2019.12.14(土)
内部が見えた。
だだっ広い空間だった。
奥に、黒い大きなテーブルがひとつある。
女教授がひとり、卓についていた。
がらんとした部屋には、窓ひとつない。
「入って」
女教授は、テーブルから立とうともせず、2人を手招いた。
中に進もうとした由美の腕を、美弥子が掴んだ。
怯えた顔をしていた。
無理もない。
由美も怖いのだ。
扉のロックシステムから連想したのは……。
「監禁」だった。
しかし、考えてみれば……。
由美と美弥子を監禁するメリットは、女教授には何もないのだ。
ここまで来て、ためらっても仕方がない。
由美は美弥子の顔に頷くと、腕を持たれたまま室内に進んだ。
後ろで扉が閉まった。
女性の姿は、扉の向こうに消えていた。
「突っ立ってないで、どうぞ」
2人は、黒い大テーブルまで歩を進めた。
女教授は、テーブルの長辺の真ん中に座っていた。
テーブルには、ワインクーラーがひとつ。
中にワインが2本入っていた。
クーラーの外に、空ボトルがひとつ。
すでに、1本空けているということか。
ワイングラスには、血のように赤い液体。
そして、グラスの縁には同色の口紅。
女教授の化粧は、大学で見るのとはまるで違っていた。
水商売の中年女性にしか見えない。
やはり、こっちが本性なのだろう。
「昼間っから飲めるっていいわね。
あなたたちも飲む?
チーズしかないけど」
「いえ。
未成年ですから」
由美は、固い声で応えた。
「そうよね。
未成年に、教師がお酒を勧めたらマズいわよね。
でも、もうすぐ教師じゃなくなるけど」
「お辞めになられるんですか?」
「クビよ。
事務長からメールが来た。
ま、いいわ。
こんなことになって頑張ってみても、意味ないから」
「大事な話って何ですか?」
「とにかく、突っ立ったままじゃ話も出来ないでしょ。
座って」
2人は、女教授と対面する椅子に腰を下ろした。
だだっ広い空間だった。
奥に、黒い大きなテーブルがひとつある。
女教授がひとり、卓についていた。
がらんとした部屋には、窓ひとつない。
「入って」
女教授は、テーブルから立とうともせず、2人を手招いた。
中に進もうとした由美の腕を、美弥子が掴んだ。
怯えた顔をしていた。
無理もない。
由美も怖いのだ。
扉のロックシステムから連想したのは……。
「監禁」だった。
しかし、考えてみれば……。
由美と美弥子を監禁するメリットは、女教授には何もないのだ。
ここまで来て、ためらっても仕方がない。
由美は美弥子の顔に頷くと、腕を持たれたまま室内に進んだ。
後ろで扉が閉まった。
女性の姿は、扉の向こうに消えていた。
「突っ立ってないで、どうぞ」
2人は、黒い大テーブルまで歩を進めた。
女教授は、テーブルの長辺の真ん中に座っていた。
テーブルには、ワインクーラーがひとつ。
中にワインが2本入っていた。
クーラーの外に、空ボトルがひとつ。
すでに、1本空けているということか。
ワイングラスには、血のように赤い液体。
そして、グラスの縁には同色の口紅。
女教授の化粧は、大学で見るのとはまるで違っていた。
水商売の中年女性にしか見えない。
やはり、こっちが本性なのだろう。
「昼間っから飲めるっていいわね。
あなたたちも飲む?
チーズしかないけど」
「いえ。
未成年ですから」
由美は、固い声で応えた。
「そうよね。
未成年に、教師がお酒を勧めたらマズいわよね。
でも、もうすぐ教師じゃなくなるけど」
「お辞めになられるんですか?」
「クビよ。
事務長からメールが来た。
ま、いいわ。
こんなことになって頑張ってみても、意味ないから」
「大事な話って何ですか?」
「とにかく、突っ立ったままじゃ話も出来ないでしょ。
座って」
2人は、女教授と対面する椅子に腰を下ろした。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2019/12/14 06:55
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今日は何の日
12月14日は、『赤穂浪士討ち入りの日』。
元禄15(1702)年12月14日……。
赤穂浪士四十七士が、本所の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げました。
もちろん、12月14日は旧暦の日付です。
新暦に換算すると、1703年1月30日になります。
まさに、厳冬期。
当日が雪だったのもわかります。
江戸時代は特に寒い時代で……。
江戸にも雪がたくさん降りました。
品川で、2メートルの雪が積もったという記録もあるそうです。
今の東京なら、たいがい雨になりますが……。
江戸時代では、必ず雪になったと云うことです。
隅田川が、頻繁に氷結したという寒い時代でした。
さて、討ち入り。
正式な名称は、『赤穂事件』だそうです。
播磨赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が……。
江戸城松之大廊下で、高家(こうけ=儀式や典礼を司る役職)の吉良上野介義央に斬りつけました。
内匠頭は、即日切腹に処せられました。
一方、吉良上野介は、烏帽子の金具に刀があたったおかげで……。
数針縫う怪我で済みました。
さらに、自分の脇差しに手を掛けることもなかったので……。
一切、お咎めなし。
将軍からは、見舞いの言葉もかけられたそうです。
で、赤穂藩は取り潰しです。
赤穂藩士は、あまりにも不公平な裁定に納得できず……。
討ち入りに至るわけです。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2019/12/14 06:56
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今日は何の日(つづき)
なお、この討ち入りの日を偲んで……。
東京都港区高輪の泉岳寺や兵庫県明石市の大石神社・花岳寺などでは、義士を供養する「義士祭」が行われます。
また、吉良邸の一部は現在、本所松坂町公園となっており、毎年「元禄市」でにぎわってます。
元禄市の日付は、14日とは決まっておらず、12月第2週の土日の2日間だそうですが……。
今年は、ドンピシャにあたりましたね。
↓今日と明日です。
https://www.1214.tokyo/
しかし、「本所松坂町」と聞くと血が騒ぐのは……。
↓やはり、三波春夫先生による『俵星玄蕃』の影響でしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=fnX1vD0TBJU
一度、生で見てみたかったです。
新潟県出身の三波春夫先生(呼び捨てに出来ない)が、討ち入りに思い入れがあったのは……。
やはり、四十七士の中に、新潟県ゆかりの義士がいたからじゃないでしょうか。
堀部安兵衛。
越後国新発田藩(現・新発田市)の出身。
当時の姓は、中山。
父は新発田藩の家臣でしたが……。
安兵衛13歳のとき、城を追われて浪人します。
ほどなく、父は死去。
孤児となった安兵衛は、親戚を頼って江戸に出ます。
やがて剣術の道場で頭角を現し、免許皆伝。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2019/12/14 06:56
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今日は何の日(つづきのつづき)
そんな中、同門の果たし合いの助太刀を買って出……。
高田馬場で大立ち回り。
いわゆる、『高田馬場の決闘』。
「18人斬り」として江戸中で評判となりました(ほんとうは3人だったようです)。
これで安兵衛に惚れ込んだ赤穂藩の堀部金丸が、養子になってくれるよう懇願したのです。
中山家復興を心に期していた安兵衛は、当初、難色を示しましたが……。
堀部はなんと、堀部の姓を潰し、自分が中山になるとまで言い出しました。
藩主の浅野内匠頭にも上申し、許可までもらってたそうです。
それに心を打たれた安兵衛は、堀部姓に変わったわけです。
いい話ですね。
聞いてて目頭が熱くなるような逸話ばっかりです。
だから、日本人は、赤穂浪士が好きなんでしょうね。
そうそう。
安兵衛には思い出があります。
新潟には、「安兵衛」という居酒屋があるんです。
その名のとおり、学生向きの安い居酒屋でした。
新潟に帰省したとき、級友と会って、1度「安兵衛」で飲んだことがあります。
新潟駅前にありました。
昔、新潟駅前にはマルタケビルがあって……。
確かその地下に「安兵衛」があったと思います。
そのマルタケビルは老朽化で建て替えられ……。
確か、来春オープンのはずです。
「安兵衛」、またそこで営業するんですかね?
家賃が高くなるから無理か。