2020.2.21(金)
「どうしてそう正直なのかしら。
憎たらしい。
今日も罰を与えます。
いい?」
美弥子は頷いていた。
自分でもわかっている。
こんなシチュエーション……。
ほんとにイヤなら、拒絶すればいいだけだ。
しかし、美弥子はしなかった。
由美に命じられ、裸になり、首輪を装着され、尻を叩かれる。
すべてが甘美だった。
温められた蜂蜜が、全身の肌を伝うようだった。
「今日は一段と勃起具合がスゴいわね。
何をそんなに昂奮してるわけ?
何がされたいの?」
由美が、美弥子に顔を寄せて来た。
王女さまの瞳には、嗜虐の焔がチロチロと灯っていた。
「ひぃ」
陰核を指で弾かれた。
「腰を引かない。
きをつけ!
そう」
「あひぃ」
また弾かれた。
「ほんとにこらえ性がないんだから。
いちいちお尻を引かないの。
そうだ、こっち来て」
由美に、リードを引かれる。
首輪で引きずられながら、よろよろと歩む。
悦楽がはらわたを捩った。
脱糞しそうだった。
「壁を背にして立って。
お尻を壁に付けるの。
これなら、後ろに逃げられないわ。
ほら、きをつけ!
ふふ」
「あひぃぃい」
「ほらほら」
由美の指が、陰核を弦のように掻き鳴らした。
「あが。
あんがが」
顎が垂れ下がるのがわかった。
憎たらしい。
今日も罰を与えます。
いい?」
美弥子は頷いていた。
自分でもわかっている。
こんなシチュエーション……。
ほんとにイヤなら、拒絶すればいいだけだ。
しかし、美弥子はしなかった。
由美に命じられ、裸になり、首輪を装着され、尻を叩かれる。
すべてが甘美だった。
温められた蜂蜜が、全身の肌を伝うようだった。
「今日は一段と勃起具合がスゴいわね。
何をそんなに昂奮してるわけ?
何がされたいの?」
由美が、美弥子に顔を寄せて来た。
王女さまの瞳には、嗜虐の焔がチロチロと灯っていた。
「ひぃ」
陰核を指で弾かれた。
「腰を引かない。
きをつけ!
そう」
「あひぃ」
また弾かれた。
「ほんとにこらえ性がないんだから。
いちいちお尻を引かないの。
そうだ、こっち来て」
由美に、リードを引かれる。
首輪で引きずられながら、よろよろと歩む。
悦楽がはらわたを捩った。
脱糞しそうだった。
「壁を背にして立って。
お尻を壁に付けるの。
これなら、後ろに逃げられないわ。
ほら、きをつけ!
ふふ」
「あひぃぃい」
「ほらほら」
由美の指が、陰核を弦のように掻き鳴らした。
「あが。
あんがが」
顎が垂れ下がるのがわかった。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2020/02/21 05:48
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今日は何の日
2月21日は、『漱石の日』。
1911(明治44)年2月21日(今から109年前)……。
文部省が、作家・夏目漱石に文学博士の称号を贈ると伝えました。
しかし漱石は、「自分には肩書きは必要ない」として……。
辞退する旨の手紙を、文部省専門学務局長・福原鐐二郎に送りました。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/102214.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、「夏目漱石について」を引用させていただきます。
夏目漱石(本名:夏目金之助)は、1867年2月9日(慶応3年1月5日)、江戸に生まれました。
大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学びます。
帝国大学(後の東京帝国大学、今の東京大学)英文科卒業後……。
松山の愛媛県尋常中学校、熊本の第五高等学校などで英語を教えました。
その後、イギリスへ留学。
帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら……。
1905(明治38)年、デビュー作である『吾輩は猫である』を、雑誌『ホトトギス』に発表。
これが評判となり、『坊っちゃん』『草枕』などを書きます。
その後、朝日新聞社に入社し、文筆活動に専念しました。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2020/02/21 05:48
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今日は何の日(つづき)
1910(明治43)年、『三四郎』『それから』に続く前期三部作の3作目にあたる『門』を執筆途中に、持病の胃潰瘍で入院。
大吐血を起こし、生死の間を彷徨う危篤状態に陥りました。
この時の一時的な「死」の体験は、その後の作品に影響を与え……。
後期三部作と呼ばれる『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』へと繋がっていきます。
1916(大正5)年12月9日、胃潰瘍の発作で大内出血し、『明暗』執筆途中に死去。
49歳。
森鴎外と並び、日本を代表する文豪の一人です。
1984(昭和59)年から2007(平成19)年まで発行された千円紙幣に、肖像が採用されました。
以上、長い引用終わり。
まず、『漱石の日』。
誰が制定したんですかね?
誕生日でも命日でもありません。
ざっと調べてみましたが、わかりませんでした。
ま、この日のエピソードは、彼らしいです。
漱石という号の由来は、「石に漱(くちそそ)ぎ流れに枕す」。
これはもともと、「石に枕し流れに漱ぐ」でしたが……。
「石に漱(くちそそ)ぎ」と、言い間違った人がいたんです。
晋の孫楚という人。
しかしこの人、素直に間違いを認めませんでした。
「石に漱ぐのは歯を磨いて丈夫にするため、流れに枕するのは俗事を聞いた耳を洗うため」と屁理屈を捏ねたとか。
これにより、「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」が、負け惜しみの強いことを表す熟語となりました。
夏目漱石は、これをそのまま号としたわけです。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2020/02/21 05:49
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今日は何の日(つづきのつづき)
夏目漱石を初めて読んだのは、高校の国語の授業だったと思います。
『夢十夜』だったか『こゝろ』だったか。
特に面白いとは思いませんでした。
面白かったのは、大学に出てから読んだ『吾輩は猫である』です。
ユーモアと皮肉のある語り口に嵌まりました。
やはりあれは、イギリス文学の影響なんですかね?
あと、感心したのは、登場人物が、やたらと歩くこと。
『三四郎』とか。
ま、交通機関が発達してませんから、歩くほかなかったのでしょうが。
上京して、東京の地理も身近になってましたから……。
その歩く距離に仰天したわけです。
『夢十夜』は嫌いじゃない系統ですが……。
ちょっと、理に落ちすぎる感がします。
その系統でいながら、わけのわからない不気味な夢小説を書いたのが……。
漱石の弟子の内田百閒(ひゃっけん)。
夢の気配を書かせたら、島尾敏雄と双璧でしょう。
ユーモアという点でも、漱石より百閒が上かも。
へそ曲がりも、師匠譲りでした。
百閒も、芸術院会員への推薦を辞退してます。
理由は……。
「御辞退申シタイ ナゼカ 芸術院ト云フ会ニ入ルノガイヤナノデス ナゼイヤカ 気ガ進マナイカラ ナゼ気ガススマナイカ イヤダカラ」
駄々っ子です。
恐れ入りました。