2019.7.1(月)
↓乗りこみました。
↑「み」
ハーさんは寝ちゃってますね。
撮影時刻は、13:40分。
発車直前でしょう。
↓『上野駅』です。
↑「み」
上越新幹線で、ここだけが地下駅ですね。
わたしがわからんのは、『上野駅』で自由席の列に並んでる人。
座れなくてもいいと思ってるんですかね。
わたしなら、『東京駅』まで戻って並びます。
特急料金なんか、いくらも違いませんよ(たぶん210円)。
↓さらば東京。
↑「み」
いつものことながら、楽しい時間はあっという間に過ぎ去ります。
↓もう一度、さらば東京。
↑「み」
↓『東十条駅』付近です。
↑「み」
まだ、東京都北区です。
↓煙突が見えました。
↑「み」
↓東京都北区にある『北清掃工場』の煙突です。
↓ズームで撮りました。
↑「み」
↓『北赤羽駅』を通過。
↑「み」
帰りの右側の窓からは、並行して走る在来線の駅が見えます。
こっちはスピードが出てるので、駅名を読み取るのは難しいです。
こんなに綺麗に撮れたのは謎です。
↑「み」
ハーさんは寝ちゃってますね。
撮影時刻は、13:40分。
発車直前でしょう。
↓『上野駅』です。
↑「み」
上越新幹線で、ここだけが地下駅ですね。
わたしがわからんのは、『上野駅』で自由席の列に並んでる人。
座れなくてもいいと思ってるんですかね。
わたしなら、『東京駅』まで戻って並びます。
特急料金なんか、いくらも違いませんよ(たぶん210円)。
↓さらば東京。
↑「み」
いつものことながら、楽しい時間はあっという間に過ぎ去ります。
↓もう一度、さらば東京。
↑「み」
↓『東十条駅』付近です。
↑「み」
まだ、東京都北区です。
↓煙突が見えました。
↑「み」
↓東京都北区にある『北清掃工場』の煙突です。
↓ズームで撮りました。
↑「み」
↓『北赤羽駅』を通過。
↑「み」
帰りの右側の窓からは、並行して走る在来線の駅が見えます。
こっちはスピードが出てるので、駅名を読み取るのは難しいです。
こんなに綺麗に撮れたのは謎です。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2019/07/01 06:28
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さらば東京
ということで、東京に住んでたころのことを書きたいと思います。
早い話、金曜日のコメントの続きです。
昼食の思い出。
金曜日に書いたのは、新宿のトンカツ屋でした。
当時、会社は新宿にありました。
ここは、今回の『単独旅行記Ⅴ』で訪ねてます。
顛末については、『単独旅行記Ⅴ・総集編(4)』でご覧下さい(https://mikikosroom.com/archives/34477244.html)。
あ、どういう会社か説明してませんでしたね。
コンピューターのソフトウェアを開発する会社です。
でも、ソフトウェアと云っても……。
経理ソフトのようなアプリケーションソフトじゃありません。
当時は、ファームウェアと云ってました。
ハードウェアとソフトウェアの中間みたいな感じ。
パソコンのモニタの動作プログラムとか。
作ったプログラムは、ROM(Read Only Memor)というICチップに焼いて、モニタ内部の基板に組みこむのです。
組み込みは、東芝やヤマハの工場に行ってやってました。
わたしは、その会社でプログラマーをしてたんです。
マシン語やC言語でコーディングしてました。
その会社は、フレックスタイム制で、服装も自由でした。
今のフレックスタイム制の会社では、コアタイムと云って……。
たとえば、10時から15時までは会社にいなければならないとかが多いと思います。
全員が揃う時間帯を作らなくては、打ち合わせなどがしにくいからです。
でも、わたしが働いてた会社には、これがありませんでした。
なので、外が暗くなってから出社してくる人とかもいました。
会社に来てから帰るまで、一言も口を利かない人もいましたね。
外見は、オタクを絵に描いたような人でした。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2019/07/01 06:28
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さらば東京(つづき)
フレックスタイム制でいいところは、お昼を好きな時間に取れることです。
なのでわたしも、一般の会社の昼休みが終わったころに出かけてたと思います。
あのトンカツ屋が空いてたのも、そのせいもあったんでしょうね。
お昼どきにあれじゃ、潰れますよ。
で、そのわたしの会社ですが……。
移転しました。
新宿から、芝公園。
東京タワーの真下のあたりです。
上昇志向の強い社長でしたから。
当然、あのトンカツ屋とはお別れです。
芝公園あたりと云っても……。
当時はまだ、裏通りには昔ながらのお店が残ってました。
わたしが通ったのは、薄汚い中華料理店。
フロアはかなり広かったと思います。
フロアというほど綺麗じゃありませんでしたが。
下はコンクリート剥き出しだったですかね。
合宿所みたいな長テーブルが、いくつか並んでました。
なので、相席は当たり前です。
汚い店でしたが、わたしはいっこうに構いませんでした。
当時のわたしの服装は、首の弛んだトレーナーに履き古したジーンズ。
汚れて困るものは身に付けてません。
わたしが頼む料理は決まってました。
冬は、「牡蠣フライ定食」。
これは、冬限定。
それ以外の季節は、「麻婆茄子定食」。
どちらも美味しかったです。
牡蠣フライは、とても一口では食べれない大きさ。
うかつに噛むと、熱湯エキスが噴き出すという危険物。
わたしは、ご飯の上で牡蠣を割ってから口に入れてました。
懐かしいなあ。
でも、もうやってないでしょうね。
喧嘩ばかりしてる老夫婦のお店でしたから。