2019.8.19(月)
恥骨に、肉芽の突起を感じた。
勃起しきった妻の陰核だ。
鋭角に尖り、わたしの恥丘に食いこんでいる。
恥骨で押し潰す。
「あぎぃ」
妻が頭を仰け反らした。
マスクの裾野から、白い喉首が伸びている。
陶器の橋のようだった。
愛しかった。
普段なら唇を貪るところだが……。
今日は出来ない。
口元がマスクに覆われてしまっているからだ。
それでも、顔をマスクに擦りつけた。
犬がじゃれつくように、頭を振る。
胸で、妻の乳房を揉み潰す。
乳首の突起を感じた。
わたしの恥骨には、妻の陰核の棘が突き立っている。
そしてわたしの突起である陰茎は、妻の胎内深く潜りこんでいた。
男と女は、互いの棘を突き立てながら交合するんだ。
惑乱した。
もう、抑えることは出来なかった。
身悶えながら、全身を妻に揉みこむ。
「い……。
いくぞ。
中に出す」
妻の頭が上下に振れるのを、擦りつけた頬で感じた。
「ぅおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
痛痒い快感が、脊髄を貫く。
髄液の中を、鋭い悦楽の針が突きあがっていく。
「出る!」
わたしは、狂おしく身を捩った。
「あが」
第一弾が放たれた。
妻の膣壁で、白濁した弾丸が破裂する。
精を放っても、わたしは動きを止めなかった。
まだ、妻がイッてないからだ。
第二弾を放ちながらも、さらに腰を揉みこむ。
迫りあがった瞳が、妻のマスクを捉えた。
表情は何も見えない。
しかし、顎を何度も天に突きあげる様子から、断崖に立っているのがわかる。
あと一押しだ。
わたしは、薄れゆく意識の中で、瘧のように腰を震わせた。
「ぅわきゃ」
妻の破裂音を聞いた。
……ように思った。
吹雪の中の幻聴に似ていた。
勃起しきった妻の陰核だ。
鋭角に尖り、わたしの恥丘に食いこんでいる。
恥骨で押し潰す。
「あぎぃ」
妻が頭を仰け反らした。
マスクの裾野から、白い喉首が伸びている。
陶器の橋のようだった。
愛しかった。
普段なら唇を貪るところだが……。
今日は出来ない。
口元がマスクに覆われてしまっているからだ。
それでも、顔をマスクに擦りつけた。
犬がじゃれつくように、頭を振る。
胸で、妻の乳房を揉み潰す。
乳首の突起を感じた。
わたしの恥骨には、妻の陰核の棘が突き立っている。
そしてわたしの突起である陰茎は、妻の胎内深く潜りこんでいた。
男と女は、互いの棘を突き立てながら交合するんだ。
惑乱した。
もう、抑えることは出来なかった。
身悶えながら、全身を妻に揉みこむ。
「い……。
いくぞ。
中に出す」
妻の頭が上下に振れるのを、擦りつけた頬で感じた。
「ぅおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
痛痒い快感が、脊髄を貫く。
髄液の中を、鋭い悦楽の針が突きあがっていく。
「出る!」
わたしは、狂おしく身を捩った。
「あが」
第一弾が放たれた。
妻の膣壁で、白濁した弾丸が破裂する。
精を放っても、わたしは動きを止めなかった。
まだ、妻がイッてないからだ。
第二弾を放ちながらも、さらに腰を揉みこむ。
迫りあがった瞳が、妻のマスクを捉えた。
表情は何も見えない。
しかし、顎を何度も天に突きあげる様子から、断崖に立っているのがわかる。
あと一押しだ。
わたしは、薄れゆく意識の中で、瘧のように腰を震わせた。
「ぅわきゃ」
妻の破裂音を聞いた。
……ように思った。
吹雪の中の幻聴に似ていた。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2019/08/19 06:33
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今日は何の日
8月19日は、『俳句の日/俳句記念日』。
『俳句の日』は、俳人の坪内稔典らが提唱し、1991(平成3)年に制定。
『俳句記念日』は、上野貴子氏が主宰する『おしゃべりHAIKUの会(http://uenotakako.com/)』が制定。
もちろん、「は(8)い(1)く(9)」の語呂合わせです。
句会などを通して、俳句の楽しさ、奥深さ、季節感の大切さなどを知ってもらうことが目的。
記念日に合わせて、イベントや大会などを行ってるそうです。
『俳句記念日』は『(社)日本記念日協会』により認定、登録されてます。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/108192.html)のページから転載させていただきました。
さて。
わたしと俳句。
もちろん、詠んだことはあります。
ごくわずかですが、活字になったこともあります。
でも、長続きしませんでした。
まず、わたしが俳句の世界に入らなかったのは……。
俳句結社などに加わるのが面倒だったのと、そこで行われる句会が気が重そうだったからです。
わたしは、弁が立たないんです。
子供にも言い負かされます。
なので、句会などで批判されたら……。
応酬も出来ず、うなだれてるだけだと思うんです。
ぜったい、楽しくないです。
さらに、言い負かされたりしたことは、根に持つタイプです。
蓄積するばかりで、消化できません。
精神衛生上、ぜったいに良くないです。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2019/08/19 06:33
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今日は何の日(つづき)
といって、ひとりで句作してても、なかなか長続きしません。
自分だけで楽しめればいいのでしょうが……。
やはり、評価も受けたい。
となれば、新聞や雑誌への投稿です。
でも、載ることは滅多にないでしょう。
載らなかった句が、なぜダメだったのかも不明です。
よって、上達しないと思います。
やっぱり、句会で揉まれた人には敵わないわけです。
俳句というのは、「5-7-5」の、たった17文字から成ります。
一番短い文学です。
この特徴のひとつは……。
まぐれが起こるということ。
つまり、たまたま、もの凄い句が詠めてしまうことがあるのです。
高野素十という俳人に、↓の句があります。
●生涯にまはり燈籠の句一つ
↓詩人の清水哲男さんの解説。
+++
前書に「須賀田平吉君を弔ふ」とある。
素十の俳句仲間だろうが、どんな人だったのかは知る由もない。
「須賀田平吉君」が亡くなった。そこで思うことに、ずいぶんと熱心に句を作ってはいたが、はっきり言って下手な男だった。
ヘボ句の連発には、閉口させられたものだ。
だが、たった一度だけ、彼が句会で満座を唸らせた「まはり燈籠」の句がある。
実に見事な句であった。
誰もが「あれは名句だねえ」と、いつまでも覚えている。
通夜の席でも、当然のようにその話が出た。
……こんな具合だろうか。
+++
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2019/08/19 06:34
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今日は何の日(つづきのつづき)
+++(解説の続きです)
故人への挨拶句としては珍しい作りであり、しかも友情がじわりと沁み出ている佳句だ。
おそらくは「須賀田平吉君」が存命のときにも、作者はこの調子で軽口を叩いていたにちがいない。
だからこその手向けの一句になるのであって、あまり親しくもなかった人がこんな句を作ったら、顰蹙モノだろう。
その上、故人の句の季題が「月」でも「花」でもなく「まはり燈籠」であったことにも、人の運命のはかなさを感じさせられる。
どんな句だったのか、読んでみたい。
考えてみれば「生涯に一句」とは、たいしたものなのである。
たいがいの人は「一句」も残せずに、人生を終えてきた。
ところで「まはり燈籠」の季節だが、当歳時記では「燈籠」の仲間として「秋」に分類しておく。
でも、遊び心のある涼しさを楽しむ燈籠だから、夏の季語としたほうがよいのかも知れぬ。
ただし、掲句がどの季節に詠まれたのかは不明なので、本当の作句の季節はわからない。
+++
こういう奇跡を起こすには、とにかくたくさん作ることでしょう。
で、わたしが考えるのは、AIです。
AIなら、まったく休むことなく、何万句も作り出すことが可能なはずです。
ぜったいに、奇跡のような句が混じってるはず。
しかし、何万句の中から、人間がそれを探し出すのは……。
容易なことではありません。
句評も出来るAIが開発できればいいですね。