2021.3.26(金)
体操部で、夏休みの集中練習をしていたときのことだった。
体育館の練習では、どうしても技のタイミングが掴めなかった。
頭を冷やそうと、外に出た。
水飲み場で頭から水を浴びて、気持ちを落ち着かせた。
それから体育館裏の壁沿いで、技の入り方のタイミングを確認していた。
もちろん、あたりには誰もいない。
つもりだった。
しかし、気配を感じて振り向いた。
石上先生だった。
一瞬、怒られるのかと思った。
体育館での練習を、無断で抜け出して来たのだから。
しかし、石上先生の目には怒りの色はなかった。
むしろ切なそうで、瞳が頼りなく揺れていた。
普段、男子部員の頭を引っぱたいている顔とはまったく違っていた。
そしてその石上先生から、思いがけない告白を聞くことになったのだ。
「福島……。
一生のお願いがある。
お前には、指一本触れない。
約束する。
そこに立っていてくれるだけでいい。
頼むから逃げないでくれ。
見ててくれるだけでいいんだ」
そのお願いがどういうものか……。
もちろん、はっきりとはわからなかった。
しかし、ある方向のものだということは、イヤでも想像が出来た。
なぜなら、石上先生のジャージの股間が、大きく膨らんでいたからだ。
「お前を見てると、我慢できないんだ。
残酷だよ。
そんな身体を毎日見せつけられるのは。
ヘンな気が起きないように……。
アパートで抜いてから来るんだけどな。
それでも、お前のレオタード姿を見ただけで、股間が勝手に決起しちまう。
おれが妻と別れたばかりなのは知ってるだろ?
ホントは、お前と結婚したいくらいなんだ。
でも、お前の方が承知できないだろうからな。
30近くも歳が違うんだから。
教えてる男子生徒が、マジで羨ましくなるときがある。
おれがお前と同じ年代だったら……。
絶対に自分のものにする」
身体が金縛りになった。
まさか自分が、こんな情熱的な告白をされるなんて……。
しかも、相手は教師だ。
まるで、テレビドラマのヒロインにでもなった気分だった。
典子は可憐なヒロインの表情で、石上先生を見あげ……。
逃げないことを告げるため、小さく頷いた。
体育館の練習では、どうしても技のタイミングが掴めなかった。
頭を冷やそうと、外に出た。
水飲み場で頭から水を浴びて、気持ちを落ち着かせた。
それから体育館裏の壁沿いで、技の入り方のタイミングを確認していた。
もちろん、あたりには誰もいない。
つもりだった。
しかし、気配を感じて振り向いた。
石上先生だった。
一瞬、怒られるのかと思った。
体育館での練習を、無断で抜け出して来たのだから。
しかし、石上先生の目には怒りの色はなかった。
むしろ切なそうで、瞳が頼りなく揺れていた。
普段、男子部員の頭を引っぱたいている顔とはまったく違っていた。
そしてその石上先生から、思いがけない告白を聞くことになったのだ。
「福島……。
一生のお願いがある。
お前には、指一本触れない。
約束する。
そこに立っていてくれるだけでいい。
頼むから逃げないでくれ。
見ててくれるだけでいいんだ」
そのお願いがどういうものか……。
もちろん、はっきりとはわからなかった。
しかし、ある方向のものだということは、イヤでも想像が出来た。
なぜなら、石上先生のジャージの股間が、大きく膨らんでいたからだ。
「お前を見てると、我慢できないんだ。
残酷だよ。
そんな身体を毎日見せつけられるのは。
ヘンな気が起きないように……。
アパートで抜いてから来るんだけどな。
それでも、お前のレオタード姿を見ただけで、股間が勝手に決起しちまう。
おれが妻と別れたばかりなのは知ってるだろ?
ホントは、お前と結婚したいくらいなんだ。
でも、お前の方が承知できないだろうからな。
30近くも歳が違うんだから。
教えてる男子生徒が、マジで羨ましくなるときがある。
おれがお前と同じ年代だったら……。
絶対に自分のものにする」
身体が金縛りになった。
まさか自分が、こんな情熱的な告白をされるなんて……。
しかも、相手は教師だ。
まるで、テレビドラマのヒロインにでもなった気分だった。
典子は可憐なヒロインの表情で、石上先生を見あげ……。
逃げないことを告げるため、小さく頷いた。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2021/03/26 05:34
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今日は何の日
3月26日は、『カチューシャの唄の日』。
1914(大正3)年3月26日。
島村抱月と松井須磨子が起こした劇団「芸術座」が、トルストイの『復活』の初演を行いました。
その後、この劇中で歌われた『カチューシャの唄』が大流行することになります。
『復活』は、1899(明治32)年に、雑誌への連載で発表された、帝政ロシアの小説家トルストイの代表作です。
若い貴族とかつて恋人だった女の、贖罪と魂の救済を描き……。
それを通じて、社会の偽善を告発した作品です。
『カチューシャの唄』の作詞は、島村抱月と相馬御風、作曲は中山晋平。
『復活』の劇中歌として、主演女優の松井須磨子などが歌唱しました。
また、1914(大正3)年5月に、『復活唱歌』の題名で、松井の歌唱によるレコードが発売されました。
歌詞の「カチューシャかわいや わかれのつらさ」は爆発的な流行語となりました。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/103261.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、引用を続けさせていただきます。
↓のYouTubeの音楽は、当時のレコードが音源と思われます。
https://youtu.be/TiMpE83f8GM
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2021/03/26 05:34
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今日は何の日(つづき)
引用を続けます。
この音源の歌詞は、以下の通りであると思われます。
当時は歴史的仮名遣いが用いられてましたが、これは現代仮名遣いで表記されたものです。
(1)
カチューシャかわいや わかれのつらさ
せめて淡雪 とけぬ間と
神に願いを(ララ)かけましょうか
(2)
カチューシャかわいや わかれのつらさ
今宵ひと夜に 降る雪の
あすは野山の(ララ)路かくせ
(3)
カチューシャかわいや わかれのつらさ
せめて又逢う それまでは
同じ姿で(ララ)いてたもれ
(4)
カチューシャかわいや わかれのつらさ
つらいわかれの 涙のひまに
風は野を吹く(ララ)日はくれる
(5)
カチューシャかわいや わかれのつらさ
ひろい野原を とぼとぼと
独り出て行く(ララ)あすの旅
上演当日、劇場の廊下に歌詞を大きく書いた紙を貼り出すと……。
それをメモしようと客が群がり、合唱となったというエピソードもあります。
松井の生誕地である長野県長野市や、中山の生誕地である長野県中野市の「中山晋平記念館」などには、この歌の歌碑があります。
『復活唱歌(カチューシャの唄)』のレコードは、2万枚以上を売り上げたという説もあります。
蓄音機自体が高価で普及率が低く、数千枚売れれば大当たりと言われた時代です。
以上、引用終わり。
YouTube、聞いてみました。
正直……。
ヘタくそです。
今のアイドルの方が、まだマシかも。
のど自慢に出たら、鐘1つですね。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2021/03/26 05:35
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今日は何の日(つづきのつづき)
しかし、相馬御風が作詞に関わってたとは、初めて知りました。
どの程度の関わりなんですかね。
補作程度でしょうか。
でもそれくらいなら……。
島村抱月が頼みこんで、御風の名を出さないようにすることも出来たのではないでしょうか。
実際は、島村の原詩があまりにもヘタすぎて、ほとんどが御風の作だったのでは?
ちょっと調べても、島村がほかに作詞してた歌は見つからないんですよ。
相馬御風は、新潟県糸魚川市(当時は、西頸城郡糸魚川町)の出身。
御風の母校、早稲田大学の校歌(「都の西北」)はあまりにも有名。
これを筆頭に、校歌の作詞が山ほどあります。
特に、新潟県出身ということで……。
新潟県の学校では、やたらと多いです。
↓なんと、144校もあるようです。
https://www.city.itoigawa.lg.jp/secure/8969/gyohu-kouka-kennai_2017.09.pdf
↓県外の学校の校歌も、64ありました。
https://www.city.itoigawa.lg.jp/secure/8969/gyohu-kouka-kengai_2019.11.pdf
どうやって作ったんでしょうね。
いちいち、学校を訪ねて行ったとは思えません。
やっぱり、学校から見える風景などを聞き取り……。
東京で作ったのでしょう。
あと、御風は童謡も書いてます。
↓わたしが大好きなのは『春よこい』。
https://www.youtube.com/watch?v=DXFcFdQBvQM
春の童謡は、ほんとに気持ちがほっこりします。
新潟県出身の御風にとっても、実感だったんじゃないでしょうか。