2016.2.23(火)
源蔵は、右腕を大きく頭上に振りかぶった。その手には、あやめの三本の包丁がまとめて鷲掴みにされている。あやめがその意味を察する暇もなく、源蔵は右腕を振り下ろした。あやめの包丁は、重力加速度よりもさらに大きい加速度を伴って急速度で落下し、洗い場の流しの縁に激しく打ち当たった。
「花よ志」の流しはステンレス製ではなく、石材を加工した古風なものである。その流しの縁と、包丁の刃の中央付近が激突し、鋭い、異様な音を立てた。
音とはまず、振動とその伝播である。石と鋼が鬩(せめ)ぎ合った衝撃は厨房内の空気を振動させ、四囲に広がった。あやめの耳殻がその振動を捕らえた。外耳道内の空気が振動した。その振動は外耳道を奥に進み、外耳と中耳を隔する鼓膜を振動させた。
鼓膜の中耳側には耳小骨という三つの小さな骨が連結されている。槌骨(つちこつ)、砧(きぬた)骨、鐙(あぶみ)骨と名付けられたそれぞれの骨はこの順序で繋がっており、まとめて耳小骨と呼ばれる。
鼓膜の振動は、鼓膜に直接連結している槌骨をまず振動させた。その振動は砧骨、鐙骨と順次伝わっていく。三つの耳小骨は「てこの原理」に従って連結されており、それらの振動は先に向かうにつれて大きくなる。鼓膜の微細な振動は次第に拡大され、三つ目の耳小骨、鐙(あぶみ)骨を大きく振動させた。
鐙骨は内耳に接続されている。
蝸牛(カタツムリ)の殻のような形状の内耳の内部はリンパ(リンパ液)で満たされている。鐙骨の振動は、内耳のリンパを振動させた。
渦巻き状の内耳。その内部には「コルティ器」と名付けられた多数の小さな器官がずらりと配列されている。内耳のリンパの振動は、更にコルティ器を振動させた。
コルティ器は、振動に敏感に反応する「聴細胞」の集まりで、聴神経が接続されている。振動するコルティ器は聴細胞を興奮させ、電気的な変動を生み出した。
ここで「振動」が「電気信号」に変換された。
聴細胞に生じた電気信号は、それにつながる聴神経に伝わった。神経細胞とはいわば電線、電気を伝えるケーブルのようなものである。内耳から脳に向かって長く伸びる聴神経。このケーブルを、コルティ器に生じた電気信号が伝わっていく。その先には大脳の側頭部、「聴覚野(ちょうかくや)」がある。
聴神経を伝わってきた電気信号は、大脳聴覚野の細胞を興奮させた。ここで、どのようなしくみか、大脳には「何かが聞こえた」という感覚が生じる。
振動で始まり、最終的に大脳で生み出される感覚が「音」なのである。
あやめの包丁から始まった振動・信号の伝播は、長い複雑な旅路の果てに、音の感覚をあやめの大脳内に生み出した。長い旅程ではあったが、もちろん、その所要時間は短い。
人が普段意識する最も短い時間の感覚は「秒」であろう。あやめの包丁が流し台の石に激突してから、あやめにその音が聞こえるまでの時間は、もちろん一秒にも満たなかった。
小さな数単位を表わす古い言葉に「須臾(しゅゆ)」や「刹那(せつな)」がある。須臾は1兆分の1、刹那は100京分の1とされるが、短い時間を表わす言葉としても用いられる。
あやめの包丁に生じた「振動」は、「須臾の時」を置いてあやめに「音」として聞こえた。
異様な音であった。生まれて初めて聞く音であった。その音はあやめを引き裂いた。
その直後、あやめの前の調理台が耳障りな音を立てた。
目を遣ったあやめは、愛用の三本の包丁が調理台の上に無造作に投げ出されているのを見た。源蔵が、放り出すように投げ捨てたのだ。
薄刃と出刃の二本はその刃を重ね合い、互いに斜めに交差していた。柳葉包丁はその二本から少し離れた位置に、やはり異なる角度で転がっていた。
転がっていた……。
もはや不要になったものを廃棄するように、塵埃を投げ捨てるように放り出された結果の、包丁の有様であった。
そして……三本の包丁の刃は、その中央付近で大きく欠けていた。刃毀(こぼ)れ……そのような生易しい状態ではなかった。刃の欠落部の大きさは、長さも深さも1センチを優に超えていた。もはや刃物とは云えない。あやめには、一目見てそれがわかった。いや、誰の目にも明らかだった。
あやめは凍り付いた。全身を硬直させ、指の一本すら動かせなかった。もちろん、何の言葉も出なかった。
殴られ蹴られ、傷めつけられるのは覚悟していたあやめだった。それがまさか、愛用の包丁に手を掛けられるとは。
いや、仮にも料理人が、誰のものであれ故意に包丁を傷つけることが出来るとは、あやめには想像の埒外であった。
大きなものを失ってしまった。
比べることのできようはずもない貴重なものを失ってしまった。
傷つけられた包丁を見た瞬間、あやめが感じたのは悲しみだった。その悲しみは、瞬時に巨大な喪失感に変わった。あやめの全身から力が失せ、指一本動かすことすら億劫に思えた。
心が空っぽになっていた。言葉は何も浮かんでこなかった。
自失するあやめの耳に次に聞こえたものは、野獣の唸り声だった。野獣の上げた声は、歯軋(ぎし)りのようにも、何かを呪うようにも、痛みに耐えるようにも聞こえたが、あやめには死刑の宣告と聞こえた。
「これが、罰や」
あやめは視線を落とした。言葉は出ない。
「これで、料理しとうても(したくても)でけん(出来ない)やろ」
あやめは項垂(うなだ)れた。言葉は出ない。
「ど新入り……」
あやめは肩を落とした。言葉は相変わらず出ない。
「これが……おまん(お前)に与える罰や」
あやめ無言であった。その膝が揺れた。
「よう、味わえ」
あやめは言葉のないまま、厨房の床に頽(くずお)れた。膝を折り、正座から両脚の間に尻を落とす。
あやめはべったりと床にへたり込んだ。
「のう、ど新入り」
野獣の声がまた柔らかくなった。
へたり込んだあやめの首が、壊れた人形のようにがくがくと前後左右に揺れた。
「儂なあ。儂……おまん(お前)のこと、嫌いやねん」
あやめは、上体を支えていられなくなった。冷たい厨房の床に両手を付き、腕を突っ張り、かろうじて上体を支えた。
「しやけどのう。別におまんを憎んどるわけやない。ましておまんに恨みがある、ゆ(云)うわけやないんや。志摩子と違(ちご)て、な」
(……恨み……)
混乱し、纏(まと)まった思考の出来なくなったあやめであるが、その言葉は鮮烈に脳裏に刻まれた。
(女将さんの、恨み……)
(……何やろ……)
「恨みはないけんど……しやけど(だけど)儂、嫌いやねん、おまん(お前)のこと」
「………」
「なんや知らん、嫌いやねん」
「………」
あやめが嫌い、と幾度も繰り返す源蔵であった。
「なんでやろのう」
「………」
むろんあやめには、返す言葉は一言もなかった。
嫌いや、嫌いや、と幾度も言い募る源蔵の声音は、どういうわけか更に柔らかくなっていった。
あやめの両肘が折れた。上体を支えられなくなったあやめは、厨房のコンクリートの床に突っ伏した。あやめが掃除し、洗い流した床はまだ少し湿っていた。
あやめは、冷たく湿ったコンクリートに両手を突いたまま、がくりと首を折り、額を床に押し付けた。土下座の姿勢であったが、何者かに祈っているようにも見えた。
コメント一覧
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1. 耳鼻咽喉科HQ- 2016/02/23 08:46
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あやめの受難
第2弾はなんと!
愛用の、大事な包丁に手を掛けられるという、受難というも愚かな試練です。
修練を積んだ料理人にとって包丁は腕の延長、もはや体の一部である、と聞いたことがあります。
となりますと、包丁を傷つけられるというのは、体を傷つけられる、腕をもぎ取られるに等しいということになるのでしょうか。エセ料理人のわたしには想像もつかない事態です。
今回、ヒトの耳の情報伝達経路について長々と書かせていただきました。以前に眼の話を書きましたが、その手のネタの第2弾ということになります。一体、何の意味が……と云いますと、もちろん字数・行数稼ぎですね(おい)。
どうぞ、読み飛ばしていただきたいと思います。
それはさておき、今回のあやめの受難はあまりに大きい試練です。言葉もなく頽(くずお)れるあやめ。はたして耐えられるのでしょうか。一体なぜこんな目に……。
もちろん、物語を盛り上げるためですね。よろしくお付き合いください。
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2. Mikiko- 2016/02/23 19:48
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包丁1本
サラシに巻いて旅に出るくらいですから……。
料理人にとって包丁は、“同行二人”と云ってもいいほど、代えがたいものなんでしょうね。
わたしは安物しか買ったことが無いので、あやめの気持ちは測りかねます。
料理人にとって、包丁と云えば堺なのかも知れませんが……。
新潟県三条市の包丁も優秀ですよ。
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3. 包丁鉄道の旅HQ- 2016/02/24 03:09
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包丁
Wikiによりますと「包」は調理場「丁」は働く男の意。つまり包丁とは調理場で働く男「料理人」を意味する言葉だそうです。
で「三大包丁産地」(日本人って“三大”が好きだよね)。
●大阪府堺市;出身有名人はご存じ与謝野晶子。
●新潟県三条市;有名人はジャイアント馬場。
●岐阜県関市;有名人は漫画家の福地泡助。
新潟では長岡市、燕市も庖丁どころのようです。
ところで新潟で「三条」ときますと反射的に「燕」、燕市が思い浮かびます。
両市は互いに隣接し地域的にはもちろん産業・生活などでも“一体”と云ってもいいほど密接な関係にあるとか。
で「愛憎半ばする」「喧嘩するほど仲がいい」でしょうか揉め事が絶えないようです。これもWikiで知ったのですが三条市にある上越新幹線の駅は「燕三条駅」、燕市にある北陸自動車道のインターは「三条燕インターチェンジ」だそうで、これらの名称を見ただけで両市の確執が分かろうというものです。
こういうのは大阪にもありまして地下鉄の駅名。
「千林大宮」「関目高殿」などたくさんありますが、極めつけは「四天王寺前夕陽ヶ丘」。ひらかなで14文字、たいがいにせえよですが、四天王寺はもちろん地名ではありません。
で、関連事項、日本一長い駅名(話がどんどん長くなる)。
読みの長さでは茨城県・鹿島臨海鉄道の「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅」と、熊本県・南阿蘇鉄道の「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」、読み数22。
このあたり当然張り合っているわけで(不毛の争いとも)これより長い駅名は今後も登場するかもしれません。迷惑しているのは車内アナウンスを行う車掌さんでしょう。
閑話休題、三条・燕市問題。
いっそ合併してしまえという意見もあるようですが、なかなか難しいようですね。
しかしこのコメ、テーマは「包丁」だったんだがなあ。
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4. Mikiko- 2016/02/24 07:33
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とんとんとんからりんと……
隣り町。
新潟県は、戊辰戦争で……。
隣り町同士が、新政府軍と旧幕府軍に別れたりしましたからね。
隣接した自治体で、仲が悪いというのは少なくありません。
長岡市の周辺なんか、顕著のようです。
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5. 関のハレっぺークイン- 2016/02/24 11:48
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実は前コメ……
元はもっと長かったのです。
1400字くらいあったのです。
800字ルールに引っかかるのは明らかでした。
で、分割して投稿しようかと思いましたが思い直し、よけいな枝葉を剪定し、切り落とし、削り倒してようやく投稿したのです。
で、とりあえず気付いたのは、1行目に添付している絵文字、あれも字数に勘定されるようです。一つ一文字、ではありません。例えば前コメの。これは<emo………>で16文字分、ということのようです。
それはともかく、削った部分に『関の弥田っぺ』の話題がありました。股旅ものの傑作ですが、包丁がらみでコメに書こうと思ったんですね。
わたしは今まで、この人(もちろん架空の人物)の出身地を「岐阜県関市」だと思い込んでいました。
ところが実はそうではなく、北関東は常州(常陸の国;今の茨城県)関本(どこじゃい)の出身なんですね。いやあ、知らなんだ。
で、本題はここから(前置き、長すぎるわ)。
この弥田くんの名セリフに↓こういうのがあります。
「この娑婆には辛い事、悲しい事がたくさんある。だが忘れるこった。忘れて日が暮れりゃあ明日になる」
お気付きでしょうか。
何度か書かせていただきました、わたしの母親の↓得意セリフ。
「寝て起きたら次の日」(だあれも知らんわ)。
かあちゃん、弥田っぺをパクったかな。
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6. Mikiko- 2016/02/24 19:41
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関の弥田っぺ
知らん。
“イタチの最後っぺ”の親戚か?
「日が暮れりゃあ明日になる」。
なりませんがな。
間に、長い夜があるでしょ。
悶々とした夜を経なければ、明日は来ません。
気を失うまで飲むしかないでしょうな。
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7. 浪花のハレっぺ- 2016/02/24 23:14
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お、ご存じない
あの名作を。
と言いながら間違えました。「やたっぺ」は弥“田”っぺではなく「弥太っぺ」でした(おいおい)。お詫びして訂正します。
単に切った張っただけじゃなく、股旅ものには珍しく複雑なストーリー展開です。
わたしは見てませんが(なあんのこっちゃい)タイトルと云いますか、主人公の名前はよく知っています(それが何で間違うんじゃ)。その道(どの道や)では有名人です。
「日が暮れる」には「一日が終わる、眠る」という含みがあるわけですよ。いやあ、深いなあ。
まさに「寝て起きたら次の日」ですね。
そういえば、母ちゃんの得意セリフには↓こんなのもありました。
(掛け布団をひっかぶりながら)「はあ~あ極楽極楽。寝るは極楽金いらず、起きて働くたわけもの」
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8. Mikiko- 2016/02/25 07:19
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寝るは極楽
確かにそうですが、寝たら必ず起きなきゃなりません。
起きるは地獄です。
たわけものになるため、人は毎日起きるのです。
あー、猫になりてー。
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9. リスも又吉HQ- 2016/02/25 08:46
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>起きるは地獄
♪明日は明日の風が吹く~(裕次郎)
猫より、いっそヤマネかなんかになって冬眠すれば?
寒いなあ。