2019.8.30(金)
わたしが立ち止まったのを不審に思ったのか……。
妻もわたしの視線をたどったようだ。
一瞬で凍り付いた。
わたしは妻の腕を取った。
妻を引きずりながら歩み、男の後ろを通過する。
男は、わたしたちを気にする様子もなく、雑誌のページに集中している。
開いているページが見えた。
妻のページだった。
わたしの手の中で、妻の腕が震えた。
妻にも、そのページが見えたのだ。
真後ろに立ち止まるわけにはいかないので、そのまま通り過ぎた。
妻は真っ直ぐに、雑誌コーナー脇の扉に向かった。
「ちょっと、おトイレ」
声が掠れていた。
アパートまでは数分の距離だ。
我慢できないはずはない。
ひょっとして、オナニーする気なんじゃないかと思ったが……。
さすがに、後を付いて入るわけにもいかない。
妻が扉の中に消えると、男は雑誌を閉じ、そのままレジに向かった。
お買いあげだ。
この瞬間を妻に見せたかった。
妻は思いのほか早く、扉を出て来た。
いくらなんでも、こんな時間でオナニーを済ませられるとは思えない。
ほんとに小用だったとしても、もう少しかかるだろう。
わたしは妻の耳元に囁いた。
「買って行ったよ」
わたしは、雑誌コーナー前面のガラスを指差した。
ジャージの男が、投稿誌の入った紙袋を大事そうに脇に挟んで立ち去る姿が見えていた。
おにぎりやパンを買うと、早々にコンビニを出た。
早く帰って、妻の股間に顔を埋めたかった。
休日の住宅街は閑散としていて、走る車もなかった。
黄色に塗装されたブロック塀を折れたところで、妻が立ち止まった。
通りには、誰の姿も見えない。
妻は、サマーセーターの中から、何かを引っ張り出した。
スカートのウェストに挟んでいたようだ。
手で握ったまま、わたしに差し出した。
妻もわたしの視線をたどったようだ。
一瞬で凍り付いた。
わたしは妻の腕を取った。
妻を引きずりながら歩み、男の後ろを通過する。
男は、わたしたちを気にする様子もなく、雑誌のページに集中している。
開いているページが見えた。
妻のページだった。
わたしの手の中で、妻の腕が震えた。
妻にも、そのページが見えたのだ。
真後ろに立ち止まるわけにはいかないので、そのまま通り過ぎた。
妻は真っ直ぐに、雑誌コーナー脇の扉に向かった。
「ちょっと、おトイレ」
声が掠れていた。
アパートまでは数分の距離だ。
我慢できないはずはない。
ひょっとして、オナニーする気なんじゃないかと思ったが……。
さすがに、後を付いて入るわけにもいかない。
妻が扉の中に消えると、男は雑誌を閉じ、そのままレジに向かった。
お買いあげだ。
この瞬間を妻に見せたかった。
妻は思いのほか早く、扉を出て来た。
いくらなんでも、こんな時間でオナニーを済ませられるとは思えない。
ほんとに小用だったとしても、もう少しかかるだろう。
わたしは妻の耳元に囁いた。
「買って行ったよ」
わたしは、雑誌コーナー前面のガラスを指差した。
ジャージの男が、投稿誌の入った紙袋を大事そうに脇に挟んで立ち去る姿が見えていた。
おにぎりやパンを買うと、早々にコンビニを出た。
早く帰って、妻の股間に顔を埋めたかった。
休日の住宅街は閑散としていて、走る車もなかった。
黄色に塗装されたブロック塀を折れたところで、妻が立ち止まった。
通りには、誰の姿も見えない。
妻は、サマーセーターの中から、何かを引っ張り出した。
スカートのウェストに挟んでいたようだ。
手で握ったまま、わたしに差し出した。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2019/08/30 06:01
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今日は何の日
8月30日は、『義民弥惣右衛門の命日』。
これは、わたしが投稿した過去のログを、「8月30日」で検索して見つけました。
『東北に行こう!』でした。
投稿日は、2012年5月19日(土)。
当時、『東北に行こう!』は、『由美と美弥子』のコメントとして連載してました。
『由美と美弥子 0977(https://mikikosroom.com/archives/2672452.html#comment-toko)』回のこと。
今日は、ちょっとズルさせていただき……。
全文、引き写します。
なお、当時のFC2ブログのコメントには画像が表示できたので……。
原文には、画像がたくさん入ってます。
Livedoorブログのコメントでは画像表示が出来ないので、画像URLは取り除きました。
画像入りを読みたい方は……。
『東北に行こう!/総集編42(https://mikikosroom.com/archives/2805075.html)』をご覧ください。
舞台は、列車の中です。
奥羽本線で、男鹿半島の付け根を北上中。
『森岳』のあたりです。
「み」は、わたし。
「食」は、列車で知り合った大食漢の食くん。
なお、「食」のセリフが続く箇所がありますが……。
間違いではありません。
原文では、その間に画像が挟まってるんです。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2019/08/30 06:01
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今日は何の日(つづき)
↓それではどうぞ。
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食「この近くに、ひとりの義民の碑が建ってるんです。
『義民弥惣右衛門(やそえもん)の碑』と云います」
み「いつごろの人よ?」
食「元禄期ですね。
江戸時代初期です」
み「何した人?」
食「当時、男鹿半島の北の付け根あたりでは……」
食「芦崎(現・三種町芦崎)と野石(現・男鹿市野石)という2つの村の間で、激しい村境闘いが続いてました。
そんなある日のこと……。
沖で、綿を積んだ船が座礁し……」
食「大量の綿が、村境の浜に打ち上げられました」
食「当時の綿は、大変に貴重なものだったんです」
食「で……。
2つの村の村人たちは、競うように綿を拾い集めました」
食「それだけでは飽きたらず……。
難破船に乗りこんで、積荷を運び出しました」
み「完璧な泥棒じゃん」
食「そのとおりです。
当然、船主は、役所に訴え出ました」
食「村人たちは、綿を村境の松林に隠しましたが……」
食「出張ってきた役人に見つかってしまいました」
み「松林に綿の山なんて、隠しようが無いだろ」
食「ま、そういうことです。
で、当然のことながら、詮議が始まりました」
食「両村の庄屋が呼び出され……。
この松林は、どっちの土地かと糾されました」
食「松林の属する村が厳しい処罰を受けることは、火を見るより明らかです」
+++
続きはさらに次のコメントで。
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––––––
3. Mikiko- 2019/08/30 06:02
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今日は何の日(つづきのつづき)
↓引用の続きです。
+++
食「芦崎の庄屋は、処罰を恐れ……。
『ここは芦崎の土地じゃない』と、全面否定しました」
食「続いて、野石の庄屋、弥惣右衛門が糾されました。
弥惣右衛門は、『ここは野石の土地だ』と、はっきりと答えました」
食「結果……。
弥惣右衛門は、事件の責任を取らされ……。
処刑されました」
み「ひょえー」
食「でも、長く続いた境界争いは、それで終わったんです」
食「なにしろ、役人の真ん前で……。
片方は『うちの土地じゃない』と言い、もう片方は『うちの土地だ』と言ったんですからね。
もちろん弥惣右衛門は、そうなることを見越してたんでしょう。
弥惣右衛門が、自らの命と引き換えに獲得した土地は、130ヘクタールに及んだと云います。
野石村の人たちは……。
処刑地に供養塔を建てました。
それが、『義民弥惣右衛門の碑』です。
今でも、8月30日の命日には、碑の前で慰霊祭が行われてます」
み「ほー。
昔は、腹の座った人がいたもんだね」
食「遙かな祖先から自分に繋がり、そして更に子孫へと続いていく……。
そういう一族の連なり感ってのは、明確にあったでしょうね」
食「だからこそ……。
先祖の労に報いるため、子孫の安寧のために……。
自分の命を投げ出せた」
み「一族の1人であるという自覚が、個人としての自覚より強いってわけか」
食「でしょうね」
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今から、7年前の文章です。
ちゃんと調べて書いてたんですね。
なんだか、忸怩たるものがあります。