2021.1.15(金)
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午後からも2人は、寝室に籠もっていた。
夕方になって、スマホにLINEが入った。
寝室の志津子からだった。
もう1時間もすれば終わるから、惣菜を買って来てとのメッセージだった。
郊外の大型スーパーでは、かなりの駐車スペースが車で埋まっていた。
やはり、住みやすい土地なのだろう。
気候も穏やかだし、ちょうど良く田舎で。
かといって不便ではなく、こうした大きなスーパーもある。
もっとも、車があることが前提の暮らしだが。
マンションに戻っても、2人はまだ出て来てなかった。
小さな丸テーブルに、惣菜を並べてみたが……。
白いプラスチックトレーが密集するさまは、あまり見栄えのいいものではなかった。
帰ったことをLINEで伝えたが、もう少しかかるという応答だった。
ということで、食器棚から皿を取り出し、惣菜を移し替えることにした。
皿はほとんど、志津子が自分のアパートから持ってきたものだ。
揃いのものはほとんどなく、色も形もバラバラだった。
S市で定期的に開かれていた陶器市にハマっていた時期があったそうだ。
テーブルは、一気にカラフルになった。
トレーを、プラごみの袋に入れ終わると同時に、寝室の扉が開いた。
「わ。
スゴいご馳走」
「スーパーの惣菜だよ」
「昭夫ちゃん……。
ずいぶんと張り切ったじゃないの。
わたしとのとき、こんなことしてくれたことなんかないのに」
「時間があったからさ」
「こんなにお皿、出しちゃって。
終わったら、洗い物、お願いね」
「あ、わたしが洗います」
「ダメよ。
お客さんなんだから」
「さ、食べよう。
腹、減っちゃったよ」
彼女は、歓迎会のときより、さらにいい飲みっぷりだった。
「驚いたな。
歓迎会では、まだセーブしてたってわけか」
「わたし、飲むと呂律が回らなくなるんです。
だから、ああいう場では気をつけないと」
「それでも、ずいぶん飲んでたけどね」
「はは。
部屋では毎日飲んでますから」
午後からも2人は、寝室に籠もっていた。
夕方になって、スマホにLINEが入った。
寝室の志津子からだった。
もう1時間もすれば終わるから、惣菜を買って来てとのメッセージだった。
郊外の大型スーパーでは、かなりの駐車スペースが車で埋まっていた。
やはり、住みやすい土地なのだろう。
気候も穏やかだし、ちょうど良く田舎で。
かといって不便ではなく、こうした大きなスーパーもある。
もっとも、車があることが前提の暮らしだが。
マンションに戻っても、2人はまだ出て来てなかった。
小さな丸テーブルに、惣菜を並べてみたが……。
白いプラスチックトレーが密集するさまは、あまり見栄えのいいものではなかった。
帰ったことをLINEで伝えたが、もう少しかかるという応答だった。
ということで、食器棚から皿を取り出し、惣菜を移し替えることにした。
皿はほとんど、志津子が自分のアパートから持ってきたものだ。
揃いのものはほとんどなく、色も形もバラバラだった。
S市で定期的に開かれていた陶器市にハマっていた時期があったそうだ。
テーブルは、一気にカラフルになった。
トレーを、プラごみの袋に入れ終わると同時に、寝室の扉が開いた。
「わ。
スゴいご馳走」
「スーパーの惣菜だよ」
「昭夫ちゃん……。
ずいぶんと張り切ったじゃないの。
わたしとのとき、こんなことしてくれたことなんかないのに」
「時間があったからさ」
「こんなにお皿、出しちゃって。
終わったら、洗い物、お願いね」
「あ、わたしが洗います」
「ダメよ。
お客さんなんだから」
「さ、食べよう。
腹、減っちゃったよ」
彼女は、歓迎会のときより、さらにいい飲みっぷりだった。
「驚いたな。
歓迎会では、まだセーブしてたってわけか」
「わたし、飲むと呂律が回らなくなるんです。
だから、ああいう場では気をつけないと」
「それでも、ずいぶん飲んでたけどね」
「はは。
部屋では毎日飲んでますから」
コメント一覧
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1. Mikiko- 2021/01/15 05:38
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今日は何の日

1月15日は、『「適サシ肉」の日』。
老舗すき焼き店「ちんや(http://www.chinya.co.jp/)/東京都台東区浅草」が制定。
六代目当主の住吉史彦氏が、過剰な霜降肉を自店で扱うことを止め……。
適度な霜降の入った肉、「適サシ肉」だけを使うことを宣言。
「適サシ肉」の美味しさを、多くの人に味わってもらうことが目的。
日付は、宣言をした2017(平成29)年1月15日にちなんで。
「適サシ肉」は住吉氏の造語で、「㈱ちんや」が商標登録をしてます。
記念日は、2018(平成30)年、『(社)日本記念日協会(https://www.kinenbi.gr.jp/)』により認定、登録されました。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/10115a1.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、『「ちんや」について』を引用させていただきます。
江戸時代の同店は、諸大名や豪商に小型犬の狆(ちん)などの愛玩動物を納め……。
獣医も兼ねていたところから、「狆屋」と呼ばれてました。
1880(明治13)年、料理屋に転じましたが、「ちんや」をそのまま屋号としたものです。
その後、1903(明治36)年に、すき焼の専門店になりました。
場所は浅草寺「雷門」のすぐ西側(東京都台東区浅草1-3-4)で……。
外観は、明治の息吹を今に伝える総赤煉瓦づくりとなってます。
震災や戦災を経て、1975(昭和50)年、現在の店舗が竣工しました。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2021/01/15 05:38
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今日は何の日(つづきのつづき)

さらに同じページから、『「適サシ肉」について』を引用させていただきます。
「適サシ肉」とは、適度な霜降肉のことで、サシの入り方が過剰でないことを意味します。
具体的には、脂肪の量が4等級(5等級は不使用)で、脂肪の融け方が良い……。
つまり脂肪の融点が低い=充分な月齢(30ヵ月)まで肥育した和牛のメス牛の肉を指します。
また、小ザシ=サシの入り方が細かく……。
加熱すると、サシと赤身の境界線から「和牛香」という良い香りの出る肉でもあります。
これにより、赤身の旨味と脂の甘味のバランスが良く……。
胃もたれせず、そして香りも良いすき焼きを実現できるのです。
以上、引用終わり。
美味しそうですね。
子供のころ、わが家で、すき焼きが出た記憶はありません。
すき焼き鍋も、家にはなかったと思います。
牛肉を煮たものは、出て来ましたが。
でも、食卓に出るときは、すでに器に盛られてましたね。
あ、そうだ。
生卵で食べる鍋も、たまに出てました。
豚肉でしたが。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2021/01/15 05:38
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今日は何の日(つづきのつづき)

すき焼きで記憶があるのは……。
高校の修学旅行だったか、スキー授業だったかの夕食です。
部屋食でした。
でも、一部屋に6人くらいいたんじゃないですかね。
当時は、夕食がすき焼きだとは豪勢だと思ってました。
でも、後から考えたとき、そうじゃないことがわかりました。
宿が楽だからですよ。
料理を作る必要がありません。
材料だけ提供すればいいわけです。
ネギを切るくらいでしょうから……。
アルバイトでも、十分に対応できます。
食べてるときの記憶はほとんどないのですが……。
卵が1人1個だったので、あっという間に卵の味がなくなりました。
後で聞いたのですが……。
男子の部屋では、戦場だったようです。
肉の争奪戦。
生肉を頬張り、口の中で煮詰めてたヤツがいたという話を聞きました。
大人になってからは……。
ひょっとしたら、1度も食べてないかも知れません。
少なくとも、お店に入ったことはないです。
やっぱりねー。
砂糖を入れるというのが、ちょっと抵抗あるんです。
わが家で出なかったのも、それが原因だと思います。
祖父も父も、酒飲みでしたから。
砂糖甘い料理は好まなかったんでしょう。
家庭料理の味は、今は子供に合わせるのかも知れませんが……。
昔は、男たちの舌に合わせてたわけです。











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