2019.4.19(金)
「でも、おまえは油断ならないよ。
どさくさに紛れて、前にも突っこみそうだ。
あ、そうか。
前を塞いどけばいいんだ。
おい、あんちゃん、ゴム着けて仰向いて」
姪は、座りこんだ豚男に命じました。
豚男の突き出た腹の下から、ピンク色の亀頭が覗いてました。
豚男は床のゴムを拾いあげると、包装紙を破り、ゴムを取り出します。
真っ赤な亀頭に、帽子みたいに被せ……。
丸々とした指で、ゴムを巻き下ろします。
「ほら、仰向いて」
豚男は、最後にひと扱きしてゴムを伸ばすと、身を仰向けました。
上を向いても、腹が盛りあがってました。
まるで、浜に打ちあげられたクジラです。
その身体を、姪が四股を踏むように跨ぎました。
「凄い光景ですな。
ヘビー級選手権でっせ」
「うるさい」
姪は腰を落とすと、豚男のペニスを逆手で握りました。
亀頭を、陰核に擦りつけてます。
「ふぅぅ」
「深田さん……。
それ、ダメっす。
俺もう、イキそうです」
「まだ入れてもいないだろ。
情けない男だね。
あのブス顔見て、気を紛らわしな」
姪が、笑いながらわたしを見ました。
豚男が、仰向いた顔を反りあがらせ、上目でわたしを睨めあげます。
「紛れたかい?」
「はい」
「入れるよ。
よいしょ。
ふぅ。
しかし、短いね」
「根元が腹肉に埋もれてますから。
あ、ダメです。
ダメですって、動いちゃ」
「動かなかったら、気持ちよくないだろ」
「深田さん。
当初の目的を忘れてまっせ」
姉の真後ろの小男が、姪の尻を凝視しながら呟きました。
どさくさに紛れて、前にも突っこみそうだ。
あ、そうか。
前を塞いどけばいいんだ。
おい、あんちゃん、ゴム着けて仰向いて」
姪は、座りこんだ豚男に命じました。
豚男の突き出た腹の下から、ピンク色の亀頭が覗いてました。
豚男は床のゴムを拾いあげると、包装紙を破り、ゴムを取り出します。
真っ赤な亀頭に、帽子みたいに被せ……。
丸々とした指で、ゴムを巻き下ろします。
「ほら、仰向いて」
豚男は、最後にひと扱きしてゴムを伸ばすと、身を仰向けました。
上を向いても、腹が盛りあがってました。
まるで、浜に打ちあげられたクジラです。
その身体を、姪が四股を踏むように跨ぎました。
「凄い光景ですな。
ヘビー級選手権でっせ」
「うるさい」
姪は腰を落とすと、豚男のペニスを逆手で握りました。
亀頭を、陰核に擦りつけてます。
「ふぅぅ」
「深田さん……。
それ、ダメっす。
俺もう、イキそうです」
「まだ入れてもいないだろ。
情けない男だね。
あのブス顔見て、気を紛らわしな」
姪が、笑いながらわたしを見ました。
豚男が、仰向いた顔を反りあがらせ、上目でわたしを睨めあげます。
「紛れたかい?」
「はい」
「入れるよ。
よいしょ。
ふぅ。
しかし、短いね」
「根元が腹肉に埋もれてますから。
あ、ダメです。
ダメですって、動いちゃ」
「動かなかったら、気持ちよくないだろ」
「深田さん。
当初の目的を忘れてまっせ」
姉の真後ろの小男が、姪の尻を凝視しながら呟きました。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2019/04/19 05:55
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今日は何の日
4月19日は、『地図の日(最初の一歩の日)』。
寛政12(1800)年閏(うるう)4月19日(新暦では6月11日/今から219年前)……。
伊能忠敬が、蝦夷地の測量に出発しました。
上記の記述は、こちら(http://www.nnh.to/04/19.html)のページから転載させていただきました。
「閏(うるう)4月」とあるのは、この年は、4月が2回あったからです。
「閏4月」は、2度目の4月のこと。
太陰暦では、およそ3年に1回、閏月のある年がありました。
何月が閏月になるかは、面倒な計算があったようです。
詳しくは、Wiki(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8F%E6%9C%88)をご覧下さい。
どうも、このネタは以前も使ったなという確信がありました。
伊能忠敬を取りあげないわけ、ないんです。
やっぱり、ありました。
でも、ちと検索には苦労しました。
「今日は何の日」と「伊能忠敬」を組み合わせて検索してたんです。
でもヒットしない。
見つけて、初めてわかりました。
「昨日は何の日」だったんです。
掲載したのは、昨年でした。
これで忘れてたら、病院を受診しなければなりませんね。
2018年4月20日の「昨日は何の日」でした。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2019/04/19 05:55
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今日は何の日(つづき)
↓ズルして、そのまま再掲します。
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1800(寛政12)年4月19日(新暦5月12日/今から218年前)。
伊能忠敬が、蝦夷地の測量に出発しました。
そのとき忠敬、すでに55歳。
ここに至る経緯については、ほんとに感心します。
忠敬は、17歳で下総国香取郡佐原村(現・千葉県香取市佐原)の酒造家、伊能家に婿入りします。
妻は、4つ年上の21歳。
前夫との間に、3歳の男の子がいました。
稼業は傾いてたそうですが、忠敬の才覚で盛り返し……。
49歳で、念願の隠居。
ここから単身江戸へ出て、天文・暦学の勉強を始めるのです。
まさに、50の手習いでした。
忠敬が弟子入りした師匠は、当時30歳の高橋至時。
20歳も年下の師匠から学んだ忠敬は……。
地球の大きさを求めるプロセスの中で、日本の正確な地図を描くことが必要という結論に辿り着いたのです。
そしてついに、55歳で測量の旅に出立。
旅立つ前には、一定の歩幅(70cm)になるよう、歩き方を訓練したそうです。
そう。
歩幅を数えて測量していったのです。
気が遠くなる話です。
誤差を少なくするため、複数の人間が同じ場所を歩き、歩数の平均値を取ったそうです。
忠敬が亡くなったのは、73歳のとき。
当時としては、長命です。
死の数ヶ月前まで、地図の作成を監督したり、門弟の質問に返事を書いたりしてたそうです。
1821(文政4)年、忠敬の死から3年後、ようやく『大日本沿海輿地全図』が完成しました。
忠敬の師匠・至時(忠敬より先に亡くなってました)の息子・景保と、忠敬の孫・忠誨(ただのり)らが登城し……。
徳川家斉の前で、地図を広げて上程したそうです。
ほんとうに尊敬できる人というのは、こういう人のことをいうのでしょうね。
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続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2019/04/19 05:56
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今日は何の日(つづきのつづき)
出身地の香取市に、『伊能忠敬記念館(https://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/museum/)』があります。
ぜひ行ってみたい施設のひとつです。
距離は、ちょっとあります。
東京駅から最寄りの佐原駅まで、2時間くらいかかりますね。
新潟から東京までと同じくらいです。
この距離と、もうひとつ大きな難点があります。
館内が、撮影禁止なことです。
これでは、『単独旅行記』では行けません。
東京駅から2時間もかかるところへ行って……。
1枚も写真を撮れないのでは、何も書けないではないか。
これは、前々から言ってることですが……。
何で、撮影禁止なんですか?
文字どおり、減るもんじゃないでしょ。
写真がネットに掲載されれば……。
ぜったい、観覧者が増えますよ。
自分も行ってみたいとなるもんです。
かつて、大相撲のテレビ中継が検討されたとき……。
「そんなことしたら、客が来なくなる」と難色をしめす親方が多かったそうです。
でも、まったく逆でした。
テレビで見て、ぜひ生でも見てみたいという人が、国技館に押し寄せたんです。
香取市さん!
撮影許可してください。
さすれば、わたしが大いに書き、宣伝してさしあげましょうぞ。