2020.10.3(土)
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由美は、長い妄想から、ようやく目覚めた。
高校時代、繰り返し妄想するうち、出来上がっていったストーリーだった。
実家マンションの自室の窓から見える、同じくらいの高さのマンション。
そこに住む独身男。
望遠鏡をこちらに向ける覗き男。
東京に出て来てからは、しばらくこの妄想は忘れていた。
今の学生マンションからは、同じ高さの窓は見えないのだ。
なんだか急に、実家に帰りたくなった。
そしてまた、あのベランダでオナニーするのだ。
そうだ。
今度帰ったら、シェードを外して。
でも……。
今はもう、時期的に難しい。
夜は肌寒いほどになっていた。
やっぱり、夏はいいなと思う。
暑い暑いと嘆きながら、びっしょり湿ったTシャツを脱ぎ捨てるときの開放感。
ギラギラ照りつける太陽が懐かしい。
由美は、改めて膝の封書に目を落とした。
夜だった。
東京の学生マンション。
もちろん、ひとりだ。
由美は、膝の封書を手に取った。
差出人の名前には、夏の思い出が詰まっていた。
宮高昭夫。
実家近くの公園で出会った男女。
初老に近い2人だった。
夏の終わりの夜だった。
近道をするために通った公園。
いきなり女が園路に飛び出してきた。
そして……。
由美の前で、羽織ってたコートを左右に開いたのだ。
化鳥が羽ばたくようだった。
しかし、開いた羽根の内側に、羽毛は無かった。
素っ裸だったのだ。
羽毛どころか、陰毛さえ無かった。
その代わり、脇の下には、靡くほどの脇毛が生えていた。
笑っていた。
目は据わっている。
てっきり、薬でもやってると思った。
薬物は、人のリミッターを外す場合がある。
道場の先生の話では……。
倒れた相手を、骨折した脚で、笑いながら蹴り続ける薬物中毒者を見たことがあるという。
薬中には油断するなと教えられていた。
女は笑いながら、無造作に由美の間合いに入って来た。
由美の頭は、一瞬で戦闘モードに切り替わった。
由美は、長い妄想から、ようやく目覚めた。
高校時代、繰り返し妄想するうち、出来上がっていったストーリーだった。
実家マンションの自室の窓から見える、同じくらいの高さのマンション。
そこに住む独身男。
望遠鏡をこちらに向ける覗き男。
東京に出て来てからは、しばらくこの妄想は忘れていた。
今の学生マンションからは、同じ高さの窓は見えないのだ。
なんだか急に、実家に帰りたくなった。
そしてまた、あのベランダでオナニーするのだ。
そうだ。
今度帰ったら、シェードを外して。
でも……。
今はもう、時期的に難しい。
夜は肌寒いほどになっていた。
やっぱり、夏はいいなと思う。
暑い暑いと嘆きながら、びっしょり湿ったTシャツを脱ぎ捨てるときの開放感。
ギラギラ照りつける太陽が懐かしい。
由美は、改めて膝の封書に目を落とした。
夜だった。
東京の学生マンション。
もちろん、ひとりだ。
由美は、膝の封書を手に取った。
差出人の名前には、夏の思い出が詰まっていた。
宮高昭夫。
実家近くの公園で出会った男女。
初老に近い2人だった。
夏の終わりの夜だった。
近道をするために通った公園。
いきなり女が園路に飛び出してきた。
そして……。
由美の前で、羽織ってたコートを左右に開いたのだ。
化鳥が羽ばたくようだった。
しかし、開いた羽根の内側に、羽毛は無かった。
素っ裸だったのだ。
羽毛どころか、陰毛さえ無かった。
その代わり、脇の下には、靡くほどの脇毛が生えていた。
笑っていた。
目は据わっている。
てっきり、薬でもやってると思った。
薬物は、人のリミッターを外す場合がある。
道場の先生の話では……。
倒れた相手を、骨折した脚で、笑いながら蹴り続ける薬物中毒者を見たことがあるという。
薬中には油断するなと教えられていた。
女は笑いながら、無造作に由美の間合いに入って来た。
由美の頭は、一瞬で戦闘モードに切り替わった。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2020/10/03 06:29
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今日は何の日
10月3日は、『榮太樓飴の日』。
1818(文政元)年創業の老舗和菓子店『㈱榮太樓總本鋪(http://www.eitaro.com/)/東京都中央区日本橋』が制定。
日付は、「榮太樓飴(えいたろうあめ)」の生みの親である細田栄太郎の誕生日、1832(天保3)年10月3日から。
また、この日は七十二候の「水始涸(みずはじめてかる)」の初日で、農産物の収穫期となり……。
天然の原材料だけで作られている「榮太樓飴」にふさわしい日との思いも。
同社の代表的商品である「榮太樓飴」を、さらに多くの人に知ってもらい……。
その美味しさを味わってもらうことが目的。
記念日は、2018(平成30)年、『(社)日本記念日協会(https://www.kinenbi.gr.jp/)』により認定、登録されました。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/11003b1.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、「榮太樓飴について」を引用させていただきます。
江戸の庶民には高価だった砂糖を煮て作られた南蛮渡来の有平糖(あるへいとう)をもっと気軽にと……。
創意工夫から生まれたのが「梅ぼ志飴」でした。
まだ固まりきらない紅着色の飴を鋏で切り、指でつまんだ三角の形が梅干しに似ていたため……。
洒落好きの江戸っ子たちが、「梅ぼ志飴」と名付けました。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2020/10/03 06:29
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今日は何の日(つづき)
引用を続けます。
以来、有平糖の製法技術をもとに、「黒飴」「抹茶飴」「紅茶飴」と続き……。
平成に入り、「のど飴」と、国産果物使用、無香料、無着色のフルーツキャンディ「果汁飴」が榮太樓飴シリーズに加わりました。
同社は、2018年、創業200周年を迎えました。
これからも、江戸からの製法を受け継ぎ……。
安心して美味しく食べられる飴づくりを続けていきます。
以上、引用終わり。
名前は聞いたことがありました。
でも、「栄太郎」だと思ってました。
「栄太楼」だったんですね。
「水始涸(みずはじめてかる)」は、田んぼの水を抜くことのようです。
こちらではもう、コシヒカリの刈り入れは、とっくに終わってます。
早稲なので、早いのです。
切り株から生えたひこばえで、田んぼはまた青くなってるほど。
早稲ではない田んぼでは、これからが刈り入れでしょう。
でも、10月は台風が怖いですよね。
ヘタすると、刈り入れ前の稲が吹き倒され、水に浸かってしまいます。
水が引かない限り、コンバインが入れないので……。
手をこまねいて見ているしかありません。
いくらなんでも、手刈りは出来ないでしょう。
コシヒカリの刈り入れは、9月の暑い最中の作業となります。
でも、刈ってしまえば、10月の台風に怯えることはなくなります。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2020/10/03 06:29
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今日は何の日(つづきのつづき)
新潟の田んぼが、みんなコシヒカリになってしまったのは……。
価格以外の要因の方が大きいと思います。
一番の理由は、田植えの時期。
コシヒカリの田植えは、ゴールデンウィークに行われます。
早稲じゃない稲は、こんなに早く植えられません。
役所は、もっと遅く植えろと指導してるようですけどね。
5月頭じゃ、植えてから冷害に遭う恐れがあるからです。
でも、無理矢理植えてます。
なぜかというと、ゴールデンウィークは、助っ人を頼みやすいからです。
すなわち、都会に出てる子ども夫婦。
田植え自体は、田植機で行うので、人手はいりません。
でも、苗箱を、苗代から軽トラに積んで田んぼまで運び……。
それを下ろして、田植機にセットするまでが重労働なんです。
老夫婦だけでは、ちょっと辛い。
ということで、都会からの助っ人が必須なわけです。
「♪無理して植え~ちゃ、いけ~な~い~と」言われても……。
植えざるを得ないのが実情です。
でも、今年はコロナで、助っ人が来てくれなかったみたいです。
大変だったでしょうね。
ところで、「榮太樓飴」。
食べたこと、ありません。
スーパーに売ってるんでしょうか。
わたしは、仕事中、飴を舐めることが多いです。
でも、なかなか、これだというものに巡り会いません。
なので、毎回、違うのを買う感じです。
「榮太樓飴」、探してみますかね。