2020.1.25(土)
女教授は顎を引き、万里亜を睨めあげながらディルドゥの挿出を始めた。
弛んだ顎が、脂肪の括れを作っていた。
「もうよろしいわ」
万里亜は、片手を差し出した。
女教授は、名残惜しそうにディルドゥを吐き出した。
「温かい内にいただきますね」
万里亜は受け取ったディルドゥの向きを返すと、盾のように両手で構えた。
そのまま腰を落とす。
両膝を開いた、がに股の姿勢だった。
万里亜の上半身は、ベージュのジャケットを纏ったままなのだ。
それに対して、下半身は丸裸。
カットソーの裾の下から、真っ白な下腹部が覗いている。
そしてその下には、あり得ない陰核。
さらに膝を割った今は、陰裂まで見えていた。
「ほんとに綺麗なラビア。
白人みたい。
お化粧してるの?」
「ナチュラルです」
「ぜったい舞台に立つべき」
「入れます」
万里亜はディルドゥのプレートを水平にし、サムズアップした親指形の方を上に向けた。
股の下に翳す。
親指が、ゆっくりと持ちあがる。
滑らかな動きにブレーキがかかった。
尖端が、陰唇を割ったのだろう。
親指が呑みこまれていく。
そして……。
樹脂らしいプレートが陰部を覆った。
奥まで入ったのだ。
2本のディルドゥは、縦長のプレートの両端部から逆方向に突き出ている。
万里亜の体内に埋もれたディルドゥは、プレートの下部に付いていた。
縦長のプレートは、万里亜の陰部の前面を覆い、クリトリスも隠していた。
そして、プレートの上端、恥丘のあたりから、もう一方のディルドゥが突き出している。
こうして見ると、プレートの両側でディルドゥの位置が異なる理由が、はっきりとわかった。
もし、ディルドゥが一直線だったら……。
体外のディルドゥは、下を向いてしまうだろう。
「それだけで固定できるの?」
「そうとうに膣圧が強ければ可能でしょうけど……。
それでも上部が、パコパコ動いてしまいます」
万里亜はディルドゥの亀頭を摘まみ、前後に動かして見せた。
確かにこのままでは、プレートが腹部に密着しないだろう。
弛んだ顎が、脂肪の括れを作っていた。
「もうよろしいわ」
万里亜は、片手を差し出した。
女教授は、名残惜しそうにディルドゥを吐き出した。
「温かい内にいただきますね」
万里亜は受け取ったディルドゥの向きを返すと、盾のように両手で構えた。
そのまま腰を落とす。
両膝を開いた、がに股の姿勢だった。
万里亜の上半身は、ベージュのジャケットを纏ったままなのだ。
それに対して、下半身は丸裸。
カットソーの裾の下から、真っ白な下腹部が覗いている。
そしてその下には、あり得ない陰核。
さらに膝を割った今は、陰裂まで見えていた。
「ほんとに綺麗なラビア。
白人みたい。
お化粧してるの?」
「ナチュラルです」
「ぜったい舞台に立つべき」
「入れます」
万里亜はディルドゥのプレートを水平にし、サムズアップした親指形の方を上に向けた。
股の下に翳す。
親指が、ゆっくりと持ちあがる。
滑らかな動きにブレーキがかかった。
尖端が、陰唇を割ったのだろう。
親指が呑みこまれていく。
そして……。
樹脂らしいプレートが陰部を覆った。
奥まで入ったのだ。
2本のディルドゥは、縦長のプレートの両端部から逆方向に突き出ている。
万里亜の体内に埋もれたディルドゥは、プレートの下部に付いていた。
縦長のプレートは、万里亜の陰部の前面を覆い、クリトリスも隠していた。
そして、プレートの上端、恥丘のあたりから、もう一方のディルドゥが突き出している。
こうして見ると、プレートの両側でディルドゥの位置が異なる理由が、はっきりとわかった。
もし、ディルドゥが一直線だったら……。
体外のディルドゥは、下を向いてしまうだろう。
「それだけで固定できるの?」
「そうとうに膣圧が強ければ可能でしょうけど……。
それでも上部が、パコパコ動いてしまいます」
万里亜はディルドゥの亀頭を摘まみ、前後に動かして見せた。
確かにこのままでは、プレートが腹部に密着しないだろう。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2020/01/25 06:48
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今日は何の日
1月25日は、『お詫びの日』。
1077年1月25日(今から943年前/日本では平安時代後期)……。
教皇グレゴリウス7世に破門されたドイツ皇帝ハインリヒ4世(のちの神聖ローマ皇帝)が……。
教皇に謝るために冬のアルプスを越え、カノッサ城の前に立ちました。
なのでこのお詫びは、「カノッサの屈辱」と呼ばれます。
ハインリヒ4世は、北イタリアの支配を目指し、ミラノ大司教などを次々と任命しました。
教皇は、司教の任命権が皇帝ではなく教会にあることを通達しましたが……。
ハインリヒ4世は聞き入れなかったのです。
グレゴリウス7世が、皇帝の破門をほのめかしたことに対し……。
ハインリヒ4世は激怒し、独自の教会会議を開いて教皇の廃位を宣言しました。
これに対して教皇も、1076年2月に皇帝の破門と王位の剥奪を宣言したのです。
破門の知らせを聞いたドイツの諸侯たちは、次々とハインリヒ4世に反旗を翻しました。
そこでハインリ4世は、教皇から破門を解いてもらうために……。
北イタリアのカノッサ城を訪れたわけです。
しかしグレゴリウス7世は、会ってくれませんでした。
ハインリヒ4世は、雪の中、裸足に粗末な修道衣で3日3晩断食と祈りを続け……。
ようやく許しをもらったそうです。
ハインリヒ4世はドイツに戻ると直ちに反対派の諸侯を制圧し、王権を確立しました。
その後、再び教皇との対立は激化し、この争いは半世紀も続いたそうです。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/101253.html)のページから転載させていただきました。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2020/01/25 06:49
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今日は何の日(つづき)
しかし、よくわからんというか、アホ揃いと云うか……。
破門をほのめかされて激怒し、教皇の廃位まで宣言したのに……。
実際に破門されると、謝りに行くわけです。
おそらく、ドイツ諸侯は自分の方に付くと高をくくってたのでしょう。
ところが、反旗を翻されて仰天したわけです。
グレゴリウス7世も、甘ちゃんです。
放っておいて、凍死させれば良かったのに。
あるいは、許すと見せかけて、毒杯を飲ますとか。
うむ。
ひょっとしたら、そんな簡単な感情論じゃないかも知れません。
グレゴリウス7世は、ハインリヒ4世の統治力を認めてたのかも。
つまり、もし彼がいなくなったら……。
ドイツに戦乱が起こり、収拾が付かなくなる。
ヘタすれば、イタリアにも飛び火する可能性がある。
ということで、バカな暴君とわかっていながら、許したのかも知れません。
案の定、帰るや否や、諸侯を制圧してしまったわけです。
でも、まったく懲りずに、また教皇と対立。
しかし、その後半世紀も続いたって云うことは……。
最初の破門のとき、2人は何歳だったんですかね。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2020/01/25 06:49
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今日は何の日(つづきのつづき)
ちょっと調べて見ました。
ハインリヒ4世は、1050年11月11日の生まれ。
つまり、「カノッサの屈辱」のときは、26歳!
若い!
グレゴリウス7世は、1020年ころの生まれのようです。
「カノッサの屈辱」のときは、57歳ころ。
亡くなったのは、1085年。
「カノッサの屈辱」から8年後です。
半世紀どころじゃないではないか。
あ。
そうか。
「教皇」とハインリヒ4世の対立か。
「教皇」は、代が変わってるんですね。
何のことはありませんでした。
でも……。
ハインリヒ4世が亡くなるのは、1106年8月7日。
「カノッサの屈辱」から、29年後です。
半世紀ではないではないか。
あ。
そうか。
2人に端を発した争いが、2人の死後も続いたということか。
ちゃんちゃんですね。
世界史は苦手なのです。