2019.5.11(土)
胸をサトシに預けたまま、ジーンズのタックボタンを外します。
ジッパー音を聞いたサトシの手が、胸を離れてジーンズを掴みました。
引っ張ります。
その作業を助けるため、仰向けに転がりました。
洗い立てのスキニーだったので、脱がせにくいだろうと思いました。
お尻を持ちあげ、布地を通過させます。
サトシは、子供が障害物競走をしてるような真剣さで、ジーンズを引き下ろしていきます。
わたしは、脚を真っ直ぐに伸ばして協力しました。
ようやく、ジーンズが足首を抜けました。
ストッキングは穿いてないので、もうパンティ1枚です。
もちろん、こうなることを期待して、下ろしたてを穿いてました。
サトシは、抜き取ったジーンズをポロリと床に落とすと、恐る恐るといった様子で、再び近づいて来ます。
わたしは、脚を縮めて迎えました。
サトシの手が、ウェストの布地にかかりました。
爪をちゃんと切ってないのか、猫に引っかかれたみたいでした。
サトシの指が布地を掴んだのを感じ、腰を持ちあげました。
サトシは、強奪するようにパンティを引き下ろしました。
柔らかな布地は、スキニージーンズより遙かに素直に、わたしの脚を滑り降りて行きました。
サトシは、戦利品のパンティをじっくり見ることもなく、床に落としました。
余裕のある男なら、布地の股間部に気づいたでしょう。
間違いなくそこには、染みが認められたはずです。
でもサトシは、布地なんかより、それが隠してた部分にだけ執心してました。
サトシの両手の平が、わたしの閉じた膝頭を掴みました。
膝頭に外方向へのベクトルを感じました。
もちろん、拒むつもりはありませんでした。
膝が、ぱっかりと開きました。
サトシの目が怖かったです。
血走ってました。
剥き拡げた眼球に、編み目みたいな血管が浮いてるようでした。
まさに、ガン見でした。
わたしは、膣口から零れた液体が、会陰から肛門まで伝うのを感じてました。
いくら初めて見るサトシでも、そこがどういう状態になってるか理解できたでしょう。
クリトリスが脈打ってるのが、自分でもわかりました。
ジッパー音を聞いたサトシの手が、胸を離れてジーンズを掴みました。
引っ張ります。
その作業を助けるため、仰向けに転がりました。
洗い立てのスキニーだったので、脱がせにくいだろうと思いました。
お尻を持ちあげ、布地を通過させます。
サトシは、子供が障害物競走をしてるような真剣さで、ジーンズを引き下ろしていきます。
わたしは、脚を真っ直ぐに伸ばして協力しました。
ようやく、ジーンズが足首を抜けました。
ストッキングは穿いてないので、もうパンティ1枚です。
もちろん、こうなることを期待して、下ろしたてを穿いてました。
サトシは、抜き取ったジーンズをポロリと床に落とすと、恐る恐るといった様子で、再び近づいて来ます。
わたしは、脚を縮めて迎えました。
サトシの手が、ウェストの布地にかかりました。
爪をちゃんと切ってないのか、猫に引っかかれたみたいでした。
サトシの指が布地を掴んだのを感じ、腰を持ちあげました。
サトシは、強奪するようにパンティを引き下ろしました。
柔らかな布地は、スキニージーンズより遙かに素直に、わたしの脚を滑り降りて行きました。
サトシは、戦利品のパンティをじっくり見ることもなく、床に落としました。
余裕のある男なら、布地の股間部に気づいたでしょう。
間違いなくそこには、染みが認められたはずです。
でもサトシは、布地なんかより、それが隠してた部分にだけ執心してました。
サトシの両手の平が、わたしの閉じた膝頭を掴みました。
膝頭に外方向へのベクトルを感じました。
もちろん、拒むつもりはありませんでした。
膝が、ぱっかりと開きました。
サトシの目が怖かったです。
血走ってました。
剥き拡げた眼球に、編み目みたいな血管が浮いてるようでした。
まさに、ガン見でした。
わたしは、膣口から零れた液体が、会陰から肛門まで伝うのを感じてました。
いくら初めて見るサトシでも、そこがどういう状態になってるか理解できたでしょう。
クリトリスが脈打ってるのが、自分でもわかりました。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2019/05/11 06:29
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今日は何の日
5月11日は、『鵜飼開き』。
長良川の鵜飼は、毎年、5月11日~10月15日の間に行われるそうです。
定休日は無く、中秋の名月と増水時を除く毎夜行われるとか。
ではなぜ、中秋の名月には行われないのでしょう。
そもそも、鵜飼という漁の仕組みです。
篝火を焚くと、鮎が驚いて動きが活発になるそうです。
さらに、鱗が火に反射して光り、鵜が捕らえやすくなるという理屈だそうです。
中秋の名月では、月が明るくて篝火の効果が薄れるため、ということ。
でもこれ、怪しい説のようです。
なぜなら、そもそも中秋の名月が満月とは限らないからです。
中秋の名月は、陰暦8月15日の月のことです。
1年で一番美しい月とされてますが……。
満月で無いこともあるのです。
それに、満月なら、毎月1回はあります(29.5日に1回)。
ますます、中秋の名月にだけ休む理由としては、納得できません。
わたしが思うに……。
中秋の名月の夜は、水面に映る月を楽しむ日なのです。
なので、鵜飼で、月が映る水面を乱すのは止めようということじゃないですかね。
で、鵜飼開き。
なぜ5月からなのかと云えば、それまでは鮎が小さすぎるからでしょう。
鮎は年魚で、1年しか生きられません。
そのため、春先には大きな鮎がいないわけです。
鮎釣りの解禁はもっと遅く、6~7月のようです。
秋には産卵して死んでしまうので、10月で終わりということなのでしょう。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2019/05/11 06:29
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今日は何の日(つづき)
さて。
鵜飼です。
わたしは、見たことがありません。
見てもやはり、楽しいものとは思えません。
鵜が気の毒です。
文字どおり「鵜呑み」しようとした首を絞められ……。
鮎を吐き出されるのですから。
更に、鵜が吐き出した鮎を焼いて食べるというのも、かなり抵抗があります。
●おもしろうてやがてかなしき鵜舟(うぶね)かな(芭蕉)
この歌の解釈は……。
「篝火のもと、にぎやかに行われる鵜飼はまことに面白い。だが鵜飼いが終わり、篝火も消え鵜舟も去ってしまうと、たまらなく悲しい気分になる」というのが一般的なようです。
でも、そうでしょうかね。
わたしは、「かなしき」気分になるのは……。
まさに、眼前に賑やかに鵜飼が行われてる最中じゃないかと思います。
歓声があがるたびに、鮎の命がひとつひとつ失われて行きます。
それを獲ってる鵜も、長く生きられる命ではありません。
そしてそれを操ってる鵜匠もまた、やがて死にゆく身です。
さらに、酔い騒いでいる観客も、こんなことを思ってる自分も……。
やがては消えて行く身なのです。
眼前の華やかな宴も、まさしく泡沫の夢。
芭蕉は、そんな気分になったんじゃないでしょうか。