2019.12.25(水)
↓隣は、お寺ですかね?
↑「み」
反りを打った屋根瓦とガレージの対比が面白いです。
雨の月曜日。
↓人通りも少ないです。
↑「み」
あ、そうそう。
書き忘れてました。
今日の最初の目的地までは、歩いて行きます。
大した距離ではありません。
わざわざ、最初の目的地に近い場所に宿を取ったんです。
さすれば、朝がゆっくり出来るので。
↑人生、こうありたいもの。
↓『玉川兄弟顕彰碑』発見。
↑「み」
『玉川カルテット』の顕彰碑じゃありませんよ。
江戸時代初期に生きた兄弟です。
碑に「水の恩人」とあるとおり……。
「玉川上水」を掘った人たちです。
↑小平市内。
農家ですが、この功績により、「玉川」の姓が与えられたのです。
「玉川上水」は、太宰治が入水したことで有名になってしまいましたね。
顕彰碑があるのは、台東区の聖徳寺。
ここに、玉川兄弟のお墓もあります。
↓小さな個人商店のようです。
↑「み」
ところがなんと!
↓イオンでした。
↑「み」
↑「み」
反りを打った屋根瓦とガレージの対比が面白いです。
雨の月曜日。
↓人通りも少ないです。
↑「み」
あ、そうそう。
書き忘れてました。
今日の最初の目的地までは、歩いて行きます。
大した距離ではありません。
わざわざ、最初の目的地に近い場所に宿を取ったんです。
さすれば、朝がゆっくり出来るので。
↑人生、こうありたいもの。
↓『玉川兄弟顕彰碑』発見。
↑「み」
『玉川カルテット』の顕彰碑じゃありませんよ。
江戸時代初期に生きた兄弟です。
碑に「水の恩人」とあるとおり……。
「玉川上水」を掘った人たちです。
↑小平市内。
農家ですが、この功績により、「玉川」の姓が与えられたのです。
「玉川上水」は、太宰治が入水したことで有名になってしまいましたね。
顕彰碑があるのは、台東区の聖徳寺。
ここに、玉川兄弟のお墓もあります。
↓小さな個人商店のようです。
↑「み」
ところがなんと!
↓イオンでした。
↑「み」
コメント一覧
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1. Mikiko- 2019/12/25 05:59
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玉川兄弟
本編では、あっさりスルーしてしまいましたが……。
ちょっと調べて見たら、たいへんに偉いご兄弟でした。
「国土交通省関東地方整備局京浜河川事務所」のホームページに……。
↓「多摩川流域リバーミュージアム(TRM)多摩川先人館」というページがありました。
http://www.ktr.mlit.go.jp/keihin/keihin00485.html
「多摩川を語る上で欠かせない、先人たちとその軌跡をご紹介します」というページ。
取りあげられてる先人は、10人。
その9番目に「玉川兄弟」もありました。
ちなみに「玉川兄弟」以外の9人は、↓のとおり。
[先人No.1] 多摩川の用水奉行・小泉次太夫吉次(こいずみじだゆうよしつぐ/1538~1623)
[先人No.2] 京浜工業地帯を生んだ・浅野総一郎(あさのそういちろう/1848~1930)
[先人No.3] 武蔵野新田開発の功労者・川崎平右衛門定孝(かわさきへいえもんさだたか/1694~1767)
[先人No.4] 多摩川を愛した文学者・岡本かの子(おかもとかのこ/1889~1939)
[先人No.5] 多摩川下流の基礎をつくった・田中丘隅(たなかきゅうぐ/1662~1729)
[先人No.6] 奥多摩の自然に心をふるわせた日本画壇の巨匠・川合玉堂(かわいぎょくどう/1873~1957)
[先人No.7] 晩年を多摩川にささげた・平賀栄治(ひらがえいじ/1892~1982)
[先人No.8] 多摩川の文豪・中里介山(なかざとかいざん/1885~1944)
[先人No.10] 多摩川の自然に人間模様を描いた作家・国木田独歩(くにきだどっぽ/1871~1908)
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2019/12/25 05:59
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玉川兄弟(つづき)
で、「玉川兄弟」の[先人No.9]を読みこみ……。
みなさんに解説しようと思ったのですが、あっさり挫折しました。
わたしが要約するより、そのまま読んでいただいた方が、ずっといいです。
↓ということで、わたしの年末に向けての「働き方改革」も含め、そのまま転載させていただきます。
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[先人No.9] 私財を投じて玉川上水を開削した・玉川兄弟(たまがわきょうだい/【兄・庄右衛門】生年不明~1695【弟・清右衛門】生年不明~1696)
多摩川の水を羽村(現在の羽村市羽東)から取水して、武蔵野台地を横切り、四谷大木戸(現在の新宿区四谷4丁目)まで至る、総延長約43kmの玉川上水。
この上水は、江戸時代初頭、玉川兄弟によって開削されました。
玉川兄弟と呼ばれている、兄・庄右衛門(しょうえもん)、弟・清右衛門(せいえもん)の生誕から玉川上水開削以前の、詳しい資料は残されていません。
開削工事を命じられたいきさつは、江戸の町人説や多摩川沿岸(羽村付近)に関わりのある人物だった為、又、兄弟が土木業・人入れ稼業を営み、多摩川中流部の事情に詳しかった為など、いろいろな説があります。
●江戸の水不足による上水拡張計画
江戸初期の1650年頃、江戸のまちは、神田上水と溜池上水で給水を行っていましたが、まちの発展に伴う人口の増加で、水不足が生じるようになっていました。
四代目将軍・徳川家綱(とくがわいえつな)は、上水拡張の計画をたて、町奉行・神尾備前守(かみおびぜんのかみ)に、多摩川を水源とする上水開削を命じました。
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続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2019/12/25 06:00
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玉川兄弟(つづきのつづき)
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神尾備前守は、庄右衛門と清右衛門に、上水を開削するための調査を命じます。
これを受けた兄弟は各地を調べ、多摩川からの取水地点を羽村にする計画を立てました。
幕府は松平伊豆守信綱(まつだいらいずのかみのぶつな)を総奉行に、伊奈半十郎忠治を玉川水道奉行に任じ、庄右衛門と清右衛門に開削工事を命じました。
●私財を投じて開削を続ける兄弟
兄弟は、幕府から工事費用六千両を受け、承応2(1653)年に上水工事を着工しました。
工事は、多摩川の水を羽村で取水し、勾配を利用して四谷大木戸まで掘り、そこから虎ノ門まで、石樋や木樋でつなぐ予定で進められていました。
しかし、高井戸(現在の杉並区)付近で、工事費用が尽きてしまいます。
兄弟は、幕府に工事費の追加を申し出ましたが、幕府からの返答は「完成するまでは自分で費用を工面し、虎ノ門まで堀削せよ」というものでした。
兄弟はこの費用を工面するため、自己資金二千両と所有の町屋敷3箇所を売って千両を調達し、私財を投じて工事を続けました。
そして、7ヶ月間で羽村から四谷大木戸までを、翌年11月には虎ノ門までの工事を完了させ、約1年半という短い期間で、この大事業を成し遂げたのでした。
承応1(1653)年11月に完成した、玉川上水の総延長は10里30町(約43Km)、途中29ヵ村を通り四谷大木戸まで至りました。
そこから虎ノ門までは、21里20町29間(約84Km)にも及び、石樋と木樋がつかわれ給水されました。
その後、玉川上水は、灌漑用水や江戸の住人の飲料水として重要な役割を果たし、350年以上たった今でも利用されています。
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続きはさらにさらに次のコメントで。
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4. Mikiko- 2019/12/25 06:00
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玉川兄弟(つづきのつづきのつづき)
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●玉川上水役に任じられる
幕府は、庄右衛門・清右衛門の働きを賞して、永代玉川上水役を命じ、玉川姓を名乗ることと帯刀を許し、4年間にわたって200石分の扶持を与えました。
しかし、兄弟は、上水開削工事で私財を投じているうえに、毎年の羽村大堰の破損工事をしていくには、この手当では難しいと嘆願します。
そして、万治2(1659)年から、玉川上水を利用する武家や町方から、水上修復料銀を取り立てることが許されます。
玉川上水の完成から約40年後の元禄8(1695)年、兄・庄右衛門、その翌年、弟・清右衛門が亡くなり、玉川上水役は、庄衛門・清右衛門の名とともに、代々玉川家に世襲されていきました。
その後、明治44(1911)年、政府は玉川兄弟の功績を賞して、両人に従五位を追贈しました。
●玉川上水
多摩川の水を取水している羽村堰は、明治に入り現在の姿に改築されました。
そして昭和33(1958)年、羽村取水口に、玉川兄弟の銅像が建てられました。
現役の導水路として使われている玉川上水は、小平水衛所から東村山浄水場に送水して、都民の飲み水に利用されています。
春は桜、夏には緑におおわれ、秋には紅葉が美しい歴史ある玉川上水は、多摩川八景の1つに選ばれています。
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以上。
「国土交通省関東地方整備局京浜河川事務所」さん、ありがとうございました。
↓もう一度、リンク先を記載させていただきます。
「多摩川流域リバーミュージアム(TRM)多摩川先人館(http://www.ktr.mlit.go.jp/keihin/keihin00485.html)」
どうか怒らないで下さい。
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5. 手羽崎 鶏造- 2019/12/25 09:31
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今日は12月25日
Merry x’mas
略してメリクリ。
管理人さまの本編を愛読していると
つい、ペニクリとうっかり言って
しまいそうになります。
さて、写真の横川ハカマ店ですが、
危うくオカマ店と見間違いそうに
なりました。
(大量に売っていると コワイ)
剣道や弓道の袴専門店のようです。
意外と、コアな需要があり、儲かって
おられるのではないかと推測しますけど。
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6. Mikiko- 2019/12/25 19:11
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穏やかなクリスマス
今日は、終日晴れました。
風もなく、穏やかなクリスマスです。
新潟で、こんなクリスマスは珍しいですね。
ハカマ店。
なるほど、ここは小売店ではありませんよね。
考えてみれば、ハカマだけの小売り店はあり得ませんわな。
つまりここは、ハカマの製造所ですね。
全国の武道具店にハカマを卸すとすれば……。
十分立ち行くと思われます。
あと最近は、卒業式などでハカマを穿きますからね。
呉服店などからの引き合いもあるのかも。
失礼いたしました。