2021.4.9(金)
遊歩道のところどころにはベンチが置かれていた。
お弁当を、ここで食べるOLもいるのではなかろうか。
しかし、ランチタイムを過ぎたこの時間には、誰の姿も見えなかった。
「少し座らない?」
典子が立ち止まったのは、木立に囲まれたベンチだった。
旺盛に徒長枝を伸ばした灌木が、ベンチを囲むように茂っている。
典子は薫の手を引き、ベンチに導いた。
頭上には落葉高木が葉を広げ、日差しも遮られている。
並んで腰掛けた。
ショルダーバッグをベンチに下ろす。
教授時代は、常に重たいバッグを持ち歩いていた。
その癖が抜けず、手ぶらで外に出ると心許なかった。
なのでいつもバッグを持ち歩く。
とは云っても、教授時代とはまったく違うデザインのものだ。
以前は、重い書籍を入れてもへたらない丈夫一辺倒のバッグだった。
しかし今日のは、裾の広がったナイロンのバッグだ。
バッグのサイド面には、フリルが重ねられている。
形状が三角形なので、女性がドレスを着ているようにも見える。
紺色のナイロンの襞がつやつやと光り、夜会のドレスのようだ。
中には、大したものは入っていない。
今のなりわいでは、持ち歩く必要のあるものなど、ほとんどないからだ。
スマホがあれば事足りる。
しかし……。
それでは、バッグがスカスカだ。
なので、いらないものも入っている。
ひょっとしたら今日は、それが役立つかもしれない。
ま、それは置いといて。
典子は、チュニックの腰に巻いたスカーフを解いた。
チュニックのウエストが広がる。
元々、ウエストが絞られていないデザインだった。
典子の体型でそのまま着ると、アッパッパにしか見えない。
なので、スカーフで腰を絞っていたのだ。
典子は、薫の腿に、自分の腿を密着させた。
薫は典子よりは背が高く、165㎝くらいはあるいだろう。
典子とは、15センチ近い身長差がある。
改めて並んで座って、典子は思わず吹き出しそうになった。
目線の高さが、ほとんど変わらないのだ。
つまり、15センチの身長差がありながら、座高はさほど違わないということだ。
実際、ベンチから突き出た膝頭は、薫の方がずっと先にあった。
お弁当を、ここで食べるOLもいるのではなかろうか。
しかし、ランチタイムを過ぎたこの時間には、誰の姿も見えなかった。
「少し座らない?」
典子が立ち止まったのは、木立に囲まれたベンチだった。
旺盛に徒長枝を伸ばした灌木が、ベンチを囲むように茂っている。
典子は薫の手を引き、ベンチに導いた。
頭上には落葉高木が葉を広げ、日差しも遮られている。
並んで腰掛けた。
ショルダーバッグをベンチに下ろす。
教授時代は、常に重たいバッグを持ち歩いていた。
その癖が抜けず、手ぶらで外に出ると心許なかった。
なのでいつもバッグを持ち歩く。
とは云っても、教授時代とはまったく違うデザインのものだ。
以前は、重い書籍を入れてもへたらない丈夫一辺倒のバッグだった。
しかし今日のは、裾の広がったナイロンのバッグだ。
バッグのサイド面には、フリルが重ねられている。
形状が三角形なので、女性がドレスを着ているようにも見える。
紺色のナイロンの襞がつやつやと光り、夜会のドレスのようだ。
中には、大したものは入っていない。
今のなりわいでは、持ち歩く必要のあるものなど、ほとんどないからだ。
スマホがあれば事足りる。
しかし……。
それでは、バッグがスカスカだ。
なので、いらないものも入っている。
ひょっとしたら今日は、それが役立つかもしれない。
ま、それは置いといて。
典子は、チュニックの腰に巻いたスカーフを解いた。
チュニックのウエストが広がる。
元々、ウエストが絞られていないデザインだった。
典子の体型でそのまま着ると、アッパッパにしか見えない。
なので、スカーフで腰を絞っていたのだ。
典子は、薫の腿に、自分の腿を密着させた。
薫は典子よりは背が高く、165㎝くらいはあるいだろう。
典子とは、15センチ近い身長差がある。
改めて並んで座って、典子は思わず吹き出しそうになった。
目線の高さが、ほとんど変わらないのだ。
つまり、15センチの身長差がありながら、座高はさほど違わないということだ。
実際、ベンチから突き出た膝頭は、薫の方がずっと先にあった。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2021/04/09 05:36
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今日は何の日
4月9日は、『予祝の日』。
人間力についてのセミナーや会員制の講演会などを企画、運営する『人間力大學(http://ningenryokudaigaku.com/)』の「予祝プロジェクト」が制定。
日付は、「よ(4)しゅく(9)⇒予祝」と読む語呂合わせから。
「予祝」とは、先に祝う前祝いのことです。
たとえば、春のお花見は……。
満開の桜を見て、秋の豊作をイメージして祝う意味がこめられてると云います。
日本古来からあった、前祝いの伝統文化「予祝」を広めることが目的。
「人間力大學」は、2014(平成26)年8月、大嶋啓介理事長により創設されました。
東京校、桑名校、ちばらき校の3校があります。
仕事と家庭の基礎となる人格や精神面を高めるための学びの場です。
講演会には、年間5000人以上の人が参加してます。
記念日は、2020(令和2)年、『(社)日本記念日協会(https://www.kinenbi.gr.jp/)』により認定、登録されました。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/10409a3.html)のページから転載させていただきました。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2021/04/09 05:36
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今日は何の日(つづき)
さらに同じページから、「予祝について」を引用させていただきます。
主に豊作を祈願する「予祝」の行事は、農耕儀礼の一つとして行われることが多いです。
あらかじめ期待する結果を模擬的に表現すると……。
その通りの結果が得られるという俗信にもとづいて行われます。
1月15日の「小正月」に行われることが多く、以下のような行事があります。
庭で田植のまねをする「庭田植(にわたうえ)」。
繭の豊収を祈って作られる「繭玉(まゆだま)」。
豊熟した粟(あわ)や稗(ひえ)に見立てて作られる「粟穂稗穂(あわぼひえぼ)」。
田畑を荒らす害鳥を追い払う「鳥追(とりおい)」。
いずれも、地方色豊かな行事です。
以上、引用終わり。
まずは、「人間力大學」。
初耳でした。
学校法人ではないようです。
上記ホームページを覗いてみましたが……。
正直、ちょっと引きました。
宗教っぽい……。
もっと悪く言うと、マルチ商法っぽい。
ま、わたしのようなすれっからしは、ハナから相手にしないんでしょうね。
わたしも、若いころなら興味を持ったかも知れません。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2021/04/09 05:37
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今日は何の日(つづきのつづき)
さて。
「人間力大學」からは離れて……。
「予祝」について。
この言葉は、初めて聞きました。
とてもいい言葉だと思いました。
「あらかじめ期待する結果を模擬的に表現すると、その通りの結果が得られる」と云うのは……。
俗信などというより、むしろ立派なイメージトレーニングですよね。
昔から日本に、そうした考えがあったことは大したものです。
先史時代からのアニミズム的文化でしょうか。
しかるに、有史以降の宗教は、真逆になってます。
「いいことを期待する」という教えは、ほとんどありません。
逆に、恐怖で支配しようとします。
お寺の地獄絵などがその最たるものでしょう。
あと、厄年。
これも、恐怖による支配ですよ。
逆があってもいいですよね。
言葉としては適当なのがないようですが……。
ま、「当たり年」みたいなものでしょうか。
厄年には、前厄、本厄、後厄があります。
「当たり年」も、3年続きくらいにしませんか。
で、その「当たり年」を迎える前年の暮れに……。
お寺に挨拶に行くという風習を作ればいいんです。
「来年、当たり年ですので、どうぞよろしく」というわけです。
当然、ある程度のものを包んで行きます。
厄年より、よっぽど儲かるんじゃないですか。
最初の「当たり年」は、満19歳になる年がいいでしょう。
もちろん、大学受験の年。
現役が、「前当たり」。
一浪で、「本当たり」。
二浪で、「後当たり」。
三浪は……。
ま、いいじゃないですか。
年々、包みものが厚くなると思います。