暇を利用しての訪日でした。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/104163.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、引用を続けさせていただきます。
アメリカに帰国後、マサチューセッツ農科大学の運営に関する地元の理解が得られず……。
また、メディアによるクラーク学長の放漫財政批判などもあり、クラーク博士は学長を辞職しました。
その後、2年をかけて世界一周して見聞を広めながら教育する「洋上大学」の開学を企画しますが、失敗。
また、知人と共に鉱山会社を設立し、当初は大きな利益を上げましたが、やがて会社が破産。
その後、破産をめぐる裁判に訴えられて悩まされました。
晩年は心臓病にかかって寝たり起きたりの生活となります。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2021/04/16 05:47
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今日は何の日(つづき)
引用を続けます。
そして、1886(明治19)年3月9日、失意のうちに59歳でこの世を去ります。
彼は帰国した後も、札幌での生活を忘れることはなく……。
死の間際には、「札幌で過ごした8ヵ月間こそが、私の人生で最も輝かしい時だった」と言い残したと伝えられます。
クラーク博士を模して作られた像は多数あります。
北海道大学の「古河記念講堂」前に設置されている胸像「ウィリアム.S.クラーク胸像」や……。
↓札幌市豊平区羊ヶ丘の「さっぽろ羊ヶ丘展望台」の全身像「丘の上のクラーク」が有名です。
https://zatsuneta.com/img/104163_02.jpg
以上、引用終わり。
一点。
「ウィリアム・スミス・クラーク」って、ファミリーネーム(姓)は……。
スミスなのか、クラークなのか?
それとも、スミス・クラーク?
「クラーク博士」と呼ばれるんだから、クラークだと思うのですが……。
それなら、真ん中のスミスは何?
ザッと調べましたが、わかりませんでした。
ご存じの方、お教えください。
マサチューセッツって、アメリカのどこにあるのかと思い、調べてみました。
東海岸の、かなり北の方ですね。
州都はボストン。
上原浩治の活躍でワールドシリーズを制した「ボストン・レッドソック」の本拠地です。
緯度は、札幌とほぼ同じ。
日本と同じく四季があり、冬は寒さが厳しいようです。
わたしは、札幌の寒さがイヤになって逃げ出したのかと勘ぐりましたが……。
どうやら、そうではなさそうです。
クラーク博士が生まれたのは、1826年7月31日。
札幌農学校に赴任した1876(明治9)年8月14日は、40歳の誕生日から2週間後。
教師としては、一番脂が乗ったころですね。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2021/04/16 05:48
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今日は何の日(つづきのつづき)
クラーク博士が学長を勤めてたマサチューセッツ農科大学は……。
現在、州立のマサチューセッツ大学になってます。
なお、有名なマサチューセッツ工科大学は、まったく別の私立大学です。
しかし、アメリカに帰ってからのクラーク博士は、不運の連続でした。
博士は、札幌の若者に多大な影響を与えたのでしょうが……。
逆に、若い情熱に触れ、博士の方も感化されてしまったんじゃないでしょうか。
「知人と共に鉱山会社を設立」ってのは、まさに大志を抱いてしまった感があります。
しかし、北海道大学は魅力的ですよね。
ま、わたしには国立大学は無理でしたけど。
理系科目が全滅でしたので。
それにやっぱり、冬は辛すぎるでしょう。
夏の間だけ北海道大学で、冬は琉球大学って通い方は出来ないものですかね。
リモートで授業が受けられるんだから……。
琉球大学から北海道大学の授業だって受けられるでしょう。
ま、それなら自宅でやれやってことなんでしょうが。
でも札幌って、あんまり強風が吹かないんじゃないでしょうか。
北海道大学で有名なのが、ポプラ並木。
ポプラって、風に弱いんですよ。
あれは柳の仲間で、湿地に生えるので根が浅いんです。
「柳に枝折れなし」って諺があります。
強風が吹いても、枝がしなって折れないというのが元になってます。
確かに、枝折れはしないかもしれません。
その代わり、柳は根こそぎ倒れるんです。
そう云えば何年か前……。
台風で、北大のポプラ並木が被害を受けたというニュースを見た記憶があります。
ポプラが大木になれるほど風がなければ、冬もさほどの寒さじゃないのかな?
あ、そうか。
単に、北海道は滅多に台風が上陸しないからだ。
冬、寒くないわけありませんよね。
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4. 手羽崎 鶏造- 2021/04/17 09:22
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ヒット曲『おふくろさん』で
「ボーイズ ビー アンブレラ」と
唄ったのは森進一でしたよね
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5. 手羽崎 鶏造- 2021/04/17 09:33
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大学の教師は誰もが大学の
教授になれるわけではありません。
昔は助教授、今は准教授と呼ばれますが
助教・講師→準教授→教授と
ステップアップしていきます。
オンナ(オトコ)としての脂が乗りきって
いるのは准教授の年代かな。
若い学生と1対1になると、欲情を
抑えるのに大変なアブナイ研究者も
居られるに違いありません
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6. 手羽崎 鶏造- 2021/04/17 09:35
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変換ミスでした。
(誤)準→(正)准教授
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7. Mikiko- 2021/04/17 18:08
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おふくろさん
「お前もいつかは世の中の傘になれ」ですね。
大志は子供が描くべきで……。
親が、内容を指図すべきではないと思いますが。
昔、なかなか教授になれず、助教授を6年勤めた方が……。
「助六(すけろく)です」と自虐されたとか。