2020.4.12(日)
舞台の照明が明るくなった。
ラテンっぽいミュージックが流れてきた。
「むせび泣くテナーサックス」といった、いかにもな曲だった。
万里亜の好みとは思えない。
女教授の趣味だろう。
出演者の気分が盛りあがる曲ということで、万里亜も容認したのではないか。
ということは、これから出てくるのは女教授と云うことだ。
あまり見たくはないが……。
出資金を用立ててくれた万里亜からの招待だ。
挨拶するまでは、帰るわけにもいかない。
彼女が現れるまで、ここで待つしかないだろう。
「座ろうか」
由美の言葉に美弥子は頷きながらも、天井あたりに視線を巡らせていた。
気持ちはわかる。
隠しカメラを探しているに違いない。
「大丈夫よ。
万里亜さんがそんなことさせないわ。
VIPルームに隠しカメラなんて」
「そうね」
2人は、ロングソファーの脇から、水槽前に回りこんだ。
中央まで進み、ソファーに腰掛ける。
革張りの座面は、やや硬めで、背凭れまでの奥行きも十分だった。
これなら、横になって寝れられるのではないか。
なんだか、このソファーの用途が想像できた。
このVIPルームは、一人客用ではなく……。
カップルが対象なのかも知れない。
それもおそらく、女性同士のカップルだ。
男女のカップルなら、何もこんなところに来る必要はないだろう。
曲調が、アップテンポに変わった。
対岸の壁から、拍手が聞こえて来た。
どうやら壁に、防音性はないようだ。
というより、むしろ声が聞こえるようにしているのかも知れない。
「待ってました」
対岸の壁から声が掛かった。
案の定だ。
声と同時に舞台中央に現れたのは……。
これまた想定どおり、女教授だった。
ピンクのベビードールを身に纏っている。
ラテンっぽいミュージックが流れてきた。
「むせび泣くテナーサックス」といった、いかにもな曲だった。
万里亜の好みとは思えない。
女教授の趣味だろう。
出演者の気分が盛りあがる曲ということで、万里亜も容認したのではないか。
ということは、これから出てくるのは女教授と云うことだ。
あまり見たくはないが……。
出資金を用立ててくれた万里亜からの招待だ。
挨拶するまでは、帰るわけにもいかない。
彼女が現れるまで、ここで待つしかないだろう。
「座ろうか」
由美の言葉に美弥子は頷きながらも、天井あたりに視線を巡らせていた。
気持ちはわかる。
隠しカメラを探しているに違いない。
「大丈夫よ。
万里亜さんがそんなことさせないわ。
VIPルームに隠しカメラなんて」
「そうね」
2人は、ロングソファーの脇から、水槽前に回りこんだ。
中央まで進み、ソファーに腰掛ける。
革張りの座面は、やや硬めで、背凭れまでの奥行きも十分だった。
これなら、横になって寝れられるのではないか。
なんだか、このソファーの用途が想像できた。
このVIPルームは、一人客用ではなく……。
カップルが対象なのかも知れない。
それもおそらく、女性同士のカップルだ。
男女のカップルなら、何もこんなところに来る必要はないだろう。
曲調が、アップテンポに変わった。
対岸の壁から、拍手が聞こえて来た。
どうやら壁に、防音性はないようだ。
というより、むしろ声が聞こえるようにしているのかも知れない。
「待ってました」
対岸の壁から声が掛かった。
案の定だ。
声と同時に舞台中央に現れたのは……。
これまた想定どおり、女教授だった。
ピンクのベビードールを身に纏っている。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2020/04/12 06:30
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今日は何の日
4月12日は、『パンの記念日』。
パン食の普及宣伝活動などを行う『パン食普及協議会(https://www.panstory.jp/kyokai.html)/東京都中央区日本橋兜町』が、1983(昭和58)年3月に制定。
1842(天保13)年4月12日(新暦では5月21日/今から178年前)……。
伊豆国(現:静岡県)の韮山代官(江戸幕府の直轄領を支配するために設置された役所の長)で、西洋流兵学者であった江川太郎左衛門英龍(えがわたろうざえもんひでたつ)が……。
軍用携帯食糧として、「兵糧パン」と呼ばれる「乾パン」を作りました。
これが、日本で初めて焼かれた「パン」と言われており、これを記念した日となってます。
また、毎月12日を「パンの日」としており、パン食をいっそう普及させることが目的。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/104122.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、「パンについて」を引用させていただきます。
明治時代の文明開化により「パン」は本格的に日本に上陸しましたが……。
コメ志向の強い日本人には、主食としての「パン」は当初受け入れられませんでした。
この状況を変えたのが、1869(明治2)年に、江戸改め東京・芝の日影町(現:港区新橋付近)で開業した『木村屋(現:木村屋總本店⇒https://www.kimuraya-sohonten.co.jp/)』でした。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2020/04/12 06:31
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今日は何の日(つづき)
引用を続けます。
1874(明治7)年、木村屋の創業者である木村安兵衛(きむらやすべえ)が……。
中に小豆餡を詰めた「あんパン」の開発に成功し、これが好評を博しました。
これにならって、甘味を付加した「菓子パン」が次々と開発され……。
さらにその流れで、調理した具材を挟み込むなどした「惣菜パン」も開発されました。
第二次世界大戦後、多くの学校で学校給食が実施されるようになると……。
アメリカからの援助物資の小麦粉を使って「パンと脱脂粉乳」の学校給食が開始されました。
これがきっかけとなり、日本において「パン」が大量に流通するようになり……。
1955(昭和30)年以降、日本での「パン」消費量は急増していきました。
以上、引用終わり。
さて、わたしとパン。
前にも書きましたが……。
最後にパンを食べたのは、2年前の秋だと思います。
健診後のブランチに買ったサンドイッチ。
以来、まったく食べてません。
嫌いというわけではありません。
むしろ、味は好きです。
単に、食べる機会に恵まれないという感じでしょうか。
朝は、普通にご飯です。
わが家の朝食がパンになったことは、1度もありませんから。
東京で一人暮らしをしてたときは、どうだったかな?
オーブントースターを持ってたので、パンは食べてたと思います。
でも、朝食じゃなかった気がします。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2020/04/12 06:31
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今日は何の日(つづきのつづき)
そう云えば、新潟に帰ってからも……。
母が旅行などでいない日は、夕食にトーストを食べてました。
ピザトースト風。
作り方は、ごく簡単。
食パンに、バターを塗ります。
そこに、スライスしたトマトか、ホールトマトを載せます。
その上に、薄切りのハム。
さらにその上に、蕩けるチーズです。
これをオーブントースターに入れれば、あっという間に出来上がり。
できたては暑いので、食べるのに注意が必要ですが。
チーズの焦げた風味が、なんとも云えず良かったです。
4枚くらい、平気で食べられました。
飲み物はもちろん、ビールです。
それ以外、あり得ません。
うーむ。
こんなことを書いたら、久しぶりに食べたくなりました。
次の胃カメラ後のブランチでやってみるかな。
難点は、ちょっとだけ手間がかかることです。
でも材料は、当日に買わなくても……。
前もって用意しておけるものばかりです。
買い出しに行く手間が省けるんですから……。
ちょっとくらい作る手間がかかっても、元は取れますね。
問題は、野菜ものだな。
サラダだと、当日買わなきゃならないし。
そうだ。
漬物を作っておけばいいんだ。
胡瓜漬け。
よし、決定!
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4. 手羽崎 鶏造- 2020/04/12 09:44
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パンを食されていないとか、
外食をされていないとか、
人と呑んでおられないとか、
管理人さまの世俗の汚れから
かけ離れた仙人のような
お暮しぶりには感心しきりです。
だから「便秘には無縁」(失礼)
という人がうらやむ生活が実現できて
おられるのかもしれませんぞ。
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5. Mikiko- 2020/04/12 12:10
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日ごろの行い
外食も飲み会もない生活のおかげで……。
自粛要請以後も、まったく生活を変えずにいられます。