2019.11.18(月)
英名は、チューリップツリー。
↓チューリップに似た花が咲きます。
この和名が、なぜ「百合(ゆり)の木」になったかと云うと……。
昔の日本では、チューリップが一般的ではなかったからです。
↑ユリです。明らかに、チューリップの方が似てます。
↓これまた意図不明。
↑「み」
マンションは、昭和レトロじゃありません。
手前の街路樹は、さっきと同じユリノキです。
わざわざ撮りたい樹形でもありません。
↓画像をアップしたら、交差点名に目がとまりました。
↑「み」
「愛宕神社前」。
標高25.7メートルの愛宕山の上に建ちます。
東京23区最高峰に建つ神社です。
↓この石段です。
「出世の石段」と呼ばれてます。
江戸初期に、曲垣平九郎という馬の名手がいました。
3代将軍家光が、芝の増上寺に参った帰り……。
この愛宕山の前で、「誰か、騎馬で山上の梅の花を折ってくる者はいないか」と問いました。
それに応えたのが曲垣平九郎。
馬にまたがるや、一気に石段を駆けあがり……。
紅梅と白梅、一枝ずつを折り取って、家光の元に届けました。
家光は、「日本一の馬の名手だ」と褒め、名刀一振りを与えたそうです。
後に尾張藩で900石を得る出世を遂げた、まさにそのきっかけとなったエピソード。
↑講談にもなってます。
わたしはここでバスを降りました。
降りたところに、馬を手配しておいたのです。
もちろん、騎馬で駆けあがってみようと思ったからです。
というのは、もちろんウソです。
愛宕神社にまったく記憶はありません。
さっきの写真の交差点名は、偶然写りこんでただけだと思います。
↑一瞬、「Syusse(出世)Steps」かと思いました。「Success(成功)Steps」でしたね。
↓チューリップに似た花が咲きます。
この和名が、なぜ「百合(ゆり)の木」になったかと云うと……。
昔の日本では、チューリップが一般的ではなかったからです。
↑ユリです。明らかに、チューリップの方が似てます。
↓これまた意図不明。
↑「み」
マンションは、昭和レトロじゃありません。
手前の街路樹は、さっきと同じユリノキです。
わざわざ撮りたい樹形でもありません。
↓画像をアップしたら、交差点名に目がとまりました。
↑「み」
「愛宕神社前」。
標高25.7メートルの愛宕山の上に建ちます。
東京23区最高峰に建つ神社です。
↓この石段です。
「出世の石段」と呼ばれてます。
江戸初期に、曲垣平九郎という馬の名手がいました。
3代将軍家光が、芝の増上寺に参った帰り……。
この愛宕山の前で、「誰か、騎馬で山上の梅の花を折ってくる者はいないか」と問いました。
それに応えたのが曲垣平九郎。
馬にまたがるや、一気に石段を駆けあがり……。
紅梅と白梅、一枝ずつを折り取って、家光の元に届けました。
家光は、「日本一の馬の名手だ」と褒め、名刀一振りを与えたそうです。
後に尾張藩で900石を得る出世を遂げた、まさにそのきっかけとなったエピソード。
↑講談にもなってます。
わたしはここでバスを降りました。
降りたところに、馬を手配しておいたのです。
もちろん、騎馬で駆けあがってみようと思ったからです。
というのは、もちろんウソです。
愛宕神社にまったく記憶はありません。
さっきの写真の交差点名は、偶然写りこんでただけだと思います。
↑一瞬、「Syusse(出世)Steps」かと思いました。「Success(成功)Steps」でしたね。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2019/11/18 06:33
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愛宕
これは、どういう語源なんでしょう。
地名としては、日本各地にありました。
弘前市、東京都港区、多摩市、上尾市、宮古市、奥州市、福岡市、北九州市、長崎市。
東北の最北から九州までですね。
姓にもあるそうです。
愛宕さん。
元は、村上源氏の流れを引く公家だそうです。
駅もありました。
北海道、宮城、千葉、京都。
北海道と京都は、すでに廃線になってるようですが。
軍艦の名前にもありました。
梨の品種にもあるようです。
もともとはやはり、愛宕神社のようです。
愛宕信仰というのがあるとか。
京都市の愛宕山山頂に鎮座する愛宕神社から発祥した、火防の神に対する神道の信仰だそうです。
愛宕山の愛宕神社は、古くから修験道の道場となってました。
愛宕山に集まった修験者によって、江戸時代中ごろから愛宕信仰が日本全国に広められ……。
愛宕の神は、火伏せに霊験のある神として広く信仰されるようになったとのこと。
日本全国で「愛宕」を社名につける神社は、43都道府県に約1,000社あるそうです。
特に東北地方に多く分布するとか。
東北というのが、ちょっと意外ですね。
寒いから、火はありがたいんじゃないでしょうか。
あ、そうか。
寒いから、火を焚く期間が長いわけです。
つまり、常に火事の危険と隣り合わせで暮らしてるのです。
なので、火伏せの神様が信仰されたんでしょう。
昔の東北の家は、火が付いたら、あっという間でしょうね。
木と紙と藁なんですから。
しかも、常時囲炉裏を焚いてて、内部は乾燥してます。
藁葺き屋根まで吹き抜け構造。
放水車なんてありませんから、火が付いたらお終いだったでしょう。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2019/11/18 06:33
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愛宕(つづき)
でも、東北の家は点在してたでしょうから……。
類焼は少なかったのかな。
その点、ほんとに怖かったのは江戸です。
木造家屋がびっしり密集してましたから。
密集どころか、長屋は繋がってますし。
長屋は、すぐ壊せる造りになってたそうです。
放水車がありません。
火消しの仕事は、類焼を防ぐことにあります。
つまり、燃えるものを無くしてしまう。
ここで火を止めると決めた位置で、家屋を片っ端から叩き壊すんです。
壊れにくかったら間に合いません。
なので、鳶口を掛けて引けば、すぐに壊れるように造られてたそうです。
あと、昔の火消しで、纏持ちっていますよね。
屋根の上で纏を振り回してる人。
あの人は、何をしてたのでしょう。
組の宣伝ですか。
ま、それもある程度はあるでしょう。
でも、一番の目的は……。
火を止めるラインを、鳶口を持った地上の火消しに知らせることだったのです。
纏持ちの手前の家を叩き壊すわけです。
纏持ちを立たせる位置は、親方が決めたそうです。
でも、常にその判断が正しいとは限りません。
親方の思惑に反し、火の周りが早ければ……。
破壊が間に合いません。
纏持ちの立つ屋根に、火が移ることもありました。
でも、纏持ちは、逃げることが許されなかったそうです。
纏を振りながら、焼け死んだんです。
誰にでも出来る役目ではありません。
だから、纏持ちはモテたんですね。
格好良すぎる男だったんです。
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3. 手羽崎 鶏造- 2019/11/19 12:40
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愛宕の山。
鉄道唱歌の「一番」に
いきなり出てきます。
大きな山なんだろうと
想像を膨らませていましたっけ。
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4. Mikiko- 2019/11/19 19:21
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さすがに……
鉄道唱歌にまでは、思いが至りませんでした。
昔は高い建物がありませんでしたから……。
愛宕山の見晴らしは、ほんとに良かったでしょうね。
あの石段を転げ落ちた人は、どれくらいいるのでしょうか。