2019.10.5(土)
↓駅は、まったく風情がありません。

↑「み」
もっとお寺っぽいのかと思ってました。

↑ちなみにこちらは、水間鉄道水間線の水間観音駅(大阪府貝塚市)。
なお、『川崎大師』というのは、通称です。
正式名称は、『平間寺(へいけんじ)』。

↑このとおり、本名を名乗っておられます。
でも、知りませんよね。
わたしも当然、知りませんでした。
『川崎大師』の「大師」は、もちろん弘法大師のことです。
空海ですね。
日本史の教科書に出て来た偉人です。

↑手に持ってるのは武器ではありません。「独鈷(とっこ)」と呼ばれる密教の仏具です。
生きたのは、平安時代初期。
真言宗の開祖です。

↑一休さんではありません。
ということで、弘法大師の巨像が聳えてるような駅を想像してました。

↑愛知県蒲郡市にある『子安弘法大師』。高さ18.78メートル。新幹線から見えるそうです。
ま、誰もが利用する駅で……。
あまり宗教色を前面に出すのは上手くないのでしょう。
仏教徒だけでなく、キリスト教徒やイスラム教徒も利用するでしょうし。
日本人は、仏壇と神棚が同じ部屋にあるような……。
緩い宗教観の家が多いです(わが家はまさにこれです)。

↑わが家では、もちっと離れて祀ってますが。
でも、外国人には、そうでない人も大勢います。
観光客の中には……。
日本の寺院仏閣を訪ねても、けっして手を合わせたりしない人もいるのです。
そういう方にとっては……。
違う宗教の神に手を合わせるなど、ぜったいにあり得ないことのようです。

↑手を合わせなくても、異教を敬う気持ちは大切です。
なお、駅全景の写真を撮る前……。
重いリュックを、コインロッカーに預けました。
駅の向かって左手にあります。
これはもちろん、事前に調べておきました。

↑川崎大師駅のコインロッカーのようです。しかし、まったく記憶がない。
別のところに移動する場合は、荷物を預けるわけにはいきません。
でも、このときは、参拝後、再びこの駅に戻ります。
荷が軽いに越したことはありません。

↑明らかに、わたしより身軽。
↓歩き出しました。

↑「み」
↓斜め左手に、「表参道【大師】厄除門」が見えます。

↑「み」
↓上の写真の反対方向です。

↑「み」
時計があったんで撮ったと思います。
11時35分。
デジカメに記録された時刻も……。
まったく同じでした(実際には12時間ずれて、23:35分になってましたが)。
↓参道を歩き始めました。

↑「み」
驚いたのは……。
人通りの少なさです。

↑「み」
この日は、日曜日なんですよ。
日曜のお昼前です。
曇ってはいますが、雨も降ってません。
こんなもんなんですかね?
もっと賑やかだと思ってました。
リュックをコインロッカーに預けたのも、腰痛予防だけでなく……。
人混みでは邪魔じゃないかと思ったからなんです。

↓「まんぢう」の店。

↑「み」
揚げ饅頭が、川崎大師の名物のようです。

↑写真のお店(『みかど冨士原商店』)の揚げ饅頭。当然ですが、餡子と衣……。
もちろん、写真を撮っただけで買いません。
今後もそうなのですが……。
店の人が、こっちを見てないお店しか撮りません。
写真だけ撮って買わないのでは、心苦しいからです。
といって買ってしまえば、たぶん一口で十分だと思います。
ぜったい胸焼けしそうです。
「まんぢう」を揚げてあるんですから。
↓アーケードが無くなりました。

↑「み」
右の建物は何でしょう?
今調べたら、この壁はもう『川崎大師』のものでした。
もちろんこのときは、知るよしもありません(調べてから行け!)。
↓『元祖 住吉屋総本店』。

↑「み」
どう見ても、支店がありそうには思えませんが。
「くず餅」のお店でした。
これまた、川崎大師の名物だそうです。
「久寿餅」と書く縁起物ですね。

↑かかってるのは、きなこと黒蜜だそうです。
↓なんと、またもや『元祖 住吉屋総本店』。

↑「み」
こっちは、支店もありそうです。
なーんか。
不穏な雰囲気ですね。
お大師さまのお膝元で……。
ひょっとして、元祖争い?
↓こちらにも「久寿餅」のお店。

↑「み」
人がいないとときを狙って撮ったわけではありません。
どの店先にも、買い求めてるお客さんの姿がないのです。
「過当競争」という文字が、当然のごとく脳裏を横切ります。
ま、昔から商売してる古いお店は……。
土地建物が自前だから続けられるのでしょうね。
店舗建築の借入金返済も、終わってるんじゃないですか。
家賃や返済があったら、とてもやっていけませんよ。
↓ここにもありました。

↑「み」
今度は、『山門前 住吉』です。
↓いよいよ、『川崎大師』のようです。

↑「み」
矢印が右に出てます。
門を潜って、すぐ右に折れるとは、妙な具合です。
矢印に従い、門を右折して真っ直ぐ行きます。
↓まったく参道らしからぬ道路です。

↑「み」
↓なんと、公園に出てしまいました。

↑「み」
どう考えても、ここは『川崎大師』じゃないでしょう。
地図で調べたら、『大師公園』でした。
広さ約8万8千㎡の広大な公園です。
あるのは野球場やテニスコートなどで、見所などはないようです。

でも、近隣にこういう広大な公園があるのは……。
災害などのとき、心強いですね。
地震のときは、ここに逃げこめば安全でしょう。

被災後は、ここにずらっと仮設住宅が建つことになるんでしょうね。
どうやら、わたしは行き過ぎたようです。
さっきの参道の途中に、賑やかそうな小路があったんです。
ともかく、そこまで戻ってみることにしました。
↓途中の哀れな街路樹。

↑「み」
アメリカハナミズキでしょうか。

↑新潟県新発田市の宝光寺。大事に育てれば、こんなになります。
樹冠が枯れ下がってます。
根が張れないと、こうなるようです。
おそらく、植栽桝の中の土は、ガチガチなんじゃないでしょうか。
あるいは、透水性がなく、根が水に浸かるか。
いずれにしろ、太い根は張れません。
細根をわずかに伸ばすだけでしょう。
風で揺れると、その細根が切れるので……。
少しでも揺れを少なくしようと、上部の枝を枯らすんです。
なんでこういうことになるか。
それは、植栽工事が、道路工事の中に含まれて発注されるからです。
つまり、植栽工事は、造園屋に下請けされるわけ。

当然、価格は抑えられます。
土壌改良までしてられませんよ。
穴掘って植えて、それっきりです。
道路屋も、路盤を作るとき……。
植栽桝部分だけ、別施工するわけじゃありません。
そんな小面倒なこと、しません。
植栽桝部分まで一緒に、ガチガチに転圧してしまうんです。

で、そこに縁石して桝を作るだけ。

桝の中の土は、ガチガチです。
わたしは昔、建設会社の事務員をしてたので……。
技術者の電話でのやり取りが、よく聞こえたものです。
↓参道を戻ったところの小路です。

↑「み」
『仲見世』とあります。
わたしは、ここを通り過ぎてしまったわけです。
というのも……。
写真からもわかるとおり、さほど賑やかじゃないんです。
何度も書きますが、日曜のお昼ですよ。
この写真の撮影時刻は、11:48分なんです。
↓山門です。

↑「み」
さすがに立派ですね。
境内マップでは、「大山門」となってました。
↓本堂です。

↑「み」
こちらも立派です。
境内マップでは、「大本堂」となってました。
しかし……。
空いちょる。
混雑で歩けないほどじゃ困りますが……。
こんなに空いてるのも、なんだか気勢があがりません。
↓立派な立木です。

↑「み」
『川崎大師』こと『平間寺』の建立は、1128年。
最初からここに建ってたのでしょうか。
この木は、いつごろ植えられたものなんですかね。
それほど古くはないと思うのですが。
↓キョウチクトウのようですが……。

↑「み」
↓幹の古び方が尋常じゃないです。

↑「み」
キョウチクトウは、インド原産。
日本へは、中国を経て江戸時代中期に伝来したそうです。
なので、このキョウチクトウは、少なくともそれ以降の植栽ですね。
キョウチクトウは、煤煙などに強いので……。
一時期、工業団地などの植栽に多用されたようです。
綺麗な花ですが……。

↑南国風の夏らしい花です。
気をつけなければなりません。
毒を持ってます。
しかも、かなり強力です。

花、葉、枝、根、果実、すべての部分に毒性があります。

↑花がない時期は、キョウチクトウとは気づかないかも知れません。
それどころか、根が張ってる土も毒で汚染されてます。
さらに、この木を燃やした煙も有毒。
この木による有名な中毒事件があります。
河原でのバーベキュー。

あるグループが中毒症状を訴え、救急車で運ばれました。
でも、食材にはまったく問題なく、腐ってもいませんでした。
原因は、バーベキューに使った串。

このグループ、串を忘れて来てしまったんです。
で、河原近くの立木の枝を切り……。
串を作って、肉を焼いてたんですよ。
その木が、キョウチクトウだったわけ。
恐ろしいですね。
幸い、死者は出なかったようですが……。
死んでた可能性も、大いにあるそうです。
ま、経口毒ですから、見てる分には大丈夫です。
子供が花を口にしたりしないよう、注意しなければなりません。
でも、今時のお母さんたちは……。
目の前の木がキョウチクトウかどうかなんて、わからないんじゃないですかね。
考えてみれば怖い話です。
公園とかにも、平気で植わってますから。

↑その名も「夾竹桃公園」。園名の後ろで繁ってるのは……。まさしくキョウチクトウです。
↓ありゃ、これが本堂でしたかね?

↑「み」
↓境内マップがありました。

↑クリックすると、大きい画像が見られます。
これを見ると……。
大本堂前から左に真っ直ぐ行った、大本坊だと思います。
大山門に大本堂に大本坊。
まぁ、確かに大きいですが……。
わざわざ“大”を付けられると、ちょっと有り難みが薄まる気がします。
寺務所が併設されてるようですね。
おそらく、お札をここで売ってたんです。
すでに記憶があやふやになってることに、恐ろしさを感じます。
あ、違いました。
境内マップを見返したら、ちゃんと書いてありましたよ。
↓お札場です。

ところで、「境内マップ」。
これはもちろん、『川崎大師』のホームページにあります(こちら)。
で、わたしは、おや?と思ったんです。
「境内」って、神社じゃなかったっけと。
でも、これはわたしの思い違いでした。
神社もお寺も、「境内」で良かったんです。
またひとつ利口になりました。
↓五重塔です。

↑「み」
「大五重塔」ではありませんでした。
新しそうですが……。
調べたら、実際に新しかったです。
建立は、1984(昭和59)年。
弘法大師入定1150年を記念して造られたとか。
ずいぶん、半端な年数ですが……。
それでも、50年おきになるわけか。
空海が亡くなったのは、835年。
その1150年後は、1985年。
ん?
昭和60年ですね。
数え年で勘定するんですかね?
ま、深くは問いますまい。
↓年中行事の表。

↑「み」。↑クリックすると、大きい画像が見られます。
6月はヒマみたいですね。
↓なぜか、天水桶の造りもの。

↑「み」
↓中央に書かれた縦文字は、「魚がし」だそうです。

すなわち、「魚がし」が奉納したわけですね。
「魚がし講」というものが存在し……。
各地の神社仏閣などに、こうしたものを寄進してるみたいです。
↓写真を遡ったら、大山門の提灯にも「魚がし」の文字が入ってました。

「魚がし講」は、築地の旦那衆の集まりみたいですね(不確かな情報です)。
今はもう、存在しないんじゃないでしょうか(不確かな情報です)。
魚河岸自体、豊洲に移りましたし(これは確か)。

天水桶は、もちろん、火除けのまじないなんでしょう。

↑浅草の「伝法院通り」にある天水桶。雨を溜めるから「天水」ということです。
↓踊ってますね。

↑「み」
インド風です。
調べたら、「祈りと平和の像」だそうです。
建立は、五重塔と同じ昭和59年のようです。
中央が、観音さま。
左右は、楽器を奏でる天女だそうです。
観音さまが、祈りを……。
天女が平和を担当してるみたいです。
わたしはぜひ、天女の方をやりたいです。
もちろん、一杯飲ませていただきます。

↑天女ではありません。ノリスケさんです。
↓再び本堂前の様子。

↑「み」
中央で人が集まってるところは、「献香所」。
お香が焚かれてて、その煙を自分の悪いところに浴びるわけですね。
わたしなら、頭を突っこまなければならないところですが……。
さすがに出来ませんでした。

↑こちらは台東区の浅草寺。こちらは「常香炉」と云うようです。左端のおばさんは頭、お隣さんは顔ですね。そこまで正直にならなくても……。
それにしても……。
人が少ない。
↓もう、門を出てしまいました。

↑「み」
入口の大山門の写真が、11:50分。
上の写真が、11:59分。
なんと、9分間しかいませんでした。
予定では、45分も時間を取ってあったんですけどね。
でも、この時間でちゃんと厄除けのお札も買ったんですよ。
実際、持って帰りましたから。
広い境内、写真も撮ってお札も買って……。
たったの9分。
こんなに人が少ない理由は……。
この短時間滞在に、答えが見える気がします。
早い話、見所がないんです。
建物はやたらと立派です。
でも、それだけ。
お参りしてお札を受ければ……。
もう、することがありません。
境内は、すごく広いです。
どうして、屋台とかを、もっと出させないんですかね。

↑新潟市にある蒲原神社の『蒲原祭り』。1kmにわたり450の露店が並びます。
仲見世のお店から、苦情が出るんでしょうか。
それなら、競合しないものに限ればいいはずです。
正直、同じものを売る店がズラーッと並んでて……。
バラエティはなかったですから。

↑ほかの人の撮った写真です。どれもこれも、こんな人出でした。
人が集まれば、仲見世も潤うでしょうから……。
反対は出ないと思うのですが。
そもそも、江戸時代のお寺というのは……。
最大のレジャーランドだったんです。

↑『芝増上寺 黒本尊開帳之図』一曜斎国輝(明治5年)。
お寺の原点は、むしろここですよ。
何にもなく、人もいない境内というのは……。
むしろ、お寺の有るべき姿から離れてしまってると思います。
衆生と共にあるのがお寺です。
修業するなら、高野山とかに行けばいいんです。

とにかく、大改革をしないと……。
今後、これだけ立派な建築物を維持していくことすら難しくなると思います。

↑全国的に、こうなる寺が増えてるようです。
屋台に大道芸。

ストリップまでは無理にしても……。

それに近い遊技場の雰囲気は必要でしょう。

↑これ、やってみたいんですよね。どこでやれるんだろう?
いっそ、日帰り温泉施設を建てますか。
温泉じゃなくてもいいでしょう。
スーパー銭湯。

川崎と云えば、堀之内。

↑堀之内は「泡踊り」発祥の地だそうです。「技の川崎」と呼ばれてるとか。
お風呂には縁があるはず。
↓仲見世のお店。

↑「み」
手前は、お箸の店ですね。
1日、何膳くらい売れるんでしょう?
日曜日で、この人出なら……。
平日では、1膳も売れない日だってありそうです。
その隣は、シャッターが閉まってます。
日曜日ですから、定休日であるはずがありません。
そう云えば、写真には撮ってませんでしたが……。
飴売りのお店が、たくさんありました。

大きな包丁で、長い飴を小さく切ってました。
包丁でまな板を鳴らし、調子を取りながら切ってました。
テレビで見たことのあるパフォーマンスでした。
なぜ、写真を撮らなかったかというと……。
お店の前に、ぜんぜん人がいなかったからです。
人だかりがあれば、その後ろから撮ることも可能です。
でも、そういうバリアがないんですから。
写真だけ撮って買わないという勇気が、わたしにはありませんでした。
買えばいいだけでしょうが……。
正直、ああいう飴には食指が動きません。

あ、母のお土産にすれば良かったかな。
揚げ饅頭は、潰さないで持ち帰るのが困難ですが……。
飴なら出来ましたね。
↓6月らしく、ガクアジサイが咲いてました。

↑「み」
わたしは、半球形のアジサイより、ガクアジサイが好きです。

↑線香花火みたいです。
こういう見事な株を見ると、庭に植えたくなります。
↓京急川崎駅です。

↑「み」
↓時計を撮ってました。

↑「み」
今、思い出しました。
わたしが向かってるのは、JRの川崎駅です。
京急川崎駅とJR川崎駅は、離れてたんですよ。

なので、行きは品川駅で、JRから京急線に乗り換えたわけです。
そう云えば先日、京急線の踏切で大事故がありましたね。

電車とトラックの衝突。
トラックの運転手さんが亡くなりました。
日本の鉄道は安全だと言われてますが……。
踏切がある限り、決して安全とは言い切れないと思います。
新幹線で事故がないのは、踏切がないからです。
さて、JR川崎駅でわたしが乗ったのは……。
JR南武線です。

↑川崎と立川を結びます。もともとは、私鉄の南武鉄道の路線でした。
わたしが降り立ったのは、武蔵小杉駅。
ここで、東急線に乗り換えるのですが……。
いったん、駅の外に出ます。
見たいところがあったからです。
↓高層ビル。

↑「み」
↓『川崎市立中原図書館』とあります。

↑「み」
これは、わたしが見たかったものではありません。
もちろん、この建物全体が図書館のはずないでしょう。
ごく一部を間借りしてるわけです。
↓新潟市の中央区役所もこんな感じです。

21階建てのビルです。
これを見ると、ものすごい区役所みたいですが……。
実際に区役所があるのは、2階から5階まで。

中央区役所は、元々、新潟市役所の中にありました。

それが、ここに移転したのです。
なぜ、移転したかというと……。
このビルのテナントがどんどん撤退してしまったからです。
このビルは、『NEXT21』と云い、中央区の中心部のランドタワー的なビルです。
そこがスカスカになってしまっては、体裁が悪い。
ということで、区役所が移ってきたんですね。
そうそう。
『ラフォーレ原宿・新潟』というテナントがありました。

かつて、この看板が出てたころ、その前を通りかかったら……。
ヤンキー風カップルの兄ちゃんが看板を指さし、「おかしくね?」と疑問を呈してました。
まったく同感でした。
新潟市民としては、気恥ずかしすぎる店名でしたから。
↓駐輪場です。

↑「み」
高架下ですから、屋根を付ける必要もありません。
料金はよく読めませんが、どうやら、1日100円のようです。
この程度であれば、パクられる保険料と考えれば、納得できます。
こちらに、駐輪場のページがありました。
8時間100円でした。
以後、6時間ごとに100円。
普通のサラリーマンは、100円では収まりませんね。
1日200円。
ひと月22日として、4,400円。
うむ。
なにげに微妙です。
しかし、この駐輪場を運営してるのは……。
『㈱ジェイアール東日本高架サービス 駐車場事業部』。
まさか、JRの直営だったとは。
↓わたしが見たかったのは、これ。

↑「み」
武蔵小杉のタワーマンション。
これを見たって、どうってことないんですけどね。
一応、見に来てみました。
朝の通勤時は、大変だそうです。
マンションの外に出るまでに、10分かかるとか。
エレベーターが大混雑で、乗れないんです。
さらに、武蔵小杉駅でも大変。
改札前に長い列が出来るそうです。

考えるだけで憂鬱です。
わたしなら、高く売れるうちに手放しますね。
で、10階建てくらいの中古マンションに買い換えます。
もちろん、武蔵小杉は離れます。
どこにしますかね。
北千住や赤羽も、すでに穴場感が薄れかけてるかも知れません。

錦糸町かな。
新小岩とか。
平井あたりもいいかも知れません。

でも……。
あのあたりは、やっぱり津波や洪水が心配です。
マンションは、5階以上がいいでしょうが……。
停電になると、上り下りが辛いですね。
また、話がズレました。
↓東急目黒線のホーム。

↑「み」。クリックすると、大きい画像が見られます。
都心まで、これ1本で行けるんですね。
なるほど、人気が出るはずだわ。
でも、時間はけっこうかかりますね。
大手町まで、急行で31分。
ぎゅう詰め電車だと、我慢できるギリギリでしょうか。

↑頑張れ、お父さん!
わたしならたぶん、数ヶ月で挫折だと思います。
↓東急線の路線図。

↑「み」。クリックすると、大きい画像が見られます。
東急線だけで、こんなに複雑なんですね。
大したものです。
↓降り立ちました。

↑「み」
ここは、武蔵小杉駅からわずか2駅。
多摩川駅です。

実はこの駅、わたしが東京に初めて住んだときの最寄り駅なんです。
当時は、多摩川園駅でした。
昔はここに、多摩川園という遊園地があったそうです。

でも、わたしが住んだときにはもうありませんでした。
それでも、駅名は変えなかったんですね。
多摩川駅に改称になったのは、2000(平成12)年のようです。

↑駅全景。綺麗ですね。
そのころはまだ東京に住んでましたが……。
もう、別の場所に引っ越してました。
駅前から続く道路の佇まいは、当時のままです。
しかし……。
商店街の寂れようは、目を覆いたくなるほどでした。
ゴーストタウンかと思いました。
↓これは、駅の方を振り返って撮ったもの。

↑「み」。歩道のトンネルの先が駅です。
夜なんか、寂しそうですね。
↓まるで廃墟のセットのようです。

↑「み」
↓なんで、こういう状態のままなんでしょう。

↑「み」
アパートやマンションにすれば、入居者は十分見込めると思います。
渋谷駅まで、たったの15分なんですよ。
↓しつこく撮ってます。

↑「み」
商業地に住居は建てられないんでしょうか?

↑「み」
もっとお寺っぽいのかと思ってました。

↑ちなみにこちらは、水間鉄道水間線の水間観音駅(大阪府貝塚市)。
なお、『川崎大師』というのは、通称です。
正式名称は、『平間寺(へいけんじ)』。

↑このとおり、本名を名乗っておられます。
でも、知りませんよね。
わたしも当然、知りませんでした。
『川崎大師』の「大師」は、もちろん弘法大師のことです。
空海ですね。
日本史の教科書に出て来た偉人です。

↑手に持ってるのは武器ではありません。「独鈷(とっこ)」と呼ばれる密教の仏具です。
生きたのは、平安時代初期。
真言宗の開祖です。

↑一休さんではありません。
ということで、弘法大師の巨像が聳えてるような駅を想像してました。

↑愛知県蒲郡市にある『子安弘法大師』。高さ18.78メートル。新幹線から見えるそうです。
ま、誰もが利用する駅で……。
あまり宗教色を前面に出すのは上手くないのでしょう。
仏教徒だけでなく、キリスト教徒やイスラム教徒も利用するでしょうし。
日本人は、仏壇と神棚が同じ部屋にあるような……。
緩い宗教観の家が多いです(わが家はまさにこれです)。

↑わが家では、もちっと離れて祀ってますが。
でも、外国人には、そうでない人も大勢います。
観光客の中には……。
日本の寺院仏閣を訪ねても、けっして手を合わせたりしない人もいるのです。
そういう方にとっては……。
違う宗教の神に手を合わせるなど、ぜったいにあり得ないことのようです。

↑手を合わせなくても、異教を敬う気持ちは大切です。
なお、駅全景の写真を撮る前……。
重いリュックを、コインロッカーに預けました。
駅の向かって左手にあります。
これはもちろん、事前に調べておきました。

↑川崎大師駅のコインロッカーのようです。しかし、まったく記憶がない。
別のところに移動する場合は、荷物を預けるわけにはいきません。
でも、このときは、参拝後、再びこの駅に戻ります。
荷が軽いに越したことはありません。

↑明らかに、わたしより身軽。
↓歩き出しました。

↑「み」
↓斜め左手に、「表参道【大師】厄除門」が見えます。

↑「み」
↓上の写真の反対方向です。

↑「み」
時計があったんで撮ったと思います。
11時35分。
デジカメに記録された時刻も……。
まったく同じでした(実際には12時間ずれて、23:35分になってましたが)。
↓参道を歩き始めました。

↑「み」
驚いたのは……。
人通りの少なさです。

↑「み」
この日は、日曜日なんですよ。
日曜のお昼前です。
曇ってはいますが、雨も降ってません。
こんなもんなんですかね?
もっと賑やかだと思ってました。
リュックをコインロッカーに預けたのも、腰痛予防だけでなく……。
人混みでは邪魔じゃないかと思ったからなんです。

↓「まんぢう」の店。

↑「み」
揚げ饅頭が、川崎大師の名物のようです。

↑写真のお店(『みかど冨士原商店』)の揚げ饅頭。当然ですが、餡子と衣……。
もちろん、写真を撮っただけで買いません。
今後もそうなのですが……。
店の人が、こっちを見てないお店しか撮りません。
写真だけ撮って買わないのでは、心苦しいからです。
といって買ってしまえば、たぶん一口で十分だと思います。
ぜったい胸焼けしそうです。
「まんぢう」を揚げてあるんですから。
↓アーケードが無くなりました。

↑「み」
右の建物は何でしょう?
今調べたら、この壁はもう『川崎大師』のものでした。
もちろんこのときは、知るよしもありません(調べてから行け!)。
↓『元祖 住吉屋総本店』。

↑「み」
どう見ても、支店がありそうには思えませんが。
「くず餅」のお店でした。
これまた、川崎大師の名物だそうです。
「久寿餅」と書く縁起物ですね。

↑かかってるのは、きなこと黒蜜だそうです。
↓なんと、またもや『元祖 住吉屋総本店』。

↑「み」
こっちは、支店もありそうです。
なーんか。
不穏な雰囲気ですね。
お大師さまのお膝元で……。
ひょっとして、元祖争い?
↓こちらにも「久寿餅」のお店。

↑「み」
人がいないとときを狙って撮ったわけではありません。
どの店先にも、買い求めてるお客さんの姿がないのです。
「過当競争」という文字が、当然のごとく脳裏を横切ります。
ま、昔から商売してる古いお店は……。
土地建物が自前だから続けられるのでしょうね。
店舗建築の借入金返済も、終わってるんじゃないですか。
家賃や返済があったら、とてもやっていけませんよ。
↓ここにもありました。

↑「み」
今度は、『山門前 住吉』です。
↓いよいよ、『川崎大師』のようです。

↑「み」
矢印が右に出てます。
門を潜って、すぐ右に折れるとは、妙な具合です。
矢印に従い、門を右折して真っ直ぐ行きます。
↓まったく参道らしからぬ道路です。

↑「み」
↓なんと、公園に出てしまいました。

↑「み」
どう考えても、ここは『川崎大師』じゃないでしょう。
地図で調べたら、『大師公園』でした。
広さ約8万8千㎡の広大な公園です。
あるのは野球場やテニスコートなどで、見所などはないようです。

でも、近隣にこういう広大な公園があるのは……。
災害などのとき、心強いですね。
地震のときは、ここに逃げこめば安全でしょう。

被災後は、ここにずらっと仮設住宅が建つことになるんでしょうね。
どうやら、わたしは行き過ぎたようです。
さっきの参道の途中に、賑やかそうな小路があったんです。
ともかく、そこまで戻ってみることにしました。
↓途中の哀れな街路樹。

↑「み」
アメリカハナミズキでしょうか。

↑新潟県新発田市の宝光寺。大事に育てれば、こんなになります。
樹冠が枯れ下がってます。
根が張れないと、こうなるようです。
おそらく、植栽桝の中の土は、ガチガチなんじゃないでしょうか。
あるいは、透水性がなく、根が水に浸かるか。
いずれにしろ、太い根は張れません。
細根をわずかに伸ばすだけでしょう。
風で揺れると、その細根が切れるので……。
少しでも揺れを少なくしようと、上部の枝を枯らすんです。
なんでこういうことになるか。
それは、植栽工事が、道路工事の中に含まれて発注されるからです。
つまり、植栽工事は、造園屋に下請けされるわけ。

当然、価格は抑えられます。
土壌改良までしてられませんよ。
穴掘って植えて、それっきりです。
道路屋も、路盤を作るとき……。
植栽桝部分だけ、別施工するわけじゃありません。
そんな小面倒なこと、しません。
植栽桝部分まで一緒に、ガチガチに転圧してしまうんです。

で、そこに縁石して桝を作るだけ。

桝の中の土は、ガチガチです。
わたしは昔、建設会社の事務員をしてたので……。
技術者の電話でのやり取りが、よく聞こえたものです。
↓参道を戻ったところの小路です。

↑「み」
『仲見世』とあります。
わたしは、ここを通り過ぎてしまったわけです。
というのも……。
写真からもわかるとおり、さほど賑やかじゃないんです。
何度も書きますが、日曜のお昼ですよ。
この写真の撮影時刻は、11:48分なんです。
↓山門です。

↑「み」
さすがに立派ですね。
境内マップでは、「大山門」となってました。
↓本堂です。

↑「み」
こちらも立派です。
境内マップでは、「大本堂」となってました。
しかし……。
空いちょる。
混雑で歩けないほどじゃ困りますが……。
こんなに空いてるのも、なんだか気勢があがりません。
↓立派な立木です。

↑「み」
『川崎大師』こと『平間寺』の建立は、1128年。
最初からここに建ってたのでしょうか。
この木は、いつごろ植えられたものなんですかね。
それほど古くはないと思うのですが。
↓キョウチクトウのようですが……。

↑「み」
↓幹の古び方が尋常じゃないです。

↑「み」
キョウチクトウは、インド原産。
日本へは、中国を経て江戸時代中期に伝来したそうです。
なので、このキョウチクトウは、少なくともそれ以降の植栽ですね。
キョウチクトウは、煤煙などに強いので……。
一時期、工業団地などの植栽に多用されたようです。
綺麗な花ですが……。

↑南国風の夏らしい花です。
気をつけなければなりません。
毒を持ってます。
しかも、かなり強力です。

花、葉、枝、根、果実、すべての部分に毒性があります。

↑花がない時期は、キョウチクトウとは気づかないかも知れません。
それどころか、根が張ってる土も毒で汚染されてます。
さらに、この木を燃やした煙も有毒。
この木による有名な中毒事件があります。
河原でのバーベキュー。

あるグループが中毒症状を訴え、救急車で運ばれました。
でも、食材にはまったく問題なく、腐ってもいませんでした。
原因は、バーベキューに使った串。

このグループ、串を忘れて来てしまったんです。
で、河原近くの立木の枝を切り……。
串を作って、肉を焼いてたんですよ。
その木が、キョウチクトウだったわけ。
恐ろしいですね。
幸い、死者は出なかったようですが……。
死んでた可能性も、大いにあるそうです。
ま、経口毒ですから、見てる分には大丈夫です。
子供が花を口にしたりしないよう、注意しなければなりません。
でも、今時のお母さんたちは……。
目の前の木がキョウチクトウかどうかなんて、わからないんじゃないですかね。
考えてみれば怖い話です。
公園とかにも、平気で植わってますから。

↑その名も「夾竹桃公園」。園名の後ろで繁ってるのは……。まさしくキョウチクトウです。
↓ありゃ、これが本堂でしたかね?

↑「み」
↓境内マップがありました。

↑クリックすると、大きい画像が見られます。
これを見ると……。
大本堂前から左に真っ直ぐ行った、大本坊だと思います。
大山門に大本堂に大本坊。
まぁ、確かに大きいですが……。
わざわざ“大”を付けられると、ちょっと有り難みが薄まる気がします。
寺務所が併設されてるようですね。
おそらく、お札をここで売ってたんです。
すでに記憶があやふやになってることに、恐ろしさを感じます。
あ、違いました。
境内マップを見返したら、ちゃんと書いてありましたよ。
↓お札場です。

ところで、「境内マップ」。
これはもちろん、『川崎大師』のホームページにあります(こちら)。
で、わたしは、おや?と思ったんです。
「境内」って、神社じゃなかったっけと。
でも、これはわたしの思い違いでした。
神社もお寺も、「境内」で良かったんです。
またひとつ利口になりました。
↓五重塔です。

↑「み」
「大五重塔」ではありませんでした。
新しそうですが……。
調べたら、実際に新しかったです。
建立は、1984(昭和59)年。
弘法大師入定1150年を記念して造られたとか。
ずいぶん、半端な年数ですが……。
それでも、50年おきになるわけか。
空海が亡くなったのは、835年。
その1150年後は、1985年。
ん?
昭和60年ですね。
数え年で勘定するんですかね?
ま、深くは問いますまい。
↓年中行事の表。

↑「み」。↑クリックすると、大きい画像が見られます。
6月はヒマみたいですね。
↓なぜか、天水桶の造りもの。

↑「み」
↓中央に書かれた縦文字は、「魚がし」だそうです。

すなわち、「魚がし」が奉納したわけですね。
「魚がし講」というものが存在し……。
各地の神社仏閣などに、こうしたものを寄進してるみたいです。
↓写真を遡ったら、大山門の提灯にも「魚がし」の文字が入ってました。

「魚がし講」は、築地の旦那衆の集まりみたいですね(不確かな情報です)。
今はもう、存在しないんじゃないでしょうか(不確かな情報です)。
魚河岸自体、豊洲に移りましたし(これは確か)。

天水桶は、もちろん、火除けのまじないなんでしょう。

↑浅草の「伝法院通り」にある天水桶。雨を溜めるから「天水」ということです。
↓踊ってますね。

↑「み」
インド風です。
調べたら、「祈りと平和の像」だそうです。
建立は、五重塔と同じ昭和59年のようです。
中央が、観音さま。
左右は、楽器を奏でる天女だそうです。
観音さまが、祈りを……。
天女が平和を担当してるみたいです。
わたしはぜひ、天女の方をやりたいです。
もちろん、一杯飲ませていただきます。

↑天女ではありません。ノリスケさんです。
↓再び本堂前の様子。

↑「み」
中央で人が集まってるところは、「献香所」。
お香が焚かれてて、その煙を自分の悪いところに浴びるわけですね。
わたしなら、頭を突っこまなければならないところですが……。
さすがに出来ませんでした。

↑こちらは台東区の浅草寺。こちらは「常香炉」と云うようです。左端のおばさんは頭、お隣さんは顔ですね。そこまで正直にならなくても……。
それにしても……。
人が少ない。
↓もう、門を出てしまいました。

↑「み」
入口の大山門の写真が、11:50分。
上の写真が、11:59分。
なんと、9分間しかいませんでした。
予定では、45分も時間を取ってあったんですけどね。
でも、この時間でちゃんと厄除けのお札も買ったんですよ。
実際、持って帰りましたから。
広い境内、写真も撮ってお札も買って……。
たったの9分。
こんなに人が少ない理由は……。
この短時間滞在に、答えが見える気がします。
早い話、見所がないんです。
建物はやたらと立派です。
でも、それだけ。
お参りしてお札を受ければ……。
もう、することがありません。
境内は、すごく広いです。
どうして、屋台とかを、もっと出させないんですかね。

↑新潟市にある蒲原神社の『蒲原祭り』。1kmにわたり450の露店が並びます。
仲見世のお店から、苦情が出るんでしょうか。
それなら、競合しないものに限ればいいはずです。
正直、同じものを売る店がズラーッと並んでて……。
バラエティはなかったですから。

↑ほかの人の撮った写真です。どれもこれも、こんな人出でした。
人が集まれば、仲見世も潤うでしょうから……。
反対は出ないと思うのですが。
そもそも、江戸時代のお寺というのは……。
最大のレジャーランドだったんです。

↑『芝増上寺 黒本尊開帳之図』一曜斎国輝(明治5年)。
お寺の原点は、むしろここですよ。
何にもなく、人もいない境内というのは……。
むしろ、お寺の有るべき姿から離れてしまってると思います。
衆生と共にあるのがお寺です。
修業するなら、高野山とかに行けばいいんです。

とにかく、大改革をしないと……。
今後、これだけ立派な建築物を維持していくことすら難しくなると思います。

↑全国的に、こうなる寺が増えてるようです。
屋台に大道芸。

ストリップまでは無理にしても……。

それに近い遊技場の雰囲気は必要でしょう。

↑これ、やってみたいんですよね。どこでやれるんだろう?
いっそ、日帰り温泉施設を建てますか。
温泉じゃなくてもいいでしょう。
スーパー銭湯。

川崎と云えば、堀之内。

↑堀之内は「泡踊り」発祥の地だそうです。「技の川崎」と呼ばれてるとか。
お風呂には縁があるはず。
↓仲見世のお店。

↑「み」
手前は、お箸の店ですね。
1日、何膳くらい売れるんでしょう?
日曜日で、この人出なら……。
平日では、1膳も売れない日だってありそうです。
その隣は、シャッターが閉まってます。
日曜日ですから、定休日であるはずがありません。
そう云えば、写真には撮ってませんでしたが……。
飴売りのお店が、たくさんありました。

大きな包丁で、長い飴を小さく切ってました。
包丁でまな板を鳴らし、調子を取りながら切ってました。
テレビで見たことのあるパフォーマンスでした。
なぜ、写真を撮らなかったかというと……。
お店の前に、ぜんぜん人がいなかったからです。
人だかりがあれば、その後ろから撮ることも可能です。
でも、そういうバリアがないんですから。
写真だけ撮って買わないという勇気が、わたしにはありませんでした。
買えばいいだけでしょうが……。
正直、ああいう飴には食指が動きません。

あ、母のお土産にすれば良かったかな。
揚げ饅頭は、潰さないで持ち帰るのが困難ですが……。
飴なら出来ましたね。
↓6月らしく、ガクアジサイが咲いてました。

↑「み」
わたしは、半球形のアジサイより、ガクアジサイが好きです。

↑線香花火みたいです。
こういう見事な株を見ると、庭に植えたくなります。
↓京急川崎駅です。

↑「み」
↓時計を撮ってました。

↑「み」
今、思い出しました。
わたしが向かってるのは、JRの川崎駅です。
京急川崎駅とJR川崎駅は、離れてたんですよ。

なので、行きは品川駅で、JRから京急線に乗り換えたわけです。
そう云えば先日、京急線の踏切で大事故がありましたね。

電車とトラックの衝突。
トラックの運転手さんが亡くなりました。
日本の鉄道は安全だと言われてますが……。
踏切がある限り、決して安全とは言い切れないと思います。
新幹線で事故がないのは、踏切がないからです。
さて、JR川崎駅でわたしが乗ったのは……。
JR南武線です。

↑川崎と立川を結びます。もともとは、私鉄の南武鉄道の路線でした。
わたしが降り立ったのは、武蔵小杉駅。
ここで、東急線に乗り換えるのですが……。
いったん、駅の外に出ます。
見たいところがあったからです。
↓高層ビル。

↑「み」
↓『川崎市立中原図書館』とあります。

↑「み」
これは、わたしが見たかったものではありません。
もちろん、この建物全体が図書館のはずないでしょう。
ごく一部を間借りしてるわけです。
↓新潟市の中央区役所もこんな感じです。

21階建てのビルです。
これを見ると、ものすごい区役所みたいですが……。
実際に区役所があるのは、2階から5階まで。

中央区役所は、元々、新潟市役所の中にありました。

それが、ここに移転したのです。
なぜ、移転したかというと……。
このビルのテナントがどんどん撤退してしまったからです。
このビルは、『NEXT21』と云い、中央区の中心部のランドタワー的なビルです。
そこがスカスカになってしまっては、体裁が悪い。
ということで、区役所が移ってきたんですね。
そうそう。
『ラフォーレ原宿・新潟』というテナントがありました。

かつて、この看板が出てたころ、その前を通りかかったら……。
ヤンキー風カップルの兄ちゃんが看板を指さし、「おかしくね?」と疑問を呈してました。
まったく同感でした。
新潟市民としては、気恥ずかしすぎる店名でしたから。
↓駐輪場です。

↑「み」
高架下ですから、屋根を付ける必要もありません。
料金はよく読めませんが、どうやら、1日100円のようです。
この程度であれば、パクられる保険料と考えれば、納得できます。
こちらに、駐輪場のページがありました。
8時間100円でした。
以後、6時間ごとに100円。
普通のサラリーマンは、100円では収まりませんね。
1日200円。
ひと月22日として、4,400円。
うむ。
なにげに微妙です。
しかし、この駐輪場を運営してるのは……。
『㈱ジェイアール東日本高架サービス 駐車場事業部』。
まさか、JRの直営だったとは。
↓わたしが見たかったのは、これ。

↑「み」
武蔵小杉のタワーマンション。
これを見たって、どうってことないんですけどね。
一応、見に来てみました。
朝の通勤時は、大変だそうです。
マンションの外に出るまでに、10分かかるとか。
エレベーターが大混雑で、乗れないんです。
さらに、武蔵小杉駅でも大変。
改札前に長い列が出来るそうです。

考えるだけで憂鬱です。
わたしなら、高く売れるうちに手放しますね。
で、10階建てくらいの中古マンションに買い換えます。
もちろん、武蔵小杉は離れます。
どこにしますかね。
北千住や赤羽も、すでに穴場感が薄れかけてるかも知れません。

錦糸町かな。
新小岩とか。
平井あたりもいいかも知れません。

でも……。
あのあたりは、やっぱり津波や洪水が心配です。
マンションは、5階以上がいいでしょうが……。
停電になると、上り下りが辛いですね。
また、話がズレました。
↓東急目黒線のホーム。

↑「み」。クリックすると、大きい画像が見られます。
都心まで、これ1本で行けるんですね。
なるほど、人気が出るはずだわ。
でも、時間はけっこうかかりますね。
大手町まで、急行で31分。
ぎゅう詰め電車だと、我慢できるギリギリでしょうか。

↑頑張れ、お父さん!
わたしならたぶん、数ヶ月で挫折だと思います。
↓東急線の路線図。

↑「み」。クリックすると、大きい画像が見られます。
東急線だけで、こんなに複雑なんですね。
大したものです。
↓降り立ちました。

↑「み」
ここは、武蔵小杉駅からわずか2駅。
多摩川駅です。

実はこの駅、わたしが東京に初めて住んだときの最寄り駅なんです。
当時は、多摩川園駅でした。
昔はここに、多摩川園という遊園地があったそうです。

でも、わたしが住んだときにはもうありませんでした。
それでも、駅名は変えなかったんですね。
多摩川駅に改称になったのは、2000(平成12)年のようです。

↑駅全景。綺麗ですね。
そのころはまだ東京に住んでましたが……。
もう、別の場所に引っ越してました。
駅前から続く道路の佇まいは、当時のままです。
しかし……。
商店街の寂れようは、目を覆いたくなるほどでした。
ゴーストタウンかと思いました。
↓これは、駅の方を振り返って撮ったもの。

↑「み」。歩道のトンネルの先が駅です。
夜なんか、寂しそうですね。
↓まるで廃墟のセットのようです。

↑「み」
↓なんで、こういう状態のままなんでしょう。

↑「み」
アパートやマンションにすれば、入居者は十分見込めると思います。
渋谷駅まで、たったの15分なんですよ。
↓しつこく撮ってます。

↑「み」
商業地に住居は建てられないんでしょうか?