2020.5.29(金)
「かんぱーい」
3つの缶が、テーブルの上で交わされた。
アルミのあたる鈍い音がした。
「あー。
乾杯だけは、グラスの方が良かったわね」
「万里亜さん!
今さら」
「さ、飲も飲も。
味は一緒よ」
万里亜は、缶を口元で大きく傾けた。
白い喉が起伏する。
エロチックだった。
男性なら、この時点で飛びかかってるのではないか。
「あー、美味しい」
「すごいー。
一気にぜんぶ開けちゃった」
「350だもの。
やっぱ、500にすれば良かったか」
「お代わり、持ってきます」
「2本、お願い」
缶ビールを両手に持って戻ると、万里亜がグラスを口に運んでいた。
「由美ちゃんの、もらっちゃった」
由美が、自分の缶からビールを注いだのだろう。
「さ、食べましょう。
ピザが冷めちゃうわ。
このお重、ちょっと有名なのよ」
「いただきます」
由美は、取り皿も用意してあった。
テーブル中央に積んである。
うっかりしているようで、案外気も回ることに感心した。
でも、万里亜の前だからかも知れない。
それを思うと、少し複雑だった。
賑やかな宴は、時間を忘れた。
テーブルの料理も、若い3人の胃にあらかた収まってしまった。
「あら、大変」
「どうしたんです?」
「ワイン飲むの、忘れてたわ。
あんなに苦労して持って来たのに」
「用意します」
「お願い」
「ビールばっかりで、ちょっと涼しくなっちゃったわね」
万里亜のワンピースは薄そうだった。
3つの缶が、テーブルの上で交わされた。
アルミのあたる鈍い音がした。
「あー。
乾杯だけは、グラスの方が良かったわね」
「万里亜さん!
今さら」
「さ、飲も飲も。
味は一緒よ」
万里亜は、缶を口元で大きく傾けた。
白い喉が起伏する。
エロチックだった。
男性なら、この時点で飛びかかってるのではないか。
「あー、美味しい」
「すごいー。
一気にぜんぶ開けちゃった」
「350だもの。
やっぱ、500にすれば良かったか」
「お代わり、持ってきます」
「2本、お願い」
缶ビールを両手に持って戻ると、万里亜がグラスを口に運んでいた。
「由美ちゃんの、もらっちゃった」
由美が、自分の缶からビールを注いだのだろう。
「さ、食べましょう。
ピザが冷めちゃうわ。
このお重、ちょっと有名なのよ」
「いただきます」
由美は、取り皿も用意してあった。
テーブル中央に積んである。
うっかりしているようで、案外気も回ることに感心した。
でも、万里亜の前だからかも知れない。
それを思うと、少し複雑だった。
賑やかな宴は、時間を忘れた。
テーブルの料理も、若い3人の胃にあらかた収まってしまった。
「あら、大変」
「どうしたんです?」
「ワイン飲むの、忘れてたわ。
あんなに苦労して持って来たのに」
「用意します」
「お願い」
「ビールばっかりで、ちょっと涼しくなっちゃったわね」
万里亜のワンピースは薄そうだった。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2020/05/29 05:50
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今日は何の日
5月29日は、『呉服の日』。
「全国呉服小売組合総連合会」が制定。
また、着物の卸売業の国内ナンバーワンシェアを持つ『ウライ㈱(https://www.urai.co.jp/)/京都府京都市下京区』が制定。
日付は、「ご(5)ふ(2)く(9)(呉服)」と読む語呂合せから。
和服業界の振興と、より多くの人に和服の良さ知ってもらうことが目的。
記念日は、ウライが制定した日として、2017(平成29)年に『(社)日本記念日協会(https://www.kinenbi.gr.jp/)』により認定、登録されました。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/105291.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、「呉服と呉服屋について」を引用させていただきます。
呉服とは、和服用の織物の総称、または糸が太い綿織物や麻織物の太物(ふともの)に対して絹織物のことを意味しました。
呉服の名前は、中国の三国時代の呉に由来し、呉の国から伝来した織物という意味です。
江戸時代には、上等な絹織物を扱う呉服屋と、普段着の綿織物や麻織物を扱う太物屋がありました。
明治時代以降、日常生活に洋服が用いられるようになり……。
普段着として和服を着る人が少なくなったため、太物屋は廃れていきました。
そして現在、呉服屋は、呉服や太物の区別なく、和服(着物)を扱うお店となってます。
2月10日は、太物の「ふ(2)と(10)」と読む語呂合わせから「太物の日」に……。
11月15日は、「七五三」に由来して「着物の日」となってます。
以上、引用終わり。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2020/05/29 05:51
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今日は何の日(つづき)
↓の記述には、やや疑問があります。
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明治時代以降、日常生活に洋服が用いられるようになり……。
普段着として和服を着る人が少なくなったため、太物屋は廃れていきました。
+++
和服が普段着として着られなくなっていったのは……。
戦後、しかも昭和40年代以降じゃないでしょうか。
昔の歌手が舞台で歌う動画なんか見ると、観客の女性の多くが着物です。
↓昭和41(1966)年の都はるみの舞台。
https://www.youtube.com/watch?v=LjHt4siM6Wk
あれは、晴れ着として着てたんですかね?
しかし、都はるみ……。
尋常ならざる上手さですね(当時まだ、18歳!)。
男性の勤め人は、さすがに会社に行くときは背広だったでしょう。
でも、家に帰ると、すぐに着物に着替えてたと思います。
サザエさん家の波平さんがそうですよね。
つまり当時の着物は、男性にとっては、寛ぐための服装だったわけです。
女性と違って、帯をキリキリ巻いたりしませんしね。
袂や懐など、収納も多く便利です。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2020/05/29 05:52
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今日は何の日(つづきのつづき)
さて、わたしと着物。
着たことありません。
成人式も出ませんし、結婚式も他人のだけ。
冬は綿入れ半纏を着ますが……。
あれって、着物ですかね?
あ、もし浴衣が着物なら、これだけはあります。
旅館やビジホの備え付けのやつ。
しかし、起きたとき、あまりにもだらしなくなってるのが困りものです。
ひとりの部屋なら構わないんですけどね。
社員旅行で、複数人と同部屋のときが、かなり問題。
わたしは、イビキこそかかないと思いますが、寝相が悪いんです。
特に、飲むとヒドくなります。
畳に転がり出たりします。
そのとき浴衣が、試合終了前の柔道着みたいにはだけてると問題大きいです。
ま、寝るのはひとりに限ります。
また、東京旅行、行きたいな。
補足。
呉服と言えば、越後屋。
現在の三越です。
今年の3月22日、新潟三越が閉店しました。
でも、ギリギリ良い時期だったと思いますよ。
緊急事態宣言が出される前。
閉店の日は、多くの人に見送られてシャッターが下ろされました。
なお、三越と言えば、ライオン。
そのライオン像ですが、すぐ近くにもらい手が見つかりました。
中央区役所なども入るNEXT21というビルです。
道路から少し引っこんだ場所に静かに鎮座してます。
台座がずいぶんと低くなりましたが、
ま、引退の地には、最適だと思います。
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4. 手羽崎 鶏造- 2020/05/29 22:10
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「水戸黄門」シリーズによく
出てきそうな1シーン
互いに酒を交わしながら、
「越後屋、そちも悪(わる)だのう」
「いえいえ、お代官ほどでは」
ガハハと笑いあう悪党二人。
そのこと?
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5. Mikiko- 2020/05/30 06:38
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越後屋の由来
越後屋創設者の先祖は武士で……。
三井越後守(みついえちごのかみ)を名乗ってました。
ここから取って、越後屋となったんですね。
もちろん、三越の「三」は、「三井」から来てます。
で、越後守ですが……。
当時は、その土地と関係なくても、「守(かみ)」や「介(すけ):上野介(こうずけのすけ)など」を名乗れました。
早い話、三井家は、新潟県とは縁もゆかりもない家系なんです。